訃報名物ライター芦澤清一さん死去/新日本プロレス40周年パーティー/ロンドン五輪/他
・訃報名物ライター芦澤清一さん死去
・新日本プロレス40周年パーティー
・ロンドン五輪
~開会式は成熟した演出~
~五輪には魔物が棲む~
~三宅宏美の銀メダル~
・イチローと松井の明暗
~松井はいまこそユニフォームを脱ぐとき~
・露地栽培日記
訃報名物ライター芦澤清一さん死去
ボクシングの名物ライター(元デイリースポーツ)芦澤清一さんが30日未明肺炎のため逝去されました。享年73才。謹んでご冥福をお祈りいたします。
ボクシングライターとして多大な功績を遺した同氏の死去に際して、長年お付き合いを頂いた私としては、言葉もありません。後日、思い出話など綴りたいと存じます。今日のところは余りにも急な出来事でその
気分にもなれません。
尚、御通夜は31日18時から、告別式は1日午前10時からでいずれも埼玉県上尾市本町1-2-20 セレモニー上尾ホール(電話0487-70-2000)。かけがいのない友人がまた一人、私の前から居なくなりました。悲しい、寂しい。芦澤さん、もう一緒に酒は呑めないのですね。
新日本プロ40周年パーティー
記念すべき新日本プロレス40周年&ブシロード(新日の親会社)5周年創立記念パーティーは30日午後6時から、東京ドームホテル大宴会場「天空」の間で盛大に行われた。これに先立ちG1クライマックス開幕直前の記者会見が行われた。
棚橋弘至、中邑真輔、天山広吉、小島聡選手ら一堂に揃い開幕へ気炎をあげました。G1CLIMAX22は8月1日後楽園ホールを皮切りに8月12日の国技館での優勝決定戦まで、9日間のサバイバル戦です。
真夏のプロレスの祭典です。どうぞ足を運んでください。発表会の後は宴会に移りました。そこで坂口征二さんの姿を見つけてほっとしました。やはり馴染みの顏を見ないと安心しないものです。記念に1枚スナップを撮りました。新日本プロレスよ、永遠なれです。
ロンドン五輪 ~開会式は成熟した演出~
ロンドン五輪が開幕しました。開会式をテレビで観ました。3回目の開催とあって成熟した。肩の力を抜いたスマートなセレモニーにで、私には好ましい印象を受けました。聖火の点火も時代を担う若者で、輪が花弁のように次第に広がって、やがて一本の塔になりと、味のあるほのぼのとした情感溢れるものでした。
北京大会ではこれでもかこれでもかというアクロバットのような、大向うを唸らせるアトラクションの連続でした。ハイテクを駆使して、それはそれで見応えがありました。が、何だかオリンピックを利用して世界に中国の偉大さを見せつけようとする意図が明白でした。
確かにロンドンでも産業革命のアトラクションでも巨大な煙突が迫出してきて、おお!と唸りましたが歴史的事実として捉えることができました。あの場面、工場から飛び出した鉄の輪が、瞬時に五輪のマークになって、花火を噴きだす仕掛けには舌を巻きました。
産業革命は18世紀後半イギリスに興り、同時に現在の資本主義体制というものが確立したのですから、これを開会式のセレモニーに入れたのは全く以て、正鵠を得るものでした。
私のベッカムはいずこ?と見守っていたら、ヘリから降ろされた聖火を受け取るボートの船上にいました。黒のスーツをビシリときめてテムズ河を滑るようにいきました。上空からの光景はまるで七色の光彩を放つ火の鳥に見えました。ベッカムをより効果的な場面で起用してくれたことに、私は得心しました。
締め括りにポール・マッカトーニーが登場して、ヘイ・ジュードの曲をピアノで演奏しかつ繰り返し熱唱したのは感動ものでした。やっぱりビートルズを最後に持ってきたのが、憎いですね。ビートルズは英国のシンボルみたいだから。ヘイ・ジュードを選手たちが合唱したシーンはジーンときたね。♪やるのは君自身なんだ、君が求める動きは君自身が背負っている…。
スタジアムが光の海に浮かぶが如く変幻自在に変化、併せて花火の洪水の華々しさは、見事な演出であった。歴所と伝統をが息づく手法は、ユニオンジャックの底地からをそれとなく表していたと思う。大英帝国の幻影、感じました。
~五輪には魔物が棲む~
さて競技、絶対ゴールドの前評判の高い体操陣が、苦戦しているさまを見ると、まさにオリンピックには魔物が棲んでいる、と実感してしまう。あの内村航平がこけた、とあれば尚更なこと。やはり内村も人の子プレッシャーに押しつぶされるのだ。
サッカーは男女とも滑り出し好調のようだ。外国人コンプレックスがなくなって、自然体でプレーができるようになっている。優勝は正直難しいような気がするがどうであろう…勿論優勝を願っているが、オリンピックで優勝することは簡単な事ではないということです。
~三宅宏美の銀メダル~
私が称賛したいのは重量挙げの三宅宏美選手。48㌔級で銀メダルを獲得した。勿論日本女性初、8年越しの執念のメダルである。父・義行さんがメキシコの銅メダリスト。伯父・義信さんは、東京、メキシコ両開催の金メダリスト。重量挙げの名門の血が、26才にして開花したのです。
一見単純そうな競技程奥深いものだ。或いは単調な稽古の繰り返しかも知れない。その単調な稽古に耐えるのが難しい.将棋の羽生名人はいう。「才能とは何かと問われれば、十年、二十年同じ姿勢で同じ情熱を傾けられる力のことだと思う」
三宅宏美の銀メダルはそのようなものだと。彼女のジャーク108㌔に成功したときの表情は、何と美しいことか。私はそれを報じた写真に見惚れた。老人(私)は君に恋をしました。苦労が報われて良かったね、本当に。おめでとう!
100㍍平泳ぎでは北島康介が5着に終わった。北島とて人間、いくら科学的トレーニングを取り入れても肉体の衰えは、如何ともし難い。御苦労さんと言いたい。200㍍もあるから、まだ望は有るが…。200㍍で例えメダルを獲得できなくても、彼の足跡は未来永劫です。
イチローと松井の明暗
イチローが電撃のヤンキース移籍には吃驚しました。ビジネスライクというか、鮮やかというか流石大リーグと感じたのは入団発表のその日にもうヤンキースのユニフォームでマリナーズの球場でプレーしていたことです。
11年にわたり在籍したマリナーズのイチローの歴史が、1日で清算されてしまったのですから驚く現象です。ヤンキースのホームゲームではイチローのピンストライブのユニフォーム姿が見られます。
ジーター、A・ロッド、カノなどのスタープレーヤーが犇めく同球団でイチローの俊足、守備、打撃が今以上に花開くことを念願する次第です。ここ数年下位球団に低迷するマリナーズから、常に世界一の宿命を背負わされる名門ヤンキース。
~松井はいまこそユニフォームを脱ぐとき~
イチローのモチベーションもさぞや上がると期待されます。松井がヤンキースから消えて寂しい思いをしてきましたが、またテレビを見るのが楽しみになりました。しかし、イチローとて、成績が振るわなければ即お払い箱になる。厳しい球団です。
残念なことに松井秀喜はレイズから戦力外通告を受けました。膝の故障も完治していないようです。不振に喘ぐ松井を我がことのように見守ってきました。今後どうするのでしょう?巨人復帰の噂もありますが、私は反対です。アメリカに残って本場の野球経営などじっくり学んでほしいと願うのです。
遅れている日本野球界の真のリーダーになるための修業をしてください。貴方のような豊かなキャリアをもった野球人に、日本のプロ野球の未来を託したいのです。繰り返します、松井はいまこそユニフォームを背広に替えるときです。貴方には、将来日本プロ野球のコミッショナーになって欲しいのです。
露地栽培日記
畠も連日の猛暑で、野菜もげんなりです。朝夕水撒きに通っています。人間も小まめに水を飲まないと熱中症になりますが、全くそれと同じです。
ミニトマトは強烈な日差しの恩恵を受け毎日完熟状態で、我家の食卓を彩っています。胡瓜は新たに7月の始めに植えたものが、急速に成長して、収穫ができるまでになりました。茄子はまだ盛りです。
先日、サンチェとキャベツ、サラダ菜、それと茄子の種を蒔きました。防護網もかってきたので、今度は虫に荒らされないように万全の態勢なのですが、どうでしょうか、猛暑で生育が心配です。
ゴーヤも今週収穫できました。肥料を豊富に入れたので大きなものが実って満足です。フェンス脇に植えた向日葵も、すくすく伸びて風になびき大きな花が2輪咲きました。これから次々に咲いて道行く人が楽しんでくれるといいなと思うのです。
新日本プロレス40週年&ブシロード5周年記念の会場風景
壇上に勢揃いしたG1CLIMAXに出場する選手達。
DVD 『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部 絶賛発売中!!
