コンプライアンス:難しい問題
先週の日曜日に、所属する大学の別の組織が主催する学術集会に呼ばれ、教育講演を行った。依頼された時期にちょうどきき手の本が出版され、その本への書評が全国紙に掲載されたこともあって、きき手を題材にした研究を行う上での要点などを話すことになった。「左対右・きき手大研究、化学同人社刊」はそれまでにも読書欄に新刊案内としての記事を掲載してくれた新聞は複数あったのだが、書評(直木賞作家、三浦しをん)としての掲載は始めてで、気分が高揚していたのであろう、本来は作業療法学科がある専門学校の学術集会なので、中高年の高次脳機能や頭部外傷の話を期待されていたのだろうが、きき手の話題となった。その模様を紹介するのではない。そこでの質問に十分な回答を返さなかった気がしているので、ここに外部記憶として書いておいてこうというわけである。ついでに言うと書評はどれも褒めてあるので喜んでいたが、毀誉褒貶が混在する方が売り上げには貢献するようである。
講演後の質問は、「脳梗塞後、きき手が使えなくなった患者さんの訓練についてであり、患側を使えるように訓練すべきか、対側の手を使えるように訓練すべきか?」と言うものである。どちらでも良いが訓練が効果的な選択肢を勧めると回答したのだが、もう少し丁寧に対応すべきであった。
前者の選択肢は理学療法学の採用するアプローチであり、失われた機能を根気よく訓練することで元の状態に近づけようとする発想が背景にある。一方、後者の選択肢は作業療法学が採用する立場で残された機能の中でより良い適応を探そうとする訓練アプローチである。どちらもあり得ることは言うまでもないが、選択を決定する際の留意点を付言すべきであったと後悔しているのである。選択の意思決定の際にコンプライアンスに注意した方がよいと付言すべきであった。
コンプライアンス(compliance)は近年企業での法令遵守の意味で使われ、流行語のようになっているが、その語源は、動詞のコンプライ(comply)で「(何かに)応じる・従う・守る」を意味する。従ってコンプライアンスはもともと「(何かに)応じること、従うこと・守ること」を意味する。医療の現場では治療者側の指示に患者側が従うかどうかに関わる用語である。つまり、この薬を毎食後2錠飲みなさいという治療者の指示を患者側が守る場合はコンプライアンスが成立しているわけだが、食後は面倒だから思いついたら飲むとか、2週間分を一気に全部服用するなどは、成立していない証左である。
手指運動の訓練についても、訓練を指示通り続けられるかはコンプライアンスが重要になる。その成立の要件は、治療者側への患者の信頼度とその伝達効率が規定するはずである。信頼度は専門職の知識と経験の関数であり、伝達効率はコミュニケーション能力の関数である。専門的知識が豊富な方が、コミュニケーションが上手くいく方がコンプライアンスは成立しやすい。知識と経験が十分であっても、それらを上手に患者側に伝達する技能が不十分だとコンプライアンスは成立しない。そのような場合には、辛い訓練を中断し「あそこの病院はダメだ」と考えるだけでなく、それらを周囲に振りまくことになりかねない。場合によっては、治療施設への影響も甚大なものになってくる。
したがって質問には、十分なコミュニケーションにより、訓練をする患者側が自らの意思決定であったことを自覚(錯覚)できるように治療方針を決定し、患者が訓練モチベーションを持続させることに留意すべきであると付言すべきであった。
対人コミュニケーションは難しいことを新しい職場でも時々感じることがある。卒業研究の準備やゼミナールへの参加など、我々の時代の大学生では自明なことが、必ずしもそうではないことを思い知ることがある。昼食の際に時々、このような話題が上り、老年トリオはストレスを発散してはいるが、相手の認知スキームは自分のものや自分が知るものと類似していることを想定することから来る錯誤なのである。
講演後の質問は、「脳梗塞後、きき手が使えなくなった患者さんの訓練についてであり、患側を使えるように訓練すべきか、対側の手を使えるように訓練すべきか?」と言うものである。どちらでも良いが訓練が効果的な選択肢を勧めると回答したのだが、もう少し丁寧に対応すべきであった。
前者の選択肢は理学療法学の採用するアプローチであり、失われた機能を根気よく訓練することで元の状態に近づけようとする発想が背景にある。一方、後者の選択肢は作業療法学が採用する立場で残された機能の中でより良い適応を探そうとする訓練アプローチである。どちらもあり得ることは言うまでもないが、選択を決定する際の留意点を付言すべきであったと後悔しているのである。選択の意思決定の際にコンプライアンスに注意した方がよいと付言すべきであった。
コンプライアンス(compliance)は近年企業での法令遵守の意味で使われ、流行語のようになっているが、その語源は、動詞のコンプライ(comply)で「(何かに)応じる・従う・守る」を意味する。従ってコンプライアンスはもともと「(何かに)応じること、従うこと・守ること」を意味する。医療の現場では治療者側の指示に患者側が従うかどうかに関わる用語である。つまり、この薬を毎食後2錠飲みなさいという治療者の指示を患者側が守る場合はコンプライアンスが成立しているわけだが、食後は面倒だから思いついたら飲むとか、2週間分を一気に全部服用するなどは、成立していない証左である。
手指運動の訓練についても、訓練を指示通り続けられるかはコンプライアンスが重要になる。その成立の要件は、治療者側への患者の信頼度とその伝達効率が規定するはずである。信頼度は専門職の知識と経験の関数であり、伝達効率はコミュニケーション能力の関数である。専門的知識が豊富な方が、コミュニケーションが上手くいく方がコンプライアンスは成立しやすい。知識と経験が十分であっても、それらを上手に患者側に伝達する技能が不十分だとコンプライアンスは成立しない。そのような場合には、辛い訓練を中断し「あそこの病院はダメだ」と考えるだけでなく、それらを周囲に振りまくことになりかねない。場合によっては、治療施設への影響も甚大なものになってくる。
したがって質問には、十分なコミュニケーションにより、訓練をする患者側が自らの意思決定であったことを自覚(錯覚)できるように治療方針を決定し、患者が訓練モチベーションを持続させることに留意すべきであると付言すべきであった。
対人コミュニケーションは難しいことを新しい職場でも時々感じることがある。卒業研究の準備やゼミナールへの参加など、我々の時代の大学生では自明なことが、必ずしもそうではないことを思い知ることがある。昼食の際に時々、このような話題が上り、老年トリオはストレスを発散してはいるが、相手の認知スキームは自分のものや自分が知るものと類似していることを想定することから来る錯誤なのである。
年末の惨事
熱心にこのグログをチェックしてくれる読者から、しばらく間が空いているが体調を壊しているのではないかとのメールが届いた。久しぶりの入試センター試験監督での疲労からまだ立ち直れていないのだが、書かずには居れない。 いくつか書きたい話題はあるのだが、今も葛藤している年末の惨事から紹介しよう。読者にもいつか役に立つかも知れないからである。
12月の22日に、使用中のUSBから突然データが消えたのである。2ギガの容量のうち1.4ギガ分が記憶されているUSBである。USBのみならず、僕の頭も真っ白になった。その日の朝に書いた論文をPCに保存することをしていなかったためである。たいていのファイルはどこかのPCに(自宅のmac、大学のmac、大学のwindowsに乱雑に保存してある)コピーがあるはずなのだが、何が保存されていたかの情報がないので、混乱してしまったのだ。パニック状態になってしまった。その日の朝に書き足した尿漏れと前頭葉機能との関連を取り扱った論文は保存されてはおらず、USBにしかないのは間違いないのだ。大部分が書けており、考察の箇所を見直すレベルまで仕上がっていた論文のファイルが消えたというわけである(まだ、論文を書くという習性から逃れられていない)。
きっかけは、USBに保存してある画像を10枚ほど僕のHPを作ってくれた細谷君の会社に送っている途中で、容量が大きすぎると大学のmacが警告を出したので、小分けにすべくメールから一部の画像を捨てている途中で起きたのである。突然、USBからすべてのファイルが消えてしまったのである。細谷君にうろたえながら電話し、復活の指示を電話で教示してもらったのだが、復活できるのはPC本体の部分であって(PCは時間が戻せることを知った。できるなら僕も30歳代に戻れるといいのだが)、USBの復活はままならないことが判明した。PC本体は常時外付けのHDにバックアップが取れるようにしてもらっているのだが、今回のようなケースでは役に立たない。
