舟木昭太郎の日々つれづれ -66ページ目

第2回アッパー格闘技博覧会「野口修と栄光のキックボクシング史展」のお知らせ

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・「野口修と栄光のキックボクシング史展」
 ~業界最古参藤本会長のこと~
・四国漫遊続雑感
 ~内子、宇和島探訪へ心馳せる~
・季節は万華鏡のように
・マスターズの感動

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「野口修と栄光のキックボクシング史展」
 
 第2回アッパー格闘技博覧会「野口修と栄光のキックボクシング史展」
は6月3日(月)18時30分から東京・湯島「東京ガーデンパレス」特設会場で開催されます。連日その打ち合わせに回っています。
 
 幸い新日本キックボクシング協会(伊原信一会長)が全面的に協力してくれることになりまして、心強く感じています。発起人代表には伊原会長が多忙な中承諾して頂きました。これでイベントの体制がほゞできあがりました。発起人には協会加盟の各ジムの会長さんはもとより、野口会長の馴染みの友人が顏を連ねます。豪華な顔触れです。皆さん御協力有難うございます。
 
 OB、現役選手も集い、いわば盛大なキックボクシングの同窓会で野口修会長の栄光のイベントを祝福したいと企画を練っています。勿論一般のファンも参加自由ですので奮って御応募下さい。古い貴重なチケットやポスター、チャンピオンベルトなども用意いたします。
 
 幸いファンの方から写真やパンフなどが提供されて参ります。先日も宮崎に住まいの工藤さんから地元で行われた試合のパンフのコピーを大量に送って頂きました。富山勝治選手が故郷に凱旋した試合で、いかに期待が大きかったかがパンフの豪華さで偲ばれます。紛失するといけないのでコピーで結構ですので、お送り頂きたいとぞんじます。同じものを合わせてメールして頂くと有難いのですが。
E-MAIL:upper@lapis.plala.or.jp
  
  
~業界最古参藤本会長のこと~
 
 目黒藤本ジムへは2度ほど足を運び藤本勲会長に相談、意見を仰いでおります。藤本会長は、昭和41年、新宿体育館でデビューした業界最古参のジム会長です。旧い出来事はこの人に聞けば何でも分かるキックの生き字引、本当に頼りになります。OBの連絡先や消息が魔法のようにわかります。チャンピオンベルトなども展示してくれることになりました。文字通りのキックボクシングの博物館にしたいと願っております。
 
 兎に角キックボクシングの産みの親である野口修会長、盛大にその栄光の足跡を称えるイベントにしたいと考えます。是非とも御協力のほどをお願い足します。今週末にはポスター、チラシの類が出来上がりますので、この欄で一足先に紹介致します。
 
 
四国漫遊続雑感
 
 「二十四の瞳」の小豆島は思い出に残る場所ですね、やっぱり。添乗員のかたが、ベテランでよく勉強していて説明も詳しくよかった。作者壺井栄さんは、当地出身であるが物語の舞台は実は小豆島ではなかったそうだ。だが木下恵介監督がロケ地の下見にあちこち島を巡り、小豆島にきていっぺんに気に入ってしまったのだという。映画の舞台はそんな事情があったと。
 
 分教場のモデルは海辺の道路添えにある「岬の分教場」で、今も保存されているが、小さく御伽の国の様な校舎で、何ともいえぬ佇まいで心を打つ。素朴な子供たちと、鄙びた漁村、波の音…小石(おおいし)先生のあかるい声、私は映画の世界に忽ち耽溺した。
 
 もう一度、夏に行ってみたい。尾崎放哉記念館も訪ねて、放哉が眺めた夕陽に酔ってみたい。年寄の旅はこれがいい、ゆったりと人生の終わりを楽しみたい。「人生の同行者」(妻)と共に。
 
 
~内子、宇和島探訪へ心馳せる~
 
 愛媛の「内子護国の町並み」も時間を忘れて散策したいところだ。ふと寄った喫茶店(お土産店を兼ねる)のマスターがボランティアで、町案内をしていると仰った。時間が在れば私が案内してあげるのにと言って下さった。炎天下のゆうゆう散策憧れです。
 
 ツアーコースには無かったが、宇和島市もジックリ腰を据えて歴史探訪をしてみたい。司馬遼太郎さんも吉村昭さんの御二人も異口同音に当地のよさを挙げている。両作家が宇和島のどんなところにゾッコンだったのか、我が目でその愛した理由を確かめたい。幕末の宇和島藩は長崎と並ぶ蘭医学の発展した所であった。そんな歴史も旅情を誘うのです。。
 
 いずれにせよ、前記のように四国へは夏に行きたい。入道雲、蝉の声
お遍路さん…思い出が焼きこまれるような気がするからです。
 
 
季節は万華鏡のように
 
 季節は万華鏡のようにめくるめく。桜の花弁が散ったと思いきや、人よ、淋しがることはないよと今度はハナミズキからツツジが咲き始めた。日本の素晴らしさは四季折々に花を楽しめることである。
 
 早朝のウォーキング、ラジオ体操はこのように咲き乱れる花々に歓迎されるのだから、これ以上の倖せもない。 
 
 白壁につつじ咲たる庄屋哉
 
 燃ゆる如きつつじが中の白つつじ
            
       正岡子規(明治33年)

 
 

  
マスターズの感動
 
 第77回目のマスターズは感動のフィナーレでありました。アダム・スコット(オーストラリア)とアンヘル・カブレラ(アルゼンチン)は本戦18番で共にバーディーを奪って9アンンダーでトップに並んだ。
 
 雨の中のプレーオフは、サドンデスの2ホール目で決着した。勝ったのはバディーパットを沈めたスコット。オーストラリアに初のグリーンジャケット、私はグレック・ノーマンがファンだったので同じ国のスコットが優勝したのが嬉しい。ノーマンはマスターズで3度涙を飲んでいる。
 
 それにしても背筋の凍るようなデスマッチであった。そしてスポーツマンシップをいかんなく発揮した歴史に残る戦いであった。スコットが
2ホール目の2打をピンハイに付けると、カブレラはグットショットと褒めた。
 
 普通、死闘を展開する相手になかなかいえる言葉じゃない。汝の敵を愛せである。清々しいシーンこそはゴルフがまさしく紳士のスポーツである事を照明した。スコットの勝利の陰には、やはりキャディー、スティブの存在があろう。御承知のようにウッズの前のキャディーである。彼の豊富な経験が、スコットを勝利に導いたと私は確信するのです。
   
 私はゴルフをやめたが、心の中ではプレイしている。来年のマスターズでは「匠(たくみ)」たちはどんなドラマを見せてくれるのだろうか。それにしても、スコットのウェアの胸に付けた「UNIQLO」のロゴマークは目立ったね。ユニクロも御祝儀をたんまり弾むだろうよ。
 

   
岬の分教場の前に立つ
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キックの鬼・沢村忠のパネル
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キックの創始者野口修会長
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古いチケット
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貴重なパンフも展示される
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亀田またもの拙戦/ダルの完全試合未遂/四国漫遊雑感

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・ダルの完全試合未遂
・亀田またもの拙戦
・四国漫遊雑感

 ~小豆島旅情~
 ~四万十川、高知の夜~
 ~大歩危峡の流に見惚れる~
 ~道後温泉、からくり時計、坊ちゃん電車~

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ダルの完全試合未遂
 
 今年のダルビッシュは、スケールが大きくなってサイヤング賞も夢ではないぞ。3日(現地2日)のアストロズ戦で9回2死まで全打者を封じていながらあと一人の所でヒットを打たれ完全試合を逃した。やっぱり残念、それでも偉業に変わらないよ、ダル君!
 
