始めての卒論指導
大学教員になって37年、助手の2年間を除いて35年卒論を指導する仕事をして来たので、表題は新しい大学に移ってからの卒論指導という意味である。
先週末が締め切りで、13名のゼミ学生は、とにもかくにも教務課への提出は終えたようである(作業はこれからで、赤字を入れた原稿を取りにくる今日の約束は忘れているらしい)。まあ、ほっとしているともに、考えさせられることが多い体験であった。
昨年までは偏差値が平均から2SD優れる方向へ離れた学生であったので、指導は当然のことながら楽であった。計画書を出せておけば、11月頃になり気が気でないのは教官ばかりで、締め切り間際に極めて高い集中力を見せてそれなりの形にする学生が大部分であった。
今年の卒論指導は学生の人数が多いのだけが理由ではなく、別な要素でかなりなエネルギーを使うこととなった。それが仕事なので文句を言っているわけではないが、勤務校の学生だけの特徴でもなさそうな、当節の若者に共通らしいことが推察される。
昨年度に他のゼミの年度末の様子を見ていたので、全ての指導ゼミ生に夏休みまでにテーマを決めさせておいたが、ギリギリになるまで動き出さない。このような策はあまり意味がなかった。
始めての卒論指導で学んだのは以下の点である。これは僕のゼミ学生がダメ学生であったなどと言おうとしているのではない。相手の特性を理解して最適の処方箋を描いて進めるのが教育する側の任務であると自覚しているので、その為の確認作業なのである。教育は年長者が所属する文化価値を次世代に伝達することと定義できるので、伝えるべき価値とその教育方法を確認しつつ進めねばならないはずである(ちょっと、気張り過ぎかな)。
まず、学生は、これまでの人生から学んだのであろうが、極めて楽天的である。それは驚くほどであった。ものごとを悲観的に考えずに自分の良さを、独自性をポジティブにとらえようとする能力は優れている。他者と比べることに問題点は当然あるが、他者のことを念頭におかないので、他人よりも進捗が遅れていることが悩みの種にはならないように見えたのである。
他者への指導は自分に関連するものとしては受け取らないらしいことも知った。つまり観察学習という機能はあまり働かないらしいことも分かった。何曜日までに抄録を持参せよという情報を数人で研究室に来た学生に伝えても、当該の学生にしか伝達されないことである。参考文献の書き方の指導をしているのをグループで来ている学生の一人について指導すると、それでことが済むというわけではないのである。
仲間での共同作業、他の学生への協力要請などは考えないことは驚きであった。データの入力作業をデータ収集の済んだものから友人に手伝ってもって開始し、次は手伝うというような共同作業は頭にないという感じで、こちらから助言しても具体化はしないようであった。以前に指導した卒論学生は、期日が迫ると先輩や後輩を総動員して作業を終わらせるのが一般的であった。他人に(それもゼミのメンバー)頼むのは貸しを作るとでも思っているのだろうか、個の自立精神が染み付いているのか、と考えることであった。
年末にアルバイトが忙しくなるので、勤務を断り難ければ早めに作業に取り組んでおけばと思うのだが、締め切り期日が迫っているのにアルバイトが忙しくなるという学生もいた。仕事の進み具合のモニターができない学生が少なくなかった。
などなど、いちいち挙げればまだまだ続くが、これらの経験から際立って明らかになるのは、学生はなるべく楽に安易な選択をしたいとする傾向、共同することを厭う、他人の援助を求めたがらない(教員には依存するが)、ことである。これはおそらく現代の大学生の大半に当てはまる特性なのであろう。
教育するものとしては共同することのメリット、時と場合によっては他者に依存することの大切さを教えねばなるまい。自尊感情を失うことは生きる力を失うことなので、大切なことではあるが、自分の弱点を知り、物事の性質に対応して最も適切な他者を頼ることがないと、学生たちは社会で幸せに生きることはままならないように思える。個の自立を追求して来た西洋社会が幸せな社会という訳でもなく、弱者になれば依存することに苦痛を感じるような社会の形が幸せな生活を送れる社会なのかは、時には立ち止まり考える必要があるのではあるまいか。