3日後に名大に出向した際に壊れたUSBを渡し、細谷君に復活を試みてもらったが,無理ということであった。しかし、彼の関連会社に持って行ってもらった結果、大部分は復活できた。ファイル名は復活できないということであったのだが、読み出したファイルは正月3日にDVDで受け取ることができた。万歳!の想いであった。これで、書きかけの論文を書き終えられるという想いで年末を迎えた(最終の授業は25日であった.翌日には旧知の出版社の編集者が亡くなり通夜に出かけた)。かくて、一時は幸せな気分であったのだが、年賀状を書いたり、編集している本の初校を読んだり、大掃除のまねごとをしたり、正月になり、5日から授業が始まり,副査として13本の卒論を読んだり、査読をしたりで、USB関連の作業は何も手につかず仕舞いで、書きかけの論文の続きの作業は中断することになった(今もそのままである)。年末に無理をして窓のガラスを拭いたせいで、正月に温泉旅行をしたのだが、窓ふきで使わない筋肉を使用したこともあり、車の中ではコルセットが必要となる老体であることを自覚せねばならない、悲惨さを味わうことにもなりました。
やっと、2日ほど前から本格的にDVDの復活ファイルを見る作業に入ることが出来たのです。ところがこれが想像以上に大変なのであります。ワードの文章のファイルだけで1253本もあるのだ(excel 386, ppt 63, jpg 53, gif 117, pdf 68が他にある)。いちいち、ファイルを開いて,不要なものを除く作業は、DVDが読み取り専用なのでそのままできず、別のところへ移しながらという作業になるのだ。200本もファイルを開けて見ていると、眼がかすんで、意識はもうろうとする始末。
というようなことで、ブログを書く暇を見つけるのが大変だったということであります。
①USBも壊れることがある、②壊れても復活できないことはない,③復活したものからの元の状態への復活はとても大変な仕事、④こまめにバックアップを取り手間を惜しんではならない、ということを年末の惨事から学んだわけであります。
1月17日の神戸地震のニュースが盛んに報じられ、未だにその影響を受けている人々が少なくないことが伝えられる時期となり、当時の惨状を回想しながら、私のUSBのことなど取るにたらないことであると自戒し,まあまあ幸せな年末年始であったと思うことにしております。しかし、眼のかすむ作業はまだまだ続き、考察の箇所を再度チェックするworking memoryの状態に脳が戻るのにはかなりの時間がかかりそうであります。
12月の22日に、使用中のUSBから突然データが消えたのである。2ギガの容量のうち1.4ギガ分が記憶されているUSBである。USBのみならず、僕の頭も真っ白になった。その日の朝に書いた論文をPCに保存することをしていなかったためである。たいていのファイルはどこかのPCに(自宅のmac、大学のmac、大学のwindowsに乱雑に保存してある)コピーがあるはずなのだが、何が保存されていたかの情報がないので、混乱してしまったのだ。パニック状態になってしまった。その日の朝に書き足した尿漏れと前頭葉機能との関連を取り扱った論文は保存されてはおらず、USBにしかないのは間違いないのだ。大部分が書けており、考察の箇所を見直すレベルまで仕上がっていた論文のファイルが消えたというわけである(まだ、論文を書くという習性から逃れられていない)。
きっかけは、USBに保存してある画像を10枚ほど僕のHPを作ってくれた細谷君の会社に送っている途中で、容量が大きすぎると大学のmacが警告を出したので、小分けにすべくメールから一部の画像を捨てている途中で起きたのである。突然、USBからすべてのファイルが消えてしまったのである。細谷君にうろたえながら電話し、復活の指示を電話で教示してもらったのだが、復活できるのはPC本体の部分であって(PCは時間が戻せることを知った。できるなら僕も30歳代に戻れるといいのだが)、USBの復活はままならないことが判明した。PC本体は常時外付けのHDにバックアップが取れるようにしてもらっているのだが、今回のようなケースでは役に立たない。
3日後に名大に出向した際に壊れたUSBを渡し、細谷君に復活を試みてもらったが,無理ということであった。しかし、彼の関連会社に持って行ってもらった結果、大部分は復活できた。ファイル名は復活できないということであったのだが、読み出したファイルは正月3日にDVDで受け取ることができた。万歳!の想いであった。これで、書きかけの論文を書き終えられるという想いで年末を迎えた(最終の授業は25日であった.翌日には旧知の出版社の編集者が亡くなり通夜に出かけた)。かくて、一時は幸せな気分であったのだが、年賀状を書いたり、編集している本の初校を読んだり、大掃除のまねごとをしたり、正月になり、5日から授業が始まり,副査として13本の卒論を読んだり、査読をしたりで、USB関連の作業は何も手につかず仕舞いで、書きかけの論文の続きの作業は中断することになった(今もそのままである)。年末に無理をして窓のガラスを拭いたせいで、正月に温泉旅行をしたのだが、窓ふきで使わない筋肉を使用したこともあり、車の中ではコルセットが必要となる老体であることを自覚せねばならない、悲惨さを味わうことにもなりました。
やっと、2日ほど前から本格的にDVDの復活ファイルを見る作業に入ることが出来たのです。ところがこれが想像以上に大変なのであります。ワードの文章のファイルだけで1253本もあるのだ(excel 386, ppt 63, jpg 53, gif 117, pdf 68が他にある)。いちいち、ファイルを開いて,不要なものを除く作業は、DVDが読み取り専用なのでそのままできず、別のところへ移しながらという作業になるのだ。200本もファイルを開けて見ていると、眼がかすんで、意識はもうろうとする始末。
というようなことで、ブログを書く暇を見つけるのが大変だったということであります。
①USBも壊れることがある、②壊れても復活できないことはない,③復活したものからの元の状態への復活はとても大変な仕事、④こまめにバックアップを取り手間を惜しんではならない、ということを年末の惨事から学んだわけであります。
1月17日の神戸地震のニュースが盛んに報じられ、未だにその影響を受けている人々が少なくないことが伝えられる時期となり、当時の惨状を回想しながら、私のUSBのことなど取るにたらないことであると自戒し,まあまあ幸せな年末年始であったと思うことにしております。しかし、眼のかすむ作業はまだまだ続き、考察の箇所を再度チェックするworking memoryの状態に脳が戻るのにはかなりの時間がかかりそうであります。
師走の不可解
先週とその前の週は1週間に2回ずつ名古屋を往復した。木曜日の非常勤先と名大でのサービス授業の他に土曜日にも研究会があり、出かけたためである。新幹線を降りて地下鉄東山線に向かう通路は高島屋の1階を通り抜ける形になっている。2週間で4往復、都合8回に加えて,駅前のホテルに泊まり、そこから筏津さんの3回忌に合わせた食事会に出かけて戻る2回を加えて、合計10回通過した。時間帯でいえば10時前、午後2時頃、午後6時頃、午後7時頃と早朝9時前と時間的にも広く分布している。
何が不可解かというと高島屋の1階通路の片側に長い行列ができている光景に出くわすことである。行列の目当てはバウム・クーヘンを買うためのものであることが、ガラスに4~5人の若者が作業する姿を見せているために容易に分かる。20~30メートルほどの行列には30分待ち、45分待ちなどのプラカードを掲げた整理役の白いダッフルコート姿の若者が数人いる。この光景を10回の通過の際に毎回見たのである。実は過去2週間だけでなく、ここ数ヶ月間はそこを通る度に見かけるのである。
何故こんなに行列に名古屋人は並ぶのか、何故高島屋は行列を作らせるのか、そこまで並んで買うほど焼き菓子は価値があるのか、などなど私には不可解なのである。焼き菓子は東京で有名になったものらしいが、500円ほどの菓子を30分も45分も、店内ではなく吹きさらしの通路に並んでいて、通勤客を始めとする大勢の人に眺められているのが気恥ずかしくはないのだろうか。待つことの嫌いな私には不可解なのである。
行列をして米軍から食べ物を恵んでもらった時代の写真を数多く見て来たせいか、子ども心に行列をして食べ物を得る行動は屈辱の感情を惹起させる対連合ができている。30分も40分も、それだけの時間を費やして菓子を買うほど時間にもお金にも裕福なことを見せつけることに快感があるのかも知れないが、私は馬鹿じゃないのか、他にもっとすることがないのか、思ってしまう。店側にも「売ってあげている」意識を感じて、不快感が遭遇する度にこみ上げてしまうのは私のひねくれ度が高いせいなのかも知れない。一日中プラカードを持ち案内する数人の人件費も考え、整理券でも渡して所定の時間まで他での買い物に誘導する方が経営側からも有利で、消費者にも親切なような気がするのである。販売する側の魂胆はともかく不可解なのである。
もう一つの不可解な現象は、11月末から帰路に散見するクリスマス電飾である。屋根を覆うように大規模に電飾を張り巡らせている個人住宅がある。小規模な飾りもあるが近所では大規模なものが目立っている。外から眺めると晴れやかできれいな電飾ではあるが、それらは家の中から見えるはずがない。自分たちが電飾を楽しめる側にいないのに、なぜ一晩中電飾をつけているのだろうか。一晩中電飾は輝いているので防犯には有効性があるのかも知れないが、何のためにこのようなことをしているのかが不可解なのである。
