魚との対話 -61ページ目

フランス周遊 (1-2)

世界遺産紹介の続きです。


シャンボール城と領地

 ロワール川沿いには多くの城が見られました。最大の城がルネッサンス様式のシャンボール城。

 城内はレオナルド・ダ・ヴィンチが設計しただろうと言われている二重螺旋階段を登りながら見学しました。

 城館の建設者フランソワ一世は、ここで狩猟に熱中したといわれ、狩猟の館のおもかげも見られました。


 シャンボール城       アンボワーズ城

 シャンボール城                        アンボワーズ城・フランソワ二世時代に起きた

                                   新教徒大虐殺の舞台

モンサン・ミッシェルとその湾

 海の中の岩山にそびえ立つ修道院、ロマネスクとゴシック様式の混合。

 修道院に渡れる道路を造ったことにより、海の流れが変り、周囲は干潟になってしまいました。

 エリザベス女王が訪れ「海はどこへ」と言われたのをきっかけに道路をやめ、橋を架けるプロジェクトを

 立ち上げたといいます。いずれ海に浮かぶ幻想的な光景が復活することでしょう。


 モンサン・ミッシェル       海はどこへ

 モンサン・ミッシェル                      海はどこへ


ヴェルサイユ宮殿

 パリ郊外にあり、太陽王の異名を持つルイ14世の栄華を象徴する宮殿(バロック様式)。

 ぜいの限りを尽くした豪華絢爛な装飾には驚かされました。

 まばゆいばかりの部屋の連続で、壁に限らず天井にも絵画が見られ、それらを撮ろうと

 「イナバウワーになっちゃった」と言ったら、皆さんにどっと笑われました。


 ヴェルサイユ宮殿       鏡の回廊

 ヴェルサイユ宮殿正門                    鏡の回廊

                                   ここには豪華なシャンデリアが吊り下げられる。

セーヌ河岸

 バトーパリジャンでセーヌ川クルーズを楽しみました。

 セーヌ川は濁流ですが、橋めぐりや両岸のオフィス街、歴史的建造物を眺めながら、クルーズを

 楽しむことが出来ました。


 セーヌ川クルーズ       ノートルダム寺院

 セーヌ川クルーズ                       セーヌ川から望むノートルダム寺院

 

            

フランス周遊 (1-1)

3月4日~11日にかけて、阪急交通社のツアーでフランス新幹線TGVに乗車し、8つの世界遺産を巡る

旅「美しきフランス世界遺産紀行8日間」に行って来ました。


8つの世界遺産とはアルルのローマ遺跡、アヴィニヨン歴史地区、リヨン歴史地区、ブールジュ大聖堂、

シャンボール城と領地、モンサン・ミッシェルとその湾、ヴェルサイユ宮殿、パリ・セーヌ河岸で、記述した

順番で巡りました。

それでは写真で、それらを紹介します。


アルルのローマ遺跡

 アルルは古代ローマ遺跡とゴッホゆかりの地。旧市街地では古の町並みが、頑なに保存されている

 様子が見られました。


 円形闘技場       サントロフィーム教会

  円形闘技場                         サントロフィーム教会・ロマネスク様式 


アヴィニヨン歴史地区

 14世紀の約100年の間、法王庁が置かれた町。旧市街地では城壁に囲まれた中世の町並みが

 見られました。かつて法王の中にはワイン作りに熱心な人がいて、それがブランドワインとして宮殿内の

 お土産店で売っていました。 


 法王庁       法王お立ち台

  法王庁・教会と宮殿                    法王お立ち台(半円形の窓)


