プラネタリウム
日本の伝統行事七夕について、産経新聞に「お母さん教えて」と題して解説記事が載っていた。
興味深いので、その一部を書き留めておこう。
古の日本では旧暦7月15日の夜に先祖の霊を迎え、畑作の収獲を感謝する祭りが行われました。
7日は祭りを前にみそぎに入り、祭りの準備に取り掛かる日でした。
7日の夜には乙女が水辺の小屋にこもり、祖霊の衣の布を織りました。
この布を織る乙女を棚機津女(たなばたつめ)といいました。
古代中国では牽牛星(ひこ星)は農事を知るための基準となる星であり、織女星(おり姫星)は養蚕や裁縫を司る星と考えられていました。
この二つの星は旧暦7月7日ごろ、天の川を挟んでひときわ輝いて見えることから、年に一度だけ会えると
いう伝説が生まれたのです。
現在行われている七夕行事はこの二つの習俗が合わさったもので、「七夕」をタナバタと読むのは
棚機津女からきています、と記されている。
この記事に触発された私は、プラネタリウムに行こうと思い立った。
千葉市には、千葉氏の居城跡に建つ通称千葉城(千葉市立郷土博物館)の4階にそれはある。
自宅から自転車で1時間はみておく必要のある場所だ。
郷土博物館(通称千葉城) 千葉介常胤
プラネタリウムでは「7月の星空と夏の星座アラカルト」と題して、ドームの天井一杯に星が投影された。
「空をきれいにしてみましょう」「街の灯りも消しましょう」と言って修正を施したところ、頭上は満天の星、
美しい星空にくぎづけになってしまった。
おり姫星とひこ星は夏の大三角形として、説明があった。
それは天の川の天高い所に3つの1等星で作る夏の三角形のことで、3つの星はこと座のベガ(おり姫星)
わし座のアルタイル(ひこ星)、はくちょう座のデネブといい、その位置関係が明示された。
さて、7月7日21時頃空を見上げてみたが、プラネタリウムとはほど遠く、何も見えなかった。
翌日も同じだった。
前述した新聞記事によれば、今年は7月31日(月)が旧暦の七夕とのことなので、その日は星空を
じっくり見たいものだ。
あ~失敗のイサキ釣り
梅雨時の6月と言えば、イサキ釣りの盛期である。従って、雨など気にしていたら馬鹿にされる。
釣り友から体調が悪くて行けない、との電話あり。
車のない私は、電車で行かざるをえない。そうなると、雨が降らないことも条件になる。
色々思案したあげく、釣行のたびに30尾以上の釣果を得ている洲崎の早川丸の午後釣りに決めた。
荷づくりをし、過去の記録を読み返し、準備万端。後はお天気のみである。
ついに、その日はやって来た。6月25日(日)のことである。
洲崎栄の浦漁港 イサキ(上)とタカベ(下)
仕掛けは早川丸特製の全長3mの3本針。
エサはイカタン使用、重りはアンドンビシ60号、ビシ釣りである。
13時、タナ(泳層)35mのアナウンスで釣り開始。
過去の記録より私のリールのメーター表示は、船長の指示より1m浅いことが分かっていたので、
37mまで仕掛けを下ろし、コマセを振りながら仕掛けを上げ、34mでアタリ(魚信)を待った。
するとククッとアタリ、きれいな魚体のタカベが釣れた。
第一投で釣れるとは幸先よし。
しかし、これがすべての不幸の始まりとは、この時はまだ何の疑問も抱かなかった。
その後、周りではイサキが釣れ上がっているのに、私には来ない。
タナ取りを1m前後広げても来ない。
何故だ!顔が紅潮して来る。
気を取り直して考え、メーター表示が違っているのでは、との結論に達した。
タナ取りの基本である糸のマークでタナ取りしたところ、どんぴしゃり船長指示のタナでイサキが釣れた。
その時、時計は15時を指していた。
メーター指示は2.7mも深かった。何てことだ!!
友が居れば、もっと早く軌道修正出来たかも・・・・・・!
