舟木昭太郎の日々つれづれ -69ページ目

山中教授ノーベル賞の意義/ああ、上野駅は今昔/ディナー&トークショー御案内/他

舟木昭太郎の日々つれづれ  

舟木昭太郎プレゼンツだからこそ開催できる、伝説の挌闘家のトークが間近で聞ける貴重なディナー&トークショーです。参加費は食事+ワンドリンクで5,500円、詳細はこちらのPDF をご覧ください!!
  

 

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・山中教授ノーベル賞の意義
・浅草から上野へ
 ~ああ、上野駅は今昔~
・ディナー&トークショー御案内
・外国人が唄うJ-POP
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山中教授ノーベル賞の意義
 
 2012年のノーベル医学生理学賞が京都大学IPS細胞研究所の山中伸弥教授(50)と英国ケンブリッジ大ジョン・ガードン博士(79)に授与されると8日、発表された。授賞理由は新聞など詳しく御覧になって頂くととして、この賞が国家挙げての協力体制の成果であるということで大変意義があると思う。
 
 IPSの実用化に向けて、日本は京都大学などへ年間100億円規模の研究費を投入している。日本も欧米に遅ればせながら基礎研究費に金を出すようになったことは喜ばしいことだ。これによって少しは頭脳流出に歯止めがかかるかも知れない。
 
「何故2番じゃいけないんですか?」今回の山中教授のノーベル授賞で、今更ながら蓮舫議員の顏を思い浮かべる。彼女はどう思っているのだろう、聞いてみたいものだ。
 
 尖閣、竹島問題、依然として良くならない経済と、なにもかも閉塞感漂う日本に、ともかくも明るいニュースが飛び込んできた。山中教授、おめでとうございます。
 
 
浅草から上野へ
 
 このところ頻繁に浅草に出る。10月29日(月)に決まったディナー&トークショー(ゲスト藤原敏男さん)が浅草「アリゾナキッチン」で開催されるので、なにかと用事ができる。
 
 5日はトークショーのチラシが出来上がりお店にお届けした。まだ16時と日暮れまでは時間があったので、仲見世通りの裏の辺りを散策した。目を凝らして歩くと、こんなところにこんな店がある、というような小さい驚きを味わえる。民俗学宮本常一の父親は息子に向かっていったそうである。人の見残した物を見るようにせよ、その中にはいくつも大事な物があるはずだ、と。
 
 そうした気分になって歩いていると、何となくいままで見過ごしていた草木の一本一本が、目に入り新鮮な気持ちになってくる。帰りがけ地下鉄の入口の上部に目をやると、そこには雷門に下がっていると同じような小型の赤提灯が壁に仕込んであった。いままで気付かなかった。紛れもなく見残したものだ。
 
 
~ああ、上野駅は今昔~
 
 浅草から銀座線で上野に出る。地下鉄を出てJRの玄関口に向かう、すっかり変貌した構内をキョロキョロ。もう井沢八郎の「ああ、上野駅」の面影は何処にもない。♪就職列車で揺られて泣いた~上野はおいらの心の駅だ~
 
エスカレーターで2階に上がる。新装なったレストランフロアは、何処にでもあるような凡庸なデザインに興ざめ、途中で引き返した。せめて歴史を感じさせる彰義隊とか集団就職で上野駅に降り立った光景とか、はたまた西郷さんの銅像と桜に不忍の池とか、銅版画で壁を飾っていたら上野らしい趣になったろうにと、虚しさだけが残った。私は福島県人だから人一倍上野駅には思い入れが深いのである。 
 
 私の中学の同級生は集団就職で殆どが東京に来た。福島から汽車に揺られて降り立ったのが上野駅。当時、友達はどんなに不安だったろうか。青春のあの日の旅立ちを上野駅はいつも思い起こさせる。
 
 就職先は荒川区や足立区、川崎などの町工場や個人商店が多かった。彼らは貧しさから抜け出そうと必死でがんばったはずだ。私も高校の卒業式
を待たず、水郡線で上野駅に降り立ち学生服のまま翌日から電気施設会社の資材課に勤めた。世の中はまさに狂ったように高度経済成長期に向かおうとしていた。貧しさと豊かさを同時に体験した我々の世代、上野駅はその歴史の証人として、乗降客を見つめているのだ。
 
 駅を離れ広小路方面に歩くと、西郷さん銅像下の食い物店が入った古色蒼然たるビルが、ガラス張りの瀟洒なビルに生まれ変わっていた。京成電車の連絡通路、西郷隆盛銅像へと通じる階段沿いの建物である。
  
 歩きながらガラス越しになかを覗いていると銀座ライオンの看板が目に止まる。まだ17時に少し前、地下に降りて店に入ると静かな佇まいが気に入り奥の方のテーブルに席を取る。
  
 黒ビールの小にポテトフライをツマミに、私は本を広げてしばし寛いだ。こんな時間もあっていいと自分にいい聞かせて、もう一杯ハーフアンドハーフをおかわり。そろそろお店も混雑する頃だと、ほろ酔い気分で千代田線湯島駅まで歩いた。街には夜の帳(とばり)が下りネオンが眩しかった。浅草から上野までの、たった独りきりの回遊、それでも私には十分満足できた。
 
 
ディナー&トークショー御案内
 
 ディナー&トークショーは20日締切ですが30人限定ですので、定員になり次第締切となりますので、御了承ください。念のため申し込み御希望の方は下記宛に、住所、氏名、電話番号、参加人数を明記の上FAXかE-MAILでお申込みください。参加費は食事+ワンドリンクで5,500円です。
 
■お申込み&お問い合わせ■
渋谷区西原2-2-4(株)アッパー
FAX: 03-3469-0685 
E-MAIL: upper@lapis.plala.or.jp

TEL: 03-3469-0620

 友人のSさんから電話があり、「当日は舟木さんもよく知っている熊谷直子を連れて行きますからね」と予約してきた。彼女と会うのはかれこれ12~3年振りになるのかな。現役時代の熊谷は比類なき強さで、私の印象は "おんな藤原敏男" そのものだった。私は彼女こそは、日本が生んだ最強の女子キックボクサーであると確信している。来てくれるなんて嬉しいよ!
 
 
外国人が唄うJ-POP
 
 何気なくテレビのチャンネルを弄(いじ)っていたら外国人が登場して所謂J-POPを唄っていた。それが余りにも上手に唄うのでずるずると最後まで見てしまった。お蔭で平清盛を見過ごしてしまった。
 
 「日本の歌、世界一決定戦」という番組で、外国人なのにどうしてこんなに上手いんだろう、つくづく感心しました。日本語も正確だし、何よりもどの歌手も日本人の心、ハートを唄っている。途中から家内も加わって吃驚の連続であった。
 
 イタリアやトルコから参加していた女性はスレンダーで美人、歌唱力はとても外人とは思えないものだ。審査委員の方々もゲストのタレントも一様に驚いていたが最もだ。私も家内も、はしたなくも頬を濡らしてしまったのです。
 
 男性陣もいずれも甲乙つけ難く感情の移入がすこぶる上手い。これってインタネット普及の産物?J-POPも捨てたもんじゃない。歌に国境はないと実感した。大晦日に紅白に対抗して、「外国人紅白」でもやったら私は断然こっちを見るね。いや~涙が出るほど愉快であった。☆四つです!
 
 
10月8日 代々木公園で行われた北海道物産展は大勢の人で賑わった。
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舟木昭太郎PRESENTS★第1回SPECIALディナー&トークショー開催決定!!

舟木昭太郎の日々つれづれ  

舟木昭太郎プレゼンツだからこそ開催できる、伝説の挌闘家のトークが間近で聞ける貴重なディナー&トークショーです。詳細はこちらのPDF をご覧ください!!


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・ディナー&トークショー開催
・台風で巨木倒れる
・何か変です
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ディナー&トークショー開催
 
 お気に入りの格闘家や関係者をお招きして、トークショーを遣りたいという私の積年の夢がこの度実現の運びとなりました。10月29日(月)18時から台東区浅草の由緒ある「アリゾナキッチン」で開催します。
   
 記念すべき第1回ゲストは、キックの鉄人・藤原敏男さんです。外国人として初めてムエタイ(タイ式ボクシング)の王座に就いた男です。タイ国で最も名の売れた日本人格闘家、キックボクサーであります。
  
 バンコクの2大スタジアムといえば王室系ラジャダムナンと陸軍系ルンピニーで、毎日交代でムエタイの試合を開催しています。この両スタジアムのリングに登場して、1970年代ムエタイを代表する選手たちと死闘、名勝負の数々を展開、いまなおムエタイファンの語り草になっています。
  
 師匠・黒崎健時会長が育てた最高傑作でありましょう。現在、藤原敏男スポーツジムを主宰して、選手の育成に当たっています。トークショーでは、打倒ムエタイに身を挺した日々、黒崎会長の鬼の教えなど、今だから話せるとって置きの秘話を明かします。
 
 更に番外編では機動隊との大立回りの真相など今宵参加したファンだけが聞くことができる、まさに空前絶後のフジワラ・ワールドの全て、スペクタクルトークショーであります。
  
 文豪永井荷風が愛した由緒あるレストラ「アリゾナキッチン」の松本オーナーの全面的な御協力を得て開催する運びとなりました。美味しい料理に舌鼓をうちながら、心ゆくまで浅草の夜をお楽しみください。御来場をお待ち申し上げます。
 
 尚、トークショーの合間には、バンコクでのトップランカーとの死闘、激闘映像を余すところなく御鑑賞頂きます。勿論藤原さん御自身の解説付きですから、臨場感溢れるディナー&トークショーになると自負しております。
 
<ディナー&トークショーンの御案内>
 
//舟木昭太郎PRESENTSディナー&トークショー//
 
~文豪永井荷風も愛した浅草アリゾナで格闘家の本音の夕べ~
「藤原敏男、今宵伝説を語る。」
 
◎日時:10月29日(月) 18時~20時 
◎場所:浅草「アリゾナキッチン」
 

◎会場住所&TEL:〒111-0032台東区浅草1-34-2 TEL03-3843-4932
  ※交通:東武、都営、メトロ浅草駅から173m

   (松屋デパート正面、レイクとりそな銀行の間の路地を入った右側)
◎参加人数:30名限定
◎参加費:5,500円(食事+ワンドリンク付き)当日受付
◎お申込み方法|FAX03-3469-0685(アッパー)E-mail:
.plala.or.jp 
 奮って御応募ください。尚、第2回のゲストにお招きするのは佐山聡さん(初代タイガーマスク)です。日時が決定次第当ブログでお知らせ致します。場所は同じ「アリゾナキッチン」です。
 
 
台風で巨木倒れる
 
 10月1日の東京は台風一過の文字通り突き抜ける如き青空。爽やかな朝で、気分よくラジオ体操に出かけたら吃驚した。代々木大山公園の幹回り80㌢に迫ろうかというポプラの巨木が、昨夜の強風で根本からポッキリ折れていた。
 