 完全試合は多分に運も味方してくれないと達成できない。野手の攻守も絶対条件である。安打は勿論、四死球、失策もダメで、バッターが9回まで27打席巡ってくる打者を全部押さえなければならない。
 
 MLB(メジャリーグ)の長い歴史でも完全試合を成し遂げた投手は、ランディ・ジョンソンら23人しかいない。最近では2012年8月15日マリナーズのヘルナンデスで1-0でレイズを抑え込んだ試合。奇跡の試合と称されるのも頷ける。
 
 さて完全試合は未遂に帰したダルだが、去年1年のMLBの経験からはかりしれぬものを学び取ったようだ。投球フォームがゆったりして、自信に満ちている姿が見受けられる。雰囲気になれたという事だろう。8日は5回で右手薬指を痛め降板したが3点を失ったものの強力エンゼルス打線を要所では押さえた。早くも2勝目。昨季16勝9敗の成績、今季は20勝に手が届く活躍が見られるかも知れない。頼もしや。
 
  
亀田またもの拙戦
 
 7日のWBA世界バンタム級世界戦、王者亀田興毅(亀田)VS挑戦者同級8位タノムンレック・カイヤンハーダオジム(タイ)の試合は、またも物言いがつく2-1の僅差判定。6度目の防衛も、観戦する者を納得させ得ない内容である。こちらは全然頼もしくない。
 
 これじゃ何度防衛しても歴史に名を残す選手にはなれない。パフォーマンスはいいから、もっと地に足を付けたファイトをしてくれ。敵に「自分が勝っていたと思う。納得できない。」などの捨て台詞をいわれるチャンプであってはならない。奮起また奮起、亀田兄よ懺悔して出直せよ。
 
 現在日本には9人の世界チャンプ(4月8日現在)が存在する。にも関わらず一向にボクシングの人気が浮上しないのは、ファンの目を開かせる血沸き肉躍る試合が少ないからである。もっとも根底には細分化した階級、暫定王者の安売りもある。加えてWBO,IBFを承認して今後世界戦が乱発されるだろうから、試合によっては、世界戦の価値は一段と下がるだろう。嗚呼!我心のボクシングよ、浮上せよ。
  
   
四国漫遊雑感
 
 4月2日(誕生日)から5日まで3泊4日の四国巡りの旅行を楽しんだ。
安価なパック旅行で、駆け足であったが四県のそれぞれ違った顏を垣間見て充足した旅であった。
 
 家内から誕生祝としてプレゼントしてもらったもので、こういう機会がなければ憧れの小豆島へのも、金刀比羅宮の石段を登ることも無かったかもしれない。10時15分に羽田を出発して高知龍馬空港へ、ここからバスで香川に入り金刀比羅宮に御参り。霧雨の降る中、785段を無事上り切った。途中桜が満開で目を楽しませてくれた。靄の中に瀬戸の海は、
隠れていて望めなかったが、登り切った達成感は喩えようがないものだ。人生でやり残していたことを1つ片付けた思いがある。そこで我流の句を一首。
  
金刀比羅や 見上げた桜 脚嗤う
  
 金刀比羅から高松港へ移動、今度はフェリーで小豆島へ。約1時間で草壁港に接岸したのは2日夜7時20分頃。そこからバスでホテルに向かったが、道路は街灯もまばらで、そぼ降る雨の中、夜は始まったばかりという島は既に熟睡しているかのように森閑としていた。映画「二十四の瞳」の憧れの地を踏んだ印象はそんな感じである。因みに金刀比羅町で食べたさぬきうどん(醤油ぶっかけ、温かな)が結局最高に美味かった。
  
 
~小豆島旅情~
 
 翌朝小雨の中をバスは海岸線を走り30分程で「四十四の瞳」の映画村に到着、作家壺井栄の立派な記念館を先ず覗いた。「四十四の瞳」の原稿が完全に揃っていて、物書きの端くれとしてはやはり感激ものだった。その後はやっぱりロケに使われた分教場の教室に入った。オルガンに黒板、小さな机は全く当時のたたずまいのまま残され、小石(おおいし)先生と12人の生徒たちがそこにいるような錯覚を覚えた。
 
 絶えず童謡が流れていやが上にも映画のシーンを甦らせ、しばしその
小さな椅子に腰かけ私は感慨に耽ったものである。懐かしい撮影に使われたボンネットをバスに手を触れて、小石先生を泣いて見送る子供たちの光景も目に浮かんで胸に迫るものがあった。
 
 残念ながら漂泊の俳人・尾崎放哉の記念館のある西光寺には時間がなく行けなかったが、島の光景を直に目にして、彼の寂寞とした心情が何となく分かるような気がした。小豆島はじっくりと滞在したいところである。
  
  
~道後温泉、からくり時計、坊ちゃん電車~
 
 2日目は瀬戸大橋に回り展望台から瀬戸内海の海を360度見渡した。幸い天気は快晴になり、道後温泉では2時過ぎからゆっく市内を見物できた。松山城は市内を一望できる山のてっぺんにあり、市民を慈しむが如く見下ろしていた。道後温泉辺りから見上げるお城の風景は心に沁みるものだった。
 真っ先に正岡子規記念館を訪ね、それから坊ちゃん電車に乗ったら、団体予約がキャンセルされて、我々夫婦のみのさながら貸切で車掌が笑顔で写真を撮ってくれたり恐縮した。松山は文化の薫りが漂う街である。道後温泉、からくり時計、子規、松山城…本当に心安らぐ街である、いいね。
  
  
~四万十川、高知の夜~
 
 3日目は八日市内子護国の町並みが忽然と現れ驚いた。浅黄色と白漆喰で塗り込められた外壁の街並みは整然と並び折からの陽光に映えて素晴らしいものだった。屋根の庇や壁に彫られた鏝絵(こてえ)は見事な作品で、コテのみでかくも繊細な彫り物を作り出した職人技にはただ驚いた。宇和島をあとにして四万十川へ。豊穣な流れの四万十の船クルーズを堪能した。
 
 この夜の泊まり高知は、市内の知人宅を訪ねたが留守で、大吉という居酒屋(添乗員の紹介)に入りカツオの塩叩きを地酒で頂いた。高知の夜は酒場が楽しい。酒場が居並ぶ市場のような所に行ったら、皆祭りの夜のようにワイワイ飲んでいた。
  
  
~大歩危峡の流に見惚れる~
 
 最終日4日目は桂浜の龍馬像の前で記念写真を撮った。像は浜辺ではなく小高い丘に建ち、龍馬の目線は遥か海の彼方を向いていた。天を突くような立派な銅像で、天国の本人はどんな気持ちで眺めているのだろうとちょっぴり気になった。
 
 桂浜から徳島に出て、祖谷のかづら橋を渡り、大歩危峡に移動してコバルトブルーに染まる吉野川の清き流れに見惚れた。剣山大歩危国立公園に指定されているということだが、まさに秘境であった。空の青、水の青よ、永遠なれと祈らずには居られなかった。かくて3泊4日の四国全権の旅路は無事終わった。お蔭様で生涯忘れえぬ旅を体験しました。
 
 
「四国漫遊グラフィティ」

 
金刀比羅宮の石段を上る
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映画「二十四の瞳」の教室
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当時のボンネットバスの前で
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道後温泉
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坊ちゃん電車
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内子の町並み
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四万十川

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剣山大歩危峡の吉野川の清流と鯉のぼり

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それゆけルーキー/阪神藤浪投手と経済効果/憧れの小豆島で放哉を偲ぶ/他

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・それゆけルーキー
 ~阪神藤浪投手と経済効果~
・憧れの小豆島で放哉を偲ぶ
 ~坊ちゃんの舞台を散策~

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それゆけルーキー
 
 球音高く野球シーズン到来で、日本のプロ野球も今年は期待のルーキーたちが開幕から登場して例年になく華やか。話題に事欠かない。巨人菅野智之投手、阪神藤浪晋太郎投手、ソフトバンク東浜巨投手、そして日本ハム大谷翔平投手、大型ルーキーが全てピッチャーというのも珍しい。
 
 大谷は一足早く打者でデビュー、2本のヒットを打ち非凡なところを見せている。このまま打者と投手の二刀流で起用するのだろうか。両天秤は危ない賭けである。それほどプロは甘くはない。どっちか一本に一刻も早く監督は絞るべきである。私自身は彼の投手で活躍する姿を観戦したい。
 
 原監督の甥である菅野は、1年間のブランクを感じさせない安定した投球で、矢張り騒がれることだけあるなあと感じた。ゆったりとした大きなフォームは、どっしりとして安定感がある。相当な戦力になるだろう。彼の加入で、私の嫌いな巨人だが、一段と投手力が充実した。セ・リーグは優勝候補の最右翼。
 
 
~阪神藤浪投手と経済効果~
 
 それでも私が、最も注目するルーキーは高校3冠(春夏連覇、国体優勝)の藤浪。31日にはヤクルト戦に投げ6回2失点7Kで敗戦投手だったが、負けて尚、彼はモノが違うなという印象(テレビのニュースを見て)を受けた。ピンチになっても崩れない。球に威力があり、スケールが大きい。松坂大輔が西武に入団1年目で、16勝5敗の成績を残したが、彼はその数字に並ぶような勝ち星を上げる予感がする。
 
 いずれにせよ、今年の日本プロ野球は、ルーキー達の活躍で近来になく盛り上がりそうだ。藤浪が大車輪の活躍で、阪神が優勝戦線に躍り出れば、大阪の経済効果はアベノミックスどころじゃなかろう。野球が国を救う、てなことにもなりかねない。いつの世も民衆は英雄の出現を待っている。それゆけ、ルーキー!
 