タカベが釣れたのはタナが浅い、と気付かなかったのは、昨年の釣行が台風で中止になった為、
勘がにぶったかも・・・・・・!
むなしい言い訳である。
挽回すべく、必死で釣ったが周りもボツボツの食いとなり、17時40分終了のアナウンス。
結局、22~28cmのイサキが8尾の貧果に終わってしまった。
隣の人に聞いたら、25尾釣れたと言う。あ~失敗だ!!
タナ取りが命のイサキ釣りにとって、「タナ取りはメーターではなく糸で取る」を思い知らされた釣行だった。
悔恨の一句 友臥して 募る焦りの いさき釣り
俳句
NHKの「趣味悠々・中高年のためのパソコン講座」を勉強している内に、デジカメで撮ったお気に入りの
写真は、俳句を添えて保存するようになった。
かくして、私の俳句は風景スケッチの域を出ない。
千葉市には、60才以上の方が健康で生きがいのある生活を送れるように、無料で利用できる
「いきいきプラザ」いう施設がある。
俳句の作り方を学ぼうと、そこの高齢者福祉講座・俳句(全8回、定員30名)に応募したら、当選したので
通っている。
今は5回目を過ぎたところだが、学習内容は句会(添削指導)である。
句会は以下の形式を取り、講師から俳句の作り方を学ぶ事になる。
投句(1人2句)→清記(清書されたものがコピーされ配布される)→選句(1人4句) →
披講(読み上げ)→講師の選評・句評
講座内容は、初心者向けということだが、なかなかどうして、皆さんの俳句は堂に入っている。
私のはと言えば、悪い見本のような指摘を受けて、通うのは気が重くなって来ていた。
今回、沖縄シュノーケリングの旅で目にした迫力満点の本部健堅地区ハーリー大会の模様を投句した。
ハーリー大会 ラストスパート
美ら海に ハーリー漕ぎの 息づかい
披講で1票を得たが、講師からどんな指摘を受けるかとびびっていたら、何と秀作だという !!。
おまけに「かなり上等な俳句である」との句評。
秀作はこの日は2句しかなく、まさに晴天のへきれきである。
いまだ、皆さんの選句と私のそれは一致しない状況だが、これで何とか、あと3回通いきる事が
出来そうである。
沖縄シュノーケリングの旅(観光編)
6月1日(木)~4日(日)にかけて、スポーツクラブ仲間6名でレンタカーを2台借り、沖縄の海岸線をめぐった。
残波岬・美ら海水族館
残波岬 美ら海水族館
残波岬は隆起珊瑚の岬で、銚子の屏風ヶ浦を想い出させる。
Meguさん、灯台の高さは118mだと言う。よく見たら海難通報の為の海上保安部の電話番号だ。
そんな高い訳ないよねぇー!
勘違いと言えば、本部町(もとぶちょう)のホテルへ向かう途中、看板を見て、Kさん曰く、
「ローソンの本部(ほんぶ)は沖縄だったか!」 ローソン本部店(もとぶてん)でしょうが・・・・!
確かに読めない地名が続々と出てくる。
北谷(ちゃたん)、読谷村(よみたんそん)、真栄田岬(まえだみさき)、恩納村(おんなそん)、
水納島(みんなじま)、山原(やんばる)、美ら海水族館(ちゅらうみ)、今帰仁城(なきじんじょう)、
中城(なかぐすく)等、興味深い。
美ら海水族館の巨大水槽のジンベイザメとマンタは圧巻だった。
ここで、我等一行美ら海図鑑集めに燃える。Vol.1~32まであり、ファイルに綴じれば立派な図鑑
になる。
出口の土産物店まで一緒だった勘違いのKさんが、はぐれてしまう。
さがし回っていると場内アナウンスで私の名前が・・・・・・・。迷子なのはそっちでしょうが!!