リヨン歴史地区

 フルヴィエールの丘にはノートルダム・ドゥ・フルヴィエール教会(ビサンチン様式)が建ち、赤い屋根が

 続く町並みを一望できます。


 リヨンの町並み       ベルクール広場

  リヨンの町並み                       ベルクール広場・ルイ14世騎馬像と

                                  ノートルダム・ドゥ・フルヴィエール教会

ブールジュ大聖堂

 フランス屈指のゴシック建築で、正式名はサンテティエンヌ寺院。

 美しいステンドグラスが見られました。


 ブールジュ大聖堂       外側から見たバラ窓

  ブールジュ大聖堂                     外側から見たバラ窓・内側はステンドグラス 


早春の息吹き

3月15日(水)、千葉市都市緑化植物園主催の野外観察講座「早春の野の花大椎町~昭和の森方面」に

参加。

篠崎講師のガイドで、千葉市緑区にある昭和の森周辺を歩き、澄み渡った青空の下で、早春の息吹きを

感じることが出来た。


JR土気駅よりバスで大椎町(おおじちょう)へ。ここから緑豊な田舎道を昭和の森に向かって歩く。

オオイヌノフグリ、セイヨウタンポポ、ヒメオドリコソウといった野草の後に淡紫色の可憐な花に出会う。

タチツボスミレといい、最もポピュラーなスミレだという。


樹木ではこの時期ならではのヤドリギに出くわし、さらにボランティアガイドがその実を見つけ、粘り気の

ある種子を見せてもらった。これが鳥に運ばれて宿主に着くのだという。

花木ではレンギョウ、キシミ、トサミズキ春らしい黄色~淡黄色の花を付けていた。


タチツボスミレ      水辺の郷公園

 タチツボスミレ                         水辺の郷公園


水辺の郷公園で昼食を取り、昭和の森に入る。

キブシに出会う、黄藤とも言われるという、そんな趣を持っている。

下夕田池(シモンタイケ)から自生カタクリ保全区域を通り、広々とした梅林に出る。

白や紅の梅でいっぱいだ。

まさか黄色の梅と思ったら、サンシュユだという。一名ハルコガネバナ、どんぴしゃりな名前だと思った。


花木園では今年初めてウグイスの鳴き声を聞き、春を告げる花々に出会う。

ウグイスカグラ(一名ウグイスノキ)、ミツマタが咲き、ハクモクレンは花芽がいっぱいだ。


サンシュユ      ハクモクレン

 サンシュユ                          ハクモクレン


紅梅      展望台

 紅梅                             展望台からの眺め


すっかり気分を良くして展望台に出る。

眼下に九十九里平野が広がる。千葉市で一番高い所で標高約100mだという。


しばし休憩後、市町村の木~太陽の広場を通って昭和の森を出た。

土気高校を経由してJR土気駅に向かう。

土気高校付近はあすみが丘東地区といい、大開発まっただ中。

その変容を話す篠崎先生の声には驚きと寂しさが混じっていた。



三番瀬~谷津干潟探鳥会

スポーツクラブ仲間で、Nさんを講師に船橋海浜公園前三番瀬から谷津干潟をめぐり、冬鳥を観察した。


三番瀬


空は快晴、果てしなく干潟が広がっている。遠くに浦安のマンション街が見える。

先ずは、Nさんより双眼鏡の取り扱いについて説明を受ける。


公園前の浜でユリカモメとセグロカモメを識別、その後見られたのはダイサギとシロチドリ。

種類が少ないので習志野側の堤防へ移動。

堤防内の海面でスズガモ、ヒドリガモ、カワウ、オオバンを識別。

しかし、ここの名物ミヤコドリは現れず、期待はずれに終わった。


谷津干潟


淡水池に隣接するレストランで、賑やかに昼食、池にはハシビロガモが見られた。


観察センター中央の窓越しに見えるのは、またしてもユリカモメ。

目のいいKさんは遠くにアオサギを見つける。

赤くて細長い脚のバレリーナのような鳥が現れた、セイタカシギとの事。

カモメとカモに見慣れた仲間達、皆見とれる。


レクチャールームで谷津干潟で見られる冬鳥について、スライドを交えて説明があるというので、皆移動。

しかし、食事後の暗がりでは夢の中。不心得者・・・!!