中井幹雄氏の写真展
「ボクシング・ビート」誌の試合世界戦やチャンピオンのポートレートでお馴染みのカメラマン中井幹雄さんの写真展「ベトナムの年輪」(中部高原の少数民族=中央区入船 入船サイト1Fアートスペースモーター7月20日~25日)を鑑賞してきました。24日午後。
ボクシングを撮らせたら日本一といわれ選手、ジム会長が絶大な信頼を寄せる中井さんが、長年にわたりベトナムの少数民族を撮り続けていたことは初めて知って、驚きました。こんな裏ワザがあるとわね。
少数民族の老男女ばかりがパネルで壁に飾ってある。白黒の写真、被写体は顏のアップだけ。80才から90才のお年寄りは顔の皺一本一本に苦難の歴史を感じた。ベトナム戦争ではアメリカ軍の斥候として徴用され戦後は政府の監視下に置かれ、少数民族故の悲哀を味わい続けているという。
物言わぬ表情はかく語りかけているかのようだ。中井カメラマンの意図するところも、或いは歴史の襞をその表情から表現しようとしているのかもしれない。味わい深い写真展でした。
さあ、いよいよロンドンオリンピック開幕です。思い切り楽しみましょう!
ダルと黒田両投手の活躍
片や黒田投手は名門ヤンキースで、現在までに9勝7敗、防御率3.46、奪三振94、与四球33の成績。防御率ではダルを上回る。25才のダルにたいして、37才の黒田、地味で目だった存在ではないが、コーナーに正確に投げ分ける投球でア・リーグの強打線を抑えている。
いまや黒田はヤンキースに、なくてはならない存在である。これから熱い夏本番で投手には不利な季節に入るが、二人には怪我をせずシーズンを全うして欲しいと願う。夢はア・リーグの優勝決定戦で投げ合う姿
を見たいものである。
心配なのはやはりレイズに入団した松井秀喜だ。入団草々は2ホーマーと目をみはらせたものの、現在まで打率149.低迷している。ゴジラよ、覚醒せよである。レドソックス松坂大輔投手も光明が見えてこない。
大リーグで生き残ることは並大抵ではない。もがき、耐え、苦闘する日本選手たちからいつも私は、大いなる勇気をもらう。改めて感謝!
地元の夏祭り
21日(土曜)は16時から地元西原商店街の夏祭りに参加、ボランテアでたこ揚げ(タコ焼きならず、油で揚げたもの)の売り子で参加した。曇り空で心配された天気も、なんとかもって予定個数を売り切った。
いつも思うのだが、子供たちが雲霞の如く商店街通りを埋め尽くすこと。少子化なんて嘘じゃないかと我目を疑う。阿波踊りが通りを練り歩く姿は、鉦、太鼓の音と共にいいものである。夏の到来を実感させてくれる。2日間にわたって開催されたが、今年は1日だけ参加した。
地元西原商店街の夏祭り風景。
ミスターゴングの墓
静かな住宅街に建つ家には、こんにちは、お邪魔しますと玄関入るといまにも主が二階の仕事部屋からトントンと階段を降りてくる気配がしました。
夫人に先ず仏壇がある居間に案内されて、あの葬儀でも飾られていた遺影に手を合わせました。私に語りかけるような、自然な笑顔、いい写真です。ひとしきり昔話したあと、夫人運転の車でお墓に移動しました。娘さんも御一緒してくれました。
その墓地は最近分譲されたばかりのもので、竹内家から車で5分以内という至近距離にありました。良く管理が行き届いた箱庭の如き霊園です。お墓はほぼ中央に佇んでおりました。黒い御影石の墓には「ミスターゴング」と刻まれていました。
碑(いしぶみ)はただそれだけでした。何とシンプルでしょう。よくぞかくも研ぎ澄まされた言葉を考え出してくれたと、私は正直驚嘆いたしました。誰かアドバイサーが居たのですか、と繁子夫人に尋ねました。
竹内宏介氏のお墓。
墓石には「ミスターゴング」と刻まれてあった。
繁子夫人のアイデア
夫人は語りました。私の独断でやりましたが、何か問題があったでしょうか?一瞬顔を曇らせて私を見つめました。ええ、とても素晴らしいですよ、故人も天国でさぞ喜んでいる事でしょう。私は感に堪えず不安気な夫人に答えました。
故人にぴったりの語句です。これほどあなたに相応しい言葉は見当たりません。繁子夫人に一本取られた思いです。タケさん、奥さんを褒めてやって下さい。
紛れも無く世界に一つの墓です。永遠不滅の言葉とは、この種のことをいうのでしょう。「ミスターゴング」はまさにあなただけが許される称号です。私は墓前に近づき、タケさん、来たよ、と語り掛けました。
持参した花を夫人の手を煩わせながら墓前に供え、焼香して手を合わせました、その瞬間に、雨が激しく落ちてきました。慌てて私たちは霊園を離れました。
あの慌ただしい雨はもしかして、週刊ゴングの廃刊を阻止できなかった無念の涙だったのでしょうか…。タケさん、今度は晴天の日にあなたの大好なコーラを手に参ります、いや何度でも来ますよ。
夫人の運転する車は滑るように調布霊園を後にしましたが、何だかタケさんが追いかけてくるように思いて仕方ありませんでした。今日は本当に来てよかった、これほど爽やかな気分に浸ったったのは近来ないことです。
仕事部屋も生前のまま
前後するが仕事部屋も生前と同じようにしてあった。資料もきちんと整理されており、それが私にはことのほか嬉しかった。夫人にとっても思い出が沢山詰まった部屋なのだろう。壁にはレスラーとのスナップ写真や、サイン色紙が何気なく飾られていた。
因みに夫人は毎日墓参を欠かさないという。タケさん、あなたは倖せですよ。墓参りのあと、娘さん御夫婦、そして故人が可愛がっていた御孫さん二人も合流して、深大寺そばを頂きました。森閑とした深大寺にしとしと雨が風に流され、とても印象に残る一日でありました。
※先に公開しておりました当ブログに、著しい間違いがありました。
竹内家には大変御迷惑をお掛け致しました。謹んでお詫び申し上げます。
ロンドン五輪まもなく開幕
ロンドン五輪まもなく開幕
第30回ロンドン・オリンピックは7月27日に迫った。四年前の北京はつい昨日であったような気がする。ロンドンは3回目のオリンピックになる。同一国で3度目以上開催の国は英国と米国(4回)だけである。ロンドンは1908年(明治41年)の第4回大会、そして2回目の第14回大会は第二次大戦直後の1948年(昭和23年)であった。
いずれの大会も日本は参加していない。2回目は戦争を引き起こした国としてドイツと共に除外されている。従って日本の代表チームが英国のスタジアムに行進するのは歴史上初めてになる。歴史を振り返ると何かしらジーンと胸に迫るものがある。意外と我々はこの事実について知らない。で、オリンピックの華といえば何と言っても開会式のセレモニー。今回はどんな演出が見られのだろうか。
英国の歴史絵巻を見たい
18世紀末、イギリスは産業革命で、今日の資本主義経済の仕組みを造りだした国である。ゴルフ、サッカーの発祥の地としてもかの国の歴史は、きらめく星座の如し。イベレストに最初に登頂に成功したヒラリー卿もいる。グレイトブリテンのそうした絢爛たる歴史絵巻を開会式の作品として、是非スクリーンで見たいものである。