今帰仁城跡・沖縄のお墓
今帰仁城跡 豪華なお墓
今帰仁城跡は、琉球三山時代の北山王のありし日を偲ばせる城跡で、世界遺産である。
北海道出身のボランティアの女性ガイドさんが案内を申し出てくれた。
「私も北海道出身ですよ・・・・」とのMeguさんの一言で、ガイドさんと和気あいあいと世界遺産を
めぐることが出来た。
道路沿いに、しばしばお墓を目撃する。それは屋根付き一戸建てといった風情である。
早朝散歩で出くわしたホテル近くのお墓は、豪華だった。
お墓の前で宴会をするという。充分広いので、多分本当だろう。
健堅ハーリー・海洋博公園
健堅ハーリー スタート前 健堅ハーリー ラストスパート
最終日の6月4日(日)は、本部港でハーリー大会があるという情報を得て、ハーリー大会と
首里城見学コースの2班に分かれた。
私は昨年ツアーで首里城を訪れているので、ハーリー大会に行く事にした。
それは午後からとの事なので、まず美ら海水族館のある海洋博公園に行き、他の施設を見ようと
いう事になった。
イルカラグーンプールでのイルカふれあい体験を見学し、人工尾びれのフジ君に出会う。
また、オキちゃん劇場でイルカショーを楽しむ。イルカが大変利口なのが印象的だった。
さて、本部健堅地区ハーリー大会だが、瀬底大橋前の港内を折り返すコースで、選手10名
舵を取る人1名が乗り込み、「こぐ」というより「かく」といった感じで舟を進める。
トップになるチームのラストスパートは全員頭を下げ、ひたすらかきまくり、迫力満点だった。
海辺ではオバー達が、太鼓や手拍子で大声援を送っている。
芸能大会の舞台も設置されており、さながら賑やかなお祭りの風情を呈していた。
花・木・食べ物
ホウオウボク 刺身(牧志公設市場)
南国らしい赤い花木をよく見かけた。デイゴかと思ったら、それはもう終わりで、ホウオウボクという
のだと聞いた。早朝散歩では、道端でハイビスカスやブーゲンビリアを見る事ができた。
ブーゲンビリアの花に見える鮮やかな色の部分は、ホウとの事だが確かに中心部に白い花が
あった。
木では写真ストップで立ち寄った、備瀬のフクギ並木は趣があった。
防風林の役目をしているらしい。
健堅ハーリーを見学後、許田ICから沖縄自動車道で那覇へ向かう。
M子さんに運転を代わる。ハンドルを持つと人が変る・・・?どけどけ、どけどけM子が通る・・・・!
国際通りを散策し、夕食を取るため牧志公設市場に入った。
一階の鮮魚店でヤコウガイ、セミエビ、オコゼを注文し、二階の食堂で調理してもらう。
オコゼは唐揚げ、他は刺身で食べたがとても美味しかった。
旅行中、食堂では沖縄ソバ、ゴーヤチャンプル、グルクンの唐揚げ、ブダイの刺身、モズク、
ウミブドウ等を食べたが、私が美味しいと思ったのは、何とモズクだった。
今回は仲間との大変愉快な旅の中で、沖縄の中部~北部の田舎をかいま見る事が出来た。
「離島の海はもっときれいよ!」との声あり。
「それなら、来年は石垣島へ行こう!」と言う人あり。迷子になるなよ!
ひとり言、「そうなると、暮はまた郵便局でアルバイトをしなきゃいけないか・・・・・!」 おわり
沖縄シュノーケリングの旅(シュノーケリング編)
我等元青年グループが、スポーツクラブのプールでスキンダイビングのレッスンを受けたのが
2年前。
それから伊豆大瀬崎、館山沖ノ島、葉山森戸海岸と経験を重ねた。
忘年会の席上、自然発生的に来年は沖縄に行こうという事になった。
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見かねた沖縄大好きなミスターアウトドアーのNさん
「俺が幹事で連れて行くしかないか・・・・!」
即座に一同
「よろしくお願いします!」
こんな具合で、Nさんに全ておんぶにだっこの沖縄シュノーケリングの旅はスタートした。
偵察時の真栄田岬 崎山
写真はクリックすると大きくなります。
6月1日(木)那覇空港は、てっきり雨かと思ったら曇り空だった。
まずは、レンタカーを借り北谷シーサー美浜店へ。
ここで、シュノーケリングの用具をしこたま購入。売り上げに大いに貢献する。
それから、予定地の偵察、真栄田岬へ。 ひぇー断崖絶壁だぁー!!
