雪に桜、故郷で見た絶景/5月19日はボクシングの日/他
『雪に桜、故郷で見た絶景』
17、18日と故郷の福島県鮫川村に姉妹達と行って来た。兄嫁の7回忌のため。妻も同伴して。当日は2時頃の東北新幹線に乗ったのだが、福島地方の天候は雪。午前中まで降りしきり新白河駅に下車したら、一面の銀世界だった。4月10日以降の大雪は、26年振りのことだという。20㌢の積雪でびっくりしたが、これが思わぬ恩恵に浴する結果となった。
迎えに来てくれた車で、途中棚倉町の桜の名所に連れて行ってもらう。花園神社の近くの、池際に1本だけ立つ桜なのだがそれは見事で思わず息が詰まった。
純白の地面に立つ1本の桜。6分咲きというところだが、桜の上には雪が…。池の水面には、逆さ桜がくっきり写り出されてまさに絵の世界。これはシャッターチャンスとデジカメを押し捲る。かくて私の今年の桜の追っ駆けは、有終の美を飾る。写真あり。
『雪の久遠寺で法要』
18日の10時から鮫川村の久遠寺で7回忌法要が行われた。お寺も雪のしじま中にあり、これまた記憶に残る日になった。本堂は底冷えがした。石油ストーブが燃え盛り何とか寒さを凌いだ。読経が本堂に木霊する中、6年前の葬儀を思えだす。あの日は突き抜けるような空の碧さ。桜花がひらひらと風に流れて焼香の列に舞い降りた。我が倅が京都の大学に入学した年でもあり忘れられない。亡き兄嫁は倅を何かと心配してくれた。
改めて合掌。
お墓参りも泥濘の中、山を登った。晴れて来て雪解け水が歩行を困難にした。雪の残る墓参も趣があっていいものだ。姻戚姉妹が集まってのお清めの席は同級生オーナーの「滝」で。
慌ただしい里帰りだったが、想い出が詰まる故郷はやはり去り難いものだ。不安も希望も、失恋も挫折も青春の全てがある…故郷よ。こんな言葉があった。「一切は過ぎ去って行く、ただ想い出を残して。」
日曜日、4時過ぎの新幹線で新白河より帰る。
『5月19日はボクシングの日』
5月19日は「ボクシングの日」です!この度、日本プロボクシング協会は定めたのです。そのわけは、1952年(S27年)5月19日、白井義男がダド・マリノを破り日本人として初めて世界チャンピオンとなった日なのです。この栄誉を称え記念日に設定。毎年記念行事を開催することにしたものです。いい事です。
第1回の今年は「ファン感謝イベント」~世界チャンピン会発足式~という謳い文句で、開催する。会の会長にはガッツ石松、副会長に具志堅用高、最高顧問に原田政彦の各氏が就任した。当日はヘビー級やエアーボクシング、新人王戦等の試合やトークショーと多彩なイベントを展開する。入場料無料なので是非足を運んで下さい。
尚、ポスター、チラシのデザインを不肖私がプロデュースしました。記念すべき第1回に微力ながら貢献できて、光栄の至りである。
『好きな花水木が咲いた…』
桜も牡丹桜だけとなった。孤軍奮闘で咲き誇る。そんな季節の移り変わり見る。早朝のウォーキング中に花水木の清楚な花がいつの間にか咲いているの目にした。私の好きな花で、ときに民家の庭に見つけると足を止めてしまう。淡いピンク色の花も、可憐で愛おしい。因みに花水木はアメリカの「国花」である。寒い日が続くけれど、初夏の足音は確実に近付いている。
『ボクシングの日』のポスター
(左上)雪に桜を背に姉妹達と記念写真 ※前列右から二人目が長女。私の隣が妹。
(右上)白銀の地に桜・・・池に映る逆さ桜、絶景かな
(左下)7回忌法要が行われた久遠寺
(右下)兄嫁の墓参り
春の京都御所、平安神宮、仁和寺巡り、念願叶った坂本龍馬の墓参…。
『春の京都御所、平安神宮』
11日~13日まで妻と京都を旅行した。一日目は御所に直行。一般公開中で隈なく見学することが出来た。即位の礼などを行う「紫震殿」、天皇が日常生活の場としていた「清涼殿」、皇太子の元服などの儀式などに使われる「小御所」、「御池庭」「御車寄」など玉砂利を踏んで歩き回った。平安の昔から維新へと、歴史に思いを馳せた。御所は広く、建物もどっしりとして、歴史の重みを感じた。
京都御所から平安神宮へ。枝垂れ桜を見に。ピンクも色鮮やかに、満開に咲き誇っていた。桃の花と見間違うほどで、曇り空の下なんとも美しかった。
次に「相国寺」へ。臨濟宗の相国寺派の大本山。足利義満が後小松天皇の勅命を受けて約10年の歳月を費やして完成したといわれる。法堂は重要文化財で、狩野光信が天井描いた龍の絵は見事で迫力に圧倒された。龍の真下で柏手を打つと木霊した。
京都の神社・寺院はスケールがでかい。再認識。
当日の夜は出向で当地にいる倅とイタメシ店で夕食。赤ワイン1本。社会人になって1年、話題の幅が広がった。酒も旨い。倅はハイネケン小びんを2本。〆て17,000円。パスタは合格点。
