舟木昭太郎の日々つれづれ -72ページ目

パラリンピックのこと/小村寿太郎と松岡洋右/スズメバチ戦闘始末記

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・パラリンピックのこと 
・領土問題で揺れる日本は?
 ~小村寿太郎と松岡洋右~
・スズメバチ戦闘始末記

 ~我、奇襲作戦に成功せり~

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パラリンピックのこと
 
 障害を持つスアスリートたちのの祭典、ロンドンパラリンピックは特別な感動を受ける。たまたまニュースで見たのだが、競泳男子平泳ぎ100㍍(運動機能障害)で両腕のない中村智太郎(28)が銀メダルに輝いた。
 
 両腕がないのに平泳ぎをどうやって泳ぐのだろう、注意深くテレビをみていたら、脚のバネだけでスピードを加速させていた。多分、頭脳のなかのシュミレーションでは、両腕は立派に平泳ぎしているのだろう。
 
 ゴールタッチは、頭をかなりのスピードでゴツンと当てた。いたくないのだろうか。もしかして帽子の先端にスポンジでも入れてあるのかしら。2着でゴールした中村選手は、溢れるような笑顔で「やったぜ!」とスタンドの応援団に応えていた。手が遣えないので、水面から脚を挙げてさらに歓びを表した。心温まるシーンであった。
 
 自らの運命に負けず、世界の舞台で勝負する中村選手の逞しい姿を見ると、我身の不甲斐無さを感じてしまう。親から授けられた五体満足な体を当然の如く振る舞い生きている。障害を背負った人たちのあの生命力を見よ、と己に問う。そうパラリンピックは、障害を持つ人よりも、実は健康な人を奮立たせているのである。
 
 
領土問題で揺れる日本は?
 
竹島、尖閣を巡り日本の外交力が問われている。国民からみて弱腰外交と非難されているものでも、後年高い評価を受けていたり、あるいは拍手喝采をおくった外交が時代を経て、その逆であったりする。歴史とは皮肉なものだ。
 
 さように国と国との付き合いは難しい。歴史はそれを教えてくれる。たとえば、日露戦争後にロシアとポーツマス条約を締結した日本全権大使小村寿太郎は、歓呼の声に送られてアメリカへ出発したが、帰国するや日比谷焼き討ち事件やら、右翼からの罵詈雑言を浴び、自宅は投石されるなど散々な目にあった。
 
 戦勝国の日本が、ロシアから一銭の賠償金も取らず条約を結んだ、小村は売国奴というわけだ。ところが近年は困難な局面にあった日本を救った名外交官として、小村寿太郎は見直されているのである。
 
 
~小村寿太郎と松岡洋右~
 
 日露戦争そのものが、日本の大勝利となっているが実は辛勝であったと分析する歴史家は多い。あの時点で条約締結できなかったら、革命を成し遂げた赤軍(ロシア)が反転、日本軍を襲えば、一たまりもなかったろう。これは司馬遼太郎さんの見解である。因みに司馬さんは引き分け説です。
 
 戦費は殆ど外国の借金で賄われた。当時日本の外貨は絹織物の輸出で得られる微々たるものであった。絹を売って、大砲を買う、貧しい国であった。国力の差は如何ともしがたい。実情は軍隊も国民も疲弊して、ロシアと戦争を続ける余裕などなかった。一刻も早く講和条約締を結びたい、これが、日本政府の本音だった。戦勝に酔いしれる国民は、そうした内情を知る由もなかった。
 
 一方の松岡洋右外務大臣は、国際連盟脱退の演説、日独伊三国同盟締結と、国民からは熱狂的な支持を受け、映画スタア並みの人気であった。が戦争が終わるとA級戦犯として捕われた。第二次大戦前夜に戦争に舵を切った当事者の一人として、戦後は国民も掌を返すように松岡を糾弾した。小村とは逆である。歴史から外交を学ぶ、正に温故知新である。
 
 日本は尖閣諸島、竹島、北方領土と懸案を抱えて外交交渉は国民の厳しい目に曝されているが、国民受けを狙うだけの単なるパフォーマンスは避けてもらいたい。正義を唱え、時にけん制球は必要だけれども膠着した関係を解すのには、やはり北風(武力)ではなく太陽政策(対話)以外にない。それとも過激に出て他国と干戈(かんか)を交えますか?
 
 
スズメバチ戦闘始末記
 
 30日昼過ぎでした。隣家の御主人が拙宅のドアホンを鳴らして、お宅の軒下にスズメバチの巣がありますよと仰った。慌てて飛び出した。御主人が「ほらあそこです」と指差す方向を見ると、なんとかなり大きく成長した巣が、2階の愚息の部屋窓の下にある。信じられない光景に足が竦んだ。
  
 巣の周りをオスプレイみたいな屈強なハチが旋回している。御主人が、私の処にも作ってあたんですよ、どうもこの頃ハチがやたら飛んでいると不思議に思って、上を見たら小さな巣が在ったんです。ところがお宅の方へもハチが飛んで往くものですから、来てみたら案の定でした。ウチは、薬屋さんでスプレー式の殺虫剤を買って、駆除したけど、お宅のは大きいですねえ。保健所に連絡してみては。駆除会社を紹介してくれますよ。
 
 ハチの巣は2週間くらいで、素人には手の付けられない大きさに成長してしまうらしい。初めての経験なので正直不安になった。同時に日本男児の血が騒いだ。よ~し、いまに見ていろ、殲滅してやる。
 
 自転車で薬局に走り、ハチを駆除するスプレーありますかと店員に尋ねる。と店員は待ってましたとばかりに、黄色の機関銃みたいなものを出してきた。その名も「ハチアブマグナムジェット」。何となく強力な武器に思えて、自信が湧いてきた。凶暴なスズメバチとの開戦時刻は14時半を少し回る。天候晴れ、気温35.2℃、天気晴朗なれども波高し。ニイタカヤマノボレのZ信号だ。
 
 
~我、奇襲作戦に成功せり~
 
 まっしぐらに2階に駆け上がった。最初の一撃が大事だ、そ~っと窓を上に5㌢程開けて、マグナムの銃口を網戸に密着、巣に標準を絞る。距離15㌢弱、オスプレイ蜂が警戒態勢を敷いているが、幸いハチは気づいていないようだ。今だ!私は一気にレバーを引いた。巣めがけて乱射した。ランボーの気分だ!戦場に道徳もヘチマもない。たちまち蜂は小気味よくバラバラ落下した。
  
 ここで知った。人間も獰猛な昆虫も習性は同じだ、反撃するより自分の身を守ることを専一にするのだと。この勇敢な兵士に一匹たりとも、手向かうものなどいなかった。頃合いをみて、勝ち誇ったように小さなシャベルで壁から巣ごと剥がした。我、奇襲作戦に成功せり。戦争好きのディック・チェイニー(湾岸戦争当時の米国国防長官)がこの作戦を見ていたら、さぞ仰天しただろう。作戦に要した時間はたったの120ミニッツ。
 
 幸い当方には損傷はない、この作戦に掛った軍事費用は1,200円也。これなら防衛省も納得してくれるだろう。完璧だ。俺は指揮官として天才だ、自己陶酔した。三階級特進するかも知れない。尖閣の守りは俺に任せろ。
 
 巣の大きさはタテ13㌢、幅9㌢ほどのもので、中には幼虫がびっしり詰まっていた。地面には巣とハチの死骸が累々。戦果を誇示するために、八チの死骸と巣は、大事にビニール袋に入れて保管していた。夕方外出先から帰宅した愚妻に見せたら、目を剥いていた。おお~怖い、と言って改めてビニール袋を固く縛った。
 
 巣を駆除した後も食糧確保に出ていたスズメバチは、巣と仲間を探し求め軒下を徘徊していた。人生色々、予期しないことが起こるもんです。戦闘が無血で終結、さしずめロンメル将軍(独=戦車隊指揮官)の気分です。戦勝祝いに、今晩の酒は取って置きのワインにすっか、母ちゃん。
 
 
退治したスズメバチの巣
舟木昭太郎の日々つれづれ
 

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猛暑の日々、貴方は如何お過ごしで/暴言、失言、放言の後で/6日振りのラジオ体操/他

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・猛暑の日々、貴方は如何お過ごしで
・白山散策から神保町へ
・暴言、失言、放言の後で
・韓国大統領と米国議員の場合
・6日振りのラジオ体操
・蝉しぐれ4題

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猛暑の日々、貴方は如何お過ごしで
 
 連日猛暑が続く22日は午前10時半に自宅を出て、文京区にある白山神社に御参り。既に30度を越して、代々木上原駅までの7~8分でもう下着は汗まみれ。拙宅から駅までは坂が多い、下ってきた道を振り返ると、坂の上には紺碧の空に白い雲が長閑に浮かんでいた。
 
 日差しは鋭いが雲は、逞しい夏のそれとは違って柔らかな綿のようだった。雲の装いにも秋の気配を感じる。15時のデザイン事務所での打ち合わせまで、たっぷり時間があるので、お参りした後は、腰痛馴らしに白山通りの路地裏「指ケ谷商店街」を散策。
 
 勤めていた会社(日本スポーツ出版社)が近所にあったので、昼時には
よく出かけたものでした。私は平成14年10月に定年退職したが通りの様子はちょっとも変わらない。炎天下の商店街は眠った如く静かであった。馴染みの喫茶店、イタ飯屋がしぶとく残っていたのには感激した。
 