しかし、静かでとてもきれいな海である。
崎本部のゴリラチョップにも寄ってみた。ここは波があり、濁っている。
場所により波立ちが全く違う。さて、本番の明日はどうなることか?
6月2日(金)雨である。風もある。
そこで、午前中はホテルの近くにある美ら海水族館へ行く。
ここで、沖の白波が立っている所は、珊瑚礁で、その手前は浅く後は深い。それ故海の色も
異なる。そして、沖縄の沿岸はこの珊瑚礁で守られていること等を知る。
雨が断続的になったので、備瀬崎へ行く。
ここで、試し泳ぎをする予定だったが、流れが速く断念する。
今日はもう駄目かなぁーとあきらめムードで、今帰仁城跡を見学していたら、雨が上がった。
一応崎山へも行ってみた。
ベタナギである!!。 大きく潮が引いている。人はと言えば我々のみである。
浅瀬を手をかいて進んだ。至る所にウニやナマコ、ヒトデがおり、カラフルな熱帯魚に出会う。
白波の立つ珊瑚礁まで泳いだが、深みのへちに沿って泳げば、色々な魚に出会うし、一休みする
事も出来るのが分かった。
かくして、大満足の今年初めてのシュノーケリングを終え、ホテルへ戻った。
青の洞窟(先端部分)付近 ゴリラチョップ
6月3日(土)曇りだが風がある。
人気スポット真栄田岬へ行く為、8時10分にホテルを出発した。
真栄田岬の波打ち際は、白波が打ち寄せ荒々しい様相を呈していた。
しかし、そこを離れれば問題はなかった。
海は透明度抜群である。チョウチョウウオ、スズメダイ、・・・・等色とりどりの魚がいる!いる!
いる!。 深みではスキューバダイビングの人々に出くわす。
Nさんより「青の洞窟へ行くぞ!」との指令。
一列並びで泳ぎ洞窟へ。ヤヤッー洞窟の中は真っ暗である。
前を泳ぐT子さんのフィンをたよりに進む。フッーどうなることかと思った。
後で分かったが、水面から首を上げれば洞窟入口のあかりで、全体が見渡せ、どうという事は
なかったのだが・・・・・・・。
分かれば余裕である。幻想的な洞窟の光景や様々な魚との出会いを楽しんでから、泳いで
元の場所に戻った。
指令が伝わらず、行きそこなったMeguさんとM子さんを誘って、今度は絶壁の崖を下りて
洞窟に入った。
洞窟の出口で思う存分泳ぎまくり、クマノミにも出会うことが出来た。
いつしか、洞窟はインストラクターが連れて来るご一行様で、歩行者天国の様な賑わいに
なっていた。
サータアンダギーの昼食後、ゴリラチョップへ行った。
波静かな浜辺である。最初砂が舞う為か、透明感がなかったが深くなるにつれ、それは解消した。
今度は珊瑚!珊瑚!珊瑚!である。
美ら海水族館で、珊瑚は動物でイソギンチャクの仲間だと聞いたが、分かるような分からないような
気持になる。
この日は真栄田岬に着いたら晴れ渡り、青い海青い空の沖縄になった。
そんな中で多くの魚や珊瑚を観察することが出来、感動した。
大収穫の沖縄シュノーケリングの旅は、明日の観光を残して無事終了である。
Nさんに感謝の夜の宴は大いに盛り上がった。
谷津干潟と谷津バラ園
梅雨時のような曇り空の日曜日、シギ・チドリが沢山見られるというので谷津干潟へ行った。
南船橋駅から歩いて干潟に出ると、キリッキリッと鋭い鳴き声がする。
コアジサシのようだ。しかし鳥の群れは見えない・・・・??
谷津干潟 ハコネウツギ
観察センターに入り、ボランティアガイドに「どんな鳥が見られますか」と声を掛ける。
すると「先週までは沢山いましたが、皆北へ飛び立ちました」との返事。
何てことだ!!