2日目は終日雨、11時嵐山線で御室へ。仁和寺の御室桜を見に行く。遅咲きの桜で今が見頃と、妻は楽しみにしていた。昔「徒然草」で勉強した。坊さんが鳥を寺に入れさせまいとして網を張ったのを、吉田兼好が「心の狭いことよ」と揶揄した物語…まさに桜は雨に打たれながらも、凛として咲き誇っていた。 御室桜は地を這うように低い。そのように育てられた。背を屈めながら、雨の中傘をさして愛で歩いた。
『平野神社の桜、北野天満宮へ』
仁和寺から雨の北野天満宮へ。途中、平野神社に立ち寄る。ここも桜の名所で、桟敷も雨に打たれて無残。確かに晴れていれば壮観だろう。お参りする。散りゆく桜に敷き詰めた桟敷が哀れを誘う。
天満宮では、26歌仙の絵図を鑑賞する。修学旅行の生徒が大勢参内していた。合格祈願か。牛のブロンズ像を手で撫でると御利益があると伝えられる。
『京都を一望できる龍馬の墓』
3日目はホテルを10時にチェックアウト。予て行きたかった坂本龍馬が眠る霊山(りょうぜん)神社へ。高台寺に隣接した山の上に龍馬と中岡慎太郎の墓はある。
雨上がりの急こう配の石段を何度も休みながら、やっとたどり着いた。京都の街を一望できる場所に龍馬と慎太郎は眠っている。質素な墓に龍馬のイメージと重なり合い好感。花や線香が絶えず、私も手を合せた。狂乱の幕末…京都を駆け抜けた龍馬ヒストリーが我が脳裏を駆け巡った。また最上段には木戸孝允(桂小五郎)の墓がある。幕末・維新を偲ぶ場所でもある。来てよかった。
霊山歴史館を見学して坂道を下る。でふと倅が学生時代に当神社の駐車場で、短期間だがアルバイトをしていたことを思い出した。何故か目頭が熱くなった。
新幹線の時間まで、1時間半ほど間があったので錦市場に回る。お番茶、車中で食べる弁当、御惣菜、それに今晩のおかずなどを買う。京都にくれば必ず寄る、すきな場所。
かくて3日の旅は終る。地下鉄を乗り継ぎ、ひたすら歩いた。やはり京都は日本人の心の故郷だ。
『文句なしに楽しめた「わが家の歴史」 』
三日間にわたり放送されたフジテレビのドラマ「わが家の歴史」は近来になく痛快だった。物語を縦横無尽に走らせる巧みな構成は、流石に三谷幸喜作品。九州から上京する車中、西田敏行扮する主人公の前に座る青年が、後の俳優高倉健だったり随所にごく普通に力道山や白井義男が現れたり。古川ロッパ、ヤクザの親分もここぞの場面で登場する。それが全然違和感がない。ドラマが一層引き立つ。鮮やかな三谷マジック!
その時々の事件を「わが家の歴史」に織り交ぜているいるので、物語にリアリティーがより深まるという具合。三日間旅先でも逃さず見た。豪華な顔触れの一人一人がはまり役で、こういうドラマは、三谷幸喜さんならでは。満足度120%。
こういうテレビドラマを見たかった!
(右)平安時代の衣装で蹴鞠の実演、
(中)京都御所の桜と妻
(左)平安神宮の枝垂れ桜、夜にはライトアップされコンサートが開かれた
(右)仁和寺の御室(おむろ)桜
(中)坂本龍馬の墓前で
(左)錦市場で買ったもので夕食
※手前左より揚げだし豆腐、満願とうがらしの焼いたもの、ホタルイカの干物、グチ(タイに似た魚)、赤カブの千枚漬、後方のパックの中は山椒入りじゃこ)
エンゼルス松井の活躍 待たれるヤンキースとの対戦/他
『エンゼルス松井の活躍 待たれるヤンキースとの対戦』
ヤンキースからエンゼルスに移籍した松井秀喜選手が、開幕戦でホームランを打った。4番DHで出場、地元のファンの前で存在感を示した。それにしてもいきなりホームランとは、やっぱり特別な男だ。私も自分の事のように嬉しい。
振り返れば、松井の活躍で去年ヤンキースは世界一に返り咲いた。契約最終年の年にMVPに輝き当然松井はヤンキースに残留と思われた。ところが外野手として守りたいう松井に対してヤンキースは膝に故障を持つ松井をDH(打者)のみの契約とすると譲らず―起用法で食い違をみせた。結局、松井選手は自分の希望を通してエンゼルスに移籍した。エンゼルスのソーシア監督も熱心に、松井を口説いた経緯がある。
'02年にエンゼルス世界一に導き、4年連続ア・リーグ西地区優勝の名監督ソーシア。この人に見込まれたのだから、松井も本望だろう。開幕戦で監督の期待通りの活躍、赤いヘルメットも見慣れて来ると、似合ってくるものだ。
今年もMLBは私の楽しみだ。同じ西地区にはマリナーズのイチローもいる。対戦も増える。BS放送から目が離せない。
ヤンキースとはヤンキースタジアムで4月14~16日対戦する。古巣への里帰りで松井はどんな歓迎を受けるのだろうか。ワールドシリーズで大活躍してMVPに輝いた折に「ニューヨークもファンも、ヤンキースも大好きです」と語った松井…きっとファンはスタンディングで松井選手を迎えてくれるに違いない。
我が敬愛する松井選手にGOD TO BLESS!(神の御加護を!)