 
白山散策から神保町へ
 
 通りを抜けるとオリンピックがあり店内をぶらぶらした。会社にいたときにはよく足を向けた場所で、食品以外はなんでも揃った便利な店だった。ここから東京ドームは近い、隣接するショッピングモールで、散歩用のシューズを買った。さらに水道橋から神保町交差点まで足を伸ばし、行きつけの新世界菜館に到着したのは13時…凡そ1時間も炎天下を歩いたこになる。
 
 当店の高菜と筍の湯麺は私のお気に入り。半ライスを追加して、久しぶりに満足した。薄塩味でそこにお酢をタップリ注ぎ食べるのが舟木流。そもそもこの高菜と筍の湯麺を知ったのは、30数年ほど前、高校時代の同級生で当時香港住友銀行に駐在していた、友人に連れて行かれて当地で食べたのがはじまり。高菜と筍を小さく刻んだもので、細麺の舌触りとスープの味が忘れられず、探し求めていたら当店で巡り合った。
 
 そばを食べて、ミーテイングが終わり地下鉄駅に向かう。そろそろ夜の帳(とばり)が降りる頃なのに、アブラゼミのヒステリーな鳴き声は街路樹からしぶきのように降りかかる。明治屋の通りに出たら御主人が開店の準備中で、挨拶を交わしたら寄っていけばという。開店前なのに入れてくれて、バスペール(小)と赤ワインを1杯づつ飲む。外に出たら、昼の炎暑はまだ燻(くすぶ)っていた。本の町神保町は、私の好きな居場所である。
 
 
暴言、失言、放言の後で
 
 韓国の李明博大統領の天皇発言はまさしくお粗末の一語です。「(天皇)も韓国を訪問したがっているが、独立運動をして亡くなった方々訪ね、心から謝るならば来いと言った」とか「痛惜の念」という単語を言いにくるなら来る必要ない」。これ、公衆の面前でのスピーチある。
 
 これに対して「(天皇)訪問を韓国に要請したことはない」と外務省及び政府は反発を強めている。要請もしていない事を捏造してまで何故発言したのか、理由は後に譲るとして、日本の強硬な姿勢に韓国国内でも「言い過ぎだ」と問題になっている。この際李大統領は潔く謝罪して、この文言を撤回すべきだろう。ともかくもお互い冷静に、冷静に願いたい。
 
 
韓国大統領と米国議員の場合
 
 側近(兄弟、縁戚)の贈賄汚職で、李大統領の支持率は急降下している。その人気挽回策として、韓国大統領として初めての今回の竹島上陸、そして天皇発言。国民に存在感をアピールしようとした狙いが、日本からの思わぬ反撃を招き大統領の支持率は忽ちメルトダウンした。軽はずみな行動といわざるを得ない。良好な日韓関係に水を差すものものである。
  
 そうかといえば、ミネソタ州選出の下院議員エイキン氏(65才)はインタビューに答えてこう答えた。「医師から聞いた話だけど、本物のレイプなら女性の身体は妊娠しない仕組みになっている。だから暴行されても妊娠する恐れがない」
 
 この発言で共和党は大統領選にも影響ありと議員を辞職すべきとエイキン議員に迫っている。この先生も上院に鞍替えを予定している最中だという。 大した考えも無くて、大衆受けを狙うこうしたパフォーマンスは、大方自らの首を絞めてしまうのがオチである。口は禍のもと、沈黙は金なりである。
 
 またネット上ではこんな凄まじい言葉が躍っていた。なでしこがアメリカに、1-2で敗れ金を逃した直後の書き込み。「アメリカは日本に2個の原爆を落としてやったぜ」。イヤハヤである。
 
 もっと驚くのは韓国のネットカフェ。「日本人入店禁止」と入口に張り紙してあり、入店の条件として「独島(竹島)は韓国の領土」と3回言わないと入れてくれないとか。ここまで遣ると呆れてものも言えない。いずれにしても、日本国民は、泰然として、付和雷同するべきではない。 
 
 
6日振りのラジオ体操
 
 関東などは2週間を越す連続猛暑日。ザーと一雨が降って欲しいものだ。24日は6日振りでラジオ体操に出た。腰に注意しながらのリハビリ体操である。今朝(27日)も太陽は早朝というのに容赦なく照りつけるので、参加者が少ない。梅ちゃん先生の、安岡(旧姓・小原)梅子の姉の姑役・加藤昌子で登場する根岸季衣さんの姿もよくお見受けする。
 
 根岸さん宅は大山公園の近くにある。ラジオ体操では、「ラジオ体操の歌」をいつも張りのある声で唱和する。さすがに女優だけあって、発声が正確でよく声も通る。いつも私の左斜め後方、決まった場所から聞こえてくる。歩き方もエネルギッシュ、演技はつかこうへい劇団で鍛えられたから筋金入りである。
 
 根岸さんの主人は、大津あきらさんで、直腸がんで早く亡くした。高橋真梨子歌う名曲「foryou」の有名な作詞家である。横道にそれた。で、体操から帰り7時半BSで朝ドラを覗くと本人(根岸さん)が登場している。不思議なカンジがする。その「梅ちゃん先生」もクランクアップして、いよいよ大詰めです。(9月29日終了予定)
 
 この残暑は9月初旬まで続くという。地球が焦げてしまうではないか、まったく。相変わらず蝉がかしましい。来年に予定していた地中の幼虫が間違って出てきたのか、以前にも増して騒々しい。
 
 
蝉しぐれ4題
 
 ―力の限り 夏の終わりの 蝉しぐれ― 長尾(ネットより)
  
 ―夏休み 命を讃う 蝉しぐれ― 内山(ネットより)
 
 ―身を焦がす つかのまの夏 蝉しぐれ― (昭太郎)
 
 ―夕立に ひと休みかな 蝉しぐれ― (昭太郎)

 
 
※私のは自己流です。俳句のまがいものです、読み飛ばしてください。
 

  

拙宅の近所の「坂の上の雲」

舟木昭太郎の日々つれづれ
 

東京ドームに浮かぶ雲

舟木昭太郎の日々つれづれ
 

昼下がりの文京区白山「指ケ谷商店街」

舟木昭太郎の日々つれづれ
 

神保町「新世界菜館」の高菜と筍のラーメン

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初代タイガマスクと楽しむヒト科最速男ボルト

・ヒト科最速男ボルト
 ~100㍍は何処まで記録を短縮する?
 ~先天性の病気を克服
 ~これからは巨人達の戦い
 
・初代タイガーマスクと楽しむ
 ~二人のレジェンド選手と合体
 ~屈辱をバネに飛躍した佐山
 
・腰痛に泣いた夏の日

 

 
 
ヒト科最速男ボルト
 
 ウサイン・ボルト(ジャマイカ)は伝説のランナーになると宣言していたけど、その通りなりました。ロンドン五輪100、200㍍走で共に優勝して北京に続いて史上初の二種目2連覇を成し遂げて、名実ともにレジェンドランナーとなりました。
 
 100は9秒63のタイムで自らの持つオリンピック記録を塗り替えました。ダントツの強さでした。まるで天馬の如き速さでした。ボルトの走る姿は、写真にならない、という実しやかな話があります。これはシャッターチャンスを逃してしまう程速い、という事なのでしょうか。

 100㍍走の世界記録変遷史を調べると、1964年10月、ボブ・ヘイズ(米)が東京五輪(ここから電動計時)でマークした10秒06が24年後の1988年にはカール・ルイス(米)が、ソウル五輪で9秒9を記録。更に’91年東京での世界陸上で9秒86に短縮させて、所謂カール・ルイス時代を築きました。因みに最初に10秒を切った男は、カルヴィン・スミス(米=9秒93、コロラド)でした。
 
 このらのの記録も次々に塗り替えられていきました。モーリス・グリーン(米=’99年6月アテネ))が遂に9秒79台に突入しました。’00年シドニー五輪でのグリーンの優勝タイムは9秒87、’04年アテネ五輪金メダリストは、ジャステイン・ガリトン(米)で記録は9秒85、五輪は毎回記録が更新され続けています。


~100㍍は何処まで記録を短縮する?~
 
 短距離界はかくの如く米国の独壇場だったのですが、彗星の様にジャマイカに新星が現れました。それがウサイン・ボルトです。’08年8月、北京五輪では9秒69の世界新で金メダル、驚異の記録で世界に躍り出ました。

 翌年8月、ベルリン世界選手権では人類初の9秒56台をマークしたのです。そしてロンドンでの破天荒な活躍、走りと共にあのパフォーマンスも目に焼き付いています。
 
 人類は70年かけて、0.85秒(距離にして約8㍍)短縮した。早稲田大学鈴木秀次教授によれば、ボルトの9秒56は専門家の予想シミレーションより40年早く到達してしまったという。ではこれか先記録は何処まで伸びるのか。鈴木教授の計算によれば、9秒2か3までは行くだろうと予測する。
 
 ボルトの走りの特徴はスタートから50㍍で、トップスピード(最高速度=44㌔)に達し、90㍍過ぎまで殆どスピードが落ちないそうな。ボルトの走幅は2m75cm、ゴールラインを割る最後の1歩はなんと2m97cmだと!41歩で100㍍を駆け抜けてしまうらしいよ、41歩ですよ。因みに左足の方が20㌢歩幅が長いらしい。これは、背骨が曲がっていることに関係するらしい。
 
