陰陽統合・虹色循環スピリチュアル

陰陽統合・虹色循環スピリチュアル

実践を通し、既存の考え方に私自身の気づきをMIXし、
新しい価値を創造・共有し、循環していきます。

全ての大いなる自己とそれに関わる全ての方の幸せを求めます。

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Amebaでブログを始めよう!

かなり時間が空いてしまいましたが、少しずつブログを復帰しようかと考えています。

前回の記事に書いた内容を踏まえ、自分が求めるスピリチュアルとは何だろうかと色々と考えるようになりました。

今までの自分は、高次元存在に言われた通りにすることが魂の使命の”善行”であり、それが自分自身の幸せに繋がるはずだ。
という意識で、”大人がして欲しいことをする良い子”を演じているのと似た状況であったようにも感じます。

※良い子ではないですけどね。

でも、使命どころか自分の魂ですらいつかは消えて無くなってしまうものだし、自分が所属する魂グループですらも全て消えてしまう流れにあるという答えに前回結びついたわけでして。


魂として永遠の幸せを得るために苦行を含めた善行を積み重ねるというような打算的な考えを自分自身がスピリチュアルに対して持っていて、心の奥底ではそれを求めていた部分があったんだろうな、と考えたわけでして。だからこそ、いずれは全てが消えてしまうという私が導き出した答えに対し、絶望のような失望のような喪失感を感じたんだと思います。


そんな中、私の第一子が産まれ、子育てに追われつつもスピリチュアルに対しては、現実の多忙さに埋もれるふりをしつつ考えないようにしていた部分もありつつも、”この子はどんな目的があって私の元に来たんだろうか。”とふとスピ的に考えたり、朝晩の祈りや要所要所の神社参り・墓参りはなんとか継続させていました。

 



現時点では、現実離れしたスピリチュアル実践に傾倒するのではなく、自己の見える範囲の現実世界を見つめ、現実可能な自己の望みを積み重ねることが、今の自分にとって大切であり今を生きる自分の幸せが最も重要であるという認識で、それらを継続していこうと考えています。

 

(2021.10.29)

・人は、魂をもつ他の生命を奪わなければ生きていけない。
ネガやカルマの多くは、そこ由来で蓄積し、発生し続けている。

・食べなければ、飲まなくては死んでしまう、適切な環境に住まなければ死んでしまう。綺麗な水があり、食べ物があり、住みやすい環境は限られている。そこには奪い合いが発生する。歴史は人同士の略奪と、強きものの征服によって成り立っている。

そういう仕組の中で、「博愛」という使命は成り立つのか。
それについて、高次元の指令通り、深く・広く記事の回をわけて考えていくことにします。
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さて、前回までは家畜の魂と植物・精霊の魂の仕組について受信し、高次元とやり取りを行いました。

その中で更に生まれてきた疑問を高次元存在(以下、ガイド)とQ&A形式でやり取りをし、それを記事にすることにしました。


Q(私):前回植物の魂を記事にしましたが、家畜(動物)も植物もより大きな高次元存在の意識体の分霊として、食べられては魂を回収され、また新たな命の魂となるということを繰り返しているのですね。

A(ガイド):そうだ。あなたの体内の細胞が死に、また新しく再生されて存在するのと似ている。


Q(私):そもそも、どうして地球上で弱肉強食のシステムを構築したのですか?

A(ガイド):まずは、弱肉強食のシステムは継続的な循環が成り立つ、普遍的で効率の良いシステムだということだ。

宇宙自体の仕組みとして、あなたが既に理解しているように、回転と収束・拡散の振り子運動のような循環で成り立っている。
破壊と再生はセットであり、生まれるということは死ぬことでもある。新たな存在ができるということは、古き存在が消えるということでもある。
人のみならず、全ての生物、そして地球・太陽系・銀河系・宇宙。すべてにその法則が成り立つ。全ては存在しているが、消えることも約束されている。かりそめの存在なのだ。
平面的な視点に立ち、捕食者・被食者という関係性のみに目を向ければ、残酷なシステムだと思うのかもしれない。
だが、既にあなたはより大きな存在の一部としてそれぞれの生命が存在しているし、大いなる目的(使命)を果たすために沢山の内外の協力者の意思のもとに存在することを理解している。

一方、弱肉強食とは違う形の循環のシステムとして、あなたが現在理解できるのは、プレアデスの魂群などだろう。
(一つの大きな魂群が、巨大な円筒型コロニーの中で、寄り集まりながら左右に振り子運動のように移動し、融合・分離を続ける。)

ただ、物理次元で強い”個”の意識をもちつつ生きていく方法としては、やはり弱肉強食のシステムが効率がよく歪みも起きにくく自然な状態である。あなたの理解できる範囲では、そのシステム以外は成り立たないと考えてもいいくらいだ。



Q(私):弱肉強食のシステムを構築してでも、個としての生命を全うし、果たすべき”使命”とはそもそも何なのか。

A(ガイド):それも、大元の考え方としては、宇宙の法則に沿うもので、あなたが所属する魂群が存在し続けるためにしなくてはならない”拡散・収束の振り子運動サイクルに必要な要素”とでも言えば分かり易いかな。


Q(私):私が所属する魂群がどれだけ巨大で、天文学的な年月存在するとは言え、宇宙の法則に沿い、収束のサイクルへと向かっていくのであれば、結局は消滅するための使命を全うしているということではないのですか?

