間違い(11/17)
僕の教え子からしばらくぶりのメールが入って、「明日帝王切開です。心細いです。先生祈って下さい」という内容であった。彼女の今回の妊娠が双子であることが分かってから、入退院を繰り返す彼女に僕は絶対に大きな子どもにして生むようにと何度も励ましてきたのだった。かつて、左利きが双生児に多いこともあり乞われて双生児の研究を手伝ったことがある。双子には低体重児出産が多く,脳に障害を持つ場合が少なくないという知識があったためである。
昨日,携帯メールが届いた。「男児2700g女児2200gで無事生まれました。私も無事に病室に戻りました。本当に長かったです。ありがとうございました。」というものであった。やれやれである。メールを受けてもう産み月になっていたのだと再認識して,親ではないのだが実際に僕は祈った。神様に祈るなどということをするようになったのは何時頃からなのだろうか。
メールを受けたときにも念じたことは念じたのであるが、神社で正式に(お賽銭を入れ、鈴を鳴らして柏手を打ってという意味である)無事の出産を祈ったのだ。「祈るはめになった」というのが正確かもしれない。祈った神社は渋谷の金王神社である。不思議な巡り合わせでこの神社で教え子の無事のお産を祈ることになったのだが、こういうのを人によっては重視し、神様のお導きとか考えるのであろう。
なぜ、僕が渋谷の神社でという疑問が生じよう。これが間違いのためなのである。僕は渋谷駅から10分ほど歩いたところにあるホールで開催されたある助成金の授賞式にでかけたのだが、時間を間違ったために、近くをぶらぶらしているうちにビルの谷間に隠れたように鎮座している金王神社にたどり着いてしまったのだ。ちなみに金王神社は渋谷氏という豪族が(たしか鎌倉時代から)いてその城跡に位置しているという銘表の記載があった。実は3時からの式典だったのだがぼくは13時と勘違いをして、それも当日の朝書類を確認しているときに、20分前に到着して交通費の清算を済ませるようにという小文字を見逃していたのに気づき、慌てて名古屋駅に飛んでいったのである。12時半過ぎにホールに着くことができた。ホールの玄関に式場の案内等が張り出してあり,場所に間違いない、間に合ったと安心して、とりあえずトイレを借りて一人先客のいるロビーで座ったのであった。人が少ないのが気になったのか、何気なく書類を取り出してはじめて13時ではなく午後3時であることに気づいたのだ。別に悪いことをしたのではないのだが、いたたまれなくあわててロビーを飛び出したものの行く宛はない。2時間という時間をどう過ごすのかが僕には問題なのだ。知人を研究室に訪ねるには時間は足らない。僕は一人で喫茶店に入り時間を過ごすという行動様式を持たないので、10分ほど歩いて渋谷駅にもどり、百貨店をぶらぶらし、本屋を覗いて買うつもりもない本を見るなどで時間を過ごさざるを得なかった。それでも時間を持て余し、ホールの近辺を探訪することにしたのである。その際に偶然にもビルの谷間に隠れるようにある金王神社に遭遇したのであった。神社の境内に入って,「そうだ!お産の無事を祈っておかねば」と気づいたのであった。
つまり、僕が時間の勘違いをしなければ,神社に行き着くことはなく神様に祈るということもなかったのだから、間違いのおかげということになる。もし、大きな新生児での出産が何かしら目に見えないもののおかげというのであれば、神様に感謝せよということであり、時間の勘違いを僕に強いたのではあるまいか、などと年取り臭い思案をしているところである。もっとも、教え子はなかなか子どもに恵まれずに、自分のせいであろうと病院で検査した結果、母親に問題はないが父親の精子の濃度が稀薄すぎるという診断で、旦那がしょげていたという過去を持ち、一児を設けての今回の妊娠であった。
そんな訳で、間違いにもいろいろあり、嬉しい結末をもたらすものもあるのだということです。2時間も歩き回った割には筋肉痛にもならずに、まだまだ、若いのかもしれないとほくそ笑んでいるのです。
昨日,携帯メールが届いた。「男児2700g女児2200gで無事生まれました。私も無事に病室に戻りました。本当に長かったです。ありがとうございました。」というものであった。やれやれである。メールを受けてもう産み月になっていたのだと再認識して,親ではないのだが実際に僕は祈った。神様に祈るなどということをするようになったのは何時頃からなのだろうか。
メールを受けたときにも念じたことは念じたのであるが、神社で正式に(お賽銭を入れ、鈴を鳴らして柏手を打ってという意味である)無事の出産を祈ったのだ。「祈るはめになった」というのが正確かもしれない。祈った神社は渋谷の金王神社である。不思議な巡り合わせでこの神社で教え子の無事のお産を祈ることになったのだが、こういうのを人によっては重視し、神様のお導きとか考えるのであろう。
なぜ、僕が渋谷の神社でという疑問が生じよう。これが間違いのためなのである。僕は渋谷駅から10分ほど歩いたところにあるホールで開催されたある助成金の授賞式にでかけたのだが、時間を間違ったために、近くをぶらぶらしているうちにビルの谷間に隠れたように鎮座している金王神社にたどり着いてしまったのだ。ちなみに金王神社は渋谷氏という豪族が(たしか鎌倉時代から)いてその城跡に位置しているという銘表の記載があった。実は3時からの式典だったのだがぼくは13時と勘違いをして、それも当日の朝書類を確認しているときに、20分前に到着して交通費の清算を済ませるようにという小文字を見逃していたのに気づき、慌てて名古屋駅に飛んでいったのである。12時半過ぎにホールに着くことができた。ホールの玄関に式場の案内等が張り出してあり,場所に間違いない、間に合ったと安心して、とりあえずトイレを借りて一人先客のいるロビーで座ったのであった。人が少ないのが気になったのか、何気なく書類を取り出してはじめて13時ではなく午後3時であることに気づいたのだ。別に悪いことをしたのではないのだが、いたたまれなくあわててロビーを飛び出したものの行く宛はない。2時間という時間をどう過ごすのかが僕には問題なのだ。知人を研究室に訪ねるには時間は足らない。僕は一人で喫茶店に入り時間を過ごすという行動様式を持たないので、10分ほど歩いて渋谷駅にもどり、百貨店をぶらぶらし、本屋を覗いて買うつもりもない本を見るなどで時間を過ごさざるを得なかった。それでも時間を持て余し、ホールの近辺を探訪することにしたのである。その際に偶然にもビルの谷間に隠れるようにある金王神社に遭遇したのであった。神社の境内に入って,「そうだ!お産の無事を祈っておかねば」と気づいたのであった。
つまり、僕が時間の勘違いをしなければ,神社に行き着くことはなく神様に祈るということもなかったのだから、間違いのおかげということになる。もし、大きな新生児での出産が何かしら目に見えないもののおかげというのであれば、神様に感謝せよということであり、時間の勘違いを僕に強いたのではあるまいか、などと年取り臭い思案をしているところである。もっとも、教え子はなかなか子どもに恵まれずに、自分のせいであろうと病院で検査した結果、母親に問題はないが父親の精子の濃度が稀薄すぎるという診断で、旦那がしょげていたという過去を持ち、一児を設けての今回の妊娠であった。
そんな訳で、間違いにもいろいろあり、嬉しい結末をもたらすものもあるのだということです。2時間も歩き回った割には筋肉痛にもならずに、まだまだ、若いのかもしれないとほくそ笑んでいるのです。