 その倒木はランニグコースを完全に塞いでしまいウォーキングも迂回せねばならなかった。件のポプラの木は、幾度もの強風にも耐えてきただろうに、風向きの為せるワザか、いとも簡単に倒れてしまった。自然のチカラとは恐ろしいものである。人間の想像を遥かに越えるパワーにただ肝を冷やした次第です。
 
 
何か変です
 
 雄々しく曾び立つポプラは、夏は木陰を作り我々を癒してくれた。樹齢はまだ30年ほどか、まだまだ将来があったのに誠に哀れだ。「あす知れぬ人の命ぞ」であるが、森羅万象すべからく同じで永遠というものはないことを暗黙のうち私に教えてくれたのです。秋の日のビオロンの溜息、そして私は倒木に視線を落して「ありがとう」と一瞬歩みを止め黙礼しました。
 
 10月に入ったのに、東京の気温31度、真夏日のような暑さでありました。何か変だ。あのトラブルメーカー田中真紀子議員が第三次野田改造内閣の文部科学デージンに入閣したのも大いに変だ。中国にリップサービスして、また政局を混乱させなければよいが。夫(直紀)がダメなら母ちゃんの出番か。野田総理の命運ここに極まれりである。
  sf_upper@tmail
    ※御氏名、御住所、電話番号(携帯可)、参加人数を明記の上お申しし込みください。
◎締切:10月20日(土)

 
浅草寺の五重塔から東京スカイツリーを望む。
「アリゾナキッチン」はこのすぐ近くにある。
舟木昭太郎の日々つれづれ
 

「アリゾナキッチン」の趣のある佇まい。
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店内には文豪永井荷風の写真パネルが…

舟木昭太郎の日々つれづれ

1969年ムエタイの呼称で侃々諤々、ムエンタイかモエタイか/日馬富士の賜杯勝雑感/他

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・日馬富士の賜杯勝雑感
 ~張り手が横行すれば~
 ~出よ、第二の貴闘力!~
・ムエタイの呼称で侃々諤々
 ~ムエンタイかモエタイか~
・企業に想定外はない
 ~いつでもルネッサンス~

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日馬富士の賜杯勝雑感
 
大相撲秋場所は日馬富士が全勝優勝で、来場所の横綱昇進を決めた。2場所連続の全勝優諸は見上げたものだ。先ずはおめでとうございます。それにしても国技日本を代表する力士の歯がゆいことよ。大和魂は何処へ。
 
 日馬富士の強さは張り手に象徴される。彼は小兵だからこそ機先を制する過激な技を考えたのだろう。強烈張り手で、先ず主導権を取り、そして一気に有利な態勢に持っていく。この戦法がグランドチャンピオンへの道を切り開いたといえる。
 
 所謂、喧嘩殺法だ。張り手を喰らった力士は一様に、戦う意識を低下させてしまう。一人位それに対抗する者がいてもよさそうだけれども、そんな反骨精神を持った力士は残念ながら見当たらない。2発やられたら、4発にして返せ。それが勝負というものだ。歯がゆいのはまさにこの事だ。
 
 日本人はどうしてこうも大人しくなってしまったのだろう。格闘技の世界でもこうだから、世の中全体も推して知るべしだ。張り手は反則ではないのだから、堂々と土俵中央で応酬し合ったらよろしい。目には目である。双方鼻から大量の出血をみながら、張り手合戦なぞ断然迫力あると思うね。3D(スリーディ)なら格別の醍醐味だろうよ。
 
 
~張り手が横行すれば~
 
 張り手が横行すれば当然相撲協会やNHKに、凄惨過ぎる、見るに耐えかねる、張り手を禁じ手にしろとじゃんじゃん抗議の電話が入るだろうな。朝青龍も荒っぽい相撲をとった。喧嘩ごしの取り口で、日本力士は皆ビビり、惧れをなした。それで彼は横綱になった。モンゴル力士の勝利に対する執念、そのハングリー精神は日馬富士に集約される。
 
 これまでは星の貸し借り、談合相撲などである種テレビに相応しい優雅な相撲が見られた。真剣勝負とあらばそんなことは言っていられない。俗にいう品性の欠いた相撲になる。それも自然の理である。勝ちたい、優勝したいが募れば、反則でない限り何でもやる。総合格闘技に近くなる。日馬富士の過激な相撲、張り手に象徴される横綱の誕生は、今後の大相撲の在り方を考えるいい機会である。
 
 
~出よ、第二の貴闘力!~
  
 あの貴闘力なら当然負けずに応戦するだろう。出よ、第二の貴闘力!でもモンゴル人同士の白鵬戦にも、日本力士に見せるような過激な張り手をかまして下さいね、横綱日馬富士さん、期待しています。
 
 ところで相撲の決まり手を調べていたら聞き慣れない決まり手のあることに吃驚。例えば、取組中にまわしが外れた力士が負けになるのを「不浄負け」という。初めて知りました。矢柄(やがら)投げ、といったものもある。
 
 上手をとってプロレス技のように左(右)に振り回してぶん投げるのだそうで、わが先輩加賀屋金二郎氏(元相撲誌編集者=日本スポーツ出版社役員)は、往年の名横綱栃錦が使ったのを1度見たことがあると話してくださった。相撲も文献を検索すると、なかなか面白いものである。
 
 
ムエタイの呼称で侃々諤々
 
 1969年(S45)~1970年にかけてキックボクシングマスコミでは、タイ式ボクシングの名称,呼称を決めかねていた。楽屋裏の話だがこれが、重大な決め事のように記者が集まると侃々諤々。それは今日当たり前のように定着している「ムエタイ」についてであった。
 
 そもそも発端となったのは、協同プロ小暮広報担当のこの一言からだった。「タイの方では、タイ式ボクシングのことを通常どう呼んでいるんですかね。タイの選手に聞いても発音がまちまちだし、要領を得ません。そろそろ統一した呼び名を付けた方がいいですね。」
  
 当時はライターが各自の判断でムエンタイとしたり、ムエータイ、あるいはモエタイ、タイ式等々勝手に呼んでいた。所が’70年にはNTV系と2CH系(現テレ東)傘下ジムが一緒になって統一した全日本ボクシング・コミッション(石原慎太郎コミッショナー)が生まれた。関係者はこれに合わせて、タイ式ボクシングの呼称も統一したかったようだ。
 
 試合前の記者席で、あるいはジムの公開練習の場で、それはいつ果てることなく議論を戦わせタイ人通訳のミンさん(故人・元タイ国軍人=日本永住)などは、この論争に笑顔を見せながらも癖癖(へきへき)していた。因みにこのミンさんこそ私がゴング誌のキックコーナーを設けたときに御世話になった恩人である。我が国初のムエタイランキングや情報を掲載できたのも同氏の尽力があったればこそです。
 
 
~ムエンタイかモエタイか~
 
 で私はそのミンさんにタイ語で何度も喋ってもらった。ムエンタイかモエタイか、結局微妙な発音でこれだと確信は出来なかったが、何となく私はモエタイに感じ取れた。実際はモとムの中間の発音であった。英語で表記すればmuai(ボクシングの意)で語尾にthai(タイ国の略)付けるとタイ式ボクシングとなる。因みに国際式(様式)はmuaiの語尾にsaakonをつける。タイ人は普通国際式を「ムエ」と呼んでいることも加えておこう。
 
 日刊スポーツ鈴木庄一さん(元運動部長)は頑なにムエンタイを主張して生涯変わらなかった。私は当時報知新聞に小さなコラムを持っていて、時々タイ式の情報を寄せていたが、その欄でもモエタイと呼称していた。
 
 そうこうするうちいつの間にか「ムエタイ」という呼び名が定着して私も自然それに倣った。結局鈴木庄一さんのムエンタイと私の押すモエタイの中間を協同プロの小暮広報は選んだのかも知れない。但し日本キッックボシングの生みの親野口修さんは今も昔も「タイ式」と呼称している。
 
 ムエタイという呼称を巡って、大の大人が口角泡を飛ばして譲らなかったあの日々が懐かしい。歴史というものは、呼び名一つを取っても納まる処に納まるんだなあ~とツクヅク思います。「ムエタイ」の呼称は私も気に入っているのです。
  
 
企業に想定外はない
 
 パナソニック、ソニー、シャープなど日本を代表する電気メーカーは軒並み不振に陥っている。つい四、五年前まではテレビで断然世界をリードしていたのに、薄型液晶テレビになって韓国や台湾に完敗している。
 
 携帯電話でも後れをとり、それじゃスマートフォンで勝負とばかりに意気込んだものの、これまた韓国のサムソンやLGに歯が立たない。かつての栄光今いずこである。只指をくわえて韓国勢の独走を見守るだけである。 iPhone5などは、全世界で初動でも1,000万台売れるという。桁が違うのだ。国内で、ちまちま商売する日本メーカーが哀れだ。
 
 そもそも狭い国土に同じ類の電気メーカーが多すぎる。東芝、日立、パナソニック、シャープなど、例えば新型の洗濯機を機能が僅かしか違わないのに各社が過剰競争している。クーラーに於いても然り。なぜ少子高齢化の時代、日本の狭いマーケット相手に商売してるんだろう。素朴な疑問である。
 
 そろそろ電気メーカーも三社位に統合して体質を強化することが第一。それによって上質で廉価な商品を大量に生産して、海外で勝負する。韓国、台湾、中国に勝つには、そうした国策としての大胆な取組が必要ではないか。
 
  
~いつでもルネッサンス~

  
 進化に際限はない。iPhoneとてこれが永遠といえばそうでもない。何処かの会社が革命的な次世代機種を発明したなら、その瞬間にアップル帝国は崩れる。発明は一夜ににして企業の運命を変えてしまう。
 
 ソニーがトランジスタラジオやウォークマン、更にはプレステーションで我世の春を謳歌してきたのも、いまや過ぎ去った夢だ。一つの発明・発見に酔いしれて、前進を忘れた時企業はまさに滅びる。
 
 シャープなど今日存亡の危機にあるのは豹変する事態に応えられなかったからだ。企業に想定外はない、あらゆる激変にも応えて行かねばならない。企業とはいつもルネッサンス精神が求められている。
 

   

代々木八幡神宮の秋祭り、雨中の神輿がゆく(23日)

舟木昭太郎の日々つれづれ
  
氷川神社の演芸会も雨の中で行われた。(23日)
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見物客も傘をさして…

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奇跡の1本松」の剥製とは/ダル×岩隈の投げ合い/他

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・中国の反日デモ
・「奇跡の1本松」の剥製とは
 ~小ぶりな記念碑を~
・ダル×岩隈の投げ合い
・サッカー選手の海外進出

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中国の反日デモ
 
 尖閣諸島の日本の国有化に反対して、中国各地で反日デモが続いている。一部では暴徒化して、日本企業の工場や、デパートが襲われている。異常な事態だ。略奪したり、火を点けたりもはや無政府状態である。。「グローバル・チャイナ」が虚しく聞こえるぜ。礼節を失った同胞に、かの孔子も泉下で泣いていることであろう。
 
