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キョードー東京嵐田会長「お別れ会」に感銘した

・キョードー東京嵐田会長「お別れ会」に感銘した

 
 ~笑顔を絶やさず温厚な紳士~

 
 ~シンプル イズ ベスト!~
 

 ~壁には故人の業績の数々~

 
 ~36年振りに懐かしい人と再会~

 

舟木昭太郎の日々つれづれ

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キョードー東京嵐田会長「お別れ会」に感銘した
 
3月19日に腎不全で逝去した嵐田三郎さん(株式会社キョードー東京代表取締役会長)のお別れ会が、29日午前11時半からホテルニューオータニ「鶴の間」で行われた。享年79歳。
 
 芸能、マスコミ関係の主だった方々が多数集まり故人を偲んだ。キョードー東京は、イベント興行会社として、世界のトップ歌手を日本に招聘している。他に格闘技(K-1など)のチケットも扱い日本はもとより世界屈指のイベント会社である。
 
 当日会場で頂いたお別れ会の案内栞(写真あり)を見れば、同社の存在がいかばかりか一目瞭然である。私の知る限りの有名歌手の殆どが網羅されている。まさに星座の如く。
 
 ルイ・アームストロング、ビートルズ、ダイアナ・ロス、ホイットニー・ヒューストン、マドンナ、マライア・キャリーetc。「キョードーから声がかからない歌手は、一流ではない」といわれる。得心。
 
 
~笑顔を絶やさず温厚な紳士~
 
 嵐田会長は1962年の会社設立当時からの社長(’00年3月代表取締役会長就任)で、同社の売上は現在100億円の売上(従業員50名)を誇っている。私と嵐田さんの接点は1969年(S44年)に傘下の協同プロモーション(同プロ社長も兼任)がキックボクシンを電波に乗せた頃に始まった。
 
 以前にもこの欄で書き印したと思うが、嵐田社長は笑顔を絶やさず温厚な人だったという印象が強い。現場の事は殆ど神村栄一さん(当時・興行部長、現・新空手主宰)に任せていた。
 
 マッチメークは日系のレジ・一ノ瀬さん。嵐田社長の薫陶受けて同プロは格闘技には珍しく紳士の集団だった。事務所で直接取材に応対すのは、もっぱら広報木暮さん。それでも時たま顔を合わせる嵐田社長は、駆け出しの私に丁寧な挨拶をしてくれた。
 
 その故人嵐田会長を神村はいまでも「私の永遠の師匠は嵐田社長、僕の体内にはいつも嵐田イズムが脈打っています」といって憚らない。つまり故人嵐田三郎は、男の心を生涯虜にする魅力を持っている人である。
 
 当時の協同参加選手は鉄腕・錦敏弘、鶴田幸成、江口和明、レイモンド・エドラー、福島三四郎、東昇、近藤一といったキラリと光る個性派揃えで、後楽園ホールの試合日には特に私の心が躍ったものだ。
 
 放映局は日本テレビ、実況アナウンサーは若き日の徳光和夫アナ。結局同局のキック番組はキックブームの終焉と共に足かけ7年で幕を閉じたが、後半には猪狩元秀、長江国政などを輩出。キックの黄金期
に寄与した。選手の勇姿が甦り、開場を揺るがす喚声が未だ木霊する。
 
 同時に嵐田社長のダンディな姿も忘れられない。日本のビックマンがまた一人この世から去ってしまった。多くの世界のアーチストは嵐田会長の死に、さぞや涙していることだろう。御冥福を御祈り致します。
 
 私は数多のお別れの会に出席賜ったが、今回ほど感銘を受けたことはない。只素晴らしい!の一言。何がといえば、全てが垢抜けていて、お洒落。これぞお別れの会のバイブル。流石キョードーです。
 
 
~シンプル イズ ベスト!~

  
 何が私の心を振動させたのか。以下拙い文章で綴る。祭壇中央に微笑みかける遺影は、ヘビースモーカーの故人が右手に煙草を指に挟んでいる。渋いネクタイと薄いブルーのワイシャツはおしゃれな嵐田を表現するに十分で、はにかむような微笑は、故人の仁徳、人柄をストレートに表している。内面まで撮った、カメラマンも凄い!
 
 遺影の下方にはズラリと並ぶ梅と桜の切り花がいまが盛りと咲き誇る。この日のために標準を合わせて咲かしたときく。喪主、会社の故人への熱い思いが伝わってくる。正に「嵐田三郎花の生涯」を具現する見事なステージ、式典である。遺骨も我々に語りかけるかのように手の届くような所に置いてあったのも、永遠の別れを実感させてくれた。
 
 11時半ぴったり式は始まった。横一列に並んで白バラ一輪、手にして献花するのだが、挨拶は一切なし。到着順の献花。供花無し、香典一切無し…。う~ん、シンプル イズ ベスト!
 
 バックには先ずサッチモの「聖者の行進」の歌が流れ、そのあとは次々に招聘した歌手の曲が淀みなく続いた。私の想像ではそうしたアーティストのビデオレターが加わり連綿と続くと予想したしたが、それも無い。
 
 献花が済むと出口付近に喪主の姿があり足元には、さり気なく花が横たわっている。そこを過ぎると宴会場。贅を尽くした飲食が用意された故人をしのぶ歓談の場。
 
 
~壁には故人の業績の数々~
 
 宴会場の壁にはこれもさり気なく故人を偲ぶVIPとの写真や公演入場証、ボクシング本部から贈られた楯などの記念品が飾られてある。
因みにWBCホセ・スライマン会長とは無二の親友である。音楽以外でも、嵐田さんは幾多の世界戦をプロモートした事は余り知られていない。
 
 女優高峰秀子は「水槽の中で綺麗に泳ぐ魚より、はらわたのある女優になりたい」(高峰秀子との仕事=斉藤明美著より)と語っているが、まことはらわたの有る、余分なものを削り取った、スマートな「お別れ会」だった。ただた、感銘、感激。
 
 遺影は明日の我が姿だという。私は故人に手を合わせる度に、己にいい聞かせる文句である。俺の葬式はこうしたい、こうやってもらいたいと。そういった意味で、規模の大きさは真似するべもないが、シンプルさは印象に残るという点で、大いに参考になった。
 
 
~36年振りに懐かしい人と再会~
 
 私はP&S社の横井社長と御一緒した。同社長は亡くなる20日前に嵐田会長と食事を共にして突然の訃報に驚いていた。会場で珍しい人に出会った。キック放映当時日本テレビスポーツ部のプロデューサーだった大久保公男さん。
 
 実に36年振りの再会で、すぐ分かった。昔と変わらない。嬉しかった。元協同プロ社員の神村栄一、榎本浩の御二人もいたので、4人で当時の話に夢中になった。
 
 大久保さんは現在葉山にお住まいで、週3回海辺のカフェで元サッカー監督の経営する店で手伝っているという。「半ズボン、Tシャツでお客様に頭を下げる日々です」と照れるその姿に、穏やかな春の海のような人柄を感じて、羨ましかった。
 
 華やかなテレビ界を定年退職して、静かに第二の人生を愉しむ…いいな。「静かにいく者は、健やかに行く。健やかに行く者は、遠くまで行く」か。長生きするとこんな出会いもある。老いるということは時に思わぬ僥倖、味わいがあるのです。大久保さん、一度、葉山のお店にお邪魔いたします。
 
「嵐田三郎お別れの会」より

 
「お別れの会」の栞。
招聘アーチストの名前が星座の如くずらり。

舟木昭太郎の日々つれづれ

 
36年振りに会った元日テレプロデューサー大久保さん(中央)と元協同プロ神村さんと。

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マイケル・ジャクソンと嵐田会長のスナップ。

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ボクシングのプロモーター、ドン・キングと嵐田会長(右)

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各コンサートの嵐田会長の入場証

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壁にはVIPたちとの思い出の写真が並べられて。

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満開の梅と桜に見送られて遺影が微笑む、手前遺骨。
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大相撲6大関の異様/朝ドラ「カネーション」の魅力/他