今年のMLBは、とほうもなく夢がある。
『気になるタイの政情不安』
タイ、私の第二の故郷はいまだ混迷のさなかにある。困ったものだ。現政権派とタクシン派に分かれ、黄色と赤のTシャツを着て、共に譲らない。特に国外追放され、財産を没収されたタクシン元首相を支持する国民は、連日数万人という単位でデモ行進して、バンコク市内を占領している。とうとう戒厳令まで敷かれてしまった。
観光立国のタイ、果たしてこんなことをいつまでも続けていいのだろうか。両派は冷静になって矛を収める時期だ。
微笑みの国…寺院に夕日が沈む時、悠久の流れチャオプラヤもゆっくり黄昏に溶ける。タイの国民は河(川)をメ・ナーム(母なる河の意味)と尊敬の念を込めて呼ぶ。夜の帳が落ちるときのチャオプラヤの川面を染める街の灯り…哀愁がある。
そんな素晴らしい国だからこそ、一刻も早く元の平和な国に戻って欲しいと切に願う。
大部分が敬虔な仏教徒であるタイ国民、慈悲の精神で頼みますよ。
『雨に散りゆく桜… 』
雨に散りゆく桜は物悲しい。ああ、今年も桜が終わったのかと、しみじみ感じる。朝のウオーキングも遠回りして桜の木の下を敢えて通る。帽子にはらはらと花弁が落ちる。花吹雪に出遭ったときは、歌舞伎役者の気分にもなる。
かくして春は足早に去って行ってしまう。11日~13日は京都へ。仁和寺の桜は初めてだ。古都の春を夫婦で愉しむ…。
露地栽培の畑にじゃが芋を植えた。種芋の切り口に灰汁を振りかけて。6月には収穫できるというが、大丈夫できるのだろうか。ネットや新聞の園芸欄で勉強した自己流の農作業だけに、いまいち不安。ミニトマト、オグラ、胡瓜の種も蒔いた。ビニールで覆って、小さなハウスを作った。無事元気に芽を出して欲しい。
『亀田史郎氏業界追放は当然』
亀田史郎氏がどうやらマネジャーライセンスを剥奪される見通しだ。所謂業界からの永久追放。そうなれば亀田ジムは廃業を余儀なくされる。暴言、悪態の数々―身から出たサビとはこのことだろう。
先のポンサクレク×亀田興毅との判定を不服として、コミッション役員を試合後恫喝した事が、年貢の納め時となった。
協会は亀田3兄弟に対しては救済の道を探るという。
ともあれ試合の度に何かしらトラブルを繰り返す史郎氏…。もううんざりだ。業界からの追放は当然だ。
『カラオケ発表会』
9日は渋谷区幡ヶ谷区民会館で花にし会の「カラオケ発表会」。民謡あり、踊りあり、カラオケありで日頃の練習成果を披露した。私は小夜しぐれ、想い出迷子の二曲唄った。弁当、飲み物付きで一日楽しんだ。
見応えのあった興南×日大三戦/私の桜鑑賞の彷徨は続く…
『見応えのあった興南×日大三戦』
春の選抜高校野球は沖縄の興南高が延長12回10-5で日大三高を破って優勝した。見応えのある決勝戦であった。
興南の島袋、日大三の山崎、共に両投手の力投は胸に迫った。特に189球を1人で投げ抜いた島袋投手は、再三のピンチにも笑顔を絶やさず踏ん張った。国民が高校野球というものに魅了される要素には、こんな純真な姿を見るからだろう。
一方12回途中まで投げ抜いた山崎投手も爽やかな印象が残った。闘志をぐっと内に秘めて、ほとんど感情を表に出さない。クールな姿に、私は驚きと尊敬をもって観戦した。どうしたらかくも強靭な精神はを育む事ができるのかと。時に我々は物事が上手くゆかず、些細なことでも感情を露わにする。自己抑制ができない。大したものだ。
この山崎君は2年前に小児脳腫瘍の手術を受けていた、という。一時は「野球なんてとんでもない」と医師から宣告されていたという。手術が成功して、野球もできるようになったという。こんな極限の辛い経験があるいは、山崎君を人一倍精神の強い人間にしたのかも知れない。小児脳腫瘍で苦しむ全国の少年少女も、山崎君の勇姿には元気づけられることだろう。
打撃の方でも5番を打ち、今大会通算最多安打の13本。優勝できなくて、悔いはあるだろうけど凄い事をやった…私はおしみない拍手を送ります。
興南・我喜屋優(がきや・まさる)監督(59)の手腕・采配も優勝高に相応しいものだった。何事にも動じず、選手を信頼する姿。朴訥にして寡黙。いままで多くの高校野球監督を目にしてきたが、これほどの適任者は見たことがない。