電飾代金プラス電気料を含めて、それだけのお金を費やして他人に裕福なことを見せつけることに快感があるのかも知れないが、私のように、エコロジーの時代に何を考えているのだろうと怒りを伴う不可解さ感じている者もいる。
長時間を浪費して焼き菓子を買ったり,電飾を張り巡らす金銭的に余裕があるのであれば、最近急増している生活困難者への援助に回さないと、その人々の妬みが閾値を超えると真っ先に対象になるかも知れないのにと、余計な心配をしているのである。こんな記事を読むと、アンタこそ他人の楽しみにケチをつける不可解な人と言われるのかも知れないが、私には何か変だと思わないではいられない師走であります。
何が不可解かというと高島屋の1階通路の片側に長い行列ができている光景に出くわすことである。行列の目当てはバウム・クーヘンを買うためのものであることが、ガラスに4~5人の若者が作業する姿を見せているために容易に分かる。20~30メートルほどの行列には30分待ち、45分待ちなどのプラカードを掲げた整理役の白いダッフルコート姿の若者が数人いる。この光景を10回の通過の際に毎回見たのである。実は過去2週間だけでなく、ここ数ヶ月間はそこを通る度に見かけるのである。
何故こんなに行列に名古屋人は並ぶのか、何故高島屋は行列を作らせるのか、そこまで並んで買うほど焼き菓子は価値があるのか、などなど私には不可解なのである。焼き菓子は東京で有名になったものらしいが、500円ほどの菓子を30分も45分も、店内ではなく吹きさらしの通路に並んでいて、通勤客を始めとする大勢の人に眺められているのが気恥ずかしくはないのだろうか。待つことの嫌いな私には不可解なのである。
行列をして米軍から食べ物を恵んでもらった時代の写真を数多く見て来たせいか、子ども心に行列をして食べ物を得る行動は屈辱の感情を惹起させる対連合ができている。30分も40分も、それだけの時間を費やして菓子を買うほど時間にもお金にも裕福なことを見せつけることに快感があるのかも知れないが、私は馬鹿じゃないのか、他にもっとすることがないのか、思ってしまう。店側にも「売ってあげている」意識を感じて、不快感が遭遇する度にこみ上げてしまうのは私のひねくれ度が高いせいなのかも知れない。一日中プラカードを持ち案内する数人の人件費も考え、整理券でも渡して所定の時間まで他での買い物に誘導する方が経営側からも有利で、消費者にも親切なような気がするのである。販売する側の魂胆はともかく不可解なのである。
もう一つの不可解な現象は、11月末から帰路に散見するクリスマス電飾である。屋根を覆うように大規模に電飾を張り巡らせている個人住宅がある。小規模な飾りもあるが近所では大規模なものが目立っている。外から眺めると晴れやかできれいな電飾ではあるが、それらは家の中から見えるはずがない。自分たちが電飾を楽しめる側にいないのに、なぜ一晩中電飾をつけているのだろうか。一晩中電飾は輝いているので防犯には有効性があるのかも知れないが、何のためにこのようなことをしているのかが不可解なのである。
電飾代金プラス電気料を含めて、それだけのお金を費やして他人に裕福なことを見せつけることに快感があるのかも知れないが、私のように、エコロジーの時代に何を考えているのだろうと怒りを伴う不可解さ感じている者もいる。
長時間を浪費して焼き菓子を買ったり,電飾を張り巡らす金銭的に余裕があるのであれば、最近急増している生活困難者への援助に回さないと、その人々の妬みが閾値を超えると真っ先に対象になるかも知れないのにと、余計な心配をしているのである。こんな記事を読むと、アンタこそ他人の楽しみにケチをつける不可解な人と言われるのかも知れないが、私には何か変だと思わないではいられない師走であります。
連休の間に思うことなど
連休の前日に郷里の自治体で講演をした。中学生と老年者が対象で、焦点が絞り難いものであった。雑駁な話になってしまったのだが、中学生には先生や親への評価は簡単ではないので、ともかく持続して物事を進めるのがお薦めであることを自分の経験を交えて語った。
ある時点で行う評価は物事が複眼的に見られる年齢になると変わってくるということが言いたかったのである。自分の経験の例としてあげたのは大学時代のH先生のことである。僕は先生の実験動物であるネコの世話をしていた(自分用にはネズミの世話に明け暮れた)。ネコを可愛がって育てるというのではなく、海馬に電極を埋められる運命にある大勢のネコの世話である。毎日というわけではなかったのかも知れないが、古米を電気釜で炊いて市場で購入した魚のアラや缶詰と混ぜて与えるのである。当時はネコ用の固形飼料はなかった。近くの市場の魚屋では僕はアラしか買えない苦学生(もう死語である)と間違われていたふしがある。
H先生は、僕が大学院生の時期に2度に渡って少なくとも2年間はアメリカに出張されて留守であった。留学が眩しい時期であったのだが、H先生は自慢めいた話は学生相手でもされなかった。今日のように電子メールでの遠隔指導などは叶わない時代であり、僕は自分で工夫して研究するしか仕方がなかく、恨めしい気持に襲われたことがないわけではなかった(自分のやりたい研究をすることができたという側面もあるのだが)。
帰国された時には、当時羨望の対象であったパーカーの万年筆でも貰えるのではないかと,密かに期待していたがそれはなかった。そのときには論文の別冊を大量に貰っただけであった。正直なところ、「ケチだなあ」と思った。今にして思えば、3人の男の子がいる家族がアメリカ西海岸で暮らすに十分な賃金をアメリカの大学側から貰っていたはずはない。日本円が安かったのだから、学生にまで高価な土産など準備できるはずはないのだが、そういう知識はなかったので先生にはnegativeな評価をしていたのである。
H先生が僕のことを気にかけていなかったわけではないことは、大阪教育大学の公募に通り、博士課程2年目で就職が決まったときに初めて知ることができた。決まったことを連絡すると、近所の寿司屋「入船」でにぎり寿司をご馳走になった(カウンターで寿司を食べた始めての経験であったように思う)。君の就職を都立神経研の頼んでいたところだとやや気まずそうに言われたのを覚えている。
連休の初日には、大阪教育大学の同僚の叙勲を祝う会があった。近年叙勲の年齢が上がり,80歳での叙勲であり、足を悪くされている先生は気の毒にも東京での認証式には参加できなかったということであった。
その帰りに、先輩や旧同僚などと長い時間に渡って昔話をした。そのときに、僕の採用人事の内幕を聞いた。学閥のきつかった時代にその狭間を縫うような採用であったことは知っていたが。唯一の業績であった英文論文が決め手であったということであった。修論をまとめたものだったが、アメリカ心理学会誌に掲載されたものである。その頃、アメリカ心理学会誌のどれかに論文を掲載された日本人は極めて少なかったので、それが決め手になったということであった。誰も内容など分かりはしなかったということである。臨床心理学の助手の採用であったのだから、ネズミの脳の記憶がどうこうという話は関係がなかったはずであるのに採用された。英文論文のせいと運とが良かったのである。
思えば,この論文は僕が書いた拙い英語をH先生が手直しして、それをアメリカの友人に送って下さったものである。送り返されて来た論文の考察の一部には自分でも良くわからない箇所が書き足されていた記憶がある。何のことはない、思い返せばH先生とアメリカの先生の合作のようなものであったのだが、物事を知らない僕は連名にすることも知らずに単著の論文にした。その後、H先生がこのことやアメリカに送ったことに何も恩着せがましいことは言われなかった。その後、学会であっても「どうですか?」程度の質問を淡々とされるだけであった。少し猫背で布の袋を提げ,タバコを吹かしておられた姿が印象に残っている。定年後すぐに肺ガンで亡くなられた。
先生から貰った論文の別冊や未掲載の論文原稿は、R. Sperryらの離断脳に関するもので、僕は後年このテーマで30年間研究を進めることができた。日本で最も早い時期にラテラリティの研究に接することができたのはH先生のお陰であり、欲しかった万年筆よりも何倍も価値のある土産であったことを理解するのには、ずいぶんな年月が必要であったということになる。
というわけで、中学生には分からなかったかも知れないが、なかなか教師の教育活動を評価するのは難しいということである。読者諸姉は、昔の先生に想いを馳せて評価を再度試みられては如何であろうか。回想法は認知リハビリテーションにも有効ということでもあります。
そうそう、講演の老年聴衆者には自慢話を若者にすることを勧めた。ただし,相手に同じ話かと嫌がられないように、自慢できることを生み出し続ける必要があることを付け加えて。
このブログは月に一度のペースで書くことにしている。書くことが脳機能の老化に良いことは日頃から言っている。したがって、ペースを守って書くことが私の老化対策であり、実は自慢のネタ作りなのでもあります。
