2008年の年の瀬に
月に一度のペースで書いて来たブログが久しぶりに停滞しているのは体調不良とか言う理由からではありません。やたら、忙しかったためです。いつも忙しいと言っている気がしますが、オオカミ少年と取られても嫌なのでその原因をいくつか挙げると、人間環境学研究12月刊の編集がその一つです。5年前から刊行しているこの学術雑誌は自画自賛的に言うといくつかの観点から評判がよく(その具体は書かない)、投稿数が増えたために査読が大変だったのであります。編集代表を勤めているので、査読依頼だけでなく全論文を読んでいます。通常は7-8編で1号としているのですが、5巻2号は13編と分厚くなったのであります。だいたいは1回、中には3回の修正を依頼した論文もあるので、トータルではかなりの時間を必要としたことになります。他の雑誌の査読も11月から2ヶ月ほどの間に4編やりました。J.Exp.P.、Neuropsychologia, Reading & Writing、Psychologiaからの査読依頼で断るのもしゃくなので引き受けてしまったのですが、査読期間の縛りがきついので読んだり、コメントを書いたりに要する時間はけっこうな長さとなったわけです。Brain & Language、Perceptual & Motor Skillsの依頼と日本のある学会誌の依頼は勘弁してもらったのですが、何故にこんなに重なるのか、「忙しいときには依頼は届かず、暇を持て余し気味のときには査読依頼は来ない」というのもマーフィーの法則に加える必要があるのではないでしょうかね。
加えて、これは仕事なので仕方がないことですが、学位論文の審査が3件重なったことも、編集中の本の原稿を分担者が出してこないので、代筆をせねばならなかったことも、自分がきき手に関する選書(これは来年中には化学同人社から出るはずなので、宣伝を目にしたら、是非購入下さい、けっこう力を入れて書き進んでいますので)を執筆中であることも多忙さと多忙感を募らせ、ブログどころではなくなってしまったというわけであります。「動いていないと死んでしまう、マグロ体質」と言われたりしているのですが、もうそろそろ、このような多忙さからは脱出したいという願望は閾値に近づいています。
此処までなら、忙しさの自慢かといわれそうですが、加えて多忙にした原因に言及するのが、今回多忙と言いつつも書いておこうとした動機であります。それは、評価のためのデータ作りです。自分の業績のリストを出せという指示が複数のソースからもたらされ(それも書式が同じでない)、さらにはその業績の中での評価を求められたからです。研究論文がどれくらい優れたものかを評価するというおかしな発想が実行されつつあるのです。そもそも、研究評価についての基準を持たないままでSだのSSだのと印を付けるというのです。僕に言わせればどだい無理なことをしているのです。
評価は、「価値に対して物差を当て評定する」行為であります。教育心理学の教科書にそう書きましたし、心理学ではコンセンサスのある定義です。大学で行われる研究活動の価値の具体が何か分からないので(議論をしていないし、簡単ではない)、物差を何にすればよいかは当然分かっていないことになります。したがって、評価が可能なはずはないのにそれをするというのです。大学評価機構の求めということですが、機構は賢明なのでその具体的な物差は提示しません(抽象的なものは示しますが)。研究論文の引用数、雑誌のインパクトファクターなどと、具体的な物差を提示すれば、袋だたきに遭うことを知っているからでしょう。「客観的な第3者評価に資料を付けよ」などと不可能な指示もあります。主観の入らない測定はないというのがニュートン物理学からアインシュタイン、ボーアらの物理学の移行であったはずで、知らない研究分野の研究業績を評価できるはずがありません。
名大の評価を束ねている先生達は生真面目なので、自己規制をしすぎながら回答の分かっていない者から出された問題に真剣に答探しをしているように僕には思えるのです。もっとも、このような感想を持つのは僕がもつアバウトさのなせるワザなのかも知れませんが。「勇気ある知識人」を作るのを目指す大学なのですから、大学評価機構に仕事を投げ返す勇気が名古屋大学に必要なように思います。
具体的には研究者それぞれに相応に自分でSやSSをつけてもらって提出し、問題があるというならその根拠を示してもらうようにすればよいのです。「自分の研究はすごい」と本人が持つ何かの物差に基づいて行われた評価を、根拠を示してそうではないとするには、否定する側にはっきりとした価値感や物差がなくては叶わないからです。
明後日からの台湾での学会準備に手が回らず、大学の認証評価制度がもたらした波紋で、時間換算でどれだけのロスを教員にもたらしているか、その効用との兼ね合いを評価してもらいたいと叫んでいる年の瀬であります。
加えて、これは仕事なので仕方がないことですが、学位論文の審査が3件重なったことも、編集中の本の原稿を分担者が出してこないので、代筆をせねばならなかったことも、自分がきき手に関する選書(これは来年中には化学同人社から出るはずなので、宣伝を目にしたら、是非購入下さい、けっこう力を入れて書き進んでいますので)を執筆中であることも多忙さと多忙感を募らせ、ブログどころではなくなってしまったというわけであります。「動いていないと死んでしまう、マグロ体質」と言われたりしているのですが、もうそろそろ、このような多忙さからは脱出したいという願望は閾値に近づいています。
此処までなら、忙しさの自慢かといわれそうですが、加えて多忙にした原因に言及するのが、今回多忙と言いつつも書いておこうとした動機であります。それは、評価のためのデータ作りです。自分の業績のリストを出せという指示が複数のソースからもたらされ(それも書式が同じでない)、さらにはその業績の中での評価を求められたからです。研究論文がどれくらい優れたものかを評価するというおかしな発想が実行されつつあるのです。そもそも、研究評価についての基準を持たないままでSだのSSだのと印を付けるというのです。僕に言わせればどだい無理なことをしているのです。
評価は、「価値に対して物差を当て評定する」行為であります。教育心理学の教科書にそう書きましたし、心理学ではコンセンサスのある定義です。大学で行われる研究活動の価値の具体が何か分からないので(議論をしていないし、簡単ではない)、物差を何にすればよいかは当然分かっていないことになります。したがって、評価が可能なはずはないのにそれをするというのです。大学評価機構の求めということですが、機構は賢明なのでその具体的な物差は提示しません(抽象的なものは示しますが)。研究論文の引用数、雑誌のインパクトファクターなどと、具体的な物差を提示すれば、袋だたきに遭うことを知っているからでしょう。「客観的な第3者評価に資料を付けよ」などと不可能な指示もあります。主観の入らない測定はないというのがニュートン物理学からアインシュタイン、ボーアらの物理学の移行であったはずで、知らない研究分野の研究業績を評価できるはずがありません。
名大の評価を束ねている先生達は生真面目なので、自己規制をしすぎながら回答の分かっていない者から出された問題に真剣に答探しをしているように僕には思えるのです。もっとも、このような感想を持つのは僕がもつアバウトさのなせるワザなのかも知れませんが。「勇気ある知識人」を作るのを目指す大学なのですから、大学評価機構に仕事を投げ返す勇気が名古屋大学に必要なように思います。
具体的には研究者それぞれに相応に自分でSやSSをつけてもらって提出し、問題があるというならその根拠を示してもらうようにすればよいのです。「自分の研究はすごい」と本人が持つ何かの物差に基づいて行われた評価を、根拠を示してそうではないとするには、否定する側にはっきりとした価値感や物差がなくては叶わないからです。
明後日からの台湾での学会準備に手が回らず、大学の認証評価制度がもたらした波紋で、時間換算でどれだけのロスを教員にもたらしているか、その効用との兼ね合いを評価してもらいたいと叫んでいる年の瀬であります。
嗅覚の記憶と老化
例によって朝の散歩に出かけたが、玄関を出るところで稲刈りを終えた田んぼで籾殻を焼く焦げ匂いがした。僕にとっては籾殻焼きからもたらされるのは臭いではなく匂いなのである。農村に育ったので、藁を焼くことや籾殻を焼くことで生じる匂いは懐かしく心地よい思いをもたらす。僕が子どもの頃は田んぼでの仕事が終わりを告げるこの匂いは11月に入ってからしか出会うものではなく、この匂いが数日間に渡って辺りに漂う時期は一年間の終わりを告げるものであり、雪の季節を暗示するものであった。
現在の住まいの近くにある田んぼでは田植えは遅く、稲刈りは9月末というように早くなっており、僕の記憶にある一年間のカレンダーからとは一致しないものなのだが、それでも、田んぼの片隅に積み上げられた籾殻を焼く香りは心地よい匂いとなり、何故か穏やかな気持ちを招くのである。田んぼのことを知らない人も多いと思うが、籾殻を焼くのは脱穀して米粒をとりだした殻を灰にして、肥料として田んぼに撒いたり、翌春の苗代の床にするためなのである。籾殻焼きの匂いは次に来る苗代での種まきを連想させるので心地よかったのかも知れない。大人たちが稲作の一年が終わるのを安堵している雰囲気が子ども心に心地よかったのかも知れない。あるいは籾殻の山の中にサツマイモを埋めておき、それを食べることの楽しみという記憶をよみがえらせるのかも知れない。
自宅の庭で落ち葉を焼いて、アルミフォイルに包んだイモを落ち葉の中に入れておき子どもに焼きイモを食べさせたこともあるが、最近では自宅で焼くことがなくなってしまった。ダイオキシンが出るなどの宣伝や煙で洗濯物が汚れるなどの理由から、落ち葉はゴミとして回収されてしまう。垣根の曲がり角の家で落ち葉焚きをしている、あたろうか、あたろうよなどという、童謡はもう誰もが理解できる風景ではなくなったが、焚き火は楽しいものである。確か椎名誠は盛んに焚き火のよさをたびたび小説に記載していたが、焚き火好きの年代というものがあるのだろう。
ところで、老人になると匂いに鈍感になり加齢臭にも気づかないと嫌がられるようであるが、嗅覚は遅くまで鈍化しないと考えている。臭気諦見の法則(?)というか、嗅覚は順応しやすいので自分の加齢臭は気づき難いだけなのではあるまいか。嗅覚は人間の発達では原始的なもので、個体発生の早期に獲得した機能は遅い時期に獲得した機能よりも頑健であるはずだと考えるから鈍化しないと思うのである。青年期に始めて遭遇する若い女性のフレグランスへの感受性は、老年期にはなくなるかも知れないが、赤ちゃんが母親の母乳や体臭を刻印づけられるのと同じように、子どもの頃の好ましい記憶と連合している環境からの匂いも刻印づけられるのだろう。などと、籾殻を焼く田んぼの道をたどりつつ、この匂いの好ましさの理由を考えたことであった。