 ボルトの身長は196㌢ある。これまでは180㌢以上の選手は短距離には向かないとされた。空気の抵抗をより受ける、という事かも知れない。彼はこの常識を覆したばかりか、彼には脊椎側弯症といって脊椎が側方に湾曲する致命的な病気を先天的に持っていて、本来なら過激な走りはできない。
 

~先天性の病気を克服~
 
 この病は手術しなければ治らないそうで、手術すれば競技人生もお終わってしまう。そこでガラスのような脊椎を保護するために、徹底した筋力トレに励んだ。NHKテレビの特集で見たが、格闘家がするようにバーベルを挙げたりする、苛烈なトレで鋼のように強靭な筋力を造り上げた。背中を写した写真には、筋肉にガードされた曲がった脊椎が鮮明に浮き上がっている。
 
 あのぎくしゃくした走りも、逆にその揺れが相乗効果になってパワーを生み出しているとは先の鈴木先生の見解である。身体の欠陥を天命として受け入れ、それを長所に変える、ボルトと彼のコーチ、医師達の飽くなき努力追求には、敬服するのみ。
 
「おれがジャマイカの五輪予選で負けたとき、世間は俺を見放した。だけども俺は俺を見放さなかった」これは100と200で金メダルを取った直後のボルトの記者会見での言葉である。
  
 
~これからは巨人達の戦い~
 
 これからは2㍍を越す巨人達の短距競争になるかもしれず、それによって記録も飛躍的に伸びるような気がする。そうなると、もはや怪鳥の走り、ランバード(スポーツメーカー、ミズノのマーク)に等しい。ミズノさん先見の明りましたね。
  
 でもボルトのシューズはプーマでしたが…。万物は進化、変貌するとはまっこと本当だわ、得心。ボルトに不撓不屈の精神を見ました。やっぱ、オリンピックは、世界一を争う男の仕事場だね。
 
 
初代タイガーマスクと楽しむ
 
 過日、暑気払いと称する食事会がありました。アオバ企画の高橋一専務の招待になものです。メンバーはデザイン会社ZAPP!の白金夫妻、小生夫婦、NTTFan+田村女史。まず丸の内ビル53階にあるモリタ屋で、しゃぶしゃぶを御馳走になりました。
 
 薄暮の皇居を眺めながらの食事会は、格別なものものでした。拙宅では滅多に高級な肉を使ったしゃぶしゃぶは食べられませんから、五臓六腑に沁み渡りました。
 
 ここで大満足して帰りましょうといったところ、銀座のクラブに行きませんか、少しだけ付き合ってください、と高橋専務。少しだけが日を跨いでしまった。クラブで遊ぶなんて何年振りだろう。カラオケもあって皆が歌う、昔とは様相がガラリと変わった、大衆的な銀座の夜でした。
 
 もうそろそろ帰る頃だと思っていたら初代タイガーマスク、佐山聡さんが
巨体を現した。また席は盛り上がる。佐山さんは酒を飲めないので、高橋専務は、彼の好きなケーキをどっさり買ってきました。
 
 時計を見たらあと30分で午前零時、これは潮時だと帰り支度にかかった。だが、またまた南千住の藤原敏男夫人が営むスナック「ロッキー」に行きましょう、とタクシーを呼んでしまった。
 
 藤原会長も舟木さんの来るのを楽しみにしていますので、と高橋専務は念を押す。てな具合でロッキーへ佐山さんと同乗して向かう。藤原夫人は家内も何度か一緒に飲んだことがありました。お店に着くやお互い再会を喜び合いました。
 
 
~二人のレジェンド選手と合体~
 
 カラオケ大会が始まった。私は佐山氏の歌は聞いたことがなかったので、オペラ歌手なみの声量と上手さには驚いた。プレスリーの曲から、ゴッドファーザーのテーマまで、原語で唄うのだ。やはり一芸に秀い出た人は、どこか違う。
 
 我々も唄ったが佐山氏のパワーに圧倒させられた。遅れて藤原敏男会長がM-1MC山本智さんを伴って駆けつけた。これで初代タイガーマスクとキックの鉄人藤原敏男の偉大なる格闘家が合体した。千両役者の揃え踏みだ。
 
 私とは両名とも35年に及ぶお付き合いになる。私がゴング編集部に在籍していたからだ。佐山さんが、新日本プロレスに入門して間もないころ蓼科の目白ジム合宿に参加した。色白でアンコ型のまだ少年の面影が残っていたの
を記憶している。
 
 当時目白ジムは、「鬼の黒崎」と恐れられた黒崎健時会長に率いられたスパルタ道場で、我々取材の者でも目を背けたくなるような場面もしばしば目にしました。稽古で少しでも手抜きすれば(私には少しもそう見えなかったが)、黒崎会長は選手を六角棒で思い切り殴った。
 
 こんな恐ろしいジムの強化合宿に佐山さんは、自ら志願して参加した。蹴りが本職のキックボクサーに混じってプロレスラー佐山は見劣りした。だが真剣に稽古に喰らいつく姿は、感じるものがあった。強いプロレスラーになりたい、そんな願望が迸っていたような気がした。
 
 
~屈辱をバネに飛躍した佐山~
 
 そして1977年(S52年)11月、日本武道館での格闘技大戦争に当時センセーションを巻き起こしてたベニー・ユキーデ(米)を旗頭とするマーシャルアーツ軍団が来襲、ここで佐山聡も新日本プロレスから参戦した。
 
 相手は長身のマーク・コステロ(米)、アンコ型の佐山は全身にキックの洗礼を受けダウンを重ね、いつタオルが入ってもおかしくなかったが、佐山は転びダルマのように起き上がった。結果は屈辱の判定負け。
 
 だがこの試練がタイガーマスクへと飛翔させた。間もなくメキシコへと修業の旅に出て、そして梶原一騎原作の劇画「タイガーマスク」の主人公に変身して凱旋帰国、忽ち日本中にタイガーマスク旋風を巻き起こす。因みに新日本プロレスの一番興行成績がよかったのは、タイガーマスク全盛時であるそうな。
 
 現在は武道格闘技「興義館」を主宰、青少年の育成に尽くし、かつリアル・ジャパンなるプロレスを後楽園ホールで定期興行する。押しも押されもしない格闘技界の重鎮である。 時に屈辱は人を大きくする、失敗は成功の礎となる。佐山聡はその見本である。まさに、主よ、我に試練を与え給え、です。
 
 そう佐山聡は敗北をバネに、あくなき成長を続けて、初代タイガーマスクは伝説のプロレスラーとなった。現役時代取材させてもらった私が、時を経てカラオケに彼と興じるとは人生捨てたもんじゃない。藤原会長ともども楽しい一夜を有難うございました。タクシーで自宅に着いたのは深夜1時半、久々に夫婦で不良しました。
 
 
腰痛に泣いた夏の日
 
 腰痛は痛い。脳天を刺すような痛みが襲う。寝る時、起きる時、寝返り打つ時、椅子から立ち上がる時歩くときにも…我慢できない痛さに涙がポロリと落ちる。♪おお神様 神様 助けて パパイヤー、助けて~。
 
 ことの起こりは、土曜日(17日)、ラジオ体操の前に自己流の予備運動で、いつものように腕立て伏せから腹筋をしていたら、随分今日は肩も腰も重いと感じた。この時点で止めれば良かったが強引に、励んだ。帰宅するや猛烈な張りを覚えた。肩と腰が鉄板のように凝り固まってしまった。
 
 そのうち歩行も困難になり、結局終日ベットでごろ寝、翌日曜日も家で塞ぎ込んだ。湿布薬を腰に貼ってはみたが一向に痛みは消えない。よくよく考えれば、露地栽培の畑仕事、同じ屈んだ姿勢で長時間働いていたことが腰への疲労を蓄積していたのが思い当たった。
  
 畑仕事の後は、入念なストレッチを行うことをここに至り肝に命じる。医者に行って、痛み止めの薬を大量にもらうのも嫌だし、何とか我慢してみよう。20日は少し痛みが和らいで、畑に水遣りに出た。でも、この痛みいつまで続くものかねえ…。
 
佐山聡さん(初代タイガーマスク=左)とキックの鉄人藤原敏男さんと、楽しい一夜を過ごした。
舟木昭太郎の日々つれづれ  

 
伝説となったウサイン・ボルト。北京(上)に続き、ロンドン(下)でも圧倒的強さで100、200を制した。

(※画像はWebより)

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ロンドン五輪随想/村田はプロでも十分通用する/女子レスリングの快挙と不安/他

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・ロンドン五輪随想
  ~なでしこ下した米サッカー事情~
  ~卓球団体銀のチカラ~

  ~バレーが勝ってよかった訳~
  ~女子レスリングの快挙と不安~
  ~ボクシング世紀の快挙~
  ~村田はプロでも十分通用する~
  ~閉会式も大人のムード~
  ~新体操は五輪に必要か?~
  ~フェルプスのおしっこ発言~
  ~新体操は五輪に必要か?~
  ~予想される新競技(私が考えた)~
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ロンドン五輪随想