A(ガイド):言い方はどうであれ、間違ってはいない。ただ、新しい魂群の礎(いしずえ)となるという側面もある。


Q(私):すべてのものが存在し、そして存在していないようなもの。私という存在は一種の幻だし、その自我も限定的なもの。私という人格も暫くはアカシックレコードという記録媒体に保管をされるのだろうけど、それも限定的なものなんでしょう?

人という物理次元存在の人格の多くは、脳の神経細胞で”個”として生成されたものでもあるし、それをアカシックに記録しているだけで、オリジナルは脳(死と共に分解されてしまう)にあるんでしょう?

だって、アカシックレコードは私が所属する広域の魂群が作り出した、効率的に人を含む生命体の人格・経験・記録を保管し、必要な魂群の使命を整理し、必要な環境・状況を新しい魂に体験させて、魂群の使命に必要な経験を蓄積していくためのものなんだから。

必要なエッセンスが得られなかった人格・記憶・記録は消されていったり、一部を切り取られ他は捨てられたりするんでしょう?


A(ガイド):それも間違いではない。


Q(私):私・そして私たちという存在が消え去るために果たしていく”使命”には何の意味があるんだろうか。

苦しみ考えそしてやっとの思いで果たした”使命”もいずれは幻として消え去ってしまう・・・。


A(ガイド):それは、あなたにとって必要な課題である。ヒントは”存在する”ことへの喜びだ。


自分自身で考えなくてはならない。ただ、自分のみで考えるのは心元ない・・・。

ですので、かつて”ハイヤーとの同一化”という手法を記事にしたことがありますが、それを使い、”わたしとハイヤーセルフの思考の融合体”でこの問題を考えてみることにしました。


【ハイヤーとの同一化の具体的な手法】
自分のエネルギーを高次元寄りに高め、自分自身の魂の存在の幹を源流に向かって辿るイメージをし、光輝いている源泉となる存在(ハイアーセルフ)にアクセスした状態を保つ。
シータヒーリングの”創造主へのアクセス”と似た手法ではありますが、今回の手法では、半物理・半霊体上位存在が混在したようなより”自分”寄りの位置ではありますが。



【私たちの”使命”の意味(ハイヤーと私の融合体が出す見解)】
物理的に独立した自我をもち、”わたし”として存在することに大きな喜びを感じる。

この手・目・鼻・耳・口の生々しい感覚・体験、それらにより引き起こされる感情、全てが愛おしい。

生きていく上で辛い経験もあるが、代えようがない喜びの体験もある。

使命を果たすことの意味よりも、”わたし”が存在すること・”わたし”が喜びを体験することに光を感じる。

所属する魂群が存在を続けるために、振り子運動の原理となる使命の欠片を集めるという”使命”を負う代わりに、”わたし”という自我をもつ存在としてリアルな体験ができる。その喜びを感じるために私は生きている。

例え消えてしまうとしても、今私は生きているし、生きたという事実は消えない。


(2021.4.26)

・人は、魂をもつ他の生命を奪わなければ生きていけない。
ネガやカルマの多くは、そこ由来で蓄積し、発生し続けている。

・食べなければ、飲まなくては死んでしまう、適切な環境に住まなければ死んでしまう。綺麗な水があり、食べ物があり、住みやすい環境は限られている。そこには奪い合いが発生する。歴史は人同士の略奪と、強きものの征服によって成り立っている。


そういう仕組の中で、「博愛」という使命は成り立つのか。
それについて、高次元の指令通り、深く・広く記事の回をわけて考えていくことにします。
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さて、前回までの記事で、牛の魂は陰の高次元存在の分霊が出来ては取り込まれて消えて、という循環する仕組により成り立っていると受信し、そのあたりについて高次元存在(以下よりガイドと記載)と対話を行いました。

第3回目は、植物の魂の仕組みはどうなっているのか?その辺りを探っていきます。


私:植物の魂とその輪廻の仕組みはどのようになっているのですか?

ガイド:あなたは既にそれに関する情報は得られているし、理解しているはずだ。その内容を記事にすればよい。


なるほど・・・。すでに得られているのですね。過去のブログで記載した内容を漁り、私なりの見解を以下に書いていきます。


植物のハイヤーセルフらしきものとアクセスしたときの記事

柿田川湧水公園(静岡県駿東郡清水町)
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12248356952.html


【植物の魂の仕組み(トウヤの見解)】

まず、植物の魂は”個”としての意識は低く、”全体の中の個”という意識を常に持ち続けて生きているようです。
常に全体と繋がり続けているといいますか。

植物のハイアーセルフとして受信したもの2つのイメージ







ハイアーセルフからは大量の枝のような髪の毛のようなものが広がっていて、それらの末端がそれぞれ個の意識をもった精霊の魂のような存在で、木々や草花の意識にもそれらの魂が配置されています。


それぞれの草花は”個”という存在でありつつも、ハイアーセルフの手足であることを認識している状態で、逆に言えばハイアーセルフが意識の主導権を握っているような状態であるとも言えます。

個であったり全体であったり、ちょうどプレアデスの魂群たちとして受信をした内容に近い生態を繰り返しているようです。

ですから、自分の体が食べられ、植物としての意識が一時的に失われても、ハイヤーセルフの魂として再吸収・統合され、新たな魂の末端になることを理解しているし、それに対して人間のようにネガティブな想念を持つことは少ないようです。