物事の性質に応じて、何に、誰に頼れば良いか,そして頼ることを可能にできる人間関係を作っておくことの重要性を伝えねばなるまい。それこそが、次世代に伝えるべき文化価値なのだろう。要はメタ認知だ!と言っても伝わらないだろうから、それを学生に分かる方法を探さねばなるまい。
「協同する知の育成」が大学に求められていることを確認した、始めての卒論指導でありました。
先週末が締め切りで、13名のゼミ学生は、とにもかくにも教務課への提出は終えたようである(作業はこれからで、赤字を入れた原稿を取りにくる今日の約束は忘れているらしい)。まあ、ほっとしているともに、考えさせられることが多い体験であった。
昨年までは偏差値が平均から2SD優れる方向へ離れた学生であったので、指導は当然のことながら楽であった。計画書を出せておけば、11月頃になり気が気でないのは教官ばかりで、締め切り間際に極めて高い集中力を見せてそれなりの形にする学生が大部分であった。
今年の卒論指導は学生の人数が多いのだけが理由ではなく、別な要素でかなりなエネルギーを使うこととなった。それが仕事なので文句を言っているわけではないが、勤務校の学生だけの特徴でもなさそうな、当節の若者に共通らしいことが推察される。
昨年度に他のゼミの年度末の様子を見ていたので、全ての指導ゼミ生に夏休みまでにテーマを決めさせておいたが、ギリギリになるまで動き出さない。このような策はあまり意味がなかった。
始めての卒論指導で学んだのは以下の点である。これは僕のゼミ学生がダメ学生であったなどと言おうとしているのではない。相手の特性を理解して最適の処方箋を描いて進めるのが教育する側の任務であると自覚しているので、その為の確認作業なのである。教育は年長者が所属する文化価値を次世代に伝達することと定義できるので、伝えるべき価値とその教育方法を確認しつつ進めねばならないはずである(ちょっと、気張り過ぎかな)。
まず、学生は、これまでの人生から学んだのであろうが、極めて楽天的である。それは驚くほどであった。ものごとを悲観的に考えずに自分の良さを、独自性をポジティブにとらえようとする能力は優れている。他者と比べることに問題点は当然あるが、他者のことを念頭におかないので、他人よりも進捗が遅れていることが悩みの種にはならないように見えたのである。
他者への指導は自分に関連するものとしては受け取らないらしいことも知った。つまり観察学習という機能はあまり働かないらしいことも分かった。何曜日までに抄録を持参せよという情報を数人で研究室に来た学生に伝えても、当該の学生にしか伝達されないことである。参考文献の書き方の指導をしているのをグループで来ている学生の一人について指導すると、それでことが済むというわけではないのである。
仲間での共同作業、他の学生への協力要請などは考えないことは驚きであった。データの入力作業をデータ収集の済んだものから友人に手伝ってもって開始し、次は手伝うというような共同作業は頭にないという感じで、こちらから助言しても具体化はしないようであった。以前に指導した卒論学生は、期日が迫ると先輩や後輩を総動員して作業を終わらせるのが一般的であった。他人に(それもゼミのメンバー)頼むのは貸しを作るとでも思っているのだろうか、個の自立精神が染み付いているのか、と考えることであった。
年末にアルバイトが忙しくなるので、勤務を断り難ければ早めに作業に取り組んでおけばと思うのだが、締め切り期日が迫っているのにアルバイトが忙しくなるという学生もいた。仕事の進み具合のモニターができない学生が少なくなかった。
などなど、いちいち挙げればまだまだ続くが、これらの経験から際立って明らかになるのは、学生はなるべく楽に安易な選択をしたいとする傾向、共同することを厭う、他人の援助を求めたがらない(教員には依存するが)、ことである。これはおそらく現代の大学生の大半に当てはまる特性なのであろう。
教育するものとしては共同することのメリット、時と場合によっては他者に依存することの大切さを教えねばなるまい。自尊感情を失うことは生きる力を失うことなので、大切なことではあるが、自分の弱点を知り、物事の性質に対応して最も適切な他者を頼ることがないと、学生たちは社会で幸せに生きることはままならないように思える。個の自立を追求して来た西洋社会が幸せな社会という訳でもなく、弱者になれば依存することに苦痛を感じるような社会の形が幸せな生活を送れる社会なのかは、時には立ち止まり考える必要があるのではあるまいか。
