大谷翔平のMLB挑戦に 喝采/ヤンキースの黄昏/ディナー&トークショー
舟木昭太郎プレゼンツだからこそ開催できる、伝説の挌闘家のトークが間近で聞ける貴重なディナー&トークショーです。参加費は食事+ワンドリンクで5,500円、詳細はこちらのPDF
をご覧ください!!
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・大谷翔平のMLB挑戦に喝采
・ヤンキースの黄昏
~老齢化、来季の陣容は~
~世界一はタイガースと予想~
・ディナー&トークショー
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大谷翔平のMLB挑戦に喝采
花巻東の大谷翔平投手(18才)が大リーグ挑戦を明らかにした。その心意気やよし!大リーグには小さいころから憧れを持っていた、ということだ。周囲の反対を押し切っての夢挑戦である。それが素晴らしい。周りがどう言おうと、己の信念を貫く姿に私は共感する。自分の道は自分で決める、なんとも清々しい決断である。日本の若者捨てたもんじゃない。
人間の運命なんぞ神のみが知る。誰も知っちゃいないのだ。運命の扉を開くのもまた人間である。たとえ失敗したとしても、遣らないで後悔するより、遣って後悔する方が納得するはずだ。これ、私の人生哲学。
私は新しい事業を興す時に、いつもこの言葉を噛締める。一度きりの短い人生だから、後々悔いを残したくない、そう決断する。失敗を恐れては何も出来ない。大谷には大リーガーへの道が平坦なものではないことぐらい十分承知だ。それでも敢て狭き門を選んだ。それがオトコ。
身長193㌢の大谷は体格にも恵まれている。最速160㌔の速球は、最大のキラーコンテンツである。大リーグでは真っ向勝負で、三振を取れるピッチャーでなければ注目されない。
ドジャース、レンジャース両球団のスカウトは早くから殊の外熱心に日本を訪れていた。大リーグの厳しい調査を経て、見込まれた大谷。選ばれし者の恍惚と不安我にあり、だ、アメリカンドリームに向かって波涛を超えて飛翔する大谷に GOD BLESS YOU!
ヤンキースの黄昏
イチロー&黒田投手が在籍する名門ヤンキースが、アメリカンリーグ・チャンピオン決定戦でデトロイト・タイガースにスイープ(4連敗)され今年のシーズンを終えた。
常勝を宿命づけられたヤンキースが4タテを喰らったのだから、監督始めコーチの顔触れがいまのままでは済まないだろう。同球団は以前から選手の老齢化が危惧されていたから、チームを若代えさせるのにはいい機会だ。
チームの主砲エー・ロッドこと、アレックス・ロドリゲス37才、クローザーM・リベラ42才、キャプテンで遊撃手ジーターは38才、ポストシーズン大活躍したイバネスも38才、イチロー37才と主力は押しなべて35才を過ぎている。
リベラは試合前の練習でアキレス腱を切断してシーズンを棒に振った。ジーターもポストシーズンの大事なときに足首を骨折した。エー・ロッドは投球を手の甲に受けての長く欠場した。このままの顔触れで来シーズンも前途は暗いが、いくらなんでもイチローと黒田は放出しまい。
~老齢化、来季の陣容は~
ジーターは今年も3割を打ちチームの顏だし要だから不可欠であるが、Aロッドは最大のお荷物で、彼の処遇は大きな課題になるだろう。ポストシーズンではベンチに外された。Aロッドに限らずヤンキースは肝心な所で打てなかった。投手も頼りになるのはサバシアと黒田の二人では勝ち抜く事は出来ない。やり手、キャッシュマン・ゼネラルマネージャーの首が飛ぶかも知れない。
マネーボールで映画にもなったオークランド・アスレチックスのようにヤンキースの年棒の3分の1で、今季ア・リーグに旋風を巻き起こした球団である。年棒の高さが勝敗に比例する訳ではない事を図らずも証明した。いずれにせよ、我が愛するするヤンキース、来季どう変わるか興味が尽きない。
~世界一はタイガースと予想~
ワールドシリーズはヤンキースが出れないので、興味が半減したが優勝は投打にバランスがいいタイガースだろう。何と言っても45年ぶりの3冠王に輝いたカブレラ、投手で絶対的なエース、バーランダーがいるからである。
老将リーランド監督も沈着冷静、醸し出す雰囲気すこぶるよしだ。今日の時点でナ・リーグの覇者は、カージナルスになるかジャイアンツになるか不明だが、どちらが来ても私はタイガースを推す。
ディナー&トークショー
ディナー&トークショー(ゲスト藤原敏男氏、10月29日 浅草アリゾナ・キッチン)の参加希望が、お蔭様で30名に達しましたので募集を締め切りました。有難うございました。メールで応募してくださったた方もおりました。力を得ました。
藤原敏男氏も大いに乗り気です。何とか面白いトークショーになりそうです、17時30分より受付ですので、皆様宜しくお願い致します。
メールで応募頂いたファンの方には、キックボクシングのレアな映像をその場で見られるようにはからいます。誰か一人、パソコンをお持ち頂きたいと存じます。
DVD 『日本ボクシング不滅の激闘史』 いずれも絶賛発売中!!
パーティーで会った元世界王者達/西城正三さんの追憶/多忙な具志堅会長/他
舟木昭太郎プレゼンツだからこそ開催できる、伝説の挌闘家のトークが間近で聞ける貴重なディナー&トークショーです。参加費は食事+ワンドリンクで5,500円、詳細はこちらのPDF
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・パーティーで会った元世界王者達
~多忙な具志堅会長のこと~
~NHK総合で11月「具志堅一族」を放映~
~西城正三さんの追憶~
~全てがナイスだった西城選手~
・金木犀の薫る季節が来た
~しばし芳香を愉しむ~
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パーティーで会った元世界王者達
金平正紀会長を偲ぶ会&WBC世界フライ級チャンピオン佐藤洋太を励ます会は(10月11日、東京ヒルトン)はさながら協栄ジムOB世界チャンプの同窓会であった。西城正三、具志堅用高、上原康恒、渡嘉敷勝男氏らに系列の沖ジムから竹原慎二氏の豪華な顔触れが集結した。竹原と仲良しの畑山隆則氏も駆けつけた。
賑やかなことが好きな故人だったから、さぞ泉下で喜んでいることだろう。現在まで13人の世界王者を輩出している名門のジムである。同ジムの世界王者第1号は”カミソリパンチ”といわれたフライ級海老原博幸。次がシンデレラボーイ(日本人が初めて海外でベルトを取ったから)と騒がれた西城正三。そして13度防衛の”カンムリワシ”具志堅用高と名王者へと続く系譜、はまさに日本ボクシング界の歴史そのものだ。
会場で私が最初に話しかけたのは上原康恒さん。現役引退後、ガッツ石松さんと3人でよく赤坂・新宿を飲み歩いた。そんな思い出話をしていたら、具志堅会長が脇を通りかかったので声をかけ記念写真を1枚撮らしてもらう。具志堅会長と上原さんは同じ沖縄で、具志堅会長が興南高在学中は上原家に下宿してたのが縁で、ボクシングを始めることになった。いわば具志堅ボクシングの原点である。四方山話に話が弾む。
多忙な具志堅会長のこと
具志堅会長と語り合うのもしばらく振り。彼はいまやタレントとしても売れっ子で、ボクシングジムとの二足の草鞋で多忙を極めているからである。私は彼がチャンピオンになる前から密着取材しているが、よもやタレントで人気者になることは想像していなかった。
それも一過性の人気かと思ったら、どうしてテレビの出演回数は依然多い。私には予想外の現象だが渡嘉敷君などは「先輩(具志堅)は面白いですよ」と手放しに、その天然ボケを褒める。楽しそうに遣っているから、彼には芸能界の水も余程合っているのだろう。人間何処に才能が眠っているか分からないものだ。
白井・具志堅ジムに女子世界王者が誕生(WBAスーパーフライ級C山口直子)して、本業のボクシングにも拍車がかかっているようだ。「山口はいい選手ですよ。楽しみな選手です、今度見に来てください」と言って、彼は、11月21日(後楽園ホール)の初防衛戦に熱を帯びていた。世界13度防衛のカンムリワシが折り紙付けるのだから間違いないだろう。皆さん、観戦をよろしくお願い致します。
NHK総合で11月「ファミリーヒストリー具志堅用高」を放映
NHK総合では、11月19日(月)の夜 22時~22時50分の間で、「具志堅用高」をテーマに特集を組むそうだ。沖縄での撮影は既に終わっているそうな。NHKは過去チャンプ時代にも同様の企画を放映している。今回はどんな切り口になっているのか私自身も大いに興味ある。「いいですよ、凄く。」本人が照れずに、マジに言う。こんなところが具志堅会長の天真爛漫な性格。そういった素朴さが茶の間で受けるのかも知れない。具志堅ファン必見ですぞ。
会場の隅の方に西城正三さんの姿を見かけたので、私はあなたのファンでしたよ、と彼に近づくと、へぇ~そうですか、といって身を反らした。そうなんです。
1963年9月、敵地ロサンゼルスでロハス(米)を判定で破りWBC世界フェザー級タイトルを手にした西城は、ジャックサンダースのマークが付いたゴルフウェアーをさらりと着え、羽田に降り立った。甘いルックスのニューチャンプは、紛れもなくシンデレラボーイの雰囲気が漂っていました。各種雑誌、スポーツ紙を飾った新王者の素顔は、本当にナイスでした。
西城正三さんの追憶
ファイトもラスト30秒に賭ける斬新な戦法でした。同王座は4度衛して、’71年8月、A・ゴメスにKOで敗れて、西城はリングから身を引きました。丁度その時期私は3カ月の研修期間を経て、正式にゴング編集部配属になりました。