勝負を感じさせない勝負師、と表現出来ようか…。昨年までは貧打に泣かされた打撃陣を見違えるように変貌させた。選手達は、自信に満ちた力強いバッティングで、勝ち進んだ。
わずか1年弱でかくも別人の如く変えた。その指導力には敬服する。21世紀枠校に敗れて、試合後の発言で物議を醸した監督がいた。その指導力もさることながら、教育者としても我喜屋監督をしっかりと見習って欲しいもの。
興南高の先輩である具志堅用高さんも、決勝戦に東京から朝一番で応援に駆け付けた。優勝の瞬間には沖縄県仲井間知事とがっちり握手。感涙に咽んでいたという。具志堅さん、良かったね。おめでとう!
興南も、日大三も、夏にまた甲子園に出て来てください。楽しみにしています。
K-1GPが開幕した。印象深いのはピーター・アーツ。過去の栄光、いまいずこ。無残だ。京太郎にKO負けした。彼の全盛期を見てきた私にとっては、なんともやりきれない。
K-1に残した功績は測り知れない。もう十分だ。これ以上醜態をさらさないでもらいたい、と私は願う。老兵は静かに去るのがよかろう。
『私の桜鑑賞の彷徨は続く…』
♪さくら さくら 弥生の空は~
今年は格別に桜の花が綺麗。気候が寒暖の差があったのがプラスしたのかもしれない。例年よりピンクがかっている。開花してから、寒いのも長く花見ができる要因。
土曜日(3日)は妻と代々木公園に出かけた。まだ午前中だというのに、花見客は来るわ、来るわ。うんかの如し。空地という空地はひとひと。こんな現象はかつてみたことがない。
世の中、不況だからだろうか…。
4日は地元西原商店街の玉川上水遊歩道で、桜祭り。私もカラオケを早々に切り上げて、手伝った。ソーセージや餅焼き等をサポートした。夜は気温が下がって堪えたたが、夜桜が電灯に映え幻想的だった。今年もつつがなく、桜祭りを迎えたことは嬉しい。カラオケ仲間、地元の知り合いも集まって盛り上がる。尚、2日、私は?才の誕生を迎えた。この歳になると、いささか複雑だ。
来週10~13日は夫婦で京都へ。仁和寺の桜、二条城の国宝公開を見学に。出向している息子に会うのも楽しみ。
まだ私の桜を求めての彷徨は続く。ああ、絶えて桜のなかりせば、である。
亀田、ポンサクレックに完敗喫す 父・史郎氏は息子のため自重を
『亀田、ポンサクレックに完敗喫す 父・史郎氏は息子のため自重を』
WBCフライ級タイトルマッチで亀田興毅は暫定王者のポンサクレック(タイ)に2-0の判定で敗れて初防衛に失敗。王座を陥落した。
流石に17度防衛のベテラン。21度の世界戦のキャリアを存分に生かした。亀田に付け入る隙を与えず、ポンサクレックは完勝した。
真正面から、ポンサクレックは亀田を見据えて終始戦った。挑戦者というよりは、風格ある王者の戦い方だった。リーチで劣るポンサクレックだが、接近しての攻めは巧みで特にアッパーが光った。32歳の挑戦者、23歳の王者、9歳の年の差をポンサクレックはいささかも感じさせなかった。感心した。
亀田にすればバッティングによる出血は想定外であったろうが、それにしても攻撃が単純すぎた。フットワークをもっと使い、ジャブを多用してアグレッシブに攻めるべきだった。
採点は一人がドロー、二人がポンサクレック。ドローにしたジャッジの採点の基準は、何処にあったのかと首を傾げたくなる。
それにしても試合後の控室で、またもや父・史郎氏がコミッション役員などに採点の不服を訴えて、激高し荒れまくったというたという。
またしても出てきたか。せっかく亀田兄弟のダーティーなイメージが払拭されて来ているのに。子供らが必死で頑張っているのだから、何があっても自重すべき。問題があるのなるのら、WBCに提訴することだ。「首を(安河内事務局長の)取ってやる」などと、脅しはもっての外だ。ボクシングはルールのあるスポーツである。
亀田史郎氏の実績、兄弟同時王者を誕生させたその手腕は私も認める。だから史郎氏のマネージャーライセンス認めるめるべきだという意見が盛り上がっているという。が、拙速に認可するのはどうか。コミッションも協会も慎重に”待った”を出す勇気をもって欲しいものだ。時に厳しい姿勢をとることが、結果的に亀田親子を救う事になると思うのだ。敢えて言う、亀田3兄弟には未来がある。史郎氏は不本意であろうが、輪島功一さんや具志堅用高さん等と会う機会を設けては如何。偉大なる先輩の話を聞けば、きっと得るものが大きいはず。
