舟木昭太郎の日々つれづれ -68ページ目

野口修とキックボクシング史展/沖縄空手VSキック/公園で季節外れの「蝉」を拾う/他

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・公園で季節外れの「蝉」を拾う
 ~フランシスコⅡ世と命名~
・「野口修とキックボクシング史展」
 ~沖縄空手VSキックボクシング~
・さくら・別れと再生
 

 

舟木昭太郎の日々つれづれ

島根県出身の木村保彦選手出場のポスター

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公園で季節外れの「蝉」を拾う
   
 「3月の蝉」...なにやら恋愛小説に出てきそうなタイトルで申し訳ないのであるが、21日朝7時前、いつもラジオ体操に行く大山公園で実はミンミン蝉を拾ったのです(※末尾に写真あり)。魔法に遭ったような朝でした。
 
 体操が終わり公園のトイレに立寄ったところ強風に煽られて1匹の蝉が私の足元に飛び込んで来たのです。もしかしてその時点まで生きていたかも知れません。折からの風のせいか、羽を動かしているように私には思えました。
 
 何とも不思議な蝉の姿に恐る恐る私は、手で拾い上げたのです。胴体も羽も脚も綺麗に備わっている完璧なミンミン蝉でした。私はその蝉をそっとポッケにしのばせ家へ持ち帰りましたが、道すがら件の蝉が何故今頃になって現れたのか不思議でした。
 
 最初は多分去年の蝉の亡骸が、何処か引っかかっていてそれが強風によって吹き飛ばされた。こんな具合に想像して、野鳥にも蟻にも喰われずよく完全な形で残ったものだ、と感動しました。兎に角傷一つない見事な蝉の亡骸で、よりによって寒い強風の早朝目にしたのですから、我目を疑いました。もしかして吉兆の前触れ?
 
 
 ~フランシスコⅡ世と命名~
 
 帰宅して家内に話すと、彼女は、それは去年の亡骸ではなくて産まれたばかりの蝉ですよ、初夏のような暖かい天気が続いたために、間違って地上に出てきてしまったのよ。写真を見ながら彼女は自信ありげに答えました。そうか、だから傷一つないのか、成虫になって間もない蝉だったのだ。私は、なるほどと家内の講釈に得心しました。
 
 可愛そうに、季節を間違えて命を落としてしまった蝉。さぞギラギラする太陽の下で、力一杯啼きたかったろうに、哀れな蝉である。不憫に思った私は「3月の蝉」に「フランシスコⅡ世」と命名して天国に送り出しました。神聖な墓は予算の関係上、我仕事部屋のプラスチックの棺(箱)に納めました。ア~メン。
 
 それにしても2週間早い桜の開花、蝉の出現、なんか地球は変だね。大地震でも起きなければいいが。ちょっぴり気になります。
 
 
「野口修とキックボクシング史展」
 
 6月に開催する第2回アッパー格闘技博覧会「野口修とキックボクシング史展」の協力者が早速現れました。K市に在住の坂本さんで、故郷出雲で沢村忠が試合した折のチケットや選手からの礼状などをメールしてくださいました。
 
 キックボクシングは野口修という人が居なかったらこの世に産まれなかった訳で、キックの生き証人です。盛大にイベントを開催したいと考えておりますので、どんな些細なモノでも御提供下さい。貴重なチケットの類はカラーコピーでも結構です。
 
 先に沖縄のアメリカ統治時代のチケットの半券をもっていますと、メールを下さった方もおりました。多分昭和44年5月20日と21日のいずれかの試合だと思います。那覇から約20㌔にある牧港の特設リンク(野外)でした。初日20日は200㍉の大雨で主催者は中止を考えたそうですが、観客が一向に立ち去らず時間を遅らせて挙行したとも。会場は水浸しになったのにもかかわらずです。空手、キックに殴り込みの宣伝が効いたのでしょう。
 
 
~沖縄空手VSキックボクシング~
 
 沖縄は空手の盛んな土地柄ですから、キックなにするものぞと挑戦する空手家が続出したとあとで聞きました。結果は出る選手、出る選手がタイのムエタイ戦士に木端微塵打ち砕かれたということでした。
 
 その惨憺たる結果にウチナンチュー(沖縄の人)は茫然としたそうです。沖縄空手は最強と信じていただけに、当然です。以来キックボクシングには沖縄勢が大挙して入門してきます。中でもフェザー級チャンピオンとなった亀谷長保(目黒)は、歴史に残る選手として記憶にあります。
 
 野口修さんは昭和41年1月にキックボクシン協会を興して、同年4月に旗揚げ、昭和57年キックボクシンから撤退するまでの15年。ポスターやチケットで栄光の日々を振り返る趣向です。壮大な展示会にしたいと企画を練っています。多くのキックファンの御来場を期待しています。是非お越しください。歴代のチャンピオン、ランカーも挙って参加する予定です。
 
 
さくら・別れと再生
 
 首都のさくらも週末がピークのようでした。今朝(25日)ラジオ体操に行くついでに、遠回りしてさくらを眺めて歩きました。生憎の小雨に花弁(はなびら)をハラハラと僅かですが散らしておりました。
 
 その光景は、なんとなくもののあわれを感じさせますが、私は最近、さくらが散るのは、再生の始まりと思うようになりました。散る花弁は実は生まれ変わりの準備なのだと。
 
 間もなく新緑も鮮やかな季節を迎えます。新緑の萌えるような風景もまた心和ましてくれます。夏の若葉は木陰を作り、蝉の止り木にもなって楽しませてくれ、秋は紅葉に染まる。
 
 そして落葉、裸木となって寒い冬をじっと堪える。やがて春、開花へのエネルギーを一気に蒸かす。ことほどさように、さくらのひとひらの花弁にもドラマが宿る。一期一会のさくらとの別れと出会えー私はあと何度繰り返し見られるのだろうか…。夜になって雨は激しくなりました。暗闇の中きっと花弁は、サヨナラの言葉ももなく静かに散っていることでしょう。
 

  
大山公園で3月21日早朝拾った「3月の蝉」。
舟木昭太郎の日々つれづれ

 

西原町内遊歩道の桜並木(23日)

舟木昭太郎の日々つれづれ
 

JICA脇の空地でラジオ体操のあとで(23日)

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アッパー博覧会第2回はキックの生みの親野口修!!/さくら、さくらの季節到来/他

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・博覧会第2回はキックの生みの親
 ~野口修とキックボクシング~
・フイギュア、際立つキム・ヨナ
・さくら、さくらの季節到来

 ~権現堂堤の桜と菜の花~
 ~西行と桜~
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博覧会第2回はキックの生みの親
 
 第2回のアッパー格闘技博覧会は「野口修と栄光のキックボクシング史展」に決まりました。5月下旬~6月初旬を予定しています。詳細については随時このブログでお伝えして行きます。
 
 御存じのように野口修さんはキックボクシングの生みの親です。ネーミングを考案して、1966年(S41年)1月、キックボクシング協会を設立、同4月旗揚げしました。
 
 昭和42年9月TBSが毎週月曜日にレギュラー放映されるや瞬く間に日本列島を席捲して、沢村忠というスーパーヒーローを生みだしたのです。真空飛び膝蹴りは一世を風靡しました。
 
 以来47年、いまやキックボクシングは世界に伝播して、格闘技の押しも押されぬ一分野を占めております。間もなく半世紀、野口プロモーション(日本キックボクシング協会)参加の選手は雲霞の如く巣だって行きました。
 
 
~野口修とキックボクシング~
 
 イベント当日はそうした野口門下のOBたちが集う同窓会のような場になったらいいなと密かに考えております。野口社長も来年は傘寿、80才になります。あらゆる辛酸を舐めながら今日の揺るぎない礎を築いたキックボクシング。
 
 同氏が歩んだ、その栄光の轍(わだち)を1枚の古いチケット、ポスターに思いを馳せながら辿る、これが展示会の旨趣であります。勿論現役のチャンプにも多数来て頂いて、新旧王者、選手が世代を超えて交歓するシーンを眺めるだけでも嬉しい。
 
 1足のシューズにもドラマが宿っています。旧きを訪ね、新しくを識る、まさに温故知新であります。当日は野口社長を囲み思いで話に耽るのもよし、これからのキック界の有り方を語り合うのもよしです。いずれにせよ新旧歴代の名チャンプが集結する壮大な宴にしたいと夢を馳せております。一般のキックボクシングファンも大歓迎です。
 
 これから多くの関係者、OB達にお会いして展示品を蒐集します。どうぞ御協力の程お願い申し上げます。キックボクシングの父に相応しい展示会、博覧会にすることが私(プロデューサー)の使命と思う次第であります。
 
  
フイギュア、際立つキム・ヨナ
 
 カナダで行われたフイギュア世界選手権、女子は圧倒的な力量でキム・ヨナが優勝した。2位コストナーも3位浅田真央も霞んで見えました。ものが違う、異次元の舞いをしているな、と素人なりに感じました。
 
 スケーティングがゆったりして、自信に満ちた表現力、指一本に至るまでメッセージを発信している。長期、大会から離れていたというのに全くブランクを感じさせない安定感は見事。22才、これからまさに円熟の境地に差し掛かる。ということでロシアソチでの来年の冬季五輪でも、優勝、連覇は固い。よほどの失敗がなければ。
 
