パラリンピックのこと/小村寿太郎と松岡洋右/スズメバチ戦闘始末記
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・パラリンピックのこと
・領土問題で揺れる日本は?
~小村寿太郎と松岡洋右~
・スズメバチ戦闘始末記
~我、奇襲作戦に成功せり~
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パラリンピックのこと
障害を持つスアスリートたちのの祭典、ロンドンパラリンピックは特別な感動を受ける。たまたまニュースで見たのだが、競泳男子平泳ぎ100㍍(運動機能障害)で両腕のない中村智太郎(28)が銀メダルに輝いた。
両腕がないのに平泳ぎをどうやって泳ぐのだろう、注意深くテレビをみていたら、脚のバネだけでスピードを加速させていた。多分、頭脳のなかのシュミレーションでは、両腕は立派に平泳ぎしているのだろう。
ゴールタッチは、頭をかなりのスピードでゴツンと当てた。いたくないのだろうか。もしかして帽子の先端にスポンジでも入れてあるのかしら。2着でゴールした中村選手は、溢れるような笑顔で「やったぜ!」とスタンドの応援団に応えていた。手が遣えないので、水面から脚を挙げてさらに歓びを表した。心温まるシーンであった。
自らの運命に負けず、世界の舞台で勝負する中村選手の逞しい姿を見ると、我身の不甲斐無さを感じてしまう。親から授けられた五体満足な体を当然の如く振る舞い生きている。障害を背負った人たちのあの生命力を見よ、と己に問う。そうパラリンピックは、障害を持つ人よりも、実は健康な人を奮立たせているのである。
領土問題で揺れる日本は?
竹島、尖閣を巡り日本の外交力が問われている。国民からみて弱腰外交と非難されているものでも、後年高い評価を受けていたり、あるいは拍手喝采をおくった外交が時代を経て、その逆であったりする。歴史とは皮肉なものだ。
さように国と国との付き合いは難しい。歴史はそれを教えてくれる。たとえば、日露戦争後にロシアとポーツマス条約を締結した日本全権大使小村寿太郎は、歓呼の声に送られてアメリカへ出発したが、帰国するや日比谷焼き討ち事件やら、右翼からの罵詈雑言を浴び、自宅は投石されるなど散々な目にあった。
戦勝国の日本が、ロシアから一銭の賠償金も取らず条約を結んだ、小村は売国奴というわけだ。ところが近年は困難な局面にあった日本を救った名外交官として、小村寿太郎は見直されているのである。
~小村寿太郎と松岡洋右~
日露戦争そのものが、日本の大勝利となっているが実は辛勝であったと分析する歴史家は多い。あの時点で条約締結できなかったら、革命を成し遂げた赤軍(ロシア)が反転、日本軍を襲えば、一たまりもなかったろう。これは司馬遼太郎さんの見解である。因みに司馬さんは引き分け説です。
戦費は殆ど外国の借金で賄われた。当時日本の外貨は絹織物の輸出で得られる微々たるものであった。絹を売って、大砲を買う、貧しい国であった。国力の差は如何ともしがたい。実情は軍隊も国民も疲弊して、ロシアと戦争を続ける余裕などなかった。一刻も早く講和条約締を結びたい、これが、日本政府の本音だった。戦勝に酔いしれる国民は、そうした内情を知る由もなかった。
一方の松岡洋右外務大臣は、国際連盟脱退の演説、日独伊三国同盟締結と、国民からは熱狂的な支持を受け、映画スタア並みの人気であった。が戦争が終わるとA級戦犯として捕われた。第二次大戦前夜に戦争に舵を切った当事者の一人として、戦後は国民も掌を返すように松岡を糾弾した。小村とは逆である。歴史から外交を学ぶ、正に温故知新である。
日本は尖閣諸島、竹島、北方領土と懸案を抱えて外交交渉は国民の厳しい目に曝されているが、国民受けを狙うだけの単なるパフォーマンスは避けてもらいたい。正義を唱え、時にけん制球は必要だけれども膠着した関係を解すのには、やはり北風(武力)ではなく太陽政策(対話)以外にない。それとも過激に出て他国と干戈(かんか)を交えますか?