現在の住まいの近くにある田んぼでは田植えは遅く、稲刈りは9月末というように早くなっており、僕の記憶にある一年間のカレンダーからとは一致しないものなのだが、それでも、田んぼの片隅に積み上げられた籾殻を焼く香りは心地よい匂いとなり、何故か穏やかな気持ちを招くのである。田んぼのことを知らない人も多いと思うが、籾殻を焼くのは脱穀して米粒をとりだした殻を灰にして、肥料として田んぼに撒いたり、翌春の苗代の床にするためなのである。籾殻焼きの匂いは次に来る苗代での種まきを連想させるので心地よかったのかも知れない。大人たちが稲作の一年が終わるのを安堵している雰囲気が子ども心に心地よかったのかも知れない。あるいは籾殻の山の中にサツマイモを埋めておき、それを食べることの楽しみという記憶をよみがえらせるのかも知れない。
自宅の庭で落ち葉を焼いて、アルミフォイルに包んだイモを落ち葉の中に入れておき子どもに焼きイモを食べさせたこともあるが、最近では自宅で焼くことがなくなってしまった。ダイオキシンが出るなどの宣伝や煙で洗濯物が汚れるなどの理由から、落ち葉はゴミとして回収されてしまう。垣根の曲がり角の家で落ち葉焚きをしている、あたろうか、あたろうよなどという、童謡はもう誰もが理解できる風景ではなくなったが、焚き火は楽しいものである。確か椎名誠は盛んに焚き火のよさをたびたび小説に記載していたが、焚き火好きの年代というものがあるのだろう。
ところで、老人になると匂いに鈍感になり加齢臭にも気づかないと嫌がられるようであるが、嗅覚は遅くまで鈍化しないと考えている。臭気諦見の法則(?)というか、嗅覚は順応しやすいので自分の加齢臭は気づき難いだけなのではあるまいか。嗅覚は人間の発達では原始的なもので、個体発生の早期に獲得した機能は遅い時期に獲得した機能よりも頑健であるはずだと考えるから鈍化しないと思うのである。青年期に始めて遭遇する若い女性のフレグランスへの感受性は、老年期にはなくなるかも知れないが、赤ちゃんが母親の母乳や体臭を刻印づけられるのと同じように、子どもの頃の好ましい記憶と連合している環境からの匂いも刻印づけられるのだろう。などと、籾殻を焼く田んぼの道をたどりつつ、この匂いの好ましさの理由を考えたことであった。
反省しつつ考えること
学会で金沢に出発しなければならず、同僚に院生の業績リストを仕上げるのをお願いすることになってしまった。リストはできていたのだが、エクセルの指定されたフォーマットに張り付ける作業が間に合わなかったのである。やさしい同僚を採用できてありがたいことである。
名大は来年度に認証評価を受けるので、そのための資料の作成に各教員は大わらわである。教員にはいくつもの種類の資料作成が求められている。
大学教員の仕事は、教育と研究の2本柱であるはずなのだが、最近は加えて管理・事務も加わった印象である。それに割り当てる時間は初めてということもあるが、かなりの量である。学会に行くのも躊躇するほどの負担と言っても過言ではない。教員が研究論文も書かずにいるのはその役目を果たさないことなのでチェックが必要だとは思うが、大学の認証評価では、要は大学という名前に相応する活動実績があるかをチェックするのだから、認証機関は評価の水準を示して、それを超えればOKという具合にならないものだろうか。たとえば、国際大会に出たい運動選手には水準記録があり、それを超えれば出場可、という具合である。悉皆的に業績をリストアップする必要など不要という具合にできないものだろうか。昨今の個人資料の悉皆的なリストアップのその先には、個人別の評価や大学のランク付けが待っているように思えるからである。ランク付けが大学本来の質の向上に寄与する側面は少なく、マスコミに埋め草を提供するだけのことである。
個人評価をネガティブに言う人がいると、自分は業績少ないから自己防衛のためと見なす傾向がないわけではないので、研究業績はあると自負しているが、個人評価は好ましくないというか、貧しいなあと考えてしまうのである。
評価とは価値規準に物差しを照らし合わせる行為をいうものであり、大学教員の価値基準とは何か、物差しには何が妥当かという議論があった話は聞いたことがない。
既に個人の研究業績(論文、外部資金獲得実績など)で機関が配分する研究費を案分することが、講座単位、個人単位で始まっている大学もあるのを知っている。世知辛いというか、狭量な思考だと僕は思う。長期的に考えてプラスになることは少ないと考える。
論文を作れと言われれば形式を整えることぐらいは、大学の教員は知恵があるのでさほど困難ではない。数を増やすだけのことが流行るようになるだけである。インパクトファクターの高い雑誌の論文をとか引用数がなどともっともらしい基準を提示されることがあるが、それも完全ではなく、相互に引用しあうというような対応策は既に常識である。受賞歴で研究の質をなどという評価項目にはさまざまな賞を設けて対応することですでに行われているので、現在のような評価項目を調べても所詮は無駄なことは容易に想像できる。
では、どうすればということになるが、無駄なことはしないのがよいということである。大学教員に相応しくない人がいるかも知れないが、その存在も許容し玉石混淆のままの大学の方が優れた研究が生まれる確率は高いのではないかと考えている。優れた研究は、時間的余裕と研究費の保証が生むのだと考えている。毎年論文の数を念頭に研究をするようなことでは、そして事務・管理作業に時間を配分する割合が増加するようでは、地道な基礎的な研究は生まれようがない。
目下、原稿を書くために利き手の論文を検索して集中して読むことをしている。今まで知識の乏しかった下等脊椎動物の利き手(?)に関する論文をかなり読んだ。そこには魚が泳ぐヒレの動きを数えたり、空腹動因をかけるために1週間に1度しか餌(ネズミ)を与えられないヘビのくねり方を数えるような、1-2年もかけた研究が少なくない。このような研究をする教員を内包できる大学でなければ、文化を具現するはずの大学とは言えまい。 以前に霊長類研究所で猿の親子を驚かせて子ザルを取り上げる行為を30分に1回ぐらいの頻度で観察したことがあり、時間をかけた研究だと思っていた自分が恥ずかしくなる。
文化は基本的には非生産的なものの蓄積である。ゆとりのないところに文化が生まれ育つはずがない。文化が人間らしい生活環境を保障するのである。
ゆとりがない国であるなら大学など増設すべきでない、などとぶつぶつ言いながら、資料の作成を同僚に委ねた自分を反省しつつ、合理化しているのであります。
名大は来年度に認証評価を受けるので、そのための資料の作成に各教員は大わらわである。教員にはいくつもの種類の資料作成が求められている。
大学教員の仕事は、教育と研究の2本柱であるはずなのだが、最近は加えて管理・事務も加わった印象である。それに割り当てる時間は初めてということもあるが、かなりの量である。学会に行くのも躊躇するほどの負担と言っても過言ではない。教員が研究論文も書かずにいるのはその役目を果たさないことなのでチェックが必要だとは思うが、大学の認証評価では、要は大学という名前に相応する活動実績があるかをチェックするのだから、認証機関は評価の水準を示して、それを超えればOKという具合にならないものだろうか。たとえば、国際大会に出たい運動選手には水準記録があり、それを超えれば出場可、という具合である。悉皆的に業績をリストアップする必要など不要という具合にできないものだろうか。昨今の個人資料の悉皆的なリストアップのその先には、個人別の評価や大学のランク付けが待っているように思えるからである。ランク付けが大学本来の質の向上に寄与する側面は少なく、マスコミに埋め草を提供するだけのことである。
個人評価をネガティブに言う人がいると、自分は業績少ないから自己防衛のためと見なす傾向がないわけではないので、研究業績はあると自負しているが、個人評価は好ましくないというか、貧しいなあと考えてしまうのである。
評価とは価値規準に物差しを照らし合わせる行為をいうものであり、大学教員の価値基準とは何か、物差しには何が妥当かという議論があった話は聞いたことがない。
既に個人の研究業績(論文、外部資金獲得実績など)で機関が配分する研究費を案分することが、講座単位、個人単位で始まっている大学もあるのを知っている。世知辛いというか、狭量な思考だと僕は思う。長期的に考えてプラスになることは少ないと考える。
論文を作れと言われれば形式を整えることぐらいは、大学の教員は知恵があるのでさほど困難ではない。数を増やすだけのことが流行るようになるだけである。インパクトファクターの高い雑誌の論文をとか引用数がなどともっともらしい基準を提示されることがあるが、それも完全ではなく、相互に引用しあうというような対応策は既に常識である。受賞歴で研究の質をなどという評価項目にはさまざまな賞を設けて対応することですでに行われているので、現在のような評価項目を調べても所詮は無駄なことは容易に想像できる。
では、どうすればということになるが、無駄なことはしないのがよいということである。大学教員に相応しくない人がいるかも知れないが、その存在も許容し玉石混淆のままの大学の方が優れた研究が生まれる確率は高いのではないかと考えている。優れた研究は、時間的余裕と研究費の保証が生むのだと考えている。毎年論文の数を念頭に研究をするようなことでは、そして事務・管理作業に時間を配分する割合が増加するようでは、地道な基礎的な研究は生まれようがない。
目下、原稿を書くために利き手の論文を検索して集中して読むことをしている。今まで知識の乏しかった下等脊椎動物の利き手(?)に関する論文をかなり読んだ。そこには魚が泳ぐヒレの動きを数えたり、空腹動因をかけるために1週間に1度しか餌(ネズミ)を与えられないヘビのくねり方を数えるような、1-2年もかけた研究が少なくない。このような研究をする教員を内包できる大学でなければ、文化を具現するはずの大学とは言えまい。 以前に霊長類研究所で猿の親子を驚かせて子ザルを取り上げる行為を30分に1回ぐらいの頻度で観察したことがあり、時間をかけた研究だと思っていた自分が恥ずかしくなる。
文化は基本的には非生産的なものの蓄積である。ゆとりのないところに文化が生まれ育つはずがない。文化が人間らしい生活環境を保障するのである。
ゆとりがない国であるなら大学など増設すべきでない、などとぶつぶつ言いながら、資料の作成を同僚に委ねた自分を反省しつつ、合理化しているのであります。
検索エンジン依存症 ?