 
憧れの小豆島で放哉を偲ぶ
 
 小豆島に行ってみたいとかねがね思っていたところ誕生日の祝いにと家内が小豆島から四国巡りの旅行をプレゼントしてくれた。小豆島には漂泊の俳人尾崎放哉の終焉の地、西光寺・南郷(みなんご)庵がある。是非その地へ行ってみたいのだが、スケジュールが許すだろうか。出掛けるのは今月中である。
 
 放哉は東大法学部卒のエリートでありながら酒に溺れ身を崩して、晩年は無一文の身となり大正15年4月、41才の若さで死去している。その俳風は従来の五・七・五という約束事を無視して、自由で奔放、肉体の奥底から絞り出すようなまさに魂の叫びそのもので圧倒される。
 
 吉村昭著「海も暮れきる」(講談社文庫)は、見事に彼の人生を描き切り私は何度も読み返している。同著を読めば尾崎方哉とはいかなる人物かを識ることができる。私のお勧めの1冊。
 
 障子をしめきって淋しさをみたす
  
 つくづく淋しい我が影を動かしてみる
 
 寺に来て居て青葉の大降りとなる
 
 咳しても一人
 
 障子をあけて置く海も暮れきる
 
 竹藪に夕陽吹きつけて居る
 
 夕空見てから夜食の箸とる
 
 足のうら洗へば白くなる
 
 
~坊ちゃんの舞台を散策~
 
 小豆島は何と言っても映画「二十四の瞳」の舞台。ロケに使われた小学校もそのまま保存されているので、これも見たい。多分映画のシーンが次々に甦ってくだろう。
 
 3泊4日の旅で、香川、高知と回る、かなりの強行日程。憧れの四万十川も訪ねるのも楽しみ。本当は真夏に舟下りをするのが以前からの望だった。高知には20年以上も御無沙汰になっている友人がいたが、一昨年亡くなったてしまった。
 
 はりまや町で空手道場を開いていた。せめても御遺族にお会いして焼香をさせてもらいたいと思っているのだが、連絡が取れずにいる。ぶっけ本番で御自宅を訪ねてみる他はない。道後温泉にも泊まる。小説坊ちゃんの舞台を老夫婦二人で散策するのも悪くはないか…。人生の黄昏の風景である。
 

  
終わりのさくら、拙宅の御近所「せせらぎ」(老人ケアセンター)のさくらビューーポイント。
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野口修とキックボクシング史展/沖縄空手VSキック/公園で季節外れの「蝉」を拾う/他

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・公園で季節外れの「蝉」を拾う
 ~フランシスコⅡ世と命名~
・「野口修とキックボクシング史展」
 ~沖縄空手VSキックボクシング~
・さくら・別れと再生
 

 

舟木昭太郎の日々つれづれ

島根県出身の木村保彦選手出場のポスター

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公園で季節外れの「蝉」を拾う
   
 「3月の蝉」...なにやら恋愛小説に出てきそうなタイトルで申し訳ないのであるが、21日朝7時前、いつもラジオ体操に行く大山公園で実はミンミン蝉を拾ったのです(※末尾に写真あり)。魔法に遭ったような朝でした。
 
 体操が終わり公園のトイレに立寄ったところ強風に煽られて1匹の蝉が私の足元に飛び込んで来たのです。もしかしてその時点まで生きていたかも知れません。折からの風のせいか、羽を動かしているように私には思えました。
 
 何とも不思議な蝉の姿に恐る恐る私は、手で拾い上げたのです。胴体も羽も脚も綺麗に備わっている完璧なミンミン蝉でした。私はその蝉をそっとポッケにしのばせ家へ持ち帰りましたが、道すがら件の蝉が何故今頃になって現れたのか不思議でした。
 
 最初は多分去年の蝉の亡骸が、何処か引っかかっていてそれが強風によって吹き飛ばされた。こんな具合に想像して、野鳥にも蟻にも喰われずよく完全な形で残ったものだ、と感動しました。兎に角傷一つない見事な蝉の亡骸で、よりによって寒い強風の早朝目にしたのですから、我目を疑いました。もしかして吉兆の前触れ?
 
 
 ~フランシスコⅡ世と命名~
 
 帰宅して家内に話すと、彼女は、それは去年の亡骸ではなくて産まれたばかりの蝉ですよ、初夏のような暖かい天気が続いたために、間違って地上に出てきてしまったのよ。写真を見ながら彼女は自信ありげに答えました。そうか、だから傷一つないのか、成虫になって間もない蝉だったのだ。私は、なるほどと家内の講釈に得心しました。
 
 可愛そうに、季節を間違えて命を落としてしまった蝉。さぞギラギラする太陽の下で、力一杯啼きたかったろうに、哀れな蝉である。不憫に思った私は「3月の蝉」に「フランシスコⅡ世」と命名して天国に送り出しました。神聖な墓は予算の関係上、我仕事部屋のプラスチックの棺(箱)に納めました。ア~メン。
 
 それにしても2週間早い桜の開花、蝉の出現、なんか地球は変だね。大地震でも起きなければいいが。ちょっぴり気になります。
 
 
「野口修とキックボクシング史展」
 
 6月に開催する第2回アッパー格闘技博覧会「野口修とキックボクシング史展」の協力者が早速現れました。K市に在住の坂本さんで、故郷出雲で沢村忠が試合した折のチケットや選手からの礼状などをメールしてくださいました。
 
 キックボクシングは野口修という人が居なかったらこの世に産まれなかった訳で、キックの生き証人です。盛大にイベントを開催したいと考えておりますので、どんな些細なモノでも御提供下さい。貴重なチケットの類はカラーコピーでも結構です。
 
 先に沖縄のアメリカ統治時代のチケットの半券をもっていますと、メールを下さった方もおりました。多分昭和44年5月20日と21日のいずれかの試合だと思います。那覇から約20㌔にある牧港の特設リンク(野外)でした。初日20日は200㍉の大雨で主催者は中止を考えたそうですが、観客が一向に立ち去らず時間を遅らせて挙行したとも。会場は水浸しになったのにもかかわらずです。空手、キックに殴り込みの宣伝が効いたのでしょう。
 
 
~沖縄空手VSキックボクシング~
 
 沖縄は空手の盛んな土地柄ですから、キックなにするものぞと挑戦する空手家が続出したとあとで聞きました。結果は出る選手、出る選手がタイのムエタイ戦士に木端微塵打ち砕かれたということでした。
 
 その惨憺たる結果にウチナンチュー(沖縄の人)は茫然としたそうです。沖縄空手は最強と信じていただけに、当然です。以来キックボクシングには沖縄勢が大挙して入門してきます。中でもフェザー級チャンピオンとなった亀谷長保(目黒)は、歴史に残る選手として記憶にあります。
 
 野口修さんは昭和41年1月にキックボクシン協会を興して、同年4月に旗揚げ、昭和57年キックボクシンから撤退するまでの15年。ポスターやチケットで栄光の日々を振り返る趣向です。壮大な展示会にしたいと企画を練っています。多くのキックファンの御来場を期待しています。是非お越しください。歴代のチャンピオン、ランカーも挙って参加する予定です。
 
 
さくら・別れと再生
 
 首都のさくらも週末がピークのようでした。今朝(25日)ラジオ体操に行くついでに、遠回りしてさくらを眺めて歩きました。生憎の小雨に花弁(はなびら)をハラハラと僅かですが散らしておりました。
 
 その光景は、なんとなくもののあわれを感じさせますが、私は最近、さくらが散るのは、再生の始まりと思うようになりました。散る花弁は実は生まれ変わりの準備なのだと。
 
 間もなく新緑も鮮やかな季節を迎えます。新緑の萌えるような風景もまた心和ましてくれます。夏の若葉は木陰を作り、蝉の止り木にもなって楽しませてくれ、秋は紅葉に染まる。
 
