1969年ムエタイの呼称で侃々諤々、ムエンタイかモエタイか/日馬富士の賜杯勝雑感/他
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・日馬富士の賜杯勝雑感
~張り手が横行すれば~
~出よ、第二の貴闘力!~
・ムエタイの呼称で侃々諤々
~ムエンタイかモエタイか~
・企業に想定外はない
~いつでもルネッサンス~
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日馬富士の賜杯勝雑感
大相撲秋場所は日馬富士が全勝優勝で、来場所の横綱昇進を決めた。2場所連続の全勝優諸は見上げたものだ。先ずはおめでとうございます。それにしても国技日本を代表する力士の歯がゆいことよ。大和魂は何処へ。
日馬富士の強さは張り手に象徴される。彼は小兵だからこそ機先を制する過激な技を考えたのだろう。強烈張り手で、先ず主導権を取り、そして一気に有利な態勢に持っていく。この戦法がグランドチャンピオンへの道を切り開いたといえる。
所謂、喧嘩殺法だ。張り手を喰らった力士は一様に、戦う意識を低下させてしまう。一人位それに対抗する者がいてもよさそうだけれども、そんな反骨精神を持った力士は残念ながら見当たらない。2発やられたら、4発にして返せ。それが勝負というものだ。歯がゆいのはまさにこの事だ。
日本人はどうしてこうも大人しくなってしまったのだろう。格闘技の世界でもこうだから、世の中全体も推して知るべしだ。張り手は反則ではないのだから、堂々と土俵中央で応酬し合ったらよろしい。目には目である。双方鼻から大量の出血をみながら、張り手合戦なぞ断然迫力あると思うね。3D(スリーディ)なら格別の醍醐味だろうよ。
~張り手が横行すれば~
張り手が横行すれば当然相撲協会やNHKに、凄惨過ぎる、見るに耐えかねる、張り手を禁じ手にしろとじゃんじゃん抗議の電話が入るだろうな。朝青龍も荒っぽい相撲をとった。喧嘩ごしの取り口で、日本力士は皆ビビり、惧れをなした。それで彼は横綱になった。モンゴル力士の勝利に対する執念、そのハングリー精神は日馬富士に集約される。
これまでは星の貸し借り、談合相撲などである種テレビに相応しい優雅な相撲が見られた。真剣勝負とあらばそんなことは言っていられない。俗にいう品性の欠いた相撲になる。それも自然の理である。勝ちたい、優勝したいが募れば、反則でない限り何でもやる。総合格闘技に近くなる。日馬富士の過激な相撲、張り手に象徴される横綱の誕生は、今後の大相撲の在り方を考えるいい機会である。
~出よ、第二の貴闘力!~
あの貴闘力なら当然負けずに応戦するだろう。出よ、第二の貴闘力!でもモンゴル人同士の白鵬戦にも、日本力士に見せるような過激な張り手をかまして下さいね、横綱日馬富士さん、期待しています。
ところで相撲の決まり手を調べていたら聞き慣れない決まり手のあることに吃驚。例えば、取組中にまわしが外れた力士が負けになるのを「不浄負け」という。初めて知りました。矢柄(やがら)投げ、といったものもある。
上手をとってプロレス技のように左(右)に振り回してぶん投げるのだそうで、わが先輩加賀屋金二郎氏(元相撲誌編集者=日本スポーツ出版社役員)は、往年の名横綱栃錦が使ったのを1度見たことがあると話してくださった。相撲も文献を検索すると、なかなか面白いものである。
ムエタイの呼称で侃々諤々
1969年(S45)~1970年にかけてキックボクシングマスコミでは、タイ式ボクシングの名称,呼称を決めかねていた。楽屋裏の話だがこれが、重大な決め事のように記者が集まると侃々諤々。それは今日当たり前のように定着している「ムエタイ」についてであった。
そもそも発端となったのは、協同プロ小暮広報担当のこの一言からだった。「タイの方では、タイ式ボクシングのことを通常どう呼んでいるんですかね。タイの選手に聞いても発音がまちまちだし、要領を得ません。そろそろ統一した呼び名を付けた方がいいですね。」