 この異常な事態を中国政府は、速やかに鎮圧すべきだ。邦人の安全を守るため日本政府も断固抗議すべきだ。こんな事態を中国政府が放任していれば、中国に進出した数多の企業も国外へ去るだろう。さすれば、忽ち中国経済はドロップアウトする、国益にそぐわない愚劣な騒ぎと気づいた時には既に遅いのである。
 
 反日デモの集団は、共産党施設も標的にしているとは昨今のニュース。この国は国家に対する人民の不満が折り重なり、暴発する危険を常に孕んでいるのです。切迫したこうした状況を国家も進出企業も、よく肝に命じて置く必用があるのです。
 
 日本政府は、かの国の暴徒らの脅しには、些か(いさか)なりとも譲歩してはならない。「尖閣諸島は我が国固有の領土」である。中国がいかなる挑発に出ても、断固拒否しなければならない。領土問題は政府も国民も不退転の決意有りや無やを試されているリトマス紙なのである。
 
 
「奇跡の1本松」の剥製とは
 
 陸前高田市の「奇跡の1本松」が、保存されるという。保存法は「皮だけを残して剥製にする」のだと。なんでも幹をくり貫いて空洞にしたものに、何かを詰め1本の木にするらしい。或いはこれを売り物に観光客でも集める魂胆か、いずれにせよ愚かなことだ。
 
 こな模造品、元在った場所に、これが奇跡の1本松のモニュメントでございます、と置かれて貴方は感動しますか。これこそ俗にいうハコモノ以外のなにものでもないのです。
 
 7万本の1本、生き残った松は被災者に希望と勇気を与え、そして枯木れたになった。これから後人々に口承されていくだろう。生きとし生き250年の生涯を神々しく閉じたのだ。それで十分ではないのか。剥製などして残す必要などない。敢てていうなれば人間とはむごいことをするもんだ。かく私は思うのであるが…。
 
 
~小ぶりな記念碑を~
 
「奇跡の1本松」の 処理に要る費用は1,5億円、年間の維持費は約20万円。耐用年数はとなると、約10年(朝日新聞9月12日夕刊)と見積もる。こんなところに巨額を浪費するなら、難儀している被災者のために有効な使い道が有ろう。
 
 私なら1本松が在った場所に小ぶりな「奇跡の1本松」記念碑を建立するね。その謂れを揮毫した碑(いしぶみ)を置く。その方がよっぽどあの巨大な大津波にも負けなかった、1本松の雄々しい姿を掻き立て、心に響く気がするのです。
 
 私は、その記念碑を訪ねたらきっと心で跪拝するに違いない。巨大で豪奢なモニュメントであればあるほど、虚しい。忌々しくも、聖なるあの地に、グロテスクな剥製の松の木など似合わない。
  
  
ダル×岩隈の投げ合い
 
 大リーグ、レンジャーズダルビッシュ有とマリナーズ岩隈久志投手の投げ合いは、まさに圧巻の投手戦だった(9/17アーリントン)。日本を代表する二人が、敵味方に分かれて鎬を削るとは、夢のような光景だ。
 
 岩隈は2ホーマーを浴びて6回に降板、ダルは7回を投げ切って勝利投手、15勝目。どちらもよくやった、と仕事場に戻る。レンジャーズ上原浩冶も連日の好リリーフ、クロザーで勝利に貢献している。
 
 ヤンキース黒田博樹投手も14勝10敗(9/16現地時間現在)の好成績で、同チームの熾烈な地区優勝争いに貢献している。電撃移籍したイチローも伝統のヤンキースの水に慣れ存在感を増している。ブルワーズ青木宣親外野手も打率298厘、いまや同球団にはなくてはならない選手である。
  
  
サッカー選手の海外進出
 
 サッカーでは、海外の名門クラブで活躍する選手は枚挙にいとまがない。主だったところでは英国マンチェスターUに移籍して日が浅い香川真司をはじめとして、川島永嗣(ベルギー)、長谷部誠(独)、本田圭佑(露)、松井大輔(仏)、長友佑都(伊)等々。欧州の至る所に散らばる。頼もしや。だからして日本代表イレブンは強いのである。
 
 高卒でいきなりアメリカに単身渡米、つい先頃全米プロツアーで1勝を挙げた宮里美香なども男性に負けず、大いなるチャレンジスピリットを発揮している。ヤマトンチュー(本土)のゴルファーには中々真似のできないことだ。いまの日本人に忘れ去られたハングリー精神という言葉を、私は宮里美香に見るのです。

 

DVD 『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部

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プロレスライター菊池孝さんの死/有明に2日間通う『WARU~下剋上~』/ムエタイ/他

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・有明に2日間通う
 ~『WARU~下剋上~』~
 ~盛り上がる日・タイ戦~
 
・プロレスライター菊池孝さんの死
 ~或る夏の夜、焼き肉店で~
 ~馬場ちゃんと呼ぶ唯一人の記者~
 
・読書に難渋してます
 ~石田衣良の小説は面白い~
 ~ノンフィクションは佐野眞一~
 
・「最強のふたり」に満足

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有明に2日間通う ~『WARU~下剋上~』~
 
8,9の両日、ディファ有明に通った。8日は『WARU~下剋上~』という新たに生まれた格闘技。故真樹日佐夫さんの代表作「ワル」を地で行くような試合内容で、何とも評価を下しようがない。ズバリ成人指定格闘技。
 
 暴走族や喧嘩を堂々と売り物にして、選手が登場します!のイントロは映画「仁義なき戦い」のテーマ曲、演出の狙いは完全なアンダーグラウンド・テイスト。
  
 ファイトは例の総合格闘技で着用する5本指のオープンフィガーズグローブ、つまり相手を倒して殴ってもよい。頭突きも許される。まあ、なんでもありのルール、リング下にいるアナも、試合中激しく選手を煽る。「こら、もっとやらんかえ~」…ドスの効いたハッパで叱咤する。でも選手の怪我には最大限注意を払ってくださいな。御健闘お祈りします。
 
  
~盛り上がる日・タイ戦~

  
 9日はM-1(ムエタイチャレンジ)で観戦するのは二度目。いつもながら完全な本場タイの雰囲気が充満して、狭い会場は超満員。日曜の午後だというに若いファンで熱気溢れる。
 
 午前11時から試合が行われているそうで、第1部が子供やキャリアの浅い選手たちのアマのヤングファイト。5時過ぎからプロ部で今日は日・タイ5対5マッチがあり大いに盛り上がった。日本人同士の小川翔×稲葉竜太戦など好ファイトが見られた。
 
 試合中はタイ音楽が流れるムエタイスタイル。日本人に受入らたとみえて場違いな感じもしない。それだけ日本人気質ももグローバルになったという証か。試合内容も技が多彩で、スタミナもありレベルは高い。テレビがないのに、選手は鍛えられている。キックは死なず…キックもんの私としては、嬉しい限り。
 
 有明も湘南新宿ラインに乗れば新宿から25分位で到着。何とも便利になったもので、散歩気分で2日間通った。夏を惜しむかのような有明の雲も、心に沁みた。海風が何とも心地よかった。
 
 
プロレスライター菊池孝さんの死
  
プロレス評論家菊池孝さんが1日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去された。享年79才。半世紀に亘ってプロレスを書き綴ってきた。葬式は密葬
で済ましたという。焼香に行きたかった。故人の意思なのかも知れない。
 
 竹内宏介氏の葬儀で弔辞を読んだ、菊池さんの最後の姿がまだ鮮明に残る。「竹ちゃん、どうしてオレよりはやく行ってしまったの」と哀切極まりない一語一句が甦る。あれは長年の盟友を失った肚からの悲しみであったに違いない。あの日から僅か4カ月後の逝去である。
 
 菊池さんとは強烈な思い出がある。私がゴング編集部に入ったばかりの頃だった。仕事を終えて帰ろうとしたところ、竹内宏介編集長が、これから新宿に菊池さんの原稿をもらいに行くけど、舟木さんも一緒に行かないと誘われた。多分先輩の加賀屋さんもいたと思う。
 
 
~或る夏の夜、焼き肉店で~

  
 時計は既に午前0時を回っていた。多分に菊池さんとの親しい時間を持たせてやりたいという、配慮からだったのだろ。タクシーが止まったのが新宿三丁目の焼き肉店前。真夏で夜なお蒸し暑かった。
 
 菊池さんは大ジョッキを手に焼き肉を盛んに食べていた。我々が煙が充満する店内に入るや、竹ちゃーんこっちと手で招いた。一緒に食べない?竹ちゃんはコーラだろう、お宅はビールだね。当時私は下戸だったが、ハイと言ってしまった。かくて深夜の宴は夜明けまで続いた。
 
 凄まじい食欲に、これがリアルな菊池さんの姿かと圧倒された。後で竹さんに伺ったら、いつも原稿を仕上げると定番コースだという。喋り、飲み、食う、ジャーナリストらしからぬ豪放磊落な人柄をあの夜眼の当りにした。文章のほうはペンで綺麗に清書されており、その落差、繊細には驚いたものである。
 
 
~馬場ちゃんと呼ぶ唯一人の記者~
 
 もう一つ驚いたことは、ジャイアント馬場さんを「馬場ちゃん」と呼ぶ唯一人の記者だったこと。或るとき試合後の控室を覗いたら、菊池さんが馬場に質問していた。ところで馬場ちゃん、と言った。私は吃驚した。御大馬場に「ちゃん」付けだ。よほど信頼が厚い仲だったのだろう。菊池さんとはそういう人だった。
 
 今頃、天国の馬場さん、竹さん、菊池さんとプロレス談義に花を咲かせていることだろう。昭和の薫りがするプロレスライターがまた一人此の世から去った。昭和は遠くなりにけりだ。御冥福をお祈り致します。
 
 
読書に難渋してます 
 
 老いるということは辛いことである。長時間読書が出来なくなった。30分もしたら眼が痛くなる。特に左目は会社勤めをしていた頃の40代に、ヘルペスを瞼の上に発症したのが原因で、最近ひどく疲れ難渋している。
 
 仕方がないので眼にアイスを当てたり、目薬を点眼してしばし休憩し、また再開する。情けないものだ。若い時にもっと読書をしておけばよかったと思うが、後の祭りとはこのことだ。愚息は小学時代から図書館通いをしていたというのに。
 
 図書館は徒歩で6~7分の処にあり散歩代わりに出掛ける。行くとあれも読みたいこれも読みたいで、無数の星座のごとき本が書棚に並ぶ。恨めしい。精々1週間に単行本2冊しか読了できない。だから最近は1冊はシリアスなもの、1冊は娯楽的なものを選ぶ。
 
 
~石田衣良の小説は面白い~

 

 後者の方では断然石田衣良の小説が面白い。寝る前ベットで読むには最適で、とてもテレビなんて見る気が起こらない。一連の池袋ウエストゲートパークものを初め、赤と黒、夜の桃、明日のマーチ、それに最近読了した、リバース。どれをとっても外れがない。
 