 そして落葉、裸木となって寒い冬をじっと堪える。やがて春、開花へのエネルギーを一気に蒸かす。ことほどさように、さくらのひとひらの花弁にもドラマが宿る。一期一会のさくらとの別れと出会えー私はあと何度繰り返し見られるのだろうか…。夜になって雨は激しくなりました。暗闇の中きっと花弁は、サヨナラの言葉ももなく静かに散っていることでしょう。
 

  
大山公園で3月21日早朝拾った「3月の蝉」。
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西原町内遊歩道の桜並木(23日)

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JICA脇の空地でラジオ体操のあとで(23日)

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アッパー博覧会第2回はキックの生みの親野口修!!/さくら、さくらの季節到来/他

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・博覧会第2回はキックの生みの親
 ~野口修とキックボクシング~
・フイギュア、際立つキム・ヨナ
・さくら、さくらの季節到来

 ~権現堂堤の桜と菜の花~
 ~西行と桜~
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博覧会第2回はキックの生みの親
 
 第2回のアッパー格闘技博覧会は「野口修と栄光のキックボクシング史展」に決まりました。5月下旬~6月初旬を予定しています。詳細については随時このブログでお伝えして行きます。
 
 御存じのように野口修さんはキックボクシングの生みの親です。ネーミングを考案して、1966年(S41年)1月、キックボクシング協会を設立、同4月旗揚げしました。
 
 昭和42年9月TBSが毎週月曜日にレギュラー放映されるや瞬く間に日本列島を席捲して、沢村忠というスーパーヒーローを生みだしたのです。真空飛び膝蹴りは一世を風靡しました。
 
 以来47年、いまやキックボクシングは世界に伝播して、格闘技の押しも押されぬ一分野を占めております。間もなく半世紀、野口プロモーション(日本キックボクシング協会)参加の選手は雲霞の如く巣だって行きました。
 
 
~野口修とキックボクシング~
 
 イベント当日はそうした野口門下のOBたちが集う同窓会のような場になったらいいなと密かに考えております。野口社長も来年は傘寿、80才になります。あらゆる辛酸を舐めながら今日の揺るぎない礎を築いたキックボクシング。
 
 同氏が歩んだ、その栄光の轍(わだち)を1枚の古いチケット、ポスターに思いを馳せながら辿る、これが展示会の旨趣であります。勿論現役のチャンプにも多数来て頂いて、新旧王者、選手が世代を超えて交歓するシーンを眺めるだけでも嬉しい。
 
 1足のシューズにもドラマが宿っています。旧きを訪ね、新しくを識る、まさに温故知新であります。当日は野口社長を囲み思いで話に耽るのもよし、これからのキック界の有り方を語り合うのもよしです。いずれにせよ新旧歴代の名チャンプが集結する壮大な宴にしたいと夢を馳せております。一般のキックボクシングファンも大歓迎です。
 
 これから多くの関係者、OB達にお会いして展示品を蒐集します。どうぞ御協力の程お願い申し上げます。キックボクシングの父に相応しい展示会、博覧会にすることが私(プロデューサー)の使命と思う次第であります。
 
  
フイギュア、際立つキム・ヨナ
 
 カナダで行われたフイギュア世界選手権、女子は圧倒的な力量でキム・ヨナが優勝した。2位コストナーも3位浅田真央も霞んで見えました。ものが違う、異次元の舞いをしているな、と素人なりに感じました。
 
 スケーティングがゆったりして、自信に満ちた表現力、指一本に至るまでメッセージを発信している。長期、大会から離れていたというのに全くブランクを感じさせない安定感は見事。22才、これからまさに円熟の境地に差し掛かる。ということでロシアソチでの来年の冬季五輪でも、優勝、連覇は固い。よほどの失敗がなければ。
 
 私は女子の歴代1位は1984年サラエボ、88年カルガリーを連覇したカタリーナ・ビット(東ドイツ)を上げる。ソチでキム・ヨナ選手は名実共にビットと肩を並べる存在になるだろう。日本勢の浅田真央、村上佳菜子は表現力で叶わぬならば、ヨナを圧倒する4回転ジャンプとか3回転の連発で審判員のハートを掴むしかない。それほどキム・ヨナはずば抜けた存在である。
 
 
さくら、さくらの季節到来
 
 遂先日までは寒空に震えていた裸の桜木、いつの間にかちらほらほころび始めている。今年は寒い日が続き開花予想は25日だったのに、西原商店街の桜祭りも当初予定していた4月7日を急遽変更するようだ。
 
 北陸や北海道では豪雪に見舞われているというのに同じ日本の国でこうも気象が違う。自分だけ一足早く春を享受する、なんだか申し訳ない気持ちになる。関東地方は週末が見頃か。
 
 でもこのまますんなりと春が来るとは思えない。気まぐれな寒気が流れてきて首都にも、雪を齎すかも知れない。4月に入って桜が咲いて、大雪が降ったという例はままある。とんとん拍子の桜の開花にちょっぴり我心は贅沢な悩み。例年より10日も早い開花だそうだ。
 
 
~権現堂堤の桜と菜の花~
 
それでも今年は何処ぞの桜を見物に行こうかと気もそぞろである。先ず埼玉県幸手市の権現堂堤の桜並木を散策してみたい。菜の花畑と一体となす光景をテレビのニュースで見て以来、私の心を離れない。同郷の友人も住んでいる街、そうだ訪ねて行こう。旧交を暖めるいい機会だ。
 
  
~西行と桜~
 
 本当に世に桜のなかりせばである。何故かくも桜に魅せられるのだろうか。あっという間に咲きあっという間に散る花の命に、人生の儚さを人々は重ね合わせるのであろうか。蕾はほのかなピンク色で、咲き誇る花弁は白く凛として気高い。パッと咲いてパッと散る姿を日本人はかくも愛でる所以であろうか。
 
 桜といえばすぐ思い出されるのは西行法師の「願はくば花の下にて春しなん その如月の望月のころ」のうた。武士を捨て出家して、全国を漂泊した西行は、73で入寂した。桜の花のような凛とした西行の生き方に、私も共鳴するのだが。
 
 来年は角館の枝垂桜を見たいものだ。そういえば武家屋敷の門には桜の木がよく見られる。これは魔除けの意味があるそうだ。単に鑑賞するだけじゃなかったんだ。かように桜は日本文化そのものである。奥深い。
 
 ともかくも 待望のさくらシーズン到来、願わくば開花時期には、風雨はほどほどに、できればその間は晴天が続くことを天に祈りたい。ムシが良すぎるか。

 


人物は、キックボクシングの生みの親野口修氏
舟木昭太郎の日々つれづれ
 

ほころび始めた大山公園のソメイヨシノ
舟木昭太郎の日々つれづれ

  

早朝ウォーキング中に見つけた住宅街の枝垂桜

舟木昭太郎の日々つれづれ

 

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F女史の卒業制作はプロレス/ビル・ゲイツさんのこと/他

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・F女史の卒業制作は「プロレス」
・東日本大地震から早2年
・都心の鶯
・腹が立つ話、いい話

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F女史の卒業制作は「プロレス」
  
 9日は初夏の陽気の中、某美術大学へ出掛けた。JRとバスを乗り継いで向かう。同校は初めてなので随分遠い気がした。目的は私の拙いブログを毎週アップして頂くF女史が、同校通信教育課程を目出度く卒業することになって、その卒業制作展でプロレスを題材にした作品を展示するというメールを頂いたからだ。
 
 F女史にはボランティアで手伝ってもらっているから、何をおいても行かねばならぬ。バス停留所で偶然にもF女史の御家族に会う。お兄さんは飲み友達なので直ぐそれと分かった。いいね、家族で祝う卒業展、この時点で、何だか私まで家族みたいな幸せな気分になってしまったのである。
 
 F女史は現在、某企業のデザイナーで、一念発起して大学の門をくぐった努力家である。プロレスが好きでよく後楽園ホールに同行する。それでも、まさか卒業制作のテーマにプロレスを選ぶとは、果たして大丈夫なの?と多少心配もあった。
 
 それがどうして、見て吃驚、迫力満点で、展示スペースの剥きだしのコンクリート壁には15人の国内外レスラーのパネルがずらりと並び、先ずその壮観さに驚いた。F女史自身が描いたレスラーの姿に何とも言えないテイストがあり脱帽しました。心安らぐ文句なしの大作です。プロレスは人の心を癒すことを改めて実感しました。
 
