年の始めに(2007/1/7)
たとえば、10年前であれば12月20日頃には大学での講義も終わり、年賀状を準備したり、大掃除をしている人々をみかけたものだ。近所そろって、30日頃には一斉に大掃除をし、洗車している姿を見かけたものである。今年は近所の家庭には軒並み病人がいるようで、洗車も大掃除もやらなかったり手短に済ませたようである。正月で一時帰宅というような患者がいては掃除どころではあるまい。私のところもそういう事態を迎える日も遠くはないであろう。
28日に次男が帰宅したので、我が家は例年通りのレベルの大掃除ができた。網戸を洗い、窓を拭き玄関のタイルを磨くなどした。来年は国家試験を控えているので多分協力は得られそうにない。我が家も次回の大掃除は手短なものにならざるを得まい。2日後に来た筋肉痛を考慮するともうそろそろ限界である。
12月は27日まで授業があったので、自分の年賀状は29日に投函するのがやっとであった。誰もが同じ事情なのか、今年の年賀状は元旦に届いたものは例年の半分くらいであった。もう年賀状を出さなくなってきたのかと思っていたら6日頃まで毎日少しずつ届いて結局は例年と大差のない枚数となっている。何のことはない、元旦に年賀状が届くようにという気持ちが持てなくなっているのか、時間に余裕がないのである。
大晦日は長男が嫁と帰宅したので6時頃から飲み始めることとなった。年末にいろいろな知人からご馳走をたくさん贈ってもらっていたので、ゆっくり新しく来た嫁を交えて団らんになるなあと思っていたのだが次男の早いピッチに惑わされたのかワインを3本飲んだあたりで私は床に着いてしまった。気づいたら元日の朝であり、私以外のメンバーは除夜の鐘を突きに近在のお寺と神社に初詣に行ったようで、神社でもらったと思しき祝い箸がテーブルに置いてあった。今年に始まったことでもないが、年が変わる区切りの時間をまた見逃してしまったのだ。
元日は私の郷里に嫁を紹介すべく車で帰ったのだが、コンビニはいうまでもなくたいていの店舗が営業しているのに気づいた。かつてのように3ヶ日はどこもが休みで、よそ行きの服装を着た人々が晴れがましく行き交うゆったりと時間が流れるというような雰囲気はどこからも感じられなかった。地域の皆が一斉に休むということがなくなってしまったのだ。一斉に休むことで、時間を静止させ、新たな時間の再始動を感じていたのであろう。今日のように各自が自由に時間を制御できている感じが持てるのは悪いことではないが、かつてコミュニティが持っていた凝集性は時間を共有するということにも決め手があったような気がする。
「前髪(青年団に入る前の児童の組織)」と呼ばれて地区のふれ事などをしていた子どもの頃(昭和30年頃かな)には野良での仕事を地区全体が一斉に休むという日があった。一軒一軒触れて回るのであるから、禁を破って仕事にでるような家庭はなかったはずで、時間を止め、時間を始動させるけじめを知恵として持っていたのであろう。
のんべんだらりと時間が流れ、区切りもけじめもなく生活をしていくことが、現代に生きるわれわれが便利さと引き換えにしたことなのかと思うと忸怩たるものを感じずには居れない。
今年こそは時間がゆっくりと流れることを実感できる生き方を追求したいと思うのである。豊かな時間であったと思えるのはどんな時なのだろうと考えてみると、よく知らない人とゆっくり語り合う、ゆっくり歩いて空や木々の緑を十分鑑賞する、静止した時間を味わうために仕事に関係しない本をゆっくりと読む、などではないかといろいろ思案したことであった。
これらの思いとは一致しない、1月4日から始まった非常勤講師の講義に向かう新幹線の中でのことでありました。
風邪?(食事中には読むのは薦めません)
朝方少しだけ寒いな,と感じて目が覚めた記憶がある。食欲がないので小さなリンゴを半分だけかじって研究室に到着したのであった。吐瀉物はリンゴのこなれていない欠片ばかりで、鼻の穴から口の中、流し台、タオル、床面に散らばることと相成った。何ともあっという間の出来事であった。その10分ほど前にもゲップのついでにリンゴの欠片が口の中に踊りでてきており、「ノロウイルスの仕業だ!」と確信したことであった。
11時過ぎには部屋を出て東京に講演のために向かう予定があったので、スライドの並べ替えなどをしていたのだ。嘔吐の後はかなり気分が持ち直した。「もう年齢も年齢だし,無理するのは止めようか、でも今から中止を申し出るのも相手には迷惑なことだし」などと、どうしたものかと思案したのだが、「止めたいな」と思うのを振り切って出かけて倒れた札幌の学会での20年ほど前の記憶などがよみがえり、思い切って先方に電話し、予定のキャンセルを申し出たことであった。そのときにはまだリンゴの破片が残っているせいか声もかすれ気味で,相手にも僕の緊急性が伝わったようであった。その直後から下痢が始まった。
