弱肉強食とスピリチュアルの考察③ 植物の魂について | 陰陽統合・虹色循環スピリチュアル

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実践を通し、既存の考え方に私自身の気づきをMIXし、
新しい価値を創造・共有し、循環していきます。

全ての大いなる自己とそれに関わる全ての方の幸せを求めます。

※top画:readingartmelt.amebaownd.com

・人は、魂をもつ他の生命を奪わなければ生きていけない。
ネガやカルマの多くは、そこ由来で蓄積し、発生し続けている。

・食べなければ、飲まなくては死んでしまう、適切な環境に住まなければ死んでしまう。綺麗な水があり、食べ物があり、住みやすい環境は限られている。そこには奪い合いが発生する。歴史は人同士の略奪と、強きものの征服によって成り立っている。


そういう仕組の中で、「博愛」という使命は成り立つのか。
それについて、高次元の指令通り、深く・広く記事の回をわけて考えていくことにします。
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さて、前回までの記事で、牛の魂は陰の高次元存在の分霊が出来ては取り込まれて消えて、という循環する仕組により成り立っていると受信し、そのあたりについて高次元存在(以下よりガイドと記載)と対話を行いました。

第3回目は、植物の魂の仕組みはどうなっているのか?その辺りを探っていきます。


私:植物の魂とその輪廻の仕組みはどのようになっているのですか?

ガイド:あなたは既にそれに関する情報は得られているし、理解しているはずだ。その内容を記事にすればよい。


なるほど・・・。すでに得られているのですね。過去のブログで記載した内容を漁り、私なりの見解を以下に書いていきます。


植物のハイヤーセルフらしきものとアクセスしたときの記事

柿田川湧水公園(静岡県駿東郡清水町)
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12248356952.html


【植物の魂の仕組み(トウヤの見解)】

まず、植物の魂は”個”としての意識は低く、”全体の中の個”という意識を常に持ち続けて生きているようです。
常に全体と繋がり続けているといいますか。

植物のハイアーセルフとして受信したもの2つのイメージ







ハイアーセルフからは大量の枝のような髪の毛のようなものが広がっていて、それらの末端がそれぞれ個の意識をもった精霊の魂のような存在で、木々や草花の意識にもそれらの魂が配置されています。


それぞれの草花は”個”という存在でありつつも、ハイアーセルフの手足であることを認識している状態で、逆に言えばハイアーセルフが意識の主導権を握っているような状態であるとも言えます。

個であったり全体であったり、ちょうどプレアデスの魂群たちとして受信をした内容に近い生態を繰り返しているようです。

ですから、自分の体が食べられ、植物としての意識が一時的に失われても、ハイヤーセルフの魂として再吸収・統合され、新たな魂の末端になることを理解しているし、それに対して人間のようにネガティブな想念を持つことは少ないようです。


実際は、人の魂は上の植物のハイヤーセルフと同じ状態であり、より上位の存在の魂群から糸が垂れるように存在していて繋がっているのですが、物理次元の動物としての個が強い仕組みの中で生きているため、それに気づきにくい環境にあるようです。

人の場合は瞑想などで、波動・波長を変えることでガイドやハイアーセルフとの繋がりを取り戻すことで、それに気づくことができるようです。


植物がどういう感覚で生きているのか、縄文の手法もしくは、シータヒーリングの手法では、植物のハイヤーセルフにアクセスし、その意識と同一化する許可をもらい、瞑想で同一化することで理解することができます。


その中に入ってみると、自他の境界がない清涼な瑞々しい波動の中で、時間・空間の境目すらもなく、ただゆったりと漂っている感覚を味わえます。

その意識の中で、今回のテーマである”弱肉強食”に対する意識を感じてみると、植物の意識体としては、”奪い奪われる捕食”という感覚ではなく、”循環”であるという感覚のようです。

自分の体を食べられることにについても”循環”として捉えることができるのは凄いですね。その俯瞰で捉える感覚が今後の”博愛”に関する意識の中で必要なのかもしれません。

(2021.04.19)