ある時点で行う評価は物事が複眼的に見られる年齢になると変わってくるということが言いたかったのである。自分の経験の例としてあげたのは大学時代のH先生のことである。僕は先生の実験動物であるネコの世話をしていた(自分用にはネズミの世話に明け暮れた)。ネコを可愛がって育てるというのではなく、海馬に電極を埋められる運命にある大勢のネコの世話である。毎日というわけではなかったのかも知れないが、古米を電気釜で炊いて市場で購入した魚のアラや缶詰と混ぜて与えるのである。当時はネコ用の固形飼料はなかった。近くの市場の魚屋では僕はアラしか買えない苦学生(もう死語である)と間違われていたふしがある。
H先生は、僕が大学院生の時期に2度に渡って少なくとも2年間はアメリカに出張されて留守であった。留学が眩しい時期であったのだが、H先生は自慢めいた話は学生相手でもされなかった。今日のように電子メールでの遠隔指導などは叶わない時代であり、僕は自分で工夫して研究するしか仕方がなかく、恨めしい気持に襲われたことがないわけではなかった(自分のやりたい研究をすることができたという側面もあるのだが)。
帰国された時には、当時羨望の対象であったパーカーの万年筆でも貰えるのではないかと,密かに期待していたがそれはなかった。そのときには論文の別冊を大量に貰っただけであった。正直なところ、「ケチだなあ」と思った。今にして思えば、3人の男の子がいる家族がアメリカ西海岸で暮らすに十分な賃金をアメリカの大学側から貰っていたはずはない。日本円が安かったのだから、学生にまで高価な土産など準備できるはずはないのだが、そういう知識はなかったので先生にはnegativeな評価をしていたのである。
H先生が僕のことを気にかけていなかったわけではないことは、大阪教育大学の公募に通り、博士課程2年目で就職が決まったときに初めて知ることができた。決まったことを連絡すると、近所の寿司屋「入船」でにぎり寿司をご馳走になった(カウンターで寿司を食べた始めての経験であったように思う)。君の就職を都立神経研の頼んでいたところだとやや気まずそうに言われたのを覚えている。
連休の初日には、大阪教育大学の同僚の叙勲を祝う会があった。近年叙勲の年齢が上がり,80歳での叙勲であり、足を悪くされている先生は気の毒にも東京での認証式には参加できなかったということであった。
その帰りに、先輩や旧同僚などと長い時間に渡って昔話をした。そのときに、僕の採用人事の内幕を聞いた。学閥のきつかった時代にその狭間を縫うような採用であったことは知っていたが。唯一の業績であった英文論文が決め手であったということであった。修論をまとめたものだったが、アメリカ心理学会誌に掲載されたものである。その頃、アメリカ心理学会誌のどれかに論文を掲載された日本人は極めて少なかったので、それが決め手になったということであった。誰も内容など分かりはしなかったということである。臨床心理学の助手の採用であったのだから、ネズミの脳の記憶がどうこうという話は関係がなかったはずであるのに採用された。英文論文のせいと運とが良かったのである。
思えば,この論文は僕が書いた拙い英語をH先生が手直しして、それをアメリカの友人に送って下さったものである。送り返されて来た論文の考察の一部には自分でも良くわからない箇所が書き足されていた記憶がある。何のことはない、思い返せばH先生とアメリカの先生の合作のようなものであったのだが、物事を知らない僕は連名にすることも知らずに単著の論文にした。その後、H先生がこのことやアメリカに送ったことに何も恩着せがましいことは言われなかった。その後、学会であっても「どうですか?」程度の質問を淡々とされるだけであった。少し猫背で布の袋を提げ,タバコを吹かしておられた姿が印象に残っている。定年後すぐに肺ガンで亡くなられた。
先生から貰った論文の別冊や未掲載の論文原稿は、R. Sperryらの離断脳に関するもので、僕は後年このテーマで30年間研究を進めることができた。日本で最も早い時期にラテラリティの研究に接することができたのはH先生のお陰であり、欲しかった万年筆よりも何倍も価値のある土産であったことを理解するのには、ずいぶんな年月が必要であったということになる。
というわけで、中学生には分からなかったかも知れないが、なかなか教師の教育活動を評価するのは難しいということである。読者諸姉は、昔の先生に想いを馳せて評価を再度試みられては如何であろうか。回想法は認知リハビリテーションにも有効ということでもあります。
そうそう、講演の老年聴衆者には自慢話を若者にすることを勧めた。ただし,相手に同じ話かと嫌がられないように、自慢できることを生み出し続ける必要があることを付け加えて。
このブログは月に一度のペースで書くことにしている。書くことが脳機能の老化に良いことは日頃から言っている。したがって、ペースを守って書くことが私の老化対策であり、実は自慢のネタ作りなのでもあります。
紅葉考
今朝は新聞の休刊日である。朝から活字に接していないと落ち着かない気分になる種類の人間にとっては、面白くない朝である。そう言えば最近休刊日が増えたような気がする、その割に新聞代金が値下げされたという話も聞かない、などと独り考えながらながら、いつもより長めのコースを歩くこととした。
ここ数日雨が降ったり気温が急に下がったりしたためか、気がつけば周囲の山は色づきが目立つようになっている。山の斜面は緑と黄色と赤とがまだら模様を呈している。自宅を出てすぐにある公園のケヤキは葉が落ち始め、踏みしめ歩く足もとからはカサカサと音がする。ケヤキは葉が落ちるので、今頃の季節から周辺の住民は自治会などを通じて役所に清掃の要請が増えるらしい。自分で掃けばよいものを(もっともかき集めた落ち葉で焚き火をして、焼き芋を作るなどの楽しみを禁じられるようになったせいかもしれないけど)、新緑の朝日に輝くケヤキの美しさがもたらしてくれたものを忘れているわけで、人間というものは勝手なものである。
急に紅葉が目立つなあ、と木々の様子に注意を向けると、途中で見かけたカキはすっかり落葉して、パーシモンレッドの柿の実だけがもがれずに残っている。早くもぎ取って食べろよ、とでもいうような落葉の仕方である。手入れがされていないので実は小さめである。カリンの木もすっかり落葉して、黄色い実だけが数個枝先にぶら下がっている。
墓地公園の坂道の脇ではサクラの紅葉とナナカマドの紅葉が目立つ。サクラはきれいな赤色とはなれずに黒や黄色のしみが混じっている。その点ではナナカマドは鮮やかな濃い赤色へと変色している。ナラの木やブナの木もあり、遅ればせながら黄色を増そうとしている段階である。
なぜ、木々によって紅葉の色が違うのだろうと急に知りたくなってしまった。調べなくてはと思いつつ坂を下ったことであった。地球が寒い時には針葉樹が優勢であったわけで、それらは落葉しない。スギなどは葉が小さいからである。なぜ、葉が小さいのだろうか。それは雪の重みで枝まで折れないためではあるまいか、などなどと疑問と妄想は次々と膨らむのであった。
帰宅して調べてみると、ナナカマドやモミジのように赤色になるもの(色素アントシァニンのため)、イチョウやカバの木のように黄色のもの(色素カロテノイドによる)、ブナなどのように褐色のもの(タンニン性の物質による)と、紅葉は樹木の種類によって3分類されるらしい。なぜ紅葉があるのかは葉の老化にともなう副作用ということである。紅葉の鮮やかさはアブラムシの寄生が決めるという。アブラムシが沢山ついた場合には鮮やかな色とはならないと書いてあった。未だ分からないことが多いらしいのは老化のことなど二の次だということかも知れない。
いつもなら気付かない散歩道の脇役を目立たせてくれたのは、いつもよりも長めに散歩したせいである。それは、新聞休刊日の効用(紅葉)ってことかな。もっと他の木々にも注意は行ったが、この文中言及の樹木は11種にとどめた。11月になったのである。
ここ数日雨が降ったり気温が急に下がったりしたためか、気がつけば周囲の山は色づきが目立つようになっている。山の斜面は緑と黄色と赤とがまだら模様を呈している。自宅を出てすぐにある公園のケヤキは葉が落ち始め、踏みしめ歩く足もとからはカサカサと音がする。ケヤキは葉が落ちるので、今頃の季節から周辺の住民は自治会などを通じて役所に清掃の要請が増えるらしい。自分で掃けばよいものを(もっともかき集めた落ち葉で焚き火をして、焼き芋を作るなどの楽しみを禁じられるようになったせいかもしれないけど)、新緑の朝日に輝くケヤキの美しさがもたらしてくれたものを忘れているわけで、人間というものは勝手なものである。
急に紅葉が目立つなあ、と木々の様子に注意を向けると、途中で見かけたカキはすっかり落葉して、パーシモンレッドの柿の実だけがもがれずに残っている。早くもぎ取って食べろよ、とでもいうような落葉の仕方である。手入れがされていないので実は小さめである。カリンの木もすっかり落葉して、黄色い実だけが数個枝先にぶら下がっている。