『恒例の食べ歩き、先ずは「七福」へ』
恒例の加賀屋先輩とのB級グルメ食べ歩きの今回は、地元上原地域。先ず行ったのは代々木八幡商店街にあるもつ焼き「七福」。小田急線代々木八幡駅&地下鉄代々木公園駅から徒歩1分、狭い路地を入って隠れたようにあるレトロ調の居酒屋。
大きな赤ちょうちんが路地の天井からぶら下がっているのが目印。
土曜(27日)5時半で御客はまばらだったが、早速我々はもつ焼き、煮込みをオーダー。飲み物は霧島のお湯割り。タレで食したが新鮮で美味しいかった。次に焼き鳥を塩で食べた。これも合格点。メニューも沢山ある。大人の隠れ家のような店が地元に存在してたことは嬉しい限り。
我々は白ホッピーを最後に1杯づつ飲んで店を出た。
『日本そば「山せみ」は雰囲気あり』
次に向かったのは代々木上原駅の近くにある日本そば割烹「山せみ」。同店は神楽坂にもあるということだが、地元ではかなり評判のお店。お店の雰囲気、店員の接待も悪くない。勿論味もだ。
我々は熱燗を注文して、肴は里芋と焼き味噌。里芋が格別に旨かった。ほど良く甘くて…。
最後に先輩は天そば、私が鴨南そば(温かい)を食べて終る。静かな、大人のデートコースにも、もってこいの店として推奨できる。〆て約5500円也。お酒も結局3合、少々酩酊した。
焼き鳥「七福」、大ちょうちんが目印。
蕎麦割烹「山せみ」、味もよし、雰囲気もよし
桜の季節と我が家の花見/「すし勘」で妻の還暦を祝う
『桜の季節と我が家の花見』
3月もはや後半、今日21日で桜の蕾もピンク色ではち切れんばかり。朝のウォーキングも何故かうきうきする。最近はとんと足を延ばしていないが、代々木公園の桜はやはり見逃せない。東京の開花は22日辺りということなので、27、28日のいずれかお天気のいい日に花見に行きたい。赤ワインに缶ビール、おつまみに、おにぎりとオカズ…我が家の花見はまるで遠足だ。両手の手提げ袋に溢れんばかりの食糧を運んで行くのだ。
夫婦で花より団子の口だからあれもこれもと欲張る。今年も至福のひと時がすぐそこにある。ルンルン気分である。
米国では公園などで、酒を飲む事が法律で禁じられている。日本に生まれてよかったぁ~。因みに東京の桜で私の一押しは千鳥が渕の夜桜。ライトアップされて皇居の闇に、絵のように浮かび上がる。それはゴージャスです。是非一度ご鑑賞ください。
我が拙文のブログ、アクセスして頂く方が週に約2,500人もいるという。アッパーのウェブを管理しくださる藤原女史が報告してきた。私は数百人単位だとたかを括っていたので、喜びというより責任を改めて感じている。う~ん、プレッシャーを感じる。
ブログは日曜日にアップするが、時に行事が重なったりして、疲れて帰ると「今回はパス」なんて考える。が、多少なりとも見てくださる人がいる、と思うと発奮してきた。見えない力に背中を押されてここまで続いた。ということで、決意も新たに取り組んでいくつもりです。約2,500人とは本当に驚きです。
『"すし勘"で妻の還暦を祝う』
3月21日は妻の誕生日、目出度く還暦を迎えた。息子と妻に薔薇の花を贈る。当日は都合が悪いというので、前夜に地元代々木上原の「すし勘」に行く。妻の希望だが、誕生日の夕食はいつもここでする。妻のお気に入りだ。
私の好みも知り尽くしているから楽。本質的に私はマグロは好きではないので、マグロが輸入禁止になっても平気。ヒカリものや貝類、そして白身魚が好き。最近はもっぱら塩とレモンを少し振りかけて食す。醤油はほとんど漬けない。素材の味が生きて一段と美味しい。当夜は幸いにもお店が混んでないくて、いつもなら、1時間程の制限時間だが、ゆっくり談笑できた。
主人の”寒い”ギャグがいつも以上に連発。笑いを誘ったり、お客が逆襲したりと、馴染みの客同士時間が経つのを忘れて寛いだ。ネットなどで主人のギャグを中傷する客もいるようだ。しかしネタも善しそして旨い。店の雰囲気も私達夫婦は気に入っている。親爺ギャグも愛嬌があって、お店の空気が和む。いいではないか。そう堅苦しく考えずとも。お客も様々、多様な意見、好みもあろう。が、店もそれぞれの味、個性があるのは当然だ。主人のギャグ大いに結構!