レポートを学生に課したところ、案の定、コンピュータの検索エンジンを駆使したものが数多く提出された。鉛筆を舐めつつ原稿用紙に埋めた文字数を何度となく数え、不足分を補うのに苦労した自分の若い頃とは違って、カラー図表が入った活字印刷による大部のものがほとんどである。自分らの時代のレポートから比べるとその概観たるや誠に立派なものである。手書きのものは30数名中1名しかいなかった。
しかしながら、ざっと斜め読みをしていく段階で次のことが明らかとなってきた。検索エンジンが拾い上げる情報を鵜呑みにし、すでに論争では決着がついている古い記事を転載したもの、間違った記載をそのままコピー・ペーストしたものが大多数であった。コンピュータネットワークに親しんだ新しい時代の若者に特有の問題点が散見できる。
まず、学生はコンピュータ画面に表示されるものを疑うことを知らないようで、レポートの書き方について、時代に則した指導が不可欠という印象を強くした。もちろん、レポートを返却する際にこれらのことについては言及した。
最近,Googleを検索した知人から、「美国哥伦比亚大学神经生物学家八田武志教授通过解剖、比较正常男性和女性的大脑…」という脳機能の性差に関する自分のことらしい記事が中国大手サイトのsouthcn.comに水着や女性下着の案内と共に掲載されていることを教えられた。自分でGoogleを「八田武志」のキーワードで検索してみると、その記事が中国の他のサイトにも多く転載されていることが判明した。かつて、そろばんと脳機能の研究が珠算連盟などの情報提供から、中国で翻訳されて心算(中国語での暗算)と脳の研究をしている八田武志についての記事が中国のネットワークにあることは知っていたが、ネット販売の画面に八田武志の名前が出ているのには驚かされた。それも一見すると女性水着や下着の側にある記事なので、いかがわしいサイトではないかと心配したが、中国人留学生に読んでもらった結果によれば、大手のしっかりしたサイトであるということであり、記事の内容も特段間違っているわけではない。ただ、八田武志は美国哥伦比亚大学の教授であるという点が間違っているのである。ちなみに、美国哥伦比亚大学はアメリカ・コロンビア大学のことだそうで、私は、在籍はもちろん訪問したこともない。
一昨年に北アメリカの田舎町の大学で行われた性差に関するシンポジウム(経費はゲイの団体から出ていると聞いている)で話した内容に類似しているのでどこかから間違って情報が流れたのかも知れない。しかし、こういった正確ではない記事がサイト間で次々と転載され、多くの人間がそれを疑うことなくコピー・ペーストしていくのはなんとも奇妙な現象である。
このような検索エンジン依存は別な心配事を派生するように思える。巷にはブログが流行し、膨大な数の人間が徒然の思いを書き綴っていたり、あるいは、大学教員の講義録や学生のレポートなどが掲載されているサイトも数多く、検索エンジンに拾い上げられる情報は増大の一途を辿っている。内容の正誤は言うまでもないが、問題はこれらの情報が時間とともに希薄化しないことである。一旦書き込まれた記事は自然消滅することなくネットワークに漂っている。
心理学では、忘却は人間が生きていく上で肝要な適応機能と見なす(かつて行った研究では2年間でたいていの社会的出来事は忘却される)が、別れた人のことがずっと忘れられない、腹立たしい出来事が検索のたびにフラッシュバックされる、一昔前の論争テーマをいつまでも引き合いに出すなど、忘却という適応機能を働かせることができないための新型のパラノイア症候群のようなものを生み出しはしないかと心配である。物忘れする検索エンジンの開発が必要なのではないかと、自らの物忘れの増加を自覚しつつ感じている。そうなれば、物忘れをするようになる自分のような高齢者はコンピュータ時代の最先端を行く人ということになるのだが。
しかしながら、ざっと斜め読みをしていく段階で次のことが明らかとなってきた。検索エンジンが拾い上げる情報を鵜呑みにし、すでに論争では決着がついている古い記事を転載したもの、間違った記載をそのままコピー・ペーストしたものが大多数であった。コンピュータネットワークに親しんだ新しい時代の若者に特有の問題点が散見できる。
まず、学生はコンピュータ画面に表示されるものを疑うことを知らないようで、レポートの書き方について、時代に則した指導が不可欠という印象を強くした。もちろん、レポートを返却する際にこれらのことについては言及した。
最近,Googleを検索した知人から、「美国哥伦比亚大学神经生物学家八田武志教授通过解剖、比较正常男性和女性的大脑…」という脳機能の性差に関する自分のことらしい記事が中国大手サイトのsouthcn.comに水着や女性下着の案内と共に掲載されていることを教えられた。自分でGoogleを「八田武志」のキーワードで検索してみると、その記事が中国の他のサイトにも多く転載されていることが判明した。かつて、そろばんと脳機能の研究が珠算連盟などの情報提供から、中国で翻訳されて心算(中国語での暗算)と脳の研究をしている八田武志についての記事が中国のネットワークにあることは知っていたが、ネット販売の画面に八田武志の名前が出ているのには驚かされた。それも一見すると女性水着や下着の側にある記事なので、いかがわしいサイトではないかと心配したが、中国人留学生に読んでもらった結果によれば、大手のしっかりしたサイトであるということであり、記事の内容も特段間違っているわけではない。ただ、八田武志は美国哥伦比亚大学の教授であるという点が間違っているのである。ちなみに、美国哥伦比亚大学はアメリカ・コロンビア大学のことだそうで、私は、在籍はもちろん訪問したこともない。
一昨年に北アメリカの田舎町の大学で行われた性差に関するシンポジウム(経費はゲイの団体から出ていると聞いている)で話した内容に類似しているのでどこかから間違って情報が流れたのかも知れない。しかし、こういった正確ではない記事がサイト間で次々と転載され、多くの人間がそれを疑うことなくコピー・ペーストしていくのはなんとも奇妙な現象である。
このような検索エンジン依存は別な心配事を派生するように思える。巷にはブログが流行し、膨大な数の人間が徒然の思いを書き綴っていたり、あるいは、大学教員の講義録や学生のレポートなどが掲載されているサイトも数多く、検索エンジンに拾い上げられる情報は増大の一途を辿っている。内容の正誤は言うまでもないが、問題はこれらの情報が時間とともに希薄化しないことである。一旦書き込まれた記事は自然消滅することなくネットワークに漂っている。
心理学では、忘却は人間が生きていく上で肝要な適応機能と見なす(かつて行った研究では2年間でたいていの社会的出来事は忘却される)が、別れた人のことがずっと忘れられない、腹立たしい出来事が検索のたびにフラッシュバックされる、一昔前の論争テーマをいつまでも引き合いに出すなど、忘却という適応機能を働かせることができないための新型のパラノイア症候群のようなものを生み出しはしないかと心配である。物忘れする検索エンジンの開発が必要なのではないかと、自らの物忘れの増加を自覚しつつ感じている。そうなれば、物忘れをするようになる自分のような高齢者はコンピュータ時代の最先端を行く人ということになるのだが。
乳がん
何が起きるのかは、予測がつかないもので、6月末に家内が乳がんの手術をした。冷静に考えれば家内も僕も同じ年齢なのでがんが生じることは蓋然性の高いことなのだが、実際には確率の当たりが自分たちに降り掛かるとは予想しないで生きているものである。そうでなければ、不安神経症に分類されてしまう毎日を過ごすことになる。
幸い早期発見で、わずか5泊の入院で自宅に戻ることができた。周囲からは本当に手術をしたのかと疑われるほどの元気さを取り戻しているのだが、この事件に関わって3つのことを記述しておきたい。
第1は、検診はやっぱり重要だということである。家内は、1年ほど前に友人といっしょに軽い気持ちで受けた超音波とマンモグラフィによる検査でがんが疑われるという結果を受け取ったようである。わずか3~4ミリのサイズのもので、あまりにも小さいのでしばらく経過観察をしていたら、今回の検査で6ミリ程度に大きくなったのだ。そこで、細胞をとっての検査した結果、がん細胞が同定され今回の手術となった。通常20ミリ以下の場合は、リンパなどへの転移の可能性は低く、文字通りの早期発見だ、ということで私は全くと言ってよいほど深刻には捉えていなかった。入院する前日にはスーパーに買い物に行って、様子を見に帰るという次男と飲む酒を選んだり、つまみを作るべく食材を選んでいる私に家内は「なんかうれしそう」と皮肉を言ったほどである。事実、久しぶりに料理を作る状況が生じるのをうきうきした気分で迎えようとしていたふしはある。
手術前日の夕方、家内と次男と僕の3人は担当医師の説明を受けることとなったのだが、そのときに前日撮影したMRIでのがんのサイズは16ミリ大であることを知らされた(摘出した組織の後の検査でも15ミリ大であった)。柔らかい性質のがんということで、痼りのようなものはいっさい感じ取ることの出来ないものであった。超音波とマンモグラフィの所見でまだ小さいから様子を見ようと放置していたらと考えると冷や汗ものである。検診をこまめに受けることは重要ということ、通常の検診レベルの所見では必ずしも万全ではないということである。
第2は手術の際の医師の説明に関することである。とにかく、やたらと丁寧であるが素人には十分伝わらない。専門家に任せるしかないのに、最近の医療事情を反映してあらゆる可能性を説明するのである。合計で1時間半ほど時間を要した。明らかに医療裁判を念頭に置いた過剰なものである(と僕には思える)。メスを入れる箇所の印を付ける際に用いる色素の毒性の確率を説明されても、他に選択肢がある訳ではないので患者側には如何ともし難い。説明に用いられる用語は必然的に専門用語が多くなり、患者側の不安を喚起することだけが残り、コンプライアンスを獲得できるものではない。もっともこれは担当医師の能力の問題ではなくシステムの問題であろう。僕と次男は医学的な用語に慣れている方であるが、それでも完全に理解できた訳ではない。仲立ちをする役割の人を準備するなどの工夫をしないと、実質的な説明責任は果たせそうにないように思えた。アメリカのような訴訟社会で、今回のような説明だと、「何か言っていたが、理解できない言語での説明で、無効だ」などとしつこい弁護士なら言いかねない。