物事の性質に応じて、何に、誰に頼れば良いか,そして頼ることを可能にできる人間関係を作っておくことの重要性を伝えねばなるまい。それこそが、次世代に伝えるべき文化価値なのだろう。要はメタ認知だ!と言っても伝わらないだろうから、それを学生に分かる方法を探さねばなるまい。
「協同する知の育成」が大学に求められていることを確認した、始めての卒論指導でありました。
紅葉の季節に
いつもは決まった道筋を、たいていは顔なじみのおじいさんやおばあさんとすれ違いながらひたすら歩くのだが、たまたま今朝はプールが休館日であり何時もよりも時間が早かったせいで、ややゆっくり目に周りを見渡して歩くこととなった。毎朝だいたい同じ経路なのだ。強迫的に散歩をしているみたいなのは嫌で、同じ経路をひたすら辿ることは止めねばとは思うのだが、毎朝の短い時間帯での散歩は所要時間にバラツキが出るのも困るのでそうなってしまうのだ。
常々強迫的に歩いており周囲には目が向いていないのは事実で、今朝、何気なく散歩道から周りの山々に注意を向けるともう紅葉が真最中である。いわゆる里山と呼ばれる山裾には広葉樹が多く、その種類が多様なせいか、木々の葉が色づく様はいろいろで、眼を凝らすと山の稜線が幾重にも重なっていることに気づかされる。色づいている木々はブナらしい黄色いものから山桜の赤、モミジの深紅など様々で、山肌にそれぞれが自己の存在を主張するかのようで,稜線を鮮明にしている。
歩きながら周囲の草木にも注意を向けるとイチョウは全ての葉がほとんど同じ黄色の色調を示すのに、桜のように葉っぱそれぞれに紅くなる程度が異なるものがあるのに気づく。一枚の葉でも先端と軸の辺りでは色合いに違いのあるものもある。同じ種類の木でも未だ緑のままのものもあればすっかり紅くなり、はらはらと風もないのに葉を落とすものもある。それぞれが生きている土壌の栄養分のためであろうが、個性を示すのである。人間も然りということかな、注意を払わないと見えないことが多いことも。
たいていが緑色に染まっている時期には稜線の重なりはほとんど分からないが、木々が尾根沿いに異なる色合いの紅葉を見せると尾根の重なりが鮮明になる。天王山の方向でも,名前は知らないが亀岡に続くはずの方向(ハイキングで有名なポンポン山のある連なりである)でも、山々は幾重にも連なっていることに気づかされる。尾根が幾重にも連なるさまの見事な美しさに、散歩はゆっくりせねばいけないのだと思うことしきりであった。
山肌が平面ではなく幾重にも重なる様は、雨上がりのときにも観察できる。ずいぶん昔に高槻の家に英国のロビンソン先生が来たとき、雨上がりの朝に家の近辺を一緒に散歩をしたことを思い出す。当時は未だ周囲に緑も多く、せせこましい建て売りが林立するということはなかった。彼は知覚心理学の専門家であるせいか、雨上がりに雲谷(もや)が醸し出す奥行き知覚現象に声を上げ、周囲の里山の尾根の重なりが浮き上がるその美しさに驚嘆していた。イギリスには山がないものなあ、とその頃は思っただけであったが、今朝見る尾根の重なりは確かに美しい。彼とは10歳ほどが違うので、私も自然の表現する美しさを感じ取れるような年齢になったということなのかも知れない。
もっとも、イギリスには山はないと言われるがウェールズにはある(そう言えば、山が有る無しにまつわる映画もあった)。ロビンソン先生の尾根の連なりがもたらす奥行きの深さへの賛美を思い出していると、故障したままのおんぼろ車で小さい子どもを連れて、何の不安を抱くこともせずにウェールズの山岳地帯のブレコン・ビーコンを旅したことへと連想は繋がる。
ロビンソン先生には毎年カレンダーとクリスマスカードを交換して30年どころではない時間が流れた。4年ほど前に訪れた彼の自宅の広い庭のリンゴももう収穫されて、夫人は小さいリンゴから沢山のジャムを作ったことであろう。
今週中にはクリスマスカードの準備をせねばならない。その時節がもう来ているのだ