再び観察センター中央、様変わりしてコガモ、オナガガモが見られた。


ハイライトは船橋側の角に移ってやって来た。

手前のアシ原の中でメジロ、ウグイス、オオジュリンが、水を飲みに現れた。

アシ原の横ではツグミ、干潟ではセイタカシギ。これらがじっくり観察出来た。

「声はすれども姿は見えず」のウグイスにやっと逢えた。スマートだった。

さらに、アシ原に続く湿地でダイサギのエサ取りショーをじっくり見ることが出来た。

Hさんはダイサギの姿を見事に撮影されていた。


こんな状況で盛り上がったが、講師のNさんは「ハマシギ、シロチドリ、ダイゼンなど冬のシギ、チドリの

常連が見られず鳥が少ない・・・・・」と言われた。




花嫁街道ハイキング

所用で館山帰省の折、JR東日本主催の「駅からハイキング」の一つ、内房線和田浦駅からの       「花嫁街道ハイキング」に参加した。

当日(2月12日)は前日のポカポカ陽気から一転、下りの花婿コースでは時々雪が降るといった肌寒さ

だったが、久しぶりに早春の山歩きを満喫できた。


行程


 和田浦駅(9時30分)→花嫁街道入口→第一展望台→第二展望台→マテバシイ林→経文石→じがい水 

 →駒返し→見晴台(カヤ場・昼食)→第三展望台→烏場山(新日本百名山、海抜266m)→旧烏場展望台

 →見晴台→金比羅山→黒滝→はなその広場→抱湖園→花園地区お花畑→花の広場公園→

 和田浦駅(15時40分)


 はなその広場からは元朝桜(寒緋桜)とお花畑を見るために、正規のコースより遠回りして和田浦駅に 

 戻った。

 休憩の度に飲んだり食べたりしながら、ゆっくりと約6時間かけてコースをめぐった。


一口メモ

 花嫁街道 : かつて山間と海辺の集落を結ぶ生活道で、花嫁行列が通ったことから名付けられた。

 花婿コース : 創作のようだ。

 じがい水  : 自我井水と書き、山中のかくし田の水利、水源に使われたと言われている。


花嫁街道入口~はなその広場


  花嫁街道      花嫁街道

   経文石                              第三展望台 


  花嫁街道      花嫁街道

   雪の花婿コース                       黒滝


 最初の登りはきつかったが、身体が慣れてくるにしたがい、次々と変化する眺望を楽しむことが出来た。

 大ざっぱに言えば楕円形のコースで、山越の海・マテバシイ林・向かい側の山並み・深い山肌・山間の

 集落・神秘的な滝等が次々と現れ、十分山歩きを堪能出来た。

 しかし、旧烏場展望台では富士山を始めとする山々のパノラマを楽しめるとのことだが、この日はくもりで

 見ることは出来なかった。


はなその広場~抱湖園


  抱湖園      抱湖園

   抱湖園                             紅梅


 和田町は花卉栽培と捕鯨の町。

 抱湖園は花卉栽培の先駆者間宮七郎平が開墾した傾斜地で、例年なら元朝桜と呼ばれている

 寒緋桜が、一帯をピンクに染めるという。残念ながら1~2分咲きだった。

 しかし、抱湖園手前の山道で紅梅と蘇鉄の群生を見ることができ、感動した。


駅からハイキング


 当日は700名、前日は1300名の参加があったという。

 参加費は無料で時間にとらわれることなく、自分のペースで歩くことが出来る。

 コースには至る所に駅からハイキングの標識があり、またボランティアの方が立っていて道に迷うことは

 ない。 


 この日は和田町制50周年記念と銘打ち、町をあげての歓迎。

 駅を降りたら太鼓で出迎え。受付では記念タオル、アミノバリューのプレゼント。

 ハイキングコースではボランティアの方から声をかけられる。

 山歩きの終点、はなその広場ではイワシのつみれ汁と暖かい牛乳のサービス。

 ゴールの駅にたどり着いたら、菜の花をプレゼントされた。

 いたれりつくせり感謝、感謝のハイキングだった。



               