実際は、人の魂は上の植物のハイヤーセルフと同じ状態であり、より上位の存在の魂群から糸が垂れるように存在していて繋がっているのですが、物理次元の動物としての個が強い仕組みの中で生きているため、それに気づきにくい環境にあるようです。

人の場合は瞑想などで、波動・波長を変えることでガイドやハイアーセルフとの繋がりを取り戻すことで、それに気づくことができるようです。


植物がどういう感覚で生きているのか、縄文の手法もしくは、シータヒーリングの手法では、植物のハイヤーセルフにアクセスし、その意識と同一化する許可をもらい、瞑想で同一化することで理解することができます。


その中に入ってみると、自他の境界がない清涼な瑞々しい波動の中で、時間・空間の境目すらもなく、ただゆったりと漂っている感覚を味わえます。

その意識の中で、今回のテーマである”弱肉強食”に対する意識を感じてみると、植物の意識体としては、”奪い奪われる捕食”という感覚ではなく、”循環”であるという感覚のようです。

自分の体を食べられることにについても”循環”として捉えることができるのは凄いですね。その俯瞰で捉える感覚が今後の”博愛”に関する意識の中で必要なのかもしれません。

(2021.04.19)

・人は、魂をもつ他の生命を奪わなければ生きていけない。
ネガやカルマの多くは、そこ由来で蓄積し、発生し続けている。

・食べなければ、飲まなくては死んでしまう、適切な環境に住まなければ死んでしまう。綺麗な水があり、食べ物があり、住みやすい環境は限られている。そこには奪い合いが発生する。歴史は人同士の略奪と、強きものの征服によって成り立っている。


そういう仕組の中で、「博愛」という使命は成り立つのか。
それについて、高次元の指令通り、深く・広く記事の回をわけて考えていくことにします。
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さて、前回の記事で、牛の魂は陰の高次元存在の分霊が出来ては取り込まれて消えて、という循環する仕組により成り立っていると受信しました。

これらの内容を踏まえ一旦高次元存在に情報収集のためアクセスして対話することにしました。

第2回目は、それらの内容を記載したいとおもいます。



【高次元存在(以下、ガイド)との対話】

私:まず、直球の質問として、魂のある存在の命を奪いその肉体により生きながらえることについて、”感謝をして頂けばよい”という話を聞きますが、それは本当に成り立つのでしょうか。人の魂の集合体の理(ことわり)において、カルマ・罪は蓄積されないのですか?

ガイド:本当に心から感謝の意をもって、大切に頂くという気持ちで体に取り込むということをすれば、大抵の場合カルマを溜めずに済むだろうね。

あなたは、「博愛」の課題に直結している部分でもあるし、今現在取り組む課題の上ではより深く考えなければならない問題だけどね。

でも、どうすればいいかの内容については、あなたが考え導き出さなければいけない部分と、一切教えてはいけない部分の2つしかないから、教えられない。



私:本当に、感謝をするだけでカルマを溜めずに済むのですか?命を奪うということに対して、釣り合いが取れていないように思えるのですが・・・。


ガイド:前回、陰の巨人の存在の”分霊製造・循環機”を見ただろう。分霊製造・循環機で作られた”命”はそれ自体は尊いものではあるが、食べられることで役割を全うしている。陰の巨人からしたら、あなたが歩く際に犠牲にしている足の裏の細胞と同じことだ。

足の裏の細胞は、体の全体重を支え、それらの負荷を受けて、死んでは再生するということを繰り返している。あなたは、足の裏の細胞が死んで再生していることに対してまったく意識をせずに日々動いているが、”あなた”という存在を支えるために、ミクロの世界では物理面においてもそれこそ億単位の生命が命をかけてサポートをしている。



私:物理的な人としての、自分自身は実はたくさんの生命の意識集合体であり、”自分”という意識はそれら全体をコントロールする代表のようなものということですか。生き続けるのには外部のたくさんの生命を犠牲にし、自分の内部の生命体も多く犠牲にしているということですか・・・。


(さらには高次元存在も含め、一人のヒトの魂を天文学的な数字の生命体が支えている。だからこそ、それらの願い・祈り・気持ち・いのちを無駄にしてしまう自殺は、カルマ・罪として最も重たい因果を背負うことになるようです・・・。)


ガイド:そうだよ。それらに意識を向けずに、目に見える牛の命を含めた食べ物の命にのみ偏った意識を向け続けるのはどうしてなのか?


私:・・・。


ガイド:それにね、感謝の祈りを込めることと、命を奪った結果の肉体を頂くことの釣り合いが取れていないと言うが、

”感謝の祈りを込める”ということは、”あなた”という意識から、感謝の念という分霊を作り出し、そのエネルギーを奪ってしまった命(魂)に捧げる。ということでもある。

本当に心から感謝し祈りを込めれば、それは釣り合いが取れているということなのだ。



(「いただきます」で感謝の念を食べ物に込めることはとても大切なことのようですね。)

 

(そして、与えられた自分の体に感謝し大切にすることも、同様に重要なようです。内側で協力してくれている生命体たちに慈しみの念を向けるといいますか・・・。)

 


ガイド:逆に言えば、命を頂くことを蔑ろにする行為(食べ物を粗末に扱う)はあなたの魂を粗末に扱うことに繋がる。気をつけなさい。


私:はい。ありがとうございます。


ガイド:まだ考えるべきことのスタートラインから2~3歩進んだ程度の状態だ、引き続き考えていきなさい。


ある程度必要な答えは得られた感じはしますが、そうではないのですね。

引き続き深く考えていきます。


(2021.4.7)