 彼の作品は、一言で表現するとオシャレ、文体も滑らか、とても読み易い、語彙が豊富で音楽(クラッシックからジャズまで)を熟知している。フアッションにも造詣があり、そうした知識が物語に彩りを施している。物語の筋もシンプルで明解、どれも洒落た終わり方をするのが好きだ。
 
 遊んでいるときなど、もう帰って本を読もうと我に還る。ノンフイクションなら断然佐野眞一さんである。「あんぽん」はまだ読んでいないけど、東電OL殺人事件、旅する巨人・宮本常一と澁澤敬三、阿片王・満州の夜と霧、甘粕正彦・乱心の曠野…佐野さんの作品は、筆者と取材を共にしているような気分になれる、そんな至福の臨場感をタップリ味わえる。
 
 
~ノンフィクションは佐野眞一~
 
 ノンフイクション作家を目指す人は、佐野眞一さんをモデリングすといい。「私の体験的ノンフィクション術」(集英社新書)は最高のその虎の巻だろう。最後に付け加えておきます。
 
女優高峰秀子は大変な読書家であり、作家だったが、ホテルのコーヒーラウンジなどで屯する御婦人方を見て作家斉藤明美さん(養女)にいったという。「早く帰って読書でもしなさいよ」…高峰さん、カッコいいね。
 
 
高倉健さんの恰好よさ
 
 NHK総合「大人の流儀」でタップリ1時間半、プライベートな高倉健さんを拝見、改めてその恰好よさを確認致しました。でもまあ、NHKはよくも人前に出る事を嫌う大スタアの健さんに、あれ程の密着取材ができたよね、と関心致しました。人間高倉健をストレートに伝える極上の番組でした。健さんの心の豊穣さを感じました。
 
 行きつけの理髪店には、健さん専用の個室がある事も初めて知りました。いま81才、身長180㌢体重67㌔。体重は何十年も変わらずという。これは日常の節制の賜物であろう。健全な身体に、健全な精神が宿るという。かくあればこその名演技と納得。私など身長168㌢しかないのに、体重は72㌔をウロウロ、酒は飲むし食べるわ、趣味はカラオケ、これって論外?
 
 食事シーンまで公開していたので、どんなものを召上っているのだろうと興味津々で見守った。それは至ってシンプルな食事で、酒も煙草も遣らず、大のコーヒー党。オーソン・ウェルズ(米俳優)が何故か頭を過る。静の中に動あり、動の中に静あり、どちらも存在そのものが役者である。
 
 長崎平戸の撮影現場では、撮影の合間に住民と気さくに歓談したり、写真に収まったりと、意外な一面を覗いた。てっきり普段は彫刻のような人かと想像していたから、健さんに一段と親近感が湧きました。
 
 で高倉健というひとは、ストレスの解消をどう克服しているのだろうと常々不思議に思っていたのですが、散歩や散髪屋にある専用の個室へ毎日出掛け、そこで音楽を聴いたり、読書したり気ままに過ごすのだという。
 
 環境の違った、己の好きな場所で寛ぐことで、リフレッシュするという訳ですよ。散髪屋に個室ですよ、流石大スターです、これで得心。「静かに行く者は 健やかに行く 健やかに行く者は 遠くまで行く」この格言こそ健さんにぴったりです。どうぞ御自愛なさって、これからも御活躍ください。愚妻と早速公開中の「あなたへ」を見に行きます。
 
 
「最強のふたり」に満足
 
 脊髄損傷で下半身不随の大富豪フィリプッス(F・クリュゼ)と貧しい黒人介護人ドリス(O・シー)の交流を描いたコミカルな作品(2011年フランス映画)は、私のお勧めです。
 
 特に気に入ったのがが介護人役のオニール・シーです。ときにこんな適役の俳優いるんですね、彼のために作られたような映画です。とにかく笑って涙して、十分堪能しました。ビバ、シネマ!

映画って本当にいいですね。

それじゃ、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。またお会いしましょうね。
  
 
M-1試合、小川翔×稲葉竜太は小川の判定勝ち好試合でした。
舟木昭太郎の日々つれづれ

 

M-1会場ディファ有明の前景
舟木昭太郎の日々つれづれ
 

WARUの試合風景
舟木昭太郎の日々つれづれ

倒して殴る荒っぽいWARUのファイト
舟木昭太郎の日々つれづれ  

 
有明コロシアムと夏の名残の雲(8日、午後3時頃)
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パラリンピックのこと/小村寿太郎と松岡洋右/スズメバチ戦闘始末記

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・パラリンピックのこと 
・領土問題で揺れる日本は?
 ~小村寿太郎と松岡洋右~
・スズメバチ戦闘始末記

 ~我、奇襲作戦に成功せり~

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パラリンピックのこと
 
 障害を持つスアスリートたちのの祭典、ロンドンパラリンピックは特別な感動を受ける。たまたまニュースで見たのだが、競泳男子平泳ぎ100㍍(運動機能障害)で両腕のない中村智太郎(28)が銀メダルに輝いた。
 
 両腕がないのに平泳ぎをどうやって泳ぐのだろう、注意深くテレビをみていたら、脚のバネだけでスピードを加速させていた。多分、頭脳のなかのシュミレーションでは、両腕は立派に平泳ぎしているのだろう。
 
 ゴールタッチは、頭をかなりのスピードでゴツンと当てた。いたくないのだろうか。もしかして帽子の先端にスポンジでも入れてあるのかしら。2着でゴールした中村選手は、溢れるような笑顔で「やったぜ!」とスタンドの応援団に応えていた。手が遣えないので、水面から脚を挙げてさらに歓びを表した。心温まるシーンであった。
 
 自らの運命に負けず、世界の舞台で勝負する中村選手の逞しい姿を見ると、我身の不甲斐無さを感じてしまう。親から授けられた五体満足な体を当然の如く振る舞い生きている。障害を背負った人たちのあの生命力を見よ、と己に問う。そうパラリンピックは、障害を持つ人よりも、実は健康な人を奮立たせているのである。
 
 
領土問題で揺れる日本は?
 
竹島、尖閣を巡り日本の外交力が問われている。国民からみて弱腰外交と非難されているものでも、後年高い評価を受けていたり、あるいは拍手喝采をおくった外交が時代を経て、その逆であったりする。歴史とは皮肉なものだ。
 
 さように国と国との付き合いは難しい。歴史はそれを教えてくれる。たとえば、日露戦争後にロシアとポーツマス条約を締結した日本全権大使小村寿太郎は、歓呼の声に送られてアメリカへ出発したが、帰国するや日比谷焼き討ち事件やら、右翼からの罵詈雑言を浴び、自宅は投石されるなど散々な目にあった。
 
 戦勝国の日本が、ロシアから一銭の賠償金も取らず条約を結んだ、小村は売国奴というわけだ。ところが近年は困難な局面にあった日本を救った名外交官として、小村寿太郎は見直されているのである。
 
 
~小村寿太郎と松岡洋右~
 
 日露戦争そのものが、日本の大勝利となっているが実は辛勝であったと分析する歴史家は多い。あの時点で条約締結できなかったら、革命を成し遂げた赤軍(ロシア)が反転、日本軍を襲えば、一たまりもなかったろう。これは司馬遼太郎さんの見解である。因みに司馬さんは引き分け説です。
 
 戦費は殆ど外国の借金で賄われた。当時日本の外貨は絹織物の輸出で得られる微々たるものであった。絹を売って、大砲を買う、貧しい国であった。国力の差は如何ともしがたい。実情は軍隊も国民も疲弊して、ロシアと戦争を続ける余裕などなかった。一刻も早く講和条約締を結びたい、これが、日本政府の本音だった。戦勝に酔いしれる国民は、そうした内情を知る由もなかった。
 
 一方の松岡洋右外務大臣は、国際連盟脱退の演説、日独伊三国同盟締結と、国民からは熱狂的な支持を受け、映画スタア並みの人気であった。が戦争が終わるとA級戦犯として捕われた。第二次大戦前夜に戦争に舵を切った当事者の一人として、戦後は国民も掌を返すように松岡を糾弾した。小村とは逆である。歴史から外交を学ぶ、正に温故知新である。
 
 日本は尖閣諸島、竹島、北方領土と懸案を抱えて外交交渉は国民の厳しい目に曝されているが、国民受けを狙うだけの単なるパフォーマンスは避けてもらいたい。正義を唱え、時にけん制球は必要だけれども膠着した関係を解すのには、やはり北風(武力)ではなく太陽政策(対話)以外にない。それとも過激に出て他国と干戈(かんか)を交えますか?
 
 
スズメバチ戦闘始末記
 
 30日昼過ぎでした。隣家の御主人が拙宅のドアホンを鳴らして、お宅の軒下にスズメバチの巣がありますよと仰った。慌てて飛び出した。御主人が「ほらあそこです」と指差す方向を見ると、なんとかなり大きく成長した巣が、2階の愚息の部屋窓の下にある。信じられない光景に足が竦んだ。
  
 巣の周りをオスプレイみたいな屈強なハチが旋回している。御主人が、私の処にも作ってあたんですよ、どうもこの頃ハチがやたら飛んでいると不思議に思って、上を見たら小さな巣が在ったんです。ところがお宅の方へもハチが飛んで往くものですから、来てみたら案の定でした。ウチは、薬屋さんでスプレー式の殺虫剤を買って、駆除したけど、お宅のは大きいですねえ。保健所に連絡してみては。駆除会社を紹介してくれますよ。
 
 ハチの巣は2週間くらいで、素人には手の付けられない大きさに成長してしまうらしい。初めての経験なので正直不安になった。同時に日本男児の血が騒いだ。よ~し、いまに見ていろ、殲滅してやる。
 
 自転車で薬局に走り、ハチを駆除するスプレーありますかと店員に尋ねる。と店員は待ってましたとばかりに、黄色の機関銃みたいなものを出してきた。その名も「ハチアブマグナムジェット」。何となく強力な武器に思えて、自信が湧いてきた。凶暴なスズメバチとの開戦時刻は14時半を少し回る。天候晴れ、気温35.2℃、天気晴朗なれども波高し。ニイタカヤマノボレのZ信号だ。
 
 
~我、奇襲作戦に成功せり~
 
 まっしぐらに2階に駆け上がった。最初の一撃が大事だ、そ~っと窓を上に5㌢程開けて、マグナムの銃口を網戸に密着、巣に標準を絞る。距離15㌢弱、オスプレイ蜂が警戒態勢を敷いているが、幸いハチは気づいていないようだ。今だ!私は一気にレバーを引いた。巣めがけて乱射した。ランボーの気分だ!戦場に道徳もヘチマもない。たちまち蜂は小気味よくバラバラ落下した。
  
 ここで知った。人間も獰猛な昆虫も習性は同じだ、反撃するより自分の身を守ることを専一にするのだと。この勇敢な兵士に一匹たりとも、手向かうものなどいなかった。頃合いをみて、勝ち誇ったように小さなシャベルで壁から巣ごと剥がした。我、奇襲作戦に成功せり。戦争好きのディック・チェイニー(湾岸戦争当時の米国国防長官)がこの作戦を見ていたら、さぞ仰天しただろう。作戦に要した時間はたったの120ミニッツ。
 