引退して間もなくの頃でした。私は、野口プロH部長のお誘いを受け目黒にあったサウナに行きました。店に入ると、貴方は帰り支度をしておりました。直接取材したことがなく謂わばこの時が初対面でしたから、私はゴングの舟木というものです、宜しくお願い致しますと丁重に挨拶した覚えがある。
ああ、ゴングね、俺がチャンピオンになってロスから帰国したときに家まで来てくれたんだよね。写真撮ってくれて、それで表紙に載せてくれたの覚えているよ。よろしく、と笑顔で応じてくれたのがいまでも印象に残っている。
全てがナイスだった西城選手
そのあと我々はサウナに入り、出てくるや支配人らしき人が寄ってきて「垢すりのお金も2人分、全部西城さんから頂いていますので」という。思わぬ恩恵に浴して恐縮したが、支払った西城さんは、既に帰ったあと。爾来、私の心にはナイスな西城さんがずーっと、澱(おり)の様に溜まっていたのです。
そんな経緯があったものですから、貴方がキックボクシングに転向して、ムエタイの修業に出るときには、金平会長に依頼されてバンコクでの修業先を私が全面的にコーディネートしました。私にとってこれは、サウナの恩返しだったわけです。
その西城さんも63才、二人の孫がいるんだ、とこの時ばかりは目を細めて完全な好々爺でした。現在はオークラジム会長として、マイペースで第二の人生を歩んでいる。
現役時代は幾つものアパートを持ち、イタリアン料理の店も経営するなどリッチな生活を送っていましたが、それも本人曰く、競艇に全部つぎ込んでパーになりました、アハハ~。何とも潔い言葉に私はここでもナイスな西城さんを発見したのです。普通の人は、自分のマイナスになる事はなるべく言わないもですから。
西城さん、金は遣いばなくなるけど、シンデレラボーイ西城昭三の名声は不滅なんですよ。それでいいんじゃないですか。私は遠い昔の恰好いいあの日を振り返りそういった。この日会場で会った西城、具志堅、上原渡嘉敷の各氏は、私にとっては特別に愛着ある人生の宝物のような存在である。会費2万円、私にとっては心温まるパーティーになりました。金正日(キム・ジョンイル)のそっくりさんにも遭遇した。故・金平正紀会長に感謝、佐藤洋太に声援を送ります。
金木犀の薫る季節が来た
金木犀の香りの漂う季節が今年も遣って来た。毎朝行く公園にも2,3本植えてあり、噎せ返る匂いのなか贅沢極まりないラジオ体操ができる。’71年に初めてバンコクに行って、当地の一般の家庭に滞在した。
そこでも金木犀と同じ芳香を感じた。一風呂浴びようと電気も無い暗い小さな部屋に入るとそこには樽のようなものがあり、その中から強い匂いを放っていた。柄杓で水を掬い体に掛け流す。水は生暖かくても旅の汗を流すのには十分だった。乾季の頃、同じようにタイでも金木犀は咲くのだろうか。あれは紛れもなく金木犀の薫りだった。
一般にタイでは所謂日本の風呂のようなものはなく、先にのべたような方法で済まし、暑い時には何回もそれをする。日本人の様に熱い風呂に入る習慣も、石鹸をタオルに一杯付けてゴシゴシ洗う事もしない。
しばし芳香を愉しむ
日本人とは特別綺麗好きな人種なのかもしれない。銭湯や温泉場などへ行くとよく見かける光景だが、全身を泡だらけにして、タオルで力いっぱい擦っている人が多い。そこまでしなくてもと思うのだが、当人はそうしないと満足できないらしい。
兎も角、金木犀の芳香は凡そ2週間は続くので、お天気の善い日は我家では玄関を開けて置く、そうすると金木犀の匂いが家の中に流れ込んでくる。10月は適度な晴天が続くので、何処か遠くにウォーキングに出掛けたいのだが、この頃右足が痛くて(脳梗塞の後遺症なのかもしれない)それも叶わない。颯爽と歩けないのが辛い。どうやら金木犀だけが私を慰めてくれる気がする。
<金平正紀偲ぶ会&佐藤洋太を励ます会グラフィティー>
西城正三さんと(右)話が弾んだ。
オッと死んだはずのキム・ジョンイル(金日正)さんも来場。
お馴染みのトカちゃんと。
具志堅、上原さんと(右)
祭壇には故・金平正樹先代会長の遺影が飾られ献花した。
山中教授ノーベル賞の意義/ああ、上野駅は今昔/ディナー&トークショー御案内/他
舟木昭太郎プレゼンツだからこそ開催できる、伝説の挌闘家のトークが間近で聞ける貴重なディナー&トークショーです。参加費は食事+ワンドリンクで5,500円、詳細はこちらのPDF
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・山中教授ノーベル賞の意義
・浅草から上野へ
~ああ、上野駅は今昔~
・ディナー&トークショー御案内
・外国人が唄うJ-POP
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山中教授ノーベル賞の意義
2012年のノーベル医学生理学賞が京都大学IPS細胞研究所の山中伸弥教授(50)と英国ケンブリッジ大ジョン・ガードン博士(79)に授与されると8日、発表された。授賞理由は新聞など詳しく御覧になって頂くととして、この賞が国家挙げての協力体制の成果であるということで大変意義があると思う。
IPSの実用化に向けて、日本は京都大学などへ年間100億円規模の研究費を投入している。日本も欧米に遅ればせながら基礎研究費に金を出すようになったことは喜ばしいことだ。これによって少しは頭脳流出に歯止めがかかるかも知れない。
「何故2番じゃいけないんですか?」今回の山中教授のノーベル授賞で、今更ながら蓮舫議員の顏を思い浮かべる。彼女はどう思っているのだろう、聞いてみたいものだ。
尖閣、竹島問題、依然として良くならない経済と、なにもかも閉塞感漂う日本に、ともかくも明るいニュースが飛び込んできた。山中教授、おめでとうございます。
浅草から上野へ
このところ頻繁に浅草に出る。10月29日(月)に決まったディナー&トークショー(ゲスト藤原敏男さん)が浅草「アリゾナキッチン」で開催されるので、なにかと用事ができる。
5日はトークショーのチラシが出来上がりお店にお届けした。まだ16時と日暮れまでは時間があったので、仲見世通りの裏の辺りを散策した。目を凝らして歩くと、こんなところにこんな店がある、というような小さい驚きを味わえる。民俗学宮本常一の父親は息子に向かっていったそうである。人の見残した物を見るようにせよ、その中にはいくつも大事な物があるはずだ、と。
そうした気分になって歩いていると、何となくいままで見過ごしていた草木の一本一本が、目に入り新鮮な気持ちになってくる。帰りがけ地下鉄の入口の上部に目をやると、そこには雷門に下がっていると同じような小型の赤提灯が壁に仕込んであった。いままで気付かなかった。紛れもなく見残したものだ。
~ああ、上野駅は今昔~
浅草から銀座線で上野に出る。地下鉄を出てJRの玄関口に向かう、すっかり変貌した構内をキョロキョロ。もう井沢八郎の「ああ、上野駅」の面影は何処にもない。♪就職列車で揺られて泣いた~上野はおいらの心の駅だ~
エスカレーターで2階に上がる。新装なったレストランフロアは、何処にでもあるような凡庸なデザインに興ざめ、途中で引き返した。せめて歴史を感じさせる彰義隊とか集団就職で上野駅に降り立った光景とか、はたまた西郷さんの銅像と桜に不忍の池とか、銅版画で壁を飾っていたら上野らしい趣になったろうにと、虚しさだけが残った。私は福島県人だから人一倍上野駅には思い入れが深いのである。
私の中学の同級生は集団就職で殆どが東京に来た。福島から汽車に揺られて降り立ったのが上野駅。当時、友達はどんなに不安だったろうか。青春のあの日の旅立ちを上野駅はいつも思い起こさせる。
就職先は荒川区や足立区、川崎などの町工場や個人商店が多かった。彼らは貧しさから抜け出そうと必死でがんばったはずだ。私も高校の卒業式
を待たず、水郡線で上野駅に降り立ち学生服のまま翌日から電気施設会社の資材課に勤めた。世の中はまさに狂ったように高度経済成長期に向かおうとしていた。貧しさと豊かさを同時に体験した我々の世代、上野駅はその歴史の証人として、乗降客を見つめているのだ。
駅を離れ広小路方面に歩くと、西郷さん銅像下の食い物店が入った古色蒼然たるビルが、ガラス張りの瀟洒なビルに生まれ変わっていた。京成電車の連絡通路、西郷隆盛銅像へと通じる階段沿いの建物である。
歩きながらガラス越しになかを覗いていると銀座ライオンの看板が目に止まる。まだ17時に少し前、地下に降りて店に入ると静かな佇まいが気に入り奥の方のテーブルに席を取る。
黒ビールの小にポテトフライをツマミに、私は本を広げてしばし寛いだ。こんな時間もあっていいと自分にいい聞かせて、もう一杯ハーフアンドハーフをおかわり。そろそろお店も混雑する頃だと、ほろ酔い気分で千代田線湯島駅まで歩いた。街には夜の帳(とばり)が下りネオンが眩しかった。浅草から上野までの、たった独りきりの回遊、それでも私には十分満足できた。
ディナー&トークショー御案内
ディナー&トークショーは20日締切ですが30人限定ですので、定員になり次第締切となりますので、御了承ください。念のため申し込み御希望の方は下記宛に、住所、氏名、電話番号、参加人数を明記の上FAXかE-MAILでお申込みください。参加費は食事+ワンドリンクで5,500円です。
■お申込み&お問い合わせ■
渋谷区西原2-2-4(株)アッパー
FAX: 03-3469-0685
E-MAIL: upper@lapis.plala.or.jp
TEL: 03-3469-0620
友人のSさんから電話があり、「当日は舟木さんもよく知っている熊谷直子を連れて行きますからね」と予約してきた。彼女と会うのはかれこれ12~3年振りになるのかな。現役時代の熊谷は比類なき強さで、私の印象は "おんな藤原敏男" そのものだった。私は彼女こそは、日本が生んだ最強の女子キックボクサーであると確信している。来てくれるなんて嬉しいよ!
