陰陽統合・虹色循環スピリチュアル -2ページ目

陰陽統合・虹色循環スピリチュアル

実践を通し、既存の考え方に私自身の気づきをMIXし、
新しい価値を創造・共有し、循環していきます。

全ての大いなる自己とそれに関わる全ての方の幸せを求めます。

※top画:readingartmelt.amebaownd.com

佐久奈度神社の次は、猿田彦の総本山と言われている椿大神社(つばきおおかみやしろ)に向かいます。

このブログでの参拝は2度目です。

まずは、猿田彦大神について書いていきたいと思います。


【猿田彦大神について】

猿田彦大神は古事記では、天孫降臨時に瓊々杵命を案内した国津神とされています。
それにより、道案内の神(道中の厄除け)⇒道祖伸・賽の神と同一視されたようです。
また、中世では猿⇒申から、庚申信仰とも結びついたようです。

『日本書紀』の中では姿について
・鼻の長さは七咫
・背の長さは七尺
・目が八咫鏡・赤酸醤のように照り輝いている
という記載があり、天狗の元となったとも言われています。

この容姿からも古代インドの畏怖神に通じる部分があり、天之蘿摩船(通称ラーマ船)に乗って帰った少彦名命との関連も連想させられます。

これらが一般的な知識なのですが、
このブログでは旧の太陽神という意味も持っており、そちらが重要であると過去にお伝えしました。

上の一般的な記載と共に、古事記には、
”天のやちまたに立って高天原から葦原中国までを照らす神”
という記載があります。


私なりの解釈としては、


伊勢付近の入り組んだ沿岸の場所(天のやちまた)で既に太陽神としていらっしゃった猿田彦大神信仰(国つ神)がある地を、京都宮津の元伊勢の地域から新しい地として選び、新の太陽神としての天照信仰に塗り替えた。

旧の太陽神である猿田彦については、”道案内をした神”ということに便宜上し、祟り鎮めのため祀り続けることにした。


ということかなと感じています。

その証拠として、伊勢参りでは必ず最初に、二見興玉神社を参拝します。
これは、祟り鎮めを最も重要視している名残ではないかなと思うのです。

そして、二見興玉神社のご神体と言える夫婦岩では、太陽が最も力を増す夏至に2つの岩の中心部から太陽が昇ります。

夏至の二見興玉神社・夫婦岩

(※画像:伊勢志摩観光)


3つ前の記事の白髭神社でも主祭神は猿田彦であり、琵琶湖西岸の﨑(御先)の位置にあり太陽が正面から差す位置に拝殿が配置されていました。

沿岸で太陽神を祀る海神族(わたつみぞく)との関連も説としてあると記載した通り、旧の太陽神信仰とも関係ありそうです。


今回の椿大神社については、神社の裏の山である入道ヶ嶽を祀るものではないかと感じます。その里宮として椿大神社が配置されているのかなと。

入道ヶ嶽の山頂には、この地域の磐座同様に平たく角度が付けられて斜めに尖った特徴的な形をもつ磐座があります。何かしら太陽に関連した天体観測的役割をもつ縄文時代から続く祭祀の場ではないかと思うわけです。

入道ヶ嶽奥の宮磐座の案内板



さて、猿田彦の考察はこの辺りにしておいて、椿大神社のレポをします。


入口正面



時期的に七五三と重なり、参拝者が多い印象です。
ディスタンスを保ちつつ進みます。


鳥居前




右上から細かくブワーンとする少し温いエネルギーを感じます。
少し重たいエネルギーが含まれますが、きっと古墳由来のものでしょう。

ここにも、古墳・磐座がありますので、白髭神社と同じような歴史の側面をもつのでしょう。(縄文人の暮らしと信仰⇒渡来人が征服・信仰の塗りつぶし⇒渡来族同士で小競り合い。親天皇族による支配。)


庚龍神社


木を祀りつつも庚申信仰と習合した場のようです。
鳥居をくぐる前の重たい気は失せ、清涼なエネルギーが正面から来ます。


手水



蛙が印象的な手水です。二見興玉神社と合わせているのかな。
ここでもコロナ対応で柄杓を使わない手水に改修されています。



2つ目の鳥居正面




結婚式が行われているようです。いいですね。


鳥居をくぐると、左側の木々からブワーンとした常温の浮かぶような細やかなエネルギーが手の甲に染みるように来ます。

 


祝詞などの祈りエネルギーが蓄積したような場になっています。


2~3つめの鳥居間の参道



この左側に里宮の磐座(御船)があります。
右には祭神の看板が。

 



”みちびきの神”がやはり一般的な認識なのですね。
猿田彦の妻神である天鈿女命は、”芸能の神”という認識が一般的ですね。
天鈿女命については、また別に記載します。



御船磐座



古代より、代々祈り込めがされ繋がっている場所という風に感じます。
古代の祭祀の場所はここではないかと感じるエネルギーです。


瞑想状態に強制的にされ、静かななかで一定の振動が水平に続いている場。
人と神の境目で、波長が合う(逢う)場所という感覚があります。

 

 



特別かつ最も重要な場所であると感じます。




3つ目の鳥居



3つ目の鳥居⇒拝殿の間の左側に古墳がありますが、重たいのでスルーしました。
一つ目の鳥居で感じた重たいエネルギーはここ由来でしょう。


気が滞れば枯れる、つまりは気枯れ(穢れ)となる。
意図的に多重結界を敷き、王族の魂を閉じ込め呪術的に政(まつりごと)に使えば、淀み滞るというわけです。


狛犬



狛犬も古墳から近い場に配置されていますし、それの影響を受けているような姿をしているのかもしれません。


拝殿正面



拝殿前の鳥居を抜けるとまたスッキリします。




拝殿



強力で細かく温いエネルギーを感じます。

 

 

 

猿田彦っぽさがありますが、人が多いため前回よりマイルドです。
オレンジゴールドの温い浮遊するエネルギーですね。




さて、おみくじをひいてみます。



おみくじ


新しき風の時代のリーダー観と近いことが書かれています。
過去記事にも似たようなことを書いたような・・・。

過去記事のリーダー観について
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12338313490.html