スズメバチ戦闘始末記
30日昼過ぎでした。隣家の御主人が拙宅のドアホンを鳴らして、お宅の軒下にスズメバチの巣がありますよと仰った。慌てて飛び出した。御主人が「ほらあそこです」と指差す方向を見ると、なんとかなり大きく成長した巣が、2階の愚息の部屋窓の下にある。信じられない光景に足が竦んだ。
巣の周りをオスプレイみたいな屈強なハチが旋回している。御主人が、私の処にも作ってあたんですよ、どうもこの頃ハチがやたら飛んでいると不思議に思って、上を見たら小さな巣が在ったんです。ところがお宅の方へもハチが飛んで往くものですから、来てみたら案の定でした。ウチは、薬屋さんでスプレー式の殺虫剤を買って、駆除したけど、お宅のは大きいですねえ。保健所に連絡してみては。駆除会社を紹介してくれますよ。
ハチの巣は2週間くらいで、素人には手の付けられない大きさに成長してしまうらしい。初めての経験なので正直不安になった。同時に日本男児の血が騒いだ。よ~し、いまに見ていろ、殲滅してやる。
自転車で薬局に走り、ハチを駆除するスプレーありますかと店員に尋ねる。と店員は待ってましたとばかりに、黄色の機関銃みたいなものを出してきた。その名も「ハチアブマグナムジェット」。何となく強力な武器に思えて、自信が湧いてきた。凶暴なスズメバチとの開戦時刻は14時半を少し回る。天候晴れ、気温35.2℃、天気晴朗なれども波高し。ニイタカヤマノボレのZ信号だ。
~我、奇襲作戦に成功せり~
まっしぐらに2階に駆け上がった。最初の一撃が大事だ、そ~っと窓を上に5㌢程開けて、マグナムの銃口を網戸に密着、巣に標準を絞る。距離15㌢弱、オスプレイ蜂が警戒態勢を敷いているが、幸いハチは気づいていないようだ。今だ!私は一気にレバーを引いた。巣めがけて乱射した。ランボーの気分だ!戦場に道徳もヘチマもない。たちまち蜂は小気味よくバラバラ落下した。
ここで知った。人間も獰猛な昆虫も習性は同じだ、反撃するより自分の身を守ることを専一にするのだと。この勇敢な兵士に一匹たりとも、手向かうものなどいなかった。頃合いをみて、勝ち誇ったように小さなシャベルで壁から巣ごと剥がした。我、奇襲作戦に成功せり。戦争好きのディック・チェイニー(湾岸戦争当時の米国国防長官)がこの作戦を見ていたら、さぞ仰天しただろう。作戦に要した時間はたったの120ミニッツ。
幸い当方には損傷はない、この作戦に掛った軍事費用は1,200円也。これなら防衛省も納得してくれるだろう。完璧だ。俺は指揮官として天才だ、自己陶酔した。三階級特進するかも知れない。尖閣の守りは俺に任せろ。
巣の大きさはタテ13㌢、幅9㌢ほどのもので、中には幼虫がびっしり詰まっていた。地面には巣とハチの死骸が累々。戦果を誇示するために、八チの死骸と巣は、大事にビニール袋に入れて保管していた。夕方外出先から帰宅した愚妻に見せたら、目を剥いていた。おお~怖い、と言って改めてビニール袋を固く縛った。
巣を駆除した後も食糧確保に出ていたスズメバチは、巣と仲間を探し求め軒下を徘徊していた。人生色々、予期しないことが起こるもんです。戦闘が無血で終結、さしずめロンメル将軍(独=戦車隊指揮官)の気分です。戦勝祝いに、今晩の酒は取って置きのワインにすっか、母ちゃん。
退治したスズメバチの巣