・大相撲6大関の異様 

 ~関脇以下に期待がもてない~


・朝ドラ「カネーション」の魅力 
 ~芥川龍之介の「蜜柑」~


・露地栽培日誌

 

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大相撲6大関の異様
 
 大相撲春場所は白鵬の逆転優勝で終わった。千秋楽まで13勝1敗と賜杯に一番近かった鶴竜だが、本割で豪栄道に敗れて失速、決定戦で白鵬にも屈した。
 
 優勝はできなかったものの鶴竜は、1横綱、4大関を下した金星で大関昇進が内定し、今28日の臨時理事会で正式決定されるようだ。そうなれば1横綱、6大関の布陣になる。
 
 鶴竜の活躍に水を差すようだが、手放しで賞賛はできない。それ相応に今場所の活躍は認めるが、兎も角、異様な事態である。6人大関は、ダンゴ6兄弟と揶揄されても仕方がない。
 
 大関にはになれたが、どの力士も横綱になれる力量も覇気も、私には見受けられないからだ。陽当りのいい処で楽しんでいるように見える。
 
 ああ、昭和大相撲が懐かしい。関脇、小結あたりが群雄割拠した時代。番付表を眺めるだけでも、既に戦いのドラマが始まっていた。巨漢(大内山)や巧者(信夫山)など、多種多彩な強者たちがいて、そこに栃若聳えていたオールディーズ。古い話で恐縮です…。
 
  
~関脇以下に期待がもてない~
 
 最近の番付表を眺めるに大関は勿論だが、関脇以下に激しいサバイバルマッチを期待する顔触れは見当たらない。お寒い限りで、情けない。悪く言えば10束一絡げ。国営放送が莫大な放映料を相撲協会に払っているから遣っていられる。
 
 放映から手を引いたら、忽ち立ち行かなくなろう。多大な恩恵に浴していることを協会と力士はよくよく考えてみるべきだ。ライバルがいず、スイスイと大関の昇級試験をパスする現状ではやがて大関8~10人の時代が来るかも知れない。
 
 もはや大相撲の世紀末、八百長問題に端を発した協会の改革も全て済んだ如く、当時の北の湖理事長がまた理事長に再任された。相撲協会というところは、何があっても旧弊を残したいらしい。
 
 改革というなら一層、貴ノ花でも理事長に抜擢る位の肝っ玉が有ってよかった。
 
 
朝ドラ「カネーション」の魅力
 
 NHKの朝ドラ「カーネーション」は近来になく面白いのは、物語に意外性が満ち満ちているからだ。病院でのファッションショーなどはその最たる例である。
 
 末期がん女性患者を最終モデルに起用して涙を誘うあたり花も実もある見せ場になっている。二人の子供たちがステージに駆けあがり母親抱き合うシーンは、これはシナリオの勝利だ。主役・小原糸子の晩年演じる夏木マリの見事。
 
 人気絶頂の尾野真千子から夏木にスイッチして、これは危険な冒険だと案じたが、正解だったことが証明された。若い尾野を90歳ちかくまで引っ張って、老けさせることは確かに無理があり不自然だろう。
 
 短編小説などでも秀逸な作品は、文章力もさることながら、さらっとしている中にきらりと光る意外性が必ず潜んでいる。読者が飽かずに読むのは、まさしく予期していない出来事が現出するからに他ならない。カーネーションの成功はまさしく意外性の連続にある。
 
 
~芥川龍之介の「蜜柑」~
 
 当たり前のストーリーでは読者はバカにしてしまう。余談ながら芥川龍之介に「蜜柑」と題する作品があり、私の好きな短編だ。話の筋はこれから奉公に行くという12、3才の小娘が、2等列車に間違って乗ってきたことから物語は始まる。
 
 手に握り締めているのは3等の切符で主人公の向かいに座り、トンネルに入るとしきりに窓を開けようとする。手はあかぎれで、粗末なこの小娘を主人公は苦々しく見ている。
 
 何とか窓が開くと媒煙が車内に飛び込んでくる。やがてトンネルを抜けると町外れの踏切の向こうに、3人の弟たちが手を振っている。負けじと小娘も窓から身を乗り出して、大きく手を振る。お互いに何かを叫び合ってる。
 
 そのうちに小娘は懐から蜜柑を取り出して、弟たちに向かって放り投げた。見送りに来てくれた勞に報いるために…芥川の大正8年の作品。仄々とする物語で、ある種、ミスティリーの要素を含んでいる。
主人公もこの少女によって心が救われる。
 
 少々横道に逸れてしまった。ドラマに戻そう。大正時代に生まれて、日本のフアッション界の草分けとしてコシノ3姉妹を育てた故・小
篠綾子。その生一本な生涯を描いた物語も、最終コーナー。どんな終焉を迎えるるのか、楽しみなことである。
 
 
露地栽培日誌
 
 21日、水曜日午前中にじゃが芋もを植えた。種芋(メリークイーン)を島忠で購入して、半分に割り天日で2日ほど干した後で埋めた。切り口を乾かしたのは、雑菌に侵されないためである。
 
 畝は幅60㌢、高さ20㌢で種芋の切り口を下に向けて、深さ10㌢の所に牛糞、化成肥料を芋の間に置き土で覆った。今年は文献を調べてしっかりやった。お蔭で体の節々が痛んだ。

 6月下旬から7月初旬の収穫では、苦労の成果が果たして出ているだろうか。農作業というやつは、無心になってできる。都会の真ん中でこんな豊穣な時間を過ごせる事は、なんとも幸せである。
 
 
じゃが芋を植えた畠、土が新しく掘り返したところ。
手前から二つ目から三畝。6月~7月の収穫になる。
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プロレスは極上の文化/大仁田厚は千両役者/凶器攻撃もプロレスの華/他

・プロレスは極上の文化
 ~大仁田厚は千両役者~

 ~凶器攻撃もプロレスの華~
 
・梅の花の間引き
 ~香梅が見頃~
 
・故郷の山桜への想い

 

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プロレスは極上の文化
 
 オールディーズ・プロレスは楽し。初代タイガーマスク、佐山聡氏が主催するプロレス(3月16日、後楽園ホール)を観戦した。長州が出る、藤波が出る、大仁田もタイガーマスクも…昭和プロレスの粋であった。ご招待を受けブログでお世話になっているプロレス狂の藤原女史と御一緒した。
 
 来賓挨拶ではあの”過激な仕掛人”新間寿氏も姿を見せ懐かしい新間節を奏でた。新日本プロレスの絶頂期に、敵方ジャイアント馬場の全日本プロレスを挑発した弁舌の鋭さは見事という他なかった。
 
 私はプロレスは頭を空っぽにして楽しむものだと思う。へんな先入観を持たず、ひたすら目の前に繰り広げられる動きに眼を向ければ、一つ一つの選手の動作、しぐさにもえもいわれぬ味わいがある。
 
 藤波がリングに登場するときのスタイル、長州がここぞという見せ場に必ず取る前ふり、それは両手でさり気なく髪を掻き揚げるポーズなどよく観察すると面白く、マニュアは多分こんな些細な事でもたまらないのだろうと推し量る。
 
 ウルティモ・ドラゴンの入場シーンは、スパンコールの衣装にソンブレロ、軽快なマリアッチの音楽で観客を引き込む。完全なリチャリブレカラー。コーナーポストに登り両手を掲げ雄叫びを上げるさまは、インカの戦士になり切っている。プロレスはメルヘンの世界でもある。
 
 
~大仁田厚は千両役者~
 
 大仁田は千両役者である。自己アピールのタイミングを観客の鼓動の中に常に探っている。無駄なパフォーマンスは一切せず、ここが己の見せどころとなると、一気にエンジン全開で試合を盛り上げる。
 
 タイガーと絡んだダックマッチは見応えがあった。一流の選手は相手の善い処を存分に引き出す。だから面白い。彼らはプロレスに秀でたマエストロたちである。何と言おうとプロレスは観客を楽しませる極上の文化である。結論、プロレスは無垢になって楽しむべし。
 