暫くは神社・仏閣記事は無く、陰寄りのスピリチュアルがメインのブログになります。
そのため公式ジャンルも”スピリチュアル”に戻しました。


さて、前回の記事の終わり辺りで以下の内容を書きました。


・人は、魂をもつ他の生命を奪わなければ生きていけない。
ネガやカルマの多くは、そこ由来で蓄積し、発生し続けている。

・食べなければ、飲まなくては死んでしまう、適切な環境に住まなければ死んでしまう。綺麗な水があり、食べ物があり、住みやすい環境は限られている。そこには奪い合いが発生する。歴史は人同士の略奪と、強きものの征服によって成り立っている。


そういう仕組の中で、「博愛」という使命は成り立つのか。
それについて、高次元の指令通り、深く・広く記事の回をわけて考えていくことにします。
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初回は、獣の魂について。

特に人が家畜として利用している”牛”の魂はどのような仕組で用意されているのかについて、アクセスできた内容を書いていきたいと思います。

シータの手法を使って、”家畜の魂はどこから来て、どのように還るのか”について聞いてみたところ、

かつて”エウレシュディンガー(ディンゲル)”という陰の高次元(フォーカスレベルで30~50辺り?)にある意識体でできた街のような領域にアクセスすることができましたが、


エウレシュディンガー(ディンゲル)



 

 

 

それらの意識体の特徴をもつ巨人の存在の映像が見えてきました。

 

 


エウレシュディンガーの巨人





どうやら、人が人として地球に於いて必要な体験をできるように、協力してくれている存在のうちのひとつのようで、陰の領域に直接繋がっている巨人が、その左手を変容させ、”分霊製造・循環機”のようなメリーゴランドに似た仕組みを作り、「巨人の分霊として牛の魂を生成し、食べられて還ってきたらまた取り込み、生成しなおしグルグルと循環する」というもののようです。”分霊製造・循環機”は機械(ゼンマイ)仕掛けのおもちゃのようにカタカタ・コロコロ音がしています。


”分霊製造・循環機”の拡大イメ-ジ


 

 

(この巨人の存在は、もしかするとミトラまたはミスラと関係があるのかな・・・。)

 


一方、豚はどのように輪廻しているのだろうか?という疑問をもち、アクセスしようとしたのですが、”危険・危険”というワーニングがでてできませんでした。

無理にアクセスしたら、精神がやられる的な何かのようで・・・。
血肉骨が一瞬でペシャンコのなるような映像が警告と共に見えました。怖っ・・・。

 


牛と豚(猪)は同じ家畜でも、魂は別の仕組で作られているのかもしれません。


次回は、この分霊製造機について高次元と対話した内容を記事にします。


(2021.4.5)

ここ半年で買った石を記事にすることにしました。

 


茨城錫高野産 雪入り水晶


 

 


”雪”とは球状の白雲母のようです。
確かに雪のようで、普通の水晶と比べ水が凍ったようなエネルギーが出ています。
不思議ですね。




湖南省ブルーフローライト

 


青の洞窟のような、暗い海に光が差し込みそれを海中から眺めているような色をしています。

人工的に放射処理をしているとの話もありますが、真偽は不明です。

 

エネルギー的にはとろみのあるフローライト特有の常温寄りのひんやり系です。
 

 


ボリビア産 アメトリン原石

 

 


アメジストともシトリンとも異なる水系高次元エネルギーが出ています。
ミナカヌシ系水天宮っぽい感じです。


長野県甲武信鉱山 氷長石

 

 


氷とも、ラブライトとも異なるカルサイト系のエネルギーっぽいです。
土のどっしりエネルギーも感じます。
どっしりしつつもピシピシ放射する面白い石です。


アフガニスタン産 ヒデナイト(リチア輝石)

 



黄緑~グリーンが美しいリシア輝石です。
色が異なるだけで、同組成のクンツァイトとエネルギーがかなり変わりますね。
ピシピシと潮解する上ベクトルの天使っぽいエネルギーは保持しつつも、もったりととろみがある癒されるエネルギーが出ています。


パキスタン産 犬牙状カルサイト

 


尖った結晶が特徴の綺麗な石です。握っているだけで、主に後頭部の穢れ・詰まりが取れ、循環を促してくれる肉体・霊体のメンテナンスをしてくれる石のように感じます。


ムーンストーンブレスレット


インドで古くから月の光が宿る石と言われてきましたが、これはまさしく月の光っぽいエネルギーです。それも高く上がり白く光る月のエネルギーです。

寂しく優しく照らして、意識の目覚めを促すようなサードアイに来る石です。



セレナイトブレス



こちらも月の神セレーネから取られた、月を司る石です。
天使っぽさを感じる潮解する白光エネルギーで、浄化をうながす石のようです。
サードアイに来ない分、気軽に付けれます。


ピンクトルマリンブレス

 

愛情の石と色々なところで言われていますが、確かにハートから染み出るエネルギーという印象です。
私に限って言えば、主に過去生も含め対人関係で受けた心の傷(トラウマ)を癒しつつも向き合うための石という印象です。


インド産 スコレサイトタンブル

 

 