墓地公園の坂道の脇ではサクラの紅葉とナナカマドの紅葉が目立つ。サクラはきれいな赤色とはなれずに黒や黄色のしみが混じっている。その点ではナナカマドは鮮やかな濃い赤色へと変色している。ナラの木やブナの木もあり、遅ればせながら黄色を増そうとしている段階である。
なぜ、木々によって紅葉の色が違うのだろうと急に知りたくなってしまった。調べなくてはと思いつつ坂を下ったことであった。地球が寒い時には針葉樹が優勢であったわけで、それらは落葉しない。スギなどは葉が小さいからである。なぜ、葉が小さいのだろうか。それは雪の重みで枝まで折れないためではあるまいか、などなどと疑問と妄想は次々と膨らむのであった。
帰宅して調べてみると、ナナカマドやモミジのように赤色になるもの(色素アントシァニンのため)、イチョウやカバの木のように黄色のもの(色素カロテノイドによる)、ブナなどのように褐色のもの(タンニン性の物質による)と、紅葉は樹木の種類によって3分類されるらしい。なぜ紅葉があるのかは葉の老化にともなう副作用ということである。紅葉の鮮やかさはアブラムシの寄生が決めるという。アブラムシが沢山ついた場合には鮮やかな色とはならないと書いてあった。未だ分からないことが多いらしいのは老化のことなど二の次だということかも知れない。
いつもなら気付かない散歩道の脇役を目立たせてくれたのは、いつもよりも長めに散歩したせいである。それは、新聞休刊日の効用(紅葉)ってことかな。もっと他の木々にも注意は行ったが、この文中言及の樹木は11種にとどめた。11月になったのである。
三連休
文化の日を含めて3連休になることを数日前まで知らなかった。電子手帳に祝日の記載が出ないのはもちろんだが、部屋にかけているカレンダーはNational Trustの英国風景のものであるし、トイレのカレンダーも英国のホスピスの水彩画である。日本での祝日の印は当然のこととしてある訳がない。例年、3人の友人がクリスマスの時期に送ってくれるものを飾っているため3つの英国版カレンダーがあるのだ(僕の方からも日本のカレンダーを送っているので、彼らも同様の勘違いをしているかも知れない)。研究室のカレンダーは韓国の人が送ってくれたもので、これもまた三連休を教えてはくれない(韓国では旗日は少ない印象)。
数日前に同僚が「3連休だ」というから、「ソーカ!」と思った次第である。
今日は文化の日で、「文化勲章」を天皇が渡しているニュースで祝日であることを再確認した。文化勲章でもくれる知らせが前々から届いている人は三連休を忘れないだろうと、バカな考えが浮かんだりした。
もっとも、連休だからどこかに出かけたいという願望があり、それが満たされなかったと後悔している訳でもない。第一、家内がボランティアしている老人施設では連休には老人を預けにくるケースが多くて人手不足になるとかで,熱心に手伝いに行く。送迎が担当なのでこちらも出かけ難い事情が発生するのだ。
世間では景気が悪いそうなので、連休にはどこか温泉でも出かけてパーと散財すると社会貢献できたのかも知れないが、その機会は逃してしまった。しかし、散財(?)するという貢献はできたという話をしよう。
土曜日からノドの調子がおかしく風邪かも知れないと用心して朝寝をした。ウガイをヒンパンにして(寝ながら読んでいた椎名誠の本に風邪予防はウガイをあきれるほどの回数やるべし!とあった)、葛根湯を飲んだら少し気分が楽になったので、健康科学科の教員全員が執筆するテキストの原稿でも見ようという気持になった。来年から始まる予定の科目のテキストを作ろうという学部長の企みがあり、編集作業を担当しているためである。本当は彼と2人で書いた方が早いとは思うが、そこは学科教員の連帯感のジョーセイが狙いに含まれているのだ(とかく、管理職はいろいろ考えねばならないのダ。気の毒なので手助けをしているのです)
同僚の原稿は居間のパソコンに送信されているはずなので(締め切りを気にする律儀な同僚が多いはずなので)、それをフラッシュメモリに取り込んで、2階の自分のパソコンで読んで見るベシと考えたのである。そこで、居間のパソコンを立ち上げ2階から階段を踏み外さないように戻り、やれやれと風邪気味でボヤケル頭のまま椅子に座ったときに,お尻に何か変な感触がした。眼鏡を踏んだのである。恐る恐る手にしてみると、見事に眼鏡の片方のツルが千切れてしまっていた。20年前に始めて作った読書用の眼鏡はその役割を果たせなくなってしまったのである。
原稿を見る気力は燻っていたので、街の眼鏡屋に出かけることとなった。
家内は嬉しげに行きつけの眼鏡屋に案内するということで、西武デパートに出かけるハメになった。「歳なんだからあまり安っぽいのにしないように」、などと親切げに指示はするが、自分の管轄でない僕の出金にはどこか快感を伴う様子である。
眼鏡屋は、ガラスは割れていないのですぐネジを探しますということであったが、新しい読書用の眼鏡を買わねばなるまいと思い込んでいたこともあり、敢えて買う必要もなかったのだが新調する羽目になった。計測してもらうとほとんど老眼は進んでいなかったようである。代金は5万6千円也である。一泊で温泉旅行が出来たなあ、と天を仰いだことであった。
店員が新しいネジでツルを直してくれ、さらに掃除をしてくれたせいか,踏みつけて壊れた眼鏡は一段と鮮やかに見える(気がする)。自宅に戻り気を取り直して読み始めた同僚の原稿には、問題が次々と浮かび上がる。これは良く見えるようになった眼鏡のせいか、はたまた、どこかしらウツウツとして捌け口のない気持にさせる出費のセイなのか。
かくて、三連休は終わり、何ら快楽には出会えず、日本の実態経済向上のために貢献することとなった。
今回はカタカナ語の使用比率が増えた。朝寝のついでに読んだ椎名誠本の影響に違いナイ!
数日前に同僚が「3連休だ」というから、「ソーカ!」と思った次第である。
今日は文化の日で、「文化勲章」を天皇が渡しているニュースで祝日であることを再確認した。文化勲章でもくれる知らせが前々から届いている人は三連休を忘れないだろうと、バカな考えが浮かんだりした。
もっとも、連休だからどこかに出かけたいという願望があり、それが満たされなかったと後悔している訳でもない。第一、家内がボランティアしている老人施設では連休には老人を預けにくるケースが多くて人手不足になるとかで,熱心に手伝いに行く。送迎が担当なのでこちらも出かけ難い事情が発生するのだ。
世間では景気が悪いそうなので、連休にはどこか温泉でも出かけてパーと散財すると社会貢献できたのかも知れないが、その機会は逃してしまった。しかし、散財(?)するという貢献はできたという話をしよう。
土曜日からノドの調子がおかしく風邪かも知れないと用心して朝寝をした。ウガイをヒンパンにして(寝ながら読んでいた椎名誠の本に風邪予防はウガイをあきれるほどの回数やるべし!とあった)、葛根湯を飲んだら少し気分が楽になったので、健康科学科の教員全員が執筆するテキストの原稿でも見ようという気持になった。来年から始まる予定の科目のテキストを作ろうという学部長の企みがあり、編集作業を担当しているためである。本当は彼と2人で書いた方が早いとは思うが、そこは学科教員の連帯感のジョーセイが狙いに含まれているのだ(とかく、管理職はいろいろ考えねばならないのダ。気の毒なので手助けをしているのです)
同僚の原稿は居間のパソコンに送信されているはずなので(締め切りを気にする律儀な同僚が多いはずなので)、それをフラッシュメモリに取り込んで、2階の自分のパソコンで読んで見るベシと考えたのである。そこで、居間のパソコンを立ち上げ2階から階段を踏み外さないように戻り、やれやれと風邪気味でボヤケル頭のまま椅子に座ったときに,お尻に何か変な感触がした。眼鏡を踏んだのである。恐る恐る手にしてみると、見事に眼鏡の片方のツルが千切れてしまっていた。20年前に始めて作った読書用の眼鏡はその役割を果たせなくなってしまったのである。
原稿を見る気力は燻っていたので、街の眼鏡屋に出かけることとなった。
家内は嬉しげに行きつけの眼鏡屋に案内するということで、西武デパートに出かけるハメになった。「歳なんだからあまり安っぽいのにしないように」、などと親切げに指示はするが、自分の管轄でない僕の出金にはどこか快感を伴う様子である。
眼鏡屋は、ガラスは割れていないのですぐネジを探しますということであったが、新しい読書用の眼鏡を買わねばなるまいと思い込んでいたこともあり、敢えて買う必要もなかったのだが新調する羽目になった。計測してもらうとほとんど老眼は進んでいなかったようである。代金は5万6千円也である。一泊で温泉旅行が出来たなあ、と天を仰いだことであった。
店員が新しいネジでツルを直してくれ、さらに掃除をしてくれたせいか,踏みつけて壊れた眼鏡は一段と鮮やかに見える(気がする)。自宅に戻り気を取り直して読み始めた同僚の原稿には、問題が次々と浮かび上がる。これは良く見えるようになった眼鏡のせいか、はたまた、どこかしらウツウツとして捌け口のない気持にさせる出費のセイなのか。
かくて、三連休は終わり、何ら快楽には出会えず、日本の実態経済向上のために貢献することとなった。
今回はカタカナ語の使用比率が増えた。朝寝のついでに読んだ椎名誠本の影響に違いナイ!