妻が「美味しかった!」と満足してくれことが何よりだ。女将さん、娘さんの、ノリちゃん共々親子の和服姿と笑顔も「すし勘」の”華”ですよ。兎に角私の一押しすし店、歌舞伎役者さん、芸能タレントさんも、頻繁に来店します。謂わばセレブ御用達。でもお値段も適価、安心して利用できます。一度お試しください。要予約。月曜日休み。
家路の途中に「WELEFUNE CAFE」というバーがあり久しぶりに立ち寄った。ここのマスターは私のことを「兄貴、兄貴」と呼ぶ。ポルトワイン、シリェーの豊富さは他に類をみない店だだ。いつぞや佐竹雅昭さん(空手家)をお連れしたとき、バスペエールの生ビールを口にするや「こんな旨いビールを飲んだのは初めて」と叫んで、杯を重ねた。マスターの注ぎ方にコツがあったのだが、ことほどさように全てが職人技なのだ。
マスターは暇を見つけては海外に出かけて、お酒を買いつけたり勉強も怠りない。なんでも切磋琢磨が必要なのだ。愛すべき「弟」だ。妻はポルトワイン、私はオールドパーのロックを一杯づつ飲み引き上げた。かくて妻の還暦の食事の夕べはつつがなく終る。夫の私としても、格別の日であった。良かった。
18日は後楽園ホールで初代タイガー・マスクの佐山聡君の興行。セミで藤波&ウルティモ・ドラゴン組VS長州&サスケ組の対決。メーンでは初代タイガーVS天龍の激突で、見応えがあった。
タッグは長州組が勝ち、タイガー×天龍戦は激し蹴りあい、殴り合いの末タイガーがチキンウイングフェースロックで勝利した。会場はほぼ満員の盛況で、ご一緒した藤原章子さんもいたく感激。我々の前席に懇意のP&S社長横井清人さん、後席には藤原敏男さんと友人、知人がいてワイワイ騒いだ。
毎回豪華メンバーを一堂に揃えてプロレスファンを満足させてくれる。佐山聡さんは大したものだ。敬服する。次も楽しみにしています。毎回チケットをお送りくださってありがとう。
「すし勘」のお嬢さんがお出迎え
ウエルファン・カフエ弟分のマスター
3月は巣立ち・別れの季節。半世紀前の我が姿を偲ぶ
入学試験、卒業式…3月という月は何となく慌ただしい。私に関していえば、高校の卒業式を待たずに上京した。もう半世紀前の出来ごとになるが、あの寂寥感は忘れたことがない。
義兄の紹介で品川にある電気工事会社に就職することになった。で、人手が足りないのですぐ来て欲しいというのだ。そんな訳で卒業式に出られなかったのだ。故郷を離れた朝を今もなお鮮やかに覚えている。バスに乗って、我が家の前を通るとお袋と友人のN君が立って見送ってくれた。お袋は黙って立っていた。K君は「フナキ、がんばってな~!!」と叫んで手を振った。バスの窓から手を振りながら、私は涙を流していた。
バスは寒村のデコボコ道を走り、1時間程で塙という駅に着いた。ここで水郡線で上野を目指した。キハ52。あのディーゼルージル機関車の重い響き音が、不安な心に拍車をかけた。
配属された課は資材課で、入社当日から仕事は忙しかった。会社(S電業)の主たる業務は東京電力からの地中線の工事の請負。丁度頃は高度成長期で昼夜を問わず忙しく会社も急成長して行く。そんな中、大学進学の思いがあって、夜間の塾に通い且つ給料を貯めた。結局、勤めていた会社も2年で辞めた。それから5年経て、大学に入る。編集者になりたい、という夢の第一歩が始まった。朝夕新聞配達をして、その合間に大学に通った。今は三菱東京UFJ銀行になっている麹町の、角にあったM新聞配達所。4年間、雨の日も風の日も休まず頑張った。辛い日もあったが振り返れば愉しい、充実した日々であった。私の青春の門だった。
3月は巣立ちの季節、別れの季節。希望と危うさがないまぜの季節であるように思える。そう、繊細な特別な季節…。
諸君の中には希望通りの進路に進めず、落胆している者もいるだろう。だが人生とは失敗の連続だ。一回の失敗で人生が決まる訳ではない。喘ぎもがき、必死でチャレンジして行く中にきっと道が拓ける。志を高く掲げて歩んで欲しい。人生の少しばかり先輩として、餞の言葉としたい。
3月は「早春賦」の世界だ。私はこの唱歌が好きで酩酊したときなど、カラオケで好んで歌う。自然、故郷の村を思いだす。鈍色(にびいろ)の空、雪がまだ残る雑木林。寒々しい光景だが、春の気配が感じらる。「春は名のみの、風の寒さや…、氷溶け去り 葦はつのぐむ…」。葦はつのぐむとわ、地上から芽を角のように出す状態。いえて妙だ。素晴らしい表現だ。作詞吉丸一昌、作曲中田章(「夏の思い出」を作曲した中田喜直の父)。因みに福島県立福島高校の校歌も中田章の作曲になるという。余談。
それぞれの門出、諸君の健闘を祈る!
