徳光さんで思い出すこと/花火の日浅草散策/他
・徳光さんで思い出すこと
~駆け出し時代の遠い出来事~
~30数年振りの再会を果たす~
~昔、徳光さんから頂戴した年賀状~
・花火の日浅草散策
・「ボクシングパーク」の閉店
9月まで宜しくお願いします。http://fanplus.jp/_boxingpark_/
徳光さんで思い出すこと
~駆け出し時代の遠い出来事~
24時テレビのチャリティーマラソンで、70歳の徳光和夫アナが完走
したシーンを見て感慨深かった。徳光さんも私も駆け出しの頃、片や日テレのキックアナウンサー、片やゴングの編集記者として試合場でよく顔を合わせた。遠くいまから40年前の出来事である。
或るとき、名古屋での試合後に、プロモーション側の接待でクラブのような店に行った。そこで見せた徳光さんの軽妙な余興は、後の成功を予感させるものだった。
司会をかって出て他人が歌うと、そのイントロナレーションを情緒たっぷりに即席で語る。まるで歌番組の専門アナウンサーのようで兎に角そのウマさには、下を巻いたものである。
その場にいる人は、やんやの喝采で徳光ワールドの虜になった。この人を単にスポーツアナウンサー(当時は主にキックや、プロレス)にして置くのは、もったいないと誰もがその時感じたに違いない。そのキックの放映も6年余りで打ち切りとなった。
~30数年振りの再会を果たす~
そんなことがあってしばらくして、徳光さんは多方面で活躍する姿をテレビで拝見するよういなった。特にズームイン朝は印象深い。すっかり局のエースにのし上がった。
あの時の予感が的中したことで、我ながら嬉しくなったものだ。日テレ退社後はフリーとして益々その芸幅を広げている。そして件のマラソン、心筋梗塞を克服しての70才のチャレンジには驚いた。
梶原一騎先生の17回忌(平成15年1月)が、赤坂プリンスホテルで行われた折に凡そ30年振りに徳光さんに再会した。会の発起人として私は出席したもので、前もって梶原未亡人から「司会は徳光さんなのよ」と聞かされていた。
で私としては、昔のことだし、俺の事なんて忘れているだろうとタカをくって徳光さんと再会した。折しも徳光さんは打ち合わせの最中であった。
そこへ私が近づいて行くと、すぐ気が付づいてくれた。丁度、キックの鬼・沢村忠さんも帯同していたので、目につき易かったのかも知れない。
「ふなきちゃん、久しぶりだね」と開口一番、例の柔和な顔で歩み寄って来てくれたのには、正直感激した。私の名前を忘れてはいなかった。かれこれ30年の歳月が流れたというのに。
傍らの沢村さんを紹介すると「ふなきちゃんだから、来たんでしょう、沢村さん」と過分な言葉も頂いて、恐縮した。公衆の前に出るのをはばかっていた、沢村さんを思い諮っての表現だったが…。
あれから40年の歳月、しかし徳光さんの人に接する姿はあの時とちょっとも変わっていなかった。いつまでも人気者たる所以は、実力もさることながら、誰からも愛されるのはこの人柄にある事は確かであ
る。
~昔、徳光さんから頂戴した年賀状~
ここに1枚の年賀状がある。昭和46年、新年のものである。「公正に取材をお願いいたします」と書いてある。この頃、徳光さんは茅ヶ崎に住んでいた。人柄が滲みでている。キック放送では、当時TBSに後れをとった日テレ。
本来なら「是非わがキック(日テレ)を宜しく」と書くのだが自然だが、彼は敢てしなかった。この一事でも人間性が読み取れる。12チャンネル(現テレビ東京)の大沢、日テレは錦を擁し、TBS沢村キックに激しく競り掛けていた45~47年頃。懐かしい、駆け出し時代だ。
私は今でも大事に持っていて、時折眺める。「公正に取材してください」と徳光さんが、心で叫んだ文字を噛締めるために…。70歳の徳光さんのゴールは、過去を甦らせたばかりか、私にも勇気をも与えてくれた。
花火の日浅草散策
27日(土)はカラオケの仲間の皆さんと浅草散策。仲見世をぶらぶら、観音様にお参りした。当日は隅田川花火の日で、大変な人出で、歩くのもやっとだった。
2時頃だったが言問橋の上は、眺めのいい場所を求めて行きかう人でごった返していた。さすが浅草、どの角度からでもスカイツリーが見られる。なんだか忽然と現れたような不思議な感じだ。
三定で天丼を食べた。昔ながらのしっかりした醤油味は美味しかった。1,735円(上)は、それだけで十分満腹。ビール少々、お酒、ぬる燗1合で、ほろ酔い。
舟和で芋羊羹を買って、4時頃浅草をを出る。花火が近づくにつれて、どんどん人が増え出して来た。バスで上野へ回り、大江戸線に乗り換えて新宿に帰着。浅草散策は、風情があってなかなかいいもんだ。又、行きたい。
「ボクシングパーク」の閉店
「ボクシングパーク」は残念ながら、今般閉店のやむなきに至りました。いち早くお知らせ致します。NTTFan+よりの「閉店の御挨拶」が近く発表されますが、視聴者の方、ご協力頂いたジム関係者には申し訳なく思います。(但し購入した商品は視聴者のもです)
改めて感謝申し上げます。4月15日に配信スタートして、8月末までの(実際は9月閉店)の、僅か5カ月ばかりの期間でしたが、制作請負の身ですから、制作の発注がなければ、当然辞める他ありません。
震災で配信が1ヵ月遅れたり、悪条件が重なりましたが私としては、最高のコンテンツを提供したとの自負があります。この度、新しい仕事に挑戦できた事は、私にとって貴重な体験として残ります。
御多分にもれず不景気な世の中ですから、これは行けると思って始めても、失敗する事はままあります。運営社(ショップオーナー)の都合で配信事業から撤退しますが、恨む気持ちはありません。
NTTFan+はこれからも存続するわけですから、いずれまた違った形でアッパーが登場する機会があば幸いですが。既に新たな仕事に着手しております。何事もプラス志向で行きたいと思うのです。
ユニクロ柳井会長が何かで語っておりました。「事業とというものは99%の失敗、1%の成功です。」と。1%の成功がユニクロだ、と。味のある言葉です。ショップ運営社にはこの言葉を、はなむけにお贈りいたします。
スマートフォンなど目を見張る普及は、将来のNTTFan+の成功を予言しています。それが商売に繋がる時期が早いか遅いかの問題です。いずれFan+の時代が来ると、私は確信しております。
露地からのスカイツリーの眺めは風情がある。
五重塔をバックにパチリ!カラオケ仲間の皆さんと。
アサヒビールを背に記念の写真。
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』絶賛発売中!!
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