 ロンドンオリンピック、17日間は瞬く間に終わってしまったね。日本の金メダルは7個に終わったけど、内容に於いて私は十分満足しました。女性の活躍がこれほど多種にわたり目立った五輪も過去ありません。女性アスリートが躍動し、輝いた大会でした。 

 雌鶏(めんどり)が時を告げると天下が乱れる。ええ、そんなことありません。安心の安は、ウ冠(家屋を表す)に女という漢字。益々国が栄えますよ。


 拙宅でも結婚以来ず~っとこのかた愚妻が仕切っていますから、安心安全なんですよ~。何だか捨鉢に聞こえますが…。 

 サッカーのなでしこは、もとよりレスリング、卓球、アーチェリー、バレーといずれも私は痺れまくりました。なでしこは、アメリカに1-2の惜敗でしたが、日本の良さを十分に発揮しました。堂々の銀メダルです。 

 これからも全員サッカー、短いパス回しの戦略を追求すべきです。さらに高みへ向かって、磨きをかけてください。徒に反省することはなにもありません。短いパスからチャンスを掴み、一気にゴールになだれ込む、これぞなでしこサッカーの真骨頂です。
 
 
~なでしこ下した米サッカー事情~

 アメリカのような豪華なロングシュートは、確かに見るものを爽快にさせますが、パワーがあり体力があるアメリカ人だからこそできるのです。小柄な日本選手が真似るべきではありません。

 でもアメリカはチーム美人が多いね。ワンバック、モーガンはスクリーンに出てくるような容姿、GKソロも守りは鉄壁、かつ美人とくれば叔父さんはただ見惚れました。

 何故魅力ある選手が多いかって?それも営業の一環なんですよ。つまりアメリカは中断しているプロリーグを何としも、再開したいのです。これには先ず3連覇が絶対条件だったのです。加えて魅力ある選手、魅力あるプレーは、付帯条件みたいなものです。少々失敗しても豪快なシュート、これじゃないとヤンキー魂を満たさない、そんなところです。

 バスケット、アメフト、MLBなどプロ競技がしのぎをけずるアメリカでは、只女性というだけじゃスポンサーもファンは付いてこないのです。彼女達の命運がこのオリンピックに掛かっていた…そう思うと色々納得するものがあります。それにしても表彰式のなでしこの潔い笑顔は、金メダルもので印象的でした。


~卓球団体 銀のチカラ~
  
 卓球は元々平野早矢香のファンなものですから、予選から見ていました。多分平野選手は最後の五輪でしょうから、団体で銀を得られたことはまことに慶賀の至りです。

 愛ちゃんも3才からラケットを握って20年、その一筋の道に神が褒美を賜った。流した涙に幾歳月の重みがありました。若い石川佳純の台頭は銀メダルの推進力でありました。

 彼女のようなヒロインが日本卓球界に現れなかったら、メダルはおぼつかなかったでしょう。あの天空に舞う独特のサーブ球、4年後は日本のエースとして宿敵中国の前に立ち塞がる大黒柱に成長しているでありましょう。

 石川選手は、鋼の如き強靭な意思、それでいて優しさを奥に秘めたときめくような笑顔、切れ長の眼はよき日本女性の全てを備えています。さぞ、浴衣に花火なんか歌麿の絵のようだと、叔父さんは想像するのです。
 

~バレーが勝ってよかった訳~
 
 バレーは28年ぶりのメダルだそうでまさに茨の銅でした。3大会の五輪出場で手にした3位、木村沙織の胸中は如何ばかりであったか。セッター竹下佳江に私はいつも縁の下の力を感じていました。黙々と、さもおしんのように耐えながらのプレーがあればこその銅メダルです。

 だがアメリカ、ブラジルを倒すためにはもう1枚、木村沙織のようなウイングアタッカーを育成するる必用があります。新鍋理沙なんかが成長して、左右に2枚揃えば、より攻撃の幅が多彩になる。迫田かおりも22歳と伸び盛り、期待できます。

 女子バレーが韓国に勝って良かったと正直感じたのは、男子サッカーが韓国に敗れ銅メダルを逸したことに関係する。11日早朝の海外ニュースを何気なく眺めていたら、韓国の女性キャスター曰く「今朝は私も(韓国が勝って)嬉しくて明るい色の服にしました…」満面の笑みを浮かべる。

 街中のサウナや飲食店での同邦の狂喜の風景を伝えた。かと思えば、李明博大統領が、竹島にヘリコプターで上陸したことをセンセーショナルに報道して、国を挙げての、韓国やった!やった!に湧くさま。日本に勝つことがそれほどのものですか?

 もし女子バレーが負けていたら、戦争に勝ったような騒ぎに発展しただろう。現に日本を破ったときに、韓国選手の一人が、『独島(トクト=日本名・竹島)は韓国の領土』なるボードをかざしてして叫んでいた。おぞましい光景で、勿論IOCで問題になって、ボードを掲げた選手は銅メダル剥奪の可能性もあるらしい。

 五輪に政治を持ち込んではならない、と五輪憲章にうたわれています。韓国は立派な経済大国になったのだから、もっとスマートになって欲しいよね。だじゃれじゃないが、私のスマ-トフォンはサムソンのギャラクシーだし、いまや日本の電気メーカーは束になってもサムソンには勝てないのです、国民はもっと大らかに、自信をもって下さいな。


~女子レスリングの快挙と不安~
 

 女子レスリングの話題に移ります。55㌔級吉田沙保里、63㌔級伊調馨の3連覇、そしてママさんレスラー48㌔級小原日登美の金と、世界に女子レスリングの日本の存在をアピールしました。凄いことです。

 でもちょっと待てよ、です。快挙にケチつける訳ではありませんが、日本は女子レスリングには、最初からアドバンテージをもっていたんです。つまりアテネ大会に女子が正式種目になるとの情報をレスリング関係者が掴み、いちはやく選手の強化に取り組んだんです。女子レスリングに関してはよその国は出遅れた、というのが現状です。これが幸いしたんです。

 この有利さ恩恵は4年後にはほとんど残っていないと考えた方がよいでしょう。旧ソ連圏や欧州勢が、本気になって選手育成に努めるに違いありません。金メダルダル3人衆も、いまがピークと想像できます。世代交代をどう乗り切り、次代の選手を育成するかここからが、指導者の腕の見せ所です。


~ボクシング世紀の快挙~ 

 ボクシングに二人のメダリストが生まれました。フライ級清水聡(自体育)の銅、そしてミドル級で48年ぶりに金メダリストとなった村田諒太(東洋大職)。1大会に2個のメダルもボクシング史上は初めてだし、ミドルクラスというのは日本人にとって不可能なゾーンと思われていたので、まさに奇跡です。これぞ世紀の快挙というものです。

 日本プロボクシング協会大橋会長が、就任早々アマチュア側に、プロ、アマ協力してオリンピックでメダルを取りましょうと、交流を呼び掛けました。早速それが実りましたね。喝采です。
  

~村田はプロでも十分通用する~

 で、村田はプロに転向するのでしょうか。26才、身体にも恵まれているいるし、何よりもプロ向きの攻撃的なファイトで、ストレート、ボディブローは切れ味鋭いものがあります。

 世界を狙える逸材に間違いありません。本場ラスベガスで勝負できる男でしょう。ゴールドメダリストの勲章は、かのカシアス・クレイ(M・アリ)のように光を増すでしょう。でも、彼は東洋大学職員を続けるようです。


~閉会式も大人のムード~
 
 閉会式もゆったりした、大人のノーブルなムードが漂う見事なものでした。参加国の数の花弁(あれタンポポだってね)をあしらった聖火が、炎を絞り込んでくると”火の鳥”が現れるシーンは、演出家の才能を感じました。

 兎に角、光と花火の使い方が抜群に優れていたよね、日本のプロデユーサーじゃ、とてもできないだろう。根本的にプロデユース力が違うと思いましたよ。

 でもマラソンのコースは最悪だね。ランナーがよくペットボトルを踏まなかったよ。それよりも何よりも、、ランナーの体が触れて、転倒するんじゃないかと終始冷や冷やしたけど、何事も起らず無事終わってよかった。

 よくもまあ、あんなセセッコマシイ道路をマラソンコースに許可したよね。それで、ケニアの選手二人が談合してる間に、まんまとウガンダの選手に金を浚われてしまった。彼はウガンダの英雄として名を残したね。ところで独裁者アミン大統領はもういない?健在だったら、凄い待遇を受けただろうに、残念!

