願いが神様にスコン!と届くようになった理由
これまで、何度も「頭を静かにしよう」としてきた。特にわたしは自分責めが酷い上に謎の罪悪感を抱えていたから、脳内では常に自分を非難する言葉が響き渡っていた。ノートを書くことで自分の本音を知ることが出来るようになってからは、過度に責める言葉は鳴り響かなくなっていた。でも、代わりに言葉が優位になった。瞬時にネガティブをポジティブに捉え変える癖がついたし、ずっと頭が”いい言葉”を語りかけてくる。感覚が身体に通るよりも先に、言葉が出るのだ。このブログで書いたように、身体を通っていくものをただ静かに観察することをしてこなかった。喜び、怒り、悲しみ、モヤモヤ。感じた瞬間に脳内会議が始まるのだ。「何が嫌だった?」「本当はどうしたい?」「今これを嬉しいと思ってるんだ」「なんでかな?(命式と照らし合わせる)」人生を上手くいかせるための”方法”を、知りすぎていたんだと思う。身体OSを起動させるにつれて、こういった脳内会議がなくなったことに気付いた。頭の中が静か。なぜこうなったかというと、誰かの意見・世間の言葉・一般常識ではなく、自分が感じていることだけを選択するようになったから。「普通こうだよね」というモノサシだけでなく、「なぜこのようになっているのか」という分析にも、過去に誰かに言われたことや正解が入っている。その”誰か”が、自然といなくなったのだ。少し話は変わるけれど、4月頭に都内のホテルに泊まった時にホテル内のプールに行った。50mが4レーンのプール。うち2レーンはホテル会員専用レーンで、一般宿泊者が使えるのは2レーンだけだった。外資系の大きなホテル。春休み中やし、きっと他にもプール利用者がいるだろうからガッツリ泳いだりは出来ないかもな。と思っていた。でも、結果的に滞在していた4時間、他の利用者は誰ひとり来なかった。幸運なことに、1レーンは子供たちと遊ぶ用、もう1レーンは夫と交代でひたすら気持ちよく泳ぐ用に使えたのだ。わたしは平泳ぎで1,100m。後ろから人が来てるかもとか、すれ違う時にぶつからないようにとか気にすることなく、すいーっと伸びたときの気持ちよさを存分に味わいながら泳げた♡普段人の多いプールに行くときはラッシュガードでお腹をガード()しているが、それを脱いで水を全身で感じられたのもよかった。「のんびり泳ぎたい。ぷかーんと浮きたい。」そう思っていた願いが予想外に最高の形で叶った。何が言いたいかというと、このときわたしが「人が来るかも知れないから1レーンで遊ぼう」「ジムで走る人や監視員さんから見えるから本気で泳ぐの恥ずかしい」「ラッシュガード着たままにしよう」「動かず浮いたままだったら溺れたと思われるかも」といちいち他人の目を気にしていたらこの現実は創られなかったと思う。プールに入る前、「ゆっくりのんびり泳ぎたいな」と思っていたらそれが叶った。真っ直ぐに、しかも最高の形で現実になったのは、脳内に他人がいないから。なつみという身体に湧いた"want"がスコンとそのまま神に届いたのだ。プール後すっきり♡のわたしモヤッソワッとしたときは。「人が来たらどいたらいい」「人に見られてもいい」「溺れたと思われてもいい」「見られるとは?」「恥ずかしいとは?」思考がにゅっと出てきてソワソワする感覚を鎮めようとしてきた。でも今回は、そもそもそんな気持ちすら湧かなかった😳2レーン使って遊ぶことを非難する声も、ぽよんとしたお腹を否定する声も、4時間って長すぎない?そろそろ上がったら?と急かす声も、全く聞こえなかった。むしろ、気持ちいいー幸せやー最高すぎるー♡ばかり言っていた。それが本当に嬉しい!!!5月からの講座についてもそう。今までだったら、「自分もまだ発展途上なのに講座にするなんて」「目に見える結果(ってなんやねん)が出てないのに大丈夫?」「身体OSに興味ある人いないでしょ」とあれやこれやと考えて形にしなかったと思う。でもこれらはわたしの本音ではなく、いつか誰かから聞いた言葉が歪んで出てきたものなのだ。だから、身体OSが優位になることでその”誰か”が消えてしまった今、今だからこそこの内容伝えたい。やってみようかな。やろーっと!という感覚に真っ直ぐ在れるし、動ける。身体を通して自分や世界を知ることに興味がある人がおらず、お申込みがなくてもいいのだ。「今このフェーズだからやりたい」という感覚に素直に動いてみるだけ。その次のコマのことを先立って心配しなくていい🫶はー。嬉しい。本当に。今までも自由だと思ってたけど、今は自由自在になれた気分♡るんっ