教育実習指導から
現在の勤務校の所属学科の卒業生の主な進路は養護教諭である。関西地区では一二を争う実績を持つということで,大学の「売り」となっている。教員免許を取得するためには、当然教育実習を受けねばならない。希望学生が多いので,これ又当然の帰結として,実習担当教員以外の教員も巡回指導に出向かねばならない。私も4名のゼミ学生の出身校での実習指導に出向くことが仕事となる。加古川や和田山などの遠隔地にも半日掛りで出向くのである。
名古屋大学に移籍する前の大阪教育大学では当然の仕事であったので,面倒ではあるが、特段嫌なことではないが喜々としてでもない。昔は専門でもないのに学生の行う「国語」「算数」などの研究授業を見学して、その小学校の先生と一緒に「研究授業の反省会」に出て意見を言わねばならなかった時に感じたとまどいは、今回の養護の学生実習では味わうことがなくて済んでいる(見学はしたけれども、養護の先生の仕事の大半は授業ではないからである)。当時、私のような心理学の教員が「教科学習」に特有のことなど分かりもしなかったのに大過なく過ごせた(ように思える)のは、不思議である。「何とかなる」「何とかせねばならなかった」苦し紛れの適応規制が働いて、それらしいことを発言したせいなのか、大学の先生ということでの小学校の先生の遠慮のせいだったのだろうか。思い返せば冷や汗がでる。
昔もそうであったが、実習校を訪問すると校長先生や教頭先生との会話が必然的に伴うことになる。知らない人との所謂雑談というものが私は得手ではない。これが苦痛とは言わないまでも、重荷である。セールスマンの仕事を選ばず、正解であった。
15~20年前の当時の管理職先生相手の雑談内容は年配の教員への愚痴であった。曰く、「教授能力に欠ける」、「やる気がない」、「権利だけ主張して休みだけはしっかり取る」などなど、大量に教員を採用せねばならなかった時代にむやみやたらと教員採用をした「つけ」についての愚痴であった(そう言えば最近、このような愚痴がしみ込んでいて加齢のために前頭葉機能が低下したのか、抑制が利かなくなって大臣職を棒に振った御仁もいたが、当時の管理職の悩みはそんなことであった)。
しかし、今年15年ぶりにうかがった小学校での校長先生の愚痴は、子どもの問題と幼稚化した父兄の行動ばかりが話題であった。教員の問題よりも「躾け」ができておらず、学級での学習に適応できない子ども、子どもの問題を学校に帰属したがる父兄、父兄同士のトラブルの仲介、などであり、ずいぶん様変わりしていた。15年前には絵空事であった家庭で虐待される子ども、崩壊家族などの問題がもはや現実のものであるとの印象を強く持った。
1977年頃、英国の大学での同僚の一人が「child abuse」が専門であるというのを、そんなの日本ではあり得ないと言っていたのに、信じられない変化である。
30年間に日本では何が起こったのだろうか?社会格差だろうか。小泉政権以降に顕在化した社会における格差が原因として取り上げられることが少なくないが、それだけでもあるまい。50年前にも格差は日本の社会に厳然としてあったからである。地域には眼に見えない格差があり旧地主や名士のうちの子どもとそうでない家の子どもの間には格差があり、トラブルを起こしても対等に処理する仕組みなどなかったように思える。しかし、厳然とした地域社会での秩序があったので、授業中に先生の指示に従わない児童にたとえ身体的に罰を与えても、先生と父兄の間には相互了解的な格差があったので問題にはならなかった。当然問題を起こした子どもの父兄同士のトラブルなどは顕在化することはなかった。
封建制度の残滓が生み出す秩序ある社会は、ある側面では窮屈で住み難い訳だが、そこにはその住み難さから脱出し得体の知れない何かを変えたいとするエネルギーが満ちていたような気がしないでもない。50年あまりかけて覆っている秩序をもたらす膜をくぐり抜けてみると何も見当たらず、どうやってよいのか分からない、共同幻想もいだけない状態にあるのが現在というところか。それにしてもこのような公教育に仕組みの瓦解を許した行政の責任は大きい。政権の交代は必至のようだが、つぎは大丈夫なのかしら、などなどと、簡単には答えの見えない戯言を、帰路の車窓から見える田んぼや山々,その間を縫うように走る公教育に仕組みの瓦解と引き換えのように舗装された狭い道路を眺めつつ自問自答したことであった。とまれ、我が身に比べて小学校の先生は大変であることだけは良くわかった。私も給料に見合う働きをせねばないなあとも感じたことであります。ときにはルーチイーンの日常を離れる自問する機会というものは大切なようです。
選択@千歳空港
9月の後半には日本神経心理学会(@東京パシフィックホテル)と日本心理学会(@北大)が続いてあり両方の学会に参加した。前者の学会は今回が実質的な30周年記念大会ということで、詩人の谷川俊太郎氏を呼ぶなど例年よりもにぎやかなプログラムとなった。記念パーティで過去の学会活動の歴史を振り返るスライドを見て、2年前に引き受けた名古屋学会は大変だったなあ,と改めて思い返したりした。
元々は神経内科医や精神科医らが始めた学際的な学会であるが最近では医者の占める割合が変わらないのに対して言語療法の研究者、作業療法の研究者らの参加が増え1,800名規模となっている。心理学研究者の占める割合は依然として低迷している。これは早くからの役員であった私の宣伝不足・能力不足によるところが少なくないが、心理学者はどうも医学者との共同作業は苦手なようで、誘っても関わりたがらないようである。
続いて参加した心理学会でも類似した神経心理学的なテーマの発表がないわけではないが、研究のレベルには差異が否めない(というと叱られるかもしれないが)。日本の心理学では脳の話を基本的に教えないので、心理学の研究者も神経心理学会は敷居が高いのかも知れない。最近の欧米の心理学研究では脳に言及することは認知心理学だけでなく,社会心理学の分野でも一般的になっている(というと言い過ぎかもしれないが)。
今回は学会の話を書くつもりはなく、旅行中に経験した選択場面での話である。
タレントが始めた牧場が発売して大人気である製品が千歳空港で売られている。8月半ばに来たときにも尋常でない規模の行列ができていたが、9月末でもそれに勝るとも劣らない規模の行列ができていた。「生キャラメル」の購入を目指しての行列である。商品を実際に販売する店から数メートル離れたホールに行列が出来ており、数人の整理員が慌ただしく行き来している。ホールのこの行列が「生キャラメル」相手であることは8月のときに知った。一定時間が経つと、時間内にお一人様何個という制限付きで製品を買い込み、その店から追い出されて次のグループが購入先の店舗に移動するのである。
立ちすくんで行列を眺めていると3時間半待ちであると、辺りの人が言う。辺りの人とはホールの前の店員で、「生キャラメル」を2種類販売しているのだ。「味は同じだと思うのですけどねえ」ということなので、気の毒なので1箱購入した。味が違うのかは比較しなければ分からないが、3時間半待つこととすぐ買えることとの違いを埋めるほどの差はあるまい。
日本人の付和雷同性の高さは「…もいろいろ」などと叫んでいた,言葉の重さは皆無で、乱暴な物言いを一般化した政治家(というと叱られるかもしれないが)がいた頃にも認識はしていた、これほどのものかと実感したことであった。
飛行機に乗る3時間半も前に空港に来るほどまでに購入したいのがキャラメルであるというのは、何というか信じられないものがある。甘味が全くなかった終戦前後の日本人でも3時間は待たないだろう。他のもっと生きるのに大事なことをするはずである。
日本神経心理学会の前日の役員会で、大会長と理事長の共編の「社会活動と脳:行動の原点を探る(医学書院刊)」をいただいて通勤電車で読んでいるのだが、その中にこのような選択をする人の脳機能を理解するヒントがあった。近時報酬と未来報酬を扱った「衝動と脳」について章の記述である。味が評判の店に出かけたが1時間待ちだというので隣の店に入るか辛抱強く待つか、という選択は前頭葉(内側部、眼窩面皮質)、側座核の機能が成せる業であるという。また、セロトニンという神経伝達物質の分泌と関連が強いということである。この種の研究は最近欧米で流行の「Neuroeconomics」に含まれる。経済活動の研究に心理学の手法を持ち込んでノーベル賞を受賞されたKahneman & Tverskyの行動経済学が進化した領域なのだろう。
近時報酬を衝動的に選択するのは前述の脳部位の損傷患者が見せる症状ということなので、並んで待つことなどあり得ず、近くの店の類似品で満足する私よりも、3時間半も行列してキャラメルを購入する人たちは前頭葉機能が悪くないということなのだろうか。未来報酬が得られるまでの時間が常識以上に長いのは、一旦選択したことの方向転換ができない固着行動とも見なせる。これは前頭葉損傷患者の示症状でもある。
私と、行列でキャラメルを買う人とどちらの前頭葉機能が病的なのか、にわかには決めがたいが、今年の夏の千歳空港は異様な光景を呈していたことは確かである。来年の夏にも北海道には行く予定なので,タレントショップがその時どうなっているのか楽しみではある(というと叱られるかもしれないが)。
ということで、今回は叱られるかもしれない言い回しが多くなった。抑制が利かなくなって来たのかも知れない。あたしの前頭葉の方が危ない?
元々は神経内科医や精神科医らが始めた学際的な学会であるが最近では医者の占める割合が変わらないのに対して言語療法の研究者、作業療法の研究者らの参加が増え1,800名規模となっている。心理学研究者の占める割合は依然として低迷している。これは早くからの役員であった私の宣伝不足・能力不足によるところが少なくないが、心理学者はどうも医学者との共同作業は苦手なようで、誘っても関わりたがらないようである。
続いて参加した心理学会でも類似した神経心理学的なテーマの発表がないわけではないが、研究のレベルには差異が否めない(というと叱られるかもしれないが)。日本の心理学では脳の話を基本的に教えないので、心理学の研究者も神経心理学会は敷居が高いのかも知れない。最近の欧米の心理学研究では脳に言及することは認知心理学だけでなく,社会心理学の分野でも一般的になっている(というと言い過ぎかもしれないが)。
今回は学会の話を書くつもりはなく、旅行中に経験した選択場面での話である。
タレントが始めた牧場が発売して大人気である製品が千歳空港で売られている。8月半ばに来たときにも尋常でない規模の行列ができていたが、9月末でもそれに勝るとも劣らない規模の行列ができていた。「生キャラメル」の購入を目指しての行列である。商品を実際に販売する店から数メートル離れたホールに行列が出来ており、数人の整理員が慌ただしく行き来している。ホールのこの行列が「生キャラメル」相手であることは8月のときに知った。一定時間が経つと、時間内にお一人様何個という制限付きで製品を買い込み、その店から追い出されて次のグループが購入先の店舗に移動するのである。
立ちすくんで行列を眺めていると3時間半待ちであると、辺りの人が言う。辺りの人とはホールの前の店員で、「生キャラメル」を2種類販売しているのだ。「味は同じだと思うのですけどねえ」ということなので、気の毒なので1箱購入した。味が違うのかは比較しなければ分からないが、3時間半待つこととすぐ買えることとの違いを埋めるほどの差はあるまい。
日本人の付和雷同性の高さは「…もいろいろ」などと叫んでいた,言葉の重さは皆無で、乱暴な物言いを一般化した政治家(というと叱られるかもしれないが)がいた頃にも認識はしていた、これほどのものかと実感したことであった。
飛行機に乗る3時間半も前に空港に来るほどまでに購入したいのがキャラメルであるというのは、何というか信じられないものがある。甘味が全くなかった終戦前後の日本人でも3時間は待たないだろう。他のもっと生きるのに大事なことをするはずである。
日本神経心理学会の前日の役員会で、大会長と理事長の共編の「社会活動と脳:行動の原点を探る(医学書院刊)」をいただいて通勤電車で読んでいるのだが、その中にこのような選択をする人の脳機能を理解するヒントがあった。近時報酬と未来報酬を扱った「衝動と脳」について章の記述である。味が評判の店に出かけたが1時間待ちだというので隣の店に入るか辛抱強く待つか、という選択は前頭葉(内側部、眼窩面皮質)、側座核の機能が成せる業であるという。また、セロトニンという神経伝達物質の分泌と関連が強いということである。この種の研究は最近欧米で流行の「Neuroeconomics」に含まれる。経済活動の研究に心理学の手法を持ち込んでノーベル賞を受賞されたKahneman & Tverskyの行動経済学が進化した領域なのだろう。
近時報酬を衝動的に選択するのは前述の脳部位の損傷患者が見せる症状ということなので、並んで待つことなどあり得ず、近くの店の類似品で満足する私よりも、3時間半も行列してキャラメルを購入する人たちは前頭葉機能が悪くないということなのだろうか。未来報酬が得られるまでの時間が常識以上に長いのは、一旦選択したことの方向転換ができない固着行動とも見なせる。これは前頭葉損傷患者の示症状でもある。
私と、行列でキャラメルを買う人とどちらの前頭葉機能が病的なのか、にわかには決めがたいが、今年の夏の千歳空港は異様な光景を呈していたことは確かである。来年の夏にも北海道には行く予定なので,タレントショップがその時どうなっているのか楽しみではある(というと叱られるかもしれないが)。
ということで、今回は叱られるかもしれない言い回しが多くなった。抑制が利かなくなって来たのかも知れない。あたしの前頭葉の方が危ない?