スコレス沸石で、シナジー12石のひとつでもあります。
ピンク色のものは初めてですが、水の潮解するようなチクチクするエネルギーが広がり癒しとか浄化をしてくれる感覚があります。


ブラジル産アメジストドームクラスター

 

 


6kgオーバーの結晶の大きなアメジストド-ムです。
低級霊からのバリアとか、ミカエルを司る石だと言われていますが、心の傷を優しく癒し、穏やかに過ごせる場を作ってくれる石という印象です。

置いてあるだけで、心が浄化され、癒しの場が作られるようです。


ピンクアメジストクラスター

 

 



マンガンの発色によりオレンジピンクの特有カラーになるようです。
母親の強い愛情というような内から外側に発せられるエネルギーを感じます。


ローズクォーツタンブル

 



こちらは穏やかな母の愛情のエネルギーです。
優しく心を癒してくれるように感じます。

 

 

北海道大江鉱山産 菱マンガン鉱(ロードクロサイト)

 



ロードクロサイトのうち、良く見る海外のものはずっしりエネルギーなのですが、北海道産のものは、かなり癒されるエネルギーです。

高次元の女性性の放射する癒しエネルギーで、結晶構造も天使の羽根のように思えてきます。


ロードクロサイト ブレス



こちらは、ずっしりするエネルギーです。北海道産と役割が異なり、ハートの傷やトラウマと真正面から向き合う石という感覚です。

同じマンガン発色の石でも、個体によって全く役割が変わって面白いですね。

 

ギベオンペンダント

 

ギベオンは初めてです。

 

隕石らしい、衝突のエネルギーを含む重たい土くささが少なく、

ブワーンと広がる軽い温さを感じたため購入しました。

 

おひさまを浴びたフワフワとした金属を含む土という印象です。

 

コーティングには銀色・金色が一般的ですが、イレギュラーな深い青のものを選ぶことになりました。

コーティングの色でエネルギーが変わるかは不明ですが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは陰寄りの話になります・・・。

 

 

 

 

【陰と繋がる青い石からの学び】
かつて、深いコバルトブルーの石に瞑想でアクセスすると、宇宙戦争時と関連した陰の存在と繋がったことがあります。

 


鮮やかなブルーはそれまでは良いイメージしか持っていなかったのに、それ以降恐ろしい石というイメージも持つようになってしまいました。


F15の2週間チャレンジ体験記の⑦
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12463100571.html


【瞑想】F15 陰の時代の探索
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12352271493.html


青い石というとサファイアですが、怖いもの見たさで何度かサファイア自身にフォーカスした際は、上記の陰の存在には繋がれませんでした。

 

それからしばらく経って、”ロイヤルブルー”と呼ばれる色の深いカイヤナイトにアクセスした際には、同じエネルギーの存在とアクセスできました。

ネパール産 カイヤナイトルース


心の奥の痛み苦しみ、魂が抱えて来た陰の時代。ハートチャクラの奥底と後頭部の後ろに取り憑いた意識体のネガ、そういったものが湧き出し表面化するような、重く気持ち悪くなるようなエネルギーが放出されてきます。

 

 

 

私が過去の記事でシリウスBと表現している領域に近いものかもしれません。


ここでアクセスできるエネルギーは、人が人として生きるために避けられない陰の部分と関係しているのかなと感じています。


食べなければ、飲まなくては死んでしまう、適切な環境に住まなければ死んでしまう。

綺麗な水があり、食べ物があり、住みやすい環境は限られている。

そこには奪い合いが発生する。

食べるのにも必ず、自分以外の命を奪わなければならない。

 

そういう理不尽なルールの中で、溜めなくては生きていけなかった罪に近いものじゃないかな。

 

 


苦しまずに、そして苦しめずに生きていく方法はないのか。
生きるということを選択したときに、奪い続けなければならない仕組となっているのはどうしてなのか。
私の使命は、「博愛」だと聞いているけれど、奪い続けなければならない仕組の中で果たして達成できるものなのだろうか。

”今から僕が生きるために、家畜である君の体を奪い、その結果命が失われるけど、君のことを愛しているよ。”

というのを心の底から思うって、できるんですかね。

 

(こういう思考になるのは、”人間以外の動植物は人間が生きるために殺して良い”という生存のために便宜上人間社会側で作ったルールがあるが、私自身の現在のスピ観の中に、人の魂とそれ以外の生物の魂に明確な貴賎を感じられないという気持ちが根底にあるからこそかもしれません。魂のある生き物を殺すという行為は変わらず、それが人であるかそうでないかだけの違いだと感じているといいますか。)

 

スピ的には奪うということは、自分自身もいずれ奪われるということであり、奪われるのにネガを溜めないほど自分自身の精神は高尚ではないですし。

 

生きるために仕方なく奪うことに対し、”感謝をすればいい”というのは良く聞きますが、果たしてそれだけで罪が消えるかと考えると、そんなことは無いと思うわけで・・・。

 


太陽から降り注ぐエネルギーをそのまま活用して、何者も傷付けない。
実は、植物ってそういう意味では博愛を実践している地球の生命体なんじゃないかな。

いつも”全体”に繋がり”個”という意識が低い状態で、肉体の外に意識を保てるのだとしたら、人としての生や所有の執着が減り、ネガを溜める機会も多少は減るのかな。

 