外国人が唄うJ-POP
何気なくテレビのチャンネルを弄(いじ)っていたら外国人が登場して所謂J-POPを唄っていた。それが余りにも上手に唄うのでずるずると最後まで見てしまった。お蔭で平清盛を見過ごしてしまった。
「日本の歌、世界一決定戦」という番組で、外国人なのにどうしてこんなに上手いんだろう、つくづく感心しました。日本語も正確だし、何よりもどの歌手も日本人の心、ハートを唄っている。途中から家内も加わって吃驚の連続であった。
イタリアやトルコから参加していた女性はスレンダーで美人、歌唱力はとても外人とは思えないものだ。審査委員の方々もゲストのタレントも一様に驚いていたが最もだ。私も家内も、はしたなくも頬を濡らしてしまったのです。
男性陣もいずれも甲乙つけ難く感情の移入がすこぶる上手い。これってインタネット普及の産物?J-POPも捨てたもんじゃない。歌に国境はないと実感した。大晦日に紅白に対抗して、「外国人紅白」でもやったら私は断然こっちを見るね。いや~涙が出るほど愉快であった。☆四つです!
10月8日 代々木公園で行われた北海道物産展は大勢の人で賑わった。
舟木昭太郎PRESENTS★第1回SPECIALディナー&トークショー開催決定!!
舟木昭太郎プレゼンツだからこそ開催できる、伝説の挌闘家のトークが間近で聞ける貴重なディナー&トークショーです。詳細はこちらのPDF
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・ディナー&トークショー開催
・台風で巨木倒れる
・何か変です
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ディナー&トークショー開催
お気に入りの格闘家や関係者をお招きして、トークショーを遣りたいという私の積年の夢がこの度実現の運びとなりました。10月29日(月)18時から台東区浅草の由緒ある「アリゾナキッチン」で開催します。
記念すべき第1回ゲストは、キックの鉄人・藤原敏男さんです。外国人として初めてムエタイ(タイ式ボクシング)の王座に就いた男です。タイ国で最も名の売れた日本人格闘家、キックボクサーであります。
バンコクの2大スタジアムといえば王室系ラジャダムナンと陸軍系ルンピニーで、毎日交代でムエタイの試合を開催しています。この両スタジアムのリングに登場して、1970年代ムエタイを代表する選手たちと死闘、名勝負の数々を展開、いまなおムエタイファンの語り草になっています。
師匠・黒崎健時会長が育てた最高傑作でありましょう。現在、藤原敏男スポーツジムを主宰して、選手の育成に当たっています。トークショーでは、打倒ムエタイに身を挺した日々、黒崎会長の鬼の教えなど、今だから話せるとって置きの秘話を明かします。
更に番外編では機動隊との大立回りの真相など今宵参加したファンだけが聞くことができる、まさに空前絶後のフジワラ・ワールドの全て、スペクタクルトークショーであります。
文豪永井荷風が愛した由緒あるレストラ「アリゾナキッチン」の松本オーナーの全面的な御協力を得て開催する運びとなりました。美味しい料理に舌鼓をうちながら、心ゆくまで浅草の夜をお楽しみください。御来場をお待ち申し上げます。
尚、トークショーの合間には、バンコクでのトップランカーとの死闘、激闘映像を余すところなく御鑑賞頂きます。勿論藤原さん御自身の解説付きですから、臨場感溢れるディナー&トークショーになると自負しております。
<ディナー&トークショーンの御案内>
//舟木昭太郎PRESENTSディナー&トークショー//
~文豪永井荷風も愛した浅草アリゾナで格闘家の本音の夕べ~
「藤原敏男、今宵伝説を語る。」
◎日時:10月29日(月) 18時~20時
◎場所:浅草「アリゾナキッチン」
◎会場住所&TEL:〒111-0032台東区浅草1-34-2 TEL03-3843-4932
※交通:東武、都営、メトロ浅草駅から173m
(松屋デパート正面、レイクとりそな銀行の間の路地を入った右側)
◎参加人数:30名限定
◎参加費:5,500円(食事+ワンドリンク付き)当日受付
◎お申込み方法|FAX03-3469-0685(アッパー)E-mail:.plala.or.jp
奮って御応募ください。尚、第2回のゲストにお招きするのは佐山聡さん(初代タイガーマスク)です。日時が決定次第当ブログでお知らせ致します。場所は同じ「アリゾナキッチン」です。
台風で巨木倒れる
10月1日の東京は台風一過の文字通り突き抜ける如き青空。爽やかな朝で、気分よくラジオ体操に出かけたら吃驚した。代々木大山公園の幹回り80㌢に迫ろうかというポプラの巨木が、昨夜の強風で根本からポッキリ折れていた。
その倒木はランニグコースを完全に塞いでしまいウォーキングも迂回せねばならなかった。件のポプラの木は、幾度もの強風にも耐えてきただろうに、風向きの為せるワザか、いとも簡単に倒れてしまった。自然のチカラとは恐ろしいものである。人間の想像を遥かに越えるパワーにただ肝を冷やした次第です。
何か変です
雄々しく曾び立つポプラは、夏は木陰を作り我々を癒してくれた。樹齢はまだ30年ほどか、まだまだ将来があったのに誠に哀れだ。「あす知れぬ人の命ぞ」であるが、森羅万象すべからく同じで永遠というものはないことを暗黙のうち私に教えてくれたのです。秋の日のビオロンの溜息、そして私は倒木に視線を落して「ありがとう」と一瞬歩みを止め黙礼しました。
10月に入ったのに、東京の気温31度、真夏日のような暑さでありました。何か変だ。あのトラブルメーカー田中真紀子議員が第三次野田改造内閣の文部科学デージンに入閣したのも大いに変だ。中国にリップサービスして、また政局を混乱させなければよいが。夫(直紀)がダメなら母ちゃんの出番か。野田総理の命運ここに極まれりである。
sf_upper@tmail
※御氏名、御住所、電話番号(携帯可)、参加人数を明記の上お申しし込みください。
◎締切:10月20日(土)
浅草寺の五重塔から東京スカイツリーを望む。
「アリゾナキッチン」はこのすぐ近くにある。
店内には文豪永井荷風の写真パネルが…
1969年ムエタイの呼称で侃々諤々、ムエンタイかモエタイか/日馬富士の賜杯勝雑感/他
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・日馬富士の賜杯勝雑感
~張り手が横行すれば~
~出よ、第二の貴闘力!~
・ムエタイの呼称で侃々諤々
~ムエンタイかモエタイか~
・企業に想定外はない
~いつでもルネッサンス~
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日馬富士の賜杯勝雑感
大相撲秋場所は日馬富士が全勝優勝で、来場所の横綱昇進を決めた。2場所連続の全勝優諸は見上げたものだ。先ずはおめでとうございます。それにしても国技日本を代表する力士の歯がゆいことよ。大和魂は何処へ。
日馬富士の強さは張り手に象徴される。彼は小兵だからこそ機先を制する過激な技を考えたのだろう。強烈張り手で、先ず主導権を取り、そして一気に有利な態勢に持っていく。この戦法がグランドチャンピオンへの道を切り開いたといえる。
所謂、喧嘩殺法だ。張り手を喰らった力士は一様に、戦う意識を低下させてしまう。一人位それに対抗する者がいてもよさそうだけれども、そんな反骨精神を持った力士は残念ながら見当たらない。2発やられたら、4発にして返せ。それが勝負というものだ。歯がゆいのはまさにこの事だ。
日本人はどうしてこうも大人しくなってしまったのだろう。格闘技の世界でもこうだから、世の中全体も推して知るべしだ。張り手は反則ではないのだから、堂々と土俵中央で応酬し合ったらよろしい。目には目である。双方鼻から大量の出血をみながら、張り手合戦なぞ断然迫力あると思うね。3D(スリーディ)なら格別の醍醐味だろうよ。
~張り手が横行すれば~
張り手が横行すれば当然相撲協会やNHKに、凄惨過ぎる、見るに耐えかねる、張り手を禁じ手にしろとじゃんじゃん抗議の電話が入るだろうな。朝青龍も荒っぽい相撲をとった。喧嘩ごしの取り口で、日本力士は皆ビビり、惧れをなした。それで彼は横綱になった。モンゴル力士の勝利に対する執念、そのハングリー精神は日馬富士に集約される。
これまでは星の貸し借り、談合相撲などである種テレビに相応しい優雅な相撲が見られた。真剣勝負とあらばそんなことは言っていられない。俗にいう品性の欠いた相撲になる。それも自然の理である。勝ちたい、優勝したいが募れば、反則でない限り何でもやる。総合格闘技に近くなる。日馬富士の過激な相撲、張り手に象徴される横綱の誕生は、今後の大相撲の在り方を考えるいい機会である。
~出よ、第二の貴闘力!~
あの貴闘力なら当然負けずに応戦するだろう。出よ、第二の貴闘力!でもモンゴル人同士の白鵬戦にも、日本力士に見せるような過激な張り手をかまして下さいね、横綱日馬富士さん、期待しています。