新幹線に乗っていたら、あるいは嘔吐が1時間後であったらと考えるとぞっとしてしまう。おそらくは近隣の乗客とか検札に来た車掌に未消化のリンゴ片をひっかぶらせていたに違いない、あるいは下痢でパンツを汚すようなことが生じていたかも知れない。PTSDになって新幹線に乗れなくなってしまうようなことになった可能性は大である(少し大げさかも)。不幸中の幸いであったと考えることにした。
そのまま下宿に戻り、ともかく寝ることにした。何も食べなかったのだが途中で起きることもなく、翌朝6時頃まで眠っていた。翌水曜日は遠いので非常勤講師を休むことにしたが、午後から夕方までの2つの会議には出席した。木曜日には非常勤の講義にも出かけた。もちろんこの間食欲もなかったのだが、栄養ドリンク以外固形物は食べずにいた。一週間前にこの非常勤先の事務の女性にお茶を出してもらって、雑談した折りに、彼女は「胃腸に来る風邪をひいてひどい目に遭っています」と言っていた。そのとき、僕は運動しているから風邪など数年ひいた記憶がないと自慢したばかりであった。火曜日に嘔吐したが、一日で終わったみたいで驚異の快復力だ!と自分に言い聞かせつつ話していると部屋に来た吉崎先生は、学校からの父兄宛のニュースでその手の風邪がはやっているようです、でも「2日ほどで治るらしいですよ」と言う。何ともバツの悪いことであった。
思い返せば2週間連続で土日に身体を休ませることができなかったために免疫力が落ちていたための嘔吐騒ぎであった。体力の衰えを自覚せざるを得ないということである。
しかし、最近ポジティブ心理学なるものが話題になっているが、ここで体力の衰えや老化を思い知り沈んでしまっていてはいけない。そこで、絶食で2Kg痩せられたのは高血圧対策としては、大変望ましいことだ、と結論づけることにした。年末は集中講義などで、土日に身体を休めることができない予定が待っているのだが、この予定をどうポジティブに自分に言って聞かせればよいか思案しているところである。
間違い(11/17)
昨日,携帯メールが届いた。「男児2700g女児2200gで無事生まれました。私も無事に病室に戻りました。本当に長かったです。ありがとうございました。」というものであった。やれやれである。メールを受けてもう産み月になっていたのだと再認識して,親ではないのだが実際に僕は祈った。神様に祈るなどということをするようになったのは何時頃からなのだろうか。
メールを受けたときにも念じたことは念じたのであるが、神社で正式に(お賽銭を入れ、鈴を鳴らして柏手を打ってという意味である)無事の出産を祈ったのだ。「祈るはめになった」というのが正確かもしれない。祈った神社は渋谷の金王神社である。不思議な巡り合わせでこの神社で教え子の無事のお産を祈ることになったのだが、こういうのを人によっては重視し、神様のお導きとか考えるのであろう。
なぜ、僕が渋谷の神社でという疑問が生じよう。これが間違いのためなのである。僕は渋谷駅から10分ほど歩いたところにあるホールで開催されたある助成金の授賞式にでかけたのだが、時間を間違ったために、近くをぶらぶらしているうちにビルの谷間に隠れたように鎮座している金王神社にたどり着いてしまったのだ。ちなみに金王神社は渋谷氏という豪族が(たしか鎌倉時代から)いてその城跡に位置しているという銘表の記載があった。実は3時からの式典だったのだがぼくは13時と勘違いをして、それも当日の朝書類を確認しているときに、20分前に到着して交通費の清算を済ませるようにという小文字を見逃していたのに気づき、慌てて名古屋駅に飛んでいったのである。12時半過ぎにホールに着くことができた。ホールの玄関に式場の案内等が張り出してあり,場所に間違いない、間に合ったと安心して、とりあえずトイレを借りて一人先客のいるロビーで座ったのであった。人が少ないのが気になったのか、何気なく書類を取り出してはじめて13時ではなく午後3時であることに気づいたのだ。別に悪いことをしたのではないのだが、いたたまれなくあわててロビーを飛び出したものの行く宛はない。2時間という時間をどう過ごすのかが僕には問題なのだ。知人を研究室に訪ねるには時間は足らない。僕は一人で喫茶店に入り時間を過ごすという行動様式を持たないので、10分ほど歩いて渋谷駅にもどり、百貨店をぶらぶらし、本屋を覗いて買うつもりもない本を見るなどで時間を過ごさざるを得なかった。それでも時間を持て余し、ホールの近辺を探訪することにしたのである。その際に偶然にもビルの谷間に隠れるようにある金王神社に遭遇したのであった。神社の境内に入って,「そうだ!お産の無事を祈っておかねば」と気づいたのであった。
