「UPPER CLASS」4月号は4・2配布で~す
そうえいば、「不滅の国際プロレス1974~1981」のDVD BOXがポニーキャニオンから発売された。竹内宏介&流智美両氏の監修だ。総収録859分、5枚組は圧巻。テーズ、ガニア、ロビンソン、ブルーザーなど国際プロレス中期・後期を支えた貴重な外人レスラー、またR木村、井上、寺西、浜口ら日本人主力レスラーも総登場。昭和プロレスの真髄をここぞとばかりに見せてくれる。まさに国際プロレスは死なず、である。お問い合わせは「ポニーキャニオン宣伝課 TEL03-5521-8021」まで。
「UPPER CLASS」4月号は4月2日配布されます。因みにこの日は、我が誕生日だ。関係ないか。4月号の特集は、「ハンカチ王子とマー君、それぞれの旅たち」です。甲子園での活躍から早稲田、楽天へ―期待を込めての誌面に乞うご期待。
3月22日から小田急線町田、下北沢、新宿駅で、また、ゆりかごめ線全駅、都営地下鉄九段下、水道橋各駅で設置されました。近くにお寄りの節はどうぞ手に取ってみてください。
私が1週間楽しみに待っていた「拝啓!父上様」も終ってしまった。質の高いドラマだった。最後に、一平の父親は誰なのか、最後まで明かさなかった終わり方もいいな~。倉本原作はさすがレベルが高い。
今週から来月8日は、都知事選で騒がしくなる。石原知事は当選するのかしら……。
すし店で角川春樹さんに会った……、昔、全日本キックコミッショナー候補に
先日(15日)代々木上原の「すし勘」で昼、親しい仲間と脳梗塞の快気祝いをしてた所、角川春樹さんがいらっしゃった。角川さんといえば、20数年前に全日本キックのコミッショナーに取りざたされたことがある。私は(当時ゴング)その情報を確かめようと、主催者にインタビューを申し込んだ経緯がある。結局、キックも下火になり、その話も自然消滅した。後楽園ホールで見て以来の姿だったが、久ぶりにみた角川さんは青年のように若々しかった。格好よかった。いま公開されている「蒼き狼」も大ヒットしているという。事件で刑に服し、再起不能かと思われていたのに、なにはどうあれ、その生き様はバイタリティー溢れるものだ。人間一度くらいは、大なり小なり「へた」をこくものだ。大事なことは、へたをこいたら、それをバネに立ち直ることだろう。
角川春樹さんは、逞しく立ち直り、猛々しく事業を展開している。私が尊敬する所以はまさにそこにある。角川さんに会えてよかった。パワーをもらったような気がする。
14日、埼玉の上尾に黒崎健時会長を見舞いに元目白ジムで、先生に指導を受けた高橋一さん(アオバ企画専務)とご一緒した。高橋さんは目白ジムが白山下にあった頃の練習生。20年振りの恩師との再会に感激していた。
先生は日増しに回復しており、暖かくなったら散歩もできるようだ。日当たりのいい娘さんの家で、孫たちに囲まれとても幸せそうだった。「先生の元気な姿を見て安心しました。先生の教えがあったから、今の自分があるんです」と高橋さん。
さて、「ゴング格闘技」も「週刊ゴング」も遂に廃刊となった。社員諸君も解雇されたと聞くが、寂しい限りだ。二誌とも創刊したときの苦労が、走馬灯のように目に浮かぶ。盛者必衰か……いつの日か、復刊されることを祈る。
「一日一生」早寝早起きの我が日課
私も脳梗塞から9割がた通常に戻って、最近はまた、早朝4時半からの1時間散歩を開始した。初めはよたよたした足取りだったが、この頃は大分早足で歩けるようになった。万歩計を見るのが楽しみで、つい歩き過ぎる。
日曜日は、笹塚辺りをウロウロして楽しんでいる。脳梗塞を患って健康の有り難味が身に染みて分かった。「神様に助けられた命だから大事にしなければ」と思うと、自ずと余り物欲も無くなってきた。誰が言ったか「一日一生」。
早寝早起き、家庭で妻の作った野菜と魚中心の夕食を摂ることが、いま最高の幸せになっている。お陰様で退院後7キロ痩せた。すこぶる調子がいい。
そんなことで、夜外食することがなくなったが、久方ぶりで、すっぽん「田吾作」に行ったら、親方の長男・宏明君に、携帯で双子の赤ちゃんを見せられた。どちらも女の子で、可愛いもんだ。親方夫婦も嬉いだろうが、私だって我が息子の快挙の如く嬉しい。だって「田吾作」さん一家とは、かれこれ30年に及ぶ家族のようなお付き合いだから。名前は、璃花子と千花子……とてもいい名前です、しっとりと日本的で。彼女たちが揃って、小学校に入学するときは、桜が絢爛と咲き誇っていて欲しいものだ。双子の入学式、いいな、制服姿が目に浮かぶようだ。子供の成長は早い。あっという間だ。