ところで相撲の決まり手を調べていたら聞き慣れない決まり手のあることに吃驚。例えば、取組中にまわしが外れた力士が負けになるのを「不浄負け」という。初めて知りました。矢柄(やがら)投げ、といったものもある。
上手をとってプロレス技のように左(右)に振り回してぶん投げるのだそうで、わが先輩加賀屋金二郎氏(元相撲誌編集者=日本スポーツ出版社役員)は、往年の名横綱栃錦が使ったのを1度見たことがあると話してくださった。相撲も文献を検索すると、なかなか面白いものである。
ムエタイの呼称で侃々諤々
1969年(S45)~1970年にかけてキックボクシングマスコミでは、タイ式ボクシングの名称,呼称を決めかねていた。楽屋裏の話だがこれが、重大な決め事のように記者が集まると侃々諤々。それは今日当たり前のように定着している「ムエタイ」についてであった。
そもそも発端となったのは、協同プロ小暮広報担当のこの一言からだった。「タイの方では、タイ式ボクシングのことを通常どう呼んでいるんですかね。タイの選手に聞いても発音がまちまちだし、要領を得ません。そろそろ統一した呼び名を付けた方がいいですね。」
当時はライターが各自の判断でムエンタイとしたり、ムエータイ、あるいはモエタイ、タイ式等々勝手に呼んでいた。所が’70年にはNTV系と2CH系(現テレ東)傘下ジムが一緒になって統一した全日本ボクシング・コミッション(石原慎太郎コミッショナー)が生まれた。関係者はこれに合わせて、タイ式ボクシングの呼称も統一したかったようだ。
試合前の記者席で、あるいはジムの公開練習の場で、それはいつ果てることなく議論を戦わせタイ人通訳のミンさん(故人・元タイ国軍人=日本永住)などは、この論争に笑顔を見せながらも癖癖(へきへき)していた。因みにこのミンさんこそ私がゴング誌のキックコーナーを設けたときに御世話になった恩人である。我が国初のムエタイランキングや情報を掲載できたのも同氏の尽力があったればこそです。
~ムエンタイかモエタイか~
で私はそのミンさんにタイ語で何度も喋ってもらった。ムエンタイかモエタイか、結局微妙な発音でこれだと確信は出来なかったが、何となく私はモエタイに感じ取れた。実際はモとムの中間の発音であった。英語で表記すればmuai(ボクシングの意)で語尾にthai(タイ国の略)付けるとタイ式ボクシングとなる。因みに国際式(様式)はmuaiの語尾にsaakonをつける。タイ人は普通国際式を「ムエ」と呼んでいることも加えておこう。
日刊スポーツ鈴木庄一さん(元運動部長)は頑なにムエンタイを主張して生涯変わらなかった。私は当時報知新聞に小さなコラムを持っていて、時々タイ式の情報を寄せていたが、その欄でもモエタイと呼称していた。
そうこうするうちいつの間にか「ムエタイ」という呼び名が定着して私も自然それに倣った。結局鈴木庄一さんのムエンタイと私の押すモエタイの中間を協同プロの小暮広報は選んだのかも知れない。但し日本キッックボシングの生みの親野口修さんは今も昔も「タイ式」と呼称している。
ムエタイという呼称を巡って、大の大人が口角泡を飛ばして譲らなかったあの日々が懐かしい。歴史というものは、呼び名一つを取っても納まる処に納まるんだなあ~とツクヅク思います。「ムエタイ」の呼称は私も気に入っているのです。
企業に想定外はない
パナソニック、ソニー、シャープなど日本を代表する電気メーカーは軒並み不振に陥っている。つい四、五年前まではテレビで断然世界をリードしていたのに、薄型液晶テレビになって韓国や台湾に完敗している。
携帯電話でも後れをとり、それじゃスマートフォンで勝負とばかりに意気込んだものの、これまた韓国のサムソンやLGに歯が立たない。かつての栄光今いずこである。只指をくわえて韓国勢の独走を見守るだけである。 iPhone5などは、全世界で初動でも1,000万台売れるという。桁が違うのだ。国内で、ちまちま商売する日本メーカーが哀れだ。
そもそも狭い国土に同じ類の電気メーカーが多すぎる。東芝、日立、パナソニック、シャープなど、例えば新型の洗濯機を機能が僅かしか違わないのに各社が過剰競争している。クーラーに於いても然り。なぜ少子高齢化の時代、日本の狭いマーケット相手に商売してるんだろう。素朴な疑問である。
そろそろ電気メーカーも三社位に統合して体質を強化することが第一。それによって上質で廉価な商品を大量に生産して、海外で勝負する。韓国、台湾、中国に勝つには、そうした国策としての大胆な取組が必要ではないか。
~いつでもルネッサンス~
進化に際限はない。iPhoneとてこれが永遠といえばそうでもない。何処かの会社が革命的な次世代機種を発明したなら、その瞬間にアップル帝国は崩れる。発明は一夜ににして企業の運命を変えてしまう。
ソニーがトランジスタラジオやウォークマン、更にはプレステーションで我世の春を謳歌してきたのも、いまや過ぎ去った夢だ。一つの発明・発見に酔いしれて、前進を忘れた時企業はまさに滅びる。
シャープなど今日存亡の危機にあるのは豹変する事態に応えられなかったからだ。企業に想定外はない、あらゆる激変にも応えて行かねばならない。企業とはいつもルネッサンス精神が求められている。
代々木八幡神宮の秋祭り、雨中の神輿がゆく(23日)
見物客も傘をさして…
奇跡の1本松」の剥製とは/ダル×岩隈の投げ合い/他
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・中国の反日デモ
・「奇跡の1本松」の剥製とは
~小ぶりな記念碑を~
・ダル×岩隈の投げ合い
・サッカー選手の海外進出
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中国の反日デモ
尖閣諸島の日本の国有化に反対して、中国各地で反日デモが続いている。一部では暴徒化して、日本企業の工場や、デパートが襲われている。異常な事態だ。略奪したり、火を点けたりもはや無政府状態である。。「グローバル・チャイナ」が虚しく聞こえるぜ。礼節を失った同胞に、かの孔子も泉下で泣いていることであろう。
この異常な事態を中国政府は、速やかに鎮圧すべきだ。邦人の安全を守るため日本政府も断固抗議すべきだ。こんな事態を中国政府が放任していれば、中国に進出した数多の企業も国外へ去るだろう。さすれば、忽ち中国経済はドロップアウトする、国益にそぐわない愚劣な騒ぎと気づいた時には既に遅いのである。
反日デモの集団は、共産党施設も標的にしているとは昨今のニュース。この国は国家に対する人民の不満が折り重なり、暴発する危険を常に孕んでいるのです。切迫したこうした状況を国家も進出企業も、よく肝に命じて置く必用があるのです。
日本政府は、かの国の暴徒らの脅しには、些か(いさか)なりとも譲歩してはならない。「尖閣諸島は我が国固有の領土」である。中国がいかなる挑発に出ても、断固拒否しなければならない。領土問題は政府も国民も不退転の決意有りや無やを試されているリトマス紙なのである。
「奇跡の1本松」の剥製とは
陸前高田市の「奇跡の1本松」が、保存されるという。保存法は「皮だけを残して剥製にする」のだと。なんでも幹をくり貫いて空洞にしたものに、何かを詰め1本の木にするらしい。或いはこれを売り物に観光客でも集める魂胆か、いずれにせよ愚かなことだ。
こな模造品、元在った場所に、これが奇跡の1本松のモニュメントでございます、と置かれて貴方は感動しますか。これこそ俗にいうハコモノ以外のなにものでもないのです。
7万本の1本、生き残った松は被災者に希望と勇気を与え、そして枯木れたになった。これから後人々に口承されていくだろう。生きとし生き250年の生涯を神々しく閉じたのだ。それで十分ではないのか。剥製などして残す必要などない。敢てていうなれば人間とはむごいことをするもんだ。かく私は思うのであるが…。
~小ぶりな記念碑を~
「奇跡の1本松」の 処理に要る費用は1,5億円、年間の維持費は約20万円。耐用年数はとなると、約10年(朝日新聞9月12日夕刊)と見積もる。こんなところに巨額を浪費するなら、難儀している被災者のために有効な使い道が有ろう。
私なら1本松が在った場所に小ぶりな「奇跡の1本松」記念碑を建立するね。その謂れを揮毫した碑(いしぶみ)を置く。その方がよっぽどあの巨大な大津波にも負けなかった、1本松の雄々しい姿を掻き立て、心に響く気がするのです。
私は、その記念碑を訪ねたらきっと心で跪拝するに違いない。巨大で豪奢なモニュメントであればあるほど、虚しい。忌々しくも、聖なるあの地に、グロテスクな剥製の松の木など似合わない。
ダル×岩隈の投げ合い
大リーグ、レンジャーズダルビッシュ有とマリナーズ岩隈久志投手の投げ合いは、まさに圧巻の投手戦だった(9/17アーリントン)。日本を代表する二人が、敵味方に分かれて鎬を削るとは、夢のような光景だ。
岩隈は2ホーマーを浴びて6回に降板、ダルは7回を投げ切って勝利投手、15勝目。どちらもよくやった、と仕事場に戻る。レンジャーズ上原浩冶も連日の好リリーフ、クロザーで勝利に貢献している。