 幸い当方には損傷はない、この作戦に掛った軍事費用は1,200円也。これなら防衛省も納得してくれるだろう。完璧だ。俺は指揮官として天才だ、自己陶酔した。三階級特進するかも知れない。尖閣の守りは俺に任せろ。
 
 巣の大きさはタテ13㌢、幅9㌢ほどのもので、中には幼虫がびっしり詰まっていた。地面には巣とハチの死骸が累々。戦果を誇示するために、八チの死骸と巣は、大事にビニール袋に入れて保管していた。夕方外出先から帰宅した愚妻に見せたら、目を剥いていた。おお~怖い、と言って改めてビニール袋を固く縛った。
 
 巣を駆除した後も食糧確保に出ていたスズメバチは、巣と仲間を探し求め軒下を徘徊していた。人生色々、予期しないことが起こるもんです。戦闘が無血で終結、さしずめロンメル将軍(独=戦車隊指揮官)の気分です。戦勝祝いに、今晩の酒は取って置きのワインにすっか、母ちゃん。
 
 
退治したスズメバチの巣
舟木昭太郎の日々つれづれ
 

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猛暑の日々、貴方は如何お過ごしで/暴言、失言、放言の後で/6日振りのラジオ体操/他

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・猛暑の日々、貴方は如何お過ごしで
・白山散策から神保町へ
・暴言、失言、放言の後で
・韓国大統領と米国議員の場合
・6日振りのラジオ体操
・蝉しぐれ4題

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猛暑の日々、貴方は如何お過ごしで
 
 連日猛暑が続く22日は午前10時半に自宅を出て、文京区にある白山神社に御参り。既に30度を越して、代々木上原駅までの7~8分でもう下着は汗まみれ。拙宅から駅までは坂が多い、下ってきた道を振り返ると、坂の上には紺碧の空に白い雲が長閑に浮かんでいた。
 
 日差しは鋭いが雲は、逞しい夏のそれとは違って柔らかな綿のようだった。雲の装いにも秋の気配を感じる。15時のデザイン事務所での打ち合わせまで、たっぷり時間があるので、お参りした後は、腰痛馴らしに白山通りの路地裏「指ケ谷商店街」を散策。
 
 勤めていた会社(日本スポーツ出版社)が近所にあったので、昼時には
よく出かけたものでした。私は平成14年10月に定年退職したが通りの様子はちょっとも変わらない。炎天下の商店街は眠った如く静かであった。馴染みの喫茶店、イタ飯屋がしぶとく残っていたのには感激した。
 
 
白山散策から神保町へ
 
 通りを抜けるとオリンピックがあり店内をぶらぶらした。会社にいたときにはよく足を向けた場所で、食品以外はなんでも揃った便利な店だった。ここから東京ドームは近い、隣接するショッピングモールで、散歩用のシューズを買った。さらに水道橋から神保町交差点まで足を伸ばし、行きつけの新世界菜館に到着したのは13時…凡そ1時間も炎天下を歩いたこになる。
 
 当店の高菜と筍の湯麺は私のお気に入り。半ライスを追加して、久しぶりに満足した。薄塩味でそこにお酢をタップリ注ぎ食べるのが舟木流。そもそもこの高菜と筍の湯麺を知ったのは、30数年ほど前、高校時代の同級生で当時香港住友銀行に駐在していた、友人に連れて行かれて当地で食べたのがはじまり。高菜と筍を小さく刻んだもので、細麺の舌触りとスープの味が忘れられず、探し求めていたら当店で巡り合った。
 
 そばを食べて、ミーテイングが終わり地下鉄駅に向かう。そろそろ夜の帳(とばり)が降りる頃なのに、アブラゼミのヒステリーな鳴き声は街路樹からしぶきのように降りかかる。明治屋の通りに出たら御主人が開店の準備中で、挨拶を交わしたら寄っていけばという。開店前なのに入れてくれて、バスペール(小)と赤ワインを1杯づつ飲む。外に出たら、昼の炎暑はまだ燻(くすぶ)っていた。本の町神保町は、私の好きな居場所である。
 
 
暴言、失言、放言の後で
 
 韓国の李明博大統領の天皇発言はまさしくお粗末の一語です。「(天皇)も韓国を訪問したがっているが、独立運動をして亡くなった方々訪ね、心から謝るならば来いと言った」とか「痛惜の念」という単語を言いにくるなら来る必要ない」。これ、公衆の面前でのスピーチある。
 
 これに対して「(天皇)訪問を韓国に要請したことはない」と外務省及び政府は反発を強めている。要請もしていない事を捏造してまで何故発言したのか、理由は後に譲るとして、日本の強硬な姿勢に韓国国内でも「言い過ぎだ」と問題になっている。この際李大統領は潔く謝罪して、この文言を撤回すべきだろう。ともかくもお互い冷静に、冷静に願いたい。
 
 
韓国大統領と米国議員の場合
 
 側近(兄弟、縁戚)の贈賄汚職で、李大統領の支持率は急降下している。その人気挽回策として、韓国大統領として初めての今回の竹島上陸、そして天皇発言。国民に存在感をアピールしようとした狙いが、日本からの思わぬ反撃を招き大統領の支持率は忽ちメルトダウンした。軽はずみな行動といわざるを得ない。良好な日韓関係に水を差すものものである。
  
 そうかといえば、ミネソタ州選出の下院議員エイキン氏(65才)はインタビューに答えてこう答えた。「医師から聞いた話だけど、本物のレイプなら女性の身体は妊娠しない仕組みになっている。だから暴行されても妊娠する恐れがない」
 
 この発言で共和党は大統領選にも影響ありと議員を辞職すべきとエイキン議員に迫っている。この先生も上院に鞍替えを予定している最中だという。 大した考えも無くて、大衆受けを狙うこうしたパフォーマンスは、大方自らの首を絞めてしまうのがオチである。口は禍のもと、沈黙は金なりである。
 
 またネット上ではこんな凄まじい言葉が躍っていた。なでしこがアメリカに、1-2で敗れ金を逃した直後の書き込み。「アメリカは日本に2個の原爆を落としてやったぜ」。イヤハヤである。
 
 もっと驚くのは韓国のネットカフェ。「日本人入店禁止」と入口に張り紙してあり、入店の条件として「独島(竹島)は韓国の領土」と3回言わないと入れてくれないとか。ここまで遣ると呆れてものも言えない。いずれにしても、日本国民は、泰然として、付和雷同するべきではない。 
 
 
6日振りのラジオ体操
 
 関東などは2週間を越す連続猛暑日。ザーと一雨が降って欲しいものだ。24日は6日振りでラジオ体操に出た。腰に注意しながらのリハビリ体操である。今朝(27日)も太陽は早朝というのに容赦なく照りつけるので、参加者が少ない。梅ちゃん先生の、安岡(旧姓・小原)梅子の姉の姑役・加藤昌子で登場する根岸季衣さんの姿もよくお見受けする。
 
 根岸さん宅は大山公園の近くにある。ラジオ体操では、「ラジオ体操の歌」をいつも張りのある声で唱和する。さすがに女優だけあって、発声が正確でよく声も通る。いつも私の左斜め後方、決まった場所から聞こえてくる。歩き方もエネルギッシュ、演技はつかこうへい劇団で鍛えられたから筋金入りである。
 
 根岸さんの主人は、大津あきらさんで、直腸がんで早く亡くした。高橋真梨子歌う名曲「foryou」の有名な作詞家である。横道にそれた。で、体操から帰り7時半BSで朝ドラを覗くと本人(根岸さん)が登場している。不思議なカンジがする。その「梅ちゃん先生」もクランクアップして、いよいよ大詰めです。(9月29日終了予定)
 
 この残暑は9月初旬まで続くという。地球が焦げてしまうではないか、まったく。相変わらず蝉がかしましい。来年に予定していた地中の幼虫が間違って出てきたのか、以前にも増して騒々しい。
 
 
蝉しぐれ4題
 
 ―力の限り 夏の終わりの 蝉しぐれ― 長尾(ネットより)
  
 ―夏休み 命を讃う 蝉しぐれ― 内山(ネットより)
 
 ―身を焦がす つかのまの夏 蝉しぐれ― (昭太郎)
 
 ―夕立に ひと休みかな 蝉しぐれ― (昭太郎)

 
 
※私のは自己流です。俳句のまがいものです、読み飛ばしてください。
 

  

拙宅の近所の「坂の上の雲」

舟木昭太郎の日々つれづれ
 

東京ドームに浮かぶ雲

舟木昭太郎の日々つれづれ
 

昼下がりの文京区白山「指ケ谷商店街」

舟木昭太郎の日々つれづれ
 

神保町「新世界菜館」の高菜と筍のラーメン

舟木昭太郎の日々つれづれ

DVD 『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部

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初代タイガマスクと楽しむヒト科最速男ボルト

・ヒト科最速男ボルト
 ~100㍍は何処まで記録を短縮する?
 ~先天性の病気を克服
 ~これからは巨人達の戦い
 
・初代タイガーマスクと楽しむ
 ~二人のレジェンド選手と合体
 ~屈辱をバネに飛躍した佐山
 
・腰痛に泣いた夏の日

 

 
 
ヒト科最速男ボルト
 
 ウサイン・ボルト(ジャマイカ)は伝説のランナーになると宣言していたけど、その通りなりました。ロンドン五輪100、200㍍走で共に優勝して北京に続いて史上初の二種目2連覇を成し遂げて、名実ともにレジェンドランナーとなりました。
 
 100は9秒63のタイムで自らの持つオリンピック記録を塗り替えました。ダントツの強さでした。まるで天馬の如き速さでした。ボルトの走る姿は、写真にならない、という実しやかな話があります。これはシャッターチャンスを逃してしまう程速い、という事なのでしょうか。

 100㍍走の世界記録変遷史を調べると、1964年10月、ボブ・ヘイズ(米)が東京五輪(ここから電動計時)でマークした10秒06が24年後の1988年にはカール・ルイス(米)が、ソウル五輪で9秒9を記録。更に’91年東京での世界陸上で9秒86に短縮させて、所謂カール・ルイス時代を築きました。因みに最初に10秒を切った男は、カルヴィン・スミス(米=9秒93、コロラド)でした。
 
 このらのの記録も次々に塗り替えられていきました。モーリス・グリーン(米=’99年6月アテネ))が遂に9秒79台に突入しました。’00年シドニー五輪でのグリーンの優勝タイムは9秒87、’04年アテネ五輪金メダリストは、ジャステイン・ガリトン(米)で記録は9秒85、五輪は毎回記録が更新され続けています。


~100㍍は何処まで記録を短縮する?~
 
 短距離界はかくの如く米国の独壇場だったのですが、彗星の様にジャマイカに新星が現れました。それがウサイン・ボルトです。’08年8月、北京五輪では9秒69の世界新で金メダル、驚異の記録で世界に躍り出ました。