北八ヶ岳スノーシューハイク

立春寒波の日、スポーツクラブ仲間と北八ヶ岳スノーシューハイクのバスツアーに参加した。

-18℃のシラビソの林間をインストラクター先導のもと、スノーシュー(西洋かんじき)を履き、ストックで

バランスをとりながら約3km、3時間の雪原散歩を体験した。


スノーシュー      ロープウエイ山頂駅前

スノーシュー(西洋かんじき)                坪庭(ロープウエイ山頂駅前)


シラビソ      一休み

シラビソ(足慣らし)                      ハイクコース(一休み Nさん撮影)


ハイキングコース

ハイクコース(一休み)


新宿駅西口を7時50分に出発。バスは中央自動車道を諏訪ICに向かう。

まもなく、でっかい富士山が現れた。

今日、私の写真の先生は富士山の撮影会に行かれるという。

この快晴の天候なら、きっと素晴らしい写真が撮れるだろう。


甲府が近づくにつれ、南アルプス続いて八ヶ岳、鳳凰三山が現れた。

バスが進むにつれ、その雄姿はどんどん大きくなって行く。素晴らしい車窓の眺めだ。

三角形の甲斐駒ヶ岳も見えた。

ハイクコースは南アルプス、中央アルプス、北アルプスの大パノラマを堪能出来るという。

いやが上にも期待感で一杯になる。


ピラタス蓼科ロープウエイ山麓駅(標高1771m)に、11時に到着。

ここで、スノーシューが手渡され、インストラクターより履き方を教わる。

ロープウエイに乗ること7分。残念ながら天候はくもり。大パノラマは夢と消えた。

山頂駅(標高2237m)に到着。まばゆいばかりの雪景色だ。

周辺は坪庭といい、探勝路があり、夏には高山植物が咲き乱れるという。絶好の撮影スポットのようだ。


付近のパノラマコースで足慣らし。雪を踏むとキュッキュッと鳴る。

時々頬がピリピリする。これが-18℃のの世界か!!

折り返し点で目に入った光景は、縞枯れ現象だという。謎めいた話だ。

 縞枯れ現象とは

 標高2000m~2450mにかけて「シラビソ」や「オオシラビソ」といった樹木が100年程を周期として

 帯状に枯れていく現象で、年々その場所を1~1.7mの速度で移動させています。


再び山頂駅に戻り、ハイクコースの出発点である登山道の標識のある場所に立った時、時計は12時を

指していた。ここから山麓駅までの標高差466mの登山道を下ることになる。

インストラクター先導のもと、一列になってシラビソの林間を歩く。

平坦な道ではスノーシューの爪で雪を引っかくと速く歩ける。

前の人が踏みしめた道は比較的楽だが、インストラクターは脇の新雪の中も歩くよう勧める。

私も試したが、ザクッザクッ・・・・・とても楽しい!!

調子に乗ったら、ズボズボー、アレー足が抜けない。おまけにスノーシューもはずれてしまった。

ハイク一行、しばしストップ。そんな訳で脇道に突っ込む時は、皆さん挑戦と言うようになった。


ピラタスの丘付近で、八ヶ岳、鳳凰三山の山岳パノラマを堪能することが出来た。

背後には蓼科山が、かすんで見えた。

スキーをすることのない中高年には、手軽に雪景色を楽しめるスノーシューハイクは、これから人気の

出る遊びのように思えた。

「下り道では爪を引っかかないでスノーシューをやや上向きにして進むとうまい具合だ」等と言いながら、

スノーシューハイクに慣れたと思ったら山麓駅だった。時刻は14時40分。

かくして約3km、3時間の雪原散歩初体験は無事終了した。


ツアーの最後は白樺湖温泉に寄り、池の平ホテルでハーブ風呂に入り、身体をポッカポッカにして、

帰路のバスに乗った。


山陰・山陽の旅 (3)