当時はライターが各自の判断でムエンタイとしたり、ムエータイ、あるいはモエタイ、タイ式等々勝手に呼んでいた。所が’70年にはNTV系と2CH系(現テレ東)傘下ジムが一緒になって統一した全日本ボクシング・コミッション(石原慎太郎コミッショナー)が生まれた。関係者はこれに合わせて、タイ式ボクシングの呼称も統一したかったようだ。
試合前の記者席で、あるいはジムの公開練習の場で、それはいつ果てることなく議論を戦わせタイ人通訳のミンさん(故人・元タイ国軍人=日本永住)などは、この論争に笑顔を見せながらも癖癖(へきへき)していた。因みにこのミンさんこそ私がゴング誌のキックコーナーを設けたときに御世話になった恩人である。我が国初のムエタイランキングや情報を掲載できたのも同氏の尽力があったればこそです。
~ムエンタイかモエタイか~
で私はそのミンさんにタイ語で何度も喋ってもらった。ムエンタイかモエタイか、結局微妙な発音でこれだと確信は出来なかったが、何となく私はモエタイに感じ取れた。実際はモとムの中間の発音であった。英語で表記すればmuai(ボクシングの意)で語尾にthai(タイ国の略)付けるとタイ式ボクシングとなる。因みに国際式(様式)はmuaiの語尾にsaakonをつける。タイ人は普通国際式を「ムエ」と呼んでいることも加えておこう。
日刊スポーツ鈴木庄一さん(元運動部長)は頑なにムエンタイを主張して生涯変わらなかった。私は当時報知新聞に小さなコラムを持っていて、時々タイ式の情報を寄せていたが、その欄でもモエタイと呼称していた。
そうこうするうちいつの間にか「ムエタイ」という呼び名が定着して私も自然それに倣った。結局鈴木庄一さんのムエンタイと私の押すモエタイの中間を協同プロの小暮広報は選んだのかも知れない。但し日本キッックボシングの生みの親野口修さんは今も昔も「タイ式」と呼称している。
ムエタイという呼称を巡って、大の大人が口角泡を飛ばして譲らなかったあの日々が懐かしい。歴史というものは、呼び名一つを取っても納まる処に納まるんだなあ~とツクヅク思います。「ムエタイ」の呼称は私も気に入っているのです。
企業に想定外はない
パナソニック、ソニー、シャープなど日本を代表する電気メーカーは軒並み不振に陥っている。つい四、五年前まではテレビで断然世界をリードしていたのに、薄型液晶テレビになって韓国や台湾に完敗している。
携帯電話でも後れをとり、それじゃスマートフォンで勝負とばかりに意気込んだものの、これまた韓国のサムソンやLGに歯が立たない。かつての栄光今いずこである。只指をくわえて韓国勢の独走を見守るだけである。 iPhone5などは、全世界で初動でも1,000万台売れるという。桁が違うのだ。国内で、ちまちま商売する日本メーカーが哀れだ。
そもそも狭い国土に同じ類の電気メーカーが多すぎる。東芝、日立、パナソニック、シャープなど、例えば新型の洗濯機を機能が僅かしか違わないのに各社が過剰競争している。クーラーに於いても然り。なぜ少子高齢化の時代、日本の狭いマーケット相手に商売してるんだろう。素朴な疑問である。
そろそろ電気メーカーも三社位に統合して体質を強化することが第一。それによって上質で廉価な商品を大量に生産して、海外で勝負する。韓国、台湾、中国に勝つには、そうした国策としての大胆な取組が必要ではないか。
~いつでもルネッサンス~
進化に際限はない。iPhoneとてこれが永遠といえばそうでもない。何処かの会社が革命的な次世代機種を発明したなら、その瞬間にアップル帝国は崩れる。発明は一夜ににして企業の運命を変えてしまう。
ソニーがトランジスタラジオやウォークマン、更にはプレステーションで我世の春を謳歌してきたのも、いまや過ぎ去った夢だ。一つの発明・発見に酔いしれて、前進を忘れた時企業はまさに滅びる。
シャープなど今日存亡の危機にあるのは豹変する事態に応えられなかったからだ。企業に想定外はない、あらゆる激変にも応えて行かねばならない。企業とはいつもルネッサンス精神が求められている。
代々木八幡神宮の秋祭り、雨中の神輿がゆく(23日)
見物客も傘をさして…