 力を入れて写真を撮りましたが、今後の展示会の都合で今回はお見せできないのが残念。兎に角、家族が言うのも(?)なんですが、飛び抜けてクオリティーの高いものでした。それが証拠に何でも優秀作品に選ばれたそうです。後日、別途大学主催の展示会が開かれるということなので、日時が決まったら御案内いたします。是非ご覧になってください。特にオールドファンにお勧めです。痺れますよ。
  
  
東日本大地震から早2年
  
 東日本大震災からもう2年が過ぎた。あの日は神保町のデザイン事務所にいた。3日後に迫ったNTTFan+用のネット配信するコンテンツの調整に没頭していた。午後2時過ぎにたまたま休憩を取り知人と喫茶店に入り、コーヒーに口を付けたところにグラっと来ました。これはかなり大きいぞと身構えたら店員の女性が叫んだ。「みなさん外へ出てください!」
  
 その声を待たず既に脱兎の如く外へ出たお客は、一様に空を見上げて地震の成り行きを見守っていた。何故空を見上げるのか私は今だ分からない。皆動転していたのでしょう。地震は空からやってくると思っていた様子でした。しかしその時点ではあのような巨大な災害になろうとは想像もできませんでした。ましてや原発事故に繋がるとは。
  
 あの日から2年の時が流れて、いまだ仮設住宅に住む人は35万人、原発事故で自宅に戻れない人は15万人。この現実は他人事と思えない。明日は我が身であることを心せねばならない。で原発は結局のところ推進するという政府の方針。人類は悪魔を手にして、そこから離れなくなってしまった。人間は自然の力に尊大であり過ぎる。将来阿鼻叫喚の世界が待っているとも知らずに。
  
  
都心の鶯

  
 週末、東京は初夏の気候でラジオ体操に行く途中に畠に寄ったら梢で鶯が啼いていた。ホ~ホケキョとしっかりとした音色で朝焼けの空に響いていた。都心で鶯の鳴き声を聞くのは2年ぶりで、また戻って来たかと思うと無性に嬉しくなった。
  
 現在住む処に移った頃は裏に鬱蒼と木々が繁った庭のある旧家があって鶯も尾長鳥も、見たことも無いような渡り鳥などがしばしば見られたが、壊して分譲住宅になってからは、とんと鶯の鳴声も聞かれなくなっていた。
  
 遺産相続などの問題があるかも知れないが、大きな邸宅が切り売りされてしまうのは何となく寂しいものである。環境がガラリと変わってしまう。そういえば、代々木上原の高級住宅地域の大山町に住むユニクロ柳井会長邸も以前は外国人が住んでいて、庭そのものが森林のようであった。土地が売りに出されたとき公園に残せと住民運動があった。
  
 2000坪はあるという、いまはそこに高く分厚いコンクリートの壁を巡らして内部は知る由もないが、ユニクロ王国の主がお住まいになる。ゴルフの防護ネットが塀から突きだしているから、練習場のようだ。いずれにしてもサクセスストーリーのシンボルのような豪邸はいまや地域の名物になっている。いいではないか、金持ちが住んで渋谷区に多額の住民税が落ちるのだから…。
  
  
ビル・ゲイツさんのこと
   
 世界の長者番付に載るくらいだから、それくらいの豪邸は至極当然だろう。元K-1佐竹雅昭さんに伺った話では、国土が広いアメリカでは想像もつかないような広大な邸宅があるらしい。
  
 シアトルに自宅を持つマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツさんの邸宅は、道路に面していて自転車で行けども行けども塀が尽きる事がないそうだ。街の中に牧場があると想像すればいいのだと佐竹さんは言う。そのゲーツさんはお寿司が好きで、日本人経営のすし店にぶらりとジーンズ姿でやってくるらしい。佐竹さんは店で偶然お会いしたというが「とても気さくな人でしたよ」
   
 日本でも私がたまに行くすし店にゲイツさん見えたらしい。で帰り際、箸袋の表に、日本で一番美味しいすしです、といったような文字を書いてサインしたらしいが、親方は気が付かず捨てようとしたところ、御客が、おいおい、あれはビル・ゲイツさんだぜ、世界一のお金持ちの。と言われ始めて気が付いたなんて、エピソードもある。
  
 或るときは車の中で食べるといって、持ち帰ったらしい。忙しい人は気の毒なもんだね、ゆっくり食事もできないなんて。俺なんかタップリ時間があるもんなあ、銭は無いけどよう~てなことを言って庶民は憂さ晴らしするしかないか、熊さんよぉ~。
  
  
腹が立つ話、いい話
 
 次は腹が立った話とちょっといい話で終わりにしよう。近来稀に見て腹が立ったのは、町内にある渋谷区立西原図書館での出来事。半年前に予約した本が二冊、ようとして連絡がないので出掛けて行って「どうなっているの?」と聞いたら、すげなくも「不要になっています」と係の女の子はのたまう。
  
 誰が不要といったのかと聞けば「不要となっていますから」と全然相手にされない。でも2月半ばに入りますからと私は返事をもらいましたけどと私は猛然と食い下がったのですがラチがあきません。あなたではダメだから責任者を出しなさいというと、今度は責任者は居ません、明後日なら居ますとなって憤慨して私は帰ってきました。
  
 指定の日に改めて出掛けると責任者というIさんが現れ、即座に私共が全面的に悪いのですと深々と頭を垂れました。何でも「不要」という言葉は専門用語で、利用者が知る由が無いとの事で身内でミスを犯したことを認めたのです。本は早急にご用意します、ということでしぶしぶ納得した次第なのです。
 
 責任者の潔い態度に得心したが、女性スタッフの誰1人として己の間違いを認めない態度にはいまでも赦し難い気持ちです。間違いは避けられない事、でも間違ったら潔く謝り善後策を講じる事が大事。今回は責任者の態度に救われたという思いがあるが、何となくしっくりしない。区役所も下請けに任せて置かないで、ときに管理体制を十分チエックすべきである。
 
 ちょっといい話は隣家のリフォームを担当している若者の言動が爽やかで、こんな若者がいる日本は捨てたもんじゃないと感心した。顔を合わせると決まってこういう。うるさくて済みませんと。私はお互い様ですから大丈夫、うちも去年遣りました、というのですが今朝もおはようございますと丁寧な挨拶。気配りは人間関係を滑らかに、豊かにするものです。
 
 今回も少々長くなりました、反省です。
 
 
卒業展の作品の前でF女史と
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昼は高森夫人、夜は藤原会長、お雛祭りに誕生祝賀会が重なって/日本初のムエタイ道場山田ジム

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・お雛祭りに誕生祝賀会が重なって
 ~高森夫人恒例のダンスパーティー~
 ~夜は藤原会長キック人生45周年祝賀会~
 ~馴染みの格闘家が集結~
・日本初のムエタイ道場山田ジム
 ~資料をお持ちの方御協力を~

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お雛祭りに誕生祝賀会が重なって
 
 3日は桃の節句、お雛祭り。この日は私がお付き合い頂く大事なお二人が誕生日でそれぞれパーティーを開いた。1人は梶原一騎夫人高森篤子さん、もう1人は何とキックボクシングの藤原敏男会長。藤原会長がお雛祭りの日が誕生日とは何とも意外である。
 
 高森夫人は毎年恒例のダイニングラウンジを貸し切って、昼1時から7時までのロングラン・バースデーパーティー。六本木ヒルズ泉ガーデン内「ラウンジ オペラ」という高級イタリアンレストランで、食べて踊って飲んでいつもながらとても豪勢な誕生パーティである。今年で9年目、68才を迎えて高森夫人はますます溌剌としている。私も第1回目から招待によくしている。
  
 子供からお年寄りまでざっと300人を超える来客で賑わった。全て高森夫人の招待客で会費は無しである。私などかくも高級な、しかも六本木ヒルズのお店なんぞで遊ぶことは全くない。然るに場違いな感じで、身の置き所がなくてウロウロしていた。そした和服姿の高森夫人が見えて、2階にVIPルームがあるからそちらへ行って、自ら案内してくれた。なるほどVIPな空間で、ゆったりとしたソファーがあり私にはもったいない感じがした。1階とはまさに別世界の静けさで、こっちの方が落ち着かなかった。
  
  
~高森夫人恒例のダンスパーティー~

 パーティーの時刻となった。高森夫人が現れ招待客に御礼の挨拶を述べた。1年が過ぎてまた皆さんと再会した喜び、人と人の縁を大事にしたい等々。簡単な挨拶だが、実に温かなとても心に響く挨拶だった。いつも感謝の気持ちを忘れない夫人の生き方は、一体それを何から学んだのだろう。「有難うという言葉は自分に跳ね返ってくるのよ、舟木さん。」以前聞いた夫人の言葉を思い起こした。
  