 マラソンといえば女子の解説者だった有森裕子さんは、暗い喋りで、言葉も少ないし最悪だったね。地獄の三丁目の解説のようだった。名選手名解説者ならずです。あれなら増田明美の方が明るくて、解説も的を得て、分かり易いと改めて感じたよ。


~フェルプスのおしっこ発言~
 
 マイケル・フェルプス(米水泳選手=史上最高18個のメダル保持者)のプールでおしっこするよ、発言、カミングアウトには流石に驚いたね。「プールは塩素(殺菌のため)が入っていて、長い事水に浸かっていると反射的に出るんだ。試合のときではなくて、ウォーミングアップのときだよ、皆やっているよ。」
 
 これはウォール・ストリート・ジャーナル誌のインタビューに答えたもので、衝撃の暴露だね。多分女性もあの水着の下で、そそと、あるいはすまして、やっているよね。シンクロナイズの選手なんか、団体でおしっこしているのかしら。そしたら、後は、ばい菌が群れてシンクロしてたりしてね。
 
 卑猥な想像だが、水中にトイレはないし仕方がないよね。そのうち下町のメーカーが、プールトイレを発明するかもよ。それまで、我慢せずかまわないから水中おしっこしてください。体に悪いから。私も海ではしょっちゅうしてました。
  

~新体操は五輪に必要か?~
 
 ついでにもう一つ、あの新体操という種目オリンピックに必要あるのかね、疑問に思うよ。だってあれどう見ても曲芸でしょう。毬(まり)つかったり、テープ使ったりして。体操という立派な競技があれば十分じゃないのかね。

 そんじゃなくてもIOCは競技数の多い事に不満を漏らしている。将来、新陸上、新卓球、新水泳など正式種目にしようと、利権欲しさに日夜考えている輩がいるかもしれない。おお~、コワ。
 

~予想される新競技(私が考えた)~
 

 ①新陸上:大玉転がしリレー、球受け400㍍リレー(全員木の杓子を持って)球を受け継ぐ
 ②新レスリング:最初にボディビルで身体の美しさを競う。競技は先に相手を逆さまにして頭をマットに付けた方が勝ち

 ③新水泳:自由形100㍍、水中に潜ったまま泳ぎ水から頭を出したら失格
 ④新バレー:手を使ってはならない。頭(額)と足を使ってボールを受けかつ打つ。

 これ、どうですか?

 ダメ?? ウ~ン、やっぱりね。

 次回もオリンピックについて書きたいと存じます。
 
 
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総合格闘技の域に入った柔道/なでしこ監督の公言/熱血の人ありて/他

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・ロンドンオリンピック
  ~男子柔道、金ゼロについて~
  ~総合格闘技の域に入った柔道~
  ~フェアプレイ精神とは~
  ~なでしこ監督の公言~
  ~大層な壮行会もう止めませんか~
 
・蝉の鳴き声が少ない
  ~蝉の一生は短い?~
 
・人は死して価値定まる
  ~熱血の人ありて~
  ~思い出の日々~

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男子柔道、金ゼロについて
 
お家芸の柔道は全階級が終わり結局金メダルは女子57㌔級で松本薫が獲得した一つだけだった。男子は60㌔級平田、73㌔級中矢の各銀メダルが精一杯。最後に望みを託した100㌔超級川上大樹も2回戦で姿を消した。
 
 男女合わせて金1、銀3、銅3の結果に吉村強化委員長は、選手の詰めが甘い、練習を積んできたのに本番では勝ちを急ぎ自分の状況をわかっていなかった、と反省の言葉を述べている。
 
 果たしてこの程度の総括で4年後リオデジャネイロでは大丈夫なのだろうか。私の素朴な疑問だが、結論から申すと日本柔道界は「柔道」という固定概念をもはや捨てるべきである。
 
 
~総合格闘技の域に入った柔道~
 
 柔道は既に総合格闘技のゾーンに入っている。最たる例が100㌔級穴井隆将がクレバレク(チェコ)に巴投げから寝技に持ち込まれた場面。あたかもグレイシー柔術の選手が、関節を極めにかかるような猛々しさで、穴井は一気に抑え込まれた。
 
 悪夢のようなこのシーンは、かつてPRIDEのリング上で幾度となく見てきた惨劇と変わらない。そう、日本選手たちが、ヒクソンに次々にKOされていく場面である。私が見た無念の数々がオーバーラップした。
 
 異質の柔道、総合格闘技化した柔道に今後如何に対応していくかが課題だ。それに打ち克つために何を為すべきか。私は、いまこそプロ格闘家やレスラーとの垣根を越えた稽古を勧める。柔道に異質の血を注入しなければ、進化はない。万物は進化、変貌し続ける。
  
  
フェアプレイ精神とは
 
 国を代表するアスリートたちが、4年に1回集い最高の舞台で、最高の力と技をベストを尽くして競うのがオリンピックである。だがバドミントンの中国×韓国の女子ダブルスは、見るに堪えないものでした。
 
 お互いにサーブを何遍も故意にネットに当ては、負けを狙う策。次の試合で、同国人対決を避ける、あるいは次戦で有利な組合せを得るために。露骨な駆引きは、スポーツを愚弄するもので、無気力試合として失格になりました。当然です、これ、日本では八百長と言うのです。
 
 そういえばわがなでしこも、8時時間かけて次の会場に移動するのが嫌で、わざと引分け作戦に出た。引分けなら2位通過で、同じ場所で試合ができ、選手の過労も防げる、というのが監督の計算であった。これ、無気力試合に当ります。フェアプレイの精神に違反します。
  
 
なでしこ監督の公言
 
 なでしこの例などは、戦略としてどこの国もやっていることらしい。だが問題なのは、監督自身が、南ア戦は、引分け狙いでよいと選手達に指示したと、公の席で発したことです。途中投入の選手には、鋭いシュートは打つなと言った…等々、黙っていればいいものを。対戦した南ア側に失礼ではないか。逆の立場を考えてみればいい。
 
 2位通過に拘った訳は、もう一つ、1位通過ならフランスかアメリカが次の対戦者になる。御存じのように壮行試合ではいずれも敗れている相手。リスクが大きい相手との戦いを避けたかった、というのも本音かも。いずれにせよこれも、正々堂々の精神から逸脱している。
 
 こういった発言はとくに選手たちのモチベーションに微妙に影響してくるものだ。指揮官の一語一句は前線の兵士を惑わす。カッテモ、カブッテモ、オヨ(藤猛の名言=勝って兜の緒を締めよ)、である。試合に影響しなければいいが。
  
 
~大層な壮行会もう止めませんか~
 
 もうそろそろ、出征兵士の如き選手への壮行会といったもの、止めませんか。頭に日の丸に必勝の定番の鉢巻、講堂等での物々しい激励、万歳。選手達は頭をペコペコ下げ通し、異常です。♪勝ってくるぞと勇ましく~まさにこのノリです。
 
 試合ともなれば、地元の会場に集まり全員日の丸に必勝の鉢巻でこれまた大騒ぎ。この光景をさも美徳の如くNHKはじめ民放も定番のように中継する。運よくメダルに有りつけた選手の親兄弟はいいが、期待に添えず敗れた選手の側は惨めである。
 
 100㌔超級で敗れた川上選手は、すみません、負けてしまってと泣いてマイクに向かっていた。なんでここまでするの?勝負は字の如く勝ちと負けのどちらかです。(たまに引分けもあるが)、選手たちはあの馬鹿げた壮行会というプレッシャーを背負いながらプレーしているのです。川上選手の涙は、プレッシャーへの暗黙のメッセージに思えるのです。
 
 これからはもっとスマートに選手を送り出しましょう。例ばお茶とケーキのアットホームなティーパーティーとか…挨拶無、ただ懇談するだけの歓送会。兎に角「必勝」の鉢巻は御法度です。
 
 
蝉の鳴き声が少ない
 
 8月に入って、やっと蝉の鳴き声も聞かれるようになったが、その数は少ない。余りの猛暑に地下の幼虫も、一旦地上に出たものの頭を引込め「こりゃだめだ、来年にしよう」なんて越年を決め込んだのかもしれない。毎朝ラジオ体操に行く大山公園でも例年なら木々の梢からシャワーのごとく降ってきた蝉の声も、遠慮がちだ。
 
 猛暑ときたら、天を切り裂くような蝉の絶叫、この両者がセットで無くちゃ気分は出ないやね。かき氷にそうめん、枝豆に生ビール夏の定番も蝉の声が拍車を掛けるというものです。
 
 蝉といえば、愚妻の郷里、九州は国東半島を旅した夏の日を忘れえない。丁度今年のような猛暑で、磨崖仏巡りをした。巨大な岩肌に仏像が彫られていて、蝉が狂ったように混声合唱していた。
  
 田圃の畦道を歩きながら、炎天下を延々歩いたが、至る所に大小様々な仏像に巡り合った。あれは昭和53年の頃で、新婚の年でやっととれた夏休みであったことも印象深い。
  
 
~蝉の一生は短い?~
 
 その蝉の平均寿命は7年と7日だといわれる。短い生涯だと我々は思いがちだが、昆虫の世界では長寿の部類に入るそうで、人間に例えると70年であるそうな。蝉の生態は、卵から幼虫になって、地下に潜り7年、そこで過ごす、これが本来の蝉の人生だというのです。
 
 夏になって幼虫は再び地上に姿を現して木に登り、夜間孵化する。夜は外的が少ないからだという。夜明け十分に羽根が乾いたころ飛び立つ。牡は雌を求めて身を焦がすように鳴きまくる。声音の良し悪しを聴き定め雌は求婚に応じるという。求愛に応じてもらえず、童貞のまま空しく逝く蝉もいる。
 
 そして、雌は地上の枯れ木などに卵を産み子孫を残す。ほゞ1週間の限られた余命の中で、しっかりとそれぞれ役目を果たして、ある者は街路の焼けるような道路に、ある者は、ビルの屋上をお墓とするのです。
 