第3はストレスについてである。前述したように僕はほとんど手術の件については心配していなかったしリンパへの転移の確率の無視できると思っていた。しかしながら、手術を受け、リンパへの転移もないことが確認された火曜日の夜以降、その5日ほど前から下半身に出ていて難儀だなあと感じていた湿疹が消失したのである。ストレスにより湿疹が出ることがあるのはよくあることで、意識レベルでは全く気にしていなかったのだが、早朝覚醒も続いていたような記憶もあり(4時半頃の目覚めが3時台というレベルの話だけど)、意識下では不安を感じていたようである。思い返せば、外科手術の後のホルモン療法や化学療法、放射線治療の可能性についての疑念をちらちら頭に浮かべていたが、それは手術後の病理検査の結果によるのだからと納得させて意識化しないようにしていた気配はある。以前にもコラムに書いたような気がするのだが、明確な重圧感やイライラ感を意識しなくてもストレスによって身体は敏感に反応する。人間の意識と身体反応の関係は複雑だなあ、と改めて感じたことであった。
とまれ、読者諸君はお母さんに乳がん検診を勧めるように薦めます。
幸い早期発見で、わずか5泊の入院で自宅に戻ることができた。周囲からは本当に手術をしたのかと疑われるほどの元気さを取り戻しているのだが、この事件に関わって3つのことを記述しておきたい。
第1は、検診はやっぱり重要だということである。家内は、1年ほど前に友人といっしょに軽い気持ちで受けた超音波とマンモグラフィによる検査でがんが疑われるという結果を受け取ったようである。わずか3~4ミリのサイズのもので、あまりにも小さいのでしばらく経過観察をしていたら、今回の検査で6ミリ程度に大きくなったのだ。そこで、細胞をとっての検査した結果、がん細胞が同定され今回の手術となった。通常20ミリ以下の場合は、リンパなどへの転移の可能性は低く、文字通りの早期発見だ、ということで私は全くと言ってよいほど深刻には捉えていなかった。入院する前日にはスーパーに買い物に行って、様子を見に帰るという次男と飲む酒を選んだり、つまみを作るべく食材を選んでいる私に家内は「なんかうれしそう」と皮肉を言ったほどである。事実、久しぶりに料理を作る状況が生じるのをうきうきした気分で迎えようとしていたふしはある。
手術前日の夕方、家内と次男と僕の3人は担当医師の説明を受けることとなったのだが、そのときに前日撮影したMRIでのがんのサイズは16ミリ大であることを知らされた(摘出した組織の後の検査でも15ミリ大であった)。柔らかい性質のがんということで、痼りのようなものはいっさい感じ取ることの出来ないものであった。超音波とマンモグラフィの所見でまだ小さいから様子を見ようと放置していたらと考えると冷や汗ものである。検診をこまめに受けることは重要ということ、通常の検診レベルの所見では必ずしも万全ではないということである。
第2は手術の際の医師の説明に関することである。とにかく、やたらと丁寧であるが素人には十分伝わらない。専門家に任せるしかないのに、最近の医療事情を反映してあらゆる可能性を説明するのである。合計で1時間半ほど時間を要した。明らかに医療裁判を念頭に置いた過剰なものである(と僕には思える)。メスを入れる箇所の印を付ける際に用いる色素の毒性の確率を説明されても、他に選択肢がある訳ではないので患者側には如何ともし難い。説明に用いられる用語は必然的に専門用語が多くなり、患者側の不安を喚起することだけが残り、コンプライアンスを獲得できるものではない。もっともこれは担当医師の能力の問題ではなくシステムの問題であろう。僕と次男は医学的な用語に慣れている方であるが、それでも完全に理解できた訳ではない。仲立ちをする役割の人を準備するなどの工夫をしないと、実質的な説明責任は果たせそうにないように思えた。アメリカのような訴訟社会で、今回のような説明だと、「何か言っていたが、理解できない言語での説明で、無効だ」などとしつこい弁護士なら言いかねない。
第3はストレスについてである。前述したように僕はほとんど手術の件については心配していなかったしリンパへの転移の確率の無視できると思っていた。しかしながら、手術を受け、リンパへの転移もないことが確認された火曜日の夜以降、その5日ほど前から下半身に出ていて難儀だなあと感じていた湿疹が消失したのである。ストレスにより湿疹が出ることがあるのはよくあることで、意識レベルでは全く気にしていなかったのだが、早朝覚醒も続いていたような記憶もあり(4時半頃の目覚めが3時台というレベルの話だけど)、意識下では不安を感じていたようである。思い返せば、外科手術の後のホルモン療法や化学療法、放射線治療の可能性についての疑念をちらちら頭に浮かべていたが、それは手術後の病理検査の結果によるのだからと納得させて意識化しないようにしていた気配はある。以前にもコラムに書いたような気がするのだが、明確な重圧感やイライラ感を意識しなくてもストレスによって身体は敏感に反応する。人間の意識と身体反応の関係は複雑だなあ、と改めて感じたことであった。
とまれ、読者諸君はお母さんに乳がん検診を勧めるように薦めます。
一流の研究者の要件
先週末に第13回の東海神経心理学研究会(正式名称は長いので、気になる人は心理学講座のHPで確認して下さい)が開かれた。以前は近畿地区と東海地区とで交互に開催されていたものを、7年前から名古屋大学を会場に年に2回のペースで実施されるようになっているものである。
今回は高次脳機能学会と日程が重複したためか演題の応募が少ないこともあって、最近アメリカ心理学会(APA)の機関誌であるNeuropsychologyに論文の掲載が決まった愛知淑徳大学の吉崎一人氏に発表を依頼することとなった。快諾(私の教え子なので、否応無しであったのかもしれませんが)を得たのだが、分野が違う聴衆には分かりにくい話と思うということで、私が最近の研究に至る背景や研究法を説明する内容の発表をすることになったのである。吉崎氏の研究は左右半球機能の相互作用に関連するもので、左右の大脳半球の機能差を研究するラテラリティ研究の領域では1990年代以降に発表が増加している研究である。
ラテラリティ研究は、Sperryらの人間での離断脳(左右の大脳半球の連絡路を切断した患者での)研究が有名で、1981年に彼はノーベル医学生理学賞を受賞されている。右脳にも一定程度の言語理解機能が存在すること、右脳の方が左脳よりも認知機能が優れる場合があること、左右脳がそれぞれ得意とする情報処理様式をもつことなどが、主な知見である。
Sperryと同じ大学のOldsのところに1970年頃に留学されていた平野俊二先生から、留守番の土産に離断脳研究の論文の別刷りを大量にもらい、そのことが、私がラテラリティ研究にのめり込むきっかけとなった。パーカーのボールペンでももらえるのではないかという密かな期待は裏切られたのだが、(自分で言うのもおこがましいが)ラテラリティ研究の日本での先駆けとして、その後30年以上も持続できる研究テーマを教示されたことになるのだから、結果的にはボールペンよりも値打ちのある土産であったことになる(指導者の価値というものは凡人にはなかなか分からないということである)。
今回、吉崎発表の前座を勤めるべく、左右大脳半球機能間のSperry以前の動物での離断脳研究を調べるうちに、感心することに出くわした。一流の研究者たるものは「かく在るべしという」ことに気づいたのだ。私は、動物での離断脳研究はSperryの前任校での指導者Myersが行った両眼間転移の実験が端緒になっていること、Bures夫妻による拡延性皮質抑圧と呼ばれる片側の脳機能を数時間停止させる実験などに左右大脳半球機能の相互作用の先駆け的な研究が存在することを、ラテラリティの研究法の歴史的変遷とともに紹介したのだが、人間での左右大脳半球機能の相互作用研究の端緒はDimondにあることも指摘した。
近年アメリカなどで左右大脳半球機能の相互作用を研究テーマにしている研究者は、その実験パラダイムの原型がDimondにあることを知ってか知らずか記述しない。研究者のマナーとして如何なものかと思わないでもない。
「一流の研究者たるものは、かく在るべし」という今回のテーマから外れ、愚痴っぽくなっているので、話を元に戻さねばなるまい。
「Double Brain」というタイトルの本が英国の出版社から1972年に出ている。著者はDimondである。私の知る限りではラテラリティの著書としては一番早いものである。改めて取り出して目次を見ると、その後のラテラリティの本では取り上げられていない、Buresの研究を最初に紹介しているのが特徴的で、Dimondは左右半球機能の相互作用に強い思い入れがあったことがわかる。ちなみに私の修論は拡延性皮質抑圧による半球間での記憶の相互作用に関するもので、APAの雑誌に1974年に掲載されているのをDimondは読んでいたのだろう。年端のいかない東洋の若造をあれほど丁重に処遇してくれた理由の一端に触れた気がした。
Dimondは1974年に弟子のBeaumontと共編で「Hemisphere function in the human brain」という本を出版しているが、この本は1980年代になって次々アメリカで出版される類似の本の原型となったものである。以前に読んだときには気づかなかったのだが、この本の目次を見てみて驚いてしまった。その後の神経心理学をリードした超大物が分担執筆しているのである。Geschwind, N., Gazzaniga, M., Kimura, D., Travarthen, C., Zangwill, O., Goldstein, G., Newcom, F., Hecaen, H.などである。いずれも神経心理学の研究者はどこかで必ず目にする著名人である。
すごいと思ったのは、当時30歳を過ぎのたばかりのDimondがHarvardの医学部教授などに原稿執筆を依頼していること、そしてまた多くの著名な研究者がそれに答えているという事実である。もちろん、この本の編集者や出版社も偉い(後年アメリカで再出版されているので、元は取れただろうけど)。
依頼する方も依頼された方も、研究成果の発表という状況では、それ以外の年齢や肩書きなどの要素に目もくれていない、研究者の実力にだけ配慮しているという事実である。依頼したDimondもすごいが、原稿を書いた上記の著名人も、さらには出版社も、偉い!