 少女たちのディスサウンドにのった激しい踊りで幕を開けたパーティーは、夫人が和服姿なので東京音頭、更には炭坑節の和もの音楽が鳴り響き若きも老いたる者も輪になって躍り始めた。賑やかな誕生会の始まり。盆踊りが終るや、風のように着替えた夫人の登場洋装で再登場。
  
 ここからが本番のディスコタイム。ボリュームが一段高くなって会場を覆った。頃合いを見計らって私は会場をあとにしたが、今年は会場も明るく気に入って2時間半近く留まった。ワイン2杯、ビール1杯飲んでいい気分になり一旦自宅に引き上げ、夜の部藤原会長の誕生会とキック人生45周年パーティーに備えた。
  
 
~夜は藤原会長キック人生45周年祝賀会~
 
 6時からは藤原敏男会長の「キック人生45周年祝賀パーティー」が本郷「東京ガーデンパレス」に250人の招待客を集めて開催された。格闘技関係が8割、一般人が2割という参加者構成であり、キックに限らずプロレスから総合、空手界まで幅広く集まっていたのは流石キックの鉄人の人脈。ここ一発の時には格闘家が馳せ参じる。これも藤原会長の人徳だろう。
 
 新間寿元新日本プロレス営業本部長も姿を見せていたし、藤原会長の盟友タイガーマスクの佐山聡氏、和田良覚レフェリーの横には元修斗、総合格闘家中井祐樹氏(現終斗協会会長)も、私がテーブル近くを通ると、舟木さんしばらくですと声を掛けられ恐縮した。ゴング格闘技誌時代に御世話になっている。技の探究に余念がない理論派で腰が低く私はかねがね好感を抱いている。
 
 
~馴染みの格闘家が集結~
 
 私共の丸テーブルにはキックの猪狩元秀夫妻、元協同プロモーション榎本浩氏、元スポーツライフ社松永秀夫社長と馴染みの顏があった。しかし私の右隣に座ったのは空手建武館篠田剛館長で初めてお会いする方だが、穏やかで、終始気配りがあり良いひと時を過ごせた。同席する人の性格によっては、その場の空気が好ましくなったり、嫌になったりする。自分の振る舞い、印象には気を付けなくてはならないと自戒する。
 
 篠田館長、食べ物をお皿に移してくれたり、飲み物をボーイさんに頼んでくれたりと、どうも有難うございました。このような豊かな精神をお持ちの指導者に教えられる子供たちは倖せですよ。武道は決して強くなることだけが目標ではないのですから。
 
 祝賀の集いは和太鼓あり、女装の演歌あり、あちこちで格闘家との記念の撮影ありと、あっという間に3時間が過ぎたが、面白かったのは壇上でのトークショー。中でも佐山氏の藤原会長に贈る言葉は、ユーモア溢れ腹を抱えた。お互いを信頼するからこそのブラックジョーク、いいものである。私も藤原会長と共に歩んできたきたという実感があり、私の感慨も無量でした。
 
 藤原会長には健康に注意して後進の指導に邁進して頂きたいと願う。今日という日は、高森さんと藤原会長、私の掛け替えのない御二人がそれぞれに素晴らしい祝賀会を開催できた事は、まことに自分のことのように嬉しい。
 
 
日本初のムエタイ道場山田ジム
 
 日本初のムエタイ道場山田ジム+ムエタイのアッパー格闘技博覧会を企画してております。どなたかNET(現テレ朝)のワールドキックボクシング時代の資料などお持ちの方おりましたら御協力をお願い致します。
 
 恵比寿にジムが設立されるときに駆り出されてお手伝いして、それが縁で1年間練習生として汗を流しました。当時、私は大学に在籍中で目黒のパブオーシャンでアルバイトをしておりました。目黒は在日タイ大使館があるところで、バーにはよくタイ人が集まってきました。
 
 そんなときにタイ大使館に勤めていた山田正氏(故人)が中心になりNETがキックを始めるのに合わせて設立されたのですが、トレーナーには野口修社長が初期に招聘したタイ選手で、バイヨーク・ボーコソー(通称トムさん)が就任しました。彼こそ山田ジム躍進の立役者でした。
 
  
~資料をお持ちの方御協力を~
  
 またジムは留学生の恰好の溜まり場になり、彼等も我々練習生たちを指導してくれました。自由闊達なジムで勿論いじめとか、しごきみたいはありませんでした。しかしフライング・ジャガー、増沢潔といった名選手を世に送り出しました。佐藤正信、春川統一郎というタイ式の技を駆使するチャンプも生まれました。
  
 その山田ジムは15年程で幕を閉じましたが、山田正会長も鬼籍に入られて早3年、追悼の意味でも博覧会を実現したいと願っております。何か山田ジムに関連するものがおありでしたら、御連絡頂きたいと思います。
【ご連絡先】
TEL:03-3469-0620 FAX:03-3469-0685 
E-MAIL:upper@lapis.plala.or.jp

 

~3月3日高森篤子+藤原敏男会長誕生祝賀会グラフイック~
壇上、左よりRISE代表伊藤隆氏、元藤原ジム小林氏、藤原会長、佐山氏、和田レフェリー
舟木昭太郎の日々つれづれ

 

左より建武館篠田館長、私、猪狩氏
舟木昭太郎の日々つれづれ
 
すっかり酩酊している主役藤原会長と
舟木昭太郎の日々つれづれ


猪狩夫妻の後方は女形の北岡歌手
舟木昭太郎の日々つれづれ

  

修斗の中井会長と和田レフェリーと

舟木昭太郎の日々つれづれ
 

いつも綺麗な梶原一騎夫人高森さん
舟木昭太郎の日々つれづれ

キッズたちと誕生会の挨拶をする高森さん

舟木昭太郎の日々つれづれ  

 

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ゴン格250th記念号/自見国民新党の醜態/大黒湯/他

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・自見国民新党の醜態
~即刻政界から去りなさい~
・露地栽培の土を掘り起こす
~空気の流れのよい土壌~
・「大黒湯」でレトロな気分に浸る
 ~高名な画家の絵もある~
・ゴン格250th記念号
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自見国民新党の醜態
 
 国民新党自見庄三郎代表の動きはまさに醜態である。民主党と連立与党を組んで、自らは郵政大臣のポストを手に入れたが、先の選挙で民主党が大敗。今度は自民党に復党、合流を企てた。
 
 挙句は自民党から肘鉄を喰らって、行き場がなくなった。次の参議院選挙を睨んでの行動だろう。自民党ならと踏んでの目論みだろうが、世の中そんなに甘くはない。潔く政界を引退しなさい。
 
 自民党も今回ばかりはそのかわり身に「安易な合流や復党は国民の理解得られない」との判断で、珍しく歯切れがよい決断を下した。当たり前である。いくら与党が参議院で過半数に届かないとあっても、コロコロ猫の目のように変わる政治家を絶対に信用してはいけない。
 
 
~即刻政界から去りなさい~
 
 政治家の信条とは一体何なのか。自見議員のような破廉恥な政治家を郵政大臣に据えた民主党も問われなくてはならない。ここに至り命乞いを図る自見党首と国民新党よ、即刻政治界から去りなさい。正義も信条も無き政治家は、税金の無駄遣いだからして。
 
 いずれにせよ、この種の政治家は自民党が受け入れたとしても、形勢が危ういと見れば、またぞろ政権を担う党に愁眉を売るに決まっている。情けない限りだ。ああ、千万人とも雖も我行かん、の心ある政治家は居ないものか。
 
 
露地栽培の土を掘り起こす
 
 21日(金)は思い立って畠に出かけた。自転車で拙宅から3分ほどの処、ゴルフ練習場に隣接する、住宅街のど真ん中に露地栽培の畠はある。8坪弱だが夏には胡瓜や茄子、トマトが溢れんばかりに実る。去年はフェンス沿いに向日葵を数本植えたら、大きな花を咲かせてひときわ目立ち通行人から好評だった。他人が喜んでくれることは何よりも嬉しい。
 
 いまは僅かに苺の苗が小さなビニールに覆われた中で何とか息づいている。5月になったら赤い実を付けるのだろうか。思い立ったのは、畠の土を掘り起こすことだった。
 
 寒い時期にそれをやれば寒風で土中の雑菌を殺し消毒の役目をしてくれるのだという。専門誌で知った。4月までにあと1回はする予定でいる。鍬で土を掘り起こしながら真夏の収穫を想像する。去年よりも美味しいものを、と念じて。
  