 懐かしいビッグバン・ベーダーもきた。荒々しく入場するシーンは我ながら陶然した。もう叔父さんだが、立派に昔の面影を残していた。在り日しの勇姿がオーバーラップした。
 
 「気を付けてください!危険です、お客様は絶対に近寄らないで下さい!」。アナウンサーの世紀末のような絶叫も、またプロレスならではのパフォーマンス。あれも試合を盛り上げる重要な仕掛けなのだと得心する。お客も選手も立派に煽動している。
 
 
~凶器攻撃もプロレスの華~
 
 凶器攻撃もしかり。普段はできないことがプロレスの世界では許される。此の夜、観客席の椅子を持ち出して、相手の頭部を殴り3脚を破損させた。その弁償は会場使用料の中に、別項目で主催者に請求される。だから壊されてもホール側は悠然と見守っているのだ。
 
 帰り際、新間さんに会ったら「ああ、丁度良かった。今度昭和プロレスの会を立ち上げるから、ターザン(山本)とあなたは名誉会員だ。是非参加してくれ。」と言われた。新間のお父さん(愛称)じゃ断れない。
 
 
梅の花の間引き
 
 久しぶりに晴れ間が出た日の午前、知人宅の庭に咲く梅の花を摘んだ。粒の揃った大きな実を育てるための所謂間引きというもの。暮に沢山牛糞やら化成肥料を施したので、今年はてんこ盛のように咲き誇った。
 
 梅の木は折れやすいので、梯子を掛けてびくびくしながら花を摘む。老いたる身には、体が硬く手足がままならず我ながら歯がゆい思いをしながらの作業で、芯まで疲れた。
 
 2時間ほどかけてやっと終わった。初めての試みだが収穫期にはどうなっているか。去年はカラオケ仲間に差し上げたら大変喜ばれた。我が家では食前酒として、梅酒をよく飲むのであっという間になくなる。因みに1,8ml×3本の焼酎で壜に仕込む。
 
 砂糖を標準の半分位に抑えるので我が家の梅酒は、辛口なのだがカラオケに梅の実だけを取り出し持参すると、御婦人方に喜ばれる。そんなことが励になっている。「褒める事は人を動かす最良の方法」とはよく言ったものだ。

 
~香梅が見頃~
 
 同じ庭の片隅には2本の香梅が競うように咲き誇る。桃色の、まるで桃花に見間違うような鮮やかなピンクは、思わず立ち止まり見惚れてしまう。何処までも澄んだ碧い空は、あくまでも香梅の引き立役である。
  
 日本の四季の移ろいは花によって実感する。梅が終わると桜が南から北上してきて、本格的な春を迎える。生家のある福島県の狭隘の山村、鮫川の桜は桃花を連れ立って、4月の終わりに一斉に開花する遅い春である。

 
故郷の山桜への想い
 
 里山に咲く山桜を愛す。武骨なほど白く、雑木林の中にひっそりと孤高の誇りをもって咲く姿は喩えようがなく美しい。あれは散りゆく時の白装束姿ではないのか。「しきしまの大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花」(本居宣長)
 
 故郷の鄙びた風景を思い起こすたびに、私は何故か亡くなった母を偲ぶ。 20日は彼岸、春分の日…墓参にも三年ほど行ってはいない。「墓には布団は掛けられない」の諺があるように、何一つ親孝行していない。老いて益々悔やまれる。
 
 今年は福島市の花見山公園の桜を見に行きたいという妻の予てからの望を果たしてやろうと、当地在住の同級生高橋敏子さんにメールした。
 
 ところが花見山公園の辺りが放射能の濃度が特に高く入山を許されないのでは、との返事のメールが届いた。原発事故は歓喜の春をも奪ってしまっている。本人は気が滅入って、病に臥すことが多いという。同情を禁じ得ない。遣り切れない。
 
 
知人宅の庭に咲き誇る紅梅

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花を間引きした梅の木
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東日本大震災から1年/プアカーオの全面広告に驚愕/他

東日本大震災から1年で感じた
・文明は自然の力に無力
・プアカーオの全面広告に驚愕
・箱根に1泊旅行

 

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東日本大震災から1年で感じた
 
 あの震災から1年が流れた。まさに歳月というものは流れるように速いものである。死者15,854人、行方不明者3,155人、避難者343,935
人という惨状。我々は被災者と共に悲しみ苦しみ、そして、無念、挫折を背負って行かねばならない。
 
 加えて原発事故は震災に更に大きな影を投げかけた。いつ収束すとも知らない悪魔のような影を。作家・高村薫さんがテレビでこんな事を語っていた。
 
 
文明は自然の力に無力
 
 「文明はあらゆることを可能にしたが、自然の巨大な力の前には殆ど無力だった事が、改めて私は認識しました」という主旨の発言で、まことに私も同感である。「自然の前にはいかなる文明も無力」この
一言を今後の復興の基準に据えなくてはいけない。
 
 一日も早い復興が求められるのは勿論だが、あれもこれもと中途半端に終わることが一番よくない。例えば原発事故で故郷を追われた住民には、未来都市を創造して移り住んでもらうとか、国がはっきりと青写真を示すことも重要ではないか。
 
 楽観論を排して、現実を直視した方策だ。福島を第二のチェルノブイリにしない、と強調するのはいいが、現実放射能はなくなる訳で無くて、その恐怖はずーと付いて回るだろう。果たして同じ場所に住むことは幸せなのかどうか。これは国の責任として判断すべきことだ。
 
 この度の原発事故は安全神話を根底から覆して、全てが虚構の世界だったことが露呈した。だからして好むと好まざるに関わらず、世界は脱原発に舵を切る必要に迫られている。
 
 3・11追悼式をニュースで見てとどめなく涙が落ちた。病気を押して出席した天皇陛下夫妻、遺族代表奥田江利子さんの覚悟と決意の言葉…そこに見受けられるのは泰然とした日本人の"誇り高さ”を私は感じた。全ての日本国民が、歯を食えしばって頑張るしかない。  
 
 
プアカーオの全面広告に驚愕
 
 8日朝日新聞朝刊のタイ投資委員会の36面広告には驚いた。プアカーオ・ポー・プラムックが古式ムエタイの装いで、合掌しているではないか。
 
 キャッチがいい。Unbeatable Thailand「不屈のタイ」。写真を見て頂ければ一目瞭然です。プアカオの半身はチョコレート色で、オイルがタップリと塗られ、神々しいばかりに照り映えている。
 
 日本の企業にタイへの投資を呼び掛けるこの広告は、断然インパクトがあるのは、とりもなおさずタイの国技ムエタイ選手を起用したことに尽きる。
 
 去年未曾有の大洪水に見舞われたタイは、多くの日本企業が被害を蒙った。特に自動車メーカーのダメージは大きく当地への進出を見合わせた企業もあるという。
 
 そんな状況を一日も早く払拭しようとタイ政府の肝いりで打ったのが今回のプアカオをイメージキャラクターに起用しての全面広告。古式のムエタイ選手、不屈のタイにぴったりだ。企画の勝利と言っておこう。いま一度篤と写真をご覧あれ…勇気が湧いて来るでしょう。
 
 
箱根に1泊旅行
  
 10日は1泊で仲間5人で箱根に出掛けた。5人の職業はまちまちだ。ゴルフ練習場のオーナー、プロカメラン、塗装業者、建築現場作業員、そして私。
 
 謂わば異種業者の集まりだから、気楽にお付き合いできる。たまには息抜きも必要だ、箱根でも行って風呂にでも浸かってくるかということになった。
 
 宿は渋谷区の施設。二ノ平渋谷荘、彫刻の森駅で登山電車を降りれば、徒歩で2分の近くにある。2日間は生憎の小雨で外出は阻まれたが
、風呂三昧でリフレッシュした。
 
 夕食では大いに飲み歓談したが、何しろ飲み物も区の補助があるので兎に角安い。食後はカラオケで楽しんだ。翌日は何処にも寄らず新宿に帰ってきた。翌日からは其々の職場に戻る。
 