 私は女子の歴代1位は1984年サラエボ、88年カルガリーを連覇したカタリーナ・ビット(東ドイツ)を上げる。ソチでキム・ヨナ選手は名実共にビットと肩を並べる存在になるだろう。日本勢の浅田真央、村上佳菜子は表現力で叶わぬならば、ヨナを圧倒する4回転ジャンプとか3回転の連発で審判員のハートを掴むしかない。それほどキム・ヨナはずば抜けた存在である。
 
 
さくら、さくらの季節到来
 
 遂先日までは寒空に震えていた裸の桜木、いつの間にかちらほらほころび始めている。今年は寒い日が続き開花予想は25日だったのに、西原商店街の桜祭りも当初予定していた4月7日を急遽変更するようだ。
 
 北陸や北海道では豪雪に見舞われているというのに同じ日本の国でこうも気象が違う。自分だけ一足早く春を享受する、なんだか申し訳ない気持ちになる。関東地方は週末が見頃か。
 
 でもこのまますんなりと春が来るとは思えない。気まぐれな寒気が流れてきて首都にも、雪を齎すかも知れない。4月に入って桜が咲いて、大雪が降ったという例はままある。とんとん拍子の桜の開花にちょっぴり我心は贅沢な悩み。例年より10日も早い開花だそうだ。
 
 
~権現堂堤の桜と菜の花~
 
それでも今年は何処ぞの桜を見物に行こうかと気もそぞろである。先ず埼玉県幸手市の権現堂堤の桜並木を散策してみたい。菜の花畑と一体となす光景をテレビのニュースで見て以来、私の心を離れない。同郷の友人も住んでいる街、そうだ訪ねて行こう。旧交を暖めるいい機会だ。
 
  
~西行と桜~
 
 本当に世に桜のなかりせばである。何故かくも桜に魅せられるのだろうか。あっという間に咲きあっという間に散る花の命に、人生の儚さを人々は重ね合わせるのであろうか。蕾はほのかなピンク色で、咲き誇る花弁は白く凛として気高い。パッと咲いてパッと散る姿を日本人はかくも愛でる所以であろうか。
 
 桜といえばすぐ思い出されるのは西行法師の「願はくば花の下にて春しなん その如月の望月のころ」のうた。武士を捨て出家して、全国を漂泊した西行は、73で入寂した。桜の花のような凛とした西行の生き方に、私も共鳴するのだが。
 
 来年は角館の枝垂桜を見たいものだ。そういえば武家屋敷の門には桜の木がよく見られる。これは魔除けの意味があるそうだ。単に鑑賞するだけじゃなかったんだ。かように桜は日本文化そのものである。奥深い。
 
 ともかくも 待望のさくらシーズン到来、願わくば開花時期には、風雨はほどほどに、できればその間は晴天が続くことを天に祈りたい。ムシが良すぎるか。

 


人物は、キックボクシングの生みの親野口修氏
舟木昭太郎の日々つれづれ
 

ほころび始めた大山公園のソメイヨシノ
舟木昭太郎の日々つれづれ

  

早朝ウォーキング中に見つけた住宅街の枝垂桜

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F女史の卒業制作はプロレス/ビル・ゲイツさんのこと/他

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・F女史の卒業制作は「プロレス」
・東日本大地震から早2年
・都心の鶯
・腹が立つ話、いい話

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F女史の卒業制作は「プロレス」
  
 9日は初夏の陽気の中、某美術大学へ出掛けた。JRとバスを乗り継いで向かう。同校は初めてなので随分遠い気がした。目的は私の拙いブログを毎週アップして頂くF女史が、同校通信教育課程を目出度く卒業することになって、その卒業制作展でプロレスを題材にした作品を展示するというメールを頂いたからだ。
 
 F女史にはボランティアで手伝ってもらっているから、何をおいても行かねばならぬ。バス停留所で偶然にもF女史の御家族に会う。お兄さんは飲み友達なので直ぐそれと分かった。いいね、家族で祝う卒業展、この時点で、何だか私まで家族みたいな幸せな気分になってしまったのである。
 
 F女史は現在、某企業のデザイナーで、一念発起して大学の門をくぐった努力家である。プロレスが好きでよく後楽園ホールに同行する。それでも、まさか卒業制作のテーマにプロレスを選ぶとは、果たして大丈夫なの?と多少心配もあった。
 
 それがどうして、見て吃驚、迫力満点で、展示スペースの剥きだしのコンクリート壁には15人の国内外レスラーのパネルがずらりと並び、先ずその壮観さに驚いた。F女史自身が描いたレスラーの姿に何とも言えないテイストがあり脱帽しました。心安らぐ文句なしの大作です。プロレスは人の心を癒すことを改めて実感しました。
 
 力を入れて写真を撮りましたが、今後の展示会の都合で今回はお見せできないのが残念。兎に角、家族が言うのも(?)なんですが、飛び抜けてクオリティーの高いものでした。それが証拠に何でも優秀作品に選ばれたそうです。後日、別途大学主催の展示会が開かれるということなので、日時が決まったら御案内いたします。是非ご覧になってください。特にオールドファンにお勧めです。痺れますよ。
  
  
東日本大地震から早2年
  
 東日本大震災からもう2年が過ぎた。あの日は神保町のデザイン事務所にいた。3日後に迫ったNTTFan+用のネット配信するコンテンツの調整に没頭していた。午後2時過ぎにたまたま休憩を取り知人と喫茶店に入り、コーヒーに口を付けたところにグラっと来ました。これはかなり大きいぞと身構えたら店員の女性が叫んだ。「みなさん外へ出てください!」
  
 その声を待たず既に脱兎の如く外へ出たお客は、一様に空を見上げて地震の成り行きを見守っていた。何故空を見上げるのか私は今だ分からない。皆動転していたのでしょう。地震は空からやってくると思っていた様子でした。しかしその時点ではあのような巨大な災害になろうとは想像もできませんでした。ましてや原発事故に繋がるとは。
  
 あの日から2年の時が流れて、いまだ仮設住宅に住む人は35万人、原発事故で自宅に戻れない人は15万人。この現実は他人事と思えない。明日は我が身であることを心せねばならない。で原発は結局のところ推進するという政府の方針。人類は悪魔を手にして、そこから離れなくなってしまった。人間は自然の力に尊大であり過ぎる。将来阿鼻叫喚の世界が待っているとも知らずに。
  
  
都心の鶯

  
 週末、東京は初夏の気候でラジオ体操に行く途中に畠に寄ったら梢で鶯が啼いていた。ホ~ホケキョとしっかりとした音色で朝焼けの空に響いていた。都心で鶯の鳴き声を聞くのは2年ぶりで、また戻って来たかと思うと無性に嬉しくなった。
  
 現在住む処に移った頃は裏に鬱蒼と木々が繁った庭のある旧家があって鶯も尾長鳥も、見たことも無いような渡り鳥などがしばしば見られたが、壊して分譲住宅になってからは、とんと鶯の鳴声も聞かれなくなっていた。
  
 遺産相続などの問題があるかも知れないが、大きな邸宅が切り売りされてしまうのは何となく寂しいものである。環境がガラリと変わってしまう。そういえば、代々木上原の高級住宅地域の大山町に住むユニクロ柳井会長邸も以前は外国人が住んでいて、庭そのものが森林のようであった。土地が売りに出されたとき公園に残せと住民運動があった。
  
 2000坪はあるという、いまはそこに高く分厚いコンクリートの壁を巡らして内部は知る由もないが、ユニクロ王国の主がお住まいになる。ゴルフの防護ネットが塀から突きだしているから、練習場のようだ。いずれにしてもサクセスストーリーのシンボルのような豪邸はいまや地域の名物になっている。いいではないか、金持ちが住んで渋谷区に多額の住民税が落ちるのだから…。
  
  
ビル・ゲイツさんのこと
   
 世界の長者番付に載るくらいだから、それくらいの豪邸は至極当然だろう。元K-1佐竹雅昭さんに伺った話では、国土が広いアメリカでは想像もつかないような広大な邸宅があるらしい。
  
 シアトルに自宅を持つマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツさんの邸宅は、道路に面していて自転車で行けども行けども塀が尽きる事がないそうだ。街の中に牧場があると想像すればいいのだと佐竹さんは言う。そのゲーツさんはお寿司が好きで、日本人経営のすし店にぶらりとジーンズ姿でやってくるらしい。佐竹さんは店で偶然お会いしたというが「とても気さくな人でしたよ」
   
 日本でも私がたまに行くすし店にゲイツさん見えたらしい。で帰り際、箸袋の表に、日本で一番美味しいすしです、といったような文字を書いてサインしたらしいが、親方は気が付かず捨てようとしたところ、御客が、おいおい、あれはビル・ゲイツさんだぜ、世界一のお金持ちの。と言われ始めて気が付いたなんて、エピソードもある。
  