常々強迫的に歩いており周囲には目が向いていないのは事実で、今朝、何気なく散歩道から周りの山々に注意を向けるともう紅葉が真最中である。いわゆる里山と呼ばれる山裾には広葉樹が多く、その種類が多様なせいか、木々の葉が色づく様はいろいろで、眼を凝らすと山の稜線が幾重にも重なっていることに気づかされる。色づいている木々はブナらしい黄色いものから山桜の赤、モミジの深紅など様々で、山肌にそれぞれが自己の存在を主張するかのようで,稜線を鮮明にしている。
歩きながら周囲の草木にも注意を向けるとイチョウは全ての葉がほとんど同じ黄色の色調を示すのに、桜のように葉っぱそれぞれに紅くなる程度が異なるものがあるのに気づく。一枚の葉でも先端と軸の辺りでは色合いに違いのあるものもある。同じ種類の木でも未だ緑のままのものもあればすっかり紅くなり、はらはらと風もないのに葉を落とすものもある。それぞれが生きている土壌の栄養分のためであろうが、個性を示すのである。人間も然りということかな、注意を払わないと見えないことが多いことも。
たいていが緑色に染まっている時期には稜線の重なりはほとんど分からないが、木々が尾根沿いに異なる色合いの紅葉を見せると尾根の重なりが鮮明になる。天王山の方向でも,名前は知らないが亀岡に続くはずの方向(ハイキングで有名なポンポン山のある連なりである)でも、山々は幾重にも連なっていることに気づかされる。尾根が幾重にも連なるさまの見事な美しさに、散歩はゆっくりせねばいけないのだと思うことしきりであった。
山肌が平面ではなく幾重にも重なる様は、雨上がりのときにも観察できる。ずいぶん昔に高槻の家に英国のロビンソン先生が来たとき、雨上がりの朝に家の近辺を一緒に散歩をしたことを思い出す。当時は未だ周囲に緑も多く、せせこましい建て売りが林立するということはなかった。彼は知覚心理学の専門家であるせいか、雨上がりに雲谷(もや)が醸し出す奥行き知覚現象に声を上げ、周囲の里山の尾根の重なりが浮き上がるその美しさに驚嘆していた。イギリスには山がないものなあ、とその頃は思っただけであったが、今朝見る尾根の重なりは確かに美しい。彼とは10歳ほどが違うので、私も自然の表現する美しさを感じ取れるような年齢になったということなのかも知れない。
もっとも、イギリスには山はないと言われるがウェールズにはある(そう言えば、山が有る無しにまつわる映画もあった)。ロビンソン先生の尾根の連なりがもたらす奥行きの深さへの賛美を思い出していると、故障したままのおんぼろ車で小さい子どもを連れて、何の不安を抱くこともせずにウェールズの山岳地帯のブレコン・ビーコンを旅したことへと連想は繋がる。
ロビンソン先生には毎年カレンダーとクリスマスカードを交換して30年どころではない時間が流れた。4年ほど前に訪れた彼の自宅の広い庭のリンゴももう収穫されて、夫人は小さいリンゴから沢山のジャムを作ったことであろう。
今週中にはクリスマスカードの準備をせねばならない。その時節がもう来ているのだ
腰痛から学ぶ
このコラムが更新されていなければ、「病気か、死んだのだと思うように」と、時々励ましてくれる読者には日頃から伝えてきた。問い合わせや見舞いにこられても困るので今月も書くことにしよう。書きたいことは他にもあるが今の僕の心的リソースは腰に集中している。10日前の日曜日にぎっくり腰症状を呈して以来、徐々に改善は見られるがまだ、万全ではない。
僕の腰痛の既往歴は23歳頃にさかのぼる、長い付き合いである。当時ネズミでの実験をしており、実験のすんだネズミやネコはドラム缶で消却するのが一つの方法であったが、臭いという苦情が来ると大学のキャンパスの端の方で埋葬していた。環境問題や実験動物倫理などが一般化した今では考えられないことだが、実態はそうであった。埋めるための穴は動物が放り返さないように深くせよという指示を受けて作業をしていたものである。あるとき、靴が新しかったので深く掘った穴の中に入るのを避けて穴の淵からスコップで土を掘り出す姿勢で作業をした。その姿勢が悪かったのだろう、いわゆるぎっくり腰になった。ネズミのたたりだよと言われていたのである。靴を汚したくないという貧乏根性が基本にある(簡単に靴を買える生活ではなかったのだけど)。