翻って自分が30歳過ぎの講師で、国内外の著名な大学の教授に原稿執筆を頼めるか、また自分にこのような原稿依頼があったとして執筆するかと考えるとこのことの意味が分かる。科学研究に携わるものが価値基準を研究の中身にだけおいて、それ以外の様々な要素にとらわれずに研究生活を過ごしていくというのは、凡人には出来ることではなく、偉い研究者に備わる要素なのであろう。欧米の研究者の世界での、実力主義の実態をかいま見た気がする。
という訳で、今回の前座としての研究発表の資料探索から、新たな教訓を得た。
ちなみに、Dimondは31歳の私が1977年に伊丹空港で横断幕に見送られて、心細く頼っていったWales大学の先生であります。1980年に白血病で急逝されたのですが、1980年にButterworth社から「Neuropsychololgy」という560頁を超える最後の著書が出ています。3年の間に5編ほど共著論文を書いた私としては、急逝は大打撃でありました。酔うと、人生が変わった可能性があると嘆くのが常となっておりますが、彼のような偉い研究者にならねばと、改めて心に誓ったことであります。
ということで、若い研究者からの執筆依頼を心待ちにしています。
今回は高次脳機能学会と日程が重複したためか演題の応募が少ないこともあって、最近アメリカ心理学会(APA)の機関誌であるNeuropsychologyに論文の掲載が決まった愛知淑徳大学の吉崎一人氏に発表を依頼することとなった。快諾(私の教え子なので、否応無しであったのかもしれませんが)を得たのだが、分野が違う聴衆には分かりにくい話と思うということで、私が最近の研究に至る背景や研究法を説明する内容の発表をすることになったのである。吉崎氏の研究は左右半球機能の相互作用に関連するもので、左右の大脳半球の機能差を研究するラテラリティ研究の領域では1990年代以降に発表が増加している研究である。
ラテラリティ研究は、Sperryらの人間での離断脳(左右の大脳半球の連絡路を切断した患者での)研究が有名で、1981年に彼はノーベル医学生理学賞を受賞されている。右脳にも一定程度の言語理解機能が存在すること、右脳の方が左脳よりも認知機能が優れる場合があること、左右脳がそれぞれ得意とする情報処理様式をもつことなどが、主な知見である。
Sperryと同じ大学のOldsのところに1970年頃に留学されていた平野俊二先生から、留守番の土産に離断脳研究の論文の別刷りを大量にもらい、そのことが、私がラテラリティ研究にのめり込むきっかけとなった。パーカーのボールペンでももらえるのではないかという密かな期待は裏切られたのだが、(自分で言うのもおこがましいが)ラテラリティ研究の日本での先駆けとして、その後30年以上も持続できる研究テーマを教示されたことになるのだから、結果的にはボールペンよりも値打ちのある土産であったことになる(指導者の価値というものは凡人にはなかなか分からないということである)。
今回、吉崎発表の前座を勤めるべく、左右大脳半球機能間のSperry以前の動物での離断脳研究を調べるうちに、感心することに出くわした。一流の研究者たるものは「かく在るべしという」ことに気づいたのだ。私は、動物での離断脳研究はSperryの前任校での指導者Myersが行った両眼間転移の実験が端緒になっていること、Bures夫妻による拡延性皮質抑圧と呼ばれる片側の脳機能を数時間停止させる実験などに左右大脳半球機能の相互作用の先駆け的な研究が存在することを、ラテラリティの研究法の歴史的変遷とともに紹介したのだが、人間での左右大脳半球機能の相互作用研究の端緒はDimondにあることも指摘した。
近年アメリカなどで左右大脳半球機能の相互作用を研究テーマにしている研究者は、その実験パラダイムの原型がDimondにあることを知ってか知らずか記述しない。研究者のマナーとして如何なものかと思わないでもない。
「一流の研究者たるものは、かく在るべし」という今回のテーマから外れ、愚痴っぽくなっているので、話を元に戻さねばなるまい。
「Double Brain」というタイトルの本が英国の出版社から1972年に出ている。著者はDimondである。私の知る限りではラテラリティの著書としては一番早いものである。改めて取り出して目次を見ると、その後のラテラリティの本では取り上げられていない、Buresの研究を最初に紹介しているのが特徴的で、Dimondは左右半球機能の相互作用に強い思い入れがあったことがわかる。ちなみに私の修論は拡延性皮質抑圧による半球間での記憶の相互作用に関するもので、APAの雑誌に1974年に掲載されているのをDimondは読んでいたのだろう。年端のいかない東洋の若造をあれほど丁重に処遇してくれた理由の一端に触れた気がした。
Dimondは1974年に弟子のBeaumontと共編で「Hemisphere function in the human brain」という本を出版しているが、この本は1980年代になって次々アメリカで出版される類似の本の原型となったものである。以前に読んだときには気づかなかったのだが、この本の目次を見てみて驚いてしまった。その後の神経心理学をリードした超大物が分担執筆しているのである。Geschwind, N., Gazzaniga, M., Kimura, D., Travarthen, C., Zangwill, O., Goldstein, G., Newcom, F., Hecaen, H.などである。いずれも神経心理学の研究者はどこかで必ず目にする著名人である。
すごいと思ったのは、当時30歳を過ぎのたばかりのDimondがHarvardの医学部教授などに原稿執筆を依頼していること、そしてまた多くの著名な研究者がそれに答えているという事実である。もちろん、この本の編集者や出版社も偉い(後年アメリカで再出版されているので、元は取れただろうけど)。
依頼する方も依頼された方も、研究成果の発表という状況では、それ以外の年齢や肩書きなどの要素に目もくれていない、研究者の実力にだけ配慮しているという事実である。依頼したDimondもすごいが、原稿を書いた上記の著名人も、さらには出版社も、偉い!
翻って自分が30歳過ぎの講師で、国内外の著名な大学の教授に原稿執筆を頼めるか、また自分にこのような原稿依頼があったとして執筆するかと考えるとこのことの意味が分かる。科学研究に携わるものが価値基準を研究の中身にだけおいて、それ以外の様々な要素にとらわれずに研究生活を過ごしていくというのは、凡人には出来ることではなく、偉い研究者に備わる要素なのであろう。欧米の研究者の世界での、実力主義の実態をかいま見た気がする。
という訳で、今回の前座としての研究発表の資料探索から、新たな教訓を得た。
ちなみに、Dimondは31歳の私が1977年に伊丹空港で横断幕に見送られて、心細く頼っていったWales大学の先生であります。1980年に白血病で急逝されたのですが、1980年にButterworth社から「Neuropsychololgy」という560頁を超える最後の著書が出ています。3年の間に5編ほど共著論文を書いた私としては、急逝は大打撃でありました。酔うと、人生が変わった可能性があると嘆くのが常となっておりますが、彼のような偉い研究者にならねばと、改めて心に誓ったことであります。
ということで、若い研究者からの執筆依頼を心待ちにしています。
研究評価について
日本の大学で認証評価が始まっていることは、読者諸氏も見聞きしているかも知れない。大学は大学たり得ているかの認証評価を文部科学省の認証機関から受けなければ運営補助金がもらえない仕組みになったのである。国立大学の法人化とセットになった「大学改革」なのだ。認証機関は大学基準協会、大学評価・学位授与機構、などが行うことになっている。(どちらで受けてもよいのだが)たいていの国立大学は大学評価・学位授与機構で認証を受け(こっちの方が厳しいという)、私学の4年制大学は基準協会で受けるのが一般的になっている。大学の設置目的に合わせた教育・研究が行われているかを評価基準に照らして行うのだが、この評価について書いておこう。
認証評価は大学の経済状態等についても評価されるが、教員にもっとも身近で関連が深いのは、教育評価と研究評価である。現在、名古屋大学でも来年の認証評価に向けて資料の準備が急がれており、各部局で大わらわといったところである。教育評価は、大学や部局の教育目標に合う教育が行われているかが問われる。そのために学部の教育目標の設定、卒業生のアンケートなど様々な準備をして来ているが、このことに関わっては、大方は執行部の責任で教員個人への影響は直接的ではない。しかし、研究評価はそうではないようである。教育評価基準の作成段階で上記の認証機関で作業したことがあり教育評価の項目等は承知していた(そのために準備もした)が、研究評価の項目には疎かった。最近研究評価の項目を知り、問題があるという印象を強く持ったわけである。
今回は最初なので、研究業績等の個人レベルでの言及はないが(早晩、個人レベルになることは間違いなかろう)、各部局で、SS、S、A、...というように個人の研究業績をカテゴリー化し、それぞれのカテゴリーの人数が部局の研究評価とされている。評価の優れるカテゴリーの研究者が少ない部局や大学にはそのうちペナルティ(予算の傾斜配分という形で、最終的には存続が困難になる)ということであろう。今回の研究評価のそれぞれのカテゴリーの基準には問題があり、Sのカテゴリーでも学会での賞、nature, scienceなどの論文数が多い研究者がどれだけいるか、などというものである。理学部や医学部の研究者には適用可能かも知れないが、人文系の研究者や理学部、医学部でも該当しにくい分野の存在に配慮された項目ではない。
教育評価の指標は、それぞれの大学や部局が教育の目標を立てて(すなわち、それを価値基準として)、それに対してどれだけ実現しているかで行うことになったのだが、研究評価にはそのような議論はなかったように見える。
評価とは何らかの価値に物差を当てる行為であるが、そもそも学術研究の価値とは、研究者の研究の価値とは何かの議論があったようには思えない(あったのかも知れないが、見えない)。優れた学術研究とは、次世代に文化としての情報を伝達することができることに価値基準があるとされねばならないと僕は考えるのだ。果たして短時間に測定・評価できるのだろうかと考え込むのが普通で、とんでもなく難しい問題なのである。物差を数値で表したいという願望はブント心理学誕生時の問題と類似しており、分からないでもないが、賞の数やnature, scienceなど著名商業誌の論文の数で充当するというのは如何にも浅薄である。こういう発想が充満する分野では偽造データ問題などが出てくるのだ。学会の賞など、やたらたくさん出す研究分野と、そのようなものは、はしたないと見なす研究分野では意味合いが異なる。