そしてそして、忘れてはならないのは、ウイリアム・シェイクスピア
。御承知の如く同国の生んだ不滅の劇作家・詩人。4大悲劇「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」の作者といえば分かり易い。ロミオとジュリエット、ベニスの商人、夏の夜の夢…あとからあとから出てくる。
シェイクスピアの戯曲を軸にイギリスが歩んできた道をプレイバックするのも味がある。産業革命の頃に遡って現代のロンドンの殷賑に、スポーツ、文化を織り込んだもの。演出を勝手にプロデュースして私は、一足先に開会式を楽しんでいるのです。
エリザベス女王在位60周年
聖火台に点火するのはサッカーのベッカム選手だともっぱらの評判であるが、どうなんだろう。彼は金メダリストがやるべきだ、と先般インタビューで固辞しているが…。ベッカムはロンドン五輪招致に大いに貢献した。だからその任に彼は相応しいと私は思うが。
今年はエリザベス女王の在位60周年、その記念すべき年にオリンピックを迎えることは御同慶の至りである。エリザベス女王が開会を宣言して、大会の幕は開く。ファンファーレが鳴る…かくて17日間(7月27日~8月12日)世界のアスリート達の極限の戦いは始まる。
私が注目する競技に陸上100mがある。ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が人類最速の男になれるか。北京に続きゴールドメダルを手中にできるかだ。ボルトは200も制してカール・ルイス以来の2冠王者だったが、再現できるかも関心がある。ジャマイカVSアメリカの400mリレーもみものだぜ。アメリカのリベンジなるかです。
ボルトは100m連覇できるか
NHKテレビでボルトの走りに科学的にメスを入れた番組をみた。驚いたことに彼の背骨は曲がっている(病名=脊髄側弯症)。本来ならアスリートにはなれない体だと専門家は言う。
走りで肩が上下に大きく揺れるフォームなのも背骨が曲がっているためだと。その欠陥を過酷なトレーニングによってプラスに変えてトップアスリートに登りつめたボルト。
背骨の曲がりは肉体の色んな所に影響を及ぼしていて、いつ何時肉離れや致命的な怪我になるかも知れないというが、その危惧を強靱な筋肉を養うことで肉離れ等の発症からガードしているのだそうだ。
欠点をプラスに転じ北京では30年は破られぬといわれた、9秒7のレコードをあっさり突き破り9秒69の世界新で優勝した。人間克己心が大事だよ、ボルトはそう我々に問いかけている。
25才、195cm、99.89kg、サイボーグのような肉体が大きなストライドでゴールを駆け抜けるボルトの歓喜の見たいものだ。が、ジャマイカにはパウエル、ブレークといった金を狙う強敵も存在する。
加えてアメリカ勢も不気味、特にタイソン・ゲイは侮れない。人類最速を決める戦いは、未曾有のデット・ヒートになりそうだ。だからオリンピックは最高の夢舞台なのです。
じゃが芋を収穫しました
露地栽培のじゃが芋を16日に収穫。3月21日に苗を植えたメリークイーン。二畝だけを掘り起こしたら、今回は肥料(主に牛糞)を大量に土に混ぜたせいか、規格外に大きく育ってしまった。
早速、朝食に蒸かしてみた。味は悪くはない。むしろ甘い。家内も、いいんじゃないの。メリークイーンは男爵のようにホクホクにはならないの、と講釈を聞かされた。
味はそこそこいけるなら、近所のお世話になっている方々にお裾分けしても大丈夫。これから配るつもりだ。で、この日は午前中からかんかん照り、あと二畝残っているが諦めた。脳梗塞が怖い!
サッカーファンは必読の本
突然ですが、この本は是非読んでください。特にサッカーファンは必読です。違った角度からサッカーの面白さが味わいます。「サッカー審判員フェルティヒ氏の嘆き」(トーマス・ブルスィヒ著、粂川麻理生訳
=発売・三修社 定価1800円+税)です。
サッカー小説ですが、主人公はFIFA公式審判員。全編独白によって構成されている。例えばピッチではいろんなことが起こる。スポーツの問題が、ときとして演劇の問題にもなる。「あいつは反則をした!」という芝居、「いや、やっていない」という芝居。
「フリーガン・スタンドにはたいてい屋根がついているが、これは雨よけじゃない。騒音をよく響かせるためだ。フリーガンが集まるスタンド前にはマイクが設置されている。スピーカーでフリーガンの騒音を増幅させ、煽るためだ。BGMまで付いて流れるんだ」
選手が引退するのは多くは靭帯を切断したり、半月板が外れた利したからではなくその騒音によって視聴覚障害になったためである…のくだりは腹を抱えたくなる。
審判は九十分の間だけホイッスルで統治する。他の人間は一様に無力だ。俺がゴールといえばゴールなのだ。審判がサッカーに対してできる貢献で、誤審以上のものはないんだ、云々。兎に角アイロニーに満ちて愉快だ。
メルケル首相もお気に入り
「八方の荒れ狂う連中にブーイングされ、糞野郎と野次られ、脅されても彼らの前で自らをしっかり保てることが審判為し得る最高にして最も偉大なる仕事…云々」と開き直り、ある時はのど元にマイクを突き付けるレポーターを最もくだらない生き物とこき下ろす。
全編まったく改行がなくて、最初はそれだけで気が滅入ってしまうが、次第にその流れるような独白感が実感できるのだ。翻訳者・粂川さんは元ワールド・ボクシング編集部に在籍して、現在は慶応大学文学部教授。私とは旧知のなかである。翻訳も流れるようにリズムがあって読みやすい。
メルケルドイツ首相のお気に入りの1冊だそうである。私は再度読み始めた。きっとさらに審判員の嘆きがよく分かるような気がします。今月は佐野眞一著「渋沢家三代」「鳩山家の金脈と人脈」の圧倒的な取材力に感銘しましたが、この「サッカー審判員 フェルティヒの嘆き」にはとことん楽しめました。ユーモア溢れる一流の小説です。
佐藤×ロペスを憂う/新日本プロレス40周年/坂口征二さんの忘れえぬ言葉/他
・佐藤×ロペスを憂う
~磨けば光る玉~
~伝説のナージムと佐藤~
・消費資本主義とは
~産業形態が変わった~
~消費を繰り返す~
・新日本プロレス40周年
~坂口征二さんの忘れえぬ言葉~
佐藤×ロペスを憂う
佐藤洋太(協栄)のWBCスーパーフライ級王座の初防衛戦(7月8日横浜文化体育館)は挑戦者1位シルベスター・ロペス(比国)を迎えて行われ、大差判定で佐藤が判定勝ちした。
テレビ観戦だが、山場、見せ場も無く12回終わったなという感じで心に残るものは何もなかった。ボクシングは極めて本能的な殴り合いだから、観衆は当然刺激的シーンを望んでいる。プロならではのテクニックも勿論であるが…。それもなかった。