具志堅用高さんと電話で話した。「田舎に泊まろう、見たよ」と。で、ストーリーが少しはあるんじゃないの?と冗談でいうと、具志堅会長「そんなぁ、全くありませんよ。」とむきになって否定した。「でも面白かったよ。」私の言葉にホッとしたのか、「今度芸能活動は太田プロと契約したので、テレビに出る機会が増えると思うんです。次は○○のケンミンショーにも出演するんです。」と満更でもなさそうだった。チョッチュネ~…具志堅会長、本職のボクシングを忘れないでよ。
日曜日、仲間と部屋で。後列左端が私。
親が子を餓死させるとは/高森さんの誕生日/箱根
『親が子を餓死させるとは』
相変わらず暗いニュースが多い。奈良県の5歳児、餓死をさせた事件はなんとも哀れで言葉がない。我が子に食事を与えず平然と死に至らしめるとは子の気持ちたるやいかばかりかと怒りがこみ上げる。当然、子供は「お母さん、腹減ったよ!食べ物頂戴!」と必死に懇願しただろうなと想像する。どんな目で父母にすがり、どんな思いで死んで行ったのだろう。
飽食の時代にかくも無残な話しがあっていいのか。許されないことだ。「人の命を大切にする政治」を最優先の民主党政権、なんとなく割り切れないものがある。
『高森さんの誕生日』
今年も高森篤子さん(故梶原一騎夫人)の誕生会が六本木のディスコ「ナバーナ」で3月7日13時から19時まで盛大に行われた。ディスコでのバースディーパーティーは今年で6回目。高森さん曰く「不景気な世の中だからこそ心を気高く持ち、生きる事への感謝と喜びを皆さんと共に分かち合いたい」と。
和服から洋装に着替えた主人公。特製特大ケーキにローソク(?十本)の火が灯されると期せずして「ハッピーバースデー」の歌が…。私も歌の輪の中に入って一緒に唄う。梶原先生もきっと天国で妻の元気な姿に、喝采を叫んでいることだろう。高森さんが、一気に火を消すと拍手が巻き起こった。
私も毎年招待の栄誉に浴する。ディスコを借り切って何百人という人を無料で招待するなんて、梶原先生に負けず劣らず夫人も剛毅な人である。こればっかりはマネしようにもマネできない。心から誕生日おめでとうございます。
『箱根』
6日土曜から一泊でご近所の仲間5人と箱根二の平に出かけた。渋谷区の保養施設へ。生憎の雨だったが、ゆっくりとお風呂に入り、飲み食い、カラオケをして楽しんで来た。
まさに異種業種、ゴルフ練習場の会長もいれば、塗装業、ガラス屋さんもいる。定年後はなんとなく付き合う友達がいなくなるものだが、こいう人たちから声をかけてもらうのは本当に幸せである。これからも積極的に参加しよう。人生の晩年を彩り豊かにするために。
6日午後2時に新宿を発ち、翌1時には我が家に帰宅。小さな旅であったが心洗われた旅であった。
六本木のディスコ「ナバーナ」で行われた
高森篤子さんのバースデー・パーティー
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キム・ヨナと浅田真央/カーリングに魅せられて
『キム・ヨナと浅田真央』
注目の女子のフィギュアスケートはキム・ヨナが予想通り優勝。浅田真央は2位、安藤美姫は5位。キム・ヨナにかくも完全無欠に滑られては、人為の及ぶところではない。神の域だ。
泣くな、真央!ソチがある!