 或るときは車の中で食べるといって、持ち帰ったらしい。忙しい人は気の毒なもんだね、ゆっくり食事もできないなんて。俺なんかタップリ時間があるもんなあ、銭は無いけどよう~てなことを言って庶民は憂さ晴らしするしかないか、熊さんよぉ~。
  
  
腹が立つ話、いい話
 
 次は腹が立った話とちょっといい話で終わりにしよう。近来稀に見て腹が立ったのは、町内にある渋谷区立西原図書館での出来事。半年前に予約した本が二冊、ようとして連絡がないので出掛けて行って「どうなっているの?」と聞いたら、すげなくも「不要になっています」と係の女の子はのたまう。
  
 誰が不要といったのかと聞けば「不要となっていますから」と全然相手にされない。でも2月半ばに入りますからと私は返事をもらいましたけどと私は猛然と食い下がったのですがラチがあきません。あなたではダメだから責任者を出しなさいというと、今度は責任者は居ません、明後日なら居ますとなって憤慨して私は帰ってきました。
  
 指定の日に改めて出掛けると責任者というIさんが現れ、即座に私共が全面的に悪いのですと深々と頭を垂れました。何でも「不要」という言葉は専門用語で、利用者が知る由が無いとの事で身内でミスを犯したことを認めたのです。本は早急にご用意します、ということでしぶしぶ納得した次第なのです。
 
 責任者の潔い態度に得心したが、女性スタッフの誰1人として己の間違いを認めない態度にはいまでも赦し難い気持ちです。間違いは避けられない事、でも間違ったら潔く謝り善後策を講じる事が大事。今回は責任者の態度に救われたという思いがあるが、何となくしっくりしない。区役所も下請けに任せて置かないで、ときに管理体制を十分チエックすべきである。
 
 ちょっといい話は隣家のリフォームを担当している若者の言動が爽やかで、こんな若者がいる日本は捨てたもんじゃないと感心した。顔を合わせると決まってこういう。うるさくて済みませんと。私はお互い様ですから大丈夫、うちも去年遣りました、というのですが今朝もおはようございますと丁寧な挨拶。気配りは人間関係を滑らかに、豊かにするものです。
 
 今回も少々長くなりました、反省です。
 
 
卒業展の作品の前でF女史と
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昼は高森夫人、夜は藤原会長、お雛祭りに誕生祝賀会が重なって/日本初のムエタイ道場山田ジム

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・お雛祭りに誕生祝賀会が重なって
 ~高森夫人恒例のダンスパーティー~
 ~夜は藤原会長キック人生45周年祝賀会~
 ~馴染みの格闘家が集結~
・日本初のムエタイ道場山田ジム
 ~資料をお持ちの方御協力を~

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お雛祭りに誕生祝賀会が重なって
 
 3日は桃の節句、お雛祭り。この日は私がお付き合い頂く大事なお二人が誕生日でそれぞれパーティーを開いた。1人は梶原一騎夫人高森篤子さん、もう1人は何とキックボクシングの藤原敏男会長。藤原会長がお雛祭りの日が誕生日とは何とも意外である。
 
 高森夫人は毎年恒例のダイニングラウンジを貸し切って、昼1時から7時までのロングラン・バースデーパーティー。六本木ヒルズ泉ガーデン内「ラウンジ オペラ」という高級イタリアンレストランで、食べて踊って飲んでいつもながらとても豪勢な誕生パーティである。今年で9年目、68才を迎えて高森夫人はますます溌剌としている。私も第1回目から招待によくしている。
  
 子供からお年寄りまでざっと300人を超える来客で賑わった。全て高森夫人の招待客で会費は無しである。私などかくも高級な、しかも六本木ヒルズのお店なんぞで遊ぶことは全くない。然るに場違いな感じで、身の置き所がなくてウロウロしていた。そした和服姿の高森夫人が見えて、2階にVIPルームがあるからそちらへ行って、自ら案内してくれた。なるほどVIPな空間で、ゆったりとしたソファーがあり私にはもったいない感じがした。1階とはまさに別世界の静けさで、こっちの方が落ち着かなかった。
  
  
~高森夫人恒例のダンスパーティー~

 パーティーの時刻となった。高森夫人が現れ招待客に御礼の挨拶を述べた。1年が過ぎてまた皆さんと再会した喜び、人と人の縁を大事にしたい等々。簡単な挨拶だが、実に温かなとても心に響く挨拶だった。いつも感謝の気持ちを忘れない夫人の生き方は、一体それを何から学んだのだろう。「有難うという言葉は自分に跳ね返ってくるのよ、舟木さん。」以前聞いた夫人の言葉を思い起こした。
  
 少女たちのディスサウンドにのった激しい踊りで幕を開けたパーティーは、夫人が和服姿なので東京音頭、更には炭坑節の和もの音楽が鳴り響き若きも老いたる者も輪になって躍り始めた。賑やかな誕生会の始まり。盆踊りが終るや、風のように着替えた夫人の登場洋装で再登場。
  
 ここからが本番のディスコタイム。ボリュームが一段高くなって会場を覆った。頃合いを見計らって私は会場をあとにしたが、今年は会場も明るく気に入って2時間半近く留まった。ワイン2杯、ビール1杯飲んでいい気分になり一旦自宅に引き上げ、夜の部藤原会長の誕生会とキック人生45周年パーティーに備えた。
  
 
~夜は藤原会長キック人生45周年祝賀会~
 
 6時からは藤原敏男会長の「キック人生45周年祝賀パーティー」が本郷「東京ガーデンパレス」に250人の招待客を集めて開催された。格闘技関係が8割、一般人が2割という参加者構成であり、キックに限らずプロレスから総合、空手界まで幅広く集まっていたのは流石キックの鉄人の人脈。ここ一発の時には格闘家が馳せ参じる。これも藤原会長の人徳だろう。
 
 新間寿元新日本プロレス営業本部長も姿を見せていたし、藤原会長の盟友タイガーマスクの佐山聡氏、和田良覚レフェリーの横には元修斗、総合格闘家中井祐樹氏(現終斗協会会長)も、私がテーブル近くを通ると、舟木さんしばらくですと声を掛けられ恐縮した。ゴング格闘技誌時代に御世話になっている。技の探究に余念がない理論派で腰が低く私はかねがね好感を抱いている。
 
 
~馴染みの格闘家が集結~
 
 私共の丸テーブルにはキックの猪狩元秀夫妻、元協同プロモーション榎本浩氏、元スポーツライフ社松永秀夫社長と馴染みの顏があった。しかし私の右隣に座ったのは空手建武館篠田剛館長で初めてお会いする方だが、穏やかで、終始気配りがあり良いひと時を過ごせた。同席する人の性格によっては、その場の空気が好ましくなったり、嫌になったりする。自分の振る舞い、印象には気を付けなくてはならないと自戒する。
 
 篠田館長、食べ物をお皿に移してくれたり、飲み物をボーイさんに頼んでくれたりと、どうも有難うございました。このような豊かな精神をお持ちの指導者に教えられる子供たちは倖せですよ。武道は決して強くなることだけが目標ではないのですから。
 
 祝賀の集いは和太鼓あり、女装の演歌あり、あちこちで格闘家との記念の撮影ありと、あっという間に3時間が過ぎたが、面白かったのは壇上でのトークショー。中でも佐山氏の藤原会長に贈る言葉は、ユーモア溢れ腹を抱えた。お互いを信頼するからこそのブラックジョーク、いいものである。私も藤原会長と共に歩んできたきたという実感があり、私の感慨も無量でした。
 
 藤原会長には健康に注意して後進の指導に邁進して頂きたいと願う。今日という日は、高森さんと藤原会長、私の掛け替えのない御二人がそれぞれに素晴らしい祝賀会を開催できた事は、まことに自分のことのように嬉しい。
 
 
日本初のムエタイ道場山田ジム
 
 日本初のムエタイ道場山田ジム+ムエタイのアッパー格闘技博覧会を企画してております。どなたかNET(現テレ朝)のワールドキックボクシング時代の資料などお持ちの方おりましたら御協力をお願い致します。
 
 恵比寿にジムが設立されるときに駆り出されてお手伝いして、それが縁で1年間練習生として汗を流しました。当時、私は大学に在籍中で目黒のパブオーシャンでアルバイトをしておりました。目黒は在日タイ大使館があるところで、バーにはよくタイ人が集まってきました。
 
 そんなときにタイ大使館に勤めていた山田正氏(故人)が中心になりNETがキックを始めるのに合わせて設立されたのですが、トレーナーには野口修社長が初期に招聘したタイ選手で、バイヨーク・ボーコソー(通称トムさん)が就任しました。彼こそ山田ジム躍進の立役者でした。
 
  
~資料をお持ちの方御協力を~
  
 またジムは留学生の恰好の溜まり場になり、彼等も我々練習生たちを指導してくれました。自由闊達なジムで勿論いじめとか、しごきみたいはありませんでした。しかしフライング・ジャガー、増沢潔といった名選手を世に送り出しました。佐藤正信、春川統一郎というタイ式の技を駆使するチャンプも生まれました。
  
