ありがとう、そしてさようなら山下書店/真樹先生を偲ぶ会の日程/他 | 舟木昭太郎の日々つれづれ

ありがとう、そしてさようなら山下書店/真樹先生を偲ぶ会の日程/他

・後楽園 山下書店の閉店に寄せて
 
 ~山下書店がゴング週刊化に一役~ 
 ~創刊はしてみたけれど~ 
 ~山下書店への10ゴング~
 
・真樹先生を偲ぶ会の日程
 
・東京鮫川会に出席して

 


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後楽園・山下書店の閉店に寄せて
 
 後楽園ドーム園内で永年親しまれた山下書店が、1月29日店を閉じた。後楽園と言えば、巨人のフランチャイズ、ドーム球場、格闘技のホール、そして競馬の場外馬券売り場を持つスポーツの一大テーマパーク。
 
 山下書店はこれらのスポーツ専門書を網羅した店としてそれぞれのマニアには重宝がられた。私は格闘技ゴングの編集者として約30年余に亘り携わってきたので、閉店には人一倍感慨が深い。
 
 週刊ゴング、ワールドボクシング、ゴング格闘技といずれも創刊をプロデュースしてきたが、創刊号が出た日は必ず山下書店に足を運んで、店頭に高々と平積されている自社本を見ては、感激したものである。
 
 会社が白山で後楽園は近いこともあり、日によっては2回も3回も覗きに行き、売れ行きを見定めては一喜一憂した。プロレスのビックマッチを速報した増刊号は、特に気になって足を運んだ。
 
 出勤前に立ち寄っては、ライバル誌(週刊プロレス)と自社(週刊ゴング)の置いてある部数を目算しては、夕方またお互いの売れ具合を確認しにくるという、何だか子供染みた事もした。
 
 
~山下書店がゴング週刊化に一役~
 
 1984年(S59年)4月に週刊ゴングは創刊したが、ここで後楽園山下書店は、我社(日本スポーツ出版社)に歴史的な役割を果たす事になるが、余人は知らない。週刊を創刊するかどうか社内では連日、小田原評定を繰り返す中、創刊を決める手立てとなったのが実は山下書店であった。
 
 ’84年に自社ビルを新築した我社は、会社の稼ぎ頭だった月刊ゴングと別冊ゴングが週プロの出現で、売上はジリ貧の一途を辿っていた。別冊ゴングは隔週発売だったが、それでも週刊のスピードには敵わなわず、一刻も早い週刊化が急がれた。
 
 それでも社内の空気は「もし失敗したら会社が無くなってしまう」という守勢派が大勢を占め週刊化構想は宙に浮いていた。私は常々「柳の下にはドジョウは2匹いるが、3匹はいない。もし3番手になるようなら、編集長は引き受けない」と会社側に明言していた。
 
 当時「ビックレスラー」も週刊化を虎視眈々と狙っていた。このまままでは機を逸すると焦った私は、密かにアルバイトを雇って週プロの売れ行き調査を始めた。我が目で実売数を確かめその結果を役員会に提出し、具体的な数字で説得をしようと試みた。
 
 ここで登場するのが山下書店。調査対象書店のトップに挙げて、重点的にチェックさせた。アルバイトの学生は幸いにも店員に気に入れられたのか、お店側の協力で詳細な売上データを聞き出してきた。
 
 お蔭で、発売当日、3日後、そして1週間後の週プロの搬入数と実売数をほぼ完全に掴むことができた。かくして1か月間のデータが役員会に提出された。
 
 その数字は我々の予想を遥かに越えた良いものであったがために、反対していた役員もグーの音も出ず、一気に週刊化の流れに傾いた。書泉ブックマートなど5店舗に絞って行われた極秘の調査だったが、山下書店の調査報告が際立っていて、結果的にはこれが決め手になった。
 
 
~創刊はしてみたけれど~
 
 余談だがこうして難産の末に創刊された週刊ゴングだったが、いざ発刊してみると多難を極めた。半年で7000万の赤字を出した。反対派役員は、それ見たことかと冷笑した。
 
 1年先行した週プロは勢いを増しわが誌を寄せ付けず、週ごとに部数を落として行った。げに風前の灯だった。私は青くなった。されど神風が吹いた。
 
 長州維新軍が「全日本プロレスに参戦す」のスクープ記事を機に、雑誌は堰を切ったように売れ出した。全日に強いゴングは猛然と巻き返しに転じたのだ。
 
 12月決算で、それまでの7000万の累積赤字が、3000万の黒字に転じた。この時初めて私は勝負して良かったと胸を撫で下ろした。結局初代編集長は3年弱務め後任に託した。
 
 後はプロレスの権威竹内宏介率いるゴング軍団がそのプロレス本作りのノウハウを発揮して、やがて週プロと抜きつ抜かれつのデットヒートを展開して行った。振り返れば熱い、痺れるような黄金の日々であった。
 
 
~山下書店への10ゴング~
 
 思えば無我夢中だった。週刊なしには会社が存続しないとただ使命感に燃え突っ走った。雑誌が軌道に乗って、私の一世一代の勝負は終わったが、振り返れば、週刊化への引き金を引いた瞬間に私の役目は済んでいたのかも知れない。兎に角私に運があったとしか言いようがない。
 
 ’84年4月に創刊した週刊ゴングは’07年3月14日を最終号として休刊した。足掛け23年、残念な結果ではあるが、プロレス専門誌として一時代を築いた事は間違いない事実である。後楽園山下書店は閉店し、週刊ゴングも既にない。この話はもう時効である。
 
 少々長くなったが我社と我命運をも左右した後楽園山下書店の閉店は、かくの如き秘話をもってしても、他人事と思えない。

故に、ありがとうそしてさようなら、山下書店よ!


私はあなたのために、心からの10ゴングを鳴らします。
 
 
真樹先生を偲ぶ会の日程
 
 去る1月2日逝去した真樹日佐夫氏の偲ぶ会が2月4日13時~15時に東京・青山の青山葬儀場で行われることが決まった。主催は国際空手道連盟一門。突然の同氏の死亡はいまだ信じられないが、当日は真樹先生にゆかりのある方が各方面からくるだろうから、大いにかたり合い偲んできたい。
 
供花についの問合せは、佐久間本店へ。
電話03-3482-1467 FAX03-3484-4848。
 
 
東京鮫川会に出席して
 
 28日(土)、我村福島県鮫川村の新年会を兼ねた「東京鮫川会総会」が新宿住友ビルホールで開かれた。私は12年ぶりに出席した。拙宅の近に住む中学時代の恩師小滝陽子先生と出掛けた。
 
 受付で村企画調整課の石井智子さんに声を掛けられた。メールではやり取りさせてもらっているが、言葉を交わすのは初めて。想像していたよりも背が高くスレンダーな美人方なので正直驚いた。
 
 石井さんは、一昨年と昨年「東京鮫川会会報」に私が記事を寄稿し、拙文を綺麗に纏めて下さった。優秀な職員で、常々私は頼もしく感じていた。初めてお会いしお話して、それが間違いないことを確信した。
 
 総会のアシスタントとしても議題進行役をテキパキとこなしていた。彼女のような能吏が村役場で働いているとは、誠に嬉しい。総会の後には新年会があり、村からバスで上京した村長や議員各氏と懇談した。
 
 中には村会副議長を務める中学時代の坂本君や、会の副会長市川君、監査役の生田目君も集いさながら同級会で、小滝先生を交えてしばし交歓した。まさに、故郷の訛懐かしの趣であった。

 

 

中学時代の恩師小滝先生と
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同級生の坂本君(左)と再会。

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