つまり、僕が時間の勘違いをしなければ,神社に行き着くことはなく神様に祈るということもなかったのだから、間違いのおかげということになる。もし、大きな新生児での出産が何かしら目に見えないもののおかげというのであれば、神様に感謝せよということであり、時間の勘違いを僕に強いたのではあるまいか、などと年取り臭い思案をしているところである。もっとも、教え子はなかなか子どもに恵まれずに、自分のせいであろうと病院で検査した結果、母親に問題はないが父親の精子の濃度が稀薄すぎるという診断で、旦那がしょげていたという過去を持ち、一児を設けての今回の妊娠であった。
そんな訳で、間違いにもいろいろあり、嬉しい結末をもたらすものもあるのだということです。2時間も歩き回った割には筋肉痛にもならずに、まだまだ、若いのかもしれないとほくそ笑んでいるのです。
秋は来ぬ
雲一つない空なので、何かしら秋になったと季節を実感できるものはないかと、歩道を注意深く見回しながら日吉台の高台からJR駅に向かって緩やかな坂道を下ったのだが、途中で朝帰りに違いない疲れきった20歳前後の娘とすれ違ったのと、すすきが貧相に2カ所ばかり生えているのを見かけただけで、何もなかった。35年前に日吉台に家を構えた頃は雑木林や山で緑が多かったのだが、道中は隙間なく住宅が建ち並び、自然の緑はすっかり姿を消してしまった。何軒かの家の垣根にキンモクセイが咲いてはいたが、あの存在を主張する匂いはほとんどしなかった。不思議なことに、大勢いるはずの散歩する中高年の姿も見かけなかった。
車で家に戻ると(たった5分である)、散歩から戻る中高年の一群が下のバス停からの坂を上ってくるのに遭遇した。自宅は緩やかな傾斜の裾に位置しており,車で戻るのは坂を下ることになる。坂の一番裾にバスが通る道路が走っている。その道路の下は田んぼである。田んぼは古くからの集落を囲み、集落は天王山に連なる山裾に位置している。僕の散歩コースでもあるのだが、6時頃には大勢の中高年者が、数人ずつ何組も田んぼが両側に広がるバス通りに平行する農道を行き来しているのである。
翌朝(すなわち日曜日の朝)、1週間ぶりに例のごとく農道を歩いた。山は緑のままで、全く紅葉の気配はないが、そこに秋は来ていた。稲刈りが6割ぐらいの面積で終わっているのである。コンバインを使うので、一気に稲刈りは終わってしまうのだ。コンバインは稲を刈り取り、脱穀し、10センチほどの長さに藁を切り刻み,田んぼの表面にばらまくという作業を一度に済ませるので、田んぼに表面を覆っている切り藁の何とも言えない匂いが農道に漂っている。子どもの頃に一束ずつ鎌で刈り取った時に出た、あの匂いである。稲刈りは田植えよりも子ども心に楽しいものであった。収穫の喜びというものを感じ取っていたからかもしれない。稲刈りをしたことのない人には分からないかも知れないが。稲を刈った時の匂いと、籾殻を焼く匂いは、懐かしい秋の香りである。父や母と一緒に半世紀前に嗅いだ匂いなのだと思ったことであった。
とまれ、秋は山裾に広がる田んぼには一気に来ていた。日吉台からJR駅に面する住宅に住む中高年者を見かけなかったのは,彼らが自宅近くを散歩するのではなく、僕と同じ思いを求めて農道あたりに出て来ているに違いない。
学会を開催して
どんな規模のものであっても学会というものを引き受けると、人間関係が悪くなったとか、スタッフが円形脱毛症になったとか、あまりよい話は聞かないので心配はしていたが、そういうことは起きずに済みそうである。準備委員会のメンバーには何か生じていたかもしれないが、耳にはしていない。僕はレンドルミンの世話になる回数が斬増したくらいである。
大騒ぎせず、通常の一部であるかのように学会が終わりたいというのが僕の望みであった。おおよそ、満足できる形で開催できたのではないかと思っている。
そうは言っても全く問題がなかったという訳ではないので、たまっているものを、吐き出しておこう。こうして心的バランスをとるのが関西人の特性である(と、関西人の独自性を東北人の嫁が指摘している)。
日常的でない諸作業を実行する学会準備では、通常は見えないさまざまな人間の本当の姿がかいま見られる。東京や大阪から手伝いに駆けつけてくれる卒業生がいるかと思えば、ランションセミナーをやりましょう、担当しますと言ってくれていたのだが、途中からいなくなり、他の先生に役割分担以外の仕事を押しつけてしまうことなど様々である。みんなそれぞれに忙しいのだから声高に非難は出来ないけれど。