 その山田ジムは15年程で幕を閉じましたが、山田正会長も鬼籍に入られて早3年、追悼の意味でも博覧会を実現したいと願っております。何か山田ジムに関連するものがおありでしたら、御連絡頂きたいと思います。
【ご連絡先】
TEL:03-3469-0620 FAX:03-3469-0685 
E-MAIL:upper@lapis.plala.or.jp

 

~3月3日高森篤子+藤原敏男会長誕生祝賀会グラフイック~
壇上、左よりRISE代表伊藤隆氏、元藤原ジム小林氏、藤原会長、佐山氏、和田レフェリー
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左より建武館篠田館長、私、猪狩氏
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すっかり酩酊している主役藤原会長と
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猪狩夫妻の後方は女形の北岡歌手
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修斗の中井会長と和田レフェリーと

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いつも綺麗な梶原一騎夫人高森さん
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キッズたちと誕生会の挨拶をする高森さん

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ゴン格250th記念号/自見国民新党の醜態/大黒湯/他

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・自見国民新党の醜態
~即刻政界から去りなさい~
・露地栽培の土を掘り起こす
~空気の流れのよい土壌~
・「大黒湯」でレトロな気分に浸る
 ~高名な画家の絵もある~
・ゴン格250th記念号
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自見国民新党の醜態
 
 国民新党自見庄三郎代表の動きはまさに醜態である。民主党と連立与党を組んで、自らは郵政大臣のポストを手に入れたが、先の選挙で民主党が大敗。今度は自民党に復党、合流を企てた。
 
 挙句は自民党から肘鉄を喰らって、行き場がなくなった。次の参議院選挙を睨んでの行動だろう。自民党ならと踏んでの目論みだろうが、世の中そんなに甘くはない。潔く政界を引退しなさい。
 
 自民党も今回ばかりはそのかわり身に「安易な合流や復党は国民の理解得られない」との判断で、珍しく歯切れがよい決断を下した。当たり前である。いくら与党が参議院で過半数に届かないとあっても、コロコロ猫の目のように変わる政治家を絶対に信用してはいけない。
 
 
~即刻政界から去りなさい~
 
 政治家の信条とは一体何なのか。自見議員のような破廉恥な政治家を郵政大臣に据えた民主党も問われなくてはならない。ここに至り命乞いを図る自見党首と国民新党よ、即刻政治界から去りなさい。正義も信条も無き政治家は、税金の無駄遣いだからして。
 
 いずれにせよ、この種の政治家は自民党が受け入れたとしても、形勢が危ういと見れば、またぞろ政権を担う党に愁眉を売るに決まっている。情けない限りだ。ああ、千万人とも雖も我行かん、の心ある政治家は居ないものか。
 
 
露地栽培の土を掘り起こす
 
 21日(金)は思い立って畠に出かけた。自転車で拙宅から3分ほどの処、ゴルフ練習場に隣接する、住宅街のど真ん中に露地栽培の畠はある。8坪弱だが夏には胡瓜や茄子、トマトが溢れんばかりに実る。去年はフェンス沿いに向日葵を数本植えたら、大きな花を咲かせてひときわ目立ち通行人から好評だった。他人が喜んでくれることは何よりも嬉しい。
 
 いまは僅かに苺の苗が小さなビニールに覆われた中で何とか息づいている。5月になったら赤い実を付けるのだろうか。思い立ったのは、畠の土を掘り起こすことだった。
 
 寒い時期にそれをやれば寒風で土中の雑菌を殺し消毒の役目をしてくれるのだという。専門誌で知った。4月までにあと1回はする予定でいる。鍬で土を掘り起こしながら真夏の収穫を想像する。去年よりも美味しいものを、と念じて。
  
 
~空気の流れのよい土壌~
 
 元はと言えばゴルフ練習場が芝を育成するためにあったものだが、芝が育ち難く荒れ地にしていたものを私が使用させて頂いている。元々そういう目的であったので、砂利や粘土が混じっている。本来は農地には適していないのだが、3年かけて私なりに土地改良を施してきた。お蔭でやっと真っ当な作物が作れるようになった。
 
 しかしまだ土壌が硬いので、ふかふかした土壌にする工夫が得る。それには、腐葉土などもっと混ぜる必要がある。今年は更に深く掘って堆肥を大量に追加するつもり。空気の流れをよくすることが旨い作物に繋がると知った。トマトはミニから中玉、大玉と各種植えて、その上、今年こそ大玉の西瓜にも挑戦しようと考えている。農業は楽しいぞ。あなたもやりなはれ。
 
 
「大黒湯」でレトロな気分に浸る
 
 我家から徒歩5分の処にある銭湯「大黒湯」はサイン色紙や絵が所狭しと飾ってあるので人気がある。オーナー白倉さんが御近所で渋谷区に転居して以来お付き合いを頂いている。2月10日の「アッパー格闘技博覧会」でも展示品で御協力をいただいた。
  
 白倉さんは新潟出身で、それが縁で同県人のプロボクサー金子繁治(元東洋フェザー級C=現金子ジム名誉会長)を応援するようになった。昭和30年代からボクシングやキックボクシングを見続けて、観戦した試合チケットやサイン色紙は大事に取って置いた几帳面な人である。
 
 そうしたチケットの半券が銭湯の脱衣所に額にして飾ってある。サイン色紙に至っては脱衣所に納まらず、外のコインランドリーが並んでいる上部にズラリと掲げてある。サイン色紙はスポーツ界から芸能人、はたまた漫画家まで見れるのだかららちょっとした博物館である。
 
  
~高名な画家の絵もある~
  
 つい先般も「若大将のゆうゆう散歩」の加山雄三さんが取材にきたと、三代目大黒湯店主石川さんは、笑顔で語っていた。脱衣所にはサイン色紙ばかりか見たら度胆をぬかすような高名な画家の絵まで無造作に置いてあって「全部本物ですよ」と淡々としたものである。
  
 石川さんは、白倉オーナーから銭湯を借り受けているもので「お客んが楽しんでくれるので、大事に受け継ぎ私が所有しているものでも持って来て飾るので、もう此処には飾るスペースはありません」とのたまう。
   
 渋谷区西原にお出での節は1度、大黒湯(毎週水曜休み)を訪れてみてください。演歌が唸り、そこには昔馴染みの「三丁目の夕日」に出てくるようなレトロな世界に浸るはずです。山の手に下町の情緒、ここに極まれり、です。
  
  
ゴン格250th記念号
 
 23日発売のゴング格闘技4月号は創刊250th記念号で素晴らしい。中綴じから無線綴じに変えた重厚感溢れる1冊である。表紙からして白地にロゴとタイトルを金赤で使ったシンプルなもの。これがすこぶる切れ味鋭く私好みである。
 
 インタビューもの(今号はベンソン・ヘンダーソンが巻頭)や技術ものなど内容も充実しているし、全編レイアウトも洒落ている。1300円の永久保存版に相応しいものだ。決して高くはない。是非購読をお勧めしたい。スタッフ渾身の作品と言ってよい。雑誌は死なず、である。
 
 
銭湯の脱衣所辺りに飾ってあるボクサーや漫画家のサイン色紙。

具志堅、矢尾板、金子の名前が見られる。

舟木昭太郎の日々つれづれ

 
ゴン格4月号、250th記念号特別版の表紙。
舟木昭太郎の日々つれづれ

露地栽培の畠も土を掘り起こして寒風に曝す

舟木昭太郎の日々つれづれ

代々木上原、西原町にある「大黒湯」の入り口付近。
舟木昭太郎の日々つれづれ

芸能人やスポーツ選手のサイン色紙が所狭しとある。

舟木昭太郎の日々つれづれ


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レスリングの五輪除外の衝撃/博覧会を終えて1週間/他

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・レスリングの五輪除外の衝撃
 ~レスリングは何が問題か~
 ~競技のスリム化も必用~
 ~ゴルフは五輪に不要です~
・隕石の破壊力
・博覧会を終えて1週間

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レスリングの五輪除外の衝撃
 
 レスリングのオリンピック競技からの除外(2020年)の報道には、驚きましたねえ。古代ギリシャのパンクラチオンから連綿と続いてきた伝統ある格闘技が、よりによって外されるって、全く以て怪しからん。何故テコンドーが残り、レスリングが外された!と私は拳を振り上げたものの、待てよ何か理由(わけ)が有るんだろうと、その背景を私なりに探ってみました。
  
 で、やっぱりレスリング側にも問題がありました。その辺の事情については、幸いスポーツジャーナリスト片岡亮氏がネットで分析しておりましたので、参考にさせてもらいます。この種の問題は客観的に捉える必要があります。徒に怒るだけでは問題の解決にはなりません。
 
 レスリングについては、IOC(国際オリンピック委委員会)は既に15年も前からレスリング連盟に改革を求めていたというのですが、先ずレスリングの、競技スタイルから紹介していきます。
 
 レスリングには、上半身だけのグレコローマンスタイルと全身を使ってよいフリースタイルがあり、男子は両スタイル共7階級で、女子は4階級(五輪)があります。女子は04年アテネ大会から正式種目に採用されました。女子にはグレコの種目はありません。
 
