北朝2代 光明天皇

北朝第2代の天皇(在位1336~48)。名は豊仁。法名真常恵。後伏見天皇の第2皇子。母は広義門院寧子。光厳天皇の弟で、その猶子となった。建武中興崩壊ののち、足利氏に擁せられて皇位につき、のちこれを崇光天皇に譲った。1351年(正平6・観応2)における南朝後村上天皇の天下一統に際して出家し、幽閉の身となり、光厳、崇光両上皇らとともに南朝根拠地の大和賀名生および河内天野の金剛寺に数年間を過ごした。のち京都郊外の伏見に帰還、同地の保安寺、金剛寿院また大光明寺に居住し、その後所々を経、晩年大和の長谷寺に居住し、康暦2年6月24日摂津の勝尾寺で崩御。


北朝3代 崇光天皇

北朝第3代天皇(在位1348~51)。名は興仁、益仁、伏見殿。光厳天皇の第1皇子。母は陽禄門院藤原秀子(父正親町公秀)。1338年(暦応1)8月立太子、48年(貞和4)10月践祚、翌年12月即位した。51年(観応2)足利一門の内紛に伴い南北の一時的和議がなると、南朝の後村上天皇が京都に迎えられ、崇光天皇は廃位され、太上天皇の尊号を受けた。翌年北畠顕能らの南軍により、光厳、光明両上皇とともに賀名生(あのう)(奈良県吉野郡)に移された。57年(延文2)京都に帰り伏見殿に住し、92年(明徳3)出家した。


 

大光明寺陵。


 

JR桃山駅すぐ。

周りは住宅です。

 

 

長〜い参道。

 

 

走る人

 

 

 

 

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