今回の学会では院生の手伝いをボランティアという形で募集した。メールでは「賃金は払わない」と明記しておいた。バイト料は多少なりとも自腹を切ってでも払うつもりであるが、「金をくれるのなら手伝うけど」という学生は、いらないと考えたためである。「お金がでないのでは…」と言っている院生の声も聞いたが、「バイト代は出さない」と返事しておいた。結局17名が登録してくれた65%程度であった。院生の諸作業にお金を払う習慣をつけた責任の一端は僕にあるので、自業自得ではある(多の大学ではこういう習慣はないそうである)。僕の学生時代は、毎日ネズミの部屋の掃除や餌、水の手配、猫のご飯炊き(いつも市場で魚のアラを20円分買うので、魚屋のおばちゃんと顔見知りになった。自分で食べるのだろうと思われていたに違いない)を手伝う毎日であった記憶がある。しかし、謝金をもらった記憶はない。先生の仕事を手伝えるのは嬉しいぐらいに思っていた。先輩の実施する長時間の辛い知覚実験の被験者の場合でも同様であった。手伝うことは当然であり、喜んでもらえることで皆良しとしていた。
自分のことで一杯一杯です、というのが昨今の若者の心理特性であり、お金がなしでは貴重な自分の時間は渡せないということらしい。このようになったのは、大学に研究費が多くなった副産物なのであろうか。寂しい限りである。しかし、院生諸君はできるだけ教員と接触して良好な人間関係を構築するよう努力した方がよい。先達との会話からは金銭で買えない情報が埋もれていることもある。自分が見込みがあると一生懸命に取り組んでいると思っている研究も、他の分野の研究者の批判に耐えられないこともあろう。そういう場合は、テーマを変える柔軟性を持つ方がよいと思うが、大学院に入学後教員と相談してテーマを変更したというような話をあまり聞かない。一人前でないという意識が持てないのかも知れないと思ったりしている。
最近のように若い人向けの研究職への就職が困難になってくると、業績だけを評価して採用を決めることはしない。公募して、数人に的を絞った後はさまざまなルートで協調性、ハラスメント危険性などの人となりを調べるのである。指導教官に「業績はあると思いますので、そちらの責任で採用して下さい」と回答されるのと、「業績はもちろん、人間的に特上でお薦めです。私が保証します」と回答される違いの効果は誰でも理解できよう。業績だけを評価基準で採用して人間関係に困っている話や、研究よりも教育や学校運営に有用かで判断されるようになったのが原因である。
最近の心理学系の公募では30~50倍の倍率を覚悟せねばならない(社会学の先生の話では最近の東京の3流私学で150倍を超えたそうな)ので、業績はうんとたくさん優れたものを蓄積することが大事だが、それだけではないことも知るべきであろう。
その他にもいろいろ感じたことはあるのだが(そして、それらを根に持って生きていくのだろうが)、疲れてきたのと、忘れ始めているので、この辺で。なんだか、結局いつもの如く、若い人への苦言となった。こういうのが何よりも老化の特徴であり、自覚はある。
八雲町での検診から
今年も我々心理班は前頭葉機能を測定すべく、言語流暢性、記憶力、注意力、心的回転力、構成失行検査などを行った。これまでの5年間の経験から検査項目は精選し、15分で可能としている(もっとも、耳が遠い人や雑談したがる人がいるのできちんとは行かない)。今年の検診から気づいたことを書いておこう。①町村合併により参加者が減った。例年は900人規模であるのに、有料化以後600人弱になっている。これは有料化(2000円)されたためとか。実施している検診内容は、それぞれの班の研究データを収集する側面を許されているので、豊富であり、詳しいので2000円はただのような値段に思えるが、年寄り2人がくると4000円となるわけで、バカにはならない。去年やったから今年は止めておこうとなるのだろう。町村合併して自治体が豊かにならねば合併の意味がなさそうに思えるが、さまざまな要因があるのであろう。残念なことである。
ただ、検診担当者は時間的に余裕が出来、ゆっくり昼飯がごちそうになれることとなった。最初の頃は昼飯も20分程度でへろへろになるほどであった(かつては、院生の間では、しんどいから八雲検診は敬遠されている気配もあったが、今年は天国であったといえる)。昼ご飯がおいしいのだ!ルビーメロンも、トウキビもスイカも食べ放題!
