真樹日佐夫さんの死を悼む/石井慧には興ざめ/他 | 舟木昭太郎の日々つれづれ

真樹日佐夫さんの死を悼む/石井慧には興ざめ/他

・真樹日佐夫さんの死を悼む
 ~真樹さんとの最初の接点~
 ~外見とは違う繊細な人~
 

・大晦日の格闘技戦に感じたもの

 
・石井慧には興ざめ
 

・鎌倉で七福神巡り

 

舟木昭太郎の日々つれづれ

DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』も絶賛発売中!!

 


真樹日佐夫さんの死を悼む
 
 前回もお伝えしましたが、新年早々の真樹日佐夫さん(梶原一騎実弟)の突然のご逝去は衝撃と同時に人生の儚さを痛感しました。真樹さんに最後にお会いしたのは昨年11月、添野義二さんのご子息達一君のジム開きでした。
 
 赤坂のTBS近くにオープンする「NEXT」という多目的ジムのお披露目パーテー前夜、私が見学に行くとほどなく真樹さんも一人で現れました。例によって、長いマフラーを靡かせながら。
 
 私の姿を見つけると、おー、元気?といつものように声をかけてくれた。これがよもや今生の別れになろうとは、神のみぞ知るです。文筆家であり格闘家(真樹道場主宰)でもあった同氏の死去は、誠に惜しまれる。格闘技界にとっても損失は計り知れない。
 
  
~真樹さんとの最初の接点~
 
 私と真樹さんとのコンタクト(接点)は思いもよらない出来事から始まった。ゴングでは、私が入社(日本スポーツ出版社)してほどなくプロレス専門の別冊ゴングを発刊した。
 
 多分、昭和50年の春の頃だったと思うが、大木金太郎の「極真空手・大山倍達に挑戦」というインタビュー記事をこの別冊に掲載した。これに対して極真側は猛反発。発売と同時に会社には門弟達からの抗議の電話が相次いだ。
 
 当時の極真空手といえば梶原一騎の劇画「空手バカ一代」で飛ぶ鳥を落とす勢いで、大山館長は文字通り神聖で、侵すべからざる生きる伝説の人だった。謂わばこのドンに、刃向う記事を載せたというので矛先をゴングに向けてきた。
 
 中でも執拗に電話してきたのが当時本部で黒帯だった真樹日佐夫さん。ドスの効いた脅しに、事務の女の子は「マキ」という名前に怯えた。編集部でも電話を受けたがらなかった。結局私が電話を受けた。
 
 「ゴングの編集部か、極真を舐めているんじゃないぞ。これからそっちへ殴り込みに行くからな」これが真樹さんとの最初の接点。で私は少し上ずった声で「どうぞ」と返事した。
 
 この一語が真樹氏の怒りに拍車をかけてしまった。「何!お前なていう名前だ?何、フナキ、よしわかった。いまいくから待っていろ」電話をガチャンと切った。ざっとまあ、こんな経緯であった。
 
 幸い殴り込みには来なかった。以来私の中で彼は、許されざる格闘人だったが、或る日、赤坂の小料理店で、二人切りで飲む機会あった。そこで先の大木事件を真樹さんは持ち出した。
 
  
~外見とは違う繊細な人~
 
 「あのときは、ゴングにも意気のある男がいるんだなと正直感心したよ。以来あんたの名前は妙に忘れないでいたが、こうしてサシで飲むとはな、アッハッハ。まあ、宜しく頼むよ」
 
実際腹を割って話をしてみると、外見では想像できない繊細で、ピュアな精神の持ち主だった。小説現代新人賞を受賞しただけに文章も秀逸で、その原稿も几帳面で一字たりとも、マスをはみ出すことがなく鉛筆で綺麗に清書されていた。
 
 この一夜で、永年鬱積していた真樹さんへの嫌な気持ちは氷解、よく取材の後で飲み歩く仲となった。滅法お酒が強い人で、六本木では朝まで付き合わされ、ある時は最後はSMクラブに行きついたのには閉口した。
 
 巨体に長いマフラーをなびかせ、威風堂々と格闘技会場に現われる真樹さんの姿が、もう見られないのは寂しい限りだ。天国で大山総裁や実兄梶原一騎さんと今頃、語り合っていることだろう。お世話になりました。合掌。
 