 翌年8月、ベルリン世界選手権では人類初の9秒56台をマークしたのです。そしてロンドンでの破天荒な活躍、走りと共にあのパフォーマンスも目に焼き付いています。
 
 人類は70年かけて、0.85秒(距離にして約8㍍)短縮した。早稲田大学鈴木秀次教授によれば、ボルトの9秒56は専門家の予想シミレーションより40年早く到達してしまったという。ではこれか先記録は何処まで伸びるのか。鈴木教授の計算によれば、9秒2か3までは行くだろうと予測する。
 
 ボルトの走りの特徴はスタートから50㍍で、トップスピード(最高速度=44㌔)に達し、90㍍過ぎまで殆どスピードが落ちないそうな。ボルトの走幅は2m75cm、ゴールラインを割る最後の1歩はなんと2m97cmだと!41歩で100㍍を駆け抜けてしまうらしいよ、41歩ですよ。因みに左足の方が20㌢歩幅が長いらしい。これは、背骨が曲がっていることに関係するらしい。
 
 ボルトの身長は196㌢ある。これまでは180㌢以上の選手は短距離には向かないとされた。空気の抵抗をより受ける、という事かも知れない。彼はこの常識を覆したばかりか、彼には脊椎側弯症といって脊椎が側方に湾曲する致命的な病気を先天的に持っていて、本来なら過激な走りはできない。
 

~先天性の病気を克服~
 
 この病は手術しなければ治らないそうで、手術すれば競技人生もお終わってしまう。そこでガラスのような脊椎を保護するために、徹底した筋力トレに励んだ。NHKテレビの特集で見たが、格闘家がするようにバーベルを挙げたりする、苛烈なトレで鋼のように強靭な筋力を造り上げた。背中を写した写真には、筋肉にガードされた曲がった脊椎が鮮明に浮き上がっている。
 
 あのぎくしゃくした走りも、逆にその揺れが相乗効果になってパワーを生み出しているとは先の鈴木先生の見解である。身体の欠陥を天命として受け入れ、それを長所に変える、ボルトと彼のコーチ、医師達の飽くなき努力追求には、敬服するのみ。
 
「おれがジャマイカの五輪予選で負けたとき、世間は俺を見放した。だけども俺は俺を見放さなかった」これは100と200で金メダルを取った直後のボルトの記者会見での言葉である。
  
 
~これからは巨人達の戦い~
 
 これからは2㍍を越す巨人達の短距競争になるかもしれず、それによって記録も飛躍的に伸びるような気がする。そうなると、もはや怪鳥の走り、ランバード(スポーツメーカー、ミズノのマーク)に等しい。ミズノさん先見の明りましたね。
  
 でもボルトのシューズはプーマでしたが…。万物は進化、変貌するとはまっこと本当だわ、得心。ボルトに不撓不屈の精神を見ました。やっぱ、オリンピックは、世界一を争う男の仕事場だね。
 
 
初代タイガーマスクと楽しむ
 
 過日、暑気払いと称する食事会がありました。アオバ企画の高橋一専務の招待になものです。メンバーはデザイン会社ZAPP!の白金夫妻、小生夫婦、NTTFan+田村女史。まず丸の内ビル53階にあるモリタ屋で、しゃぶしゃぶを御馳走になりました。
 
 薄暮の皇居を眺めながらの食事会は、格別なものものでした。拙宅では滅多に高級な肉を使ったしゃぶしゃぶは食べられませんから、五臓六腑に沁み渡りました。
 
 ここで大満足して帰りましょうといったところ、銀座のクラブに行きませんか、少しだけ付き合ってください、と高橋専務。少しだけが日を跨いでしまった。クラブで遊ぶなんて何年振りだろう。カラオケもあって皆が歌う、昔とは様相がガラリと変わった、大衆的な銀座の夜でした。
 
 もうそろそろ帰る頃だと思っていたら初代タイガーマスク、佐山聡さんが
巨体を現した。また席は盛り上がる。佐山さんは酒を飲めないので、高橋専務は、彼の好きなケーキをどっさり買ってきました。
 
 時計を見たらあと30分で午前零時、これは潮時だと帰り支度にかかった。だが、またまた南千住の藤原敏男夫人が営むスナック「ロッキー」に行きましょう、とタクシーを呼んでしまった。
 
 藤原会長も舟木さんの来るのを楽しみにしていますので、と高橋専務は念を押す。てな具合でロッキーへ佐山さんと同乗して向かう。藤原夫人は家内も何度か一緒に飲んだことがありました。お店に着くやお互い再会を喜び合いました。
 
 
~二人のレジェンド選手と合体~
 
 カラオケ大会が始まった。私は佐山氏の歌は聞いたことがなかったので、オペラ歌手なみの声量と上手さには驚いた。プレスリーの曲から、ゴッドファーザーのテーマまで、原語で唄うのだ。やはり一芸に秀い出た人は、どこか違う。
 
 我々も唄ったが佐山氏のパワーに圧倒させられた。遅れて藤原敏男会長がM-1MC山本智さんを伴って駆けつけた。これで初代タイガーマスクとキックの鉄人藤原敏男の偉大なる格闘家が合体した。千両役者の揃え踏みだ。
 
 私とは両名とも35年に及ぶお付き合いになる。私がゴング編集部に在籍していたからだ。佐山さんが、新日本プロレスに入門して間もないころ蓼科の目白ジム合宿に参加した。色白でアンコ型のまだ少年の面影が残っていたの
を記憶している。
 
 当時目白ジムは、「鬼の黒崎」と恐れられた黒崎健時会長に率いられたスパルタ道場で、我々取材の者でも目を背けたくなるような場面もしばしば目にしました。稽古で少しでも手抜きすれば(私には少しもそう見えなかったが)、黒崎会長は選手を六角棒で思い切り殴った。
 
 こんな恐ろしいジムの強化合宿に佐山さんは、自ら志願して参加した。蹴りが本職のキックボクサーに混じってプロレスラー佐山は見劣りした。だが真剣に稽古に喰らいつく姿は、感じるものがあった。強いプロレスラーになりたい、そんな願望が迸っていたような気がした。
 
 
~屈辱をバネに飛躍した佐山~
 
 そして1977年(S52年)11月、日本武道館での格闘技大戦争に当時センセーションを巻き起こしてたベニー・ユキーデ(米)を旗頭とするマーシャルアーツ軍団が来襲、ここで佐山聡も新日本プロレスから参戦した。
 
 相手は長身のマーク・コステロ(米)、アンコ型の佐山は全身にキックの洗礼を受けダウンを重ね、いつタオルが入ってもおかしくなかったが、佐山は転びダルマのように起き上がった。結果は屈辱の判定負け。
 
 だがこの試練がタイガーマスクへと飛翔させた。間もなくメキシコへと修業の旅に出て、そして梶原一騎原作の劇画「タイガーマスク」の主人公に変身して凱旋帰国、忽ち日本中にタイガーマスク旋風を巻き起こす。因みに新日本プロレスの一番興行成績がよかったのは、タイガーマスク全盛時であるそうな。
 
 現在は武道格闘技「興義館」を主宰、青少年の育成に尽くし、かつリアル・ジャパンなるプロレスを後楽園ホールで定期興行する。押しも押されもしない格闘技界の重鎮である。 時に屈辱は人を大きくする、失敗は成功の礎となる。佐山聡はその見本である。まさに、主よ、我に試練を与え給え、です。
 
 そう佐山聡は敗北をバネに、あくなき成長を続けて、初代タイガーマスクは伝説のプロレスラーとなった。現役時代取材させてもらった私が、時を経てカラオケに彼と興じるとは人生捨てたもんじゃない。藤原会長ともども楽しい一夜を有難うございました。タクシーで自宅に着いたのは深夜1時半、久々に夫婦で不良しました。
 
 
腰痛に泣いた夏の日
 
 腰痛は痛い。脳天を刺すような痛みが襲う。寝る時、起きる時、寝返り打つ時、椅子から立ち上がる時歩くときにも…我慢できない痛さに涙がポロリと落ちる。♪おお神様 神様 助けて パパイヤー、助けて~。
 
 ことの起こりは、土曜日(17日)、ラジオ体操の前に自己流の予備運動で、いつものように腕立て伏せから腹筋をしていたら、随分今日は肩も腰も重いと感じた。この時点で止めれば良かったが強引に、励んだ。帰宅するや猛烈な張りを覚えた。肩と腰が鉄板のように凝り固まってしまった。
 
 そのうち歩行も困難になり、結局終日ベットでごろ寝、翌日曜日も家で塞ぎ込んだ。湿布薬を腰に貼ってはみたが一向に痛みは消えない。よくよく考えれば、露地栽培の畑仕事、同じ屈んだ姿勢で長時間働いていたことが腰への疲労を蓄積していたのが思い当たった。
  
 畑仕事の後は、入念なストレッチを行うことをここに至り肝に命じる。医者に行って、痛み止めの薬を大量にもらうのも嫌だし、何とか我慢してみよう。20日は少し痛みが和らいで、畑に水遣りに出た。でも、この痛みいつまで続くものかねえ…。
 
佐山聡さん(初代タイガーマスク=左)とキックの鉄人藤原敏男さんと、楽しい一夜を過ごした。
舟木昭太郎の日々つれづれ  

 
伝説となったウサイン・ボルト。北京(上)に続き、ロンドン(下)でも圧倒的強さで100、200を制した。

(※画像はWebより)

舟木昭太郎の日々つれづれ

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ロンドン五輪随想/村田はプロでも十分通用する/女子レスリングの快挙と不安/他

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・ロンドン五輪随想
  ~なでしこ下した米サッカー事情~
  ~卓球団体銀のチカラ~

  ~バレーが勝ってよかった訳~
  ~女子レスリングの快挙と不安~
  ~ボクシング世紀の快挙~
  ~村田はプロでも十分通用する~
  ~閉会式も大人のムード~
  ~新体操は五輪に必要か?~
  ~フェルプスのおしっこ発言~
  ~新体操は五輪に必要か?~
  ~予想される新競技(私が考えた)~
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ロンドン五輪随想

 ロンドンオリンピック、17日間は瞬く間に終わってしまったね。日本の金メダルは7個に終わったけど、内容に於いて私は十分満足しました。女性の活躍がこれほど多種にわたり目立った五輪も過去ありません。女性アスリートが躍動し、輝いた大会でした。 

 雌鶏(めんどり)が時を告げると天下が乱れる。ええ、そんなことありません。安心の安は、ウ冠(家屋を表す)に女という漢字。益々国が栄えますよ。


 拙宅でも結婚以来ず~っとこのかた愚妻が仕切っていますから、安心安全なんですよ~。何だか捨鉢に聞こえますが…。 

 サッカーのなでしこは、もとよりレスリング、卓球、アーチェリー、バレーといずれも私は痺れまくりました。なでしこは、アメリカに1-2の惜敗でしたが、日本の良さを十分に発揮しました。堂々の銀メダルです。 

