こんにちは、日昔智子です。
いつもありがとうございます。
学校に行っている子と、
学校に行っていない不登校の子、
学校に行っている子の方が、すごいでしょうか?
頑張っているのでしょうか?
優れているのでしょうか?
そんなことないですよね…?
学校に行っている、行っていない、
で子どもの優劣なんて決められないですよね…
学校に行っていても、授業も聞かずに、ただ座っているだけの子もいますし、
本当は学校に行きたくないけど、我慢して頑張って、無理して行っている子もいます。
子どもが不登校になると、我が子が弱いような、甘えているような、
怠けているようで、ダメだと感じるかもしれませんが、
不登校の子どもは、弱くもないし、甘えてないし、怠けている訳じゃありません。
我慢して頑張り続けた結果、
どうしても合わない、
居場所がなかった、
必要だと思う学びがなかった、
そんな場合がほとんどです。
学校が楽しくて、好きだから行く子は、学校が合っているんだろうけど、合わない子もいます。
劣ってるんじゃなくて、合わないだけです。
それに今の時代、生きていくために学校の教育って必要なのかな?
学校の勉強や友達との関わり、先生などの大人との関わり、
それも大切ですが、
生活していくための、ご飯作りや掃除、お金の使い方など、
学校以外で勉強になることもたくさんあります。
学校でする勉強は、家でも出来ますしね…
学校の教育も大切かもしれませんが、学校が合わないなら、学校以外でも学べることを探して学ぶのも良いですよね。
それに、学校の教育、勉強とか、同世代との関わりとか、行事とかよりも、
これから生きていく上で大切なことって、他にもたくさんあると思います。
「自分の気持ちを大切にする力」
「自分の意見を言えること」
「好奇心のままに行動できる心」
「楽しむ力」
「優しさ」
「人を頼れること」
「逃げること」
などです。
学校教育では、
「みんなに合わせる力」
「自分よりも他人を大切にする力」
「規律を守る力」
「継続は力なり」
「我慢すること」
「連帯責任」
「忍耐」
「競争」
「優劣」
「評価」
などがあります。
でも、学校教育なんて、6年、3年、3年、大学入れても長くて16年前後ですよね。
その後の人生の方が、もっと長い。
学校教育の後、
その後の人生を、いかに自分の心を大切に楽しめるか、自分らしく在れるか、
の方が大切じゃないでしょうか?
子どもが不登校になったら人生終わり、
なんかじゃなくて、
家で過ごす子どものそのままを受け入れて、
子どものやりたいこと、
興味のあること、
好きなこと、
夢中になれることを、
どんどんさせてあげたら、
子どもはその中から自分に合った必要な知識や勉強を、どんどん身につけていきます。
学校教育みたいに、将来のために幅広く学んで、
何のために勉強するのだろう?
なんて疑問はありません。
これからの自分に必要だから、
と自ら学びはじめます。
だから、学校だけが全てじゃない。
学校に行かなくても、
生きていくために必要な大切なことは、
家でも学べます。
学校に行か(け)ないなら、
家で、その子のペースで、
成長していけばいい。
私達の時代(昭和)みたいに、学校でしか学べないとか、今(令和)はそんな時代じゃありません。
私はひそかに、
これからの日本のリーダー的な存在になるのは、
不登校になるような子どもたちなんじゃないか…
なんて思ったりもします。
だって、
学校に「行かない」
学校教育に「NO!」
を意思表示できる子どもたちですよ…
それくらい、
不登校になる子どもの感性や繊細さや優しさ、
人と違う道をすすむ力は、すごいと思っています。
競争社会で人より偉くなろうとしたり、
自分を押し殺して、
人の顔色を見て生きぬく力より、
素敵な力だと思いませんか?
不登校を選んだ我が子の力を信頼して、
どうか、どんな道を歩むのか、
将来を楽しみにして下さいね。
今不登校であっても、
必ず自分で自分の道を、進むようになります。
大丈夫です。
動けなかった分、とても活動的に動きだしたりしますから、その時を楽しみにしていて下さいね^_^