②検診項目に自信が持てるようになった。精選した検診項目はこれまでも自信はあったのだが、先月名古屋市総合リハビリテーションセンターでの共同研究で主な検診項目の脳機能画像を測定した。近赤外光トポグラフィでの確認である。予想以上に推定脳活動域と検査項目との対応関係がよかったのだ。たとえば、letter fluencyは前頭前野、 word fluencyは側頭葉から頭頂葉にかけて活性化が著しいという予測は統計学的にも確認できたのである。このことから、検査項目の成績のばらつきを見て、脳機能の推論が自信を持って言えるようになった。我々が今回の被検診者で問題に気づいて保健師さんに伝えると、彼女らの日常観察の結果を一致しているのである。少しデータを吟味すれば、個人別に高次脳機能低下を鈍化させる処方箋が住民に返せるかも知れないと思う。またその介入の効果測定も保健師さんの協力があれば可能となろう。それができれば、八雲町の皆さんに恩返しが出来るというものである。
③高次脳機能に関しても夫婦関係のシステム性(相互依存性)を確認できた。パーキンソンを病む夫が、行動が思い通りにならないので怒るので困っていると2年前に相談を受けたことがある。そのときは夫の脳機能は成績が悪かった。奥さんは全く問題なかったのであるが、今年の検診で夫は少し体重も増え、検査成績も改善していた。しばらくして受診した奥さんは2年前に比べると驚くほど成績が低下していた。病気の人を介護していると健康なのに、介護の必要性が低下すると健康でなくなる家族のシステム機能があるようである。夫がもう一度身体が不自由になってくれば、奥さんの脳機能検査の成績が上がるのであれば、夫婦関係のシステム性(相互依存性)を確認は確かなものとなるが、期待して良いのか悪いのか倫理的にも分からない。とまれ、人間は一人で生きているのではなく、他者と相互に依存しながら過ごすことではじめて正常な脳機能が維持できるのだ、と誇大妄想的に言っておこう。
④異性の検査者が好まれる。次々来る受診者を7ブースある検査者の誰の所に行くように指示するかは私の役割である。楽そうに見えるが、けっこう難しい判断がいるのだ(時間がかかりそうな人はベテランに、待ち時間が長くなりそうだと先に血液検査に行かせる、など)。「あちらの先生に行って下さい」と言っての間違いは、3人ほど経験した。いずれも異性の検査者に、私の指示を無視して行くというものであった。おばさんは若い男の検査者に、おっさんは若い女の検査者に無意識的に足が向かうようである。来年はこのことを加味して配分せねばと反省している。
八雲町の検診参加者はすべて善人である。言うまでもなくスタッフもいい人ばかりである(美味いものを食べさせてくれるから言っているのではない)。15分ばかりかかる検診も、だれ一人不平や不満を言わずに受けてくれる。都会での検診では考えられないことである。昨日返ったばかりなのに、来年の予定を楽しみにする理由がここにある。定年後は八雲町に移住するかな?
