鳥巣清典の時事コラム08 「通貨危機の原因には定説がない!?」
前回、「つまりは、通貨調整なんですよ。
ドル体制がおわるということなんですね」
という、渡辺喜美「みんなの党」代表の“予言”をご紹介しました。
この機会に「通貨調整」「通貨危機」などについて調べていると、『日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所』の調査報告に、興味深い記述が見つかりました。
実は、「通貨危機がどういう理由で起こるのか」については、“定説”がないという事実です。
「お金」の世界も、グローバル化で複雑化しています。
この調査報告は、定説がないということを書いているだけに、逆に世界が抱えている課題が透けて見えてきます。
以下に、要点をまとめてみました。
(とはいっても、やや長文になりますので、前編と後編に分けてみます)
《前編》
(1)「通貨危機とは、なんらかの理由で通貨の価値が下落し、それが経済活動に悪影響を与える現象を指します。
(2)通貨の価値が下落するのは、外国との経済取引において自国の支払が超過する場合です。
外国との経済取引は、モノの取引(経常収支)とカネの取引(資本収支)に大別できます。
近年の通貨危機のほとんどは、カネの取引の激変によって通貨価値の下落を余儀なくされるという特徴を持っています。
(3)通貨危機の原因を探るためには、こうしたカネの取引の変化の理由をうまく説明する必要があります。
1980年代には、「定説」とも言える理論があって、通貨危機の説明は、この定説を中心にして展開していました。
(4)ところが、1990年代に入って、この定説では十分に説明しきれないような通貨危機が多発するようになりました。
とりわけ1997年-98年にかけて勃発したアジア通貨危機は、通貨危機を説明する理論の展開にも大きな刺激を与えました。
それ以後、まさに百花繚乱とでもいうほど、多くの異なる仮説、理論が提示されています。
多様な理論が出されることは、研究の一段階として必要なことですが、一定のコンセンサス(合意)が形成されつつあるとはとても言えない状況なのは問題です。
(5)「通貨危機の原因を説明する諸説」を大きく3つのカテゴリーに分類すると、
1・為替投機(スペキュラティブアタック)の理論
2・伝染の理論
3・群集行動(ハードビヘイビャー)の理論
の3つに分けられます。
(6)「為替投機」の理論は為替市場における投機がなぜ発生するのかを説明しようとするものです。
それによると、政府の政策が長期的な為替価値の維持という目標と矛盾しているときには、将来の政策の破綻を予想した投資家が、より早い時点で為替投機を開始し、その結果、通貨危機が起こるとされます。
この理論は、長きにわたって「定説」として支持されました。
そのため、第一世代モデルと呼ばれますが、様々な改良や修正を加味した発展型のモデルがあります。
第二世代モデルと呼ばれる一群の理論です。
第一世代モデルでは、政府の政策は通貨危機の前後を通して変化しないと仮定されているのに対して、このモデルでは政府の政策は為替投機を受けた場合とそうでない場合では異なると想定している点が大きな違いです。
このモデルでは複数均衡の可能性を指摘した点が画期的です。
通貨危機は「良い均衡」から「悪い均衡」へのジャンプとして説明されます。
しかも、どの均衡が実現するかは、人々が将来をどのように予想するかによって異なると説明されました(自己実現的)。
つまり、人々が悲観的だと悪い均衡が、楽観的だと良い均衡が実現するとされました。
このモデルは、国際金融市場の不安定な側面を示唆していると言えるでしょう。
(7)ところが、アジア通貨危機など90年代後半以降の通貨危機では、第二世代モデルの説明でも十分ではないと見なされるようになりました。
その筆頭としてあげられるのが、バランスシートモデルと呼ばれる一群の理論です。
これらは、
①企業または銀行部門の外貨建て債務の存在に注目している、
②通貨価値の下落はバランスシートを悪化させ、逆に、バランスシートの悪化は通貨価値を下落させるという双方向の関係があると想定している、
③その結果、第二世代モデルと同様に複数均衡の可能性を指摘している、
という共通点を持っています。ただし、バランスシートの悪化がなぜ通貨価値を下落させるかという説明に関しては、銀行危機、クレジットクランチ、預金保険の履行による過剰流動性、など、さまざまな仮説に分かれます。
●用語解説≪クレジットクランチ≫
金融機関の自己資本比率が低下して貸し出しを抑制することにより、金融市場に資金が十分に供給されなくなる状態。不良債権処理に伴うことなどが引き金になる。 別名、「信用収縮」。 国民1人当たりGDPは、07年に世界19位だったが、10年に27位まで後退している。 |
●用語解説≪預金保険≫
銀行・金融公庫・信用金庫・保険会社・証券会社などの金融機関が集まって一つの保険機構をつくり保険料を積み立てておき、加盟金融機関の経営が破綻して預金の払い戻しができなくなったときに、その金融機関に代わって預金者に一定の限度内で支払いを行う保険制度。 |
●用語解説≪過剰流動性≫
現金・預金などの流動性資産が、企業の通常の経営に必要な額以上になっている状態。 |
《後編》
(8)「伝染の理論」は、90年代以降の通貨危機において見られる一つの大きな特徴は、一国で発生した通貨危機が別の途上国へと「伝染(コンテイジョン)」することが多かったという事実です。