 私は旅をしたときには、つとめて思うことがある。「今日の日はサヨナラ、そしてアリガトウ」と。11日の早朝6時、私は恒例の散歩に出た。小雨の中、強羅公園の急坂を散歩して帰った。
 
 歩きながら思った。同じ仲間と、行楽を共にできる日は後何回出来るのだろうか。そう思うと小旅行もずっしりと価値のあるものになってくる。「一切は過ぎ去って行く、ただ思い出を残して。」

 


宿舎の二ノ平渋谷荘で同行仲間と。

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3月16日に消えるロマンスカー「あさぎり」の前で記念写真(出発前)

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ムエタイ選手プアカーオをキャラクターにしたタイ投資を呼び掛ける広告。
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雪に立ち向かう桜の蕾/国家国民のため己を捨てる/他

・雪に立ち向かう桜の蕾

 
・汚れっちまった悲しみに

 
・国家国民のため己を捨てる

 
・薄っぺらな絆

 
・高森篤子さんの誕生パーティ

 
・畠を耕す意味 

 

 

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雪に立ち向かう桜の蕾
 
 2月の終わりの日に、東京は早暁から雪となった。都心でも3センチの積雪となった。昼過ぎになって雪掻きをしたが、夕刻には路面の雪も、あらかた溶けてなくなった。東京に降る雪で積もるのは稀だ。
 
 早朝の5時半頃大山公園をウォーキングしたら、グラウンドも白銀の世界で、雨傘は忽ち雪の重さを感じた。公園内の桜の木々の枝は、風に揺れるて、寒そうに震えていた。
 
 だが、よく目を凝らして見ると、桜の小枝のまだ硬い蕾は、イリュージョンだろうか、街灯に浮かび上がって、かすかなピンク色を放っているのがおぼろげながら分かった。有るか無きかの淡い、それはさながら霞のような桃色だった。
 
 
汚れっちまった悲しみに
 
 立ち止まって近寄り、もう一度桜の木を仰ぎ見て確認すると、幻想ではないと確信した。あたかも、それはやがて訪れる春に向かって「さあ、来い雪!」と雄叫びを上げ、身構える蕾のファイティングポーズのように捉えられた。
 
 来る春に咲き遅れまいとして、降りかかる雪に必死で挑むかのような佇まい、神々しいまでの生命の息吹を感じさせた。気が付いたら私はいつの間にか、中原中也の詩を吟じていた。
 
 
 汚れっちまった悲しみに
 

 今日も小雪の降りかかる

 
 汚れっちまった悲しみに

 
 今日も風さえ吹きすぎる
 

  
 
国家国民のため己を捨てる
 
 半導体DRAM製造で世界3位エルピーダメモリが倒産(負債総額4500億円)したり、パナソニックやソニーなど日本を代表する企業が軒並み巨額の赤字決算。国の借金も凡そ100兆億円、我が日本は何処へ行くのだろう。
 
 震災、原発事故、円高、国会の混迷…出口の見つからない水族館の水槽の中で、四六時中回遊している秋刀魚の群れに似た…重要課題を悉く決められない、お粗末な政治には暗澹たる気分になる。
 
 夏目漱石の言葉に「則天去私」がある。今こそ政治家は己を捨て国家、国民のため与野党問わず、国難に立ち向う勇気と覚悟を持たなくてはならないと願う。繰り返す、只、己を捨てよ。
 
 国を救うキーワードは「ゼロ、空」である。全ての国会議員が己を空しくして、ゼロになって天下国家、国民のために、何をなすべきかを考えて行動すれば、自ずと答は出てくる。徒な駆け引きは無用である。
 
 
薄っぺらな絆

 

 いま日本は存亡の危機にある。この時に、解散総選挙などもっての外だ。一刻の猶予も許さない時期に莫大な選挙費用遣い、加えて政治の空白期を作る愚行は、どんな理由があろうとも許されない。
 
 いまなお仮設住宅に住む人は25万余、我々は一時もこの人々を忘れてはならない。絆、絆と叫んでいる一方で、被災地の瓦礫は引き受けない。同情は寄せるが、自分に関わる物はお断り。
 
 いやはや、薄っぺらな絆である。そんな中でも東京と山形は早々と受入を表明した。私は都民として嬉しい。被災地の悩み苦しみは同じ国民が等しく分かち合うべきだ。
 
  
高森篤子さんの誕生パーティ
 
 3月3日はお雛様の日、この日が誕生日な方に故梶原一騎先生夫人高森篤子さんがいる。その恒例の誕生パーティが、4日午後1時から、六本木のディスコ「ナバーナ」で今年も開かれた。
 
 招待状には「感謝の心を軸として沢山の笑顔にお会いしたいので」と心の籠った言葉が綴られていた。食べ物だけは参加者が持ちよりで、アットホームなバースデーパーティである。
 
 私は今回先約があり、開場前に細やかな食べ物を持参した。丁度会場の近くで、車でやってきた夫人に偶然お会えした。失礼をお詫びして別れた。
  
 夫人も私と同様に昨年4月、脳梗塞を患っている。梶原先生の膨大な著作権を一手に管理しているのも、あるいは心労に繋がっているのかも知れない。お元気になってディスコで踊る姿を梶原先生は、天国の割れ目から眺めて、さぞや安堵していることだろう。
 
 会社を始めてから私が最もお世話になっている方である。健康に注意なさって、いつまでもお元気でいてください。誕生日、おめでとうございます。余談だがかのキックの鉄人・藤原敏男さんも3日が誕生日。似あわない~、ホントだね。
 
 
畠を耕す意味
 
 2,3日の両日は露地栽培の畠の土を掘り返した。寒い時期に土を耕すことで、虫や土の殺菌になるという訳で、根詰めたら、体の芯までへこたれた。
 
 4月には胡瓜、茄子、トマトなどの苗を植えるための準備期間で、今年は堆肥も十分作ってある。特にトマトに至っては、イタリアなどの珍しい種類にも今年は挑戦してみたい。
 
 何事も入念な準備が要る。飛行機がTAKE OFF(離陸)するには、長い助走が必要であることと同様である。去年より今年は満足のいくものを作りたい。細やかな願望である。

 
大山公園の雪景色(29日、3時半頃)
舟木昭太郎の日々つれづれ

自宅前の通りも雪が積もった。

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健康は体を動かすことから/他力本願の意味は?/他

・健康は体を動かすことから


・先ず正しい歩き方を身に付ける

・他力本願の意味は?

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健康は体を動かすことから
 
 東京マラソンは26日に行われ今年も大盛況で幕を閉じた。参加者は市民ランナーを含め35,000人余という。沿道の観衆は150万を超えて、もはや日本一のマラソン大会に成長した。
 
 私も都庁前からのスタート風景をテレビで見たが、壮観だった。紙吹雪が舞う中、続々と出発する人の群れは、あたかも生命の躍動体として目を奪われ、我心に広がった。
  
 走りたいという一般の申し込みが殺到したらしい。大小様々な市民マラソンが、どこでもこうした人気で、世は空前のマラソンブームになっている。
 
 東京マラソンは2007年に第1回大会が始まり、早くも6回を重ねすっかり定着した。先輩格のニューヨークマラソンは、50%は外国人ランナーで、世界各国から走者が集まって観光収入にも寄与しているとのこと。
 
 東京もやがてはニュ―ヨークのように国際的になってもらいたいものだ。市民が運動に興味を持つことは、国家のためでもある。体を動かす、運動することは健康増進に繋がる。よって膨張する医療費も少なからず減少するはずだ。
 
 
先ず正しい歩き方を身に付ける
 
 そういう観点から、私は国民総ウオーキング、ジョギングの勧めを提唱したい。人間の体は50%は筋肉でできている。70㌔の人なら35%だ。使わなければ筋肉は衰退して、病気の原因にもなる。
 