いや、言い方を変えれば、植物も太陽の体の一部を燃やし続けエネルギーとして振りまいているものを一方的に搾取しているとも取れるわけだし、植物が存在するということは、他の植物が存在する機会を奪っているということでもある。動植物が死に絶え腐敗・分解され生成したものがごちゃ混ぜになっている土からエネルギーを吸い取っているともとれる。

 

どんな形態であれ、生きるということは大小はあるが罪を背負うと言うこと。それをきちんと認識しなければならない。

地球ではない他の場所の生命の生存システムは分からないが、ここに住む(棲む)時点で生まれたときから死ぬまでずっと生存競争の奪い合いシステムの上で生きているということだから。


この石とアクセスしていたら、そんな内容が湧き上がってきました。

 

人として生きる上で抱えてしまう罪とか、生きる上で重ねてしまう仕方ない罪、そしてそれらに関係して過去から積み上げてきたもの、”目を瞑るべきこと”として敢えて割り切って、無かったことのように振舞っていたものと正面から向き合う機会になるのかもしれません。

 

正直、どんなに考えても解決方法も無く、ただ途方に暮れるだけのように思いますが・・・。

 

ただ、今生を含め人の生の中で魂に溜めてしまったネガは、全てこの原理を起点としているのは変わらない気がします。

生きるという根本をどう捉えるか。そこをきちんと考えなければ私のスピリチュアルは、芯が通っていない絵空事になってしまうと思うのです。

 

私の「使命」は前途多難ですね。(笑)

 

 

・・・その後、高次元から、

”このことについて、視野を広げて深く考えなさい。”

という指令がありました。

 

次回の記事のテーマにしたいと思います。

 

(2021.11.25)

御殿場の時の栖の敷地内にある小さな丘である栃窪山を祀る、栃窪神社に向かいます。

時の栖



11月のひんやりした空気がいい感じです。


イルミネーションのトンネル付近

 

 

 


昼間に見るとこんな感じなんですね。


栃窪山




【栃窪神社(御殿場市)】


鳥居



左側の摂社




しっかりと正面から来る意識体のエネルギーを感じます。
丁寧にあいさつしました。



由緒



300年ほど前の江戸時代に建立された比較的新しい神社のようです。
祭神は山の神である、大山祇命のようです。


参道



石段



かなり強力な上方向の清涼なエネルギーを感じます。
祈りのエネルギーというより、祀る前から存在した土地の精霊エネルギーによるものが大きいのではないでしょうか。


手水




噴水会場のすぐとなりが神社だったんですね。





3年前の記事の噴水






拝殿



拝殿からはそこまで強いエネルギーを感じません。ただ、丘全体から御殿場らしい精霊のエネルギーが隅々までいきわたっています。
 

 




さて、前回の富士山の関係も含めて、空のエネルギーをまだ存分に感じ切っていないように思うため、時の栖の裏にある神山に再び向かいます。



神山への一本道




やはり素晴らしいエネルギーです。
人があまり通らない場所ということも大きな要因になっているのかもしれません。
 

 

 

 


人が多く住めば穢れる。祓いが十分でなければネガが蓄積される。


この場所はたくさんの精霊が棲み活性化していて、さらに人があまり来ない場所のため清涼に保たれているということもあるのでしょう。
 

 
 


道の終わり付近に来ました。
 

 


 

 

かなり清涼なエネルギーを感じます。空と湿度の多い風がひんやりした癒しのエネルギーで満たしてくれます。

 

 




今回は山に少し入ってみます。
私道ではないようですし、看板は”ゴミ捨て禁止”(市の看板)ですし。


神山





入ってすぐの木々に囲まれた場所で、空のエネルギーを凝縮したような高次元エネルギーに包まれました。





三峰奥宮や清孿(せいさん)神社で感じたような、高次元の根源神と直接繋がる場所のようです。

恐らくカードのいう空を感じる場所とはここのことだったのでしょう。
 

 

 

 

 


背負ってしまった罪咎穢れから一時的に開放され、本来の自分を取り戻す時間。
それが今の私に必要だったようです。

 

 

 




その後、神山を祀る神社に挨拶し帰りました。

 

 

 



富士宮PA



ソフトクリームおじさん再び。


(2020.11.7)

昨年11月に入り、参拝する神社にあたりをつけていた所、

 

 

 

 

カードで占ってみたら、空のエネルギーをもつ場所を巡ると視界が開けるという結果になったため、富士山の裾のなるべく車で行ける範囲と、御殿場付近に行ってみることにしました。


愛鷹山PAの愛鷹山



富士山の水



須走付近のススキ



すでに空属性の浮き上がりフワッと潮解するような心地よい冷気を感じるエネルギーが取り巻いています。


まずは須走口から車で行ける範囲(たぶん5合目)を進んでみようと思ったら、通行止めでした。
道の駅すばしり付近から、もう進めなくなっていました。残念。


道の駅すばしり





三国山が望めます。三国山の向こう側には山中湖があります。




PAでソフトクリーム食べたい病のおじさんです。

通行止めのがっかり気分をソフトクリームにぶつけます。

 

 

PAでよく見かける、”ソフトクリームを歩きながらペロペロしているおじさん”と同じです。

 



富士山の水が飲めるコーナーです。
さっきお金を出して買ったのに・・・。

 


さて、須走口がかなり手前で通行止めだったため、次は御殿場口(5合目)方面に行ってみることにします。



御殿場口に向かう道(富士山スカイライン)



紅葉が綺麗です。



5合目に向かう道がある太郎坊洞門に来ました。

 

