第16代 仁徳天皇陵の次に向かったのは、第17代 履中天皇 百舌鳥耳原南陵。
大仙公園を横切って行きます。
百舌鳥耳原由来の像。
旗塚古墳。
墳丘長57.9mの帆立貝形前方後円墳、5世紀前半築造。
公園から出て、住宅地を歩きます。
住宅の間から見えました
仁徳、応神に次ぐ3番目の大きさ
墳丘長365m。仁徳天皇の息子です。
周りは柵で囲われています。
拝礼所へは住宅に阻まれ、大通りへ迂回します。
泉北1号線。
第17代 上石津ミサンザイ古墳(履中天皇 百舌鳥耳原南陵)。
参道脇は住宅に挟まれています。
大阪府堺市西区石津ヶ丘1
『日本書紀』『古事記』によると大鷦鷯天皇(『仁徳天皇』)の崩御後、使者として遣わした弟の住吉仲皇子が自分こそ太子だと偽って黒姫とまぐわってしまう事件が起きた。これが知られた住吉仲皇子は反乱を企て、太子の宮殿に火を放った。このとき太子は難波宮で酒に酔って寝ており、部下に馬にやっと乗せて貰ったとされる。太子は難波宮から大和へ向かい石上神宮へ入った。逃走の途中では霊験あらたかな乙女に会い、伏兵が居るので遠回りしろと教えられた。そして無事到着した石上神宮で以下の歌を詠んだ。
大坂に遇うや嬢子を道問へば 直には告らず 当岐麻路を告る
その後、住吉仲皇子は瑞歯別皇子(後の反正天皇)によって誅されることとなり、無事即位できた。
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こちらからもう少し古墳周りを歩けたらいいんですけどねぇ。街の中なのでしょうがないですね。
退散します。
天皇陵・皇后陵リンク集
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