我が倅も、4月に大學4年になる。京都の春。今年も行けそうにもない。入学式の日に見たあの桜――加茂川べりに、今を盛りと咲き誇っていた。青空が何処までも広がっていた……。
頑張れ!日本スポーツの諸君よ
「週刊ゴング」と「ゴング格闘技」はどうなるのだろう。
私が創刊して、育てた両誌だが、社長の逮捕(「アドテック」をめぐる民事再生法違反事件で)により、その存続が危ぶまれている。私の耳には、やれ「ゴング格闘技」のスタッフが全員解雇された、やれ「週刊ゴング」はあと2週で終わりだ――悪いニュースばかりが伝わってくる。
実際のところは分からないが、相当切迫した状態はたしかなようだ。不憫なのは、編集者やカメラマンといった現場で動くスタッフだ。取材先々で、事件のことを話題にされて、さぞ悲しい思いをしていることだろう。 ことは、経営者の責任。社長が交代したが、それで解決とはいかない。2月28日に出る給料もまだ支払われていないという。心配だ。
外野席から、ことの推移を見守るだけだが、なんとか両誌は存続する方向で関係者のご支援をお願いしたい。 今は、ただ祈るような気持ちで、成り行きを見守っている。日本スポーツの皆さん、頑張って下さい。
ビッグママ、黒崎夫人よ安らかに……
黒崎健時先生の美代子夫人が亡くなって、その御通夜(17日)と告別式(18日)が埼玉県上尾市の伊奈葬祭場で執り行れた。故人を慕う大勢の弔問客が詰めかけた。その中には、オランダからわざわざ駆けつけたジョン・ブルミンさんの顔も……黒崎先生とは大山道場からのお付き合いだそうで、夫人の死は「衝撃を受けた」と、ラッキーにも飛行機のチケットが1枚だけあって、葬儀に間に合ったのだという。
「奥さんが亡くなられて、一番悲しんでいるのは、クロサキ先生だろう。先生を激励するためにも、来たんだ」長身のブルミンさんは、一際目立った。
参列者の中には、格闘技関係の人も多かった。新格闘術連盟の各代表、キック界……とりわけ故人とは切っても切れない愛弟子達の大沢昇、藤原敏男、島三雄は沈痛な表情で焼香していた。
型破りな葬儀だった。お坊さんがいない。エルビス・プレスリーのロック曲が流れる中、大勢の弔問客は次々に焼香して行くのだ。これは故人の遺言だそうだ。死因は蜘蛛膜下出血で、7年前にも倒れていた。かねがね故人は「私は好きなように生きるんだ。64歳まで生きたから、いつ死んでもいいの」と言っていた。その通りの人生だったが、最期の電話の相手が、私だったとは。話は当然途中で切れた。今度、改めて、天国へ続きの電話をしようと思う。
それにしても、病身の父・黒崎先生に代わって喪主を務めた長女・玲子さん、次女真理子さん、立派に代役を務めました。ご苦労さまでした。
多くの格闘家を黒崎先生と共に育てたご苦労はいかばかりであったか、男勝りの度胸でついぞ弱音聞かなかった。ある意味、最期のビッグママ――黒崎美代子さんの生涯に献杯! 安らかに眠って下さい……。
黒崎夫人が永眠された……突然の訃報に悲しむばかり
黒崎健時先生の美代子夫人が、急逝なされた。2月12日のことだそうで私が奥さん最後の話手となった。というのは、先週の月曜日(5日)、前日に上尾の黒崎宅を訪ねた折、昼食を御馳走になったので、そのお礼に電話した。朝9時頃、だったと思う。奥さんが出た。「あっ、舟木さん」と、第一声からしてとてもお元気だった。ジョークを交えて2~3分会話した。突然、「あれ?頭が痛いわ……」「それじゃ、また……・」そう言って電話を切った。まさかそれが永久(とわ)の別れとなるとは。夫人はそのまま倒れ、意識不明となり、1週間後の12日亡くなられた。何という事だ。私が電話をしたばっかりに、と責任を痛感している。言いようのない、悲しみ。寂寥感が私を襲う。先生はさぞや悲しんでいる事だろう。
生きて行くことは、辛い。より多くの悲しみを見ることになる。ほぼ40年に亘り黒崎家に出入りさせて頂き、奥さんの思い出は尽きない。何かとお世話になってしまった。涙溢れる。最後の電話の声が、耳に切なく響く。