 土にもぐっているときには、モグラやケラなどの天敵に狙われ、、成虫してからは鳥やスズメバチの餌食になってしまう、そんな蝉も沢山いる。中でもスズメバチは幼虫を育てるための欠かせない栄養分なんだそうな。こんな蝉を食べる「昆虫グルメ会」なる女性同好会が昨今流行(はやり)だそうな。いやはや。
 
 蝉鳴くや 行者の過る 午の刻 蕪村
 
 小坊主の 袂のなかの 蝉の声 
一茶
 
 夏深き 森の梢に かねてより 秋を悲しむ 蝉の声 
寂蓮
 
 私の故郷は福島の鮫川村という山深い里で、少年のころ聞いたクマゼミの山々を渡る堂々たる響きや、夕暮れ何処からともなく囁き交わすあの蜩(ひぐらし)の哀調を帯びた旋律は少年の不安定な心に沁み込みました。7日は立秋、蝉の声にも秋が忍び寄っています。秋色慕情。
  
 
人は死して価値定まる
 
 デイリースポーツ元運動部でボクシング記者芦澤清一さんが、7月30日に肺炎のため死去して、翌日31日はお通夜が埼玉県上尾市の「セレモニー上尾」で18時から行われた。
  
 夕方になっても暑さは衰えを見せないなかで、葬列の客は後を絶たなかった。マスコミ仲間、ジム関係者、飲み屋の経営者…芦澤さんの人徳というものだろう、生花はジムオーナーから歴代王者、F原田、輪島、具志堅、渡嘉敷にはじまり帝拳ジム4人の現役チャンプといった具合に祭壇は賑やかに遺影を見守った。
 
 一時期相撲担当記者だったこともあり特に親しかった九重親方(元横綱千代の富士)の供花も目を引いた。親方は通夜も終わりの刻に、焼香に駆けつけた。お清めの席ではデイリースポーツのOBと酒を酌み交わして懐かしい人たちと貴重なひと時を得た。
  
  
~熱血の人ありて~ 

 
 直言、苦言ー芦澤さんは常にボクシング界に物申した記者でした、最後のボクシングライターだった。ときにはそれが源でジムから取材拒否を受けたが、怯まず戦い続ける熱血の人であった。
 
 私の編集長を務めたワールドボクシング誌に1頁のコラムを長年に亘り寄稿(後ボクシングビートに継承される)してもらった関係で公私ともに友人のお付き合いをして頂いた。芦澤さんの先輩記者が有名な朝熊伸一郎さんで、仕事も遊びもこの人から徹底的に仕込まれた。
 
 朝熊さんの後を受けてキャップとなってからは、主催紙として、具志堅用高選手の王座奪取から、13度防衛、そして王座を明け渡すまで隈なくその動向を伝えた。
 
 
~思い出の日々~
 
 誰よりも具志堅チャンプの信頼厚く、「わいやカンムリワシねん」の著書まで著した。具志堅一行がキャンプを張ると北は北海道、南は石垣まで何処へでも行った、私も度々同伴させてもらった。打ち上げでの飲み会、タイトル防衛戦後親しい記者仲間が、具志堅選手を招待しての食事会と楽しかった日々を思い出す。
 
 晩年はアル中気味で、後楽園ホールなどではビール大ジョッキ一杯飲み会場入り。酔って数々のトラブルも引き起こした。某ジムのアルバイトの女子大生のお尻を触って、泣かせたなんていう騒ぎもあったがジムの好意で事件にならなかった。
 
 後日、当のジム関係者は私にいった。「某大の学生で仕事もよくできた娘だったのよ、結局そのことが原因で止めてしまったけど。芦澤だから事件にしなかったのよ。」これも芦澤さんの功績有ったればこそ。
 
 毀誉褒貶、人とは功罪綯交ぜの一生を送る訳だが、死んでのちにその人の価値が定まるという。「棺を蓋いて事定まる」の諺あり、芦澤さん、ボクシングに捧げ、駆け抜けた73年の生涯は、あっぱれでした。そしてあなたの死で、気骨あるボクシングライターは居なくなりました…。 御冥福をお祈りいたします。お世話になりました。
 
 
私の好きな夏の花…夾竹桃(代々木大山公園で)、百日紅も同じように好きでピンクは猛暑にも映えます。

舟木昭太郎の日々つれづれ

 

露地栽培の空いたところに蒔いたヒマワリが夏の太陽に向かって大きな花を咲かせています。

舟木昭太郎の日々つれづれ

 

故芦澤清一さんの葬儀、数多の人が別れを惜しんだ。
舟木昭太郎の日々つれづれ  

  

 

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訃報名物ライター芦澤清一さん死去/新日本プロレス40周年パーティー/ロンドン五輪/他

・訃報名物ライター芦澤清一さん死去
 
・新日本プロレス40周年パーティー
 
・ロンドン五輪
 ~開会式は成熟した演出~
 ~五輪には魔物が棲む~
 ~三宅宏美の銀メダル~
 
・イチローと松井の明暗
 ~松井はいまこそユニフォームを脱ぐとき~
 
・露地栽培日記



訃報名物ライター芦澤清一さん死去
 
 ボクシングの名物ライター(元デイリースポーツ)芦澤清一さんが30日未明肺炎のため逝去されました。享年73才。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 
 ボクシングライターとして多大な功績を遺した同氏の死去に際して、長年お付き合いを頂いた私としては、言葉もありません。後日、思い出話など綴りたいと存じます。今日のところは余りにも急な出来事でその
気分にもなれません。
 
 尚、御通夜は31日18時から、告別式は1日午前10時からでいずれも埼玉県上尾市本町1-2-20 セレモニー上尾ホール(電話0487-70-2000)。かけがいのない友人がまた一人、私の前から居なくなりました。悲しい、寂しい。芦澤さん、もう一緒に酒は呑めないのですね。
 
 
新日本プロ40周年パーティー
 
 記念すべき新日本プロレス40周年&ブシロード(新日の親会社)5周年創立記念パーティーは30日午後6時から、東京ドームホテル大宴会場「天空」の間で盛大に行われた。これに先立ちG1クライマックス開幕直前の記者会見が行われた。
 
 棚橋弘至、中邑真輔、天山広吉、小島聡選手ら一堂に揃い開幕へ気炎をあげました。G1CLIMAX22は8月1日後楽園ホールを皮切りに8月12日の国技館での優勝決定戦まで、9日間のサバイバル戦です。
 
 真夏のプロレスの祭典です。どうぞ足を運んでください。発表会の後は宴会に移りました。そこで坂口征二さんの姿を見つけてほっとしました。やはり馴染みの顏を見ないと安心しないものです。記念に1枚スナップを撮りました。新日本プロレスよ、永遠なれです。
 
 
ロンドン五輪 ~開会式は成熟した演出~
 
 ロンドン五輪が開幕しました。開会式をテレビで観ました。3回目の開催とあって成熟した。肩の力を抜いたスマートなセレモニーにで、私には好ましい印象を受けました。聖火の点火も時代を担う若者で、輪が花弁のように次第に広がって、やがて一本の塔になりと、味のあるほのぼのとした情感溢れるものでした。
 
 北京大会ではこれでもかこれでもかというアクロバットのような、大向うを唸らせるアトラクションの連続でした。ハイテクを駆使して、それはそれで見応えがありました。が、何だかオリンピックを利用して世界に中国の偉大さを見せつけようとする意図が明白でした。
  
 確かにロンドンでも産業革命のアトラクションでも巨大な煙突が迫出してきて、おお!と唸りましたが歴史的事実として捉えることができました。あの場面、工場から飛び出した鉄の輪が、瞬時に五輪のマークになって、花火を噴きだす仕掛けには舌を巻きました。
 
 産業革命は18世紀後半イギリスに興り、同時に現在の資本主義体制というものが確立したのですから、これを開会式のセレモニーに入れたのは全く以て、正鵠を得るものでした。
 
 私のベッカムはいずこ?と見守っていたら、ヘリから降ろされた聖火を受け取るボートの船上にいました。黒のスーツをビシリときめてテムズ河を滑るようにいきました。上空からの光景はまるで七色の光彩を放つ火の鳥に見えました。ベッカムをより効果的な場面で起用してくれたことに、私は得心しました。
 
 締め括りにポール・マッカトーニーが登場して、ヘイ・ジュードの曲をピアノで演奏しかつ繰り返し熱唱したのは感動ものでした。やっぱりビートルズを最後に持ってきたのが、憎いですね。ビートルズは英国のシンボルみたいだから。ヘイ・ジュードを選手たちが合唱したシーンはジーンときたね。♪やるのは君自身なんだ、君が求める動きは君自身が背負っている…。
 
 スタジアムが光の海に浮かぶが如く変幻自在に変化、併せて花火の洪水の華々しさは、見事な演出であった。歴所と伝統をが息づく手法は、ユニオンジャックの底地からをそれとなく表していたと思う。大英帝国の幻影、感じました。
 
 
~五輪には魔物が棲む~
 
 さて競技、絶対ゴールドの前評判の高い体操陣が、苦戦しているさまを見ると、まさにオリンピックには魔物が棲んでいる、と実感してしまう。あの内村航平がこけた、とあれば尚更なこと。やはり内村も人の子プレッシャーに押しつぶされるのだ。
 
 サッカーは男女とも滑り出し好調のようだ。外国人コンプレックスがなくなって、自然体でプレーができるようになっている。優勝は正直難しいような気がするがどうであろう…勿論優勝を願っているが、オリンピックで優勝することは簡単な事ではないということです。
 
 
~三宅宏美の銀メダル~
 
 私が称賛したいのは重量挙げの三宅宏美選手。48㌔級で銀メダルを獲得した。勿論日本女性初、8年越しの執念のメダルである。父・義行さんがメキシコの銅メダリスト。伯父・義信さんは、東京、メキシコ両開催の金メダリスト。重量挙げの名門の血が、26才にして開花したのです。
 
 一見単純そうな競技程奥深いものだ。或いは単調な稽古の繰り返しかも知れない。その単調な稽古に耐えるのが難しい.将棋の羽生名人はいう。「才能とは何かと問われれば、十年、二十年同じ姿勢で同じ情熱を傾けられる力のことだと思う」
 三宅宏美の銀メダルはそのようなものだと。彼女のジャーク108㌔に成功したときの表情は、何と美しいことか。私はそれを報じた写真に見惚れた。老人(私)は君に恋をしました。苦労が報われて良かったね、本当に。おめでとう!
 