親から引き継いだ施設を、このように運営していけばいいよ、という指針を教えてくださっているようですね。
他には、これ以降の参拝は暫く見合わせた方が良いという知らせが来ていますね。

 


鈿女本宮


温く強力なオレンジゴールドのエネルギーがブワッと正面から来ます。

 

 

この社殿前で感じられるエネルギーは、先ほどの拝殿よりも強力です。

 



【鈿女について】
鈿女は、天岩戸隠れのエピソードにあるように、神事芸能の神楽の祖神と言われています。
そして、猿田彦の妻神でありセットで祀られる場合が殆どです。

ここからはこのブログでの推測になるのですが、沿岸で太陽神を祀る海神族(わたつみぞく)が神事として旧の太陽神、そして海神に祈りを捧げる際に、巫女舞のような舞を捧げていたのではないかと感じるのです。

その巫女舞を捧げ続けたエネルギーが鈿女の意識体ではないかと思うのです。
で、ただ祈りを捧げ舞うだけであれば、鈿女という人格神が産まれないと思うのですよね。
つまりは、各地の玉姫伝説・弟橘姫(橘姫)の言い伝えのように、人身御供があったのかもしれないなと思うわけです。

映画”天気の子”のイメージが分かり易いかと思います。



鈿女本宮右側の滝



今回の旅のメインの目的は禊ぎでしたね。高次元が設定した副題としてサルタビコがあるのかもしれませんが・・・。

ここからも強力で清涼で細やかな禊ぎエネルギーが流れています。

 

 

眺めているだけで強力に浄化される感覚があります。画像からも感じます。


滝を祀る、龍蛇両地神社があります。

 


龍蛇両地神社




 

水と地の循環を含め、生と死・再生を司っているようです。

 

 


前回の記事の祓戸総本社である佐久奈度神社の記事で、「破壊」と「再生」はセットでありそれが禊ぎ・循環だと記事にしましたが、まさか繋がっているとは思いませんでした。

これらも高次元が設定した今回の学びの回収ポイントなのかもしれません。

 

 




清らかな水に癒され次に向かいます。




境内をぐるっと回って最初の鳥居の右側に来ました。



椿立雲龍神社

 




井戸に関係して龍神として祀っているのかな。

 


エネルギー的には水はあまり感じず、土とか根のどっしりエネルギーを感じます。
あと少しのネガっぽいエネルギーも。



椿大神社の椿の花


鮮やかな赤寄りのピンクですね。




その後、三重の名物豚「さくらポーク」を使ったとんかつを頂きました。


 

 


八丁味噌・ソースを選べて嬉しいです。

 

 




(2021.10.25)

日吉大社の次は、祓戸四神の総本山と言われる、佐久奈度神社に来ました。

祓戸四神
・瀬織津姫命
・速秋津姫命
・気吹戸主命
・速佐須良姫命


【祓戸神について】

今までのこのブログにおける祓戸神とは、大祓祝詞より以下の解釈であり、


・瀬織津比売(せおりつひめ)
こうして祓い清められた全ての罪は、高い山・低い山の頂から勢いよく流れ落ちて渓流となっている急流にいらっしゃる瀬織津比売と呼ばれる女神が大海原に持ち去ってくださるだろう。

・速開津比売(はやあきつひめ)
このように瀬織津比売によって持ち出された罪を、今度は人が近づけないほどの大海原の沖の多くの潮流が渦巻くあたりにいらっしゃる速開津比売という勇ましい女神が、その罪をガブガブと呑み込んでしまわれることだろう。

・気吹戸主(いぶきどぬし)
このように速開津比売によって呑み込まれた罪は、今度は海底にあって根の国・底の国へ通じる門(気吹戸)を司る気吹戸主といわれる神が根の国・底の国(黄泉の国)に気吹によってフゥーっと息吹いて地底の国に吹き払ってくださるだろう。

・速佐須良比売(はやさすらひめ)
このように気吹戸主によって吹き払われた罪は、今度は根の国・底の国にいらっしゃるパワー溢れる速佐須良比売という女神がことごとく受け取ってくださり、どことも知れない場所へ持ち去って封じてくださるだろう。(消し去り無くしてしまうという意味に取りましたが・・・。)


・瀬織津比売=渓流の神:川から大海原へ洗い流す
・速開津比売=海底の神:大海原に飲み込む
・気吹戸主=黄泉の門番の神:黄泉の国に吹き飛ばす
・速佐須良比売=黄泉の神:消し去り無くす


つまりは、瀬織津姫命(渓流)、速秋津姫命(海底)、気吹戸主命(黄泉)でそれぞれ纏めた

罪咎穢れを、速佐須良比売が消し去り無くしてしまうことが本質にあると感じます。


でも、日本の昔からの傾向として、陰に関係する神は極端に記述が少なく、隠す傾向にあり、その最も大切な役割をもつ、速佐須良比売(破壊・再生の神)も例外ではないと感じます。


物理的に言えば、水の流れに沿って人々が溜めた罪咎穢れを川を介して海へと洗い流し、塩の力で海水で浄化し、それが蒸発して空のエネルギーでまた再浄化され、綺麗な再生された水として雨となり降り注ぐ。循環システムそのものを具現化し讃えているようにも感じます。

塩は古来日本から用いられる、酒と並ぶ浄化アイテムでありますし、感染症の対策としても塩素が用いられます。

塩自体が人体にも欠かせないミネラルであり、日本に於ける最も重要なパワーストーンとも言えそうです。


また、これら祓戸の浄化の神は、神社における神事の殆どの祝詞で用いられているようで、実質上日本神道に於いても最も重要な神様ではないかと感じるわけです。

 