 先ずは歩くことから始めよう。「長く座っていると疲れる、少し歩くと疲れるのは、筋肉不足のせい」とは、理学療法士田中尚喜先生。毎日歩くことによって、この種の疲れは解消すると分析する。
 
 それには中高年の人は特に姿勢をただして、正しい歩き方を学ぶことが重要であると。即ち背筋を真っすぐ伸ばし、前足はかかとをしっかりと地面に着き、後ろ足は拇趾で地面を蹴る、これが正しい歩き方だと田中先生はとなえる。
 
 中高年からは歩数を稼ぐよりは、正しい歩き方を身に付ける方が健康への効果あるという。現代人が病気になり易く軟弱になったのは、二足歩行人間の基本的な営み「立つ、歩く」の行為の減少にあるらしい。
 
 それは何よりも車などの発達で、歩くことが少なくなっていること最大の原因のようだ。私は時々田中先生の「百歳まで歩く」~正しく歩けば寿命は延びる~(幻冬舎文庫457円+税)を読む。大いに為になり、本を参考に、毎日ウォーキングに勤しんでいる。
 
 お蔭でいまの所は風邪ひとつ引かないし、食事も酒もすこぶる美味しい。他にラジオ体操から帰宅すると、タオルを冷水に浸し絞って上半身裸になって、ゴシゴシとやる。
 
 タオル摩擦というやつだ。もうかれこれ1カ月続いている。忽ち体が温まり薄着でもポカポカする。これが舟木流健康法である。生来懶惰な私だが、ウォーキング、ラジオ体操、タオル摩擦は不思議に続いている。健康万歳!サプリメント無用!
 
 
他力本願の意味は?
 
 「他力本願」という言葉があって、我々は極普通に「他力本願じゃだめだよ、自分の力を信じなくては」などと口にする。どうやらこの言葉遣いは、本来の持つ意味からすると間違いであるらしい。
 
 本来の意味は「阿弥陀(如来)の本願の力で、成仏すること」だそうで、国会の代表質問などでも「○○大臣、そういう他力本願の考えじゃだめなんですよ!」なんて、叱り飛ばすのをテレビでしばしば見受けるが、たちまち本願寺の方から、クレームがくるらしい。
 
 「入れこむ」という言葉も「入れあげる」の誤用であると。スポーツなどでではしばしばこの「入れこむ」という言葉が遣われる。例えば競馬がいい例で、馬がなかなかゲートインせず興奮状態にあるとき「大分入れこんでいますね」とアナウンサーは声高に言う。
 
 だが、正しくは「入れあげる」と言わないといけないという。いずれも作家・司馬遼太郎さんが指摘している。私も初めて知った。これから注意しよう。
 
 因みに「入れこむ」は、一般的には、電源を入れる、耳に入れる連絡をいれる―の意味らしい(ネット調べ)。う~ん、日本語は難しい。参考までに。

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【マイク・ベルナルド哀悼記】~群雄割拠の時代~、~神に召されて虚空になった~、他

・マイク・ベルナルド哀悼記
 ~群雄割拠の時代~
 ~神に召されて虚空になった~
・W.ヒューストンの急逝
・音楽と読書
  

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マイク・ベルナルド哀悼記
 
 マイク・ベルナルド(南ア)の死亡を15日に知った。突然の情報に驚愕した。41歳だというではないか。若すぎる。アンディ・フグの死を思い起こさせる。フグは35歳で白血病で亡くなっている。
 
 私は’95年K-1GRANDPRIXで初来日したときのマイクを思い出した。開幕戦で優勝候補のアンディ・フグを3RTKOしたあのシーン。K-1にニューヒーロー誕生の瞬間を。スキンヘッドの破壊者は、当時鳴り物入りのスタン・ザ・マンもをKOして、ベスト4まで駆け上がりK-1を震撼させた。
 
 同時期ジェロム・レ・バンナも衝撃的なデビューだった。このバンナとマイクが準決勝戦で、激闘したのだからたまらない。強烈な個性を持つ二人の戦いは、まさに肉を切らして骨を断つの白兵戦で、K-1の神髄を味わった気がした。
 
 勝ったのは蹴り技に一日の長があるバンナ。荒れ狂う猪の如く突進するマイクに、ローキックをヒットして2R3分KOしたが、両選手の果敢なファイトには、勝敗を超えた極上の風味が残った。
 
  
~群雄割拠の時代~
 
 アンディ、佐竹、ホーネスト、アーツ、ミルコそしてバンナ、ベルナルド…振り返れば錦絵のように豪奢極まりない男たちの戦場だった。K-1を創始した石井館長も、次々にニューヒーローが誕生して法外な美酒に酔ったことだろう。昇竜の勢いとは当時のK-1そのものだ。
 
 さてマイクに話を戻そう。彼は元々が国際式(ボクシング)の出身であるために、パンチの切れは他の追随を許さなかった。’96年には得意の豪打で、あのK-1の帝王アーツに3連勝(1反則を含む)を飾っている。
 
 彗星のように現れたマイクの存在は確かに注目をあつめたが、この頃は、群雄割拠のど真ん中。我こそは戦国の覇者、最強であると誰もが咆哮していた。一騎当千の強者共が鎬を削る時代であった。
 
 そんなわけでマイクのファイテング・スタイルはやがて、蹴りの標的となる。ボクサー出身の宿命で、パンチに頼る短調な戦法は戦いを重ねるうちに通用しなくなった。キックでもK-1でもボクサー出身は王座を手に入れることはできない、それがジンクス。
 
  
~神に召されて虚空になった~
 
 マイクの全盛はほぼ’00年までと思われる。’99年にGP開幕戦でミルコに1RKO負けしたが、’00年GP福岡では1RKOでリベンジしているが。その後は、ワットに1RKO(’01年)されたりレイ・セフォー(’02年GP)に判定敗、グッドリッジにも同年のラスベガスで1RTKOを食った。
 
 さらに同型のハントにも敗れて、もはやベルナルドの時代ではないこと私は感じた。’04年ジャパンGPでは無名の富平辰文にハイキックを食って1RKO敗、凋落の一途を辿り、遂に2006年引退。
 
 無冠の帝王と呼ばれ、一度もK-1GRANDPRIXの栄冠に輝くことはなかったマイク・ベルナルドだが、K-1の戦場を颯爽と駆け抜けた数々の戦闘は我が脳裡から離れるものではない。天晴れな荒武者振りであった。
  
 近年は鬱病に悩んでいたとは風の便り。敬虔なクリスチャンでもあるマイクは、神に召され天国に旅立った。彼は虚空となって大空をわたりK-1の再興をアンディ・フグと共に願っているはずだ…。アーメン。
 
 
W.ヒューストンの急逝
 
 アメリカのシンガー、ホイットニー・ヒューストンさんが11日急逝した。享年48歳、こちらも若く、その突然死は惜しまれる。私にとって彼女が最も印象深いのは、’91年第25回スーパーボウルで、アメリカ合衆国国歌を斉唱したシーン。
 
 改めてYOUTUBEで見ると涙が止まらない。スタジアムを埋め尽くした大観衆を圧倒した。恰もモーゼが海を真っ二つに裂いたように、彼女の歌には他にない、鋭い剃刀の切れ味の響きを含んでいる。そう、大空さえも割ってしまいそうな。聴く者のハートを射ぬくのは、正しくその声の響きにある。
 
 このとき唄った国歌は、10年後の同時多発テロの際にチャリティー盤としてリメイクして売り出された。ヒューストンについて私は、齧った程度で余り詳しくないが、改めてその透き通るよう声に痺れる。
 
 "All at once"などはいいな。ケビン・コスナーと共演した「ボディー・ガード」はDVDを探して見よう。親日家で10回も来日していて、昆布が入ったおにぎりが好きだったそうな。ネットに出ていた。
 