 
~レスリングは何が問題か~
 
 一番の問題は競技の肥大化で、人気のないレスリングは外されたということですが、他に理由があるというのです。どうもその要因は女子に有るようだと専門家は見ているのです。女子レスリングが正式種目に採用されてはみたが、競技人口、参加国は思ったほど増加していないことなどが上げられている。海外では人気がない競技で、日本だけが異常な人気なのです。
 
 例えばイスラム圏では、女子が肌を曝すことを嫌うのがなかなか普及しない原因だという。にも拘らずレスリング連盟は、現在18階級ある階級を更に21階級に増やす案を求めているなどして、IOCの方針と対立しているとも伝えられる
 
 吉田沙保里の五輪3連覇、国民栄誉賞に湧く日本に水を差すような何とも残酷なニュースですが、早急に改革案を出せば復活するとみるます。私はグレコローマンはフリースタイルに一本化すべきだと考えているのですが、これって暴論ですか?それとも一体化した競技に改革する案はどうでしょう?柔道などはカラー道着を採用して生き残っている。変化は進化に通ず、悪い事ではない。
 
 
~競技のスリム化も必用~
 
 因みにレスリング人口は153カ国約100万人、テコンドーは204カ国約5000万人といわれる。まあ、一部には韓国の電気メーカー、サムソンなどの強力なロビー外交もあって、テコンドーは五輪に残ったとも騒いでいるが、必ずしもそればかりではない。テコンドーは近来著しく競技人口の増やしているのも事実である。
 
 だからと言って最近採用されたばかりのテコンドーとレスリングが比べられるのも可笑しなもので、レスリングはオリンピックそのものです。永遠に残さなくてはならない種目です。スリム化をいうならば、水泳の
50㍍自由形なんぞ不要だし、100、400、1500mでいいのに自由形だけで6種目もある。水泳は男女併せて46種目、こっちが問題だと思うが。競技の細分化がオリンピックを詰まらなくしていると私は睨んでいるのですが。
 
 
~ゴルフは五輪に不要です~
 
 いずれにせよ、国際レスリング連盟も何らかの譲歩、例えば階級を減らすとかして競技のスリム化の役割を担う必用があろう。兎に角、オリンピックは何でもかんでも入れすぎる。結果自分の首を絞めている。ゴルフなんぞ最たる例で、2016年リオから正式種目に採用された。
 
 ちょっとも有難くないニュースである。ゴルフにはマスターズや全英オープンといった最高のイベントが存在する。これにはオリンピックといえども敵わない。全く以て必要ない種目である!レスリングを五輪に残したくて、この項は少し力みすぎました。
 
 
隕石の破壊力 
 
 ロシア・ウラル地方上空で起きた隕石の爆発はまさに驚天動地の現象だった。スターウォーズさながらの閃光は音速の50倍、隕石の直径は17㍍、重さ1万㌧長崎型原爆25個分のエネルギーであるという。そして、秒速18㌔で大気圏に突入したというから、どんな近代兵器で迎え撃ったとしても蟷螂の斧に等しい。(朝日新聞参照)
 
 その衝撃波によって、被害は甚大であったが、不幸中の幸いだったのは湖に落下したこと。あの物体が原子炉を直撃したらと思うとぞっとした。「想定外」の話では済まない問題で、それこそ地球が破滅するかも知れない。クワバラクワバラ。
 
 自然の怒りには神に祈るほかない。人類が起源して以来、只々天の神に祈るのは変わらないのは、それだけ人間は無力ということである。人間自戒せねばならない。
 
 
博覧会を終えて1週間
 
 アッパー格闘技博覧会が終わって1週間が過ぎてやっと身体が元に戻った感じがいたします。何でも初めての挑戦というものは、身も心も疲れるものです。体の芯が失せたような一週間でした。
 
 しかし人間というのは愚かな動物で、またぞろ次のイベントに向けて動き出しました。失敗していたらそうは行かなかったと思いますが、なまじっか成功したからなのでしょか、体が自然に作動するのです。
 
 新しい事に挑戦することは、曠野に鉄道を敷くようなもので幾多の苦難が待っています。転んだり跳ね飛ばされたり、それでも挫けず頑張ると、何かしら物と物がぶつかり合う火花みたいな物が生まれ、そこから思わぬヒントが発生するのだと感じました。
 
 
チラシはアッパー格闘技博覧会で入場券代わりに使われた鑑賞のしおり。

好評で大事に持ち帰る参加者もおりました。

(※是非、拡大してご覧ください!)
舟木昭太郎の日々つれづれ

 

拙宅の玄関脇に咲く山茶花。
今年は去年咲かなかった分見事に大きな花をつけて楽しませている。(2月18日雨の夜) 
舟木昭太郎の日々つれづれ  

 

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感謝!!感謝!!『第1回 アッパー格闘技博覧会』大盛況のうちに無事終了!!

感謝!!感謝!!

  

『第1回

 

アッパー格闘技博覧会』

 

大盛況のうちに無事終了!!


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・格闘技博覧会を終えて
・レナードVSハグラーのパネルの顛末
・新間、藤原、渡嘉敷3氏が盛り上げて
・不手際を心からお詫び致します
・守ってくれた竹内、杉浦両氏に感謝

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格闘技博覧会を終えて
 
 アッパー格闘技博覧会は無事終わりました。100人を越す参加者が来てくださいました。これは私の予想を遥かに越える数字で、感激致しました。天候にも恵まれました。朝からからりと晴れた冬の一日でした。
 
 東京ガーデンホテルの宴会場の特設会場には竹内家から提供されたポスターパネル(アリ×猪木、国際プロ時代のアンドレ、日プロ時代のBI砲等)がずらりと入口に飾られて雰囲気を盛り上げました。
 
 故竹内宏介氏の幼い頃の写真を集めた盾もあり皆さん食い入るように観ておりました。石原慎太郎前東京都知事と藤原敏男会長のファイテングポーズで向き合うパネルは異彩を放っていました。
 
 会場両脇には竹内コレクションや原正英さんの集めたチケットの数々、故杉浦滋男氏の取材ノートなどが所狭しと並べてありました。また神保町の古書ビブリオが出張販売で、格闘技の雑誌やボクシングの世界戦のポスターパネルなど販売しました。
 
 
レナードVSハグラーのパネルの顛末  
 

 実はここで最初に目に入ったのがレナードVSハグラーのパネルでした。保存状態のすこぶるいいもので、両者が睨み合う写真で迷わず小野店主に「私がこれ買うからね。売らないでおいて。」と予約しました。
 
 ところがイベントをが始まる直前になってその前を通ると何と「これいいな、気に入ったよ。俺買うよ」と言っている人がいました。観れば藤原ジムの元斉藤功マネでした。
 
 小野店主曰く「舟木さんどうします?」、振り向いた斉藤さんも私が先約だと知って目を白黒でした。私は「善いよ、斉藤さんなら仕方ないも」のと笑って応えました。でも欲しかったなぁ。斉藤さんの翌日FACEBOOKの投稿を見たら、6300円で買った件のパネルがヤフーオークションで42000円で売りに出ていると雄叫びを上げていました。
 
 よかったねえ~私は悔しいけど、でも斉藤さんは、10数人の仲間を今回のイベントに連れて来てくれた人。感謝の気持ちで譲りました。その代り小野店主が、レナードVSハーンズのポスターを値段の半額で売ってくれました。天は二物を与えてくれたのです。
 
 
新間、藤原、渡嘉敷3氏が盛り上げて 
 

 正面のステージには竹内宏介氏の遺影がテーブルに飾られて参加者を見守っておりました。彼がこの日の盛会を導いて呉れたのかも知れません。繁子夫人も御孫さんを連れて来てくれました。繁子夫人も祈るような気持ちで在ったのかも知れません。
 
 新間寿さんも幻のベルト持参して披露してくれました。講演は竹内宏介氏の多大なるプロレス界に対する貢献を熱く語ってくれました。渡嘉敷勝男会長は軽妙な司会で、オークションに一役買ってくれました。お蔭で10万を越す売り上げで、会場費の役に立ちました。
 
 最後に締めたのはキックの鉄人藤原敏男会長で、猪木の123ダーで丸2時間の博覧会を力強く締めて頂きました。あっという間の初体験、終了と同時の後片付けは竹内家と杉浦家からお預かりしたコレクションを3人掛でチェックして、こちらも汗だくの作業でした。
 
 
不手際を心からお詫び致します
 
 尚、杉浦さんの取材ノートから若き日キックボクサーとして協同ジム所属で、試合をしたトータルリフォームサービス渡辺社長が、自分の試合結果が載っていた、と宝物を見つけたように喜んでおりました。杉さん、これって凄いことだよ。御報告いたしますね。
 
 申し訳なかったのは、食事会まで手が回らずに参加した方々には御迷惑をお掛けしたことです。不手際を心からお詫びいたします。次回はこのような事がないように、万全を期したいと猛省しております。
 
 結局竹内夫人家族は夕食も取らずに帰りました。さぞや天国の御主人は「舟木さん、しっかりしてよ」と叱っていたかもしれません。その食事会は遅れて開かれました。元東京スポーツ門馬忠雄御夫妻も参加されて、同席した親しい仲間にプロレスの裏話などをしてくださいました。
 