この腰痛は動けないというわけではなかったが、腰の張りと金属板でも入れたような鈍重感は数ヶ月と長く続き、当時出入りしていた医大の先生の紹介で住之江にあった長屋の一角にあった中国鍼の所で治療を受けた。当時は珍しい中国鍼で、5センチほどの鍼を両腕の総指伸筋に打たれて15分ほどたつと劇的に痛みが取れた。あの先生の弟子から金はとれないと無料であった。この話を後に腰痛仲間の関学教授にしたら「それは治る時期に来ていただけである。比較検証がない」とものごとを科学的に考えよと言われたことであった。
それからは肩や腰の筋肉を鍛えることが科学的には一番の予防法であると、水泳や散歩を今日まで続けているが、時々は腰痛は起きるし肩こりも皆無とはいかない。
さて、今回の腰痛の原因とおぼしきはその前日の土曜日に家内がいない間に5時間ほど根を詰めた評価書書き作業をしたことである。この評価書で人生が変わる若者が大勢いると考えると、40部ほどではあるがまじめに3回は読み返したのである(何時もまじめですけど)。コメントも合計で4000字は書いたことになる。その日の夜には腰が張っている自覚はあったのだが、翌日の水泳で治るだろうと気楽に考えていた。
日曜の早朝も違和感はあったが、水泳前のサウナでストレッチをしたときに、腰は異様な張りを示した。ここで帰っては料金がもったいないと、いつも通り泳ぎ、水中歩行をしてしまったのだ(貧乏根性なのである)。水から上がると腰はまるで金属板でも入れたような張りを示し、前屈みができなくなってしまったのだ。這々の体で家に戻るともう動けない状態である。歩行にはそれほど支障はないのだが、腰に鉄板が張り付いた感じで歩く以外の様々な動作に支障が出るようになった。冷湿布、懐炉、風呂での温浴などで何とか寝たが、熟睡は不可能であった。その後も状態は良くない。まじめに2日続けて実習先巡回訪問に出かけたので、よくなる訳は無いのである。福知山、篠山口、宍粟市と長い時間電車やバスに座り続け、同じ姿勢で居るのだから改善するはずはなかったのである。
10日経過してやっと前屈も可能となった。もうそろそろ、「貧乏根性を捨てること」と「まじめさもほどほどに」を学ばねばなるまい。
腰痛のために目配りしなかったブロッコリーにはバッタや青虫が跋扈していた。前屈可能となったせいで、今朝は青虫7匹、バッタ3匹を退治したことであった。気になっていたラディッシュの間引きもできた朝であります。
僕の腰痛の既往歴は23歳頃にさかのぼる、長い付き合いである。当時ネズミでの実験をしており、実験のすんだネズミやネコはドラム缶で消却するのが一つの方法であったが、臭いという苦情が来ると大学のキャンパスの端の方で埋葬していた。環境問題や実験動物倫理などが一般化した今では考えられないことだが、実態はそうであった。埋めるための穴は動物が放り返さないように深くせよという指示を受けて作業をしていたものである。あるとき、靴が新しかったので深く掘った穴の中に入るのを避けて穴の淵からスコップで土を掘り出す姿勢で作業をした。その姿勢が悪かったのだろう、いわゆるぎっくり腰になった。ネズミのたたりだよと言われていたのである。靴を汚したくないという貧乏根性が基本にある(簡単に靴を買える生活ではなかったのだけど)。
この腰痛は動けないというわけではなかったが、腰の張りと金属板でも入れたような鈍重感は数ヶ月と長く続き、当時出入りしていた医大の先生の紹介で住之江にあった長屋の一角にあった中国鍼の所で治療を受けた。当時は珍しい中国鍼で、5センチほどの鍼を両腕の総指伸筋に打たれて15分ほどたつと劇的に痛みが取れた。あの先生の弟子から金はとれないと無料であった。この話を後に腰痛仲間の関学教授にしたら「それは治る時期に来ていただけである。比較検証がない」とものごとを科学的に考えよと言われたことであった。
それからは肩や腰の筋肉を鍛えることが科学的には一番の予防法であると、水泳や散歩を今日まで続けているが、時々は腰痛は起きるし肩こりも皆無とはいかない。
さて、今回の腰痛の原因とおぼしきはその前日の土曜日に家内がいない間に5時間ほど根を詰めた評価書書き作業をしたことである。この評価書で人生が変わる若者が大勢いると考えると、40部ほどではあるがまじめに3回は読み返したのである(何時もまじめですけど)。コメントも合計で4000字は書いたことになる。その日の夜には腰が張っている自覚はあったのだが、翌日の水泳で治るだろうと気楽に考えていた。
