次に、富津の海岸に流れ着いた弟橘媛の櫛を祀ってあるという吾妻神社に向かいます。
神社の”吾妻”の語源についても、日本武尊の「吾嬬(あずま)はや」つまり「ああ、わが妻よ(もういないのか)」という言葉が由来と言われています。
【吾妻神社(千葉県富津市西大和田)】
由緒板
鳥居・参道
階段を登って拝殿方向に向かいます。
2つ階段がありますが、まずは左側の階段を通ります。
ちなみに右側の階段の先には、やぐらのようなものがありましたので、2礼2拍手で挨拶させて頂きました。
※すこし重たいです。
海神のしもべっぽい風貌ですね。
清涼でバリアっぽい強い祈り込めエネルギーと水のエネルギーを感じます。
光属性8割+水属性2割という感覚です。
かなり強い祈りですね。
物悲しくも寂しい沿岸の民特有のエネルギーも感じます。
地元の方にとっては無くてはならない、生活に強く結びついた神社のように感じます。
おみくじをひきます。
毎回タイムリーな厳しいお言葉を頂きますが、成長の機会になっていると感じます。
おみくじは、よほどの禍事の暗示がなければ財布にしまい、数か月は身に着けることにしています。
拝殿の左を見ると”奥の院”の看板があります。
ここから進むと、本殿に相当する場所でお参りできるようです。
ここでは、かなり不思議な感覚がありました。
神様のエネルギーというよりかは、人の優しい祈りのエネルギーが取り巻いており、それが心地よく感じられました。
通常ですと、人の念が強く込められた場所は負のエネルギーが強く、気持ち悪くなってしまうのですが、ここはどうやら逆のようです。
海の民とその家族が、一日の無事を祈り、不幸があって亡くなってしまった家族の冥福を祈る場所。
その亡くなってしまったけれども大切に思う相手への強くも優しい、そして寂しい感情が私の体の中に大量に流れ込んでくる感覚でした。
それに亡くなってしまった方の意識体も少なからず感じつつも、残してしまった相手に対する愛情にあふれていて、不快に感じませんでした。
死に分かれてしまった大切な人と再び出会い、交流する場所。
そういう感覚がありました。
時間・空間を越えて多くの学びを累積した過去から教えてくれる、神社って本当に不思議な場所ですね。
今回の弟橘媛に関する学びの中でこの場所で感じたことが最も重要であるようです。
家族に関する感情とこれから自分がどう生きていくかについて深く考えるきっかけになるのかもしれません。
さて、隣にある摂社にお参りします。
粟島神社・琴平神社
安産・子授け・海上安全・万病平癒・家内安全・厄除けなど、生活に密着した神様のようです。
ここからも心地よい優しい愛情エネルギーが感じられました。
(2020.10.11)
【家族との関係と自分のこと】
以下の記事で依存症についてと、その根本原因として、”人から愛されていなかった”という欠乏感があることを記事にしました。
依存症について
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12631415132.html
ただ、今回の”奥の院”で感じた、”寂しい・本当に大好きだったのにいなくなってしまって悲しい”という想いは本物だと思いました。
自分の親はどうだったか分からないけど、少なくともここで祈りを込めた富津・吾妻の方々たちは人のことを愛していたんだということがわかり、その残留想念の”愛する感覚”・”愛される感覚”というのがわかり、嬉しくなってしまいました。
実は、母親がレビー小体型認知症になり、どんどん自分勝手で怒りっぽくなり、全てのことを人のせいにして全く謝らない、人の迷惑などお構いなしにやりたい放題の状態が続いていて、嫌気がさしていました。
それに付きそう父親も母親に寄っていて、周りが見えていないようで、色々なアドバイスやできることをしたつもりなのですが、2人でどこか遠くへと行ってしまったようなそんな感覚がありました。
きっと、両親2人の親としての役割はもう終わっているし、親から引き継いだ施設をこれからは自分が責任者となって成り立たせていかなくてはならないし、さらには来年には私の第一子が産まれる予定がありますし。
”土の時代”から”風の時代”に切り替わるこのタイミングで、本質的な意味で世代交代をして、精神的にも自分の親から離れ、一人の自立した親としての自覚・素養、組織の責任者としての自覚を身に着ける課題があるのだと感じます。
そして、人から受け取ることが苦手な私なので、”人を愛すること”・”人から愛されること(を受けとめること)”も同様に苦手なんだと思います。それらにも向き合う時期なんでしょうね。
(2020.11.16)