 あれこれ反省を踏まえて、5月には、ムエタイとキックボクシングで開催を企画しております。実現となればバンコクに飛んで、シリモンコンなど過去の名選手にも会って、より多くのグッズを集めて参る所存です。遣るからには徹底したイベントをと覚悟しています。
 
 7月にはプロレスに完全に的を絞って大がかりな博覧会を予定しておりその節は、新間さんや坂口征二さんに発起人になって頂くつもりでおあります。今回の反省を踏まえてアッパーは前進して行きたいと心を決めております。老いの一徹、齢(よわい)70の、「Olds be Ambitious!」です。多少なりとも御期待下さいませ。
 
 
見守ってくれた竹内、杉浦両氏に感謝
 
 天国の竹さん(竹内宏介氏の略称)、あなたが天国から見守ってくれたお蔭で、人生初体験の格闘技博覧会を曲がりなりにも無事終わることができました。本当に有難うございました。杉浦さんは、どう見たでしょうか。「いいよいいよ、舟ちゃん失敗を恐れず遣ればいいよ」何か、そんな自分に都合の善い言葉が返ってきたような気がしました。
 
 お寒い中を皆さん有難うございました。一人一人に御礼をいいたい気持ちです。イベント終了後は村上桂、福島知好両スタッフと家内の4人で、お茶の水に繰り出して居酒屋でしこたま飲みました。深夜千鳥足で帰宅しました。でも心地よい深酒でした。竹さん、杉さん俺はやったよ~と叫びたい、そんな星空でした。

 

竹内繁子夫人と大勢の参加者

舟木昭太郎の日々つれづれ

猪木×アリのポスターパネルと石原前都知事×藤原会長の写真パネルも。
舟木昭太郎の日々つれづれ

新間寿さんも故竹内宏介氏の功績を称える講演。
舟木昭太郎の日々つれづれ

 

オークションでは渡嘉敷会長が軽妙な司会で盛り上げた。
舟木昭太郎の日々つれづれ
 

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いよいよ開催!!アッパー格闘技博覧会は2月10日(日)!!竹内宏介氏秘蔵コレクション登場!!

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・直前に迫った「格闘技博覧会」
 ~「プロレスマスコミの巨人」~
・女子柔道監督の暴力事件
 ~飼育されたスパルタの教え~
・杉浦滋男アナの墓に詣でる
 ~新しい事を為すとき墓前に誓う~

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アッパー格闘技博覧会情報 

【開催日】 2月10日(日)PM4時30分~6時30分
【会  場】 東京・本郷「東京ガーデンホテル」特設会場
舟木昭太郎の日々つれづれ  

※詳細情報はこちら

  

直前に迫った「格闘技博覧会」
 
 いよいよ今週の日曜日(2月10日、午後4:30分~6:30分)に「アッパー格闘技博覧会」(東京ガーデンパレス特設会場)を開催致します。直前に迫り、正に猫の手も借りたいほどの慌ただしさです。
 
 天国の竹さん(竹内宏介居士)は、どんな思いで私の作業を眺めているのだろう。兎に角、故人に恥ずかしいイベントにはしたくない。その一心で最後の詰めに励んでいいます。
  
 そんなせわしない折に、繁子夫人から「力道山時代のチケットが見つかりましたのでお渡しいたします」との電話。プロレス漫画にポスター、写真、それにレアなチケット。どれも門外不出の貴重な竹内コレクションで、私を信頼して提供してくれる。竹内家にはいつもながら只感謝あるのみです。期待に応えなければならないと切に思う。
  
 私が博覧会開催の構想を思い立ったときに真っ先に脳裡を霞めたのが竹内コレクションの公開でした。竹内氏がコツコツと長年にわたり蒐集してきたプロレスグッズ。何とかファンに見てほしい。それが竹さんの偉業を伝承すること、私はそう信じた。そんな純な気持ちが竹内家に通じたか、幸いかな全面的に御協力して頂きどうやら想像した以上のイベントになりそうです。
   
 私はいま心密かにそう確信しています。竹内氏は、昨年5月、66才鬼籍に入りました。会社の譲渡で心労が重なっての突然の死であったと私なりに理解しております。まだやりたい事が山ほど有ったろうにと、コレクションを整理しながら切実に思うのです。
 
  
~「プロレスマスコミの巨人」~
  
 第1回のワールドリーグ戦を描いた「プロレス漫画」は将来1本に纏めて出版する構想が在ったのではないのか。実家の都合で職場で働きながら、好きなプロレスを追い続けた竹内少年の心情、それがいま手に取るように私には分かるのです。
  
 彼こそは紛れも無く日本が生んだ「プロレスマスコミの巨人」でありましょう。彼のように編集ができて、デザインは一流で、映像マニアでもあって、プロレス知識は他の追随を許さじ、こんなマルチな人は見たことがありません。日本スポーツ出版社に在籍中、竹内社長の元で専務取締役として働けたことが私の大きな誇りとなっています。
  
 偉大なる竹内宏介氏の遺品をこの度公開できるのはまことに法外の喜びです、皆さん博覧会に来るというよりは竹内宏介氏に会いに来てください。そして如何に竹内宏介とう人間は偉大であったかを感じて頂ければ幸いです。故人を偲んで1分間の黙祷を捧げるセレモニーも行います。家族も来てくださいます。皆でミスターゴングを偲ぼうじゃありませんか。
  
  
女子柔道監督の暴力事件
  
 柔道の女子日本代表の園田隆二監督(39)が選手に暴力やパワーハラスメントをしていたと15人の女子選手から日本オリンピック委員会に告発された問題は、前代未聞の出来事だが私は別に驚きもしない。
 
 何となれば日本のスポーツ界はずっと昔から”スポ根”主義で選手をそだててきたし、それが美しいものだと国民が総じて認めてきたからだ。はやい話が、東京五輪の女子バレー。”鬼の大松”のスパルタ特訓の結果金メダルに輝いて、国民は大いに感激したものだ。
 
「東洋の魔女」は尊敬の呼称だった。練習を公開したテレビの特番は、凄まじいばかりの、あれは練習という名の拷問だったが、それを観た者は、極限までしごく大松監督の指導力をこぞって、手放しで、礼賛したものである。レスリングの八田イズムもしかり、猛練習のみが勝利を掴む…この思い込みこそが勝利への日本式スポーツメソッドで現在まで連綿と受け継がれているのです。
 
 下は少年野球から上はプロ野球まで、練習では猛ノック、エラーすれば少年の全身に罵声が飛び、時に拳骨が落ちる。「何やってんだぁ、バカ野郎!」少年野球の練習では、日常茶飯事の風景である。少年たちは
野球を楽しむ前に「修業僧」にならなくてはいけない訳です。
 
 アメリカの少年たちの練習をテレビで見ました。少年たちは、思い思いの服装でのびのびとベースボールを楽しんでいました。監督も子供の自主性に任せているようです。これが本当の姿だと思いますが。
 
 
~飼育されたスパルタの教え~
 
 一番顕著なのは大日本帝国陸軍で、理由(わけ)も無く上官が下士官を殴る、蹴る。上官には絶対服従だから、軍隊には殴られるために入ったようなもので、寝ても起きても毎日が地獄だったとは元二等兵の老人に聞いた。
 
 日本のあらゆるスポーツにはまさにこの軍隊式が息づき、今なお跋扈している感じがする。甲子園での春夏の高校野球をテレビ観戦れば一目瞭然で、1秒と違わない開会式のスタート、一糸乱れぬ選手達の行進、我々はその光景に接して清々しい、高校生らしいと感激する。実は我々こそが、かくいう軍隊式の規律を心の底で期待しているのかも知れない。
 
 でも高校野球も国体もそうだが、もうオリンピックのように自由な入場行進にしませんか。そういう時代だと思いますが。とはいっても、、♪ああ、栄冠は君に輝く~、やっぱりあのメロディーを聞くと、何だか理屈なしに、胸がキューと締まるから不思議です。私もやっぱり軍隊派なのですかねえ、単純に受け入れてしまうのです。
 
 これって、長年にわたり飼育されてきた日本民族に等しく流れる血なのかもしれないですね。だからして、スポーツの指導者にはパワハラ、暴力は永遠に亡くならないと私は横暴に結論付けるのです。(曖昧でどうもスイマセン!と、林家三平師匠風に手を額に置いて。)
 
 
杉浦滋男アナの墓に詣でる
 
 1月も終わりの31日は自宅を午前11時に自宅を出て東京メトロ本郷三丁目駅に向かう。元テレビ東京アナウンサー杉浦滋男さんのお墓参り思い立った。お墓は東大赤門前の「喜福寺」にある。
 
 凡そ二年振りに境内に入って、墓のある場所すら記憶の中から欠落していて、二度ほど同じ道を彷徨ってやっと目的の杉浦家の墓を見え出した。そうだったのだ、ポンプの近くの棕櫚の木の下だったのだ。
 
 塀際の其処だけが、切り離れたようにポツンと静かな佇まいは安らかに眠れる特等地であろう。持参した花をお供えして、ペットボトルの水を花さしと、お墓に注いだ。
 
 「杉さん、来たよ。御免、御無沙汰しちゃて。今度新しいイベントやるんです、アッパー格闘技博覧会というやつ、杉さんも天国から見てね。プロレスやボクシング、キックといった全て杉さんの実況していた格闘技ばかりだから、楽しいと思うよ」
 