12回を通して実に短調なボクシングを見せられた。酷ないいかたで申し訳ないが、これが世界を代表するチャンプと1位の対戦なのかと私はすっかり冷めてしまった。
だが翌日のマスコミは、やれマジカルボックスとか変幻自在とか、佐藤のファイトを褒め称えているばかり。見方の違いはあっても、そんなに満足する内容でしたか?と私は問う。
~磨けば光る玉~
御断りしておくが、佐藤の腕にタトゥが入っていたり、盛岡南高時代は、ピアスに茶髪で手の付けられないヤンキーだったこと、そうした風体、噂の先入観は全くない。兎も角12ラウンズ私は注視した。
で、何となくセンスあるボクサーだと感じた。この選手は磨けばダイヤになる器かも知れないと。タッパもある、リーチが長い、フットワークが使える…何よりも勘がいい。
厳しいコーチのもとで徹底的に稽古すれば、案外防衛を重ねるかもしれない。それはあくまでも本人の心がけ次第であるが。と同時にジムやタニマチがチヤホヤしないことだ。かつて私は、有望な選手が、タニマチに引き回された挙句泡のように消えたのを何人も見てきている。大事な選手ほど、より厳しくしたいものです。
~伝説のナージムと佐藤~
所属する協栄ジムといえば海老原博幸、西城正三、具志堅用高等名王者を多数輩出した。先輩の轍(わだち)をしっかり踏みしめて、佐藤には高き頂きを目指して欲しいと、願うものである。
最後に一言、実力が伴わないボクサーがトリッキーなパフォーマンスをすれば、ドン臭い。ナージム・ハメド(英国=フェザー)は現役時代”悪魔王子”と呼称され、憎いほどトリッキーな動きで観客を沸かせた。彼は類まれな実力を誇っていた。戦績がそれを証明している。37戦36勝(31KO)1負け。強かった。だから彼のパフォーマンスは輝いたのです。
同じ変則サウスポー、佐藤よ、ナージムに憧れるなら心底憧れよ。そして強くなれ、最高のモディリングとして徹底的に真似せよ。中途半端なトリッキーボクサーで終わるなかれ、である。
消費資本主義とは
吉本隆明さんの「転向」という著書に見過ごせない記事が載っていて
流石吉本先生と感心。現在の資本主義のかたちは、いままでのイメージから大分ズレてきているので、この認識をきちんと踏まえておくことが
が重要なのだそうだ。硬い話で申し訳ありません。
つまり現在の資本主義は消費本位ともいうべき産業形態に再編され高度化されたと。従って不況から脱出する処方箋は赤字予算覚悟で公共投資に当てることが手っ取り速いのだが、それが相も変わらず道路やダム建設などインフラ整備に投資されていること。これがそもそも間違いであるというのだ。
こうした産業(二次産業)に従事する人の数は全体の三割程度に過ぎないのに、サービス業(コンビニ、スーパー、情報、医療等=三次産業)で働く者は五割以上に上っている。であるから公共投資のメインターゲットをこれら三次産業に合わせるべきだと先生は説いているのです。
~産業形態が変わった~
個人消費が国民所得の六割から七割を占めるようになり、その個人消費も絶対必用な(電気、ガス、水道)ものから、買っても買わなくてもいいような選択消費に当てられている。この変化が意味するもは、従来の資本主義が生産性本位だったものが、現在は消費本位の産業形態に再編されて、これを先生は「消費資本主義」と名付けている。
先ごろ自民党も政権を奪還したら、相も変わらず景気刺激策として、インフラ投資に300兆円を当てるとぶち上げた。これこそ世の中の変化に気づいていない証拠なのかもしれない。インフラ整備に巨額の金を投じれば、その波及効果で景気が上向くと考えるのは昔流儀の発想でしかない。う~ん、先生そうかも知れない。
~消費を繰り返す~
我々は限りなく消費することでしか現在の資本主義は繁栄していかない構造になっているようだ。かつて「清貧の思想」(中野孝次著)がもてはやされた。が、先生に言わせれば時代にそぐわないとあっさり片付けている。
まあ、私のような骨董品は取り立てて欲しいものも無いし、清貧そのものの生活であるから、金張りのローレクスの時計やアルマニーのスーツで身を固めるなんていう気はない。どだい似合わないもの。
これじゃ消費資本主義の世界には参加できませんよね。でも散々食ったり飲んだり、騒いだり遊んで浪費してきたから大分消費資本主義には貢献したと自負していますが。あの世へは、どうせ体一つで出掛けるわけですから、怖いものは何もありませんよ。そう考えると、人生楽になります。シンプルライフが一番です。
新日本プロレス40周年
新日本プロレスが今年で創立40周年を迎えるというので7月30日、東京ドームホテルでパーティーを開催する。私にも招待状が届いた。この団体ほど律儀なところもない。
昔、週刊ゴングで編集長をやってたというだけで、節目のときは必ず
招待を受ける。40年継続し続けるのも、こうした会社に一本筋が通っているからなのだろう。改めて40周年おめでとうございます。
当日は週刊誌時代にお世話になったスタッフ、選手の方々に会えるのが楽しみである。営業の中根部長には久しく会ってない。御元気なんだろうか。5月に竹内社長のお通夜で一緒だった坂口征二相談役(元副社長)は同年代で最も気脈が通じる人だ。盃を交わすのを心待ちしている
のです。
~坂口征二さんの忘れえぬ言葉~
いまや俳優坂口憲二君のお父さんの方が通りがいい坂口さん。我社の設立パーティーでは、発起人を快諾して頂きました。で、坂口さんには心に残る言葉があります。
まだ旧国技館だった頃の事。橋本真也が売り出し中で、知人の息子さんがプロレスファンであったから観戦に誘いました。試合が終わり控室に入り橋本選手とくだんの少年と記念写真を撮らせてもらいました。そこに坂口さんが居て、私の顔を見ると、若い選手たちにこういいました。
「お前らこの人は元週刊ゴング編集長だったんだ。大事にしろよ。」例のぼそぼそとした口調でしたが、この時の言葉は一生耳から離れません。以来私はいっぺんに同がを好きになり、お付き合い頂いているのです。仕事を離れ猶もお付き合いできるなんて、皆さん、素晴らしいと思いませんか。
余談。ここに新日本プロレス10周年記念パーティーで頂いたパス入れがある。いまでも現役で大事に使っている。もうあちこち破けたり、ほころびたりしでいる。でも私は1日も離さずバックに収めてある。
30年の歳月をパス入れは私を見守ってきた。このパス入れは大人の休日(ジパング)の旅から、電車、バス、ショッピングまで多岐に亘って利用可能なVISAカードになっている。いまや掛け替えのない私の宝物です。
私にとってはどんな高名なパス入れよりも素晴らしいものです。30日、このパス入れと共に40周年を迎えられることは、まさに幸甚であります。
新日本プロレス創立10周年記念で頂いたパス入れ。私の宝物である。
同品、裏には十周年と金文字で印刷してある。
DVD 『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部 絶賛発売中!!