日本の神社がそれぞれ清涼なエネルギーを保っていられるのも祓戸大神のお陰であるとしても過言ではないでしょう。


さて、前置きが長くなりましたが、神社のレポに進みます。



【佐久奈度神社(滋賀県大津市)】

前回レポにも書いた通り、山王山・比叡山(日吉大社)や、比良山(白髭神社)を含む山々の川から琵琶湖に注がれ、その出口となる瀬田川沿いにこの神社が配置されています。

神社鳥居




案内板



天智天皇8年(669年)創建、神事・祭祀を司る中臣氏が祀ったようです。

祓戸四神の唯一の記述として残る大祓祝詞を作った、中臣鎌足(生614年~没669年)の没年に祀ったのには意味があることなのでしょうか。

現在の社地は天ケ瀬ダムに伴い、旧社地が水没してしまうため、昭和39年に移転したもののようです。

 



稲荷社・八幡社




手水舎




参道・境内



広い境内にはホワホワとした祈りのエネルギーが感じられます。




拝殿全体



祓戸の神の総本山としては、こじんまりとした造りのようにも感じます。

 

 


右側の狛犬



獣っぽいのにニカッと笑ったような表情が素敵です。


この画像の左側に見える摂社として、焼鎌神社(天御柱大神)・敏鎌神社(国御柱大神)があるのですが、当日は見落としてしまいました。残念。

大祓祝詞にあるように、”焼鎌・敏鎌により穢れを打ち掃う”という役割もあるのかもしれませんね。そして、鎌により命を刈り取るという意味もあるのだとしたら、やはり破壊・再生の神でもあるのだと感じます。

宇宙の全てのものの原理である、一つの点からの拡大・収束の振り子運動のような循環サイクルの収束の部分に相当するのだと思います。すべてのものが消え去りひとつの点となりそこからまた再生し広がっていく運動といいますか・・・。

創造と破壊の神はセットであり、生み出されれば、最終的にはまた消し去られるということでして。

 

 

今までの神社仏閣巡りの中で、鎌を感じた神と言えば以下の2社があります。

・幸稲荷神社/東京タワー(東京都港区)
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12281037700.html
⇒運命を刈り取る循環を司る存在

・二岡神社②(御殿場市)と時空の渦
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12502403976.html
⇒無限回廊を司る時空の子神


いずれも、時空や運命などと関連した陰っぽい神でした。
それらと繋がるのかもしれませんね。

 

 

 

その後、耳鳴りが起き、

 

”焼鎌・敏鎌 打ち掃い給え”

 

ということばを受信しました。浄化・禊ぎのために使える祝詞ということでしょうか。

 


拝殿

 

 




普通の祓詞に加え、大給祝詞にて挨拶をしました。白い雷のようなバチバチしたエネルギーを感じました。
 

 

 

 


社務所



今まで見たこともない、祓戸四神が別々になった御札を発見しましたので頂くことにしました。



 

 

 

 

 


装束を着たマスコット犬「クレちゃん」

 

 

 


 


・・・。



こっちみんな!




 

 

 

 

 

 

 

 



次に旧社殿付近に向かいます。
 

 


 


旧社殿付近は砂利道の駐車場になっており、全体からホワホワした清涼なエネルギーを感じます。

 

 

 


1,400年ほど込められた祈りの土地で在るわけですから、蓄積されたエネルギーは相当なものでしょう。


瀬戸川


 


この川がご神体とも言えるのかもしれません。
清涼な祈りのエネルギーを感じます。



イチョウと案内板

 

 




全ての社殿や木々を伐採したのち、ただ一つ新しい芽が吹き出し、再生した命。

 

旧社殿の祈りの集積体の依代になっているのかもしれません。

 

 

 


(2020.10.25)

琵琶湖の白髭神社の次は、日吉大社に向かいます。
前回は全体を周りましたが、今回は気になるところだけ回ります。


白山宮




祭神なんですが、菊理媛尊との記述の他に、旧称:客人(マロウド)としている所が気になります。



この裏の山には古墳ぽいエネルギーを複数感じますが、それと関係があるのでしょうか。




磐座?




白山宮の滝

 

 


心地よく清涼な水エネルギーと、光エネルギーの白繭を感じます。

 


 



宇佐宮:田心姫神

 

 

おだやかで清涼な水面のようなエネルギー。癒しで包み込まれる心地よい女性性エネルギーですね。


大宮竈殿


そこに在る。この地に根を張っている元々(源々)からいる神という感覚です。


西本宮:大己貴神






お釈迦様っぽいエネルギーと日本の中性的な男性神が合わさったような習合神っぽい雰囲気を感じます。金ぴかの鎧を着た若めの中性的な男性神のイメージです。


大威徳石

 




密教系の畏怖神ですよね。
陰陽が混ざり合った畏れ多き信仰の場という雰囲気があります。

石からはそんなにエネルギーは感じませんが、写真の掛け軸のエネルギーがとても気になります。

 

ネガをより強力なネガにより焼失(消失)させる。そんな目には目を、歯には歯をエネルギーを感じるのです。

それこそが畏怖神の本質なのかなと・・・。

 


春日岡(九座の霊石)

 

 




いつ造られたものかは分かりませんが、外側の石から中心の石に向かいエネルギーが集積し上昇するエネルギーが放出されていると感じます。気になります。

時代的に比較的新しそうな雰囲気なのに、磐座として完成されている配列エネルギーを感じるのです。


日吉大社山王鳥居

 

 


言わずと知れたシンボルです。

 

割りとどこの神社にも言えることなのですが、鳥居付近からは、結界内部の境内・社殿全体を代表しているようなエネルギーを感じます。

清涼なエネルギーと暖かいボワーとした浸食する金属エネルギーの両方が正面から流れ込んでいます。

大宮川へと向かいます。



大宮川へ向かう道

 

 





大宮川を祀っているであろう祠




清涼さを感じるポイント

 

 


 


やはりこの辺りが強烈すぎるほど清涼で、今回求めるべき禊ぎエネルギーの一部だと感じます。

 

 



山王山・比叡山(日吉大社)や、比良山(白髭神社)を含む山々の川から琵琶湖に注がれ、その出口となる瀬田川には禊ぎの神様の総本山の佐久奈戸(さくなど)神社があります。


この場所にも当然禊ぎの神は宿っているのだと感じます。


(2020.10.25)