この夏の学習
9年目になった北海道での住民検診から昨夜遅く帰宅。大学にでるつもりであったが休息を取る一日となった。歳のせいか、仕事がきつかったせいか、はたまた歳のことを考えずに飲み食いしていたためであろう、身体が疲れている感覚がある。
今年の住民検診に心理班は昨年同様9名のメンバーで参加し、約430人分の高次脳機能に関する実験データを収集できた。耳鼻科班や泌尿器科班は今年から人数を増やして来た。耳鼻科班での匂いの検査と泌尿器科班の尿漏れ検査と我々の高次脳機能検査班とのデータの突き合わせが楽しみである。匂いと排尿コントロール中枢は脳進化では古いので、皮質下—小脳—前頭葉のネットワークの仕組みと加齢現象になんか面白い発見があるかもしれない。楽しみである。もっとも、これまでに蓄積したたくさんの高次脳機能データの解析が当面の課題ではあるけれども。
身体を休めつつ、家庭菜園(もどきという方が正確だが)の整理を行った。「つるたぐり」と田舎では呼んでいた作業である。キュウリ、トマト、ナス、ズッキーニなどを引き抜く、店じまいの作業である。まだいくつか青いままの実がついているトマトを引き抜くのは、何か惜しくて忍びないものがあるが、そこは思い切りが大事と住民検診で職員から教えられた。
今年の夏の初めての家庭菜園経営(大げさだけど)から学んだことは多いので、メモをしておこう。
① 野菜は何でも植えれば育つというものではない。ズッキーニは大きく育ったが実を付けることはなかった。雌花は2センチほどでしぼんでしまうのだ。トマトと苦瓜は大量に収穫できたが、ナスの生育とキュウリも今ひとつであった。八雲町の職員の話では、「土が悪い、会わないんだ!」ということであった。何事にも相性というものがあるということを学んだのである。
② 農薬を使わない野菜作りは大変な仕事である。チンゲンサイ、レタス、ダイコン、オオバ、とたくさんの種類を植えたがほとんど収穫できなかった。青虫とナメクジに食べられてしまったためである。手での虫取りやビールを使ってナメクジ退治などを試みたが、敵わなかったとうことである。自然の生物は力強いということである。学んだのは、何事にも育てるには根気と世話がいるということである。
③ 青虫取りは蝶や蛾になるので退治するのはかわいそうな気もしたが、収穫のためには不可欠なのである。菜園の上を飛び交う蝶は、見ていて気持が和むものだが、他方でまずいことをもたらす。かわいい蝶も殺さないと葉ものは育たない。殺してしまうと蝶の舞う姿は味わえない。何事にもプラスの側面とマイナスの側面を内包するということを学んだのである。
④ 葉ものはほとんど失敗したのだが、あれほど大量に発生したナメクジも30度以上の気温が続く頃になるとどこかに行ってしまったかのようである。ナメクジの躍動はおそらく土中の温度の高さと関係があるのであろう。植える時期を工夫すればよいのかもしれない。何事にものが育つためには適した時期があり、それを熟知しておかないと上手くは育たないということを学んだのである。
⑤ トマトやキュウリは収穫しはじめの頃は大変美味であったが、終わり近くなると色合いの割に甘さが足りないとか,硬いという具合に、野菜には食べ頃があることを知った。何事にも旬というものがあるということを学んだわけで、自分も旬を過ぎたはずで、硬直した処遇を他人にもたらしているのかもしれない。
とまれ、家庭菜園第1年目の夏はいろいろと学ぶことが多かった。
おそらく、つぎ込んだ苗の代金、肥料、機具、使った時間などの合計はそれらの野菜を購入した場合の数倍の金額となったであろう。短絡的なコスト・パーフォーマンスという観点では完全にマイナスである。
しかし、毎朝・毎夕水をやり、肥料を足し、青虫を探すなどの世話をして、野菜が育ち行く姿に一喜一憂し,わずかでも収穫でき始めた頃の喜びを加算すると最終的なコスト・パーフォーマンスは大幅な黒字と断言できる。そして、いろいろと普遍して学ぶことが多い。何事も短期的な計算で測ってはいけないというのも学習したことである。
北海道八雲町では移住者に無料で240坪の農地を提供するキャンペーンを行っている。もう少し野菜作りに上達しないと、仮に移住しても難儀するといけない、などと思っている次第。
もっとも、八雲町の職員は「畑仕事はできなくても,世話焼きな年寄りがたくさん待ち構えているから心配ない。すぐに移住しても大丈夫」と言ってくれてはいましたが。
今年の住民検診に心理班は昨年同様9名のメンバーで参加し、約430人分の高次脳機能に関する実験データを収集できた。耳鼻科班や泌尿器科班は今年から人数を増やして来た。耳鼻科班での匂いの検査と泌尿器科班の尿漏れ検査と我々の高次脳機能検査班とのデータの突き合わせが楽しみである。匂いと排尿コントロール中枢は脳進化では古いので、皮質下—小脳—前頭葉のネットワークの仕組みと加齢現象になんか面白い発見があるかもしれない。楽しみである。もっとも、これまでに蓄積したたくさんの高次脳機能データの解析が当面の課題ではあるけれども。
身体を休めつつ、家庭菜園(もどきという方が正確だが)の整理を行った。「つるたぐり」と田舎では呼んでいた作業である。キュウリ、トマト、ナス、ズッキーニなどを引き抜く、店じまいの作業である。まだいくつか青いままの実がついているトマトを引き抜くのは、何か惜しくて忍びないものがあるが、そこは思い切りが大事と住民検診で職員から教えられた。
今年の夏の初めての家庭菜園経営(大げさだけど)から学んだことは多いので、メモをしておこう。
① 野菜は何でも植えれば育つというものではない。ズッキーニは大きく育ったが実を付けることはなかった。雌花は2センチほどでしぼんでしまうのだ。トマトと苦瓜は大量に収穫できたが、ナスの生育とキュウリも今ひとつであった。八雲町の職員の話では、「土が悪い、会わないんだ!」ということであった。何事にも相性というものがあるということを学んだのである。
② 農薬を使わない野菜作りは大変な仕事である。チンゲンサイ、レタス、ダイコン、オオバ、とたくさんの種類を植えたがほとんど収穫できなかった。青虫とナメクジに食べられてしまったためである。手での虫取りやビールを使ってナメクジ退治などを試みたが、敵わなかったとうことである。自然の生物は力強いということである。学んだのは、何事にも育てるには根気と世話がいるということである。
③ 青虫取りは蝶や蛾になるので退治するのはかわいそうな気もしたが、収穫のためには不可欠なのである。菜園の上を飛び交う蝶は、見ていて気持が和むものだが、他方でまずいことをもたらす。かわいい蝶も殺さないと葉ものは育たない。殺してしまうと蝶の舞う姿は味わえない。何事にもプラスの側面とマイナスの側面を内包するということを学んだのである。
④ 葉ものはほとんど失敗したのだが、あれほど大量に発生したナメクジも30度以上の気温が続く頃になるとどこかに行ってしまったかのようである。ナメクジの躍動はおそらく土中の温度の高さと関係があるのであろう。植える時期を工夫すればよいのかもしれない。何事にものが育つためには適した時期があり、それを熟知しておかないと上手くは育たないということを学んだのである。
⑤ トマトやキュウリは収穫しはじめの頃は大変美味であったが、終わり近くなると色合いの割に甘さが足りないとか,硬いという具合に、野菜には食べ頃があることを知った。何事にも旬というものがあるということを学んだわけで、自分も旬を過ぎたはずで、硬直した処遇を他人にもたらしているのかもしれない。
とまれ、家庭菜園第1年目の夏はいろいろと学ぶことが多かった。
おそらく、つぎ込んだ苗の代金、肥料、機具、使った時間などの合計はそれらの野菜を購入した場合の数倍の金額となったであろう。短絡的なコスト・パーフォーマンスという観点では完全にマイナスである。
しかし、毎朝・毎夕水をやり、肥料を足し、青虫を探すなどの世話をして、野菜が育ち行く姿に一喜一憂し,わずかでも収穫でき始めた頃の喜びを加算すると最終的なコスト・パーフォーマンスは大幅な黒字と断言できる。そして、いろいろと普遍して学ぶことが多い。何事も短期的な計算で測ってはいけないというのも学習したことである。
北海道八雲町では移住者に無料で240坪の農地を提供するキャンペーンを行っている。もう少し野菜作りに上達しないと、仮に移住しても難儀するといけない、などと思っている次第。
もっとも、八雲町の職員は「畑仕事はできなくても,世話焼きな年寄りがたくさん待ち構えているから心配ない。すぐに移住しても大丈夫」と言ってくれてはいましたが。
Berlnにて
「Berlinにて」などと書き始めると、著名作家の本のタイトルにあったような気もするのだが思い出せない。調べたい衝動にかかれるが、久しぶりに一人旅をしたので、その印象を書こうと思う。結論は「日本人の若者よ、何処へ」、といった戯言になりそうだが。