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タイ洪水始末記/1年の半分が過ぎて/他
・タイ洪水始末記
~大蛇のお腹からイノシシが~
~堤防が造れないタイの国土事情~
~御仏に祈るのみ~
・1年の半分が過ぎて
・箱根の紫陽花
タイ洪水始末記
バンコクで公私共にお世話になっている滝沢幸治さん(タイ在住)が里帰りしたので30日、新宿小田急デパート14階の「なだ万」で食事にお誘いした。バンコクで最後にお会いしてからもう3年になる。滝沢さんには聞きたいこと、話したいことが山ほどあった。
タイの景気、ムエタイの現状、去年10月の洪水被害等々。話をしているうちに滝沢さんが、そういえば相田社長(私の旧友)がいま日本に来ている、という。早速携帯に電話したら、新宿に飛んできた。
相田和男社長は、最初に我が国へ女子ムエタイ選手を招聘したプロモーターである。私も女子のキックボクシング旗揚げには一役かった。もうかれこれ40年以上のお付き合いになる。相田社長は、現在幅広くタイと日本で映像ビジネスを展開している。
3人で喫茶店に入り2時間以上も話し込んだ。女3人寄ればかしましいが、男3人も負けてはいない。話題が尽きなかった。私が興味があったのは昨年10月の洪水に関するもので、日本では報道されていない事件が沢山あるはずだ、と睨んだ。予想通り次々に出てきた。
~大蛇のお腹からイノシシが~
つい最近の話では、バンコク市内で8㍍を越す大蛇を発見、異常にお腹が大きいので捕まえて切開してみると、何と1頭のイノシシが出てきという。その大蛇は洪水で山の方から流てきたものらしい。
また洪水の折には、地下鉄の入口付近で子供がワニに腕を食い千切られている姿を目にしたり、水びたしで交通マヒになりボートが市民の唯一の交通手段となったが、その利権を巡ってマフィア同士の銃撃戦が絶えなかったという…怖い話が飛び出して私は吃驚した。
普段は船賃が5バーツ(邦貨約15円)だったものが、洪水時にはその5倍に跳ね上がり、人の弱みに付け込んだマフィアは、ボロ儲けしたそうです。まあ、何処にでも悪い人間はいるものです、タイ全土が危ないわけではないので、皆さん安心してタイに行ってください。
~堤防が造れないタイの国土事情~
滝沢さんのいうことには、今年も洪水が来るんじゃないかと、タイ人は噂していて、金持の中には、既に国を離れている人もいるとか。日本でも原発事故で、真っ先に逃げた政治家もいました。何処も同じです。一番怖いのは実は風評被害なんです。
で、実際また昨年のような洪水に見舞われたらタイ政府はどうするんだろうか。どうもこれに対しては、為す術がなしというのが本音のようです。所謂、自然任せ、精々土嚢を用意して備える、原始的な方法です。まあ、備えあれば憂いなし、とも言うからして。
タイは、大小様々な川が網の目のように国土を覆っています。その全ての川は大河チャオプラヤに注ぐのです。堤防を作り洪水から都心を守りたくても、作れば支流からの水を堰き止める事になり、行き場を失った支流からの大量の水で被害は更に拡大してしまう。この種の事情はよく知りませんでした、私も。
~御仏に祈るのみ~
こうしたジレンマがあって簡単に堤防はできないようです。我々が考えるように単純なものではないようです。少し講釈が長すぎました。ごめんなさい。
御承知のように、バンコクは海抜がゼロ㍍、平坦な都市なのです。それがため一旦洪水に見舞われると長期に亘り水が引かないので、赤痢など疫病が発生する。現に去年の災害でも多くの赤痢患者、死者が出たとか。
現地に進出する日本企業は、去年の洪水被害からの反省で色々対策を講じているようです。いくら工場の防水態勢が完璧でも、従業員が工場まで通勤できなければ操業はできないので心配は尽きないようである。
どうやら神頼みならず、仏様に祈るしか手がないようです。我愛するタイに同情します。どうか二度と去年のよな災害が襲う事がないよう、只々祈るのみです。~日本から愛を込めて。
1年の半分が過ぎて
まるで光のような速さで今年も半年が過ぎてしまった。いやはや少年の頃は遠足に行く日を一日千秋の想いで待っていたというのに。この時期は雨季の真っ只中にあるというのに、幸いかな晴れた日が続いている。露地栽培の胡瓜、茄子、トマトはお蔭で生育がよい。
毎日拙宅の食卓に並ぶ。自分の手で作った野菜を家族で口にする幸せを噛締める。冒頭「少年」の日の時間の流というものに付いて、何気なく触れたが、ふと伊達政宗の漢詩が浮かびました。
馬上 少年を過ぐ
世平にして 白髪多し
残躯 天の赦す所
楽しまずんば 是如何
馬に乗って戦場を駆け巡っているうちに、いつの間にか少年時代は過ぎ去ってしまった。
世の中が平和になったいま頭髪は白髪が目立ようになった。
天が赦してくれた老いさらばえたこの体、楽しまずして何としよう。(意訳)
時は雨季、久し振りに晴れた日の夕暮時、場所は若葉が薫る縁側。老いたる政宗が、小姓が注ぐ酒を静かに飲む。晩年の寂寞漂う姿…私は勝手に老いの政宗を想像してこの詩を口ずさむのです。Facebookならさしずめ「いいね」です。
因みに政宗が鬼籍に入ったのは享年70才(満68才)、死因は食道癌だったといわれています。辞世の句は「曇りなき心の月を先きだてて 浮世の闇を照らしてぞ行く」
魅力あふれる戦国武将でありました。
箱根の紫陽花
27日(水)は紫陽花が見頃だという箱根に家内と一泊してきた。湯本から登山電車に乗る。線路沿いの土手にさながら押しくら饅頭の如く多様な色の紫陽花が咲き乱れている。電車はスイッチバックを繰り返しながら山を登って行く。何とも悠長で旅の心を癒す。
泊りは渋谷区二ノ平荘、風呂が広いし何よりも露天風呂が自然に溶け込んでいる環境が好き、食事も悪くない。夕食は懐石風でお年寄りの宿泊客が多いので味も淡泊、量も適量でいつも満足している。熱燗2本と赤ワインで大分酔ってしまった。食後は愚妻とカラオケに興じました。
翌日はケーブルカーで大涌谷から、バスで桃源台に出て、海賊船に乗ったりして夕刻に帰宅した。都心から僅か1時時間余りで行ける箱根は便利な行楽地である。老夫婦にぴったりです。
大涌谷で、頂きに残雪の残る富士山を背に。
登山電車はいたるところに紫陽花が見られる。
露地栽培のミニトマト、今年は房も大きく育った。
DVD 『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部 絶賛発売中!!
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井岡×八重樫戦に見たもの/M-1ムエタイを取材して/初代タイガーと大仁田
・井岡×八重樫戦に見たもの
~左は世界を制す~
・M-1ムエタイを取材して
~タイのテイスト溢れ~
~梅野源治ここにあり~
~嬉しい出会い~
・初代タイガーと大仁田
井岡×八重樫戦に見たもの
井岡一翔(WBA王者)と八重樫東(WBC王者)の世界ミニマム級統一戦は見応えのあるタイトルマッチでした。3-0の判定をものして、統一チャンプになったのは下馬評通り井岡。しかし試合を盛り上げた主役はなんといっても、敗者八重樫その男でした。
八重樫は試合草々に左瞼を負傷しながらも、終始アグレッシブで恰もバネ仕掛の機械のように前進速攻を繰り返した。それにより迎え撃つ井岡のカウンター、特に左ジャブが効果的にヒットした訳です。攻める側と受ける側と際立って好対照の試合と言えるでしょう。