ヤンキース黒田博樹投手も14勝10敗(9/16現地時間現在)の好成績で、同チームの熾烈な地区優勝争いに貢献している。電撃移籍したイチローも伝統のヤンキースの水に慣れ存在感を増している。ブルワーズ青木宣親外野手も打率298厘、いまや同球団にはなくてはならない選手である。
サッカー選手の海外進出
サッカーでは、海外の名門クラブで活躍する選手は枚挙にいとまがない。主だったところでは英国マンチェスターUに移籍して日が浅い香川真司をはじめとして、川島永嗣(ベルギー)、長谷部誠(独)、本田圭佑(露)、松井大輔(仏)、長友佑都(伊)等々。欧州の至る所に散らばる。頼もしや。だからして日本代表イレブンは強いのである。
高卒でいきなりアメリカに単身渡米、つい先頃全米プロツアーで1勝を挙げた宮里美香なども男性に負けず、大いなるチャレンジスピリットを発揮している。ヤマトンチュー(本土)のゴルファーには中々真似のできないことだ。いまの日本人に忘れ去られたハングリー精神という言葉を、私は宮里美香に見るのです。
プロレスライター菊池孝さんの死/有明に2日間通う『WARU~下剋上~』/ムエタイ/他
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・有明に2日間通う
~『WARU~下剋上~』~
~盛り上がる日・タイ戦~
・プロレスライター菊池孝さんの死
~或る夏の夜、焼き肉店で~
~馬場ちゃんと呼ぶ唯一人の記者~
・読書に難渋してます
~石田衣良の小説は面白い~
~ノンフィクションは佐野眞一~
・「最強のふたり」に満足
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有明に2日間通う ~『WARU~下剋上~』~
8,9の両日、ディファ有明に通った。8日は『WARU~下剋上~』という新たに生まれた格闘技。故真樹日佐夫さんの代表作「ワル」を地で行くような試合内容で、何とも評価を下しようがない。ズバリ成人指定格闘技。
暴走族や喧嘩を堂々と売り物にして、選手が登場します!のイントロは映画「仁義なき戦い」のテーマ曲、演出の狙いは完全なアンダーグラウンド・テイスト。
ファイトは例の総合格闘技で着用する5本指のオープンフィガーズグローブ、つまり相手を倒して殴ってもよい。頭突きも許される。まあ、なんでもありのルール、リング下にいるアナも、試合中激しく選手を煽る。「こら、もっとやらんかえ~」…ドスの効いたハッパで叱咤する。でも選手の怪我には最大限注意を払ってくださいな。御健闘お祈りします。
~盛り上がる日・タイ戦~
9日はM-1(ムエタイチャレンジ)で観戦するのは二度目。いつもながら完全な本場タイの雰囲気が充満して、狭い会場は超満員。日曜の午後だというに若いファンで熱気溢れる。
午前11時から試合が行われているそうで、第1部が子供やキャリアの浅い選手たちのアマのヤングファイト。5時過ぎからプロ部で今日は日・タイ5対5マッチがあり大いに盛り上がった。日本人同士の小川翔×稲葉竜太戦など好ファイトが見られた。
試合中はタイ音楽が流れるムエタイスタイル。日本人に受入らたとみえて場違いな感じもしない。それだけ日本人気質ももグローバルになったという証か。試合内容も技が多彩で、スタミナもありレベルは高い。テレビがないのに、選手は鍛えられている。キックは死なず…キックもんの私としては、嬉しい限り。
有明も湘南新宿ラインに乗れば新宿から25分位で到着。何とも便利になったもので、散歩気分で2日間通った。夏を惜しむかのような有明の雲も、心に沁みた。海風が何とも心地よかった。
プロレスライター菊池孝さんの死
プロレス評論家菊池孝さんが1日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去された。享年79才。半世紀に亘ってプロレスを書き綴ってきた。葬式は密葬
で済ましたという。焼香に行きたかった。故人の意思なのかも知れない。
竹内宏介氏の葬儀で弔辞を読んだ、菊池さんの最後の姿がまだ鮮明に残る。「竹ちゃん、どうしてオレよりはやく行ってしまったの」と哀切極まりない一語一句が甦る。あれは長年の盟友を失った肚からの悲しみであったに違いない。あの日から僅か4カ月後の逝去である。
菊池さんとは強烈な思い出がある。私がゴング編集部に入ったばかりの頃だった。仕事を終えて帰ろうとしたところ、竹内宏介編集長が、これから新宿に菊池さんの原稿をもらいに行くけど、舟木さんも一緒に行かないと誘われた。多分先輩の加賀屋さんもいたと思う。
~或る夏の夜、焼き肉店で~
時計は既に午前0時を回っていた。多分に菊池さんとの親しい時間を持たせてやりたいという、配慮からだったのだろ。タクシーが止まったのが新宿三丁目の焼き肉店前。真夏で夜なお蒸し暑かった。
菊池さんは大ジョッキを手に焼き肉を盛んに食べていた。我々が煙が充満する店内に入るや、竹ちゃーんこっちと手で招いた。一緒に食べない?竹ちゃんはコーラだろう、お宅はビールだね。当時私は下戸だったが、ハイと言ってしまった。かくて深夜の宴は夜明けまで続いた。
凄まじい食欲に、これがリアルな菊池さんの姿かと圧倒された。後で竹さんに伺ったら、いつも原稿を仕上げると定番コースだという。喋り、飲み、食う、ジャーナリストらしからぬ豪放磊落な人柄をあの夜眼の当りにした。文章のほうはペンで綺麗に清書されており、その落差、繊細には驚いたものである。
~馬場ちゃんと呼ぶ唯一人の記者~
もう一つ驚いたことは、ジャイアント馬場さんを「馬場ちゃん」と呼ぶ唯一人の記者だったこと。或るとき試合後の控室を覗いたら、菊池さんが馬場に質問していた。ところで馬場ちゃん、と言った。私は吃驚した。御大馬場に「ちゃん」付けだ。よほど信頼が厚い仲だったのだろう。菊池さんとはそういう人だった。
今頃、天国の馬場さん、竹さん、菊池さんとプロレス談義に花を咲かせていることだろう。昭和の薫りがするプロレスライターがまた一人此の世から去った。昭和は遠くなりにけりだ。御冥福をお祈り致します。
読書に難渋してます
老いるということは辛いことである。長時間読書が出来なくなった。30分もしたら眼が痛くなる。特に左目は会社勤めをしていた頃の40代に、ヘルペスを瞼の上に発症したのが原因で、最近ひどく疲れ難渋している。
仕方がないので眼にアイスを当てたり、目薬を点眼してしばし休憩し、また再開する。情けないものだ。若い時にもっと読書をしておけばよかったと思うが、後の祭りとはこのことだ。愚息は小学時代から図書館通いをしていたというのに。
図書館は徒歩で6~7分の処にあり散歩代わりに出掛ける。行くとあれも読みたいこれも読みたいで、無数の星座のごとき本が書棚に並ぶ。恨めしい。精々1週間に単行本2冊しか読了できない。だから最近は1冊はシリアスなもの、1冊は娯楽的なものを選ぶ。
~石田衣良の小説は面白い~
後者の方では断然石田衣良の小説が面白い。寝る前ベットで読むには最適で、とてもテレビなんて見る気が起こらない。一連の池袋ウエストゲートパークものを初め、赤と黒、夜の桃、明日のマーチ、それに最近読了した、リバース。どれをとっても外れがない。
彼の作品は、一言で表現するとオシャレ、文体も滑らか、とても読み易い、語彙が豊富で音楽(クラッシックからジャズまで)を熟知している。フアッションにも造詣があり、そうした知識が物語に彩りを施している。物語の筋もシンプルで明解、どれも洒落た終わり方をするのが好きだ。
遊んでいるときなど、もう帰って本を読もうと我に還る。ノンフイクションなら断然佐野眞一さんである。「あんぽん」はまだ読んでいないけど、東電OL殺人事件、旅する巨人・宮本常一と澁澤敬三、阿片王・満州の夜と霧、甘粕正彦・乱心の曠野…佐野さんの作品は、筆者と取材を共にしているような気分になれる、そんな至福の臨場感をタップリ味わえる。
~ノンフィクションは佐野眞一~
ノンフイクション作家を目指す人は、佐野眞一さんをモデリングすといい。「私の体験的ノンフィクション術」(集英社新書)は最高のその虎の巻だろう。最後に付け加えておきます。
女優高峰秀子は大変な読書家であり、作家だったが、ホテルのコーヒーラウンジなどで屯する御婦人方を見て作家斉藤明美さん(養女)にいったという。「早く帰って読書でもしなさいよ」…高峰さん、カッコいいね。
高倉健さんの恰好よさ
NHK総合「大人の流儀」でタップリ1時間半、プライベートな高倉健さんを拝見、改めてその恰好よさを確認致しました。でもまあ、NHKはよくも人前に出る事を嫌う大スタアの健さんに、あれ程の密着取材ができたよね、と関心致しました。人間高倉健をストレートに伝える極上の番組でした。健さんの心の豊穣さを感じました。
行きつけの理髪店には、健さん専用の個室がある事も初めて知りました。いま81才、身長180㌢体重67㌔。体重は何十年も変わらずという。これは日常の節制の賜物であろう。健全な身体に、健全な精神が宿るという。かくあればこその名演技と納得。私など身長168㌢しかないのに、体重は72㌔をウロウロ、酒は飲むし食べるわ、趣味はカラオケ、これって論外?