居残っている旅鳥のメインはキアシシギだという。
背が灰色で足が黄色胴が長いので、私にも識別出来た。
淡水池ではセイタカシギのじっと卵を暖めている姿が見られた。
ボランティアガイドは渡りの時期について教えてくれた。
繁殖のためシベリアへ向かう途中に立ち寄る春の渡りは、4月15日頃~5月15日頃。
越冬のためオーストラリアへ向かう途中に立ち寄る秋の渡りは、8月初め~9月一杯との
ことだった。
今回は遊歩道(観察路)を一周してみようと観察センターを出た。
遊歩道には観察デッキや観察壁が、随所に設けられており、鳥の案内板がある。
同様に花木にも案内板があり、シャリンバイとハコネウツギの名前を知った。
シャリンバイはよく歩道で見かける白い花の木だが、花が梅に似て、枝が四方に車輪状に
分かれることから車輪梅という名が付いたという。
一方ハコネウツギは先日館山の波左間海岸で見かけ、気になっていた花だが、紅と白の花が
混ざって咲いていて、何となくお祝いモードだ。箱根空木と書くという。
観察センターの対岸に位置するところに谷津バラ園の標識があった。
入口に「ただいま満開」の立て看板がある。
入ってみて驚いた。色とりどりのバラが咲き競っている。まさにバラの楽園だ!!
谷津バラ園 ロココ
プリンセス・アイコ
元の遊歩道に戻ったら、干潟は湖のように変貌していた。
これからまた南船橋駅まで歩くのかと思ったら、途端に足取りが重くなった。
家に戻り、谷津干潟のパンフレットを読んだら、遊歩道は約 3.5kmとあった。
富浦びわ倶楽部と花倶楽部
昨年、ねぶた祭りでお世話になった青森の親戚の皆さんを、故郷館山に招待した。
二日目のこと。東京駅でレンタカーを15時に返すのだという。
短い時間に、花摘みといちご狩りをイメージして来られた皆さんを、どこへ案内すべきか
思案したコースを書き留めておこう。
先ずは波左間海岸の早朝散歩。
浜辺に咲く可憐な花やハマヒルガオ、そして道端の野草が耳目を集める。
朝食後ドライブスタート。東京湾の入口に立つ洲崎灯台から美しい松林と平砂浦海岸に沿って
続く道フラワーラインへ。菜の花が飾るその道はマリーゴールド通りに変身していた。
館山市街に戻る前に、安房神社に立ち寄る。
真白な鳥居をくぐって進むと、クスノキの大木の境内に出る。
その奥に安房の一の宮である安房神社はあった。
賑やかな一同、ここでは静かにお参りする。
安房神社境内 安房神社
時間調整を兼ねて、館山駅前でお土産のお買物タイム。「鯨のたれ」を大量に買い込んだ人も
いた。
「館山駅や海岸通りの建物は、スペインをイメージして建てられています。・・・・・・・・・・・・・・・ 大学のフラメンコ選手権は館山で開催されます。」
すかさず「オーレー!!」の返事。
その後、びわもぎ取り体験をするために、道の駅富浦びわ倶楽部へ。
バナナの花 青森の貴婦人(?)とびわ狩り
道の駅大津の里花倶楽部にて 道の駅富浦びわ倶楽部にて
予約の時間まで間があったので、道の駅大津の里花倶楽部へ。
露地の花摘みは終わっていたが、ハウスには南国の花が一杯である。
私が知っているものでは、ブーゲンビリア、ハイビスカス、サンゴアロエ、ストレリチア、チョウセン
アサガオ等が生き生きとしていた。
珍しいバナナの花を初めて見た。紅紫の花弁をめくるとバナナの子供が現れる。
びわ倶楽部に戻り、びわのハウスに入る。
そこにはイケメンのお兄さんがいて、朝取りしたびわが3つの箱に並べられてあった。
3個まで食べてよく(700円)、それ以上の場合に木からもぎ取って、買うことが出来るのだという。
・・・・・・・・・・・??