 
~新しい事を為すとき墓前に誓う~
 
 そうかい、そうかい、それ面白そうだよ、いけるよ舟ちゃん、絶対いけるよ。オレもきっと見るよ。いつの間にか杉浦さんが目の前に笑顔で語り掛けているような心地よい錯覚に襲われた。この日は風が冷たかったものの、空は晴れ渡り澄み切っていた。
 
 私の心の中でも何かいいことしたような晴々とした気分になった。御世話になった杉浦さんが、どうやら勇気を私に与えてくれたようだ。今度来るときにはアサヒスーパードライを持参します。一言断って墓を後にした。
 
 そういえば竹内宏介氏と杉さんはプロレスを通じて昵懇の仲だった。今回のイベントは特に竹内コレクションがメインだから、さぞ杉さんも興味をもつだろう。歩きながらそれも天国にいる杉さんに報告した。
 
アリ×猪木戦のポスターなど多数展示
舟木昭太郎の日々つれづれ

 

格闘技関連のテレフォンカード
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杉浦滋男さんが眠るお墓
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写真右はG馬場の王道16文の記念テレカ、直筆サイン入り。
丸いワッペンはNWA公認レフリーのもの。
チケット下は力道山帰国第1戦、リキ・スポーツ・パレスのレアもの。
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2/10アッパー博覧会に続々お宝登場!竹内宏介氏少年の自作漫画プロレス本!他

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・2/10アッパー博覧界に続々お宝登場!
 ~竹内宏介氏の漫画プロレス本発見
 ~Wリーグ戦を精巧に描く
 ~資料的にも価値のある冊子
 ~「NETキック」幻のベルト!
・東京鮫川会の新年会に出た
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アッパー格闘技博覧会情報 

【開催日】 2月10日(日)PM4時30分~6時30分
【会  場】 東京・本郷「東京ガーデンホテル」特設会場
舟木昭太郎の日々つれづれ  

※詳細情報はこちら  


2/10アッパー博覧界に続々お宝登場!
 
~竹内宏介氏の漫画プロレス本発見~

 
 今回も「アッパー格闘技博覧会」の話題からです。23日に竹内家に行って参りました。竹内宏介氏の数多いコレクションの中から、何をどう展示するか選ばせてもらいました。元週刊ゴングの女子プロ担当でプロレス蒐集家の原正英氏にも同行願いました。
 
 二人で生前故人が書斎として使っていた部屋にお邪魔して、主にポスター類を重点的にセレクトしました。なるべく歴史的価値の高いもの、ダブっていないものを1枚1枚、原氏と共に一心不乱に選びました。繁子夫人の御好意で我儘な選別に約1時間半ほどお付き合い頂きました。
 
 お蔭で十分過ぎるほどのポスターを御借りすることができました。で、これで良し、帰ろうかと片付けを始めたら、夫人が「何も無くてごめんなさい、こんなもの在るんですがどうでしょうか」といって引出から取り出したもの、それは大変に貴重なもので、幻の冊子と呼ぶに相応しいものでした。
 
 
~Wリーグ戦を精巧に描く~
 
 それは写真に見る如き小冊子、記念すべき第1回ワールド・リーグ戦を漫画で描いた精巧な詳報号でした。出場選手の似顔絵に始まり、試合内容をリアルに漫画で表現しているもので一目見て驚愕、私の胸が高鳴りました。、ざら紙に鉛筆できめ細かく書かれた縦12・7㌢、横9㌢の18頁からなる手作りの冊子は、試合の始まりからフイニッシュまで完璧に描写した作品でありました。
 
 17才の竹内少年が会社勤務を終えると、解き放たれたように自転車でプロレス会場に走ったと伝え聞いております。カメラを持たない(買えない)彼は試合をスケッチするしか残す方法がなかったのです。将来は漫画家になりたいという夢もあったとか。それにしても本職はだしの見事な漫画には、只舌を巻きます。
 
 
~資料的にも価値のある冊子~
 
 取材記者の目と漫画家の視点、双方の才能が見事に融合した作品で、彼がもし漫画家になっていたら、歴史に名を残す人物になっていたろうと私は疑いません。力道山、アトミック、オルテガなど似顔絵としてもそっくりです。
 
 題して「プロレス漫画 1953年(S34年)~1964年(S39年)」と袋にはサインペンで明記してあります。全12冊、全てこの度の博覧会に展示することができます。プロレス史としても、貴重な資料になります。
 
 まさしくミ「スターゴング竹内宏介の原点ここにあり」です。公開に快く提供して頂いた竹内家には幾重にも感謝申し上げます。皆さんお見逃しなきように是非会場に足を運んでください。
 
 尚当日は破損の惧れが十分にありますので、手に取って鑑賞することはできません。その代りコピーを添付致します。御理解の程何卒お願い申し上げます。
 
 
~「NETキック」幻のベルト!~
 
 これも博覧会に関連します。先にこのブログで御紹介した元全日本初代ウェルター級チャンプ増沢潔(山田)が、ベルトを持参して指定の喫茶店日高に来てくれました。丁度65才の誕生日になる1月25日の昼過ぎでした。
 
 ベルトはNETワールドキックボクシング(現テレビ朝日)のものと、全日本のレプリカでした。全日本のベルトは見慣れたものですが、NETのそれは全く記憶から欠落しており、私は初めて見るような感激に浸りました。ドッシりとした重厚で神々しいばかりのベルトで、デザインも優れ、私が見たどのキックベルトよりも輝いて見えました。例えればボクシングの昔の世界王者が手にしたような輝きを持っておりました。
 
 博覧会当日は増沢さん本人が来場して、ベルトの由来も語ってくれることになりました。NETキックは1年弱、全7戦ほどで消滅しました。それだけに、余り人目には触れておりません。初めて見る人も多いと存じます。どうぞこの機会に是非御覧ください。
 
 
東京鮫川会の新年会に出た
 
 私の故郷福島県鮫川村の東京、あるいはその近郊に住む人の親睦団体である「東京鮫川会」の総会をと新年会を兼ねた集まりが1月27日、午前11時からありまして、私は同じ町会に住む中学時代の恩師小滝陽子先生と一緒に参りました。
 
 故郷からは大楽村長、前田村会議長を始め村会議員、商工会の皆さんが多数1台のバスに揺られて上京しました。故郷の訛懐かし…啄木のうたのように、1年に一度の集いを私は殊の外楽しみにしております。同級生に村会議員坂本君と蛭田君の2名おりまして、坂本君は副議長の重責を担っておりました。会の事務局に市川君と監査役生田目君も共に同級生です。さながら同級会の顔触れになりました。皆元気で活躍しており再会を喜び合いました。
 
 二次会が新年パーティーになっていて、新宿住友ビル47階スカイルームからの眺望を愛でながら、酒を酌み交わしました。幸い当日は良く晴れ渡ったり、遠くには丹沢の山並みがはっきり見渡せました。矢張り故郷の訛は心に響くものですが、放射能のことが必ず話題に上りました。
 
 総会での大楽村長挨拶の中でも、牛に与える牧草や土手草なども全面的に禁止になって、現在は国から無料の干し草の提供を受けているという現状で、山のキノコも食べられないそうな。原発事故発生当初は鮫川村は大丈夫のはずだったが、原発から60㌔離れていても風の流れ具合によっては、被害を蒙るようである。高レベルの放射能汚染地域も数戸あるという。
 
 福島県のみならず、過日訪れた埼玉県下でも強い放射能が検出されたと、友人が困惑していた。確実に放射能は拡散している。それでも原発はなくならない。近い将来地球は人が住めなくなるかも知れない。そんな時局の話まで及んだ鮫川会の新年会でした。故郷から上京した皆さん御苦労さまでした。尚、厚かましくもパーティーの席で「アッパー格闘技博覧会」の宣伝もさせて頂き有難うございました。
 
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舟木昭太郎の日々つれづれ

 

NET(現テレ朝)ワールドキックのベルト

舟木昭太郎の日々つれづれ
 

全日本のレプリカベルトとNETベルトを手にした
元ウェルター級王者増沢潔さん
舟木昭太郎の日々つれづれ

 

鮫川会の新年会で同級生(左)と

舟木昭太郎の日々つれづれ
 

古い試合のチケットが額に納められている。
これも当日額のまま展示されることになった。
舟木昭太郎の日々つれづれ


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大島渚と大鵬/アッパー格闘技博覧会のオークションは渡嘉敷会長が仕切る!/他

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・大島渚と大鵬、両巨人の死を悼む
 ~相手の力を吸収した大鵬~
・渡嘉敷会長が仕切るオークション
・増沢潔とはなんぞや

 ~鉄腕・錦を倒した男~
・風邪で2日間寝込む
 ~パソコン不通の原因は?~

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アッパー格闘技博覧会情報 

【開催日】 2月10日(日)PM4時30分~6時30分
【会  場】 東京・本郷「東京ガーデンホテル」特設会場
舟木昭太郎の日々つれづれ  

※詳細情報はこちら

  
 