私が女子フィギァスケーターの史上最高と思っていたのはカタリーナ・ビット(ルーマニア)だったが、キム・ヨナはいとも簡単に抜き去った。長い手足、しなやかな身体から繰り出されるパフォーマンスは、まるでバレリーナ。豊かな表情、表現力は他の追随を許さないものだ。SP(ショートプログラム)での007のテーマ音楽にのせた演技は音楽に合わせるというよりも音楽がヨナに合せてくれる…そんな感じ。フリーではガーシュインの「ピアノ協奏曲へ調」を華麗に、そして雅に表現した。SP78・5、フリー150・06合計228・56点。世界最高点で錦上花を添えてのゴールドメダル。
SPを終わった時点で真央ちゃんとの差は4.72。しかしフリーでは直前にヨナが滑って、20点以上離される結果に。
ラフマノニフの前奏曲「鐘」、荘厳なこの曲を真央は3回転半ジャンプを2回決めた。後半2度ジャンプをミスして131.72、合計205.50点。アクセルを2度成功させたものの…。失敗はあったっが真央は見事だった。見事な銀であった。勝ったヨナが凄すぎたのだ。真央、君はベストを尽くし敗れたのだ。
ヨナと真央、共に19歳。ソチの4年後の五輪のリングでまた競って欲しい。よきライバルに恵まれた者は幸せである。
4年後、共に23歳の両者をこの目で確かめてみたい。次のフリーでは真央にはカンツオーネのような曲を踊ってもらいたい。真央ちゃんには明るい曲の方が似合うと思う。表現力に磨きをかけて、ソチに標準を向けてください。
『カーリングに魅せられて』
カーリングは決勝戦でカナダを延長11エンドで逆転で破ってスウェーデンが優勝した。スウェーデンはトリノに続き2連覇。メンバー全員がトリノの五輪と同じ顔触れという快挙。
見応えのある決勝戦で、改めてカーリングというスポーツの奥深さを知って、ますます興味が増した。
スウェーデンチームのスキップ(主将)、ノルベリは45歳。冷静沈着、ピンチに陥っても些かも動じた様子が見えない。どっしり構えて、チャンスを待つ。実に頼もしい。カナダのバーナードも同年齢のスキップ。世界のトップチームはベテラン揃えだ。経験がものいう勝負であることも認識した。つまりママさんバレーならぬママさんカーリングが強いのだ。処女のような女では、年増には手もなく捻られる。高度技術に加え、経験、そして緻密な戦略も要求される一筋縄ではいかない競技。単純にして複雑、だから面白い。
チーム青森のメンバーもそのまま、結婚しても子育てをしながら、次のソチを目指して欲しい。ピンチにも動じない図太いチームに変身することを願う。
それにしてもビリヤードとボーリングの合いの子、ハイブリット・スポーツのような、カーリングを編み出した人は、偉い!この競技は世界に広がりそうだ。
スウェーデンチーム
スケートは韓国に学べ/初代タイガー30周年
『スケートは韓国に学べ』
バンクーバー五輪も中盤、佳境に入って来た。韓国の躍進には目を見張るものがある。モ・テンボは500で金、1000で銀。日本人と背格好は変わらないのに。体力に圧倒的に優る欧米の選手を抑えての栄冠は、ただ驚きの一言。ショートトラックで、コーナーワークの技術を磨きスピードスケートに転向するという。もはや日本は韓国に学ばなくてはならない。
幸いにも500で、長島圭一郎が2位、加藤条治が3位で面目を保った格好。フィギュアスケート女子は予選が24日、フリーが26日に行われる。ここにも強力なライバル。キム・ヨナが立ちはだかる。フリーの「007のテーマ」は、彼女のために生まれたような音楽で、スケーティングと見事に噛み合っている。雰囲気、表現力たるや、もはや芸術の域だ。群を抜いている。 果たして浅田真央、安藤美姫らはヨナの牙城を崩すことができるか。後半の最大の見所だ。
それにしてもバンクーバー五輪はご難続き。開会式の聖火台を支える柱が1本出なかったり、リュージュの練習中の事故死、果ては正氷車の故障等々…加えて雪不足。これほどトラブルが絶えない五輪も前代未聞。でも1秒も違わない精密機械のような運営もどうか。自然と人間がやることだ、もっと大らかさがあってもいい。
ところでリュージュやスケルトンなるものが五輪の競技に必要なのうだろうか。スケートのショートトラックしかり。ローラーゲームのようだ。そこまで競技を細分化するか。IOCは競技種目が多すぎると懸念しながら、それとはうらはらに種目を増やしている。オリンピックは簡素化、期間も短縮すべきだ。巨大な商業主義に陥って留まる事をしらない。
スノーボードハーフパイプなども疑問。比較的新しい種目のカーリングはいいね。戦略的で観る側にとっても実に面白い。かわい子ちゃんも多いし…。これ、おやじの目線か。
『初代タイガー30周年』
初代タイガーマスク、佐山聡のプロレスデビュー30年を祝うパーティーが2月21日夕刻から開かれた。
会場の八芳園には大勢の業界関係者、ファンが詰めかけて賑わった。発起人代表には恩師アントニオ猪木。「プロレス復興に向け、迷わずいけよ!」と会場には現れずビデオで檄を飛ばした。
31年目のスタートにあたって、佐山氏はプロレス復興と新格闘技に賭ける決意を新たにした。
主な主席者。藤波辰巳、新間寿、梅宮辰夫、長州力、高見盛、真樹日佐夫、高森篤子、藤原敏男、シーザー武士、小林邦昭他。
壇上、左から藤波、タイガー、小林、長州。新日黄金期のメンバー
猪狩元秀氏と藤原敏男氏。元キックのスパースターと。






