 
~空気の流れのよい土壌~
 
 元はと言えばゴルフ練習場が芝を育成するためにあったものだが、芝が育ち難く荒れ地にしていたものを私が使用させて頂いている。元々そういう目的であったので、砂利や粘土が混じっている。本来は農地には適していないのだが、3年かけて私なりに土地改良を施してきた。お蔭でやっと真っ当な作物が作れるようになった。
 
 しかしまだ土壌が硬いので、ふかふかした土壌にする工夫が得る。それには、腐葉土などもっと混ぜる必要がある。今年は更に深く掘って堆肥を大量に追加するつもり。空気の流れをよくすることが旨い作物に繋がると知った。トマトはミニから中玉、大玉と各種植えて、その上、今年こそ大玉の西瓜にも挑戦しようと考えている。農業は楽しいぞ。あなたもやりなはれ。
 
 
「大黒湯」でレトロな気分に浸る
 
 我家から徒歩5分の処にある銭湯「大黒湯」はサイン色紙や絵が所狭しと飾ってあるので人気がある。オーナー白倉さんが御近所で渋谷区に転居して以来お付き合いを頂いている。2月10日の「アッパー格闘技博覧会」でも展示品で御協力をいただいた。
  
 白倉さんは新潟出身で、それが縁で同県人のプロボクサー金子繁治(元東洋フェザー級C=現金子ジム名誉会長)を応援するようになった。昭和30年代からボクシングやキックボクシングを見続けて、観戦した試合チケットやサイン色紙は大事に取って置いた几帳面な人である。
 
 そうしたチケットの半券が銭湯の脱衣所に額にして飾ってある。サイン色紙に至っては脱衣所に納まらず、外のコインランドリーが並んでいる上部にズラリと掲げてある。サイン色紙はスポーツ界から芸能人、はたまた漫画家まで見れるのだかららちょっとした博物館である。
 
  
~高名な画家の絵もある~
  
 つい先般も「若大将のゆうゆう散歩」の加山雄三さんが取材にきたと、三代目大黒湯店主石川さんは、笑顔で語っていた。脱衣所にはサイン色紙ばかりか見たら度胆をぬかすような高名な画家の絵まで無造作に置いてあって「全部本物ですよ」と淡々としたものである。
  
 石川さんは、白倉オーナーから銭湯を借り受けているもので「お客んが楽しんでくれるので、大事に受け継ぎ私が所有しているものでも持って来て飾るので、もう此処には飾るスペースはありません」とのたまう。
   
 渋谷区西原にお出での節は1度、大黒湯(毎週水曜休み)を訪れてみてください。演歌が唸り、そこには昔馴染みの「三丁目の夕日」に出てくるようなレトロな世界に浸るはずです。山の手に下町の情緒、ここに極まれり、です。
  
  
ゴン格250th記念号
 
 23日発売のゴング格闘技4月号は創刊250th記念号で素晴らしい。中綴じから無線綴じに変えた重厚感溢れる1冊である。表紙からして白地にロゴとタイトルを金赤で使ったシンプルなもの。これがすこぶる切れ味鋭く私好みである。
 
 インタビューもの(今号はベンソン・ヘンダーソンが巻頭)や技術ものなど内容も充実しているし、全編レイアウトも洒落ている。1300円の永久保存版に相応しいものだ。決して高くはない。是非購読をお勧めしたい。スタッフ渾身の作品と言ってよい。雑誌は死なず、である。
 
 
銭湯の脱衣所辺りに飾ってあるボクサーや漫画家のサイン色紙。

具志堅、矢尾板、金子の名前が見られる。

舟木昭太郎の日々つれづれ

 
ゴン格4月号、250th記念号特別版の表紙。
舟木昭太郎の日々つれづれ

露地栽培の畠も土を掘り起こして寒風に曝す

舟木昭太郎の日々つれづれ

代々木上原、西原町にある「大黒湯」の入り口付近。
舟木昭太郎の日々つれづれ

芸能人やスポーツ選手のサイン色紙が所狭しとある。

舟木昭太郎の日々つれづれ


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レスリングの五輪除外の衝撃/博覧会を終えて1週間/他

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・レスリングの五輪除外の衝撃
 ~レスリングは何が問題か~
 ~競技のスリム化も必用~
 ~ゴルフは五輪に不要です~
・隕石の破壊力
・博覧会を終えて1週間

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レスリングの五輪除外の衝撃
 
 レスリングのオリンピック競技からの除外(2020年)の報道には、驚きましたねえ。古代ギリシャのパンクラチオンから連綿と続いてきた伝統ある格闘技が、よりによって外されるって、全く以て怪しからん。何故テコンドーが残り、レスリングが外された!と私は拳を振り上げたものの、待てよ何か理由(わけ)が有るんだろうと、その背景を私なりに探ってみました。
  
 で、やっぱりレスリング側にも問題がありました。その辺の事情については、幸いスポーツジャーナリスト片岡亮氏がネットで分析しておりましたので、参考にさせてもらいます。この種の問題は客観的に捉える必要があります。徒に怒るだけでは問題の解決にはなりません。
 
 レスリングについては、IOC(国際オリンピック委委員会)は既に15年も前からレスリング連盟に改革を求めていたというのですが、先ずレスリングの、競技スタイルから紹介していきます。
 
 レスリングには、上半身だけのグレコローマンスタイルと全身を使ってよいフリースタイルがあり、男子は両スタイル共7階級で、女子は4階級(五輪)があります。女子は04年アテネ大会から正式種目に採用されました。女子にはグレコの種目はありません。
 
 
~レスリングは何が問題か~
 
 一番の問題は競技の肥大化で、人気のないレスリングは外されたということですが、他に理由があるというのです。どうもその要因は女子に有るようだと専門家は見ているのです。女子レスリングが正式種目に採用されてはみたが、競技人口、参加国は思ったほど増加していないことなどが上げられている。海外では人気がない競技で、日本だけが異常な人気なのです。
 
 例えばイスラム圏では、女子が肌を曝すことを嫌うのがなかなか普及しない原因だという。にも拘らずレスリング連盟は、現在18階級ある階級を更に21階級に増やす案を求めているなどして、IOCの方針と対立しているとも伝えられる
 
 吉田沙保里の五輪3連覇、国民栄誉賞に湧く日本に水を差すような何とも残酷なニュースですが、早急に改革案を出せば復活するとみるます。私はグレコローマンはフリースタイルに一本化すべきだと考えているのですが、これって暴論ですか?それとも一体化した競技に改革する案はどうでしょう?柔道などはカラー道着を採用して生き残っている。変化は進化に通ず、悪い事ではない。
 
 
~競技のスリム化も必用~
 
 因みにレスリング人口は153カ国約100万人、テコンドーは204カ国約5000万人といわれる。まあ、一部には韓国の電気メーカー、サムソンなどの強力なロビー外交もあって、テコンドーは五輪に残ったとも騒いでいるが、必ずしもそればかりではない。テコンドーは近来著しく競技人口の増やしているのも事実である。
 
 だからと言って最近採用されたばかりのテコンドーとレスリングが比べられるのも可笑しなもので、レスリングはオリンピックそのものです。永遠に残さなくてはならない種目です。スリム化をいうならば、水泳の
50㍍自由形なんぞ不要だし、100、400、1500mでいいのに自由形だけで6種目もある。水泳は男女併せて46種目、こっちが問題だと思うが。競技の細分化がオリンピックを詰まらなくしていると私は睨んでいるのですが。
 
 
~ゴルフは五輪に不要です~
 
 いずれにせよ、国際レスリング連盟も何らかの譲歩、例えば階級を減らすとかして競技のスリム化の役割を担う必用があろう。兎に角、オリンピックは何でもかんでも入れすぎる。結果自分の首を絞めている。ゴルフなんぞ最たる例で、2016年リオから正式種目に採用された。
 
 ちょっとも有難くないニュースである。ゴルフにはマスターズや全英オープンといった最高のイベントが存在する。これにはオリンピックといえども敵わない。全く以て必要ない種目である!レスリングを五輪に残したくて、この項は少し力みすぎました。
 