昨年秋の比較的感染が落ち着いていた時期に、禊ぎ(水削ぎ)に関連した場所を中心に琵琶湖~伊勢周辺をまわったことを記事にしていきます。

初回は琵琶湖西岸にある白髭神社です。

 

琵琶湖周辺の最古の信仰と言われている場でもあります。


祭神は猿田彦命で、垂仁天皇5年(BC11年)に倭姫命によって社殿が建てられたのが創建のようです。磐座もあるようですし、もともとは比良山を祀るものだったのかもしれません。

新羅に関係しているという話や、海神族(わたつみぞく)が関係しているという話がありますが、朝鮮半島からの渡来人が造ったのは間違いなさそうです。裏の山に古墳もいっぱいあるようですし。

 

国史では865年に比良神として記載があるが、『延喜式』神名帳には記載されていないわけですから、天皇族とは異なるそれらとは親しくない渡来族由来ではないかなと感じるわけです。


さて、レポをします。
早朝から琵琶湖西岸沿いに進みます。


比良山地



”比良山”はこのあたり約30kmに渡って南北にのびる山脈の総称のようです。
比叡山の10km北のあたりから続いているようです。


朝日が美しいです。琵琶湖がその姿を見せ始めました。




白鬚神社の駐車場に到着です。

 

 

 

 

 

 

白く淡くホワホワするような光の綿のようなエネルギーを感じます。
イヤシロチで祈りが込められ続けている場所という感覚があります。



【白鬚神社(滋賀県高島市)】

白鬚神社の顔とも言える、湖中鳥居



朝日が湖面を照らし、猛禽類っぽい鳥が飛び交っています。
美しいですね。

 

 

 



白髭神社から見て右側の琵琶湖西岸



穏やかで心地よいエネルギーです。




白鬚神社外観



拝殿は直ぐ正面にあり、それ以外の摂社などは、山の方に配置されているようです。
茅ではなく檜皮葺のようですが、日吉大社と似た雰囲気があります。


エネルギー的には金属性のような・・・。温く侵食する陰陽が混ざりあったエネルギーを感じます。神仏習合の時代(白鬚明神)もあったので、その時のエネルギーが強いのかな・・・。



神社案内図




鳥居からの琵琶湖




シュワシュワしたエネルギーと神社の温いエネルギーがぶつかり、混ざりながら湧き上がる感覚があります。手の甲がキュウキュウします。



狛犬



力強い狛犬も、朝陽を浴びて心なしか穏やかそうな表情に見えますね。



手水

 




コロナ対策で、ここも柄杓無しの運用に改修したようです。



拝殿



建物の木のエネルギーと朝日が蓄積したようなほっこりするエネルギー、そして外観でも感じたような浸食する金属性の温いエネルギーを感じます。
なるほど、旧の太陽神でもある猿田彦っぽさを感じます。

 

 

 


日吉大社の神獣も申(さる)、ここでも猿田彦。関連があるのでしょうか。
豊臣家(秀吉=サル)によって整備されたこととも関係あるのかな。


左側面(拝殿~本殿)




本殿よりも、祈り込めがされて朝日を正面から受ける拝殿の方がエネルギーを強く感じられます。



若宮神社本殿




祭神:太田命



伊勢付近にいらっしゃる猿田彦のエネルギーと近い印象です。
温く高貴で鞠のようにブワーンと広がる金色のエネルギーでした。
社殿のエネルギーとしては、白髭神社内でここが一番好きかもしれません。



上の宮(摂末社)への鳥居・階段




摂末社はこんな感じで配置されているようです。

 




内宮・外宮・三社(加茂・八幡・高良)




外宮


ピシピシと突き刺さる厳しめのエネルギーですね。
白っぽい茶・黄土色。


内宮


外宮同様に、ピシピシと突き刺さりますが高貴さ清涼さが加わっている印象です。
すこしくすんだ白っぽいエネルギー。


三社(加茂・八幡・高良神社)



ピシピシと刺さりつつもどっしりしています。



天満宮・稲荷社・寿老神・弁財天




稲荷社



狐さんのイメージよりも、穏やかなおじいちゃんの神様というイメージがピッタリ来るエネルギーです。


天満社


ピシピシしていますが、一つ下の段の外宮と比べると穏やかなような。



寿老神・弁財天



正面から圧迫されるようなエネルギーがブワッと来ますが、癒されるエネルギーで体が包まれる感覚がありました。

そして、岩戸社へと向かいます。

 



岩戸社

 

 

 


奥には古墳があり、その右には磐座があるようです。

 

 

 

 

岩戸社からはさり気ないピリピリした気を感じます。


磐座



下呂の磐座群や日吉大社奥宮の金大巌と近く、傾斜がつけられ、スパッと切り取られたような形で形成されており、表面には引っ掻いたような線があります。

 

 

 


磐座のエネルギーとしては、希土類の金属から感じるような、白っぽい金属的な浸食するほんわかエネルギーなのですが、祭祀における、天体観測的な役割があるタイプではないかなと感じます。

 

 

 

 

 


※定かではありませんが、渡来人が現地の住民を征服する際は、現地の人が住んでいた場所を奪い、さらには元々の土着の民たちの信仰を塗り替える性質があるように感じます。
縄文を象徴する磐座の隣に、渡来人を象徴する古墳があるのもそういう理由からかなと感じるわけです。



※磐座の”天体観測的な役割”が気になる方は、
こちらの記事をご覧ください。

妙見神社・岩屋岩陰遺跡(岐阜県下呂市)
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12407960697.html



そして、磐座の辺りにきた際にひと際強いエネルギーで強い視線を送り主張している存在を感じました。


そちらの方を向くと・・・。

 

 



この場を統括しているような存在が後ろの神木を依り代として、いらっしゃるようでした。


気になる木

 

 

 


 