ギリシャは暑い、痛い
学会の最初の日と最後の日に発表が組み込まれるという遊びようがないスケジュールで困ったと思っていたのだが、東京で重要な会議が入って、最後の発表の日には帰国していなければならないことになった、この時点でキャンセルしようとそのつもりになったが、学会事務局は申し込んだホテル代金は返金しないとある。5星のホテルにしたのでかなりの金額を捨てることになる。学会参加費と合わせると13~4万にもなるのは嫌だと思って思い切っていくことにしたのだ。
不満の第1。ホテルはしょぼかった。24時頃にホテルに着いたのだが、洗面セットがない。お茶のセットもない。バスタブも意外と小さい。テレビはギリシャ語ばかり。CNNだけの情報しか英語では入らない。ネットのサービスがない(あるのはあるが、時間当たりが高い)。有名なアメリカのホテルチェーンだのにである。オリンピックを開催したのが信じられないほどである。
第2の不満。日差しが暑い。ともかく暑い。アクロポリスは歩くのには規模が大きすぎる。汗が流れるのだが、風が吹くと急に乾く(これは気持ちがよい)。埃っぽい。サングラスがないと埃と日差しで歩けない。歩道が狭い(すれ違えない幅である)。車の運転が乱暴(歩道のラインの真ん中で止まる)。
不満の第3。食べ物が塩分過多。とにかく塩辛い。高血圧の僕には良くない。よけいに水やビールを飲むしかない。乾燥しているからアテネの人は塩分を取らねば身体が持たないのであろう。身体に水分が貯まる暇がないせいか、肥満の女性を見ることは少なかった(日本人ほど細くはないが)。
不満の第4。学会費が高い。約6万もする。だのに、学会鞄は貧弱な布袋一つ、会場では1日1杯分のコーヒー券しかくれない。レセプションに食べ物がない(どこでもそうだが)。
不満はそれくらいかな。痛いのは僕の水虫。出かける前から水虫をうつされ(多分プールで)ていた。当然、医者の薬に加えて売薬も沢山持参した。飛行機の中では靴を脱いで蒸れない配慮をしていたのだが、アテネの街を歩くときにうっかり靴で歩いたのであった。暑さのせいであろう。気がまわらなかったのである。顔面の汗は風で乾くので気分は爽快だが、足は蒸れ、蒸れの持続であることを失念してしまったのだ。3日目から足先の水虫は異常増殖、その周りに湿疹ができてしまった(帰国した当日に皮膚科で確認ずみ)。右足は腫れはじめ、歩くと痛みが走るようになったのだ。リンパがはれるようになったらどうしようかとびくびくであった。帰路にショッピングを楽しみにしていたドゴール空港では移動もままならず、5時間じっと座っているしかできなかった(それも痛い、痛いと言いつつ)。今度アテネに行く人はサンダルは必携である。
ただ一つ良かったことがある。日中は暑いので(7時頃から20時頃まで)、2時間ほど観光にでると部屋に戻り、休むしかない。この間に持参したPCで懸案の原稿を書くことができた。400字×25枚は書けたのである(完成版ではないが)。アテネが心地よい気候で、食べ物がうまくて、と言うことであれば、多分観光に駆けめぐって時間を潰したはずなので、原稿を書くどころではなかったに違いない、と思うことにする。怪我の功名ということにしないと。持ち出しの金額と釣り合わないからである。
恐ろしげな話
真言宗では33回忌の次は50回忌ということらしいのだが、氏神信仰では、死んだ者は30年で神になれると柳田国男が言っているので、外国から入ってきた仏教の方が戒律は厳しいことになる。社会が豊かになると厳しい戒律の方が好まれるのというのであれば、このことは別な意味で興味深い。
日曜日はこのような調子で、やや宗教的な心的スキーマのまま、ワールドサッカー「日本対クロアティア」を見ることもなく就寝した(引き分けたので無理をしなくてよかった)。
ここからが恐ろしげな話である。月曜日の早朝、例の如く散歩から帰り門を閉じると、門の中にカラスが横たわっているではないか。大きなカラスで、鳴き声で変に思ったという家内は死んでいるのかも確かめずに居た。確認すると死んでいるので僕が始末した。口先の辺りに吐瀉物の様なものがあったのでネコに襲われたとか、喧嘩して負けたというのではなさそうである。あまり気分良い経験ではないが、カラスが庭に落ちて死ぬというのは確率的には宝くじに当たるよりも少なそうである。何かとんでもなく良いことが起きるのかも知れないと思うことにして、昼前に大学に出かけた。メールをチェックしていると、[Hatta family research]という怪しげなタイトルのメールが届いていた。