 これからも全員サッカー、短いパス回しの戦略を追求すべきです。さらに高みへ向かって、磨きをかけてください。徒に反省することはなにもありません。短いパスからチャンスを掴み、一気にゴールになだれ込む、これぞなでしこサッカーの真骨頂です。
 
 
~なでしこ下した米サッカー事情~

 アメリカのような豪華なロングシュートは、確かに見るものを爽快にさせますが、パワーがあり体力があるアメリカ人だからこそできるのです。小柄な日本選手が真似るべきではありません。

 でもアメリカはチーム美人が多いね。ワンバック、モーガンはスクリーンに出てくるような容姿、GKソロも守りは鉄壁、かつ美人とくれば叔父さんはただ見惚れました。

 何故魅力ある選手が多いかって?それも営業の一環なんですよ。つまりアメリカは中断しているプロリーグを何としも、再開したいのです。これには先ず3連覇が絶対条件だったのです。加えて魅力ある選手、魅力あるプレーは、付帯条件みたいなものです。少々失敗しても豪快なシュート、これじゃないとヤンキー魂を満たさない、そんなところです。

 バスケット、アメフト、MLBなどプロ競技がしのぎをけずるアメリカでは、只女性というだけじゃスポンサーもファンは付いてこないのです。彼女達の命運がこのオリンピックに掛かっていた…そう思うと色々納得するものがあります。それにしても表彰式のなでしこの潔い笑顔は、金メダルもので印象的でした。


~卓球団体 銀のチカラ~
  
 卓球は元々平野早矢香のファンなものですから、予選から見ていました。多分平野選手は最後の五輪でしょうから、団体で銀を得られたことはまことに慶賀の至りです。

 愛ちゃんも3才からラケットを握って20年、その一筋の道に神が褒美を賜った。流した涙に幾歳月の重みがありました。若い石川佳純の台頭は銀メダルの推進力でありました。

 彼女のようなヒロインが日本卓球界に現れなかったら、メダルはおぼつかなかったでしょう。あの天空に舞う独特のサーブ球、4年後は日本のエースとして宿敵中国の前に立ち塞がる大黒柱に成長しているでありましょう。

 石川選手は、鋼の如き強靭な意思、それでいて優しさを奥に秘めたときめくような笑顔、切れ長の眼はよき日本女性の全てを備えています。さぞ、浴衣に花火なんか歌麿の絵のようだと、叔父さんは想像するのです。
 

~バレーが勝ってよかった訳~
 
 バレーは28年ぶりのメダルだそうでまさに茨の銅でした。3大会の五輪出場で手にした3位、木村沙織の胸中は如何ばかりであったか。セッター竹下佳江に私はいつも縁の下の力を感じていました。黙々と、さもおしんのように耐えながらのプレーがあればこその銅メダルです。

 だがアメリカ、ブラジルを倒すためにはもう1枚、木村沙織のようなウイングアタッカーを育成するる必用があります。新鍋理沙なんかが成長して、左右に2枚揃えば、より攻撃の幅が多彩になる。迫田かおりも22歳と伸び盛り、期待できます。

 女子バレーが韓国に勝って良かったと正直感じたのは、男子サッカーが韓国に敗れ銅メダルを逸したことに関係する。11日早朝の海外ニュースを何気なく眺めていたら、韓国の女性キャスター曰く「今朝は私も(韓国が勝って)嬉しくて明るい色の服にしました…」満面の笑みを浮かべる。

 街中のサウナや飲食店での同邦の狂喜の風景を伝えた。かと思えば、李明博大統領が、竹島にヘリコプターで上陸したことをセンセーショナルに報道して、国を挙げての、韓国やった!やった!に湧くさま。日本に勝つことがそれほどのものですか?

 もし女子バレーが負けていたら、戦争に勝ったような騒ぎに発展しただろう。現に日本を破ったときに、韓国選手の一人が、『独島(トクト=日本名・竹島)は韓国の領土』なるボードをかざしてして叫んでいた。おぞましい光景で、勿論IOCで問題になって、ボードを掲げた選手は銅メダル剥奪の可能性もあるらしい。

 五輪に政治を持ち込んではならない、と五輪憲章にうたわれています。韓国は立派な経済大国になったのだから、もっとスマートになって欲しいよね。だじゃれじゃないが、私のスマ-トフォンはサムソンのギャラクシーだし、いまや日本の電気メーカーは束になってもサムソンには勝てないのです、国民はもっと大らかに、自信をもって下さいな。


~女子レスリングの快挙と不安~
 

 女子レスリングの話題に移ります。55㌔級吉田沙保里、63㌔級伊調馨の3連覇、そしてママさんレスラー48㌔級小原日登美の金と、世界に女子レスリングの日本の存在をアピールしました。凄いことです。

 でもちょっと待てよ、です。快挙にケチつける訳ではありませんが、日本は女子レスリングには、最初からアドバンテージをもっていたんです。つまりアテネ大会に女子が正式種目になるとの情報をレスリング関係者が掴み、いちはやく選手の強化に取り組んだんです。女子レスリングに関してはよその国は出遅れた、というのが現状です。これが幸いしたんです。

 この有利さ恩恵は4年後にはほとんど残っていないと考えた方がよいでしょう。旧ソ連圏や欧州勢が、本気になって選手育成に努めるに違いありません。金メダルダル3人衆も、いまがピークと想像できます。世代交代をどう乗り切り、次代の選手を育成するかここからが、指導者の腕の見せ所です。


~ボクシング世紀の快挙~ 

 ボクシングに二人のメダリストが生まれました。フライ級清水聡(自体育)の銅、そしてミドル級で48年ぶりに金メダリストとなった村田諒太(東洋大職)。1大会に2個のメダルもボクシング史上は初めてだし、ミドルクラスというのは日本人にとって不可能なゾーンと思われていたので、まさに奇跡です。これぞ世紀の快挙というものです。

 日本プロボクシング協会大橋会長が、就任早々アマチュア側に、プロ、アマ協力してオリンピックでメダルを取りましょうと、交流を呼び掛けました。早速それが実りましたね。喝采です。
  

~村田はプロでも十分通用する~

 で、村田はプロに転向するのでしょうか。26才、身体にも恵まれているいるし、何よりもプロ向きの攻撃的なファイトで、ストレート、ボディブローは切れ味鋭いものがあります。

 世界を狙える逸材に間違いありません。本場ラスベガスで勝負できる男でしょう。ゴールドメダリストの勲章は、かのカシアス・クレイ(M・アリ)のように光を増すでしょう。でも、彼は東洋大学職員を続けるようです。


~閉会式も大人のムード~
 
 閉会式もゆったりした、大人のノーブルなムードが漂う見事なものでした。参加国の数の花弁(あれタンポポだってね)をあしらった聖火が、炎を絞り込んでくると”火の鳥”が現れるシーンは、演出家の才能を感じました。

 兎に角、光と花火の使い方が抜群に優れていたよね、日本のプロデユーサーじゃ、とてもできないだろう。根本的にプロデユース力が違うと思いましたよ。

 でもマラソンのコースは最悪だね。ランナーがよくペットボトルを踏まなかったよ。それよりも何よりも、、ランナーの体が触れて、転倒するんじゃないかと終始冷や冷やしたけど、何事も起らず無事終わってよかった。

 よくもまあ、あんなセセッコマシイ道路をマラソンコースに許可したよね。それで、ケニアの選手二人が談合してる間に、まんまとウガンダの選手に金を浚われてしまった。彼はウガンダの英雄として名を残したね。ところで独裁者アミン大統領はもういない?健在だったら、凄い待遇を受けただろうに、残念!

 マラソンといえば女子の解説者だった有森裕子さんは、暗い喋りで、言葉も少ないし最悪だったね。地獄の三丁目の解説のようだった。名選手名解説者ならずです。あれなら増田明美の方が明るくて、解説も的を得て、分かり易いと改めて感じたよ。


~フェルプスのおしっこ発言~
 
 マイケル・フェルプス(米水泳選手=史上最高18個のメダル保持者)のプールでおしっこするよ、発言、カミングアウトには流石に驚いたね。「プールは塩素(殺菌のため)が入っていて、長い事水に浸かっていると反射的に出るんだ。試合のときではなくて、ウォーミングアップのときだよ、皆やっているよ。」
 
 これはウォール・ストリート・ジャーナル誌のインタビューに答えたもので、衝撃の暴露だね。多分女性もあの水着の下で、そそと、あるいはすまして、やっているよね。シンクロナイズの選手なんか、団体でおしっこしているのかしら。そしたら、後は、ばい菌が群れてシンクロしてたりしてね。
 
 卑猥な想像だが、水中にトイレはないし仕方がないよね。そのうち下町のメーカーが、プールトイレを発明するかもよ。それまで、我慢せずかまわないから水中おしっこしてください。体に悪いから。私も海ではしょっちゅうしてました。
  

~新体操は五輪に必要か?~
 
 ついでにもう一つ、あの新体操という種目オリンピックに必要あるのかね、疑問に思うよ。だってあれどう見ても曲芸でしょう。毬(まり)つかったり、テープ使ったりして。体操という立派な競技があれば十分じゃないのかね。

 そんじゃなくてもIOCは競技数の多い事に不満を漏らしている。将来、新陸上、新卓球、新水泳など正式種目にしようと、利権欲しさに日夜考えている輩がいるかもしれない。おお~、コワ。
 

~予想される新競技(私が考えた)~
 

 ①新陸上:大玉転がしリレー、球受け400㍍リレー(全員木の杓子を持って)球を受け継ぐ
 ②新レスリング:最初にボディビルで身体の美しさを競う。競技は先に相手を逆さまにして頭をマットに付けた方が勝ち

 ③新水泳:自由形100㍍、水中に潜ったまま泳ぎ水から頭を出したら失格
 ④新バレー:手を使ってはならない。頭(額)と足を使ってボールを受けかつ打つ。

 これ、どうですか?