祝詞を唱え、挨拶しましたところ、イメージとして以下のメッセージを頂きました。



萌え(燃え)いでる力を蓄えなさい。


古きものを脱ぎ捨て、拡散するように力強く成長していきなさい。


そして、あなたの道・自分自身を見つめ、迷いを捨てなさい。




ということでした。


私事ですが、社会での立場の変わり目、そして新しい命を育てていくことと、土の時代から風の時代への移り変わりと、私にとって丁度大きな人生の節目のようにも感じています。
それらに向かうために必要な意識へと切り替えていかなくてはならないということでしょうね・・・。


ここに来て、”周るべき場所は終わったよ”というサインが降りてきました。


この上には、物物しいエネルギーを感じますし、山頂付近には磐座もあるようなのですが、”おしまい”というサインが出ているわけですから、戻るのが吉でしょうね。


山に向かって物物しいエネルギーを発する木々たち

 

 

 


 


(2020.10.25)

さて、神奈川に2つの橘樹神社が存在するため、千葉から帰りつつも参拝することにしました。


まずは、川崎にある橘樹神社から向かいます。


【橘樹神社(川崎市高津区子母口)】


神社外観




外鳥居




じんわりと細かく染みるような光エネルギーの祈りと、奥底に陰の細かな土エネルギーが溜まっているような印象です。

手の甲に甲高く細かく染みるパワーです。



手水



狛犬


文字通りのおだやかな”お犬様”ですね。ほっこりするお姿です。



拝殿

 

 

 

 

 

 

小さな社殿ですが、かなり強力かつ神聖で威厳ある祈り込めがされているようで、かなり細やかで強力な波動を感じます。外鳥居で感じた下方向のベクトルは無く、浮かびあがる感覚があります。高貴な紫・白の光エネルギーが強い印象で、明神様(天照様)に似た印象があります。



子母口貝塚の一部(移転)




最初、すこしずっしりするし、富士講っぽいなと思い、参拝を遠慮しようかなと思ったのですが、実はこの神社の由来となる場所であることが判明しました。
(※外鳥居で感じた陰の土エネルギーはここ由来のようです。)


その後、神社の方が以下の由緒を説明してくださいました。


神社の方の仰る由緒

「もともと、この辺りは海岸だった場所で、縄文時代の遺跡である子母口貝塚に弟橘媛の御櫛が流れ着いたという伝承があり、それをご神体として祀っていた。

しかしながら、宅地造成のため遺跡を潰したが、櫛が祀られているとされる貝塚をここに移転し祀っている。」


つまりは、本来のご神体は拝殿の奥ではなく、この貝塚である、とのことでした。


山岡鉄舟の碑文





山岡鉄舟がここに関連する文を遺しているようです。




境内の神木

 



祈り込めの力を感じますが、貝塚の陰と拝殿の強い陽が混合してそこに木属性を足したような、どっちつかずで頭がグラグラする場になっています。



本殿



拝殿の光エネルギーがあまりに強力なため本殿からはあまり感じません。



拝殿の光輝くエネルギーってなんでしょうね。
びっくりするくらい強烈でした。


ただ、私がイメージする、弟橘媛の面影は感じられませんでした。
明神宮というイメージがしっくり来ます。


【橘樹神社(横浜市保土ケ谷)】


最後に、保土ケ谷にある橘樹神社に向かいます。


外鳥居



重厚で金属的なエネルギーを感じます。
ずっしりした男性的なエネルギーというか・・・。


手水



コロナ対応で柄杓はなく、手酌での濯ぎ方式になっています。




狛犬たち

 




煤けた陰寄りの海獣という印象です。



拝殿




鳥居と比べ、すっきりした白いエネルギーが増えてきました。

祈りとバリアのエネルギーがバチバチときます。

 

 

 

 


エネルギーの粒度は細かくなく荒っぽい印象ですが。



由緒



どうやら、橘樹神社とはいいつつも、八坂神社の分霊を祀っているようなのです。

 

 

 

 



入口で感じたズッシリした金属性エネルギーや拝殿の粒度の粗いバリアの祈りエネルギーは牛頭天皇やスサノヲ特有のエネルギーということでしょう。




境内の神木





拝殿~本殿



ここからも、私がイメージする、弟橘媛の面影は感じられませんでした。
王子社・八坂社というイメージがしっくり来ます。



帰りは横浜が本場の家系ラーメンを頂きました。

 


 



神奈川にミッションがあり弟橘媛に関係がありそうでしたが、これら2つの神社は弟橘媛を感じられませんでした。

弟橘媛が感じられた場所としては、古事記の記載通りの走水神社(横須賀)と、吾妻神社(富津)、そしてその間を結ぶ東京湾の地下(海ほたる)でした。

静岡の課題同様、この範囲もエネルギー的な神奈川に相当するのでしょうか。



また、新たなミッションが得られた際に考察することになりそうです。


(2020.10.11)

次に、富津の海岸に流れ着いた弟橘媛の櫛を祀ってあるという吾妻神社に向かいます。

神社の”吾妻”の語源についても、日本武尊の「吾嬬(あずま)はや」つまり「ああ、わが妻よ(もういないのか)」という言葉が由来と言われています。
 

【吾妻神社(千葉県富津市西大和田)】
 

 


外鳥居



田園風景が一望できる丘の上に神社があります。

 

由緒板

 

 


鳥居・参道



階段を登って拝殿方向に向かいます。

2つ階段がありますが、まずは左側の階段を通ります。

 

 

 

 

ちなみに右側の階段の先には、やぐらのようなものがありましたので、2礼2拍手で挨拶させて頂きました。

 

 

※すこし重たいです。

 

 


狛犬たち

 

 


海神のしもべっぽい風貌ですね。
 

 



拝殿

 

 

 

 

 



 


清涼でバリアっぽい強い祈り込めエネルギーと水のエネルギーを感じます。

 

光属性8割+水属性2割という感覚です。

 

かなり強い祈りですね。
 

 

 


物悲しくも寂しい沿岸の民特有のエネルギーも感じます。

 

地元の方にとっては無くてはならない、生活に強く結びついた神社のように感じます。


おみくじをひきます。

 

 



毎回タイムリーな厳しいお言葉を頂きますが、成長の機会になっていると感じます。

 

