奈良市の阪奈道路の南側、宝来。
前の狭い道、暗峠の表示がありました。
第20代 安康天皇 菅原伏見西陵。
綺麗に整備されてます。
🙏
退散します。
雄朝津間稚子宿禰天皇(允恭天皇)の第二皇子。母は稚渟毛二派皇子の女・忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)。木梨軽皇子の同母弟で大泊瀬幼武天皇(雄略天皇)の同母兄。父帝が崩御すると群臣の支持を失っていた太子の兄に替わって即位。石上穴穂宮に都を遷す。即位元年、根使主の讒言を信じておじ(大鷦鷯天皇(仁徳天皇)の皇子)の大草香皇子を誅殺。即位2年、その妃であった中蒂姫を皇后に立てたが、翌年8月9日に連れ子の眉輪王に暗殺された。その後、弟の大泊瀬皇子(雄略天皇)が眉輪王を含めた多くの皇族を殺して後を継ぎ即位。根使主は14年後に讒言が発覚して誅殺されたが、やすやすと信じてしまった安康天皇の過ちもあり根使主の子孫が根絶やしにされることはなかった。(wikiより)
天皇陵・皇后陵リンク集