3つの箱とはすっぱい、中間、甘いの3種類を意味しており、すっぱくなる程ジューシーさが増すのが分かる。私は中間のものが一番美味しいと思った。
ていねいに味わえば3個で十分で、さほど落胆することはなかった。
逆になったが、一日目は館山城の建つ城山公園に登り、館山の町を一望。
強行軍の房総半島ドライブの旅だったが、青森の皆さんは果たして津軽半島との違いをどのように
感じられたであろうか。お疲れ様でした。
卓球大会
私の卓球との出会いは、遠く独身寮の時代である。
夕食後、しばらくすると私の部屋をコンコンとノックする音がする。
M君の卓球の誘いである。
ホールで2人打ち合う中に、スタミナ十分でポパイのような腕のM君のスマッシュが炸裂する。
負けじと、私も全身で球を打ち砕く。
そこには若さ(馬鹿さ?)の卓球があった。
リタイアー後、私は近所のスポーツクラブに入った。
そこで、またスタジオの卓球タイムに誘われた。
温泉卓球のレベルだが結構楽しく、その気になった私は、レベルアップを目指して、千葉市スポーツ
振興財団の主催する実年入門卓球教室に応募した。
運良く当選した私は、1000円でラケットを購入した。ペンホルダー用である。
教室では、力を抜いてフォアのラリーが続けられるようになった。
欲が出てバックを打てるようになりたいと思い、今度は実年実践卓球教室に応募したところ、
またまた運良く当選した。
そこはレベルが高くて球にスピードがあり、ラケットにあたっても弾かれてしまうことが、しばしば
あった。コーチに話したところ、はずみの良いラケットに変えるように言われた。
それならばと、バックの打ちやすいシェークハンドのラケットをコーチに頼み込んで、8000円のものを2割引で購入した。
これで道具に問題はなくなり、スタイルもシェークハンドと今風になった。
しかし、実力差は歴然である。ゲームになると軽くいなされる。
でも教室では、バックで返せるようになり、またゲームができるよう色々なことを学ぶことが出来た。
いつか試合に出たいと思い、コーチに近所の卓球サークルの紹介をお願いしたところ、
早速コーチの知人のTコーチから電話があり、現在所属しているサークルMを紹介された。
これが昨年の4月のことである。
しかし意気込みとは裏腹で、その後サークルMに顔を出したのは僅かだった。
パートではあるが、就職したのが言い訳である。
今年に入り、週一度であるが再びサークルMに通い始めた。
月一回見えるTコーチからダブルスで試合に出ないかと誘いがあった。
ついに試合デビューの日がやって来た。5月9日(火)のことである。
会場は千葉市蘇我勤労市民プラザ。 あゆむ会卓球大会といい、参加者は中高年で総勢120名、車椅子の方もいた。
A、B、Cのクラスに別れ、さらにクラス毎に6組で1ブロックを構成する。
対戦は1ブロックの総当りなので、5回試合をすることになる。
私はBクラスのXブロックであった。ペアを組んだのはサークルMのTOZA女史。
第一試合はTOZA女史の小気味良いフォアの強打が決まり、勝ち。
第二試合はいつのまにか負け。
第三、第四試合は勝ち。ここまで3勝1敗。予想以上の好成績である。
最後の第五試合、相手は揃いのユニフォームを着た女性ペアー。
実践卓球教室で見たことがある。強敵だ!!
第一ゲーム 9ー11、第二ゲーム 11-8で挽回。勝てるかもと思ったが、最終ゲームは私の
サーブミスやTOZA女史の強打も決まらなくなり、4-11であっけなく敗れた。
後で分かったことだが、Xブロックは第五試合で私達に勝った女性ペアーが4勝1敗で優勝。
私達は3勝2敗で3位とのこと。惜しいことをしたと思った。
しかし、賞品にTSPのソックスをもらい得をした気分になった。
午後はコーチによる技術指導があった。
私はサーブに回転をかける方法と、フォアのスマッシュを教えてもらった。
Tコーチに言われたのと同じ欠点を指摘され、少しも進歩していないことに気付く。
同じく技術指導で、果敢にスマッシュを打ち込む車椅子の参加者を見て、
私もいつの日か、バックの強打を決める自分を夢見て、これからも卓球を楽しみたいと思った。