メディアは翌日一斉に歴史に残る名勝負と囃し立てておりましたが、それはややオーバーな表現でしょう。これくらいの試合は’60年から70年代は珍しくありませんでした。最近は最初から勝負の帰趨が分かるようなお粗末な世界戦もあり、ボクシングはファンにそっぽをむかれていました。しかるに、ファンもメディアも久しく目にしなかった好試合を見たので、称賛を惜しまなかったのかも知れませんが。
ただお互いにベルト(WBAとWBC)を賭けて戦うというのは日本では初めてで、この点は勿論意義がありました。まあこれも昔のように井岡がTBSで、八重樫がフジだったり、日テレだったり契約に縛られていればスンナリ実現しなかったでしょう。
一般に鳴り物入りの試合というものは、凡戦になることが多いのですが、それは勝つことよりも、畢竟、負けまいと戦うがためです。だが双方見事に12回を戦い抜きました。井岡は防戦しているようで、実に冷静で、高度なカウンターで迎え撃っていました。
八重樫は身長、リーチで優る相手に接近戦で挑み果敢に前進した。絶えず井岡にプレッシャーをかけていましたが、彼は単なるラッシャーではありませんでした。卓越したスキル(技術)を備えたボクサーでした。
例えばアッパー、ロングアッパーは飛び込んでの強引なもの。デフインスに長けた井岡だからこそ間一髪外せたが、モロに食ったらダウンを免れなかったでしょう。ショートアッパーは文字通り密着しての小さく突き上げる、これも鋭いものでした。アッパーという技は、日本人には不得手な技です。私は目を開かれる思いでした。
兎に角パンチはコンパクトで、インサイドか出て速く手数でも完全に井岡を凌駕していたと思います。早い回から左瞼が腫れハンデの背負った戦いだったにも拘らず、その旺盛なそのファイティングスピリットには恐れ入りました。
私の好きな選手にジャッカル丸山がいました。攻めて攻めて、勝っても負けても完全燃焼する骨太のファイターでした。彼も確か青森出身、八重樫は岩手…二人は東北人に共通する我慢の力、荒ぶる魂を持っています。井岡戦ではその精神が、見事発揮されていました。
~左は世界を制す~
それでも勝てなかったのは、井岡には、八重樫の攻撃に堪えうるスタミナと、突進を阻む鋭い左ジャブがあったからです。あたかも槍のような。よく左は世界を制すと申しますが、まっこと論より証拠。そのジャブは八重樫の瞼を容赦な射して、ダメージを大きくしました。
勝った井岡は八重樫の強さを褒め称えた。奢れることがなく清々しいものでした。一方敗れた八重樫も「全力を出し切りました」と潔い印象を受けました。こういった大勝負で僅差の判定は、何かとトラブルを生むものですが、クリーンなノーサイドになりました。私の記憶するところ珍しいことです。
井岡は今後クラスを一階級挙げてライトフライに戦場を移すということです。期待するところ大です。敗れた八重樫は休養しして再起を図ってもらいたい。多くのファンが待っているはずです。
井岡はこの試合を振り返る度に、改めて肝を冷やすに違いありません。危ない試合でした。九死に一生得た戦いとは、まさにこの一戦でありましょう。
危ない橋を渡った井岡はまた一段と成長するはずです。試練の数だけ人は強くなる。井岡VS八重樫はボクシング界の今後の指針として、業界は真摯に受け止めねばならないと感じますが。
兎に角日本ボクシングは救いようがないような危機に瀕しています。何故かって?そりゃそうでしょう、階級の細分化、暫定王者などという金儲けのためだけの馬鹿げた制度や、更にです、WBA、WBCの世界戦の二団体しか認めなかった日本コミッションが、新たにWBO,IBFなる世界団体も承認しました。
これによって、狭い日本に今後世界戦が乱発されるでしょう。これでは益々世界王者の価値が下がってしまいます。いやはや、お先真っ暗で元ワールド・ボクシング編集長としては、黙っていられません。現在日本の世界王者は7人ですが、盛況ですなんていっている場合ゃないんですよ、本当に。
M-1ムエタイを取材して
24日、M-1(MはムエタイのM)をディファ有明に見に行った。過日藤原敏男会長にM-1MC山本智社長を紹介頂き入谷で一夜飲食を共にした。その折一度大会を見に行きますと約束していました。
藤原会長と私の共通の友人、春日部市在住の稲田保雄さんにM-1の情報を前もって尋ねたら「あそこは面白いですよ。梅野源治がメインで出るので、是非見てください。日本人の完全なムエタイ選手で、この男は見る価値があります」とキッパリ語った。
稲田さんは、1カ月に1度はタイに飛び、ムエタイの観戦とジム回りでムエタイに最も精通する日本人と言われる。当地のスポーツ紙にも載ったこともある。(タイは試合に賭けが認めらていて、稲田さんはタイ人賭屋も驚く勝率で紹介された)が、認めるのだから間違いないと、興味をそそられたのである。
~タイのテイスト溢れ~
で、先ずM-1をナビしてみましょう。 M-1のテイストは本場のそのもの。会場前には無数のタイ国旗がロープにはためき、会場内に一歩足を踏み入れば、もうバンコク。音楽が炸裂して、ここにナンプラーの鼻をつく匂いが充満していれば最高なんだけど。
ラウンドガールもタイの衣装で登場する。タイトルマッチともなるとワイクルー(戦いの舞い)の音楽に乗って日本人選手も踊る。これがなんともディファ有明の会場とマッチするから不思議です。
興行を主催する人物は元ムエタイボクサーのウィラサレックさん。それに山本智の日タイコンビ。ウイラサレック・プロモーターは上下赤いターターンチェックで身を包み、終始役員席中央で寡黙試合を注視する。いいなあ、とてもクールです。
~梅野源治ここにあり~
さて試合、想像以上にレベルが高く私は満足しました。やはり梅野源治は一度は見る価値がある。スーパーフェザー級の体は研ぎ澄まされた鋼のように精悍なルックスと相まって、スタアの雰囲気がただよう。
ファイトは切れ味よく、ロー、ハイの蹴り技もスピード豊か。タイのランカー、アンカーレックを2R右ストレートを顔面に決めてKO。噂通りの逸材と睨んだ。久し振りにリングサイド記者席で取材する側で試合を追って現役時代に戻ったような気分になった。
女子のティチャー(タイ)×リトルタイガー(日本)の試合も白熱した内容の濃いものだった。日本の女性が勝った、藤原会長の愛弟子で会長の指導で成長しての勝利は、やはりキックの鉄人の教えは違うなあと実感した。大石×田中は、田中が逆転の肘打ちTKO,闘魔×野呂は余裕たっぷりの闘魔が、野呂のハイキック一発3Rに沈み、しげる×山口は、しげるが激戦を制した…いずれも見応えある戦いにキック+ムエタイの醍醐味を満喫した。
~嬉しい出会い~
魔裟斗君も観戦に来ていて挨拶を交わした。彼は新たなK-1のプロデューサーに就任したとか、御活躍を祈りたい。もう一人、レフェリーの中にかつて私が取材した少白竜君がいた。「舟木さん、ゴングに載せてもらったことがあります。」と声を掛けてもらった。
昔日の彼の試合も、そういわれて直ぐ思い出した。嬉しい出会いだった。彼のレェフリングは安心して見ていられた。何でもいま「レフェリーユニオン」を組織するべく奔走しているという。ここにも志のある人がいる。私でお役に立てるなら強力を惜しまないよ。
帰宅したのは22時頃、快い疲れで遅い夕食を摂った。
そうだ、7月29日のIT'S SHOWTIME JAPAN興行、ディファ有明にまた取材に行こう!