インパクト・ファクターが高いとされるnature, scienceなどの論文でも引用されないもの、すなわち学術的に影響の少ないものはたくさんある。引用数が多いのが決め手というのも信頼性には疑問がないわけではない(仲間内での引用で数は増やせる)。Nature論文1本よりもインパクト・ファクター5分の1の学会誌でも4~5本書いている人の方が、学術的には優れると僕は思う。今回の評価は、過去5年間の業績に限ってのことなので、10年かかって、その後とてつもなく優れた学術貢献があるようなもの(過去のノーベル賞でもこの種の事実はある)は、評価されないことになる。文系では20年くらい勉強して始めて先生のレベルに古文書が読め、次の世代につなぐというようなことがあると思うのだが、このような研究者を評価しないのは間違っていると言えよう。
大学の教員という仕事は、好きで始めた研究分野で生計が立てられるのだから、一生懸命に研究するのは当たり前で、そうでない人が少数存在するからと言って、短兵急に事を運ぶのはいかがなものかという思いがある。だから、研究評価は止めろ、と言っても、もう遅い段階にあるのが実情である。しかし、声の大きい理系の一握りの研究者のすることに文系の研究者ももう少し対峙して議論をする必要があるとは思う。これらは、現在の社会状況、特に政治状況と類似している印象が強い。
では、どうすれば、現時点で妥当な研究評価がつくれるのかである。僕は次善の策としては、peer評価だと考えている。研究分野の事情に明るい人にカテゴリー分類をしてもらうのである。学会での論文、発表での質疑などから、自ずからあの人は偉いという評価は出来上がってくるものである。
心理学の分野でも数は少ないがNatureに論文のある人がいるが、仲間内ではその人よりも論文など滅多に書かない人の方が学術的には優れると看做される場合もある。
Peer評価では学閥やグループでの依怙贔屓が起きるので妥当性は低い、という声が聞こえそうだが、そんなレベルの人に評価を委ねない、と言うしかない。データをねつ造する研究者がいるのに何を言っているのかと攻められそうであるが、研究者の性善説を疑われると、やはり研究業績の評価など止めるのがよかろうということになる。
僕自身は、少数の研究もしないで禄を食んでいる研究者を排除できるという研究評価のメリットよりも、無駄飯かも知れないがそれらを内包できる大学社会であるべきだと思う。文明社会の文化とはそう言うものではないのか。学術研究に、社会の役に立つことを価値基準におくのも、問題が多いことは歴史が証明している。余剰生産物の創成が文明を生んだように、余剰かもしれない頭脳活動を抱え込むのが文化国家なのではないのかい、と開き直ってみたくもなる。
今回は長い文章になったが、結論を言うと、すでに研究者評価は始まっているので、当てがわれそうな物差に対応し、対峙できる知識を積んでおかないと大変な時代がくるかもしれませんよ、ということである。ちょっと疲れたなあ。
認証評価は大学の経済状態等についても評価されるが、教員にもっとも身近で関連が深いのは、教育評価と研究評価である。現在、名古屋大学でも来年の認証評価に向けて資料の準備が急がれており、各部局で大わらわといったところである。教育評価は、大学や部局の教育目標に合う教育が行われているかが問われる。そのために学部の教育目標の設定、卒業生のアンケートなど様々な準備をして来ているが、このことに関わっては、大方は執行部の責任で教員個人への影響は直接的ではない。しかし、研究評価はそうではないようである。教育評価基準の作成段階で上記の認証機関で作業したことがあり教育評価の項目等は承知していた(そのために準備もした)が、研究評価の項目には疎かった。最近研究評価の項目を知り、問題があるという印象を強く持ったわけである。
今回は最初なので、研究業績等の個人レベルでの言及はないが(早晩、個人レベルになることは間違いなかろう)、各部局で、SS、S、A、...というように個人の研究業績をカテゴリー化し、それぞれのカテゴリーの人数が部局の研究評価とされている。評価の優れるカテゴリーの研究者が少ない部局や大学にはそのうちペナルティ(予算の傾斜配分という形で、最終的には存続が困難になる)ということであろう。今回の研究評価のそれぞれのカテゴリーの基準には問題があり、Sのカテゴリーでも学会での賞、nature, scienceなどの論文数が多い研究者がどれだけいるか、などというものである。理学部や医学部の研究者には適用可能かも知れないが、人文系の研究者や理学部、医学部でも該当しにくい分野の存在に配慮された項目ではない。
教育評価の指標は、それぞれの大学や部局が教育の目標を立てて(すなわち、それを価値基準として)、それに対してどれだけ実現しているかで行うことになったのだが、研究評価にはそのような議論はなかったように見える。
評価とは何らかの価値に物差を当てる行為であるが、そもそも学術研究の価値とは、研究者の研究の価値とは何かの議論があったようには思えない(あったのかも知れないが、見えない)。優れた学術研究とは、次世代に文化としての情報を伝達することができることに価値基準があるとされねばならないと僕は考えるのだ。果たして短時間に測定・評価できるのだろうかと考え込むのが普通で、とんでもなく難しい問題なのである。物差を数値で表したいという願望はブント心理学誕生時の問題と類似しており、分からないでもないが、賞の数やnature, scienceなど著名商業誌の論文の数で充当するというのは如何にも浅薄である。こういう発想が充満する分野では偽造データ問題などが出てくるのだ。学会の賞など、やたらたくさん出す研究分野と、そのようなものは、はしたないと見なす研究分野では意味合いが異なる。
インパクト・ファクターが高いとされるnature, scienceなどの論文でも引用されないもの、すなわち学術的に影響の少ないものはたくさんある。引用数が多いのが決め手というのも信頼性には疑問がないわけではない(仲間内での引用で数は増やせる)。Nature論文1本よりもインパクト・ファクター5分の1の学会誌でも4~5本書いている人の方が、学術的には優れると僕は思う。今回の評価は、過去5年間の業績に限ってのことなので、10年かかって、その後とてつもなく優れた学術貢献があるようなもの(過去のノーベル賞でもこの種の事実はある)は、評価されないことになる。文系では20年くらい勉強して始めて先生のレベルに古文書が読め、次の世代につなぐというようなことがあると思うのだが、このような研究者を評価しないのは間違っていると言えよう。
大学の教員という仕事は、好きで始めた研究分野で生計が立てられるのだから、一生懸命に研究するのは当たり前で、そうでない人が少数存在するからと言って、短兵急に事を運ぶのはいかがなものかという思いがある。だから、研究評価は止めろ、と言っても、もう遅い段階にあるのが実情である。しかし、声の大きい理系の一握りの研究者のすることに文系の研究者ももう少し対峙して議論をする必要があるとは思う。これらは、現在の社会状況、特に政治状況と類似している印象が強い。
では、どうすれば、現時点で妥当な研究評価がつくれるのかである。僕は次善の策としては、peer評価だと考えている。研究分野の事情に明るい人にカテゴリー分類をしてもらうのである。学会での論文、発表での質疑などから、自ずからあの人は偉いという評価は出来上がってくるものである。
心理学の分野でも数は少ないがNatureに論文のある人がいるが、仲間内ではその人よりも論文など滅多に書かない人の方が学術的には優れると看做される場合もある。
Peer評価では学閥やグループでの依怙贔屓が起きるので妥当性は低い、という声が聞こえそうだが、そんなレベルの人に評価を委ねない、と言うしかない。データをねつ造する研究者がいるのに何を言っているのかと攻められそうであるが、研究者の性善説を疑われると、やはり研究業績の評価など止めるのがよかろうということになる。
僕自身は、少数の研究もしないで禄を食んでいる研究者を排除できるという研究評価のメリットよりも、無駄飯かも知れないがそれらを内包できる大学社会であるべきだと思う。文明社会の文化とはそう言うものではないのか。学術研究に、社会の役に立つことを価値基準におくのも、問題が多いことは歴史が証明している。余剰生産物の創成が文明を生んだように、余剰かもしれない頭脳活動を抱え込むのが文化国家なのではないのかい、と開き直ってみたくもなる。
今回は長い文章になったが、結論を言うと、すでに研究者評価は始まっているので、当てがわれそうな物差に対応し、対峙できる知識を積んでおかないと大変な時代がくるかもしれませんよ、ということである。ちょっと疲れたなあ。
ウグイスの声
先週の水曜日から花粉症の症状が再発した。3週間ほど前に、地下鉄に乗っている間に急に涙、鼻水が出て、名古屋駅の地下の商店街でたまらず市販の目薬と飲み薬を買った。おかげで、その症状は治まっていたのだが、杉花粉が終わって今度は檜の花粉の時期なのか火曜日は朝から涙、鼻水の洪水状態となった。体内のどこにこれだけの鼻水(その元)があるのかと呆れるほどであった。水曜日は学外での研究会があったので帰るわけに行かなかったのだが木曜日の昼頃には辛抱できず、自宅で静養する羽目になった。鼻水が気管にはいるので咳が出る、喉が痛いという状態が2日ほど続いた。日曜日になると状態はかなり改善したので、いつものように。桜の咲き具合はどうだろうと散歩に出かけた。ここまでの話は今回の内容には関係がないのだが、自分の体調を何かと他人に言いたがるのは老人の特性なので寛恕されたい。
散歩は墓地公園にいたる坂道まで、いつもより多めに歩を進めた。それまでにも鳴いていたに違いないのだが、登り詰めた坂を下る段になってはじめて気づいた鳴き声を頼りにウグイスの姿を探した。坂を登るための足腰の筋肉活動にリソースが傾斜配分され、周囲の音には気づかなかったのであろう。注意の配分は、注意機能の階層性を想定する研究者によれば最高位にある機能なので、自分の注意力も老化の影響を受け始めているに違いない。10mほど先に姿を捕らえたウグイスは次々と枝から枝へと飛び回るので鳴き声の音源の定位をして捕らえることができたのである。注意の焦点化機能はまだ大丈夫のようである。 見つけたウグイスの姿はスズメよりも一回り小さく、飛び移った枝で一鳴きすると、次の枝に飛び移りそこでまた一鳴きと、せわしなく、10mほどの範囲内を忙しく飛び回るのであった。その姿を追っていると、その鳴き声の大きさが急に気になった。気になったので帰り際に、測定してみると200mぐらい離れてもそのウグイスの鳴き声は聞こえていたのである(目測なので正確ではありませんが)。