おみくじは、よほどの禍事の暗示がなければ財布にしまい、数か月は身に着けることにしています。
 


拝殿の左を見ると”奥の院”の看板があります。

 

 

 


ここから進むと、本殿に相当する場所でお参りできるようです。
 

 

 


奥の院



 


ここでは、かなり不思議な感覚がありました。


神様のエネルギーというよりかは、人の優しい祈りのエネルギーが取り巻いており、それが心地よく感じられました。


通常ですと、人の念が強く込められた場所は負のエネルギーが強く、気持ち悪くなってしまうのですが、ここはどうやら逆のようです。

 

 

 



海の民とその家族が、一日の無事を祈り、不幸があって亡くなってしまった家族の冥福を祈る場所。

 

その亡くなってしまったけれども大切に思う相手への強くも優しい、そして寂しい感情が私の体の中に大量に流れ込んでくる感覚でした。

それに亡くなってしまった方の意識体も少なからず感じつつも、残してしまった相手に対する愛情にあふれていて、不快に感じませんでした。

死に分かれてしまった大切な人と再び出会い、交流する場所。

そういう感覚がありました。


時間・空間を越えて多くの学びを累積した過去から教えてくれる、神社って本当に不思議な場所ですね。


今回の弟橘媛に関する学びの中でこの場所で感じたことが最も重要であるようです。

 

家族に関する感情とこれから自分がどう生きていくかについて深く考えるきっかけになるのかもしれません。

 



さて、隣にある摂社にお参りします。


粟島神社・琴平神社




安産・子授け・海上安全・万病平癒・家内安全・厄除けなど、生活に密着した神様のようです。

ここからも心地よい優しい愛情エネルギーが感じられました。

 

 

 

 

 


(2020.10.11)
 

 

 

 



【家族との関係と自分のこと】

以下の記事で依存症についてと、その根本原因として、”人から愛されていなかった”という欠乏感があることを記事にしました。


依存症について
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12631415132.html


ただ、今回の”奥の院”で感じた、”寂しい・本当に大好きだったのにいなくなってしまって悲しい”という想いは本物だと思いました。


自分の親はどうだったか分からないけど、少なくともここで祈りを込めた富津・吾妻の方々たちは人のことを愛していたんだということがわかり、その残留想念の”愛する感覚”・”愛される感覚”というのがわかり、嬉しくなってしまいました。


実は、母親がレビー小体型認知症になり、どんどん自分勝手で怒りっぽくなり、全てのことを人のせいにして全く謝らない、人の迷惑などお構いなしにやりたい放題の状態が続いていて、嫌気がさしていました。

それに付きそう父親も母親に寄っていて、周りが見えていないようで、色々なアドバイスやできることをしたつもりなのですが、2人でどこか遠くへと行ってしまったようなそんな感覚がありました。


きっと、両親2人の親としての役割はもう終わっているし、親から引き継いだ施設をこれからは自分が責任者となって成り立たせていかなくてはならないし、さらには来年には私の第一子が産まれる予定がありますし。


”土の時代”から”風の時代”に切り替わるこのタイミングで、本質的な意味で世代交代をして、精神的にも自分の親から離れ、一人の自立した親としての自覚・素養、組織の責任者としての自覚を身に着ける課題があるのだと感じます。


そして、人から受け取ることが苦手な私なので、”人を愛すること”・”人から愛されること(を受けとめること)”も同様に苦手なんだと思います。それらにも向き合う時期なんでしょうね。

 

(2020.11.16)

さて、次は富津市の神社へと向かいます。


富津市は弟橘媛にとって三浦半島の走水の対となる場所であり、走水の海に身投げした弟橘媛の服が海岸に流れ着いたと言われる場所でもあります。

そのあたりの話と動画は、以下の富津市HPをご覧ください。


【富津市由来(※富津市HPより)】
布流津のお話-日本武尊と弟橘媛伝説-
 富津市の名前の由来の一つである、「布流津(ふるつ)」伝説を子ども向けにわかりやすく伝えるために、紙芝居風にまとめた動画を作成しました。

 二人の伝説のもとになるお話は、古事記・日本書紀に記されており、「都から東征に来た日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、走水(今の東京湾・浦賀水道)を渡る時に大嵐にあい、妃の弟橘媛(オトタチバナヒメ)が身を捧げて海の神の怒りを鎮めたことで、無事に上総国へ上陸できた。」というものです。
 市内に伝わるこの伝説には続きがあり、日本武尊が上陸した後に、弟橘媛の衣の布が富津の海岸に流れ着いたことから、「布が流れてきた津」→「布流津」→「富津」になったと言われています。

 

富津市HPの由来動画
https://www.youtube.com/watch?v=VO0n5YKmCPI

---富津市HPここまで

富津の岬(御崎)付近




そして、富津の岬(御崎)付近にある、貴布禰神社にオトタチバナヒメが祀られているのだろうと思い、参拝することにしました。


【貴布禰神社(富津市)】

貴布禰神社(貴船)と言えば、その総本社は京都左京にある貴船神社であり、その御祭神は高龗(たかおかみ)・闇龗(くらおかみ):水源の神です。

一方で、この神社では弟橘媛が祀られ、海上安全・家内安全などの祈りの場となっているようです。


外鳥居(入口)



明らかな波の水エネルギーと優しさの祈り込め光エネルギーを感じます。
漁師町っぽい、沿岸の神社らしき、少し物悲しいエネルギーを感じます。



いわし供養塔


漁で獲れた海の幸に感謝をすると共に供養をする役割があるのでしょうね。


参道


 


手水



水はありません。コロナの影響でしょうか。
水のエネルギーはたくさんですが・・・。




狛犬(右側)



岩・波を連想させる造りをしています。沿岸を護る神にふさわしき形ですね。




狛犬(左側)



この狛犬の奥には、小さな祠が並んでいて、奥には碑文があります。


拝殿


 

 

 