 100㍍平泳ぎでは北島康介が5着に終わった。北島とて人間、いくら科学的トレーニングを取り入れても肉体の衰えは、如何ともし難い。御苦労さんと言いたい。200㍍もあるから、まだ望は有るが…。200㍍で例えメダルを獲得できなくても、彼の足跡は未来永劫です。
 
 
イチローと松井の明暗
 
 イチローが電撃のヤンキース移籍には吃驚しました。ビジネスライクというか、鮮やかというか流石大リーグと感じたのは入団発表のその日にもうヤンキースのユニフォームでマリナーズの球場でプレーしていたことです。
 
 11年にわたり在籍したマリナーズのイチローの歴史が、1日で清算されてしまったのですから驚く現象です。ヤンキースのホームゲームではイチローのピンストライブのユニフォーム姿が見られます。
 
 ジーター、A・ロッド、カノなどのスタープレーヤーが犇めく同球団でイチローの俊足、守備、打撃が今以上に花開くことを念願する次第です。ここ数年下位球団に低迷するマリナーズから、常に世界一の宿命を背負わされる名門ヤンキース。
 
 
~松井はいまこそユニフォームを脱ぐとき~
  
 イチローのモチベーションもさぞや上がると期待されます。松井がヤンキースから消えて寂しい思いをしてきましたが、またテレビを見るのが楽しみになりました。しかし、イチローとて、成績が振るわなければ即お払い箱になる。厳しい球団です。
 
 残念なことに松井秀喜はレイズから戦力外通告を受けました。膝の故障も完治していないようです。不振に喘ぐ松井を我がことのように見守ってきました。今後どうするのでしょう?巨人復帰の噂もありますが、私は反対です。アメリカに残って本場の野球経営などじっくり学んでほしいと願うのです。
 
 遅れている日本野球界の真のリーダーになるための修業をしてください。貴方のような豊かなキャリアをもった野球人に、日本のプロ野球の未来を託したいのです。繰り返します、松井はいまこそユニフォームを背広に替えるときです。貴方には、将来日本プロ野球のコミッショナーになって欲しいのです。
  
  
露地栽培日記
 
 畠も連日の猛暑で、野菜もげんなりです。朝夕水撒きに通っています。人間も小まめに水を飲まないと熱中症になりますが、全くそれと同じです。
 
 ミニトマトは強烈な日差しの恩恵を受け毎日完熟状態で、我家の食卓を彩っています。胡瓜は新たに7月の始めに植えたものが、急速に成長して、収穫ができるまでになりました。茄子はまだ盛りです。
 
 先日、サンチェとキャベツ、サラダ菜、それと茄子の種を蒔きました。防護網もかってきたので、今度は虫に荒らされないように万全の態勢なのですが、どうでしょうか、猛暑で生育が心配です。
 
 ゴーヤも今週収穫できました。肥料を豊富に入れたので大きなものが実って満足です。フェンス脇に植えた向日葵も、すくすく伸びて風になびき大きな花が2輪咲きました。これから次々に咲いて道行く人が楽しんでくれるといいなと思うのです。
 
 
新日本プロレス40週年&ブシロード5周年記念の会場風景

舟木昭太郎の日々つれづれ

坂口征二さんと記念のスナップ
舟木昭太郎の日々つれづれ  

壇上に勢揃いしたG1CLIMAXに出場する選手達。

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中井幹雄氏の写真展


舟木昭太郎の日々つれづれ-中井写真展

「ボクシング・ビート」誌の試合世界戦やチャンピオンのポートレートでお馴染みのカメラマン中井幹雄さんの写真展「ベトナムの年輪」(中部高原の少数民族=中央区入船 入船サイト1Fアートスペースモーター7月20日~25日)を鑑賞してきました。24日午後。

 ボクシングを撮らせたら日本一といわれ選手、ジム会長が絶大な信頼を寄せる中井さんが、長年にわたりベトナムの少数民族を撮り続けていたことは初めて知って、驚きました。こんな裏ワザがあるとわね。

 少数民族の老男女ばかりがパネルで壁に飾ってある。白黒の写真、被写体は顏のアップだけ。80才から90才のお年寄りは顔の皺一本一本に苦難の歴史を感じた。ベトナム戦争ではアメリカ軍の斥候として徴用され戦後は政府の監視下に置かれ、少数民族故の悲哀を味わい続けているという。

 物言わぬ表情はかく語りかけているかのようだ。中井カメラマンの意図するところも、或いは歴史の襞をその表情から表現しようとしているのかもしれない。味わい深い写真展でした。

 さあ、いよいよロンドンオリンピック開幕です。思い切り楽しみましょう!

ダルと黒田両投手の活躍

 大リーグはダルビッシュ有と黒田博樹両投手が頑張っている。レンジャーズ所属のダルは現在(7月23日現在)11勝6敗、防御率3.88、奪三振132、与四球61の成績。

 片や黒田投手は名門ヤンキースで、現在までに9勝7敗、防御率3.46、奪三振94、与四球33の成績。防御率ではダルを上回る。25才のダルにたいして、37才の黒田、地味で目だった存在ではないが、コーナーに正確に投げ分ける投球でア・リーグの強打線を抑えている。

 いまや黒田はヤンキースに、なくてはならない存在である。これから熱い夏本番で投手には不利な季節に入るが、二人には怪我をせずシーズンを全うして欲しいと願う。夢はア・リーグの優勝決定戦で投げ合う姿
を見たいものである。

 心配なのはやはりレイズに入団した松井秀喜だ。入団草々は2ホーマーと目をみはらせたものの、現在まで打率149.低迷している。ゴジラよ、覚醒せよである。レドソックス松坂大輔投手も光明が見えてこない。

 大リーグで生き残ることは並大抵ではない。もがき、耐え、苦闘する日本選手たちからいつも私は、大いなる勇気をもらう。改めて感謝!

 
地元の夏祭り

 21日(土曜)は16時から地元西原商店街の夏祭りに参加、ボランテアでたこ揚げ(タコ焼きならず、油で揚げたもの)の売り子で参加した。曇り空で心配された天気も、なんとかもって予定個数を売り切った。

 いつも思うのだが、子供たちが雲霞の如く商店街通りを埋め尽くすこと。少子化なんて嘘じゃないかと我目を疑う。阿波踊りが通りを練り歩く姿は、鉦、太鼓の音と共にいいものである。夏の到来を実感させてくれる。2日間にわたって開催されたが、今年は1日だけ参加した。


舟木昭太郎の日々つれづれ-地元祭り









地元西原商店街の夏祭り風景。


ミスターゴングの墓

 戻り梅雨のような天気の21日(土曜)に、5月3日65才で死去した元日本スポーツ出版社社長竹内宏介氏のお墓詣りに調布に出向きました。自宅に伺ったのは11時頃で、繁子夫人が快く迎えてくれました。

 静かな住宅街に建つ家には、こんにちは、お邪魔しますと玄関入るといまにも主が二階の仕事部屋からトントンと階段を降りてくる気配がしました。

 夫人に先ず仏壇がある居間に案内されて、あの葬儀でも飾られていた遺影に手を合わせました。私に語りかけるような、自然な笑顔、いい写真です。ひとしきり昔話したあと、夫人運転の車でお墓に移動しました。娘さんも御一緒してくれました。

 その墓地は最近分譲されたばかりのもので、竹内家から車で5分以内という至近距離にありました。良く管理が行き届いた箱庭の如き霊園です。お墓はほぼ中央に佇んでおりました。黒い御影石の墓には「ミスターゴング」と刻まれていました。

 碑(いしぶみ)はただそれだけでした。何とシンプルでしょう。よくぞかくも研ぎ澄まされた言葉を考え出してくれたと、私は正直驚嘆いたしました。誰かアドバイサーが居たのですか、と繁子夫人に尋ねました。


舟木昭太郎の日々つれづれ-竹内墓参り

竹内宏介氏のお墓。
墓石には「ミスターゴング」と刻まれてあった。


繁子夫人のアイデア


 夫人は語りました。私の独断でやりましたが、何か問題があったでしょうか?一瞬顔を曇らせて私を見つめました。ええ、とても素晴らしいですよ、故人も天国でさぞ喜んでいる事でしょう。私は感に堪えず不安気な夫人に答えました。