 

 


が・・・。

 

 

 


 


通行止めでした。

この辺りで既にかなりすっきりとして心地よい空のエネルギーを感じられるのですが、
車を停める場所どころか路肩すらもなくトンネル付近で危険なので、仕方なく引き返しました。
 

 


富士山スカイラインの風景



ススキが広がる高原は美しいですね。
ここも空のエネルギーが広がっていますが、
上の”通行止め”の看板の画像の方が空のエネルギーは強いです。


ちなみに周りにある点々は大量のムシです。


黒く2つの赤い斑点があるナミテントウムシが大量発生しています。
というか、服に大量に憑き付きました。
 

 


その結果、車内に15匹以上入れてしまう結果になりました。
運転をしていると、手の辺りをモゾモゾ動き回ります。ぎゃあ。

 

 




仕方ないので、窓を全開にして空に還し返しました。



 

 

 



富士山の周りでは散々でしたが、気を取り直して御殿場付近の神社に向かいます。


御殿場の風景(清郷神社近く)



御殿場あたりも空のエネルギーに満ちています。
さっきのスカイラインと比べ、空のエネルギーが減り、穏やかな水のエネルギーが増えています。



【清郷神社(御殿場市清後)】


鳥居前



祭神板

 

・大日靈女命(おおひるめのみこと)
・大巳貴命(おおなむちのみこと)
・武甕雷命(たけみかづちのみこと)
・経津主命(ふつぬしのみこと)
・天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
・應神天皇(おうじんてんのう)


天照皇大神を現す大日靈女命と、天照皇大神がそれぞれ祀られている謎。

大巳貴命も、己ではなく巳(蛇神)を現すものですし。

”大日靈女命”は、太陽神と太陽の巫女という意味合いが強いようにも感じます。



境内



境内の砂利道からは、かなり清涼で白いシュワシュワするエネルギーが湧き上がっています。土地のエネルギーと祝詞の祈りエネルギーが混ざっているようです。



手水

 




境内の木々と岩


シュワシュワしたエネルギーが出ています。


拝殿前石畳



まだ新しいのですが、白い泡のようなエネルギーが湧き上がっています。



拝殿





拝殿・拝殿内は一転して、温かみのあるサードアイに来るようなエネルギーに変りました。不思議ですね。武甕雷命・経津主命のエネルギーが混じっているからかもしれません。



摂社の祠



後ろには茶畑があります。
 

 

 



拝殿裏の川




神社周りの風景

 


田んぼの風景に囲まれたいい神社でした。

(2020.11.7)

昨年~今年はコロナ禍のため、あまり神社の参拝ができませんでしたが、代わりに昨年の夏ごろから近所の川・海沿いを良く散歩するようになりました。


ススキの道(10月)



冠雪している貴重な富士山(10月)

 

 



ある時、強いエネルギーに導かれ、その流れに沿って歩いていると、小さな祠といつもとは異なる海岸の道に辿りつきました。



海岸近くの祠




強力な光の泡が立ち上る場所

 

 

その場所では、水が祀られている強力な神社と遜色がないエネルギーが満ちていて、精霊の集積体(いわゆる自然神)がいらっしゃるようでした。

 

 

 

 


祠と精霊の集積体を感じる場所を、ルーチンワークとして散歩しつつ挨拶をしていると、その通り道のエネルギーがより活性化され、参道に近い状態になって来ました。


そこでは、太陽・月・金星やシリウスその他の星々、そして海と風・砂・空、色々な属性のエネルギーが穏やかに混じっていて、私自身も穏やかになり浄化されていく感覚がありました。

 

 

 

 

 

 


前回までは祓戸神・禊ぎをテーマに琵琶湖・伊勢付近を周っていましたが、結局の所、山があって川があって海にそれらが流れ込んでいる場所であれば、神社や祠として祀られていなくても、それぞれに神様は宿り浄化をしてくださっているんじゃないかなと感じています。

 

 

 

 

 

 


祓戸神のうち1柱は川(渓流)の神様ですが、その他の3柱は人との境界を離れた海で行われていることですし、ここにも3神の役割を果たす存在・システムがあると言うことでしょう。

 

 

 

 

 

 



そういえば、この海岸付近に引っ越して来た頃、神様と思しき存在から強力なメッセージを頂きました。


月と海のメッセージ
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12310054713.html


月に照らされた海のイメージから、

・”消去せよ”
・”祓え”
・”ミソギ(神削ぎ)”


という単語を受信しました


これって実は、祓戸四神の最後の神、速佐須良比売(はやさすらひめ)だったのではないかと感じるわけです。

穢れをさすらう、つまりは消し去り無くしてしまう神ということでしょう。


”速佐須良比売 さすらい給え”


この気づき以降、月に照らされた海を見かけたときは、感謝をしながらそう唱えるようになりました。
 

 

 


(2020.10.23~2021.1.17)

さて、禊ぎ(水削ぎ)の神社巡りの最後は多度大社です。
上流の滝や川が清涼な神社なので、3年半ぶりに参拝することにしました。

 

ここの主祭神は、天照大神の第3子である、天津彦根命です。
「アマツヒコネ」は、「天の太陽の子」という意味もあり、”天照の子”ということなんでしょうね。

天津彦根命は、三重桑名を中心に、滋賀・京都・兵庫、徳島・高知で祀られています。
そして、桑名の地名の由来となっている、豪族・桑名首の祖神のようです。

ここ一帯を支配した天皇族と親しい国造と呼ばれる豪族のことでしょうが、支配の正統性を後世に示すために、ここの首長は天照大神の子神の血を引く存在であるという設定をしたのだろうと推測できます。

