美澄さくらです。
昨日のTさんとのコンサルでのこと。
「とある人から、無価値感が強い自分を早く認めなさいと言われました。
なにを言っても無価値感があるからという理由に繋がってしまい、
無価値感を認めて解決することを求められます。
その時さくらさんなら「無価値感があってもいいんですよー!」と言うだろうなーと思ったんです。
無価値感のあることを認めるということは同じなのに、
前者は苦しさを感じてさくらさんの言い方には安心感を覚えました。
わたしの感じ方が全く違ったのは何故だと思いますか?」
というご相談?ご質問?を受けました。
「なんとなく違いは分かるけど言語化するとなると難しい案件」ですね
いろいろ見方があるとは思いますが、
わたしはこの違いを部屋作りに例えてご説明をしました。
Tさんに指摘した人をAさんとします
Aさんもわたしも快適なお部屋を作りたい!という目的があるとして
★Aさん・・・
すべての汚れ、ホコリ、不要なものを一切排除することで快適さを追求します。
テレビのホコリ、NG!
幅木の汚れ、NG!
ドアの傷、NG!
見えないところも徹底的に美しくすることで快適な部屋を作りたいタイプ。
→Tさんのケースに置き換えると、
無価値感が無くならない限り幸せになんてなれない。
だからまずは無価値感を認めてなぜ無価値感を感じたいのか直視すべし。
イライラもモヤモヤも原因は自分にある。
全部排除していきましょう。
という感じ。
★わたし・・・
ティッシュのゴミとか髪の毛とか大きくて目に見えるゴミは取り除いた上で
お気に入りの家具やルームフレグランスで快適な部屋を作ろうというタイプ。
多少のホコリがあってもOK!
ドアの傷も、そこにそれがあるならしゃーない!
それよりお気に入りのものに囲まれたい♡
→Tさんのケースに置き換えると、
無価値感なんて誰しも心の奥底では感じてるから、
それ持ったままどうやって生きていきたいか?を考えよう!
完璧さより好みを追求しよう!
という感じ。
Aさんもわたしも同じく快適な部屋を作ってるだけ。
どっちが正解ではなく、目的や方向性が違うのです
ただ、生きてる限りホコリは立つし傷も出来るし見えない部分が汚れたりもします。
それらが発生するたびに取り除くことに注力していたら、それだけで人生が終わっちゃうで。
とは思う。
わたしが「問題などどこにもない」といつも言っているのはこれと同じ理由で、
問題がある前提で生きていると問題解決だけで時間がどんどん過ぎてしまうのです。
なにが嫌?
嫌われたらどうなる?
孤独になったらどうなる?
お金が無くなったらなにが怖い?
ゼロになっても生きていけるとしたら?
それでも怖いのはなんのブロックがある?
自分に潜るスキルがある分、
無限に「なにが嫌?なにが怖い?」が出てきてしまうから収集がつかず
これがいい♡を創造していくところまでエネルギーが回らない。
本当にもったいないなぁと思います。
意地悪な気持ちも誰かを羨ましく思う気持ちもモヤモヤする気持ちも、人間なんだから出てきます。
でも、それを綺麗に無くさなければ幸せになれないなんてことはないんです。
多少ホコリがあったって快適な部屋が作れるのと同じように、
至らない部分と言いたくなるようなところがあったって豊かに繁栄していけます♡
わたしたちが目指してるのは完璧な人間じゃなくて
心の豊かさを体現し、いろんなことを経験していくことだと思うから。
シンプルに
これがいい!こうなりたい!これやってみたい!
そのためになにが出来るかな?
を追求するだけ
その過程で立ちはだかる壁があるならそのときに向き合えばいいのです。
最初から全部綺麗にしなくても大丈夫!
もっともっと自分のことを信じて寄り添ってみてください。
自分にダメ出しして責めるんじゃなくて、
「こんな風にしたらどうかな?」って一緒に進んでいける良き相棒になってみてはいかがでしょう?♡
あなたの一番の理解者はあなたですから
***
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