食事シーンまで公開していたので、どんなものを召上っているのだろうと興味津々で見守った。それは至ってシンプルな食事で、酒も煙草も遣らず、大のコーヒー党。オーソン・ウェルズ(米俳優)が何故か頭を過る。静の中に動あり、動の中に静あり、どちらも存在そのものが役者である。
長崎平戸の撮影現場では、撮影の合間に住民と気さくに歓談したり、写真に収まったりと、意外な一面を覗いた。てっきり普段は彫刻のような人かと想像していたから、健さんに一段と親近感が湧きました。
で高倉健というひとは、ストレスの解消をどう克服しているのだろうと常々不思議に思っていたのですが、散歩や散髪屋にある専用の個室へ毎日出掛け、そこで音楽を聴いたり、読書したり気ままに過ごすのだという。
環境の違った、己の好きな場所で寛ぐことで、リフレッシュするという訳ですよ。散髪屋に個室ですよ、流石大スターです、これで得心。「静かに行く者は 健やかに行く 健やかに行く者は 遠くまで行く」この格言こそ健さんにぴったりです。どうぞ御自愛なさって、これからも御活躍ください。愚妻と早速公開中の「あなたへ」を見に行きます。
「最強のふたり」に満足
脊髄損傷で下半身不随の大富豪フィリプッス(F・クリュゼ)と貧しい黒人介護人ドリス(O・シー)の交流を描いたコミカルな作品(2011年フランス映画)は、私のお勧めです。
特に気に入ったのがが介護人役のオニール・シーです。ときにこんな適役の俳優いるんですね、彼のために作られたような映画です。とにかく笑って涙して、十分堪能しました。ビバ、シネマ!
映画って本当にいいですね。
それじゃ、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。またお会いしましょうね。
M-1試合、小川翔×稲葉竜太は小川の判定勝ち好試合でした。
パラリンピックのこと/小村寿太郎と松岡洋右/スズメバチ戦闘始末記
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・パラリンピックのこと
・領土問題で揺れる日本は?
~小村寿太郎と松岡洋右~
・スズメバチ戦闘始末記
~我、奇襲作戦に成功せり~
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パラリンピックのこと
障害を持つスアスリートたちのの祭典、ロンドンパラリンピックは特別な感動を受ける。たまたまニュースで見たのだが、競泳男子平泳ぎ100㍍(運動機能障害)で両腕のない中村智太郎(28)が銀メダルに輝いた。
両腕がないのに平泳ぎをどうやって泳ぐのだろう、注意深くテレビをみていたら、脚のバネだけでスピードを加速させていた。多分、頭脳のなかのシュミレーションでは、両腕は立派に平泳ぎしているのだろう。
ゴールタッチは、頭をかなりのスピードでゴツンと当てた。いたくないのだろうか。もしかして帽子の先端にスポンジでも入れてあるのかしら。2着でゴールした中村選手は、溢れるような笑顔で「やったぜ!」とスタンドの応援団に応えていた。手が遣えないので、水面から脚を挙げてさらに歓びを表した。心温まるシーンであった。
自らの運命に負けず、世界の舞台で勝負する中村選手の逞しい姿を見ると、我身の不甲斐無さを感じてしまう。親から授けられた五体満足な体を当然の如く振る舞い生きている。障害を背負った人たちのあの生命力を見よ、と己に問う。そうパラリンピックは、障害を持つ人よりも、実は健康な人を奮立たせているのである。
領土問題で揺れる日本は?
竹島、尖閣を巡り日本の外交力が問われている。国民からみて弱腰外交と非難されているものでも、後年高い評価を受けていたり、あるいは拍手喝采をおくった外交が時代を経て、その逆であったりする。歴史とは皮肉なものだ。
さように国と国との付き合いは難しい。歴史はそれを教えてくれる。たとえば、日露戦争後にロシアとポーツマス条約を締結した日本全権大使小村寿太郎は、歓呼の声に送られてアメリカへ出発したが、帰国するや日比谷焼き討ち事件やら、右翼からの罵詈雑言を浴び、自宅は投石されるなど散々な目にあった。
戦勝国の日本が、ロシアから一銭の賠償金も取らず条約を結んだ、小村は売国奴というわけだ。ところが近年は困難な局面にあった日本を救った名外交官として、小村寿太郎は見直されているのである。
~小村寿太郎と松岡洋右~
日露戦争そのものが、日本の大勝利となっているが実は辛勝であったと分析する歴史家は多い。あの時点で条約締結できなかったら、革命を成し遂げた赤軍(ロシア)が反転、日本軍を襲えば、一たまりもなかったろう。これは司馬遼太郎さんの見解である。因みに司馬さんは引き分け説です。
戦費は殆ど外国の借金で賄われた。当時日本の外貨は絹織物の輸出で得られる微々たるものであった。絹を売って、大砲を買う、貧しい国であった。国力の差は如何ともしがたい。実情は軍隊も国民も疲弊して、ロシアと戦争を続ける余裕などなかった。一刻も早く講和条約締を結びたい、これが、日本政府の本音だった。戦勝に酔いしれる国民は、そうした内情を知る由もなかった。
一方の松岡洋右外務大臣は、国際連盟脱退の演説、日独伊三国同盟締結と、国民からは熱狂的な支持を受け、映画スタア並みの人気であった。が戦争が終わるとA級戦犯として捕われた。第二次大戦前夜に戦争に舵を切った当事者の一人として、戦後は国民も掌を返すように松岡を糾弾した。小村とは逆である。歴史から外交を学ぶ、正に温故知新である。
日本は尖閣諸島、竹島、北方領土と懸案を抱えて外交交渉は国民の厳しい目に曝されているが、国民受けを狙うだけの単なるパフォーマンスは避けてもらいたい。正義を唱え、時にけん制球は必要だけれども膠着した関係を解すのには、やはり北風(武力)ではなく太陽政策(対話)以外にない。それとも過激に出て他国と干戈(かんか)を交えますか?
スズメバチ戦闘始末記
30日昼過ぎでした。隣家の御主人が拙宅のドアホンを鳴らして、お宅の軒下にスズメバチの巣がありますよと仰った。慌てて飛び出した。御主人が「ほらあそこです」と指差す方向を見ると、なんとかなり大きく成長した巣が、2階の愚息の部屋窓の下にある。信じられない光景に足が竦んだ。
巣の周りをオスプレイみたいな屈強なハチが旋回している。御主人が、私の処にも作ってあたんですよ、どうもこの頃ハチがやたら飛んでいると不思議に思って、上を見たら小さな巣が在ったんです。ところがお宅の方へもハチが飛んで往くものですから、来てみたら案の定でした。ウチは、薬屋さんでスプレー式の殺虫剤を買って、駆除したけど、お宅のは大きいですねえ。保健所に連絡してみては。駆除会社を紹介してくれますよ。
ハチの巣は2週間くらいで、素人には手の付けられない大きさに成長してしまうらしい。初めての経験なので正直不安になった。同時に日本男児の血が騒いだ。よ~し、いまに見ていろ、殲滅してやる。
自転車で薬局に走り、ハチを駆除するスプレーありますかと店員に尋ねる。と店員は待ってましたとばかりに、黄色の機関銃みたいなものを出してきた。その名も「ハチアブマグナムジェット」。何となく強力な武器に思えて、自信が湧いてきた。凶暴なスズメバチとの開戦時刻は14時半を少し回る。天候晴れ、気温35.2℃、天気晴朗なれども波高し。ニイタカヤマノボレのZ信号だ。
~我、奇襲作戦に成功せり~
まっしぐらに2階に駆け上がった。最初の一撃が大事だ、そ~っと窓を上に5㌢程開けて、マグナムの銃口を網戸に密着、巣に標準を絞る。距離15㌢弱、オスプレイ蜂が警戒態勢を敷いているが、幸いハチは気づいていないようだ。今だ!私は一気にレバーを引いた。巣めがけて乱射した。ランボーの気分だ!戦場に道徳もヘチマもない。たちまち蜂は小気味よくバラバラ落下した。
ここで知った。人間も獰猛な昆虫も習性は同じだ、反撃するより自分の身を守ることを専一にするのだと。この勇敢な兵士に一匹たりとも、手向かうものなどいなかった。頃合いをみて、勝ち誇ったように小さなシャベルで壁から巣ごと剥がした。我、奇襲作戦に成功せり。戦争好きのディック・チェイニー(湾岸戦争当時の米国国防長官)がこの作戦を見ていたら、さぞ仰天しただろう。作戦に要した時間はたったの120ミニッツ。
