庄司紗矢香さんは、とても悪魔的な恐ろしい演奏をされる天才バイオリニストです。

 

庄司紗矢香さんのバイオリン演奏を聴きに行きました。


最高の敬意を示すために、なんといっても、バイロイト音楽祭に出席するのと同じ服装で、蝶ネクタイを締めて、オーラ(注;後述)を全開にして聴きに行きました。

残念ながら、会場は3分の1しか埋まっていませんでした。


 

さて、庄司紗矢香さんと伴奏のピアニストは、演奏前に、目を合わせているのです。これは何を合わせているのかというと、呼吸を合わせているわけです。


 

 

 

 

小さな会場ですから最初に、庄司紗矢香さんと伴奏のピアニストが、目を見ながら、呼吸を合わせているのは分かります。

まさに「阿吽の呼吸」というのはこのことです。

 

それを見て、私も、呼吸を合わせるわけです。


 

 

そうすると、庄司紗矢香さんがどこで息を吸い、どこで息を吐いて、止めているかいるかがわかりますから、それとシンクロナイズさせながら、呼吸を合わせながらバイオリン演奏を聴くわけです。


 

これをしますと、まさに、聴く者と演奏する者、この両者が一体。呼吸を合わせると、まったく知らない曲であっても、楽章の切れ目というのはわかるわけであって、間違って拍手をすることは絶対にありえません。なぜならば、楽章の切れ目で呼吸が乱れていないからです。

 

最高にすばらしい体験でした。


 

最後に、演奏が終わって、ほんの10~15秒のことだとは思いますが、最後の音がやがてホールから消えゆくまで、庄司紗矢香さんは、呼吸を止めていました。精神の高みだと思います。

その間の緊張感の素晴らしさ!

 

こちらも、それに合わせて呼吸を止めるわけです。恐るべき無音の共有体験でした。 

 

そして、庄司紗矢香さんは演奏が終わった10秒後くらいに、息を静か静かにゆっくりと息を吐きました。それに合わせてこちらも、息を吐くわけです。


 

こういった体験は、CDやテレビでは不可能です。


 

 

どうも実際の演奏を聴いていない方が多いようで、このことは、なかなか理解されないようです。

 

しかし、一度こういう聞き方をすると、生演奏の魅力の虜になってしまいます。


 

 

さて、庄司紗矢香さんは、私が最も評価するバイオリニストのひとりでありますから、正式なスタンディングオペーションをしました。

 

その後サイン会がありました。芸術家のサイン会に行くなど無礼極まりないことですが。たまたま、もっていないCDがありましたので、サイン会の列に並びました。

 

 


UBQ数理フォーラム代表:長山豊のブログ

もちろん多くの方は、庄司紗矢香さんがお目当てですから、伴奏のピアニストには誰もサインを頼みません。

 

それを見た私は、これは失礼だと思いましたので、イタリア人ということは確認しておりましたので、まずはピアニストに「グラーチェ」といいイタリア語で謝辞を述べました。

 

それがまずかったようです。

庄司紗矢香さんが、少し踊らいた顔で、何か私に声をかけてくださいましたが、残念ながら、知らない言語なので、よくわかりませんでした。

 

 

 

 

 

 

庄司紗矢香さんほどのバイオリニストに、ベートーヴェンの「春」であるとか「クロイチェル」といったような、通俗的な曲を演奏・録音させることは、まことに残念なことです。あの若さであのシャコンヌ。苦痛から美の極み。だんだん、興福寺の阿修羅の悲しみに見えます。見てはいけないもの。聞いてはいけないもの。人類の罪。BACHは神を冒涜した。マタイ受難曲でも、ヨハネ受難曲でもイエスをあざける場面の方が音楽の完成度が高い。

https://www.youtube.com/watch?v=sU9lrF4h52w

リゲティとかストラヴィンスキーといった曲をもっと聞きたいのです。シュニトケなら音楽で精神を破壊できるでしょう。

 

もちろん、そんなことをすれば、ますますお客様がいなくなる=会場が埋まらないことはわかっておりますが、ベートーヴェンやメンデルスゾーンといったものは、・・・や・・・のようなバイオリニストで十分なわけであって、何も庄司紗矢香さんほどの方に録音させる必要はないわけです。アンコール曲のストラヴィンスキーの方が愉悦に満ちていた。


 

さて、前から疑問に思っていることがあります。


 

バイオリンの独奏は、無伴奏バイオリンソナタと呼ばれます。

 

しかし、ピアノだけの演奏は、無伴奏ピアノソナタとは呼ばれないわけです。

どうして、バイオリン・ソナタにピアノが出てくるのでしょうか?


 

ピアノの音で、バイオリンを汚してほしくないからです。


 

このことについて、あるプロのオーケストラ団員に先日お伺いしましたところ、このような回答を得られました。


 

現在では確かに、ピアノは独立した楽器であるが、歴史的にはもともと、ピアノはハープシコードやクラビアといった楽器から発生してきたもので、もともとオーケストラの代用品であり、伴奏するだけのものだから、とのことでした。


 


 

なお、「オーラ」という言葉を使いましたが、決して怪しげなスピリチュアル的な意味で使用しているわけではありません。

 

オーラという言葉を辞書で調べてみますと、

「人間の醸し出す雰囲気」ということが、ちゃんと載っております。

 

このあたりは、学術的に検証されたものではありませんが、人間は微弱な電磁波や輻射を出していると言われていますから、それを感じているのかもしれません。