訪れたその日、夫人は玄関先で見送ってくれた、あの仕草が忘れられない。車が見えなくなるまで手を振ってくれて――。そして、少女のように、一瞬手を止めるや、小石を寂しそうにそーと、軽く蹴った。そして再び手をふって、私の乗った車の視界から消えた……享年64歳。 奥さん、ありがとうございました。長い間……本当に。残念です。とても悔しいです。
安らかにお眠りください。合掌。
通夜/2月17日(土)18時~
告別式/2月18日(日)11時30分~12時30分
葬儀式場/上尾伊奈斎場つつじ苑葬祭場
住所/上尾市大字瓦葺150番地
電話/048-720-7870
喪主/黒崎 明
小比類巻の敗戦は心構えの問題だ
日本ボクシング協会の会長選挙に立候補していた輪島功一氏、東日本協会の会長選挙に立候補していた具志堅用高氏が、共に立候補を取止めた。
取止めた理由について輪島氏は「ここで争って、ボクシング協会を割るわけにはいかない。引くも勇気だ」と語り、一方の具志堅氏も「今回は準備不足だった……大橋君にはがんばってもらいたい」と。これにより、日本協会は、原田政彦氏(ファイテング原田)の続投、東日本協会は、大橋秀行氏の新会長就任が決定的となった。
以前にも述べたが、お二人の辞退によって無益な抗争に発展しなくて良かったと思う。ボクシング業界が、二つ分かれて争う事態はこれで避けられた。ときに、大人の解決も必要だ。ボクシング業界は、それでなくとも低迷している。力を合わせて発展に尽くしてもらいたいもの。
K-1WORLD MAX2007日本代表決定トーナメントは、小比類巻が、キックを始めてわずか1年足らずのアンディ・オロゴンに延長戦の末、ダウンを奪われて敗れた。怪我を負っていたにしろ、なんとも情けない話だ。技術云々ではない。小比類巻に問われているのは、勝負に対する姿勢、心構えなのです。かつて君が、黒崎道場の門を叩いたときに黒崎師範は、来る日も来る日もただサンドバックを蹴らした。あれはなんだったのか、今一度思いおこして欲しい。ひた向き、我慢……そんな思いが黒崎師範にはあったのだと私は解釈する。
そういえば、「拝啓、父上様」のドラマ中で、新米の板前見習えが、鍋を磨く場面が出てくる。「見習えは、鍋をピカピカに磨いて一人前になる」と親方がいう。因みにその鍋は、幾ら磨いても黒いままのシロモノ。それを毎日やらされる。板前になる道も、キックの道も、道は同じだ。つまり小比類巻よ、心の問題なのだ。
「目標に何処まで集中できるか、その執念が才能である」――黒崎健時
混乱する日本ボクシング界。具志堅氏は勇気ある辞退を!
原田政彦が会長の日本ボクシング協会の会長に、輪島功一氏が立候補して、一方、その輪島氏が辞退した東日本ボクシング協会会長には、大橋秀行氏と、具志堅用高氏が立候補――それぞれ1歩も引かず内紛の様相だ。2月の選挙(日本協会23日、東日本26日)までは混沌としそう。
事の起こりはこうだ。「原田氏から選挙には出ないので次はよろしく頼むと言われた」(輪島)。これに対して、原田氏は「退任するといったことはない。輪島氏はルール違反だ」と真っ向反論。言った言わないの問題に、それがそのまま、コピーしたかのように、大橋氏が「次は会長選(東日本)に出ないので、頼むと言われた」と、それが、突如輪島氏は、具志堅氏を次の会長に擁立したというのだ。具志堅氏も「世界王者が6人もいながら、人気が低迷している」と意欲を示した。かくて原田&大橋vs輪島&具志堅、さながらボクシング界の頂上対決となった。
選挙の予想はどうか……圧倒的に原田陣営が有利と聞く。それはともかく、大橋氏は3年前にも、立候補を表明している。並々ならぬ意欲を持っている。情熱家だ。なら意欲、情熱を生かすべきだ、若い芽を摘むべきではない。登用すべきだろう。それでなくとも、ボクシング界は世界王者6人もいながら低迷しているのだ。いい機会、やらせてみよう。
我が友人、具志堅氏には後輩と争ってほしくない。両陣営の中傷合戦の餌食になってほしくない。大所高所から、もっと世界視野で、日本ボクシグシング界の舵取りをやっていただきたい。原田vs輪島の仲介役としても、具志堅氏の立場は極めて重要である。
我が親友具志堅氏の勇気ある撤退、潔い辞退を望む。それが、とりもなおさず、ボクシング界の混乱を救うことになる。
さて、KIDの北京行きは、ほぼ絶望的になった。全日本レスリング60㌔級に出場したKIDは、2回戦でアテネ五輪の銅メダリスト井上謙二にフォール負け。悪い事に、巻き投げを食って、その際右ひじを脱臼、全治3~4ヶ月という……残念だね。