  
音楽と読書
 
 私の小さなポータブルプレーヤーには彼女の"All at once"が収めらられた。これを聴きながら、ご冥福を祈ろう。彼女以外では、私の大好きなダイアナ・ロスの「If we hold on together」も入っていて、早朝のウォーキングの折に欠かさず聴いて、幸せな気分に浸っている。
 
 読書と音楽は両立する。すこぶる相性がいい。音さえ大きくしなければ。先週読了したジェフリー・アーチャーの「大統領には知らせますか?」には夢中になった。大統領暗殺を狙う、しゃれたミステリー小説、アーチャーにハマりそうだ。いや、もうそうなっている。
 
 今週は「物語ユダヤ人の歴史」(R・シェンドリン著)「もう一つの風塵杪」(司馬遼太郎×福島靖夫往復書簡)「お神酒徳利」(山本一力著)「十四の嘘と真実」(J・アーチャー著)を読む。いずれも図書館で借りたものである。
 
 その合間に、芥川龍之介全集もコツコツ小さな字を追って読んでいる。私の読書はスクランブル交差点のような乱読。次々に交代していく読み方で、途中からでも話の筋は分かる。だから心配ない。無上の幸せ。

 

台所の窓際に咲く花、すみれの一種だろうか。
葉っぱを土の上に置くだけで根付きどんどん増えていく。
舟木昭太郎の日々つれづれ
 
咲き終わった花を、根気よく1年かけて妻が育てたシクラメン。
W・ヒューストンに捧げる。
舟木昭太郎の日々つれづれ

 

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業界の旧友と一夕飲み会/私の酒遍歴/他

・業界の旧友と一夕飲み会

 
・恰好よかった嵐田社長
 

・私の憩のひととき

 
・私の酒遍歴

 
・焼酎は伊佐美、酒は菊姫

  

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業界の旧友と一夕飲み会
 
 9日は新宿のすし店「加賀」で顏馴染みの神村栄一、榎本浩、それにお店を紹介してくれた、お世話になっている同じ福島出身の引地昭一の各氏が集い、気の合う者同士で一夕を愉しんだ。
 
 神村、榎本の両氏は昭和45年当時からの知己であり”戦友”である。プロモーターと取材方で共に仕事を通じて鎬を削った仲。かつてキックボクシングが盛んだったころ協同プロモーション(嵐田三郎社長)という業界に二人は籍を置いていた。キックの興業を主宰する会社である。
 
 沢村忠を擁する野口プロモーション(野口修社長)はTBSと組んで一大キックブームを起こしていた。これに追随したのが協同プロで、こちらはNTVと組んだ。同じく岡村プロモーション(岡村光晴社長)が創設されて、東京12(現テレ東)と手を組んだ。各テレビ局がゴールデンタイムにキックボクシングを競った。嘘のような時代だった。
 
 やがて協同と岡村両プロは全日本キックボクシング連盟という統一団体を作りその一翼を担っなった。昭和46年のことである。因みに当団体の初代コミッショナーに就任したのが石原慎太郎さん。
 
 昭和45年~47年は振り返ればキックの黄金時代だった。TBSに追いつき追い越せと全日本系は牙を剥き、負けじとTBSは沢村を旗頭に、ビックマッチを連発して火花を散らした。
 
 私はフリーのライターを経て日本スポーツ出版社に入社(46年)し、希望通り格闘技専門誌ゴングに配属された。キックボクシングが三度の飯より好きだったので、本願成就のおもいであった。
 
 ボクシングやプロレスも取材したが、担当はキックとボクシングで毎日が楽しくお盆も正月もなく取材と編集に明け暮れた。思えば私のサラリーマンの躍動期であった。旧懐の情なお強しだ。
 
 因みに神村さんは大山空手(極真空手の前身)創成期の重鎮、協同プロを経て、新空手組織を立ち上げた。K-1を旗揚げするときに、石井館長に乞われその名称(K-3という名称で大会を開催していた)をあっさりと譲った。但し一隅にあったK-3を石井館長は、K-1として開花させた。
 
 
恰好よかった嵐田社長
 
 話は戻り、こういう私の躍動の時代に付き合いを頂き、かついままで変わらずに友達付合いができるのは、まさに素晴らしきかな人生である。この夜は杯を重ねて、キックの来し方行く末を大いに語り合った。
 
 余談だが、協同プロの親会社はキョードという音楽家やタレントの呼びや(招聘元)で、ビートルズなど大物タレント、スポーツ選手は悉く同社の手になるものだ。
 
 フアッションモデルのツイッギーが羽田に来日(S43年10月)した際に、タラップ下まで行って、ミニスカートのこの妖精をエスコートしたのは他でもない嵐田社長。
 
 テレビで見て嵐田さんは恰好いいな、と感じたが、その後何度かお会いした。いつもニコニコした紳士だった。日本全体が活力ある、良き時代であったと思う。
 
 
私の憩のひととき
 
 代々木上原駅の構内”アコルデア”の一角にあるスターバックスは私の好きな場所である。睡魔が襲う午前中にふらりと出掛ける。大概、山本一力の文庫本を手にする。
 
 ここの従業員の挨拶は極めてよい。客をもてなす挨拶も心がこもっていて、すこぶる気持ちが和む。私はいつもアメリカン(ホット=320円)をオーダーする。
 
 するときっちり「氷を少し入れるんですね」と覚えていてくれる。ホットに氷を落とす変わり者が、吾一人なのか無愛想な私も「有難う」と思わず相好をくずす。
 
 コーヒーの味も美味しい。私はストレート派なので、アメリカン以外は苦くて堪えられない。1時間ほどいて、本を読んで帰ってくる。たまに河岸から帰ってくる田吾作の親方と落合う。読書は倦むことがない。
 
 320円の贅沢、我家では味わえない至福の時間である。今年は何も仕事をしていない。世阿弥に「時の間にも、男時(おどき)と女時(めどき)とてあるべし」という有名な言葉がある。
 
 つまり「女時」には何をやってもダメだから、「男時」が来るのを待って、その時が来たら一気に勝負に出ろ、こんな意味だと察する。能の世界も戦いなのだ。そうは言っても、そろそろ出撃しなくちゃ。
  
  
私の酒遍歴
 
 生家が雑貨屋で、煙草以外は何でも売っていた。酒は村一番売る店で小学校時代から自転車で配達に回った。焼酎はアルコール臭く販売していながら、こんな不味いお酒を飲むのかと、馬鹿にした。
 
 今日のように麦や芋を何%というような美味しい代物ではない。販売業者は大きな樽で置いてくから、移し替える作業は一苦労だった。ゴム管を樽に入れて、口で吸い上げねばならない。巧く吸い上げると、あとは自力で焼酎は上がってくる。
 
 お客さんは空の一升壜を持参してくるので、母が忙しいときには私も代行した。巧くできないとゴボッと焼酎が口に溢れて飲んでしまうことがあった。この苦い経験が元で私は、26歳頃まで酒を受付なかった。
 
 日本スポーツ出版社に入ったときコップ一杯のビールも飲めず、先輩にからかわれた。当時編集部で下戸だったのは竹内宏介氏と私だけで、あとは酒豪揃いであったことで、いつしか調教された。
 
 いまは何でも、どんな種類の酒でも飲める。かれこれ30年になるかと思うが赤ワインに凝って、拙宅には似合わないワインセラーまで購入してしまった。ワインのオークションにもでかけ、有り金を叩いて、シャトーマルゴーの’61年ものをゲットして妻に叱られた事もある。
 
 その後シェリー、芋焼酎に凝った。森伊蔵などは天馬(水道橋にあった割烹料亭)で、ごく普通に飲んでいたら急にブレイクして手に入らなくなった。
 
 
焼酎は伊佐美、酒は菊姫
 
 一度プロレスの取材で、当時新日本プロレス坂口征二副社長を同店にお招きしたら、伊佐美(鹿児島の芋焼酎)が棚にあるのを見つけ「これこれが一番好きなんだ」と叫んだから頼んだ。取材中から飲んで結局1本空けた。それから私も伊佐美党になった。
 