大島渚と大鵬、両巨人の死を悼む
 
 大島渚と大鵬、映画界と相撲界の巨人が相次いで死去した。我々世代にとっては、共に生きたことでまことに身近感を覚える両氏の死である。1960年代はいわゆる高度成長期にあって、日本という国が溶鉱炉の鉄のように激しく燃え躍動していた時代、激しく振動した時代でもあったが御二人はどっしりと存在感があった。
 
 新幹線開通、東京オリンピック開催、ミッチーブームと日本列島は破竹の勢いだった。大島渚はそんな世相に背を向けるように反骨の映画を撮り続けた。「日本の夜と霧」「青春残酷物語」「戦場のメリークリスマス」「愛のコリーダ」。
 
 いずれも波紋を呼んだ問題作で、愛のコリーダでは遂に表現の自由を巡り国を相手に戦い勝訴した。「朝まで生テレビ」では歯に衣を着せぬ発言で問題の本質に迫った、気骨の監督であった。映画ファンの私にとっても大島監督の死は残念でならない。長い闘病生活の末の死である。享年80才、天国で安らかに眠ってください。数々の名作有難うございました。
 
 
~相手の力を吸収した大鵬~
 
 ”巨人、大鵬、卵焼き”と称された元横綱大鵬の死も感慨深いものがある。無類の強さ、ライバル柏戸の剛に対して柔の大鵬の顏合わせはいつもはらはらドキドキさせたものだ。俗にいう「柏鵬時代」の終幕と共に私の大相撲のテレビ観戦歴は終わっている。
 
 圧倒的な強さの要素は、何といってもその柔らかな体躯、まるで水を吸い取るスポンジのような、相手の力を削いでしまう相撲は魔力のようだった。長身で、体が柔らかいから、どんなに不利な態勢でも持ち堪えて反撃に切り替えられた。と私は素人分析するのだが。
 
 勿論勝利を重ねた原動力は人一倍の稽古量にあった、と相撲担当記者から伺ったことが有る。座右の銘は「忍」。心の上に刃(やいば)置くと書くからだそうな。77年に脳梗塞を患い左半身不随で車椅子生活が続いた。享年72才、優勝回数史上最多の32度はまさに心に「やいば」を秘めての金字塔に他ならない。ロシアとの混血で差別を受け苦労を重ねたと伝え聞く。大横綱への道を切り開いたのもやはり反骨精神かも知れない。
 
 大島渚監督、大横綱大鵬…昭和にずっしりと足跡を残して、御二人は天国へ旅だった。昭和の星がまた消えて、私の心には喪失感だけが漂う。
 
 
渡嘉敷会長が仕切るオークション
 
 暫くは「アッパー格闘技博覧会」に関連した話題を織り込んでいきたいと存じます。実はオークションの仕切りを誰に仕切ってもらうかず~っと思い迷っておりました。結果、「ボクシングの日」などのチャリティー・オークションで度々絶妙の司会をする渡嘉敷勝男会長をふと思い出しました。渡嘉敷会長なら旧知の仲である。  
 
 そうだ渡嘉敷会長で行こう、早速メール致しました。先ず開催日に体が空いているかどうかが心配でした。幸い当日はフリーだということでした。謝礼が極細やかな額なので受けてくれるか、こちらも心配でしたがメールを見たトカちゃんは、直接私の携帯に電話してきて、いいですよと笑って引き受けてくれました。笑ったのはきっと謝礼の額だったのだろう。兎も角これでオークションは成功する、私は確信したのであります。
 
 イベントのあとゲストを囲んでの食事会もホテル側が個室を用意してくれることになりました。平成14年10月アッパーの創業パーティーを行ったときと同じ会場を使用できるのも何かの縁であろう。振りかえればあの節は、四面楚歌の険しい船出であったが、300人を超える来客を数えて、励まされたものである。
 
 今回は何人来てくれるのだろうか、不安でたまらない。新たなものへの挑戦とは、こんなものだ。いつも不安が付きまとう。だからこそ成功の暁には、それだけ喜びも大きいのだが。いま、ゴールは深い霧の中にあります。さて、歓喜のゴールと行くのでしょうか。まさに人事を尽くして、天命を待つの心境です。どうぞ御支援のほど宜しくお願い申し上げます。
 
 
増沢潔とはなんぞや
 
 人はいつでも会えると思うと中々会えないもので、増沢潔さんなどはその見本のようなもので、格闘技博覧会の開催を機に会うことになった。場所は渋谷区京王線幡ヶ谷駅近くの行きつけの喫茶店「日高」。
 
 増沢さんは元全日本キックボクシング初代ウェルター級チャンピオンでそのハードパンチで”鉄腕”と”電光まわし蹴り”と飛ぶ鳥落す勢いの錦利弘(協同)を2度までもKOした人である。現在66才、タクシードライバーとして定年は過ぎたが、いまも元気で働いている。
 
 彼の輝かしい戦歴から、何か当時のベルトなど記念になるようなものを保管していないだろうか、と本人を御呼び出しした訳である。明け番でお疲れのところ快く指定の喫茶店に来てくれた。
 
 
~鉄腕・錦を倒した男~
 
 現れた増沢さんは顔色に艶があり、とても66才とは思えなく若々しい。彼とは同じ山田ジムで汗を流した仲である。彼は選手になって私は物書きになった。昭和44年他局から一歩遅れてキックに参入したNET(現テレビ朝日)キックボクシングでは、初代のウェルター級チャンピオンの座についている。残念ながらこの団体は1年ももたず消滅した。だから話題に上ることがない。
 
 その頃私といえば、山田ジムのトム・コーチ付きの雑用係で試合場を掛けずリ回っていた。当時のNETキックは大山倍達総裁も旗揚げに絡んでいて、オープントーナメントで優勝した山崎照朝が堂々のメーンで登場した。極真の猛虎、添野義二もいた。日本拳法空手道から江口和明、鶴田幸成といった存在感溢れる選手も参戦した。思えば個性豊かな団体であった。
 
 そんな過去を振り返りながら、増沢さんとは選手とライターという垣根を越えて話は尽きず、かれこれ3時間にも及んだ。そして、展示会にはNETのチャンピと全日本ベルト(レプリカ)の2本を展示してくれることになった。まこと博覧会を開催しなければ、日の目を見ることが無かったであろう幻のNETベルトを見ることができる。キックボクシングファンにとっては必見です。勿論増沢さん本人も来場してくれることになった。
 
 
風邪で2日間寝込む
 
 14日は朝から雨だったのでラジオ体操も休み。実は床の中でホッとしました。明け方より寒気がして、おまけに腹の具合が通常ではなくて、ムカムカ状態で眠るところではなかったのです。朝飯も昼飯も抜いて布団をかぶっていたら、いつの間にか外は大雪になっていました。
 
 普段なら仔犬のように雪とみると嬉しさの余り外に飛び出すのですが、窓越しに眺めるのが精一杯で、夕食も摂らず丸一日何も口に入れませんでした。流石に家内が心配して、大丈夫?と聞いてきました。
 
 結婚以来こんなことは初めてだ、と家内は妙に感心していたのです。深夜になってやっと蜂蜜&レモンを絞った生姜湯をのんで、何とか生きた心地がした。私の流儀として、風邪に「薬」や「注射」は無用と決めているので、今回もそれで凌いだのです。ならぬものはならぬのです。
 
 でも困った事にブログの更新日で、何とかしなくてはと焦りました。たった一人でも読者がいる限り責任と義務があります。ブログはたまたまほぼ書き上げて在ったので、校正を手伝ってくれているF女史にメールするため、気だるい体でパソコンに向かいました。ところがこれがどうした訳か全く送信出来ません。
 
 
~パソコン不通の原因は?~
 
 送信しようとする度にエラーが出る。ブログをアップしてくれるF女史と携帯メールで連絡を取るが原因不明。毎回、「サーバーと接続できない」という警告が告知されるので、この夜は諦めてベットに入りました。ところが深夜、トイレに起きて何気なくパソコンをいじったら、件のブログは嘘のように送信でき、あれは一体何だったのだろう?と狐につままれたような変な気持ちでした。
 
 よくよく考えたら大雪が原因でありました。家に帰れない人や、車で渋滞したり、電車が止まって立ち往生した人が一斉にメールしたのがその理由だった。それなら別のサーバーから契約者に一言その旨を知らせるメッセージを送ってくれてもよさそうなものだ。腹が立つ。サーバー復旧後、F女史の元には繰り返し送信したメールが山のように届いていたという。御迷惑掛けました。
 
 彼女は朝方、スクランブルでブログをアップしてくれて、更新は予定通りにできました。近代文明も自然には敵わぬか。たかがブログにもこんな裏トラブル物語があったのです。お蔭さまで、しゃきっとなり風邪も恢復に向かったと得心しております。これって、まさに怪我の功名です。

 

 
元全日本キックボクシング初代ウェルター級C増沢潔さん。
鉄腕・錦利弘をKOした男です。

舟木昭太郎の日々つれづれ

 

渡嘉敷勝男会長は格闘技博覧会のオークションの司会を快諾してくれた。

舟木昭太郎の日々つれづれ

 

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