梶原一騎20年目の命日に思ったこと
この地は故人にゆかりが深い。「私がこの場所にお墓を決めたのは、真正面に講談社が見えたことです。20年前は、まだ遮る建物もなく講談社が見渡せたんです。今でもビルの上部が見えますから、梶原は嬉しいのではないでしょうか。梶原の作品のほとんどは、講談社ですからねぇ」と篤子さんはおっしゃる。この日墓参りに添野達一師範(士道館)夫妻も来ていたことを付け加えておこう。律儀な男だ。
梶原作品は没後20年経ても、衰えるどころか、その人気は再びブームの兆し。パチンコ&パチスロでは、続々梶原作品がホールに登場する。「巨人の星Ⅱ」「空手バカ一代」「侍ジャイアンツ」、そして、来年は待望の「あしたのジョー」が満を持して公開される。大手のサミー(パチスロ)と京楽(パチンコ)で競い合う。因みに「侍ジャイアンツ」(ニューギン)のパチスロはアッパーが、コーディネートしたもの。4月頃に公開ということから、ご愛顧の程をお願いします。
話は前後するが、21日は、新宿FACEで「武頼漢」の興行が昼にあって、B・ユキ-デが来るというので(実際には来日せず)ユキーデに関わりの深い梶原一騎夫人の高森篤子さんと弟の真樹日佐夫氏が招待された。この日が命日の故人を偲び10ゴングが鳴らされ、お二人はリング上から挨拶された。印象的だったのは、篤子さんの帯が白地に「忍」の字が前と後ろに鮮やかに描かれていたこと。
尚、試合の後に、お墓へ向かった。同乗させてもらったベンツは、先生生の愛車だった。「座席を真っ赤なレザーに変えたのよ、どうかしら……20年も経つと、故障がちでその度に部品代が大変よ」と懐かしむ風。大きなベンツだ。感慨が深い。この車にあの梶原先生が乗ってていたと思うと、何故かジーンときた。改めて先生のご冥福を祈ります。あ、そうそう、添野義二士道館館長にこの前お聞きしたんだけど、「ゴングの舟木は格闘界のこと良く知ってんだろうなって……先生は色々取材したかったみたいだった」
恐れ多いことだ。これ余談(笑)。
秋山戦のノーコンテスト……桜庭の心情思うと、切ない。
Dynamite!!での秋山と桜庭の一戦がノーコンテストに結果が修正された。秋山が試合前に全身にスキンクリームを塗っていたことが発覚したからだ。クリームにはワセリンやグリセリンなどの油性のものも含まれていたとか。「体が滑る」という桜庭の抗議を受けてK-1側が調査を開始していたものだが、桜庭の抗議は「正しかった」ことが判明した。桜庭は、試合中に再三レフェリーに「(秋山の)体が滑る」と訴えたが、聞き受けられなかった、という。桜庭の気持ちを思えやると、さぞや悔しい思いだったに違いない。察するに余りある。
それにしても、お粗末なのはボディーチェックをしたレフェリーだ。その際に何の感触も感じなかったというのは、どうも型通りのチェックに終ったとしか思えない。ましてや道衣のみしかチェックしなかったとあれば、もう話にならない。試合を裁いたレフェリー、サブレフェリー含めて桜庭のアピールあった時点で、その有無を厳正公平に調べる義務があった。試合が白熱して選手も、観客も興奮する中、あくまでも審判員は冷静沈着であらねばならない。ルールを守らせることが競技を成立させる、原則だから。
秋山は確信犯だったかどうか……テレビの前で堂々と件のクリームを体に塗っていたというから、そうは思いたくない。がしかし、滑る、ヌルヌルすというのは先刻承知のはずだから、弁解の余地はない。
私は秋山のKO勝ちについて、そのパンチの詰めの見事さについて触れ、褒め称えたが、こうした「事件」があったことは
日本の格闘技界を背負っていくであろう逸材として、はなはだ残念である。桜庭に名誉を! 秋山には罰を!
正月のTVは面白くなかった。唯一「白虎隊」は味があった。現代に通じるドラマにしたのが成功の理由。それに日新館の「ならぬものはならぬのです」を軸にストーリーが展開したことだろう。今最も楽しみにしているドラマはフジテレビの「拝啓、父上様」(毎週木曜夜10時)。やはり倉本聡作。ものが違う。話の筋、骨格がしっかりしている。一平役の板前・二宮和也の演技が断然光る。見習い板前の時夫・横山裕も存在感あり。神楽坂の老舗料亭を舞台にくり広げられる物語……どんな風に展開していくのか期待しています。