学会でベルリンに来ている。開会式の翌日の朝に思い立って電車の旅をした。10年以上も前から一人で海外に出かけて小旅行をするなどということはなくなっている。たいていは若い人とのグル-プ旅行が多いので、他人任せになっている。
今回の独りでの旅行で思い知らされたは、案内や地図などが読めないことである。文字が細かすぎるのである。特にドイツではデザインが利便性よりも優先している印象で、恨み言を言いたくなるほどである。いちいち老眼鏡を取り出すのもうんざりするので(だいいち、さらに拡大鏡がないと読めない文字サイズなのだ)、必然的に加齢効果のひとつである生きる知恵を使っての旅行となった。文字言語がだめなら音声言語だ、他人に聞けばよいのである。
かくて、一度は行って見たいと考えていた町へと向かった(場所は差しさわりがあると不味いので、書かない)。その車中で感じたことが今回の話題である。
列車には大きな荷物を持つ大学生らが大勢含まれていた。30年昔と同じような光景である。コンパートメントでの隣の2人はそのカテゴリーの旅行者であった。カップルかと思っていたら一人は男ではなかった(化粧の形跡がないにきび顔で、うっすらひげが伸びているので、間違った次第。ステレオタイプ的誤解である)。11時近くになると手荷物であるスーパーの袋から(大きなバッグは別にある)昼ごはんらしきものが取り出され、彼女らのランチが始まった(他人にわからないように英語で話そうね、と言っていたので、ドイツあたりで勉強している英国人と思われる)。そのランチプロセスがたくましいのである。パンは大人の頭の2人分のサイズ、スライスサラミ一袋、ピザソースのビン(500mm大)、1.5リットルの水ボトル、デザート用のりんごジャムみたいなビン(500mm大)、トマト大ひとつである。他にもブドウなどの房が見えたが、それは取り出されなかった。彼女らはそれらをパンは半分残したがすべて、ぺろりと20分足らずの間に食してしまった。トマトはズボンで拭きナイフでカット、ピザソースはスプーンで舐める、あとは手づかみといった方法である。恐ろしい食欲と荷物の重量である。
翻って、わが日本人の女子大学生でこのようなことが可能であろうかと思った次第。食欲は別にしてもブランドのかばんしか持てなさそうなか細い腕を想像すると、性差別などへの迫力は、外国では如何ばかりのものかと思うことであった。
もちろん、男子の学生と思しき旅行者も大勢いた。いずれも大きな荷物を軽々と運び、1.5リットルの水ボトルを2つほど持ち歩いている。携帯メールを常時操作し、だらしなくズボンを下げて電車に座りこむだけのわが国の男子学生には考えにくいことのように思えた(これもステレオタイプ的誤解だとよいのだが)。中国人学生の多さばかりが目に付く。日本人の姿をほとんど見かけなかった。
最近の日本人学生は海外旅行に関心を失ったのだろうか、重い荷物を持てなくなったのだろうか。
出かけるお金がないというのはおそらく異なり、しんどい思いをして言葉の通じない国に出かける面倒さが嫌なのであろう。何故なら、30~40年前の大学生はまだ貧しかったにもかかわらず、旅に出たものである。コミュニケーションの力は言葉や文化の違う人や場所での経験から学べることが多いのに残念なことである、というか気がかりなことでもある。
団塊世代が大学生であった頃に葉、彼らは外国への好奇心に満ち、抗菌対策など気にしないエネルギーにあふれていたよう思える。それだから、今日の日本企業進出がもたらされ田にちがいない。
このように思いを巡らしていると、中国人学生らに自分たちの世代のかつての姿を見るようである。10年先には彼らが世界を席巻するのかもしれない。日本人の男子学生よ、旅に出よ!などと、叫びたくなるが、そんな声にせかされてややこしい国で人質になられても責任は取れない。
久しぶりの一人での小旅行は4時間も電車に乗っていたので、さまざまなことを考えることとなった。今回の小旅行の成果は何よりも、音声言語で生きていけることの発見であった。
「知らない町を歩いてみたい、どこか遠くへ行きたい…」と最近、ちあきなおみのカバーで聴いた歌を、帰路は一人となったコンパートメントで、夕闇の迫るドイツの麦畑を眺めつつ呟いたことであった。愛する人とは巡り会えなかったけれどね(この歌知らないと意味のない一文)。
学会でベルリンに来ている。開会式の翌日の朝に思い立って電車の旅をした。10年以上も前から一人で海外に出かけて小旅行をするなどということはなくなっている。たいていは若い人とのグル-プ旅行が多いので、他人任せになっている。
今回の独りでの旅行で思い知らされたは、案内や地図などが読めないことである。文字が細かすぎるのである。特にドイツではデザインが利便性よりも優先している印象で、恨み言を言いたくなるほどである。いちいち老眼鏡を取り出すのもうんざりするので(だいいち、さらに拡大鏡がないと読めない文字サイズなのだ)、必然的に加齢効果のひとつである生きる知恵を使っての旅行となった。文字言語がだめなら音声言語だ、他人に聞けばよいのである。
かくて、一度は行って見たいと考えていた町へと向かった(場所は差しさわりがあると不味いので、書かない)。その車中で感じたことが今回の話題である。
列車には大きな荷物を持つ大学生らが大勢含まれていた。30年昔と同じような光景である。コンパートメントでの隣の2人はそのカテゴリーの旅行者であった。カップルかと思っていたら一人は男ではなかった(化粧の形跡がないにきび顔で、うっすらひげが伸びているので、間違った次第。ステレオタイプ的誤解である)。11時近くになると手荷物であるスーパーの袋から(大きなバッグは別にある)昼ごはんらしきものが取り出され、彼女らのランチが始まった(他人にわからないように英語で話そうね、と言っていたので、ドイツあたりで勉強している英国人と思われる)。そのランチプロセスがたくましいのである。パンは大人の頭の2人分のサイズ、スライスサラミ一袋、ピザソースのビン(500mm大)、1.5リットルの水ボトル、デザート用のりんごジャムみたいなビン(500mm大)、トマト大ひとつである。他にもブドウなどの房が見えたが、それは取り出されなかった。彼女らはそれらをパンは半分残したがすべて、ぺろりと20分足らずの間に食してしまった。トマトはズボンで拭きナイフでカット、ピザソースはスプーンで舐める、あとは手づかみといった方法である。恐ろしい食欲と荷物の重量である。
翻って、わが日本人の女子大学生でこのようなことが可能であろうかと思った次第。食欲は別にしてもブランドのかばんしか持てなさそうなか細い腕を想像すると、性差別などへの迫力は、外国では如何ばかりのものかと思うことであった。
もちろん、男子の学生と思しき旅行者も大勢いた。いずれも大きな荷物を軽々と運び、1.5リットルの水ボトルを2つほど持ち歩いている。携帯メールを常時操作し、だらしなくズボンを下げて電車に座りこむだけのわが国の男子学生には考えにくいことのように思えた(これもステレオタイプ的誤解だとよいのだが)。中国人学生の多さばかりが目に付く。日本人の姿をほとんど見かけなかった。
最近の日本人学生は海外旅行に関心を失ったのだろうか、重い荷物を持てなくなったのだろうか。
出かけるお金がないというのはおそらく異なり、しんどい思いをして言葉の通じない国に出かける面倒さが嫌なのであろう。何故なら、30~40年前の大学生はまだ貧しかったにもかかわらず、旅に出たものである。コミュニケーションの力は言葉や文化の違う人や場所での経験から学べることが多いのに残念なことである、というか気がかりなことでもある。
団塊世代が大学生であった頃に葉、彼らは外国への好奇心に満ち、抗菌対策など気にしないエネルギーにあふれていたよう思える。それだから、今日の日本企業進出がもたらされ田にちがいない。
このように思いを巡らしていると、中国人学生らに自分たちの世代のかつての姿を見るようである。10年先には彼らが世界を席巻するのかもしれない。日本人の男子学生よ、旅に出よ!などと、叫びたくなるが、そんな声にせかされてややこしい国で人質になられても責任は取れない。
久しぶりの一人での小旅行は4時間も電車に乗っていたので、さまざまなことを考えることとなった。今回の小旅行の成果は何よりも、音声言語で生きていけることの発見であった。
「知らない町を歩いてみたい、どこか遠くへ行きたい…」と最近、ちあきなおみのカバーで聴いた歌を、帰路は一人となったコンパートメントで、夕闇の迫るドイツの麦畑を眺めつつ呟いたことであった。愛する人とは巡り会えなかったけれどね(この歌知らないと意味のない一文)。