初代タイガーと大仁田
リアル・ジャパン(初代タイガーマスク=佐山聡主催)のプロレス(6/20 後楽園ホール)はいつもながら一級のエンターテインメントである。
往年のスター選手、藤波辰爾、長州力、藤原善明、初代タイガーマスク等が一堂に揃う。現役華やかし頃のリプレイを見ているようで、私は普段は夜出ないのに、当大会だけは楽しみにしている。
この日も会場は満員に近いお客の入りに感心した。メインは初代タイガーと大仁田厚のランバージャックデッスマッチ(セコンドは両陣営各3名で、敵方リングサイドに落ちた選手には反則など何をやってもよい)は、限りなく満足した。
試合を盛り上げ、組み立てるプロデューサー役はもっぱら悪役の大仁田邪道軍団である。あの御大ジャイアント馬場のような慎重居士なDNAから大仁田という異端児がよくも生まれたなあと不思議でしょうがない。
~大仁田の役者ぶり~
大仁田がジーパンに皮ジャンというお決まりの恰好で、幟が靡く花道をテーマ音楽に乗って登場する。その瞬間から客席はざわめき、ドラマは既に始まっている。観客は少なくともそう感じ取っている。
無限の存在感が大仁田には潜んでいる。お客の鼓動を全て掴んで、おもむろににリングに上がる。千両役者とは彼のような人物をいうのだろう。リングアナのコールも無視、ふてぶてしく振る舞う。
試合が始まると毒霧殺法(口から緑色の霧を吐いてタイガーに噴きつける)あり、イス攻撃と悪の限りを尽くして観客のブーイングを浴びる。大仁田が敵陣リング下に落ちれば、殴る蹴るの洗礼を浴び興奮は最高潮に達する。観客は「遣れ!遣れ!」と喚く。可笑しいことだが、これが楽しい。
プロレス観戦のコツは、先入観もたず目の前に起こる現象だけをストレートに楽しむことである。佐山プロレス(リアルジャパン)は、古いアルバムを捲るように失われた日々を甦させてくれる、深淵なるエンターテインメントなのです。
あ、そうだ。試合終了そこそこにエレベーターに急いだら売店に藤原善明さんがいた。お互いに顔見合わせて、おお!と期せずして声を出した。本当に久し振りで、懐かしく「先生(黒崎健時師範)に会っている?」と親指を藤原さんは立てた。
5年前胃癌の大手術をしたというのに藤原さんは不死鳥のように甦り、今夜もヒロ斉藤とパートナーを組み、長州力&藤波辰爾とタックマッチで戦った。老いたがトレードマークの頭突きは健在、酒は相変わらず飲んでいるようだ。「だって俺から酒取ったら何も残らねえよ。」
黒崎会長、藤原敏男さん、それに善明さんの4人集まり、また宴会でもしたいものだ。黒崎会長と善明さんが競う村田英雄「男の一生」は絶品、それはもう叶わないか。老いることはその点寂しい。善明さん、お互い元気でいよう。
【ボクシング写真】※いずれもMACC出版提供
試合終了お互いが肩車で勝者をアピールする八重樫(左)と井岡(右)
両瞼が塞がりながら応戦する八重樫(左)
井岡のクレーバーな攻撃(右)
【ムエタイ:M-1】
KO勝ちした梅野源治
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本田圭佑の存在感/敗れしドイツ、そのときカーンは/他
・本田圭佑の存在感
・印象に残るサッカー
・敗れしドイツ、そのときカーンは
・オウム事件手配写真に感じたこと
・梅雨は紫陽花の季節
本田圭佑の存在感
2014年ブラジルでのW杯アジア最終予選、対オマーン、ヨルダン、オーストラリアの3連戦で見せた本田圭佑の活躍は際立っていた。香川も長友も脇役に見えた。
3試合で4得点2アシスト、もし本田が怪我から復帰していなかったらと考えると寒気がする。アウェー(ブリスベン)でのオーストリア戦、貴重な1点は、本田からのパスを栗原がドリブルで押し込んだ、絶妙のパスだった。
お断りしておくが私はサッカーは門外漢です。愚妻が狂のつくサッカーファンで一緒にテレビを見てしまうのです。昨今はグラウンドは天然芝だし、技術も長足の進歩で、ウェアーも特別仕立てで恰好よく、液晶テレビ時代に相応しいスポーツと感じている。野球の間延びしたゲームと違ってスピーディーなのが女性に受ける要素かも知れない。
その中でも、やはり本田の存在は別格に思える。戦局を読む鋭い感覚、まるで影のように走り、いつの間にか最高のポジションを得て、正確無比なパスを出して、得点を演出する戦術眼。
そうかとも思うと一転、果敢にドリブルで敵陣を突破してゴールを襲う。実に頼もしくも小気味よいMDです。秀逸な選手は秀逸な戦略家である…それを私は本田圭佑に見たのです。
2011年9月、彼は右膝半月板の手術をして、9カ月ぶりの代表復帰だった。けれどもとても長期のブランクを感じさせない動きは、それ以上に驚きました。長谷部キャプテンを中心とした、長友、香川、遠藤、岡崎、本田、加えてGK川島の布陣は史上最強の代表メンバーではなかろうか。2014年ブラジルでのW杯夢舞台は、いまから心躍動します。
印象に残るサッカー
もう少しサッカーの事を綴ります。私がかつて勤めていた日本スポーツ出版社というところはサッカー雑誌、月刊「イレブン」を発行しておりました。そんな訳でサッカーの試合を見る恩恵にも預かりました。
印象に残るのは入社間もないころ国立競技場で見たペレのバナナシュートでした。あの放物線は今でも脳裡に焼き付いています。本当にバナナのように弧描いてゴールに突き刺さって行きました。思わず凄い!と呟いたものです。
サッカーの強烈な印象としては何と言っても日韓共催W杯の決勝戦ドイツVSブラジル(2002年6月30日、横浜国際総合競技場)に尽きます。2点ゴールを決めたロナウドより、敗れたドイツのGKオリバー・カーンのラストシーンでした。震えるほどに哀切きわまりない美しさがそこにはありました。
敗れしドイツ、そのときカーンは
ロナウドが79分2点目入れ、やがて試合終了のホイッスルが競技場に響き渡りました。万策尽きたGKカーンは、ケージの隅でずるずると地面に崩れ落ちました。さながらスローモーションを見るかのように。そして死んだように蹲りました。照明を落とした巨大な競技場にその時、何とも言えぬ静寂が漂いました。
3分、5分…選手の誰かが歩み寄って手を差し伸べると、やっとカーンは起き上がりました。その瞬間期せずして、競技場に拍手が湧き起こりました。その拍手の輪は次第に大きくなりました。感動的なシーンに私の目頭から涙が零れ落ちました。
内野席の10列目位、ほぼ中央に家内と大日本印刷の中沢課長の3人、タイのサイアムスポーツ副社長から招待されたもので、私の生涯忘れえぬサッカーの試合になりました。フィナーレは千羽鶴がスタジアムに紙吹雪のように舞い散りました。その幾つかを手でキャッチして、持ち帰りました。今も大事に我仕事部屋の机の上に飾ってあります。
あの時は、6月4日、ベルギー戦(埼玉スタジアム)、6月18日、トルコ戦(宮城スタジアム)といずれも招待を受けて観戦して歩きました。あれから丸10年の歳月が流れてしまいました。私が退職したのはW杯終了から2か月後のことでした。それだけに感慨深いサッカー観戦になりました。それ以来徐々にサッカーファンになっています。
オウム事件手配写真に感じたこと
サリン事件の最後の特別手配犯高橋克也容疑者が遂に逮捕され、オウム真理教による一連の事件で全ての容疑者が逮捕された。事件から17年、まあ、当初の手配写真と逮捕時の顏と余りにも乖離しているのにはやはり驚きである。
菊池直子容疑者は丸顔のぽっちゃりしていたものが、すっかり削げて細長の顏で老けていて、むしろ別人としか見えない。駅などで貼られている写真を見慣れている私も、余りの変わりように、これでは捕まらないはずだと得心した。
当人も、これなら安心と逃亡生活を送れたに違いない。高橋容疑者においても、大分手配の写真は違う。これじゃ、仕事先の仲間も気が付かないのも無理はない。一旦人間の頭にインプットされた印象は、そう簡単には離れないことが、今回の逮捕でよく分かりました。多分町のお巡りさんも、私たちと同じだろうと推測します。
歳月を経た似顔絵、手配写真の類は今後捜査の在り方に一石を投じたような気がします。例えばコンピーターなどであらゆるデーターを入力して、逃亡者の10年後、15年後の容姿をデザイン化することはできないのでしょうか。現代の先端技術を駆使すれば不可能ではないと素人は考えるのですが。