 
隕石の破壊力 
 
 ロシア・ウラル地方上空で起きた隕石の爆発はまさに驚天動地の現象だった。スターウォーズさながらの閃光は音速の50倍、隕石の直径は17㍍、重さ1万㌧長崎型原爆25個分のエネルギーであるという。そして、秒速18㌔で大気圏に突入したというから、どんな近代兵器で迎え撃ったとしても蟷螂の斧に等しい。(朝日新聞参照)
 
 その衝撃波によって、被害は甚大であったが、不幸中の幸いだったのは湖に落下したこと。あの物体が原子炉を直撃したらと思うとぞっとした。「想定外」の話では済まない問題で、それこそ地球が破滅するかも知れない。クワバラクワバラ。
 
 自然の怒りには神に祈るほかない。人類が起源して以来、只々天の神に祈るのは変わらないのは、それだけ人間は無力ということである。人間自戒せねばならない。
 
 
博覧会を終えて1週間
 
 アッパー格闘技博覧会が終わって1週間が過ぎてやっと身体が元に戻った感じがいたします。何でも初めての挑戦というものは、身も心も疲れるものです。体の芯が失せたような一週間でした。
 
 しかし人間というのは愚かな動物で、またぞろ次のイベントに向けて動き出しました。失敗していたらそうは行かなかったと思いますが、なまじっか成功したからなのでしょか、体が自然に作動するのです。
 
 新しい事に挑戦することは、曠野に鉄道を敷くようなもので幾多の苦難が待っています。転んだり跳ね飛ばされたり、それでも挫けず頑張ると、何かしら物と物がぶつかり合う火花みたいな物が生まれ、そこから思わぬヒントが発生するのだと感じました。
 
 
チラシはアッパー格闘技博覧会で入場券代わりに使われた鑑賞のしおり。

好評で大事に持ち帰る参加者もおりました。

(※是非、拡大してご覧ください!)
舟木昭太郎の日々つれづれ

 

拙宅の玄関脇に咲く山茶花。
今年は去年咲かなかった分見事に大きな花をつけて楽しませている。(2月18日雨の夜) 
舟木昭太郎の日々つれづれ  

 

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感謝!!感謝!!『第1回 アッパー格闘技博覧会』大盛況のうちに無事終了!!

感謝!!感謝!!

  

『第1回

 

アッパー格闘技博覧会』

 

大盛況のうちに無事終了!!


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・格闘技博覧会を終えて
・レナードVSハグラーのパネルの顛末
・新間、藤原、渡嘉敷3氏が盛り上げて
・不手際を心からお詫び致します
・守ってくれた竹内、杉浦両氏に感謝

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格闘技博覧会を終えて
 
 アッパー格闘技博覧会は無事終わりました。100人を越す参加者が来てくださいました。これは私の予想を遥かに越える数字で、感激致しました。天候にも恵まれました。朝からからりと晴れた冬の一日でした。
 
 東京ガーデンホテルの宴会場の特設会場には竹内家から提供されたポスターパネル(アリ×猪木、国際プロ時代のアンドレ、日プロ時代のBI砲等)がずらりと入口に飾られて雰囲気を盛り上げました。
 
 故竹内宏介氏の幼い頃の写真を集めた盾もあり皆さん食い入るように観ておりました。石原慎太郎前東京都知事と藤原敏男会長のファイテングポーズで向き合うパネルは異彩を放っていました。
 
 会場両脇には竹内コレクションや原正英さんの集めたチケットの数々、故杉浦滋男氏の取材ノートなどが所狭しと並べてありました。また神保町の古書ビブリオが出張販売で、格闘技の雑誌やボクシングの世界戦のポスターパネルなど販売しました。
 
 
レナードVSハグラーのパネルの顛末  
 

 実はここで最初に目に入ったのがレナードVSハグラーのパネルでした。保存状態のすこぶるいいもので、両者が睨み合う写真で迷わず小野店主に「私がこれ買うからね。売らないでおいて。」と予約しました。
 
 ところがイベントをが始まる直前になってその前を通ると何と「これいいな、気に入ったよ。俺買うよ」と言っている人がいました。観れば藤原ジムの元斉藤功マネでした。
 
 小野店主曰く「舟木さんどうします?」、振り向いた斉藤さんも私が先約だと知って目を白黒でした。私は「善いよ、斉藤さんなら仕方ないも」のと笑って応えました。でも欲しかったなぁ。斉藤さんの翌日FACEBOOKの投稿を見たら、6300円で買った件のパネルがヤフーオークションで42000円で売りに出ていると雄叫びを上げていました。
 
 よかったねえ~私は悔しいけど、でも斉藤さんは、10数人の仲間を今回のイベントに連れて来てくれた人。感謝の気持ちで譲りました。その代り小野店主が、レナードVSハーンズのポスターを値段の半額で売ってくれました。天は二物を与えてくれたのです。
 
 
新間、藤原、渡嘉敷3氏が盛り上げて 
 

 正面のステージには竹内宏介氏の遺影がテーブルに飾られて参加者を見守っておりました。彼がこの日の盛会を導いて呉れたのかも知れません。繁子夫人も御孫さんを連れて来てくれました。繁子夫人も祈るような気持ちで在ったのかも知れません。
 
 新間寿さんも幻のベルト持参して披露してくれました。講演は竹内宏介氏の多大なるプロレス界に対する貢献を熱く語ってくれました。渡嘉敷勝男会長は軽妙な司会で、オークションに一役買ってくれました。お蔭で10万を越す売り上げで、会場費の役に立ちました。
 
 最後に締めたのはキックの鉄人藤原敏男会長で、猪木の123ダーで丸2時間の博覧会を力強く締めて頂きました。あっという間の初体験、終了と同時の後片付けは竹内家と杉浦家からお預かりしたコレクションを3人掛でチェックして、こちらも汗だくの作業でした。
 
 
不手際を心からお詫び致します
 
 尚、杉浦さんの取材ノートから若き日キックボクサーとして協同ジム所属で、試合をしたトータルリフォームサービス渡辺社長が、自分の試合結果が載っていた、と宝物を見つけたように喜んでおりました。杉さん、これって凄いことだよ。御報告いたしますね。
 
 申し訳なかったのは、食事会まで手が回らずに参加した方々には御迷惑をお掛けしたことです。不手際を心からお詫びいたします。次回はこのような事がないように、万全を期したいと猛省しております。
 
 結局竹内夫人家族は夕食も取らずに帰りました。さぞや天国の御主人は「舟木さん、しっかりしてよ」と叱っていたかもしれません。その食事会は遅れて開かれました。元東京スポーツ門馬忠雄御夫妻も参加されて、同席した親しい仲間にプロレスの裏話などをしてくださいました。
 
 あれこれ反省を踏まえて、5月には、ムエタイとキックボクシングで開催を企画しております。実現となればバンコクに飛んで、シリモンコンなど過去の名選手にも会って、より多くのグッズを集めて参る所存です。遣るからには徹底したイベントをと覚悟しています。
 
 7月にはプロレスに完全に的を絞って大がかりな博覧会を予定しておりその節は、新間さんや坂口征二さんに発起人になって頂くつもりでおあります。今回の反省を踏まえてアッパーは前進して行きたいと心を決めております。老いの一徹、齢(よわい)70の、「Olds be Ambitious!」です。多少なりとも御期待下さいませ。
 
 
見守ってくれた竹内、杉浦両氏に感謝
 
 天国の竹さん(竹内宏介氏の略称)、あなたが天国から見守ってくれたお蔭で、人生初体験の格闘技博覧会を曲がりなりにも無事終わることができました。本当に有難うございました。杉浦さんは、どう見たでしょうか。「いいよいいよ、舟ちゃん失敗を恐れず遣ればいいよ」何か、そんな自分に都合の善い言葉が返ってきたような気がしました。
 
 お寒い中を皆さん有難うございました。一人一人に御礼をいいたい気持ちです。イベント終了後は村上桂、福島知好両スタッフと家内の4人で、お茶の水に繰り出して居酒屋でしこたま飲みました。深夜千鳥足で帰宅しました。でも心地よい深酒でした。竹さん、杉さん俺はやったよ~と叫びたい、そんな星空でした。

 

竹内繁子夫人と大勢の参加者

舟木昭太郎の日々つれづれ

猪木×アリのポスターパネルと石原前都知事×藤原会長の写真パネルも。
舟木昭太郎の日々つれづれ

新間寿さんも故竹内宏介氏の功績を称える講演。
舟木昭太郎の日々つれづれ

 

オークションでは渡嘉敷会長が軽妙な司会で盛り上げた。
舟木昭太郎の日々つれづれ
 

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