 最近は日本酒で、なかでも「花泉」(福島・会津)が好みで、ぬる燗や冷酒でほどよく飲む。特に辛口は絶品でやはり会津は米と水がいいからだと得心する。山形の「出羽桜」もずーっと好きだったが、最近は入手難で行きつけの焼き鳥屋に置いていないのが寂しい。
 
 菊正の樽酒もいい。何といっても美味しいのは石川県白山市の「菊姫」である。週刊ゴングで、天竜源一郎と阿修羅原選手が対談にも天馬を選んだ。この時にお二人が飲んだのは「菊姫」の大吟醸、2升。私もこの時に初めて口にした酒で、天使のような味だった。以来飲んではいない。
 
 後日件の料亭から請求書が来て流石に私は唸った。35万円也!、でも経理に持って行ったら、スンナリ降りた。私も既に編集局長だったし、当時週刊の売り上げも良かったから。そんな時代もあった。♪回る回る時代は回る~♪
 

 
飲み会で、手前より神村、榎本、引地の各氏、後方私。
舟木昭太郎の日々つれづれ
 
お酒「花泉」は私が最近富に気に入っている。

舟木昭太郎の日々つれづれ

 

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盛大に真樹久佐夫先生を偲ぶ会/男の美学を通した/愛のジェラシー/他

・盛大に真樹久佐夫先生を偲ぶ会 
・男の美学を通した  

・その夜の梶原夫人からの電話       
・愛のジェラシー  
・かくて永遠の和解
 
 

 

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盛大に真樹久佐夫先生を偲ぶ会
 
 1月2日に急逝された真樹日佐夫さんの偲ぶ会が4日午後1時から青山葬儀所で行われ私も参列した。この日は立春、いくぶん寒さもゆるみ空は晴れて、それはあたかも故人が天国から采配したような慈悲に満ちた天候だった。
 
 故人を知る者にとって、外見から受ける印象が、実際お付き合いして
余りにも違うことに驚くのだが、いかつい、怖いという外見からは想像できないほど繊細で気配りの人であった。確か前にも述べた。
 
 だからこそ参列者の長い列が延々と続いたのだろうと察す。偲ぶ会を開催したのは、真樹日佐夫一門、謂わば空手の関係であるために、格闘技関係の人が多かったが、著書や生き様に共鳴した一般のファンの参列も多く見られた。故人の仁徳だろう。
 
 正門を入って記帳に向かうと吉田豪さんが目に付いたので、目礼した。少し先にいった処で舟木さ~んと呼ぶ声がした。元キックの王者藤原敏男会長だった。キックの現役時代からの長いお付き合いだ。
 
 梶原一騎未亡人高森篤子さんには、会場の中で鉢合わせした。高森さんは指定の席に係員に誘導されていて、慌ただしくて、お互い挨拶もできなかった。
 
 
男の美学を通した
 
 会場中央の祭壇には白菊の花に包まれて大きなパネルが飾らていた。それは1年前古希の祝いの時に撮った遺影で、実にいい微笑であった。式の司会は馴染みの徳光和夫さんで、故人の経歴、実績を紹介してから「男の美学をまっとうして、人生を駆け抜けたひとだった」と心に沁みる言葉で称え、式典を進めた。流石、この人は司会が上手い。
 
 式が始まって最初に挨拶したのは初代タイガーマスクの佐山聡、兄梶原一騎からの深い繋がりを持つ。佐山さんは故人との思い出を切々と伝え、親のように可愛がれたこと、今後も天国から梶原先生と共に見守ってくださいと結んだ。
 
 映画「愛と誠」の三池崇史監督も、故人の助言で監督に抜擢されたこと、本人から多くを学んだ先生だったと明かした。
 
 盧山初男極真館館長は極真時代に組手の相手をしてもらって練磨したことを伝え、友人代表の添野義二士道館館長は、友人であり同志である掛買いのない友を失った悲しみと、今後の真樹プロダクション及び真樹道場の運営について触れ、いずれも実弟が継承することが付け加えられた。
 
 本来なら私は普段は会えない人たちと故人の思い出話などしたかったが、告別式のようなもので献花だけでお別れした。でも大勢の参列者が式典に集まって、真樹先生も黄泉の世界で、さぞや喜んでいるいるに違いない。
 
 記事中以外の主な式典出席者。
新日本坂口征二相談役、猪瀬直樹東京都副知事、ノア丸藤正道副社長、シュートボクシングシーザー武志会長、ジョニー大倉、空手家角田信朗、新日本棚橋弘至、他
 
 
その夜の梶原夫人からの電話
 
 青山葬儀所から自宅に帰り、この夜は妻も倅も外出して独りでうどんを茹で、温かいままどんぶりに入れ、鰹節に醤油とレモンを垂らし夕食とした。田舎から新に送ってきた日本酒「花泉」(辛口)の冷酒をショットグラスに注ぎ、うどんを肴にNHKBS「エベレスト登頂」を見た。
 
 少々酩酊した頃、梶原一騎先生の未亡人高森篤子さんから思いがけず携帯に電話が鳴った。今日会ったばかりだけど、多分挨拶できなかったことで掛けてきたのだ、と思った。
 
 夫人の話は今日会場で会って、私が元気だったこと、真樹さんが亡くなり改めてその存在の大きさを感じているとの心境で、「愛のジェラシー」(リナ・パーク)という歌の意味が、やっと分かったと、歌の一節を口遊んだ。
   
  
愛のジェラシー
 
 兄弟愛には喩え兄嫁でも入る余地がなかった、義弟に夫を独占されてるような感じであったと、真樹さんが亡くなって初めて、兄弟の絆の強さを思い知ったと、夫人はしんみりと私に説いた。
 
 その夫婦愛を超えた兄弟愛を妬み、夫人は永年に亘り「真樹を嫉妬してきた」というのだ。だがいまはそれも自然に受け入れられたと。「愛のジェラシー」知っていますか。聞いたことありますか。
 
「梶原が死んで25年で、梶原から離れ真樹は自己を確立した思う。近年の真樹を見ていると、そう感じるの」と、 去年3月、夫人の誕生パーティーにも初めて出てくれたこと、御主人の23回忌の食事会にも出席して、夫人の子供たちと睦まじく話していた事を挙げた。
 
「男って心残りな事を、最後に全部済まして行くのね」。死を予感していたかのような真樹さんの行為の数々を顧みて、愛しむかのように一語一語語りかける夫人の声音に、いつしか私の胸も詰まった。
 
 梶原一騎死の直後から真樹さんと夫人はタイガーマスクの版権を巡り骨肉の裁判を繰り広げたのは承知の事実。しばらくはお互いに絶縁状態だった。結果は夫人側が勝訴したが、しこりは重く残った。
  
 兄嫁と義弟のこのような凄絶な確執を経て、時間が経つにつれ、氷が
ゆっくり溶けるように二人の心は開いていったようだ。私には志賀直哉の時任謙作と祖父との確執を描いた「暗夜行路」と「和解」の小説をふと思い浮かべた。仲直りで一番ほっとしたのは天国の梶原先生ではあるまいか。
  
  
かくて永遠の和解
 
 「今はライバルを失った心境で、存在感のある梶原と真樹が居なくなりポッカリと穴が開いたようだわ。これからの人生つまらなく思えてきた…真樹は元々梶原似でシャイでピュアな男だった、つくづくそう思う。真樹が居たからこそ私にも張りがあった。」
 兄嫁と義弟はかくて、永遠の和解を果たした。
 
 一代の快男子も心の奥底ではいつも兄を恋う、少年のように瑞々しい心の持ち主だったと、梶原夫人の話から私は推察する。今頃は大山倍達総裁を囲み兄(梶原一騎)と三人で、空手談義に花を咲かせていることだろう。素晴らしいエピソードなので、夫人に断らず敢て紹介した次第。
 