日曜の早朝も違和感はあったが、水泳前のサウナでストレッチをしたときに、腰は異様な張りを示した。ここで帰っては料金がもったいないと、いつも通り泳ぎ、水中歩行をしてしまったのだ(貧乏根性なのである)。水から上がると腰はまるで金属板でも入れたような張りを示し、前屈みができなくなってしまったのだ。這々の体で家に戻るともう動けない状態である。歩行にはそれほど支障はないのだが、腰に鉄板が張り付いた感じで歩く以外の様々な動作に支障が出るようになった。冷湿布、懐炉、風呂での温浴などで何とか寝たが、熟睡は不可能であった。その後も状態は良くない。まじめに2日続けて実習先巡回訪問に出かけたので、よくなる訳は無いのである。福知山、篠山口、宍粟市と長い時間電車やバスに座り続け、同じ姿勢で居るのだから改善するはずはなかったのである。
10日経過してやっと前屈も可能となった。もうそろそろ、「貧乏根性を捨てること」と「まじめさもほどほどに」を学ばねばなるまい。
腰痛のために目配りしなかったブロッコリーにはバッタや青虫が跋扈していた。前屈可能となったせいで、今朝は青虫7匹、バッタ3匹を退治したことであった。気になっていたラディッシュの間引きもできた朝であります。
もう秋だなあ
昨日は朝から会議が5つもあって興奮したせいか、眠りが浅く、朝の血圧測定では153/97と最近の状態としては高かったので、薬を飲む前に長めの散歩をしようといつものコースを歩き始めた。
二日ほど前から朝晩の気温が下がり始めた。8月はフィンランド、沖縄、北海道、信州と駆けずり回ってきたが、もう9月も半ばと、秋なのだ。
昨日、道端に彼岸花が咲き始めたのを見つけていたので、かんざしのような開花が見られるだろうと期待していたが、土手には草を刈った後があり、彼岸花は無惨にも開花を待たずに切られてしまっていた。同じ土手には桑の木が数カ所育っており、その生命力にも驚いていたのだが、もちろんそれも刈り取られていた。今春改修工事をした道なので、どこかから移した土に桑の実でも混じっていたのだろう。
彼岸花は,律儀に彼岸が近くなると花を咲かせる。温度の差を検知してのことなのだろうが、暑い夏でも冷夏でも時期を違えることなく開花する様な気がする。あるいは時間軸を検知する能力があるのかも知れない(誰か知っていたら教えて下さい)。
稲刈りの時期が近づくと、土手や畦の草刈りが行なうのは農家のルーティンの仕事なのだ。僕は格別彼岸花が好きというわけではなく、むしろあまり好まないのが、せめてもう数日後であれば彼岸花の開花が終わるのに、農家の人も風流心がないなあと、内言しつつ歩いたことであった。
僕の育った郷里にも田んぼは沢山あったが、田んぼの畦や土手に彼岸花を見ることはほとんどなかったように思う。彼岸花は墓地のある里山の麓に群生しており、忌むべき花という対連合が出来上がってしまっているのかも知れない。
長めの散歩にしようとしたので、いつもは行かない太閤道を少し進んで、山の裾野の貸し農園群の中の小道を辿り帰途に付いた。このコースだと35-40分の散歩になるのである。
小道を歩いているとき、身の丈ほどのミョウガの先端にカンナの花のような形状の白い花が咲いていた。これまでの人生で始めて見るミョウガの花である。ミョウガに眼を奪われていると、近くにはニラやオクラの花があるのにも気づいた。人間の注意のpop-up現象は面白いものである。成長の途中で食べられてしまうのがミョウガの運命であるが、成長した姿は美しいものである。
珍しいものを今朝は見られたと機嫌良く帰って来たのであるが、途中の田んぼの畦道は稲刈りが近いのに草刈りが済んでいなかった。お陰でズボンの裾は濡れ、靴下も濡れる羽目になった。「早く畦の草刈りをすればよいのに」などと、数分前の自分とは違う考えが浮かんで来た。人間の感情判断は勝手なもので文脈依存傾向が大ということである(それはあんただけ、という声も聞こえそうな気がするけどネ)。
帰宅後血圧を測定したところ、138/74となっていた。高血圧気味の人は散歩が効果的ですよ、と伝えておきます。メデタシめでたしの散歩でありました。
二日ほど前から朝晩の気温が下がり始めた。8月はフィンランド、沖縄、北海道、信州と駆けずり回ってきたが、もう9月も半ばと、秋なのだ。