大きな音を出すには、基本的には大きなスピーカーが必要である。小さいウグイスが何故あれほど大きな声で鳴けるのであろうか。VOSEのスピーカーが小さくても大きな音が出せるのと同じように、ウグイスの身体には空気の振動を特別に共鳴させる仕掛けがあるのかしらと思ったりした。あるいは周波数帯が高いので、スズメなどよりも鳴き声が遠くまで伝わるのかも知れないと考えてみたが、帰路の道ばたを飛び交うセキレイの鳴き声の方が高音であり、この仮説は正しくはなさそうである。ウグイスが桜の季節に山裾に降りてきて鳴くのは配偶者を探しての行動であるとどこかで耳にした記憶がある。必死さが鳴き声を大きくしているのであろうか、などと思考を巡らしているうちに、自宅前の信号にたどり着いている自分に気づいた。ウグイスの鳴き声の大きさ理由を探している15分間ほどはABSENT-MINDEDNESS状態であった。これは交通事故の元である。車の通らない、農道を散歩道に選んでいるのは正解だと思ったことである。桜の花が満開の頃までにはあのウグイスも配偶者を見つけて、それほど大きな声で鳴かなくなっているのかも知れない。あの坂道を次回も登ってまで検証すべき仮説か、思案中であります。
散歩は墓地公園にいたる坂道まで、いつもより多めに歩を進めた。それまでにも鳴いていたに違いないのだが、登り詰めた坂を下る段になってはじめて気づいた鳴き声を頼りにウグイスの姿を探した。坂を登るための足腰の筋肉活動にリソースが傾斜配分され、周囲の音には気づかなかったのであろう。注意の配分は、注意機能の階層性を想定する研究者によれば最高位にある機能なので、自分の注意力も老化の影響を受け始めているに違いない。10mほど先に姿を捕らえたウグイスは次々と枝から枝へと飛び回るので鳴き声の音源の定位をして捕らえることができたのである。注意の焦点化機能はまだ大丈夫のようである。 見つけたウグイスの姿はスズメよりも一回り小さく、飛び移った枝で一鳴きすると、次の枝に飛び移りそこでまた一鳴きと、せわしなく、10mほどの範囲内を忙しく飛び回るのであった。その姿を追っていると、その鳴き声の大きさが急に気になった。気になったので帰り際に、測定してみると200mぐらい離れてもそのウグイスの鳴き声は聞こえていたのである(目測なので正確ではありませんが)。
大きな音を出すには、基本的には大きなスピーカーが必要である。小さいウグイスが何故あれほど大きな声で鳴けるのであろうか。VOSEのスピーカーが小さくても大きな音が出せるのと同じように、ウグイスの身体には空気の振動を特別に共鳴させる仕掛けがあるのかしらと思ったりした。あるいは周波数帯が高いので、スズメなどよりも鳴き声が遠くまで伝わるのかも知れないと考えてみたが、帰路の道ばたを飛び交うセキレイの鳴き声の方が高音であり、この仮説は正しくはなさそうである。ウグイスが桜の季節に山裾に降りてきて鳴くのは配偶者を探しての行動であるとどこかで耳にした記憶がある。必死さが鳴き声を大きくしているのであろうか、などと思考を巡らしているうちに、自宅前の信号にたどり着いている自分に気づいた。ウグイスの鳴き声の大きさ理由を探している15分間ほどはABSENT-MINDEDNESS状態であった。これは交通事故の元である。車の通らない、農道を散歩道に選んでいるのは正解だと思ったことである。桜の花が満開の頃までにはあのウグイスも配偶者を見つけて、それほど大きな声で鳴かなくなっているのかも知れない。あの坂道を次回も登ってまで検証すべき仮説か、思案中であります。
台南行
3月15日から4泊5日の日程で台湾を訪問した。主な目的は台南市にある成功大学との学術協定締結の下仕事という類いのもので、交互に国際シンポジウムを開催することと、およびそのテーマを何にするかを先方の社会経済科学院の陳学部長と相談するのが目的であった。陳学部長とは旧知で、昨年も2年前の香港での学会でも会ったし、1997年に名大で開催した漢字認知の国際シンポジウムにも参加していた人である。
今回の話の発端は昨年末、この学部長が4人のメンバーを連れて、日本の数カ所の大学を、学術協定締結を目的に訪ねたことにある。僕がいるので名大にも来たというわけである。そのお返しに僕が個人的に訪問したのだが、このことに関わってのシンポジウムの話を書くのが目的ではない。始めて訪れた台南市について紹介するのが目的である。ただ、今回の学術協定の件も、台湾の大学も乱立気味で、台湾政府が世界的水準の大学を目指し数校に限って予算を特別配分するという施策を打ち出して以来の一連の大学運営に関連するものらしい。ここ数年来の日本の大学でのCOE騒ぎと同じ動向が台湾にもあるようで、大学人が忙しいのは日本に限ったことではなさそうである。
実は台湾は始めてである。乗り継ぎで数度空港に居たことはあるが、免税店をぶらつくことしかできていない。目的の台南市は文字通り台湾の南部にあり、南端の高雄市から60キロほど北に位置している。台北市は北端に位置している。台北には昨今大勢の観光客が行くようで、実際に帰路泊まった台北のホテルには中高年の日本人おっさんが溢れていた。台北は大都会で日本の都会とほとんど変わらない印象を受けたが(したがって、個人的にたいした興味を抱けなかったが)、台南は印象的で楽しかった。大学の先生達は、日本人の観光客に台南市にも来てほしいと何度も訴えていたので、歓待してくれたお礼もかねて台南市の宣伝をしておこうと思う。高雄にはゴルフ好きの日本人は来るらしいが台南にまで来る人は少ないらしい。
台南市は言わば日本の京都に該当するようである。日本が統治し、台北に首都機能を移転するまでは最も古くからの大きな町であったということである。古い町並みのために開発が遅れ隣接の高雄市が目覚ましく人口を増やしたにもかかわらず20年来同じ規模のままということである。若い読者は歴史を知らないかも知れないので記しておくと、戦前日本は台湾を植民地として統治していたのだ。同様に植民地としていた韓国で戦後に反日感情が醸成されたのとは対照的に台湾での対日感情は良好である。この背景には、蒋介石の終戦時の対日政策があるのだが、これらの詳細は歴史書で調べてほしい。
植民地統治時代に日本がつくったインフラに対しての評価は今でも高い。例えば、台湾南部の灌漑ダムをつくった土木技師の八田與一(私の係累ではない)は銅像があり、今でも崇められていると聞いた。そのため、日本統治時代の建物がいくつもある。現在でも使用されていたり、修復保存されている。東京帝大出の森本という若い建築家に欧米風の建築物を数多くつくらせ、行政府を構成したとのことであり、いくつかの建物はシンガポールで見かけるものと酷似しており英国風の美しいものであった。なお、これらの情報は博物館でボランティアのガイドさんから聞いた受け売りである。このガイドさんは僕と同い年であり、日本語は話せない(80歳代の人は日本語が話せる)。成功大学のキャンパスにもいくつも戦前の日本が立てた建築物があり、現在でも使用されている。 成功大学は鄭成功(台湾独立の英雄)に因んで命名されている(歌舞伎演目の国姓爺合戦を参照のこと)。前身は1930年代創立の台南高等工業で、つまり日本統治下で開学した由緒ある大学であり、台湾で2番目に大きいということである(戦前の高等工業は高度なレベルの教育機関で現在の東京工業大もその一つである)。台北に台北帝大をつくった戦前の文部省が台湾南部にも高等教育機関を設けたのであろう。台北市の都市概観が近代的で日本の大都市と代わり映えしないが、台南に行けば古い台湾の情景が味わえるのは魅力である。20年前の香港の路地裏で味わったようの情景が残っているのだ。もっとも、郊外には新しい集合住宅やショッピングセンターができて来ているので、あと10年もすれば古い町並みは消えていくと思われる。早めに観光に行くのがお薦めである。
朝ご飯を古い町並みの露天風の食堂で食べたが、120円ほどで驚くほど美味しいお粥が味わえた(この種の小規模食堂がいっぱいある)。80歳ぐらいのお爺さんが「美味しい?」と日本語で聞いてくれる。それ以外の店員との会話は通じない。町の様子が香港の古い部分と似ているので英語で話してしまいがちだが、英語はほとんど通じない。ただ、漢字の古い書体での筆談でやり取りはできるので、全くコミュニケーションが取れない訳ではない。国は國と書かねばなどと、漢字による筆談でのやりとりは楽しいものである。
物価は台南の場合は日本の約半分という印象である。タクシーの基本料金は250円ほど、高雄空港から台南のホテルまで60キロほどあるがハイヤー料金は6000円ほどである(自分で払った訳ではないが)。食べ物は相対的に思ったより薄味で何を食べても美味しい(大学の近くでご馳走になったフランス料理風のもの以外は)。果物が豊富で種類も多い。大学の先生に果物が珍しいというと、マンゴー、スターフルーツに加えて名前も知らない果物を食べきれないほどプレゼントしてくれた(実際食べきれずに台北のホテルに置いて来た)
要するに台北と違って気候も南国なので果物が豊富なのである。そう言えば台南では半袖で過ごしているのに同じ日に台北ではみなダウンを着て冬の服装であった。気候が温暖で(夏は暑いだろうが)過ごしやすいのだ。
歓待してもらったお礼として、これくらいの紹介では足りないかも知れないが、もう疲れて来たのでこれくらいにしておこう。読者の皆さん、台南を訪問することをお薦めしますよ。
初体験
タイトルから森鴎外流の「ヰタ・セクスアリス」などを予想された読者には申し訳ないが、論文執筆にまつわる戯言を記すのにすぎないので、そのつもりで。「ヰタ・セクスアリス」て何ですか?には答えないので、各自調べましょう。
僕が誇れることだと自認して来た数少ないことに、「依頼原稿は断らない、締め切りを守る」ということがある。これまでの経験で依頼されて締め切りまで半年近い余裕があるのにすぐに原稿を送りつけたことはあるが、遅れたことは一度もない。これが過去形になったという話である。
ここまで読まれた読者の中には、「嫌なことを言う」と胸がチクチクし始めた御仁もいるはずである。現在編集中の本にも締め切りは数ヶ月も前に終わっているが原稿が届かない執筆予定者は複数いるので、もしこれを読んでいるのなら、チクシクしてもらわねば困る。ブログなど読んでいる暇があれば、ということである。
どうも、文系の研究者は原稿締め切りを守らないのが普通で、むしろかっこいい、とさえ思っている節がある。出版社の側でも脱稿の遅滞を前もって計算して出版計画を立てているように思わないでもない。一般社会ではあり得ないことで、契約不履行で罰せられても仕方がないはずである。
数年前にElsevierという世界的な大手出版社から、何でも30年ごとに改訂するという事典の項目執筆の依頼を受けたことがある(ちょっと自慢)が、その際には、まず要約を提出させられ、その結果をみて正式な執筆依頼文書が届いたのだが、期日までに送付しなかった場合の罰則(罰金)が書かれた数10ページにもわたる執筆契約書(冊子)が届けられたことを経験したことがある。出版が遅延した場合の責任を問う内容で、もちろん気の弱い私は締め切りを遵守した。
今回締め切りを守れなかったのは、次のような事情のためで、言い訳などできる類いのものはない。