幸い当方には損傷はない、この作戦に掛った軍事費用は1,200円也。これなら防衛省も納得してくれるだろう。完璧だ。俺は指揮官として天才だ、自己陶酔した。三階級特進するかも知れない。尖閣の守りは俺に任せろ。
巣の大きさはタテ13㌢、幅9㌢ほどのもので、中には幼虫がびっしり詰まっていた。地面には巣とハチの死骸が累々。戦果を誇示するために、八チの死骸と巣は、大事にビニール袋に入れて保管していた。夕方外出先から帰宅した愚妻に見せたら、目を剥いていた。おお~怖い、と言って改めてビニール袋を固く縛った。
巣を駆除した後も食糧確保に出ていたスズメバチは、巣と仲間を探し求め軒下を徘徊していた。人生色々、予期しないことが起こるもんです。戦闘が無血で終結、さしずめロンメル将軍(独=戦車隊指揮官)の気分です。戦勝祝いに、今晩の酒は取って置きのワインにすっか、母ちゃん。
退治したスズメバチの巣
猛暑の日々、貴方は如何お過ごしで/暴言、失言、放言の後で/6日振りのラジオ体操/他
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・猛暑の日々、貴方は如何お過ごしで
・白山散策から神保町へ
・暴言、失言、放言の後で
・韓国大統領と米国議員の場合
・6日振りのラジオ体操
・蝉しぐれ4題
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猛暑の日々、貴方は如何お過ごしで
連日猛暑が続く22日は午前10時半に自宅を出て、文京区にある白山神社に御参り。既に30度を越して、代々木上原駅までの7~8分でもう下着は汗まみれ。拙宅から駅までは坂が多い、下ってきた道を振り返ると、坂の上には紺碧の空に白い雲が長閑に浮かんでいた。
日差しは鋭いが雲は、逞しい夏のそれとは違って柔らかな綿のようだった。雲の装いにも秋の気配を感じる。15時のデザイン事務所での打ち合わせまで、たっぷり時間があるので、お参りした後は、腰痛馴らしに白山通りの路地裏「指ケ谷商店街」を散策。
勤めていた会社(日本スポーツ出版社)が近所にあったので、昼時には
よく出かけたものでした。私は平成14年10月に定年退職したが通りの様子はちょっとも変わらない。炎天下の商店街は眠った如く静かであった。馴染みの喫茶店、イタ飯屋がしぶとく残っていたのには感激した。
白山散策から神保町へ
通りを抜けるとオリンピックがあり店内をぶらぶらした。会社にいたときにはよく足を向けた場所で、食品以外はなんでも揃った便利な店だった。ここから東京ドームは近い、隣接するショッピングモールで、散歩用のシューズを買った。さらに水道橋から神保町交差点まで足を伸ばし、行きつけの新世界菜館に到着したのは13時…凡そ1時間も炎天下を歩いたこになる。
当店の高菜と筍の湯麺は私のお気に入り。半ライスを追加して、久しぶりに満足した。薄塩味でそこにお酢をタップリ注ぎ食べるのが舟木流。そもそもこの高菜と筍の湯麺を知ったのは、30数年ほど前、高校時代の同級生で当時香港住友銀行に駐在していた、友人に連れて行かれて当地で食べたのがはじまり。高菜と筍を小さく刻んだもので、細麺の舌触りとスープの味が忘れられず、探し求めていたら当店で巡り合った。
そばを食べて、ミーテイングが終わり地下鉄駅に向かう。そろそろ夜の帳(とばり)が降りる頃なのに、アブラゼミのヒステリーな鳴き声は街路樹からしぶきのように降りかかる。明治屋の通りに出たら御主人が開店の準備中で、挨拶を交わしたら寄っていけばという。開店前なのに入れてくれて、バスペール(小)と赤ワインを1杯づつ飲む。外に出たら、昼の炎暑はまだ燻(くすぶ)っていた。本の町神保町は、私の好きな居場所である。
暴言、失言、放言の後で
韓国の李明博大統領の天皇発言はまさしくお粗末の一語です。「(天皇)も韓国を訪問したがっているが、独立運動をして亡くなった方々訪ね、心から謝るならば来いと言った」とか「痛惜の念」という単語を言いにくるなら来る必要ない」。これ、公衆の面前でのスピーチある。
これに対して「(天皇)訪問を韓国に要請したことはない」と外務省及び政府は反発を強めている。要請もしていない事を捏造してまで何故発言したのか、理由は後に譲るとして、日本の強硬な姿勢に韓国国内でも「言い過ぎだ」と問題になっている。この際李大統領は潔く謝罪して、この文言を撤回すべきだろう。ともかくもお互い冷静に、冷静に願いたい。
韓国大統領と米国議員の場合
側近(兄弟、縁戚)の贈賄汚職で、李大統領の支持率は急降下している。その人気挽回策として、韓国大統領として初めての今回の竹島上陸、そして天皇発言。国民に存在感をアピールしようとした狙いが、日本からの思わぬ反撃を招き大統領の支持率は忽ちメルトダウンした。軽はずみな行動といわざるを得ない。良好な日韓関係に水を差すものものである。
そうかといえば、ミネソタ州選出の下院議員エイキン氏(65才)はインタビューに答えてこう答えた。「医師から聞いた話だけど、本物のレイプなら女性の身体は妊娠しない仕組みになっている。だから暴行されても妊娠する恐れがない」
この発言で共和党は大統領選にも影響ありと議員を辞職すべきとエイキン議員に迫っている。この先生も上院に鞍替えを予定している最中だという。 大した考えも無くて、大衆受けを狙うこうしたパフォーマンスは、大方自らの首を絞めてしまうのがオチである。口は禍のもと、沈黙は金なりである。
またネット上ではこんな凄まじい言葉が躍っていた。なでしこがアメリカに、1-2で敗れ金を逃した直後の書き込み。「アメリカは日本に2個の原爆を落としてやったぜ」。イヤハヤである。
もっと驚くのは韓国のネットカフェ。「日本人入店禁止」と入口に張り紙してあり、入店の条件として「独島(竹島)は韓国の領土」と3回言わないと入れてくれないとか。ここまで遣ると呆れてものも言えない。いずれにしても、日本国民は、泰然として、付和雷同するべきではない。
6日振りのラジオ体操
関東などは2週間を越す連続猛暑日。ザーと一雨が降って欲しいものだ。24日は6日振りでラジオ体操に出た。腰に注意しながらのリハビリ体操である。今朝(27日)も太陽は早朝というのに容赦なく照りつけるので、参加者が少ない。梅ちゃん先生の、安岡(旧姓・小原)梅子の姉の姑役・加藤昌子で登場する根岸季衣さんの姿もよくお見受けする。
根岸さん宅は大山公園の近くにある。ラジオ体操では、「ラジオ体操の歌」をいつも張りのある声で唱和する。さすがに女優だけあって、発声が正確でよく声も通る。いつも私の左斜め後方、決まった場所から聞こえてくる。歩き方もエネルギッシュ、演技はつかこうへい劇団で鍛えられたから筋金入りである。
根岸さんの主人は、大津あきらさんで、直腸がんで早く亡くした。高橋真梨子歌う名曲「foryou」の有名な作詞家である。横道にそれた。で、体操から帰り7時半BSで朝ドラを覗くと本人(根岸さん)が登場している。不思議なカンジがする。その「梅ちゃん先生」もクランクアップして、いよいよ大詰めです。(9月29日終了予定)
この残暑は9月初旬まで続くという。地球が焦げてしまうではないか、まったく。相変わらず蝉がかしましい。来年に予定していた地中の幼虫が間違って出てきたのか、以前にも増して騒々しい。
蝉しぐれ4題
―力の限り 夏の終わりの 蝉しぐれ― 長尾(ネットより)
―夏休み 命を讃う 蝉しぐれ― 内山(ネットより)
―身を焦がす つかのまの夏 蝉しぐれ― (昭太郎)
―夕立に ひと休みかな 蝉しぐれ― (昭太郎)
※私のは自己流です。俳句のまがいものです、読み飛ばしてください。
拙宅の近所の「坂の上の雲」
東京ドームに浮かぶ雲
昼下がりの文京区白山「指ケ谷商店街」
神保町「新世界菜館」の高菜と筍のラーメン
初代タイガマスクと楽しむヒト科最速男ボルト
・ヒト科最速男ボルト
~100㍍は何処まで記録を短縮する?