昨日、道端に彼岸花が咲き始めたのを見つけていたので、かんざしのような開花が見られるだろうと期待していたが、土手には草を刈った後があり、彼岸花は無惨にも開花を待たずに切られてしまっていた。同じ土手には桑の木が数カ所育っており、その生命力にも驚いていたのだが、もちろんそれも刈り取られていた。今春改修工事をした道なので、どこかから移した土に桑の実でも混じっていたのだろう。
彼岸花は,律儀に彼岸が近くなると花を咲かせる。温度の差を検知してのことなのだろうが、暑い夏でも冷夏でも時期を違えることなく開花する様な気がする。あるいは時間軸を検知する能力があるのかも知れない(誰か知っていたら教えて下さい)。
稲刈りの時期が近づくと、土手や畦の草刈りが行なうのは農家のルーティンの仕事なのだ。僕は格別彼岸花が好きというわけではなく、むしろあまり好まないのが、せめてもう数日後であれば彼岸花の開花が終わるのに、農家の人も風流心がないなあと、内言しつつ歩いたことであった。
僕の育った郷里にも田んぼは沢山あったが、田んぼの畦や土手に彼岸花を見ることはほとんどなかったように思う。彼岸花は墓地のある里山の麓に群生しており、忌むべき花という対連合が出来上がってしまっているのかも知れない。
長めの散歩にしようとしたので、いつもは行かない太閤道を少し進んで、山の裾野の貸し農園群の中の小道を辿り帰途に付いた。このコースだと35-40分の散歩になるのである。
小道を歩いているとき、身の丈ほどのミョウガの先端にカンナの花のような形状の白い花が咲いていた。これまでの人生で始めて見るミョウガの花である。ミョウガに眼を奪われていると、近くにはニラやオクラの花があるのにも気づいた。人間の注意のpop-up現象は面白いものである。成長の途中で食べられてしまうのがミョウガの運命であるが、成長した姿は美しいものである。
珍しいものを今朝は見られたと機嫌良く帰って来たのであるが、途中の田んぼの畦道は稲刈りが近いのに草刈りが済んでいなかった。お陰でズボンの裾は濡れ、靴下も濡れる羽目になった。「早く畦の草刈りをすればよいのに」などと、数分前の自分とは違う考えが浮かんで来た。人間の感情判断は勝手なもので文脈依存傾向が大ということである(それはあんただけ、という声も聞こえそうな気がするけどネ)。
帰宅後血圧を測定したところ、138/74となっていた。高血圧気味の人は散歩が効果的ですよ、と伝えておきます。メデタシめでたしの散歩でありました。
ヘルシンキの印象
明日13日から大学は1週間の夏休みである。いつの間にか8月も半ばとなっている。昔は明確な夏休みの押しつけはなかったのだが、法人化以降には夏の一時期大学全体をクローズして光熱水量費を節約することが一般化している。「数日でも休むなどとんでもない、研究室に出かけて仕事をしないと落ち着かない」というタイプの生活からは卒業した身分としては、気分的に楽で有り難いことである。光熱水量の削減は国家的課題であるエコロジカルにも貢献度が高いことになる。
先週までエコの本場(?)であるフィンランドで開催された学会に出ていた。最近は、高福祉、エコ、優れた教育システムなどの面からフィンランドの人気は急上昇というところで、興味を持って国際神経心理学会に参加した。会場はヘルシンキの主要官庁が集まっている一角にある港のホテルであった。千人規模の会議場を併設するホテルなので4つ星の上等のホテルであった(贅沢が身につき始めているのかも知れない)。学会主催者の推薦ホテルで便利ということもあってなのでそこに6泊した。
ホテルは古い税関の建物を改造したモダンなホテルなのだが、余分なものはいっさいない、実に現在のフィンランド政府方針を具体化したようなところであった。湯茶のセットがない、チイッシュの箱がない(幸いこのところ鼻炎の兆候がないので、困るということはなかった)、石けん、歯ブラシ、クシ、風呂用のセットなど何にもない。タオルと2カ所にシャンプーリンスの出るチューブがあるのみ。ゴミ箱は生ゴミ、紙類、ビンやカンと3種類に仕分けしたものだけ一つあるだけのまことに清潔だが、簡素な感じの部屋であった。廊下やロビーにもゴミ箱はない。ゴミの出る要素はなるだけ省くという強い主張をうかがうことができるホテルであった。ユーロが昨年よりもかなり安いので,フィンランドの主張に反抗する気持はなかったが,そこまでやるのね、という気持がしたものである。