 故人にぴったりの語句です。これほどあなたに相応しい言葉は見当たりません。繁子夫人に一本取られた思いです。タケさん、奥さんを褒めてやって下さい。

 紛れも無く世界に一つの墓です。永遠不滅の言葉とは、この種のことをいうのでしょう。「ミスターゴング」はまさにあなただけが許される称号です。私は墓前に近づき、タケさん、来たよ、と語り掛けました。

 持参した花を夫人の手を煩わせながら墓前に供え、焼香して手を合わせました、その瞬間に、雨が激しく落ちてきました。慌てて私たちは霊園を離れました。

 あの慌ただしい雨はもしかして、週刊ゴングの廃刊を阻止できなかった無念の涙だったのでしょうか…。タケさん、今度は晴天の日にあなたの大好なコーラを手に参ります、いや何度でも来ますよ。

 夫人の運転する車は滑るように調布霊園を後にしましたが、何だかタケさんが追いかけてくるように思いて仕方ありませんでした。今日は本当に来てよかった、これほど爽やかな気分に浸ったったのは近来ないことです。


仕事部屋も生前のまま

 前後するが仕事部屋も生前と同じようにしてあった。資料もきちんと整理されており、それが私にはことのほか嬉しかった。夫人にとっても思い出が沢山詰まった部屋なのだろう。壁にはレスラーとのスナップ写真や、サイン色紙が何気なく飾られていた。

 因みに夫人は毎日墓参を欠かさないという。タケさん、あなたは倖せですよ。墓参りのあと、娘さん御夫婦、そして故人が可愛がっていた御孫さん二人も合流して、深大寺そばを頂きました。森閑とした深大寺にしとしと雨が風に流され、とても印象に残る一日でありました。


※先に公開しておりました当ブログに、著しい間違いがありました。
竹内家には大変御迷惑をお掛け致しました。謹んでお詫び申し上げます。

ロンドン五輪まもなく開幕

ロンドン五輪まもなく開幕

 

 第30回ロンドン・オリンピックは7月27日に迫った。四年前の北京はつい昨日であったような気がする。ロンドンは3回目のオリンピックになる。同一国で3度目以上開催の国は英国と米国(4回)だけである。ロンドンは1908年(明治41年)の第4回大会、そして2回目の第14回大会は第二次大戦直後の1948年(昭和23年)であった。

 

 いずれの大会も日本は参加していない。2回目は戦争を引き起こした国としてドイツと共に除外されている。従って日本の代表チームが英国のスタジアムに行進するのは歴史上初めてになる。歴史を振り返ると何かしらジーンと胸に迫るものがある。意外と我々はこの事実について知らない。で、オリンピックの華といえば何と言っても開会式のセレモニー。今回はどんな演出が見られのだろうか。

 

 

英国の歴史絵巻を見たい

 

 18世紀末、イギリスは産業革命で、今日の資本主義経済の仕組みを造りだした国である。ゴルフ、サッカーの発祥の地としてもかの国の歴史は、きらめく星座の如し。イベレストに最初に登頂に成功したヒラリー卿もいる。グレイトブリテンのそうした絢爛たる歴史絵巻を開会式の作品として、是非スクリーンで見たいものである。

 

 そしてそして、忘れてはならないのは、ウイリアム・シェイクスピア

。御承知の如く同国の生んだ不滅の劇作家・詩人。4大悲劇「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」の作者といえば分かり易い。ロミオとジュリエット、ベニスの商人、夏の夜の夢…あとからあとから出てくる。

 

 シェイクスピアの戯曲を軸にイギリスが歩んできた道をプレイバックするのも味がある。産業革命の頃に遡って現代のロンドンの殷賑に、スポーツ、文化を織り込んだもの。演出を勝手にプロデュースして私は、一足先に開会式を楽しんでいるのです。


 

エリザベス女王在位60周年

 

 聖火台に点火するのはサッカーのベッカム選手だともっぱらの評判であるが、どうなんだろう。彼は金メダリストがやるべきだ、と先般インタビューで固辞しているが…。ベッカムはロンドン五輪招致に大いに貢献した。だからその任に彼は相応しいと私は思うが。

 

 今年はエリザベス女王の在位60周年、その記念すべき年にオリンピックを迎えることは御同慶の至りである。エリザベス女王が開会を宣言して、大会の幕は開く。ファンファーレが鳴る…かくて17日間(7月27日~8月12日)世界のアスリート達の極限の戦いは始まる。

 

 私が注目する競技に陸上100mがある。ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が人類最速の男になれるか。北京に続きゴールドメダルを手中にできるかだ。ボルトは200も制してカール・ルイス以来の2冠王者だったが、再現できるかも関心がある。ジャマイカVSアメリカの400mリレーもみものだぜ。アメリカのリベンジなるかです。


 

ボルトは100m連覇できるか

 

 NHKテレビでボルトの走りに科学的にメスを入れた番組をみた。驚いたことに彼の背骨は曲がっている(病名=脊髄側弯症)。本来ならアスリートにはなれない体だと専門家は言う。

 

 走りで肩が上下に大きく揺れるフォームなのも背骨が曲がっているためだと。その欠陥を過酷なトレーニングによってプラスに変えてトップアスリートに登りつめたボルト。

 

 背骨の曲がりは肉体の色んな所に影響を及ぼしていて、いつ何時肉離れや致命的な怪我になるかも知れないというが、その危惧を強靱な筋肉を養うことで肉離れ等の発症からガードしているのだそうだ。

 

 欠点をプラスに転じ北京では30年は破られぬといわれた、9秒7のレコードをあっさり突き破り9秒69の世界新で優勝した。人間克己心が大事だよ、ボルトはそう我々に問いかけている。

 

 25才、195cm、99.89kg、サイボーグのような肉体が大きなストライドでゴールを駆け抜けるボルトの歓喜の見たいものだ。が、ジャマイカにはパウエル、ブレークといった金を狙う強敵も存在する。

 

 加えてアメリカ勢も不気味、特にタイソン・ゲイは侮れない。人類最速を決める戦いは、未曾有のデット・ヒートになりそうだ。だからオリンピックは最高の夢舞台なのです。


 

じゃが芋を収穫しました

 

 露地栽培のじゃが芋を16日に収穫。3月21日に苗を植えたメリークイーン。二畝だけを掘り起こしたら、今回は肥料(主に牛糞)を大量に土に混ぜたせいか、規格外に大きく育ってしまった。

 

 早速、朝食に蒸かしてみた。味は悪くはない。むしろ甘い。家内も、いいんじゃないの。メリークイーンは男爵のようにホクホクにはならないの、と講釈を聞かされた。

 

 味はそこそこいけるなら、近所のお世話になっている方々にお裾分けしても大丈夫。これから配るつもりだ。で、この日は午前中からかんかん照り、あと二畝残っているが諦めた。脳梗塞が怖い!
舟木昭太郎の日々つれづれ


 

 

サッカーファンは必読の本

 

 突然ですが、この本は是非読んでください。特にサッカーファンは必読です。違った角度からサッカーの面白さが味わいます。「サッカー審判員フェルティヒ氏の嘆き」(トーマス・ブルスィヒ著、粂川麻理生訳

=発売・三修社 定価1800円+税)です。

 

 サッカー小説ですが、主人公はFIFA公式審判員。全編独白によって構成されている。例えばピッチではいろんなことが起こる。スポーツの問題が、ときとして演劇の問題にもなる。「あいつは反則をした!」という芝居、「いや、やっていない」という芝居。

 

 「フリーガン・スタンドにはたいてい屋根がついているが、これは雨よけじゃない。騒音をよく響かせるためだ。フリーガンが集まるスタンド前にはマイクが設置されている。スピーカーでフリーガンの騒音を増幅させ、煽るためだ。BGMまで付いて流れるんだ」

 

 選手が引退するのは多くは靭帯を切断したり、半月板が外れた利したからではなくその騒音によって視聴覚障害になったためである…のくだりは腹を抱えたくなる。

 

 審判は九十分の間だけホイッスルで統治する。他の人間は一様に無力だ。俺がゴールといえばゴールなのだ。審判がサッカーに対してできる貢献で、誤審以上のものはないんだ、云々。兎に角アイロニーに満ちて愉快だ。

 

メルケル首相もお気に入り

 

 「八方の荒れ狂う連中にブーイングされ、糞野郎と野次られ、脅されても彼らの前で自らをしっかり保てることが審判為し得る最高にして最も偉大なる仕事…云々」と開き直り、ある時はのど元にマイクを突き付けるレポーターを最もくだらない生き物とこき下ろす。

 

 全編まったく改行がなくて、最初はそれだけで気が滅入ってしまうが、次第にその流れるような独白感が実感できるのだ。翻訳者・粂川さんは元ワールド・ボクシング編集部に在籍して、現在は慶応大学文学部教授。私とは旧知のなかである。翻訳も流れるようにリズムがあって読みやすい。

 

 メルケルドイツ首相のお気に入りの1冊だそうである。私は再度読み始めた。きっとさらに審判員の嘆きがよく分かるような気がします。今月は佐野眞一著「渋沢家三代」「鳩山家の金脈と人脈」の圧倒的な取材力に感銘しましたが、この「サッカー審判員 フェルティヒの嘆き」にはとことん楽しめました。ユーモア溢れる一流の小説です。