 
大晦日の格闘技戦に感じたもの
 
 大晦日の格闘技は盛り沢山だった。先ずボクシング、井岡一翔×ヨードグン(WBC世界ミニマム級タイトル戦)は、見事なまでの井岡のスキル(技術)に陶酔した。
 
 わずか98秒のKO、凝縮された、まさにボクシングのエッセンス。無駄打ちがない、ゆったりした構えは、攻防いかなる対応もできる理想的なものだ。
 
 そのままの姿勢から、相手の懐に、さながらステルス機の如く入っていくから防御しようがない。しかも繰り出すパンチは鋭角度でコンパクト。右アッパーから左ボディーで態勢を崩し、止めは左フック。
 
 アマチュアで基本をしっかり身に付けたものが、プロで証明されている。亀田兄弟は、井岡のボクシングを参考にするとよい。
 
 内山高志×ホルヘ(WBAスーパーフェザー王座統一戦)は内山が11回TKOで4度目の防衛。この試合はボクシングパークで、内山のトレーニングを追いかけてきたので特に注目した。
 
 やはり右拳の手術後の経過が心配で、11カ月振りの試合で再発しないのかハラハラ見ていた。稽古では左を多用して、「今度は左で倒します」といっていたが、狙いどおり左フック一発でホルヘを仕留めた。
 
 ”KOダイナマイト”伝説は続きそうだ。研究心が旺盛で、ボクシングに打ち込む姿勢がいい。より高みを目指して、パッキャオのように米国で勝負してほしい。
 
 
石井慧には興ざめ
 
 総合の石井慧には興ざめだ。ヒョードルにパンチで狙撃され、無惨にあっさり砕け散った。あの北京のゴールドメダルから今年はロンドン。丸3年の歳月は一体、石井にとって何だったのか。
 
 同じ総合格闘技に転じた吉田秀彦と敢て比べるなら心構えも戦闘魂も月とすっぽんほどの違いがある。シウバ戦で見せたあの相打ちの覚悟、虎穴に入らずばの鬼気迫る吉田の覇気。
 
 こうしたものは石井には見られない。ヒョードルの前で、意味のないパンチを徒に繰り出すだけ。向かっていく気力がないのだから、ヒョードルは小鳥の首を捻るようなものだったろう。
 
 いまからでも遅くはない。石井よ、柔道界に頭を下げて戻れ。決して格闘技が落第というわけではない。殴ったり、蹴ったりすることに不向きだということである。
 
 柔道は君の天職であり、その資質も無尽蔵にあるように思える。金メダルを取ったから、柔道を会得したとはならない。まだ若い、総合に寄り道したことが、君の糧になるかも知れない。またそうして欲しい。
 
 
鎌倉で七福神巡り
 
 正月3が日は鎌倉のリゾートホテルに2泊し、七福神巡りで十分愉しんだ。2日朝10時からは、ホテル前海岸で、漁師が大漁と安全祈願のお祝いの行事が行われこれを見学した。その足で、七福神巡りに出掛けた。
 
 大漁旗を船上に靡かせた光景は、正月に相応しく華やいで、漁師たちがミカンや小銭を船上から蒔き、近所の住民が歓声を上げて群がった。
我々家族も童心に帰って参加した。
 
 収穫はミカン7個に50円が3枚、10円が2枚だった。3日の帰途は江の島に寄って、江島神社に御参り目出度く鎌倉七福神+江島神社の御朱印を印した。それにしても江の島の町の変わりようには驚いた。中学の修学旅行できた55年前はのどかな砂浜だったのに…。
 
 私の今年の座標は「静かに行く者は健やかに行く 健やかに行く者は遠くまで行く」です。作家・城山三郎が座右の銘として愛した言葉で、イタリアの経済学者パレートが言ったそうです。  
 
 今年は愚息も加わり、お天気にも恵まれ幸せな正月休暇だった。

 
 読者諸兄にとって、健やかな1年でありますようにお祈り致します。
 
 
正月グラフィティー: 

江島神社(3日)、鎌倉海岸の夕日(2日)
舟木昭太郎の日々つれづれ  舟木昭太郎の日々つれづれ
 

布袋尊と腹比べ(浄智寺)、
舟木昭太郎の日々つれづれ

漁師の大漁祈願のミカン蒔き

舟木昭太郎の日々つれづれ

 
鶴岡八幡宮の初詣客、江の島と富士

舟木昭太郎の日々つれづれ  舟木昭太郎の日々つれづれ

 
恵比寿様姿の女性たち(本覚寺)、拙宅の松飾

舟木昭太郎の日々つれづれ  舟木昭太郎の日々つれづれ

 

DVD 『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部 絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