 夫人のこんな心温まるお話を電話で会話できたことは実に果報者であり、私はつくづく幸せだと感じ、心で手を合せた。夫人の体調もあまり優れないと聞いている。その反面私の脳梗塞の後遺症をいつも心配してくれている。
 
 暖かくなったら一緒に食事することになっている。春はまだ遠い。今夜の酒はいやに涙味がする…。
  

 

青山葬儀所に並ぶ長い参列

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会場前には多くの供花者の名前が…。
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式場では遺影が微笑みかけて

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ありがとう、そしてさようなら山下書店/真樹先生を偲ぶ会の日程/他

・後楽園 山下書店の閉店に寄せて
 
 ~山下書店がゴング週刊化に一役~ 
 ~創刊はしてみたけれど~ 
 ~山下書店への10ゴング~
 
・真樹先生を偲ぶ会の日程
 
・東京鮫川会に出席して

 


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後楽園・山下書店の閉店に寄せて
 
 後楽園ドーム園内で永年親しまれた山下書店が、1月29日店を閉じた。後楽園と言えば、巨人のフランチャイズ、ドーム球場、格闘技のホール、そして競馬の場外馬券売り場を持つスポーツの一大テーマパーク。
 
 山下書店はこれらのスポーツ専門書を網羅した店としてそれぞれのマニアには重宝がられた。私は格闘技ゴングの編集者として約30年余に亘り携わってきたので、閉店には人一倍感慨が深い。
 
 週刊ゴング、ワールドボクシング、ゴング格闘技といずれも創刊をプロデュースしてきたが、創刊号が出た日は必ず山下書店に足を運んで、店頭に高々と平積されている自社本を見ては、感激したものである。
 
 会社が白山で後楽園は近いこともあり、日によっては2回も3回も覗きに行き、売れ行きを見定めては一喜一憂した。プロレスのビックマッチを速報した増刊号は、特に気になって足を運んだ。
 
 出勤前に立ち寄っては、ライバル誌(週刊プロレス)と自社(週刊ゴング)の置いてある部数を目算しては、夕方またお互いの売れ具合を確認しにくるという、何だか子供染みた事もした。
 
 
~山下書店がゴング週刊化に一役~
 
 1984年(S59年)4月に週刊ゴングは創刊したが、ここで後楽園山下書店は、我社(日本スポーツ出版社)に歴史的な役割を果たす事になるが、余人は知らない。週刊を創刊するかどうか社内では連日、小田原評定を繰り返す中、創刊を決める手立てとなったのが実は山下書店であった。
 
 ’84年に自社ビルを新築した我社は、会社の稼ぎ頭だった月刊ゴングと別冊ゴングが週プロの出現で、売上はジリ貧の一途を辿っていた。別冊ゴングは隔週発売だったが、それでも週刊のスピードには敵わなわず、一刻も早い週刊化が急がれた。
 
 それでも社内の空気は「もし失敗したら会社が無くなってしまう」という守勢派が大勢を占め週刊化構想は宙に浮いていた。私は常々「柳の下にはドジョウは2匹いるが、3匹はいない。もし3番手になるようなら、編集長は引き受けない」と会社側に明言していた。
 
 当時「ビックレスラー」も週刊化を虎視眈々と狙っていた。このまままでは機を逸すると焦った私は、密かにアルバイトを雇って週プロの売れ行き調査を始めた。我が目で実売数を確かめその結果を役員会に提出し、具体的な数字で説得をしようと試みた。
 
 ここで登場するのが山下書店。調査対象書店のトップに挙げて、重点的にチェックさせた。アルバイトの学生は幸いにも店員に気に入れられたのか、お店側の協力で詳細な売上データを聞き出してきた。
 
 お蔭で、発売当日、3日後、そして1週間後の週プロの搬入数と実売数をほぼ完全に掴むことができた。かくして1か月間のデータが役員会に提出された。
 
 その数字は我々の予想を遥かに越えた良いものであったがために、反対していた役員もグーの音も出ず、一気に週刊化の流れに傾いた。書泉ブックマートなど5店舗に絞って行われた極秘の調査だったが、山下書店の調査報告が際立っていて、結果的にはこれが決め手になった。
 
 
~創刊はしてみたけれど~
 
 余談だがこうして難産の末に創刊された週刊ゴングだったが、いざ発刊してみると多難を極めた。半年で7000万の赤字を出した。反対派役員は、それ見たことかと冷笑した。
 
 1年先行した週プロは勢いを増しわが誌を寄せ付けず、週ごとに部数を落として行った。げに風前の灯だった。私は青くなった。されど神風が吹いた。
 
 長州維新軍が「全日本プロレスに参戦す」のスクープ記事を機に、雑誌は堰を切ったように売れ出した。全日に強いゴングは猛然と巻き返しに転じたのだ。
 
 12月決算で、それまでの7000万の累積赤字が、3000万の黒字に転じた。この時初めて私は勝負して良かったと胸を撫で下ろした。結局初代編集長は3年弱務め後任に託した。
 
 後はプロレスの権威竹内宏介率いるゴング軍団がそのプロレス本作りのノウハウを発揮して、やがて週プロと抜きつ抜かれつのデットヒートを展開して行った。振り返れば熱い、痺れるような黄金の日々であった。
 
 
~山下書店への10ゴング~
 
 思えば無我夢中だった。週刊なしには会社が存続しないとただ使命感に燃え突っ走った。雑誌が軌道に乗って、私の一世一代の勝負は終わったが、振り返れば、週刊化への引き金を引いた瞬間に私の役目は済んでいたのかも知れない。兎に角私に運があったとしか言いようがない。
 
 ’84年4月に創刊した週刊ゴングは’07年3月14日を最終号として休刊した。足掛け23年、残念な結果ではあるが、プロレス専門誌として一時代を築いた事は間違いない事実である。後楽園山下書店は閉店し、週刊ゴングも既にない。この話はもう時効である。
 
 少々長くなったが我社と我命運をも左右した後楽園山下書店の閉店は、かくの如き秘話をもってしても、他人事と思えない。

故に、ありがとうそしてさようなら、山下書店よ!


私はあなたのために、心からの10ゴングを鳴らします。
 
 
真樹先生を偲ぶ会の日程
 
 去る1月2日逝去した真樹日佐夫氏の偲ぶ会が2月4日13時~15時に東京・青山の青山葬儀場で行われることが決まった。主催は国際空手道連盟一門。突然の同氏の死亡はいまだ信じられないが、当日は真樹先生にゆかりのある方が各方面からくるだろうから、大いにかたり合い偲んできたい。
 
供花についの問合せは、佐久間本店へ。
電話03-3482-1467 FAX03-3484-4848。
 
 
東京鮫川会に出席して
 
 28日(土)、我村福島県鮫川村の新年会を兼ねた「東京鮫川会総会」が新宿住友ビルホールで開かれた。私は12年ぶりに出席した。拙宅の近に住む中学時代の恩師小滝陽子先生と出掛けた。
 
 受付で村企画調整課の石井智子さんに声を掛けられた。メールではやり取りさせてもらっているが、言葉を交わすのは初めて。想像していたよりも背が高くスレンダーな美人方なので正直驚いた。
 
 石井さんは、一昨年と昨年「東京鮫川会会報」に私が記事を寄稿し、拙文を綺麗に纏めて下さった。優秀な職員で、常々私は頼もしく感じていた。初めてお会いしお話して、それが間違いないことを確信した。
 
 総会のアシスタントとしても議題進行役をテキパキとこなしていた。彼女のような能吏が村役場で働いているとは、誠に嬉しい。総会の後には新年会があり、村からバスで上京した村長や議員各氏と懇談した。
 
 中には村会副議長を務める中学時代の坂本君や、会の副会長市川君、監査役の生田目君も集いさながら同級会で、小滝先生を交えてしばし交歓した。まさに、故郷の訛懐かしの趣であった。

 

 

中学時代の恩師小滝先生と
舟木昭太郎の日々つれづれ

同級生の坂本君(左)と再会。

舟木昭太郎の日々つれづれ

 

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