(奈良市佐紀町)。
池の中に、カーブミラー
垂仁天皇皇后日葉酢媛命。
佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)。
墳丘長207mの前方後円墳、築造時期は4世紀末頃と推定。
あれに見えるは、佐紀石塚山古墳(成務天皇狹城盾列池後陵)。
第13代 成務天皇 狭城盾列池後陵 拝所。
生没年不詳。記紀によれば第13代の天皇。4世紀中ごろの在位となるが明らかでない。稚足彦(わかたらしひこ)天皇ともいう。景行天皇の第4子。母は八坂入媛(やさかいりひめ)。近江の志賀高穴穂宮(大津市)に都した。穂積氏らの祖、建忍山垂根(たけおしやまたりね)の女(むすめ)、弟財郎女(おとたからのいらつめ)を妃とする。武内宿禰(たけしうちのすくね)を大臣(おおおみ)とし、国々の境や道路に従って国、県(あがた)、邑里(むら)を分かち定め、国造(くにのみやつこ)、県主(あがたぬし)、稲置(いなぎ)を置いたと伝えられる。『日本書紀』には治世60年、107歳で没したとあるが、『古事記』では95歳とある。大和の狭城盾列(さきのたたなみ)陵(奈良市山陵(みささぎ)町)に葬る。
墳丘長218mの前方後円墳、築造時期は4世紀末頃と推定。
第46代 孝謙・第48代 称徳天皇(重祚)
奈良時代の天皇。女帝。聖武天皇を父とし、母は光明皇后。738年に皇太子となり、749年に即位する(第46代孝謙天皇)。天皇は仏教の信仰に特に篤く、聖武発願の東大寺大仏開眼会を盛大にとり行った。758年に天皇は重用していた従兄にあたる藤原仲麻呂の進言により、舎人親王の子(淳仁天皇)に譲位したが、上皇のとき道鏡を寵愛したため仲麻呂一派が乱(恵美押勝の乱)をおこした。この乱の責任で淳仁天皇を退位させ、764年に重祚して第48代称徳天皇(在位764~770)となった。 西大寺は、称徳天皇の勅願によって創建されたと伝えられる。
これまた道の真ん中に
奈良の人なら大概の人はみたことあるかと。
15時ころ、エキナカの飲み屋で一杯引っかけようと向かったら、客いっぱいだったのであきらめました。
で、展望デッキへ。
ひっきりなしに電車が通過しています。
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