開けてみるとアメリカの大学の人類学の先生がHatta Yaekoという1885年?生まれの人間と関係がないかを確認するものであった。疎開地は滋賀県であったとあるので、何か関係があるのかも知れないが、少なくとも僕の記憶にはそんな名前の縁者はいない。この先生は花嫁人形の人類学的著書を書いている途中でYaekoさんが重要人物らしい。2つのメールには文献が添付されており、「血に塗られた人形: Bloodstained doll」というタイトルであった。ぱらぱらと目を通すと恐山の話などが記載されている。夏休みに帰ったら八田家の家系を調べねばなるまい。この人類学者は僕の作った「Doll Location Test」を今後の研究に使えないかと考えているという。Doll Location Testを使った英文で書いている心理学研究論文を通じてHattaにたどり着いた模様である。アメリカ人の人類学者が僕を捜し出す確率も高くはないとおもうので、妙な気分にさせられる事柄が続いた週明けでありました。
花の色は
例のごとく朝の運動(散歩)に出かけたのが、門を出て(と言っても鉄扉にすぎない)向かいの家の庭から満開の山吹の花が道路に溢れんばかりに咲いているのが目に入った。これこそ、「山吹色」だ!と感じ入っていると、最近山吹の花を見ることも少なくなったので、きっと子ども達は実物を知らずに色名を覚えるのだろうなあ、と気になりだした。具体物と語彙との対連合がないままに語彙を覚えるのは難しかろう。「空色」は最近の子どもでも対連合が出来そうだが、本当の「空色」かどうか怪しいものだ、『東京には本当の空がない』なんてあったのは「智恵子抄」だったのかな、などと思考は妙な形で展開していった。
右隣には数年前に遊水池を埋め立てて10数戸が新築され、大きな家が建っている(敷地の割に家が大きいという意味)。垣根はすべて赤芽、玄関先にはハナミズキ、と建物は様々な形なのに、庭周りが画一的なので安っぽい印象を醸し出してしまう(余計なお世話ですけど)。
しばらく歩くと、菜の花が川の土手を覆っている、「菜の花色」って言わないのは何故だろう。たんぽぽも黄色以外のものは見ないのに、「たんぽぽ色」と言わない。「藤色」や「桃色」という単語は目にするのに、と墓地公園に至る坂道からみえる薄いピンクの山桜を見やったことであった。濃淡に程度こそあれ、「桃色」以外の桃はない、「すみれ色」もパンジーと呼んでいる洋物以外に色調に多様性がない、「栗色」には栗があの色調以外のものがない。「柿色」のしかり、Japanese redと呼ばれるもの以外の柿を見たことはない。「リンゴ色」と言わないのは紅いリンゴ以外に青いリンゴもあるからに違いない、「チューリップ色」と言わないのも赤や、黄色や、紫など多様な色調があるから言わないのに違いない、つまり、色調が一義的に決まっているとされるものは「何々色」と呼び、多様な場合には使わないのだ、と法則性を発見したような気がしてきた。
墓地公園に至る坂道では鴬が数カ所で煩く甲高い声を鳴き交わしている。坂道の道ばたの薄緑の新芽の樹の間をせわしなく飛び回る鴬(声の割には本体は小さい)を眺めつつ、「左様、鴬も薄緑色しかいない」と、思いついた法則性に気を良くしつつ、Uターンをして帰路についた。このように、書くと心内辞書からつぎつぎと色名を検索して言語流暢性が高いことを誇示しているように思われると面映いし、情緒不安定のように思われるのも癪なので種明かしをすると、すべて、散歩の途中で現物を目にして浮かんだものである。ものを目にしてでのことであり、想像上での出来事ではない。
家に近くまで来た時に「バラ色」という語彙が頭に突然浮かんできた。バラは様々な色調があるのに「バラ色」という。私の思いついた法則性に関する仮説はもろくも崩れ去ってしまった。どうやら、色調の一義牲だけでなく、花弁や花全体の印象に意味的な部分からも「何々色」という語彙は生じているらしい。などと、いろいろと愚にもつかないことを思いめぐらせて約30分の朝の運動は終わるのであった。
ただ歩いているだけ(筋運動系)の訓練を続けるだけでは、加齢に伴う脳機能の低下は防止できない、前頭葉機能も使わねばだめなのである!(この仮説は以前のコラムに書いたので検索して参照されたい)という私の仮説に基づいた有意義な朝の運動であったということです(今朝は昨夜よく寝たせいか、気持ちに余裕があるのでいろいろ考えていたということで、いつもいろいろ考えている訳ではない)。