原稿依頼は昨年9月頃、脳画像を用いた利き手研究についてreviewを書いてほしいというもので、学会英文誌の編集長からであった。こちらからお願いしたことがあってバーターのような形での依頼であったが、大変光栄なことだと、これまでreviewは書かないことを信条にして来たのだが引き受けてしまった。reviewは書かない、とうのは院生の頃先輩から、「reviewなど書く奴は研究のアイデアが枯渇した者のすることだ」、と言われていたことの後遺症というか刻印付けのためなのである。Review論文の価値を、すべて疑うものではない。
12月初旬から関連文献を検索しだすと、過去12年間に限定しても140編ほどが集まることとなった。簡単だが予想以上の量ということで、電子ジャーナル化の功罪半というところである。その中で直接論文に引用するものしないものの判別や(pdfでの印刷文字が小さすぎる!)、構成の試行錯誤などで結局のところ1月末にという約束は3週間遅れた。この間に年末の様々な行事や期末試験などが重なったのが遅延の理由であり、特別病気になったという訳ではなかったが、初体験のストレスは重く気弱な(しつこい?)私にのしかかっていた。1月末からはかなりがんばって、近来珍しいくらい集中して机に向かったせいで腰痛を招来してしまったが、この顛末については別に記載する予定である。
依頼者側から2月10日過ぎに催促のメールが来てしまった。かくて、私の初体験が生まれたという次第。
脳画像研究を集中的に読んでの、論文内容自体とは直接関係しない感想を今回は次の通りである。
まず、脳画像研究論文は著者の数がやたら多い。そのために引用文献作成にはかなりの時間を要した(これが遅延の理由というつもりはないが)。執筆要項では7名までは省略するなと書いてあるくらいなので、それ以上の多くの人間が関与する研究が一般的なのである。類似した内容の論文には順番を変えて多くの著者が、ということも珍しくはない。心理学研究に馴染んで来た者としては、このようなスタイルの業績数が多いことをどう評価したらよいのだろうかと考えてしまった。また、実験計画に危うい者も少なくない。被験者が5人の実験研究で分散分析を使うことの問題点(データが正規分布を仮定できることがANOVAの基本と私は教えられている)に斟酌していないなど、実験心理学者をチームに入れている場合が少ないためであろう(このことはreview論文には書いておいた)。
著者が多くなる他の理由に、機器購入に関連することもあろう。高価な機械の購入には多くの人間が使う、という購入申請書が書かれたはずで(書かないと申請は通るまい)、一端購入したfMRIなどの機器の高い維持経費は、「たくさん研究発表をした」ということで評価がOKという仕組みが生まれるので、単純に著者が多い、本当は誰が考えた実験なの、とクレームを付けるのを憚れる部分もある。
とかく高価な機械や設備、新しい施設を入手できたときは万歳なのだが、その後の維持は大変である。山のてっぺんにある校舎まで300段も階段を上るのは大変とういうことでエスカレータが設置されて喜んだが、その後のメンテナンスに悲鳴をあげている大学もある。僕も数年前に大型の予算申請を書いたことがある。3000万ほどの機械を組み込んでの億単位の申請書で、20ページ以上の申請書を書いた当時は、不採択の結果は面白くなかったが、採択されていれば今頃大慌てしているに違いない。昨年、そのとき申請した機械を別の研究機関で借用してデータを取ることができたが、実験・データ解析の過程の煩雑さは予想もしなかったレベルであった。負け惜しみでなく、不採択でよかったと思っている。そうでなれば、機械を使う実験の計画や実施、その大量のデータ処理に奔走しているに違いないからである。
大きな金額の研究経費をせしめて、一時は得意かも知れないがジワジワ苦悩が始まる経験をするよりも、慎ましく、アイデアに溢れた単純な実験研究を旨とすべしということである。
話は飛ぶが、送られて来た雑誌を捨てる前にパラパラ見ていると、現役時代に500万の人は一月25万弱で老後が過ごせるが、1000万の人は50万弱ないと惨めな思いで過ごすことになるという、フィナンシャルアドバイザーなる人の記事が目に留まった。僕の定年後の生活設計は未定だが、現在の研究費や収入は激減することを覚悟せねばいけないのだなあと考え込んでしまった。
何時飲めなくなるかも分からないから、美味いビールにしようと主張して、最近はエビスやプレミアムビールを購入していたのだが、年金生活の準備にはラガービールを経て、発泡酒に向かう準備に入らなければならない時期に来ているようである。
かくて、始めての締め切り破りの経験は、定年後の心構えにまで影響を及ぼす事件となったのであります。
僕が誇れることだと自認して来た数少ないことに、「依頼原稿は断らない、締め切りを守る」ということがある。これまでの経験で依頼されて締め切りまで半年近い余裕があるのにすぐに原稿を送りつけたことはあるが、遅れたことは一度もない。これが過去形になったという話である。
ここまで読まれた読者の中には、「嫌なことを言う」と胸がチクチクし始めた御仁もいるはずである。現在編集中の本にも締め切りは数ヶ月も前に終わっているが原稿が届かない執筆予定者は複数いるので、もしこれを読んでいるのなら、チクシクしてもらわねば困る。ブログなど読んでいる暇があれば、ということである。
どうも、文系の研究者は原稿締め切りを守らないのが普通で、むしろかっこいい、とさえ思っている節がある。出版社の側でも脱稿の遅滞を前もって計算して出版計画を立てているように思わないでもない。一般社会ではあり得ないことで、契約不履行で罰せられても仕方がないはずである。
数年前にElsevierという世界的な大手出版社から、何でも30年ごとに改訂するという事典の項目執筆の依頼を受けたことがある(ちょっと自慢)が、その際には、まず要約を提出させられ、その結果をみて正式な執筆依頼文書が届いたのだが、期日までに送付しなかった場合の罰則(罰金)が書かれた数10ページにもわたる執筆契約書(冊子)が届けられたことを経験したことがある。出版が遅延した場合の責任を問う内容で、もちろん気の弱い私は締め切りを遵守した。
今回締め切りを守れなかったのは、次のような事情のためで、言い訳などできる類いのものはない。
原稿依頼は昨年9月頃、脳画像を用いた利き手研究についてreviewを書いてほしいというもので、学会英文誌の編集長からであった。こちらからお願いしたことがあってバーターのような形での依頼であったが、大変光栄なことだと、これまでreviewは書かないことを信条にして来たのだが引き受けてしまった。reviewは書かない、とうのは院生の頃先輩から、「reviewなど書く奴は研究のアイデアが枯渇した者のすることだ」、と言われていたことの後遺症というか刻印付けのためなのである。Review論文の価値を、すべて疑うものではない。
12月初旬から関連文献を検索しだすと、過去12年間に限定しても140編ほどが集まることとなった。簡単だが予想以上の量ということで、電子ジャーナル化の功罪半というところである。その中で直接論文に引用するものしないものの判別や(pdfでの印刷文字が小さすぎる!)、構成の試行錯誤などで結局のところ1月末にという約束は3週間遅れた。この間に年末の様々な行事や期末試験などが重なったのが遅延の理由であり、特別病気になったという訳ではなかったが、初体験のストレスは重く気弱な(しつこい?)私にのしかかっていた。1月末からはかなりがんばって、近来珍しいくらい集中して机に向かったせいで腰痛を招来してしまったが、この顛末については別に記載する予定である。
依頼者側から2月10日過ぎに催促のメールが来てしまった。かくて、私の初体験が生まれたという次第。
脳画像研究を集中的に読んでの、論文内容自体とは直接関係しない感想を今回は次の通りである。
まず、脳画像研究論文は著者の数がやたら多い。そのために引用文献作成にはかなりの時間を要した(これが遅延の理由というつもりはないが)。執筆要項では7名までは省略するなと書いてあるくらいなので、それ以上の多くの人間が関与する研究が一般的なのである。類似した内容の論文には順番を変えて多くの著者が、ということも珍しくはない。心理学研究に馴染んで来た者としては、このようなスタイルの業績数が多いことをどう評価したらよいのだろうかと考えてしまった。また、実験計画に危うい者も少なくない。被験者が5人の実験研究で分散分析を使うことの問題点(データが正規分布を仮定できることがANOVAの基本と私は教えられている)に斟酌していないなど、実験心理学者をチームに入れている場合が少ないためであろう(このことはreview論文には書いておいた)。
著者が多くなる他の理由に、機器購入に関連することもあろう。高価な機械の購入には多くの人間が使う、という購入申請書が書かれたはずで(書かないと申請は通るまい)、一端購入したfMRIなどの機器の高い維持経費は、「たくさん研究発表をした」ということで評価がOKという仕組みが生まれるので、単純に著者が多い、本当は誰が考えた実験なの、とクレームを付けるのを憚れる部分もある。
とかく高価な機械や設備、新しい施設を入手できたときは万歳なのだが、その後の維持は大変である。山のてっぺんにある校舎まで300段も階段を上るのは大変とういうことでエスカレータが設置されて喜んだが、その後のメンテナンスに悲鳴をあげている大学もある。僕も数年前に大型の予算申請を書いたことがある。3000万ほどの機械を組み込んでの億単位の申請書で、20ページ以上の申請書を書いた当時は、不採択の結果は面白くなかったが、採択されていれば今頃大慌てしているに違いない。昨年、そのとき申請した機械を別の研究機関で借用してデータを取ることができたが、実験・データ解析の過程の煩雑さは予想もしなかったレベルであった。負け惜しみでなく、不採択でよかったと思っている。そうでなれば、機械を使う実験の計画や実施、その大量のデータ処理に奔走しているに違いないからである。
大きな金額の研究経費をせしめて、一時は得意かも知れないがジワジワ苦悩が始まる経験をするよりも、慎ましく、アイデアに溢れた単純な実験研究を旨とすべしということである。
話は飛ぶが、送られて来た雑誌を捨てる前にパラパラ見ていると、現役時代に500万の人は一月25万弱で老後が過ごせるが、1000万の人は50万弱ないと惨めな思いで過ごすことになるという、フィナンシャルアドバイザーなる人の記事が目に留まった。僕の定年後の生活設計は未定だが、現在の研究費や収入は激減することを覚悟せねばいけないのだなあと考え込んでしまった。
何時飲めなくなるかも分からないから、美味いビールにしようと主張して、最近はエビスやプレミアムビールを購入していたのだが、年金生活の準備にはラガービールを経て、発泡酒に向かう準備に入らなければならない時期に来ているようである。
かくて、始めての締め切り破りの経験は、定年後の心構えにまで影響を及ぼす事件となったのであります。