心地よい波のエネルギーが体の中を突き抜けます。
沼津戸田港にある諸口神社と似たエネルギーです。

同じく水属性のエネルギーをもち、海神と一体化するような力を感じます。


そして、沿岸部の神社らしい物悲しいエネルギーを感じます。
それは、漁で大切な人が安全であるように祈りつつも、不幸があった家族は、冥福を祈る場でもあるように感じるからです。

 


沿岸部で祀られる神社で感じる寂しさは、悲しくもあり人が人を愛していた証でもあり、胸に染みる感覚がありますね。

 

(もしかしたら、過去に弟橘媛同様に人身御供があった場所かもしれませんし・・・。)

 


祖霊社っぽい祠





貴布禰神社の周りにいくつかの神社があるため、併せて参拝します。




【浅間神社(大天狗・小天狗神社)】


 

 

 


富士講らしき、ずっしり・どっしりとしたエネルギーです。
陰寄りでサードアイが沈みそうな感覚です。・・・。
 

 


【御嶽神社】

 


これは富士山の遥拝所的な立ち位置なんでしょうか。
富士塚を祀る場所っぽい雰囲気です。

 


稲荷神社

 


御嶽神社 拝殿



ずっしり・どっしり・・・。



奥にもいくつかの摂社らしき場所が。



御嶽神社(塚を祀るもの?)




不動明王



稲荷神社



九頭龍神社

 

 

 

 


富士講の石碑だらけで、特有のずっしりエネルギーを強く感じたので、遥拝のみにしました。


(2020.10.11)

私が今取り組み始めている、神奈川の課題の一環として、弟橘媛(オトタチバナヒメ)に関係する学びがあることがNちゃんから聞き分かりました。

前回の依存症の記事を含め、家族の人間関係について向き合う課題があるのではないかという風に現時点では考えています。

 


ですので、今回は弟橘媛(オトタチバナヒメ)に関係する以下の神社を周ってみようと思います。

 


【弟橘媛に関係する神社】
・上総国二宮 橘樹神社(千葉県茂原市)
・吾妻神社(千葉県富津市)
・貴布禰神社(千葉県富津市)
・橘樹神社(川崎市高津区子母口)
・橘樹神社(横浜市保土ケ谷)


ルート



初回は、日本武尊が弟橘媛の御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったとされる、上総国二宮 橘樹神社に向かいます。



ヤマトタケルが通ったルートとは異なりますが、川崎-木更津を繋ぐ、海ほたるを利用して、千葉方面へと向かいます。


海ほたるのトンネルの中




ここで、東京湾の海の水エネルギーを感じました。
水の重圧のある広大なエネルギーに包まれている感じです。


身投げをした弟橘媛が一体化した海神のエネルギーではないかと思うのです。



海ほたるPA


 

 

 


早朝ということもあって、お店はコンビニなど一部のみ縮小営業しているようです。



木更津付近



霧雨の中、木更津・市原の山々を抜けて、神社のある茂原市へと向かいます。



数時間かかりようやく到着です。


【橘樹神社(千葉県茂原市)】


外鳥居



弟橘媛なので、海神とか波のエネルギーかと思ったのですが、どうやらここは、土属性・木属性(緑はあまり感じない)・陰属性が強いようです。水っぽくありません。

”橘の木”がメインなのかな・・・。境内に入って確認していきます。


外鳥居の先に3つほど鳥居が連なっています。


 

うーん、土・木の陽エネルギーですね。



3~4つ目の鳥居の左側にある樹




金属性の温いエネルギーの祈り込めがされているようです。
浸食する仏教寄りのエネルギーに近い感覚があります。



古井戸?

 


ここも、モヤッとする金属性の陰寄りなエネルギーです。
井戸っぽいのに水を感じません。


4つ目の鳥居




社叢板



橘の樹はないのですね。


宮ノ下遺跡の案内板

 


縄文土器・石器の出土地でもあるようです。
わりと重要なポイントかもしれません。



橘木社文書板



中世では、養蚕や荏胡麻栽培がこの辺りで行われていたようです。



参道



手水舎



コロナの影響で、柄杓を使わない手水に改修されているようです。



狛犬

 



海神の遣いのような海獣型の狛犬です。



拝殿

 

 




祝詞をあげ、挨拶をしました。
何かしらのイメージが湧くかと思いましたが、特にはなにも起こりませんでした。

ここは、バリアのエネルギーが強いようです。
能褒野神社などで感じた、古墳を守るためのエネルギーに近い感じがします。


男性性が強く、陰のエネルギーも強いように感じます。
古墳っぽいな・・・。


鳥居~境内参道まで:木属性・土属性・金属性
拝殿:バリアエネルギー・陰属性

という風に私は感じました。


拝殿前の狛犬たち

 

 

 


陰寄りの海獣らしき風貌です。



拝殿右側から奥へと向かいます。



拝殿~本殿付近


 

 

ゆったりした土・金属エネルギーを感じます。

 

平坦でほっこり静かで、浸食するエネルギーです。
男性寄り中性的エネルギー?


御陵への看板(この先立ち入り禁止)

 

 


 


この先に古墳があるようです。
バリアエネルギーと金属性エネルギーが強いです。


さて、拝殿左側の摂社へと向かいます。

 

 

 

 

 

窟戸神社(天手力雄命)

 

 

 

 

窟戸社後ろの意識体を感じる木。

 

 

 

 

子安神社(木花開耶媛命)

 


これは、富士講の浅間信仰に近いエネルギーですね。



稲荷神社(保食命)

 

 


ここからは、ふんわりと花が咲くように広がる土属性の華やかなエネルギーがこちら側に向かってきます。

 

実はこの土地のもともとの神様ではないかと感じます。

 

”うけもちの神”・”先導した神”・”もろうどの神”・”調伏した存在”などは元々その土地に祀られていた神様であるケースが多いように感じています。

 

 

 

 


陰の場の中で、この場所がふんわりとした陽のボールのエネルギーで包まれているようなそんな感覚が得られます。

 


ハートチャクラに来る優しいエネルギーですね。



境内の木々と池

 

 

 


うーん、やっぱり陰の場なんですよね。



社務所

 

 


御札を頂こうか、迷っていると、首輪のあるネコが近づいて来ました。

 

