業界の旧友と一夕飲み会/私の酒遍歴/他
・業界の旧友と一夕飲み会
・恰好よかった嵐田社長
・私の憩のひととき
・私の酒遍歴
・焼酎は伊佐美、酒は菊姫
業界の旧友と一夕飲み会
9日は新宿のすし店「加賀」で顏馴染みの神村栄一、榎本浩、それにお店を紹介してくれた、お世話になっている同じ福島出身の引地昭一の各氏が集い、気の合う者同士で一夕を愉しんだ。
神村、榎本の両氏は昭和45年当時からの知己であり”戦友”である。プロモーターと取材方で共に仕事を通じて鎬を削った仲。かつてキックボクシングが盛んだったころ協同プロモーション(嵐田三郎社長)という業界に二人は籍を置いていた。キックの興業を主宰する会社である。
沢村忠を擁する野口プロモーション(野口修社長)はTBSと組んで一大キックブームを起こしていた。これに追随したのが協同プロで、こちらはNTVと組んだ。同じく岡村プロモーション(岡村光晴社長)が創設されて、東京12(現テレ東)と手を組んだ。各テレビ局がゴールデンタイムにキックボクシングを競った。嘘のような時代だった。
やがて協同と岡村両プロは全日本キックボクシング連盟という統一団体を作りその一翼を担っなった。昭和46年のことである。因みに当団体の初代コミッショナーに就任したのが石原慎太郎さん。
昭和45年~47年は振り返ればキックの黄金時代だった。TBSに追いつき追い越せと全日本系は牙を剥き、負けじとTBSは沢村を旗頭に、ビックマッチを連発して火花を散らした。
私はフリーのライターを経て日本スポーツ出版社に入社(46年)し、希望通り格闘技専門誌ゴングに配属された。キックボクシングが三度の飯より好きだったので、本願成就のおもいであった。
ボクシングやプロレスも取材したが、担当はキックとボクシングで毎日が楽しくお盆も正月もなく取材と編集に明け暮れた。思えば私のサラリーマンの躍動期であった。旧懐の情なお強しだ。
因みに神村さんは大山空手(極真空手の前身)創成期の重鎮、協同プロを経て、新空手組織を立ち上げた。K-1を旗揚げするときに、石井館長に乞われその名称(K-3という名称で大会を開催していた)をあっさりと譲った。但し一隅にあったK-3を石井館長は、K-1として開花させた。
恰好よかった嵐田社長
話は戻り、こういう私の躍動の時代に付き合いを頂き、かついままで変わらずに友達付合いができるのは、まさに素晴らしきかな人生である。この夜は杯を重ねて、キックの来し方行く末を大いに語り合った。
余談だが、協同プロの親会社はキョードという音楽家やタレントの呼びや(招聘元)で、ビートルズなど大物タレント、スポーツ選手は悉く同社の手になるものだ。
フアッションモデルのツイッギーが羽田に来日(S43年10月)した際に、タラップ下まで行って、ミニスカートのこの妖精をエスコートしたのは他でもない嵐田社長。
テレビで見て嵐田さんは恰好いいな、と感じたが、その後何度かお会いした。いつもニコニコした紳士だった。日本全体が活力ある、良き時代であったと思う。
私の憩のひととき
代々木上原駅の構内”アコルデア”の一角にあるスターバックスは私の好きな場所である。睡魔が襲う午前中にふらりと出掛ける。大概、山本一力の文庫本を手にする。
ここの従業員の挨拶は極めてよい。客をもてなす挨拶も心がこもっていて、すこぶる気持ちが和む。私はいつもアメリカン(ホット=320円)をオーダーする。
するときっちり「氷を少し入れるんですね」と覚えていてくれる。ホットに氷を落とす変わり者が、吾一人なのか無愛想な私も「有難う」と思わず相好をくずす。
コーヒーの味も美味しい。私はストレート派なので、アメリカン以外は苦くて堪えられない。1時間ほどいて、本を読んで帰ってくる。たまに河岸から帰ってくる田吾作の親方と落合う。読書は倦むことがない。
320円の贅沢、我家では味わえない至福の時間である。今年は何も仕事をしていない。世阿弥に「時の間にも、男時(おどき)と女時(めどき)とてあるべし」という有名な言葉がある。
つまり「女時」には何をやってもダメだから、「男時」が来るのを待って、その時が来たら一気に勝負に出ろ、こんな意味だと察する。能の世界も戦いなのだ。そうは言っても、そろそろ出撃しなくちゃ。
私の酒遍歴
生家が雑貨屋で、煙草以外は何でも売っていた。酒は村一番売る店で小学校時代から自転車で配達に回った。焼酎はアルコール臭く販売していながら、こんな不味いお酒を飲むのかと、馬鹿にした。
今日のように麦や芋を何%というような美味しい代物ではない。販売業者は大きな樽で置いてくから、移し替える作業は一苦労だった。ゴム管を樽に入れて、口で吸い上げねばならない。巧く吸い上げると、あとは自力で焼酎は上がってくる。
お客さんは空の一升壜を持参してくるので、母が忙しいときには私も代行した。巧くできないとゴボッと焼酎が口に溢れて飲んでしまうことがあった。この苦い経験が元で私は、26歳頃まで酒を受付なかった。
日本スポーツ出版社に入ったときコップ一杯のビールも飲めず、先輩にからかわれた。当時編集部で下戸だったのは竹内宏介氏と私だけで、あとは酒豪揃いであったことで、いつしか調教された。
いまは何でも、どんな種類の酒でも飲める。かれこれ30年になるかと思うが赤ワインに凝って、拙宅には似合わないワインセラーまで購入してしまった。ワインのオークションにもでかけ、有り金を叩いて、シャトーマルゴーの’61年ものをゲットして妻に叱られた事もある。
その後シェリー、芋焼酎に凝った。森伊蔵などは天馬(水道橋にあった割烹料亭)で、ごく普通に飲んでいたら急にブレイクして手に入らなくなった。
焼酎は伊佐美、酒は菊姫
一度プロレスの取材で、当時新日本プロレス坂口征二副社長を同店にお招きしたら、伊佐美(鹿児島の芋焼酎)が棚にあるのを見つけ「これこれが一番好きなんだ」と叫んだから頼んだ。取材中から飲んで結局1本空けた。それから私も伊佐美党になった。
最近は日本酒で、なかでも「花泉」(福島・会津)が好みで、ぬる燗や冷酒でほどよく飲む。特に辛口は絶品でやはり会津は米と水がいいからだと得心する。山形の「出羽桜」もずーっと好きだったが、最近は入手難で行きつけの焼き鳥屋に置いていないのが寂しい。
菊正の樽酒もいい。何といっても美味しいのは石川県白山市の「菊姫」である。週刊ゴングで、天竜源一郎と阿修羅原選手が対談にも天馬を選んだ。この時にお二人が飲んだのは「菊姫」の大吟醸、2升。私もこの時に初めて口にした酒で、天使のような味だった。以来飲んではいない。
後日件の料亭から請求書が来て流石に私は唸った。35万円也!、でも経理に持って行ったら、スンナリ降りた。私も既に編集局長だったし、当時週刊の売り上げも良かったから。そんな時代もあった。♪回る回る時代は回る~♪
飲み会で、手前より神村、榎本、引地の各氏、後方私。
お酒「花泉」は私が最近富に気に入っている。
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