~先天性の病気を克服
~これからは巨人達の戦い
・初代タイガーマスクと楽しむ
~二人のレジェンド選手と合体
~屈辱をバネに飛躍した佐山
・腰痛に泣いた夏の日
ヒト科最速男ボルト
ウサイン・ボルト(ジャマイカ)は伝説のランナーになると宣言していたけど、その通りなりました。ロンドン五輪100、200㍍走で共に優勝して北京に続いて史上初の二種目2連覇を成し遂げて、名実ともにレジェンドランナーとなりました。
100は9秒63のタイムで自らの持つオリンピック記録を塗り替えました。ダントツの強さでした。まるで天馬の如き速さでした。ボルトの走る姿は、写真にならない、という実しやかな話があります。これはシャッターチャンスを逃してしまう程速い、という事なのでしょうか。
100㍍走の世界記録変遷史を調べると、1964年10月、ボブ・ヘイズ(米)が東京五輪(ここから電動計時)でマークした10秒06が24年後の1988年にはカール・ルイス(米)が、ソウル五輪で9秒9を記録。更に’91年東京での世界陸上で9秒86に短縮させて、所謂カール・ルイス時代を築きました。因みに最初に10秒を切った男は、カルヴィン・スミス(米=9秒93、コロラド)でした。
このらのの記録も次々に塗り替えられていきました。モーリス・グリーン(米=’99年6月アテネ))が遂に9秒79台に突入しました。’00年シドニー五輪でのグリーンの優勝タイムは9秒87、’04年アテネ五輪金メダリストは、ジャステイン・ガリトン(米)で記録は9秒85、五輪は毎回記録が更新され続けています。
~100㍍は何処まで記録を短縮する?~
短距離界はかくの如く米国の独壇場だったのですが、彗星の様にジャマイカに新星が現れました。それがウサイン・ボルトです。’08年8月、北京五輪では9秒69の世界新で金メダル、驚異の記録で世界に躍り出ました。
翌年8月、ベルリン世界選手権では人類初の9秒56台をマークしたのです。そしてロンドンでの破天荒な活躍、走りと共にあのパフォーマンスも目に焼き付いています。
人類は70年かけて、0.85秒(距離にして約8㍍)短縮した。早稲田大学鈴木秀次教授によれば、ボルトの9秒56は専門家の予想シミレーションより40年早く到達してしまったという。ではこれか先記録は何処まで伸びるのか。鈴木教授の計算によれば、9秒2か3までは行くだろうと予測する。
ボルトの走りの特徴はスタートから50㍍で、トップスピード(最高速度=44㌔)に達し、90㍍過ぎまで殆どスピードが落ちないそうな。ボルトの走幅は2m75cm、ゴールラインを割る最後の1歩はなんと2m97cmだと!41歩で100㍍を駆け抜けてしまうらしいよ、41歩ですよ。因みに左足の方が20㌢歩幅が長いらしい。これは、背骨が曲がっていることに関係するらしい。
ボルトの身長は196㌢ある。これまでは180㌢以上の選手は短距離には向かないとされた。空気の抵抗をより受ける、という事かも知れない。彼はこの常識を覆したばかりか、彼には脊椎側弯症といって脊椎が側方に湾曲する致命的な病気を先天的に持っていて、本来なら過激な走りはできない。
~先天性の病気を克服~
この病は手術しなければ治らないそうで、手術すれば競技人生もお終わってしまう。そこでガラスのような脊椎を保護するために、徹底した筋力トレに励んだ。NHKテレビの特集で見たが、格闘家がするようにバーベルを挙げたりする、苛烈なトレで鋼のように強靭な筋力を造り上げた。背中を写した写真には、筋肉にガードされた曲がった脊椎が鮮明に浮き上がっている。
あのぎくしゃくした走りも、逆にその揺れが相乗効果になってパワーを生み出しているとは先の鈴木先生の見解である。身体の欠陥を天命として受け入れ、それを長所に変える、ボルトと彼のコーチ、医師達の飽くなき努力追求には、敬服するのみ。
「おれがジャマイカの五輪予選で負けたとき、世間は俺を見放した。だけども俺は俺を見放さなかった」これは100と200で金メダルを取った直後のボルトの記者会見での言葉である。
~これからは巨人達の戦い~
これからは2㍍を越す巨人達の短距競争になるかもしれず、それによって記録も飛躍的に伸びるような気がする。そうなると、もはや怪鳥の走り、ランバード(スポーツメーカー、ミズノのマーク)に等しい。ミズノさん先見の明りましたね。
でもボルトのシューズはプーマでしたが…。万物は進化、変貌するとはまっこと本当だわ、得心。ボルトに不撓不屈の精神を見ました。やっぱ、オリンピックは、世界一を争う男の仕事場だね。
初代タイガーマスクと楽しむ
過日、暑気払いと称する食事会がありました。アオバ企画の高橋一専務の招待になものです。メンバーはデザイン会社ZAPP!の白金夫妻、小生夫婦、NTTFan+田村女史。まず丸の内ビル53階にあるモリタ屋で、しゃぶしゃぶを御馳走になりました。
薄暮の皇居を眺めながらの食事会は、格別なものものでした。拙宅では滅多に高級な肉を使ったしゃぶしゃぶは食べられませんから、五臓六腑に沁み渡りました。
ここで大満足して帰りましょうといったところ、銀座のクラブに行きませんか、少しだけ付き合ってください、と高橋専務。少しだけが日を跨いでしまった。クラブで遊ぶなんて何年振りだろう。カラオケもあって皆が歌う、昔とは様相がガラリと変わった、大衆的な銀座の夜でした。
もうそろそろ帰る頃だと思っていたら初代タイガーマスク、佐山聡さんが
巨体を現した。また席は盛り上がる。佐山さんは酒を飲めないので、高橋専務は、彼の好きなケーキをどっさり買ってきました。
時計を見たらあと30分で午前零時、これは潮時だと帰り支度にかかった。だが、またまた南千住の藤原敏男夫人が営むスナック「ロッキー」に行きましょう、とタクシーを呼んでしまった。
藤原会長も舟木さんの来るのを楽しみにしていますので、と高橋専務は念を押す。てな具合でロッキーへ佐山さんと同乗して向かう。藤原夫人は家内も何度か一緒に飲んだことがありました。お店に着くやお互い再会を喜び合いました。
~二人のレジェンド選手と合体~
カラオケ大会が始まった。私は佐山氏の歌は聞いたことがなかったので、オペラ歌手なみの声量と上手さには驚いた。プレスリーの曲から、ゴッドファーザーのテーマまで、原語で唄うのだ。やはり一芸に秀い出た人は、どこか違う。
我々も唄ったが佐山氏のパワーに圧倒させられた。遅れて藤原敏男会長がM-1MC山本智さんを伴って駆けつけた。これで初代タイガーマスクとキックの鉄人藤原敏男の偉大なる格闘家が合体した。千両役者の揃え踏みだ。
私とは両名とも35年に及ぶお付き合いになる。私がゴング編集部に在籍していたからだ。佐山さんが、新日本プロレスに入門して間もないころ蓼科の目白ジム合宿に参加した。色白でアンコ型のまだ少年の面影が残っていたの
を記憶している。
当時目白ジムは、「鬼の黒崎」と恐れられた黒崎健時会長に率いられたスパルタ道場で、我々取材の者でも目を背けたくなるような場面もしばしば目にしました。稽古で少しでも手抜きすれば(私には少しもそう見えなかったが)、黒崎会長は選手を六角棒で思い切り殴った。
こんな恐ろしいジムの強化合宿に佐山さんは、自ら志願して参加した。蹴りが本職のキックボクサーに混じってプロレスラー佐山は見劣りした。だが真剣に稽古に喰らいつく姿は、感じるものがあった。強いプロレスラーになりたい、そんな願望が迸っていたような気がした。
~屈辱をバネに飛躍した佐山~
そして1977年(S52年)11月、日本武道館での格闘技大戦争に当時センセーションを巻き起こしてたベニー・ユキーデ(米)を旗頭とするマーシャルアーツ軍団が来襲、ここで佐山聡も新日本プロレスから参戦した。
相手は長身のマーク・コステロ(米)、アンコ型の佐山は全身にキックの洗礼を受けダウンを重ね、いつタオルが入ってもおかしくなかったが、佐山は転びダルマのように起き上がった。結果は屈辱の判定負け。
だがこの試練がタイガーマスクへと飛翔させた。間もなくメキシコへと修業の旅に出て、そして梶原一騎原作の劇画「タイガーマスク」の主人公に変身して凱旋帰国、忽ち日本中にタイガーマスク旋風を巻き起こす。因みに新日本プロレスの一番興行成績がよかったのは、タイガーマスク全盛時であるそうな。
現在は武道格闘技「興義館」を主宰、青少年の育成に尽くし、かつリアル・ジャパンなるプロレスを後楽園ホールで定期興行する。押しも押されもしない格闘技界の重鎮である。 時に屈辱は人を大きくする、失敗は成功の礎となる。佐山聡はその見本である。まさに、主よ、我に試練を与え給え、です。
そう佐山聡は敗北をバネに、あくなき成長を続けて、初代タイガーマスクは伝説のプロレスラーとなった。現役時代取材させてもらった私が、時を経てカラオケに彼と興じるとは人生捨てたもんじゃない。藤原会長ともども楽しい一夜を有難うございました。タクシーで自宅に着いたのは深夜1時半、久々に夫婦で不良しました。
腰痛に泣いた夏の日
腰痛は痛い。脳天を刺すような痛みが襲う。寝る時、起きる時、寝返り打つ時、椅子から立ち上がる時歩くときにも…我慢できない痛さに涙がポロリと落ちる。♪おお神様 神様 助けて パパイヤー、助けて~。
ことの起こりは、土曜日(17日)、ラジオ体操の前に自己流の予備運動で、いつものように腕立て伏せから腹筋をしていたら、随分今日は肩も腰も重いと感じた。この時点で止めれば良かったが強引に、励んだ。帰宅するや猛烈な張りを覚えた。肩と腰が鉄板のように凝り固まってしまった。
そのうち歩行も困難になり、結局終日ベットでごろ寝、翌日曜日も家で塞ぎ込んだ。湿布薬を腰に貼ってはみたが一向に痛みは消えない。よくよく考えれば、露地栽培の畑仕事、同じ屈んだ姿勢で長時間働いていたことが腰への疲労を蓄積していたのが思い当たった。
畑仕事の後は、入念なストレッチを行うことをここに至り肝に命じる。医者に行って、痛み止めの薬を大量にもらうのも嫌だし、何とか我慢してみよう。20日は少し痛みが和らいで、畑に水遣りに出た。でも、この痛みいつまで続くものかねえ…。
佐山聡さん(初代タイガーマスク=左)とキックの鉄人藤原敏男さんと、楽しい一夜を過ごした。
伝説となったウサイン・ボルト。北京(上)に続き、ロンドン(下)でも圧倒的強さで100、200を制した。
(※画像はWebより)






