三日目  山口県~広島県


山口県


  萩・千春楽


     萩千春楽      萩千春楽

       長寿陶芸風呂                       温泉露天風呂


  二日目の宿は萩・千春楽。いたる所に陶芸作品が置かれていた。

  お風呂でも、お湯に浸かって萩焼の名品を鑑賞できる。床も陶板敷といった徹底ぶり。

  朝一番で萩焼窯元城山を訪れたが、肌色が特徴とか。


  萩武家屋敷


     萩武家屋敷      萩武家屋敷

       江戸屋横丁                         菊屋横丁


  江戸時代の面影を残す城下町で、しっとりした趣があった。


  秋吉台・秋芳洞


     秋吉台      秋芳洞

       秋吉台                            黄金柱


     秋芳洞      秋芳洞

       秋芳洞出口(内側)                    秋芳洞出口(外側)


  秋吉台は石灰岩の大草原で、日本最大のカルスト台地。

  カルストとは旧ユーゴスラビアの有名な石灰岩地の地方名とのことだが、バスガイドによれば

  ヒツジの背という意味もあるようだ。


  秋芳洞は秋吉台の地下に開口する東洋一の大鍾乳洞。

  温度は17℃で一定とか。鍾乳石と石筍がつながったものが石柱。

  最大の石柱である黄金柱(こがねばしら)には驚かされる。


  岩国 錦帯橋


     錦帯橋

       錦帯橋


  山口県最大の錦川にかかる五連のアーチが美しい木造橋。

  遠くに岩国城が見える。河原の桜並木が花開いたら、絵葉書にどんぴしゃりだろう。


広島県


  宮島・厳島神社


     厳島神社      厳島神社

       大鳥居                            厳島神社


     厳島神社      厳島神社

       本社(本殿)                         高舞台


  松島、天の橋立とならぶ日本三景のひとつで、世界文化遺産。

  平清盛の創造によって今日の基礎ができたと伝えられる。

  高舞台では10万円寄付すれば、踊りと演奏の舞台を催すことができるそうだ。

  フェリー乗り場に戻る道すがら、大鳥居のライトアップを見ることが出来た。幻想的だった。


広島発羽田行きの最終便は、羽田空港雪のため20分位遅れたであろうか。

しかし、羽田に着いたら雪はやんでいた。

高速バスで自宅近くの駅に着いたら0時近かった。一面雪景色。

ケヤキの枝につもった雪がきらきら光り、きれいだなあと思った。

神社で5円玉を投げまくり、拝みまくったお陰か ?  おわり。



  

     


山陰・山陽の旅 (2)

二日目  岡山県~鳥取県~島根県


岡山県


  湯原温泉の朝は白一色だった。旅館の前には川が流れていた。

  この冬、初めての雪景色に心がはずんだ。


  山あいの米子自動車道は水墨画を見ているようだ。

  しばらくして、雄大な雪山が現れた。それは蒜山だという。「ひるぜん」と読むそうだ。


鳥取県


  富士山に似ている雪山が現れた。山陰の雄、大山(だいせん)と教えられた。

  我孫子から来られた山仲間は、大山に登った時、その周辺も見たくなり、今回参加したと言った。

  いろんな人がいるものだ。


島根県


  足立美術館


     足立美術館      足立美術館

      枯山水庭(生の額絵)                    白砂青松庭(生の掛軸)


  横山大観の名画と美しい庭園で知られ、庭園は米国の日本庭園専門誌により、3年連続日本一に

  選出されたという。

  主庭の枯山水庭の美しさに圧倒される。

  生の額絵や生の掛軸に驚かされる。

    生の額絵  :  館内の窓が額縁になって、庭園が絵のように見える。

    生の掛軸  :  床の間の壁をくりぬいて、庭園が山水画の掛軸のように見える。


  出雲大社


     出雲大社      出雲大社

       拝殿                             御本殿


     出雲大社      出雲大社

       神楽殿                            宮司邸


  大国主命を祭神とする日本最古の神社で、大しめ縄で知られる縁結びの神様。

  特大のしめ縄があるのは神楽殿で、御本殿にはしめ縄はなく、一般の人は入れないことが分った。

  