ところで、この文章に出た花や樹木やその実際の色を知らないという読者はいないでしょうね、恥ずかしいですぞ。忙しいのは何故だ (大学法人化の功罪)
具合が悪くなったことは、いっぱいあげられる。まず、第一に運営交付金(これまでのように税金から来る校費)が減らされることである。これは毎年減少するのだから、講座費自体も減少していくことになる。名大で今年度は一人当たり20から30万円は減額となるというから、地方大学の友人がぼやいていた「金がない」状態が到来しそうである。研究費が減ると、研究できても、金のかからない研究に特化していく傾向は否めそうにない。そういう場合は外部資金を獲得すればよいではないかという理屈が主張されるが、最近の外部資金の申請書は実績のない若い人には取りにくい形式になっている(たとえば、単独よりも多人数のプロジェクト形式という具合)。名大のように大きな大学で研究チームを構成するのに支障がない大学にいる教員は救われるが、小さな大学の教員は、自由に使える研究費が30万とか50万とかである。パソコンを買えば終わりということである。新しい研究を始めることを端から諦めざるを得ない。私のように、小さな大学でも自由に研究を進められた時代を過ごせた者から見ると、気の毒としか言いようがない。大きな大学のボスに連なって研究費の裾分けに預かるような、理系の教員の研究システムに倣えばよいではないかということでは、自由な発想を研究テーマにして育てる研究は生まれてこないであろう。実際に振興調整費などの数億円の外部資金を何度も取っている同僚の話では、こういうものを取りに行くのはもう止めたいという。何度もある中間評価への対応やプロジェクトメンバーの作業の配分や打ち合わせなどに忙しくなるばかりで、暇が欲しいだけと、研究科長が大きな外部資金を取りに行ってくれという要請にも渋っていた(私の貧弱な外部資金の取得経験でも理解できる思いである)。
第2は忙しくなったことである。忙しくなった原因は研究、教育以外の活動に配分する資源が増えたためである。大学は一つの会社組織を作られねならないので、執行部が肥大化した。それまで総長、副総長2名と部局長で名古屋大学の執行体制が動いていたのだが、さらに新たに副総長は5名だか6名だかが増え、総長補佐なるものが10数人任命されて執行部が構成されるようになった。大学の本部(執行部)が動きやすいように官僚的組織がしっかり作られ、それはそれで悪いということはないのだが、いわば大きな政府になったのである。大学の総人数は減りはすれども、増えないのであるから、何のことはないそれぞれの学部・研究科で役に立ちそうな人材は本部に召し上げられ、作業をさせる体制になったということである。
このように優秀な人材を本部に取り込まれると、必然的に学部や研究科での教育や研究指導に配分されるそれぞれの先生の資源は減ることになる。それはTAやRAを手当てして補うということが行われてはいるが、有能と判断させるような先生が学生に直接教える、指導するのと大学院生が指導するのとは同じであるはずがない。短絡的に言えば、大学執行部の肥大化は教育の荒廃を招くということである。かく言う私も執行部にあったときにはTAに授業を委ねて会議に出ねばならなかったり、資料の作成に従事せねばならなかった。心理学系の学部での教育は十分なものではなかったというしかない。
心理学系に進む学生がここ数年激減したのは、希望者が多すぎて厳しい指導をする予定などと脅かしたためだけではないのかも知れないのだ(そこで、今年は罪滅ぼしの気持ちを込めて、TAに任せない講義や演習指導をしようと取り組んでいる。エライ!)。TAには僕の授業の進め方を見学させる形式に近いやり方に変えようとしているのだが、そうすると原稿を書いたり、論文を落ち着いて読んだりする時間がとれない。
第3は、といろいろあげつらいできそうであるが、授業の準備をせねばならないので愚痴を書き連ねている暇はない。
あの、ルネ・デカルトは「宇宙は機械だ」という発想を生み出し、その後の自然科学分野の急激な進歩の原点となったわけだが、彼は裕福な家庭に育ち、病弱のために寄宿舎の朝のお祈りの時間を免除されて、ベッドで空想に耽けることが許されたためにあのような発想が可能となったという。暇と豊かさを保証しないと創造的な仕事は生まれないというのは真理のようである。法人化は研究者に暇と豊かさを保証しないことだけは確か、というのが現時点での評価かな。