保科正之に学ぶ/新たな藤原伝説/ゴルフ途中リタイア/他 | 舟木昭太郎の日々つれづれ

保科正之に学ぶ/新たな藤原伝説/ゴルフ途中リタイア/他

・保科正之に学ぶ
 ~家光の異母兄弟~
 ~稀有の指導者~
 ~無私の精神~
 
・藤原敏男氏の手術経過
 ~新たな藤原伝説が始まった~
 
・ゴルフプレー途中リタイア


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保科正之に学ぶ
 
 突然ですが保科正之(1511~1672)を知っていますか?恥ずかしながら私もよく知りませんでした。或る日、日本スポーツ出版社時代の先輩加賀屋さんとお茶を飲んだ折り、加賀屋さんから「貴方は福島出身だけども、保科正之という会津藩主は名君だよね」
  
 という話が発端になり触発されて、私は猛烈に保科正之を探究したい射衝動にかられ図書館に通いました。そこで見つけた本は「名君の碑(いしぶみ)~保科正之の生涯~」(中村彰彦著=文藝春秋)と「保科正之言行録~仁心の政治家~」(中村彰彦=中公文庫)です。2冊読了して感じたのは、保科正之という会津藩主は誠に、全ての政治家がお手本とすべき名君であると快い感激を味わいました。
 
 
~家光の異母兄弟~
 
 正之は2代将軍秀忠の側室の子として生まれ(3代将軍家光の異母兄弟・四男)、江与の方(秀忠の正室)の激しい嫉妬から、隠し子として育てられやがて信州高遠藩保科家に養子にもらわれ藩主に。その後出羽山形藩主を経て、陸奥会津藩主となります。
 
 彼は水戸黄門で有名な水戸光圀と同時代の人物だが、家光の遺言で4代将軍家綱の輔弼役(後見人・事実上の副将軍)になる。その善政は現代の混迷する政治に重ね合わせると正之候の偉大さがより鮮明になる。
 
 「名君の碑」の序文に次のような言葉がある。
 
 「公」とは何か?真の指導者とは。
 混迷の世におくる清冽なる物語!
 
 将軍家光の異母兄弟として悲運の生を受け
 忠勤と民への慈悲に身を尽くしたこの稀有な
 会津藩主。
 
 
~稀有の指導者~
 
 保科正之に一貫して流れるバックボーンは、忠と仁だが何よりも己に厳しく「足るを知る」の孤高の人物だったことに先ず心動かされる。江戸の水不足を解消するために玉川上水を重臣の反対(川を利用して敵に攻められる惧れ)を押し切って成し遂げたのも正之候だし、火災からの避難場所として上野広小路を作らせたのも彼の功績。
 
 江戸城が大火にあったとき、将軍を安全な他の場所に移すべきだと主張する重臣たちの意見を抑え江戸城に留まらせ、将軍ここにありを天下に示したかとと思えば、大火で消失した天守閣も、無駄な出費だと復元に反対して復興費に回したという。江戸城に大阪城のよな天守閣が無いのはまさしく正候之の英断によるものなのです。
 
 藩主となった会津藩では凶作の折、餓死する人を一人も出さなかったのは倉庫に米を常日頃から来るべきときに備え備蓄したお蔭。また親孝行する者を顕彰したり、90才以上の民には死ぬまで米を与えて労っている。謂わば今日の国民年金制度である。こうした正之の善政によって他藩から流入する人が多く、人口は増えたという。これら数々の功績を正之は自分の手柄にしたことは一度もなかった。まさに無私の精神。
 
~無私の精神~
  
 保科正之は家光から松平姓の許しを受けたが、保科家の恩を忘れず断っている。何処までも無私の精神は、清々しいものがある。会津藩の藩祖として後世に名を残す天晴れな指導者といえる。保科正之を知る1冊に私は「名君の碑」を挙げる。これで十分。645頁、読み応えありです。
 
 余談。会津に新格闘術五十嵐道場がある。十数年前、私は黒崎健時総帥と同行の僥倖に預かり会津の道場を訪れた。述懐すれば、少年少女の稽古の中に、保科正之候の歴史の息遣いを感じたような気がする。「ダメなのはダメなのです」。ぶれない精神…子供たちの掛け声の響きがいまも我耳にこだましている。会津士魂とは保科正之の魂だったのだ。
 
 そうだ、会津に行こう…。
  
  
藤原敏男氏の手術経過
 
 11日午後、頸椎の手術で入院中の藤原敏男氏を秋葉原のM病院に見舞う。5時間を越す大手術だったということだが、術後の経過は良好ですからファンの皆様ご安心ください。
 
 病室を覗いたら待合ルームに行きましょうと、すたすた歩いたのには驚きました。顔色がいい。病院の規則正しい生活で、体内からは溜まりに溜まった酒の残滓が発散したのかも知れません。
 
 冗談にこれを機会に酒を止めたらと私が振ると、ニタッリと笑いました。どうやら止める気はなさそうです。と、病室に頸椎を守るプロテクターを忘れたようで「看護婦さん、首にやるあれ、忘れた~」とナースステーションに向かって叫んでいました。どうやら藤原伝説最終章が始まったような雲行きです。
  
 
~新たな藤原伝説が始まった~
  
 問診で医師から、普段どれくら酒は飲むか聞かれて、まあちょっとです、と答えたら医師は「2,3杯ですか」というから、え?まあ、その10倍ですと言ったら目を丸くしてしたとか。
  
 手術後に痛みに耐えかねて、患者は大概麻酔注射を求めるそうです。藤原氏は、どうかといえば、キッパリ断ったらしい。本人曰く「手術のときが痛みのピークでしょう。だったら後は薄らぐだけ、その過程を体で味わいたいのに、麻酔を打ってしまったら、肝心の薄れ行く痛みの感覚を味わい無いもの」
  
 さながら苦行僧のようだ。恐らくこんな患者はそういないだろう。全く人間離れしている。やはり鉄人である。こんな患者ばかりなら医療費
も膨らまないだろうに。藤原敏男、あなたは厚労省表彰ものです。
  
 医師の中にはキックの藤原敏男のファンだという者もいて、忽ち病院内に、藤原入院の噂が広がったようだ。今度うちの試合を見に看護婦さんが3人来ることになりました、この病院は美人の看護婦(今は看護士というらしい)さんが多いね、と入院生活も満更でもなさそうでした。
  
 藤原会長、退院したら「友」でちょっとだけ飲みましょう。ちょっとだけですよ。お祝いに。守れるかな~、これ。
   
  
ゴルフプレー途中リタイア 
  
 7日、埼玉県鶴ヶ島しにあるJゴルフで、平成会ゴルフコンペがありました。梅雨入り前の上々のお天気で、私も久々のプレーに胸躍らしていましたが、あえなくというか情けなく3ホールでリタイアーを余儀なくされました。
  
 スタート時に急に蒸し暑くなって、体に変調をきたしました。頭がボーとして、クラブの扱いもままならず両足も地に着かない状態になりました。これはまた脳梗塞になったら大変と思いリタイアーを決断しました。
  
 それから全員がプレーが終了するまでクラブハウスで休んでいました。夕方には平常に戻り、気分も良くなりましたが、青々としたフェアーウエーを思い出すとプレー出来なかったことが本当に悔やまれます。
  
 40~50代は月例に出たり、自身のコンペを毎年賑やかに開催したりゴルフ三昧でしたから、いまさらながら衰えを感じます。そで決心しました、今後いかなるコンペにも参加しないと。自分自身の健康の為、他人に迷惑を掛けない為に…です。御理解のほどお願い申し上げます。
 
  

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