この点を、為替投機の第一世代モデルは説明することが困難です。
また、第二世代以降のモデルで複数均衡の可能性を持つものは、それと関連づけて伝染を説明しようとしています。
伝統的な経済学の枠組みの中でも、「伝染」を説明できるとする立場からは、貿易リンクや共通のマクロ経済ショックの存在による説明や、競争的切り下げ(コンペティティブデバリュエーション)の仮説が提示されました。
しかし、これらの説明は、近年の通貨危機における伝染の説明としては適切ではないとする批判が、実証研究の分野から出されています。
これらに代わって、「伝染の理論」の主流と見なされるようになったのは、「共通の貸し手」の存在に注目する諸説です。
これは、主要な先進国の投資家や銀行が、世界中の新興市場諸国に対して分散投資を行うことにより、「共通の貸し手」となっている現実を背景にしています。
そして、これら共通の貸し手の何らかの「問題行動」が通貨危機の伝染を引き起こしていると考える点を共通の特徴としています。
さらに、「問題行動」の原因として、貸し手が何らかの特別な制約(流動性の制約など)に直面していることを重視します。
例えば、ある一カ国の通貨危機は、共通の貸し手に損失を与えるが、その結果、貸し手は全く関係ない別の国への貸付も絞らざるを得なくなる、というのが「共通の貸し手」による説明の一例です。
(9)「群集行動の理論」は、それ自身としては通貨危機を説明するために発展してきた理論ではありませんが、通貨危機のメカニズムの説明として援用できると期待されているのが、「群集行動」についての一連の研究です(その一部は、「伝染」の説明にも援用が可能とされています)。これらはさらに、
(1)投資家心理やノイズトレーダーの存在といった一種の非合理性を前提とするもの
(2)銀行や投資ファンド内部のエイジェンシー問題(投資担当のマネージャーが、運用成績そのものではなく自身の評価を気にして行動する)に注目するもの
(3)インフォメーションカスケードの理論(先行する他者の行動から自分の得ていない情報を推察して行動するときに起こる群集行動の理論)などに分類されます。
群集行動の理論が通貨危機の説明という文脈で注目されるようになったのは、第一に、為替投機の第二世代モデルとの関連です。
第二世代モデルでは、人々の将来予想の違いによって均衡が左右されるという自己実現的複数均衡が特徴的ですが、実のところ人々の将来予想そのものの形成メカニズムはブラックボックスとして扱われています。
群集行動の理論は、この人々の予想形成のメカニズムとして援用できないかと考えられました。
第二に、群集行動の理論は伝染の理論とも関連があります。
とくに、「共通の貸し手」仮説では、貸し手の問題行動をどのように説明するかが重要ですが、この部分に群集行動の理論を援用することは可能でしょう。
このように、群集行動の理論自身は直接的に通貨危機を説明しようとするものではありませんが、通貨危機の理論と高い親和性を持った理論群だと言えます。
(10)また、アジア通貨危機に際しての、IMF(国際通貨基金)の対応のまずさも多くの議論を呼びました。
まず問題になったのは、IMFが資金支援を行う条件として提示するコンディショナリティ(融資条件)の内容が適切であったかどうかということです。
しかし危機の原因についてさえ定説が定まらない状況を反映して、望ましい政策が何であったのかについても十分なコンセンサスが形成されているとは言えません。
さらに、危機が発生した際に一部の債権者(特に民間の債権者)だけが抜け駆け的に行動するのを防ぐべきだという議論も起こりました。
そのために、秩序だった対応手順を、あらかじめ国際的に取り決めておくべきだという提案(新国際金融アーキテクチャー)がなされました。
というのも、原因はともあれ民間の貸し手が我先に資金を引き揚げることにより通貨危機の規模や経済への悪影響がより大きくなったという事実があるからです。
しかし、どのような取り決めが望ましいかという事に合意ができないまま、2000年代に入って全般的に通貨危機の勃発がおさまりを見せると同時に、新国際金融アーキテクチャーの具体化を目指す機運は急速に失われてしまいました。
如何でしたか?
時には、難しそうな理論に触れておくのもオツというものではないでしょうか。
なにしろ、「定説」はないのですから。
あなたは、最先端の理論の諸説を知ったことになるのです。
私が上記の報告の中で強く引きつけられたのは、「群集行動の理論」というあたりでした。
「国民みんなが、“財政破綻する”と思った時には、間違いなく日本は破綻する」
という話は、嘉悦大学の髙橋教授(拙著「絶対に受けたい授業『国家財政破綻』」の第4章)なども言っていたことです。
要は、「国債」=「政府への信頼」が、「政府への不信」=「国債への不信」になった場合は、「国債を売る」→「国債の暴落」につながるという理屈です。
さらに「日本国民」だけではなくて、「外国人投資家」がプラスされ、場合によっては投機的な影響が大きくなるのが、現在のグローバル債券市場の世界。
現代ではいかに「政府」が、国民や投資家からの信頼を受けるような政策を行なっていくかが重要、ということになります。
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