  地元ガイドは「いずもおおやしろ」と言い、格式の高さを強調していた。

  そのためか、参拝方法も通常二拍手のところ、二礼四拍手一礼との指示あり。

  バスガイドの話は、なるほどと思った。

  「拍手して手を合わせた時、左手(神様)は上、右手(自分)は下になるように。

  お願いする前に、先ず感謝の気持を述べるように。」 


  津和野


     津和野殿町      津和野殿町

       鯉の泳ぐ殿町                        津和野町役場


  四方を山に囲まれた町で、山陰の小京都と呼ばれる。

  史跡と鯉と和紙の町。また、森鴎外の故郷でもある。

  

  昔の門構えとなまこ塀の家が並ぶ殿町を散策した。道沿いの掘割には巨大な鯉が群れていた。

  地元ガイドの説明に、皆爆笑。

  「人口が減っており、今に鯉の方が多くなるのじゃないかと心配だ。町役場の建物は変っていますが、

  中で働いている人は普通です。」

  ハナショウブが咲く頃は、風情が増すことだろう。 

山陰・山陽の旅 (1)

大寒をはさんだ3日間、「山陰・山陽をワイドにぐるっとひと周り」、中国5県をめぐるツアーに参加した。


初めて訪れた地で、予報がはずれ雨に降られることなく、自然・町並み・史跡・世界遺産・美術工芸・温泉と

盛り沢山体感することが出来、大変良い思い出となった。


一日目  岡山県


岡山県


  吉備路風土記の丘


     備中国分寺 五重塔      備中国分寺 五重塔

      備中国分寺 五重塔                    十二支の彫刻

  

  五重塔初層には十二支が彫られており、自分の干支の前で手を合わせて祈ると良いとの事。


  倉敷美観地区


     倉敷美観地区      倉敷美観地区

      今橋より                            民芸館


  倉敷川周辺の白壁の蔵と昔ながらの町家が織りなす町並みは風情たっぷり。

  大原美術館・倉敷民芸館・日本郷土玩具館・考古館など文化スポットが点在している。

  川沿いの柳並木が芽吹く頃は、一段と素晴らしいだろう。


  岡山後楽園・岡山城


     岡山 後楽園      岡山 後楽園

      園内より岡山城を望む                   流店


  水戸の偕楽園、金沢の兼六園とならぶ日本三名園のひとつで、江戸時代を代表する大名庭園の

  ひとつ。

  私の目を引いた流店(りゅうてん)は、藩主が庭廻りの時に休憩所として使われたという。

  ハナショウブが咲く頃は、さぞかし骨休めが出来たことだろう。 






さざれ石

今朝の産経新聞に平和と繁栄願う象徴というタイトルと共に、京都市上京区の護王神社のさざれ石の

写真が載っていた。

ふっと昨年の六月に鎌倉を訪れた時、鶴岡八幡宮境内で見たさざれ石を思い出した。

無論、君が代にも思いをめぐらせたものだ。


          さざれ石

           鶴岡八幡宮境内のさざれ石


記事は興味深いので書き留めておこう。


  わがきみは千代にましませ さざれいしの巌となりて苔のむすまで

                    よみ人しらず(古今和歌集三四三)


  『あなたは、千年も万年もおすこやかに長生をお保ちください。

   細かい石が大きな岩となって、苔が生えるさきざきまでも』 (新潮日本古典集成)


  わが君 → 君が代 → 天皇自身を指す

  千代にましませ → 千代に八千代に


上記のように変わっていったが、次に示す解説で一件落着だろう。

国歌を歌わない、国旗を掲げない教育現場の行き過ぎは終わりにすべきだ。


京都産業大 小林一彦教授

  わが君のわがは親しみをこめて添えた語句。君は天皇を指すのではなく、

  本心から敬う人物を対象に広い意味で使われる。

  親しい相手の長寿を願うこの祝い歌は、古い民謡の面影を伝えて思いやりにあふれている。

護王神社の文室隆紀宮司

  国民が末永く平和で繁栄を願う精神を表している。