 



 

 


付きまとうように来て、鳴いています。

 

 


 



社務所に来ると一緒に付いて来て、正面にどっかりと座ります。

 

 




そうしていると、社務所の中の方が気づいて、くれました。
お店の番をしてくれていたのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 






(御札を頂く際にネコぱんちで邪魔をされましたが・・・・。)

 

 



【私が感じる橘樹神社の由来の推測】
実際に来てみて感じたこととしては、ヤマトタケル(大和朝廷に属する豪族の軍)が
東征の際、宮ノ下遺跡の縄文の民たちを追いやり、その場所に居を構え、国造(くにのみやつこ)として豪族の長を祀る古墳を建てた。
それらを古事記の編纂に合わせ、朝廷側は、弟橘媛を祀る神社に変更した。
元々土地神として祀られていた神は、保食神(うけもちのかみ)として祟り鎮めを行った。


という所でしょうか。



ここ、橘樹神社に来る途中の道で、橘樹神社とは異なる”緑属性+金属性の女性性エネルギー”を強く感じました。

 

 

 




帰りに、そのあたりを通ってみると、同様のやさしいエネルギーを感じました。
この辺りに感じる意識体が、今回の学びと関係あるのでしょうか・・・。
 

 

 

 

 



(2020.10.11)

最近、厚労省から出している、依存症啓発漫画を読むことにより、それらに対して深く考えると共に、その内容がスピリチュアルに繋がっていると感じたので記事にします。


厚労省 依存症啓発漫画(1話~9話)
https://www.mhlw.go.jp/izonshou/izonsho_manga_v01.html

厚労省 依存症啓発漫画(番外編)
https://www.izonsho.mhlw.go.jp/manga/izonsho_manga_v10.html

 


これら10話を読んでみて、
特に、スピリチュアルに繋がっているなと感じる所は、番外編で触れている、

”依存症は風邪の症状のようなもので、根本を治療しないと、症状だけを止めても現れ続ける。”

というところで、


具体的に言うと、

依存症になる人には、心に何かしら満たされない穴があり、その穴を埋めたり誤魔化したり忘れたりするために何かに依存するというところがあるようです。

各スピリチュアルのブロック解除と似ていますよね。


私の場合は、依存先が、

・暴食
・酒
・スマホ(ゲーム)
・スピリチュアル的な霊験

・収集癖(ビックリマンシール、聖闘士星矢フィギュア、パワーストーンなど)

 

あたりだったように感じます。
進行形のものもありますが・・・。

 

収集癖はハウルの部屋が分かり易いのかもしれませんね。

寂しさを紛らわすというか・・・。

 

 

 


じゃあ、それらを注意深く観てみると、どうやら、私の心の奥の方では、

 



”私は両親に愛されていなかった。誰も心から大切にしてくれる友達は居なかった。”


と感じていたことがわかりました。
実際は、愛されていたのかもしれませんし、心から大切だと思ってくれた人がいるのかもしれませんが、どうなのかはわかりません。
・・・人の心の中を覗くことはできませんからね。

 

 


ただ、今迄は”愛されていた”と表面上は感じつつも、

心の奥では”誰からも愛されていない”という心のスキマを埋めるために

症状的な現れとして、依存症になっていたということなんでしょうね。

 

 


そして今は、心の奥底で、”愛されていなかった。”という痛み・スキマを抱えていることに気づいてしまった。

 

 


それらを抱えたままこれからどう生きていくのか、という問題に直面するわけです。



人の心の内面を推し量れる唯一の存在、それは自分自身のみだと思っています。
だから、私の答えは、

・自分を愛すること。
・他人に拠らない自分であること。
・他者のためでなく、自分のために物事を決めていくこと。
・確立し、自立した自分が他者に対して愛・または貢献をしていくこと。


です。


アドラーの考え方と近いですね。

 

 

これらは今、来るべくして来た課題のようです。

Nちゃんと暮らして来て、安定している今だからこそ向き合えるとも言えます。

 

 

両親のこと、Nちゃんとこれから作っていく家庭の関係性、そして”神奈川に関する課題”、と繋がっているように感じます。

 

 

また、別途記事にしていく予定です。

 


(2020.10.6)

皆様お久しぶりです。


ついこの前、ガイドから、

”神社参拝時の祝詞を更新した方が良い。”


というメッセージを頂きましたので記事にすることにしました。


今までは、日本神道と秀真の御祖神を組み合わせたような以下の祝詞を使用していたのですが、神社の神様への挨拶には不適切になって来たようです。(あくまでも今の私の状態としてというメッセージのようです。)

極微実相玄幻子界 高天原に神魂霊、燃え出で座す、神ロギ神ロミのみ力もちて 万生とヒトの御祖神天津主の真光大御神 祓戸の大神等 諸々の包み気枯れをば真光もて祓い清め禊ぎ給いて 神の子の力蘇らせ給えと申すことの由を畏み畏みも白す 御親元主真光大御神 護り給え 幸給え  御親元主真光大御神 護り給え 幸給え 唯神 魂霊 幸いませ 唯神 魂霊 幸いませ

代わりに使用する祝詞は、各種神事や正式参拝時にお馴染みの祓詞(はらえことば)が良いようです。


祓詞(はらえことば)

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神

筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に

禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等

諸々の禍事・罪・穢有らむをば

祓へ給ひ清め給へと白すことを

聞こし召せと恐み恐みも白す


我が家の神棚への毎日の挨拶には、両方の祝詞を使うことに変えました。
祓詞は結局のところ祓戸四神に禊いでもらう詞で、上の祝詞も、御祖神(根源神)・祓戸神に禊いでもらう詞ですし、何故上の祝詞が相応しくなくて下が相応しいのか良くわかりませんが、ガイドの言うことですし、とりあえずメッセージの通りにしてみようと思います。

 


言霊の波動が強く荒荒しいのは上、やさしく穏やかなのは下という印象を持っています。私の直感では、ネガスポットや取り憑いた未浄化霊の浄化に於いては上の方が適切なように感じます。

 


(2020.08.27)