 ダメ?? ウ~ン、やっぱりね。

 次回もオリンピックについて書きたいと存じます。
 
 
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総合格闘技の域に入った柔道/なでしこ監督の公言/熱血の人ありて/他

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・ロンドンオリンピック
  ~男子柔道、金ゼロについて~
  ~総合格闘技の域に入った柔道~
  ~フェアプレイ精神とは~
  ~なでしこ監督の公言~
  ~大層な壮行会もう止めませんか~
 
・蝉の鳴き声が少ない
  ~蝉の一生は短い?~
 
・人は死して価値定まる
  ~熱血の人ありて~
  ~思い出の日々~

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男子柔道、金ゼロについて
 
お家芸の柔道は全階級が終わり結局金メダルは女子57㌔級で松本薫が獲得した一つだけだった。男子は60㌔級平田、73㌔級中矢の各銀メダルが精一杯。最後に望みを託した100㌔超級川上大樹も2回戦で姿を消した。
 
 男女合わせて金1、銀3、銅3の結果に吉村強化委員長は、選手の詰めが甘い、練習を積んできたのに本番では勝ちを急ぎ自分の状況をわかっていなかった、と反省の言葉を述べている。
 
 果たしてこの程度の総括で4年後リオデジャネイロでは大丈夫なのだろうか。私の素朴な疑問だが、結論から申すと日本柔道界は「柔道」という固定概念をもはや捨てるべきである。
 
 
~総合格闘技の域に入った柔道~
 
 柔道は既に総合格闘技のゾーンに入っている。最たる例が100㌔級穴井隆将がクレバレク(チェコ)に巴投げから寝技に持ち込まれた場面。あたかもグレイシー柔術の選手が、関節を極めにかかるような猛々しさで、穴井は一気に抑え込まれた。
 
 悪夢のようなこのシーンは、かつてPRIDEのリング上で幾度となく見てきた惨劇と変わらない。そう、日本選手たちが、ヒクソンに次々にKOされていく場面である。私が見た無念の数々がオーバーラップした。
 
 異質の柔道、総合格闘技化した柔道に今後如何に対応していくかが課題だ。それに打ち克つために何を為すべきか。私は、いまこそプロ格闘家やレスラーとの垣根を越えた稽古を勧める。柔道に異質の血を注入しなければ、進化はない。万物は進化、変貌し続ける。
  
  
フェアプレイ精神とは
 
 国を代表するアスリートたちが、4年に1回集い最高の舞台で、最高の力と技をベストを尽くして競うのがオリンピックである。だがバドミントンの中国×韓国の女子ダブルスは、見るに堪えないものでした。
 
 お互いにサーブを何遍も故意にネットに当ては、負けを狙う策。次の試合で、同国人対決を避ける、あるいは次戦で有利な組合せを得るために。露骨な駆引きは、スポーツを愚弄するもので、無気力試合として失格になりました。当然です、これ、日本では八百長と言うのです。
 
 そういえばわがなでしこも、8時時間かけて次の会場に移動するのが嫌で、わざと引分け作戦に出た。引分けなら2位通過で、同じ場所で試合ができ、選手の過労も防げる、というのが監督の計算であった。これ、無気力試合に当ります。フェアプレイの精神に違反します。
  
 
なでしこ監督の公言
 
 なでしこの例などは、戦略としてどこの国もやっていることらしい。だが問題なのは、監督自身が、南ア戦は、引分け狙いでよいと選手達に指示したと、公の席で発したことです。途中投入の選手には、鋭いシュートは打つなと言った…等々、黙っていればいいものを。対戦した南ア側に失礼ではないか。逆の立場を考えてみればいい。
 
 2位通過に拘った訳は、もう一つ、1位通過ならフランスかアメリカが次の対戦者になる。御存じのように壮行試合ではいずれも敗れている相手。リスクが大きい相手との戦いを避けたかった、というのも本音かも。いずれにせよこれも、正々堂々の精神から逸脱している。
 
 こういった発言はとくに選手たちのモチベーションに微妙に影響してくるものだ。指揮官の一語一句は前線の兵士を惑わす。カッテモ、カブッテモ、オヨ(藤猛の名言=勝って兜の緒を締めよ)、である。試合に影響しなければいいが。
  
 
~大層な壮行会もう止めませんか~
 
 もうそろそろ、出征兵士の如き選手への壮行会といったもの、止めませんか。頭に日の丸に必勝の定番の鉢巻、講堂等での物々しい激励、万歳。選手達は頭をペコペコ下げ通し、異常です。♪勝ってくるぞと勇ましく~まさにこのノリです。
 
 試合ともなれば、地元の会場に集まり全員日の丸に必勝の鉢巻でこれまた大騒ぎ。この光景をさも美徳の如くNHKはじめ民放も定番のように中継する。運よくメダルに有りつけた選手の親兄弟はいいが、期待に添えず敗れた選手の側は惨めである。
 
 100㌔超級で敗れた川上選手は、すみません、負けてしまってと泣いてマイクに向かっていた。なんでここまでするの?勝負は字の如く勝ちと負けのどちらかです。(たまに引分けもあるが)、選手たちはあの馬鹿げた壮行会というプレッシャーを背負いながらプレーしているのです。川上選手の涙は、プレッシャーへの暗黙のメッセージに思えるのです。
 
 これからはもっとスマートに選手を送り出しましょう。例ばお茶とケーキのアットホームなティーパーティーとか…挨拶無、ただ懇談するだけの歓送会。兎に角「必勝」の鉢巻は御法度です。
 
 
蝉の鳴き声が少ない
 
 8月に入って、やっと蝉の鳴き声も聞かれるようになったが、その数は少ない。余りの猛暑に地下の幼虫も、一旦地上に出たものの頭を引込め「こりゃだめだ、来年にしよう」なんて越年を決め込んだのかもしれない。毎朝ラジオ体操に行く大山公園でも例年なら木々の梢からシャワーのごとく降ってきた蝉の声も、遠慮がちだ。
 
 猛暑ときたら、天を切り裂くような蝉の絶叫、この両者がセットで無くちゃ気分は出ないやね。かき氷にそうめん、枝豆に生ビール夏の定番も蝉の声が拍車を掛けるというものです。
 
 蝉といえば、愚妻の郷里、九州は国東半島を旅した夏の日を忘れえない。丁度今年のような猛暑で、磨崖仏巡りをした。巨大な岩肌に仏像が彫られていて、蝉が狂ったように混声合唱していた。
  
 田圃の畦道を歩きながら、炎天下を延々歩いたが、至る所に大小様々な仏像に巡り合った。あれは昭和53年の頃で、新婚の年でやっととれた夏休みであったことも印象深い。
  
 
~蝉の一生は短い?~
 
 その蝉の平均寿命は7年と7日だといわれる。短い生涯だと我々は思いがちだが、昆虫の世界では長寿の部類に入るそうで、人間に例えると70年であるそうな。蝉の生態は、卵から幼虫になって、地下に潜り7年、そこで過ごす、これが本来の蝉の人生だというのです。
 
 夏になって幼虫は再び地上に姿を現して木に登り、夜間孵化する。夜は外的が少ないからだという。夜明け十分に羽根が乾いたころ飛び立つ。牡は雌を求めて身を焦がすように鳴きまくる。声音の良し悪しを聴き定め雌は求婚に応じるという。求愛に応じてもらえず、童貞のまま空しく逝く蝉もいる。
 
 そして、雌は地上の枯れ木などに卵を産み子孫を残す。ほゞ1週間の限られた余命の中で、しっかりとそれぞれ役目を果たして、ある者は街路の焼けるような道路に、ある者は、ビルの屋上をお墓とするのです。
 
 土にもぐっているときには、モグラやケラなどの天敵に狙われ、、成虫してからは鳥やスズメバチの餌食になってしまう、そんな蝉も沢山いる。中でもスズメバチは幼虫を育てるための欠かせない栄養分なんだそうな。こんな蝉を食べる「昆虫グルメ会」なる女性同好会が昨今流行(はやり)だそうな。いやはや。
 
 蝉鳴くや 行者の過る 午の刻 蕪村
 
 小坊主の 袂のなかの 蝉の声 
一茶
 
 夏深き 森の梢に かねてより 秋を悲しむ 蝉の声 
寂蓮
 
 私の故郷は福島の鮫川村という山深い里で、少年のころ聞いたクマゼミの山々を渡る堂々たる響きや、夕暮れ何処からともなく囁き交わすあの蜩(ひぐらし)の哀調を帯びた旋律は少年の不安定な心に沁み込みました。7日は立秋、蝉の声にも秋が忍び寄っています。秋色慕情。
  
 
人は死して価値定まる
 
 デイリースポーツ元運動部でボクシング記者芦澤清一さんが、7月30日に肺炎のため死去して、翌日31日はお通夜が埼玉県上尾市の「セレモニー上尾」で18時から行われた。
  
 夕方になっても暑さは衰えを見せないなかで、葬列の客は後を絶たなかった。マスコミ仲間、ジム関係者、飲み屋の経営者…芦澤さんの人徳というものだろう、生花はジムオーナーから歴代王者、F原田、輪島、具志堅、渡嘉敷にはじまり帝拳ジム4人の現役チャンプといった具合に祭壇は賑やかに遺影を見守った。
 
 一時期相撲担当記者だったこともあり特に親しかった九重親方(元横綱千代の富士)の供花も目を引いた。親方は通夜も終わりの刻に、焼香に駆けつけた。お清めの席ではデイリースポーツのOBと酒を酌み交わして懐かしい人たちと貴重なひと時を得た。
  
  
~熱血の人ありて~ 

 
 直言、苦言ー芦澤さんは常にボクシング界に物申した記者でした、最後のボクシングライターだった。ときにはそれが源でジムから取材拒否を受けたが、怯まず戦い続ける熱血の人であった。
 
 私の編集長を務めたワールドボクシング誌に1頁のコラムを長年に亘り寄稿(後ボクシングビートに継承される)してもらった関係で公私ともに友人のお付き合いをして頂いた。芦澤さんの先輩記者が有名な朝熊伸一郎さんで、仕事も遊びもこの人から徹底的に仕込まれた。
 
 朝熊さんの後を受けてキャップとなってからは、主催紙として、具志堅用高選手の王座奪取から、13度防衛、そして王座を明け渡すまで隈なくその動向を伝えた。
 
 
~思い出の日々~
 
 誰よりも具志堅チャンプの信頼厚く、「わいやカンムリワシねん」の著書まで著した。具志堅一行がキャンプを張ると北は北海道、南は石垣まで何処へでも行った、私も度々同伴させてもらった。打ち上げでの飲み会、タイトル防衛戦後親しい記者仲間が、具志堅選手を招待しての食事会と楽しかった日々を思い出す。
 
 晩年はアル中気味で、後楽園ホールなどではビール大ジョッキ一杯飲み会場入り。酔って数々のトラブルも引き起こした。某ジムのアルバイトの女子大生のお尻を触って、泣かせたなんていう騒ぎもあったがジムの好意で事件にならなかった。
 
 後日、当のジム関係者は私にいった。「某大の学生で仕事もよくできた娘だったのよ、結局そのことが原因で止めてしまったけど。芦澤だから事件にしなかったのよ。」これも芦澤さんの功績有ったればこそ。
 
 毀誉褒貶、人とは功罪綯交ぜの一生を送る訳だが、死んでのちにその人の価値が定まるという。「棺を蓋いて事定まる」の諺あり、芦澤さん、ボクシングに捧げ、駆け抜けた73年の生涯は、あっぱれでした。そしてあなたの死で、気骨あるボクシングライターは居なくなりました…。 御冥福をお祈りいたします。お世話になりました。
 
 
私の好きな夏の花…夾竹桃(代々木大山公園で)、百日紅も同じように好きでピンクは猛暑にも映えます。

舟木昭太郎の日々つれづれ

 

露地栽培の空いたところに蒔いたヒマワリが夏の太陽に向かって大きな花を咲かせています。

舟木昭太郎の日々つれづれ

 

故芦澤清一さんの葬儀、数多の人が別れを惜しんだ。
舟木昭太郎の日々つれづれ  

  

 

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