多度大社のHPにも記載がある通り、太古の昔から神社の裏の多度山には神が宿る場として信仰を集めて来ており山には磐座が散見されるようです。

磐座についてはいくつか画像を確認しましたが、冠石(かんむりいし)と呼ばれるものに磐座らしい祈り込めのエネルギーを感じます。


多度大社と多度山の岩石信仰(三重県桑名市)
https://www.megalithmury.com/2020/12/tado.html
(※石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究 様 HP)


とはいえ、岐阜や琵琶湖周辺の天体観測の役割をもつ磐座(※1)や、配列で神々と接続する”神と人との境界の場”を作り出す磐座(※2)とも異なり、山の隆起により自然にできた礫岩系の巨石に後付けで祈り込めを行ったような形をしています。

 

 

 

(※1)岐阜や琵琶湖周辺の天体観測の役割をもつ磐座

妙見神社・岩屋岩陰遺跡(岐阜県下呂市)
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12407960697.html

日吉大社 八王子山 金大巌(滋賀県大津市)
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12414348006.html



(※2)配列で神々と接続する”神と人との境界の場”を作り出す磐座

大神神社(奈良県)
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12092522079.html

伊豆山神社(熱海市)
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12399797906.html

志摩国一宮 伊雜宮/上之郷の石神(三重県志摩市)
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12409512347.html

これらの配列の磐座については、考察を記事にしています。

ストーンサークル配列⑤:回転・螺旋上昇と増幅について
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12399574604.html

 

 


さて、前置きはこのあたりにして参拝のレポに進みます。


大鳥居




後ろには多度山(養老山地)が望めます。


駐車場近くの鳥居




入口付近の石段




上げ馬神事の坂が左側に見えます。



神事の看板

 

 



鉾立社(祭神:天久之比命)




ほんのり清涼で口の中が酸っぱくなるようなエネルギーを感じます。
天津彦根命の子神:天目一箇神の別名です。
鍛冶の神というよりか水のエネルギーっぽいですが。
 

 

 

鳥居をくぐると正面に新宮社があります。
 

 

 

新宮社(祭神:天津彦根命幸魂、天目一箇命幸魂)




清涼で落ち着く水エネルギーです。
泡を含むザブザブした、揺り動かされながら浄化されるエネルギーです。


雨宮八幡社



社からは、清涼なエネルギーがあるのですが、山肌からは陰のネガエネルギーを感じます。

日本平や古戦場のエネルギーと似た、痛みや恨みに近い人のエネルギーを感じます。

灼け付くようなヌメッとしたエネルギーです。

恐らく過去に何回か山付近で戦や征服・被征服が行われた場であるのではないでしょうか。


手水

 

 

 


鳥居



参道の砂利道は清涼です。


中心をすっぱりと分けているかのように、左側:陰、右側:陽に分かれていて面白いです。


参道



ここも分かり易いですね、竹をスパッと割ったように、
左側はヌメッとした重たいエネルギー、右側は上昇する清らかなエネルギーですね。



皇子社・招魂社




左側にある摂社は、こういった理由でなんとなく落ち着きません。



美御前社(市杵島姫命)・神明社




社殿は清涼ですが、バックからの圧を感じます。



於葺門



メインの本宮・別宮に繋がる門です。





拝殿前の橋の上に立つと、かなり清涼なエネルギーが体を突き抜けます。
落差が激しいですね。


拝殿前の橋の上から望む滝




多度大社で最も清涼な場所でしょう。
美しくも清らかで素晴らしい水の浄化エネルギーを感じます。
 

 



 

 


本宮手前の磐座



どっしりした下ベクトルのエネルギーです。
あまりフォーカスを合わせると気持ち悪くなります。



本宮(天津彦根命)



社殿よりもバックの滝から清涼さが溢れている感覚です。



別宮(天津彦根命の子神:天目一箇神)



社殿からはどっしりしたエネルギーを感じます。



本宮・別宮の奥にある滝




先ほどの橋の上ほどではありませんが、ここからも絶えず清涼なエネルギーが正面上から降り注ぎます。有難いです。



参拝を終え、滝・川のエネルギーを直に触れられる場所に来ました。



 

 



やはり清涼で美しいエネルギーです。
多度大社の真骨頂は水の浄化エネルギーなのでしょう。

 

 

 




多度山(養老山地)は、北に向かえば養老~関ケ原・伊吹山と続いており、この辺りは古くから京都・滋賀と愛知方面を繋ぐ関所のような地形になっており交通の要所のため、ヤマトタケルの東征から始まり、度々戦地となって来た場所のように思います。

それらの血が染みついた場所で、水の流れがある場所は綺麗に洗い流し、罪咎穢れを無かったことにしてくれる自然の自浄作用が、物理的のみならず霊的にもあるということでしょう。

それが禊ぎ(水で削ぐ)の本質なんでしょうね。



帰りは刈谷PAで横綱ラーメンを頂きました。

 

 



伊勢の2社にもお参りしたので、赤福を頂きましたが、

神宮・外宮抜きだと伊勢という実感が沸かないですね。(笑)

 


 


(2020.10.25)