だって小惑星探査機「はやぶさ」が7年、60億kmの旅から帰還したことを考えれば、そうは難しくはないと思うがどうであろう。手配写真の在り方を根底から覆すような今回の逮捕劇であったと感じました。
梅雨は紫陽花の季節
梅雨は紫陽花があ映える。ラジオ体操に向かう家々の軒先、公園に雨に濡れる紫陽花を目にすると心和む。紫陽花はやっぱりしとしとと雨に叩かれる風景が似合う。
ところでよく観察すると、紫陽花にも色んな種類があることが分かり散歩も楽しい。青でも紫がかった濃いものと、淡い薄青のもの、桃色でも赤に近いものから、自己主張の強い濃い桃色とさまざまである。
私の好きな色は紫がかった濃い青のもので、雨に叩かれると色合いは一層際立つ。ガクアジサイという白い花弁に、淡い薄青を彩ったものがあり、さしずめこれなどは、初恋の色だろう。変にボリーム感がないののがいい。
何かどんぴしゃりの紫陽花の俳句はないかと、子規や芭蕉の俳句を探してみたが生憎なかった。で、ネットで検索したら、こんな句があった。これ私好みです。
紫陽花や 色とりどりに 妖しけれ 桃太郎
2002年日韓共催のW杯決勝戦で横浜国際競技場にフィナーレで舞った千羽鶴。
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保科正之に学ぶ/新たな藤原伝説/ゴルフ途中リタイア/他
・保科正之に学ぶ
~家光の異母兄弟~
~稀有の指導者~
~無私の精神~
・藤原敏男氏の手術経過
~新たな藤原伝説が始まった~
・ゴルフプレー途中リタイア
保科正之に学ぶ
突然ですが保科正之(1511~1672)を知っていますか?恥ずかしながら私もよく知りませんでした。或る日、日本スポーツ出版社時代の先輩加賀屋さんとお茶を飲んだ折り、加賀屋さんから「貴方は福島出身だけども、保科正之という会津藩主は名君だよね」
という話が発端になり触発されて、私は猛烈に保科正之を探究したい射衝動にかられ図書館に通いました。そこで見つけた本は「名君の碑(いしぶみ)~保科正之の生涯~」(中村彰彦著=文藝春秋)と「保科正之言行録~仁心の政治家~」(中村彰彦=中公文庫)です。2冊読了して感じたのは、保科正之という会津藩主は誠に、全ての政治家がお手本とすべき名君であると快い感激を味わいました。
~家光の異母兄弟~
正之は2代将軍秀忠の側室の子として生まれ(3代将軍家光の異母兄弟・四男)、江与の方(秀忠の正室)の激しい嫉妬から、隠し子として育てられやがて信州高遠藩保科家に養子にもらわれ藩主に。その後出羽山形藩主を経て、陸奥会津藩主となります。
彼は水戸黄門で有名な水戸光圀と同時代の人物だが、家光の遺言で4代将軍家綱の輔弼役(後見人・事実上の副将軍)になる。その善政は現代の混迷する政治に重ね合わせると正之候の偉大さがより鮮明になる。
「名君の碑」の序文に次のような言葉がある。
「公」とは何か?真の指導者とは。
混迷の世におくる清冽なる物語!
将軍家光の異母兄弟として悲運の生を受け
忠勤と民への慈悲に身を尽くしたこの稀有な
会津藩主。
~稀有の指導者~
保科正之に一貫して流れるバックボーンは、忠と仁だが何よりも己に厳しく「足るを知る」の孤高の人物だったことに先ず心動かされる。江戸の水不足を解消するために玉川上水を重臣の反対(川を利用して敵に攻められる惧れ)を押し切って成し遂げたのも正之候だし、火災からの避難場所として上野広小路を作らせたのも彼の功績。
江戸城が大火にあったとき、将軍を安全な他の場所に移すべきだと主張する重臣たちの意見を抑え江戸城に留まらせ、将軍ここにありを天下に示したかとと思えば、大火で消失した天守閣も、無駄な出費だと復元に反対して復興費に回したという。江戸城に大阪城のよな天守閣が無いのはまさしく正候之の英断によるものなのです。
藩主となった会津藩では凶作の折、餓死する人を一人も出さなかったのは倉庫に米を常日頃から来るべきときに備え備蓄したお蔭。また親孝行する者を顕彰したり、90才以上の民には死ぬまで米を与えて労っている。謂わば今日の国民年金制度である。こうした正之の善政によって他藩から流入する人が多く、人口は増えたという。これら数々の功績を正之は自分の手柄にしたことは一度もなかった。まさに無私の精神。
~無私の精神~
保科正之は家光から松平姓の許しを受けたが、保科家の恩を忘れず断っている。何処までも無私の精神は、清々しいものがある。会津藩の藩祖として後世に名を残す天晴れな指導者といえる。保科正之を知る1冊に私は「名君の碑」を挙げる。これで十分。645頁、読み応えありです。
余談。会津に新格闘術五十嵐道場がある。十数年前、私は黒崎健時総帥と同行の僥倖に預かり会津の道場を訪れた。述懐すれば、少年少女の稽古の中に、保科正之候の歴史の息遣いを感じたような気がする。「ダメなのはダメなのです」。ぶれない精神…子供たちの掛け声の響きがいまも我耳にこだましている。会津士魂とは保科正之の魂だったのだ。
そうだ、会津に行こう…。
藤原敏男氏の手術経過
11日午後、頸椎の手術で入院中の藤原敏男氏を秋葉原のM病院に見舞う。5時間を越す大手術だったということだが、術後の経過は良好ですからファンの皆様ご安心ください。
病室を覗いたら待合ルームに行きましょうと、すたすた歩いたのには驚きました。顔色がいい。病院の規則正しい生活で、体内からは溜まりに溜まった酒の残滓が発散したのかも知れません。
冗談にこれを機会に酒を止めたらと私が振ると、ニタッリと笑いました。どうやら止める気はなさそうです。と、病室に頸椎を守るプロテクターを忘れたようで「看護婦さん、首にやるあれ、忘れた~」とナースステーションに向かって叫んでいました。どうやら藤原伝説最終章が始まったような雲行きです。
~新たな藤原伝説が始まった~
問診で医師から、普段どれくら酒は飲むか聞かれて、まあちょっとです、と答えたら医師は「2,3杯ですか」というから、え?まあ、その10倍ですと言ったら目を丸くしてしたとか。
手術後に痛みに耐えかねて、患者は大概麻酔注射を求めるそうです。藤原氏は、どうかといえば、キッパリ断ったらしい。本人曰く「手術のときが痛みのピークでしょう。だったら後は薄らぐだけ、その過程を体で味わいたいのに、麻酔を打ってしまったら、肝心の薄れ行く痛みの感覚を味わい無いもの」
さながら苦行僧のようだ。恐らくこんな患者はそういないだろう。全く人間離れしている。やはり鉄人である。こんな患者ばかりなら医療費
も膨らまないだろうに。藤原敏男、あなたは厚労省表彰ものです。
医師の中にはキックの藤原敏男のファンだという者もいて、忽ち病院内に、藤原入院の噂が広がったようだ。今度うちの試合を見に看護婦さんが3人来ることになりました、この病院は美人の看護婦(今は看護士というらしい)さんが多いね、と入院生活も満更でもなさそうでした。
藤原会長、退院したら「友」でちょっとだけ飲みましょう。ちょっとだけですよ。お祝いに。守れるかな~、これ。
ゴルフプレー途中リタイア
7日、埼玉県鶴ヶ島しにあるJゴルフで、平成会ゴルフコンペがありました。梅雨入り前の上々のお天気で、私も久々のプレーに胸躍らしていましたが、あえなくというか情けなく3ホールでリタイアーを余儀なくされました。
スタート時に急に蒸し暑くなって、体に変調をきたしました。頭がボーとして、クラブの扱いもままならず両足も地に着かない状態になりました。これはまた脳梗塞になったら大変と思いリタイアーを決断しました。
それから全員がプレーが終了するまでクラブハウスで休んでいました。夕方には平常に戻り、気分も良くなりましたが、青々としたフェアーウエーを思い出すとプレー出来なかったことが本当に悔やまれます。
40~50代は月例に出たり、自身のコンペを毎年賑やかに開催したりゴルフ三昧でしたから、いまさらながら衰えを感じます。そで決心しました、今後いかなるコンペにも参加しないと。自分自身の健康の為、他人に迷惑を掛けない為に…です。御理解のほどお願い申し上げます。
DVD 『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部 絶賛発売中!!
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