街には自動販売機は一切なかった。無駄に電力を消費するものは排除ということだろう。通りには路面電車が完備しており(5-10分おきに頻繁に電車はある)、自動車は大きな都会であるにもかかわらずまばらな印象であった。街の大きな通りは石畳が多く、自動車はよほどサスペンションがよくないと走るのは苦痛ではないかと想像したし、車は傷むだろうと思われた。自動車を使う輩には意地悪をするぞ、ということなのだろう。実は日本からレンタカーを予約して、夜は11時まで明るいはずだから空いた時間帯に湖水地方に行こうと、ヘルシンキで合流する名古屋からの友人にも国際免許を持参すべしとしていたのだが、レンタカー代がやたら高いこと、オートマ車はあまりないし異常に高いことなどで計画は断念したが、フィンランドでは自動車が意地悪されていることは知らなかった。
物価は22%の消費税が付くので、相対的に日本と同じくらいかやや物価は高い印象が残った。トナカイの肉は美味ではあったがこれはたまらないという類の食物には出会わなかった。20数年前に来たときからは街の印象は大いに変わっており、昔の面影はあまり感じられなかったのはこの国が大いに発展したことの証左なのだろうと思う。だが、簡潔で整理整頓された印象が強いフィンランドにずっと住んでいたいという気持は生じなかった。
45年以上も大阪に生きて来た者としては、国分の駅前の提灯長屋で、月末の北海道での検診準備の打ち上げと称してほろほろ酔っていると、やはりフィンランドの整然とした住居や徹底したエコ生活は馴染みいなあと、ほざきたくなるのである。
石畳(でこぼこが多い石畳なので、見た目はよいが足に負担がかかりすぎる)を歩き疲れての筋肉痛が未だに完全に回復しないためかも知れないが、やはり大阪はよいなあ、河内の下町は嬉しいなあと思うのであります。
月末の北海道八雲町の方がフィンランドより絶対に住みよいはずである。イカめし、トウモロコシ、ツブ貝のカレー、スイカ、メロン、塩辛で食うジャガイたち、待ってろよ~!というところであります。休み前で気分も高揚気味かナ?
先週までエコの本場(?)であるフィンランドで開催された学会に出ていた。最近は、高福祉、エコ、優れた教育システムなどの面からフィンランドの人気は急上昇というところで、興味を持って国際神経心理学会に参加した。会場はヘルシンキの主要官庁が集まっている一角にある港のホテルであった。千人規模の会議場を併設するホテルなので4つ星の上等のホテルであった(贅沢が身につき始めているのかも知れない)。学会主催者の推薦ホテルで便利ということもあってなのでそこに6泊した。
ホテルは古い税関の建物を改造したモダンなホテルなのだが、余分なものはいっさいない、実に現在のフィンランド政府方針を具体化したようなところであった。湯茶のセットがない、チイッシュの箱がない(幸いこのところ鼻炎の兆候がないので、困るということはなかった)、石けん、歯ブラシ、クシ、風呂用のセットなど何にもない。タオルと2カ所にシャンプーリンスの出るチューブがあるのみ。ゴミ箱は生ゴミ、紙類、ビンやカンと3種類に仕分けしたものだけ一つあるだけのまことに清潔だが、簡素な感じの部屋であった。廊下やロビーにもゴミ箱はない。ゴミの出る要素はなるだけ省くという強い主張をうかがうことができるホテルであった。ユーロが昨年よりもかなり安いので,フィンランドの主張に反抗する気持はなかったが,そこまでやるのね、という気持がしたものである。
街には自動販売機は一切なかった。無駄に電力を消費するものは排除ということだろう。通りには路面電車が完備しており(5-10分おきに頻繁に電車はある)、自動車は大きな都会であるにもかかわらずまばらな印象であった。街の大きな通りは石畳が多く、自動車はよほどサスペンションがよくないと走るのは苦痛ではないかと想像したし、車は傷むだろうと思われた。自動車を使う輩には意地悪をするぞ、ということなのだろう。実は日本からレンタカーを予約して、夜は11時まで明るいはずだから空いた時間帯に湖水地方に行こうと、ヘルシンキで合流する名古屋からの友人にも国際免許を持参すべしとしていたのだが、レンタカー代がやたら高いこと、オートマ車はあまりないし異常に高いことなどで計画は断念したが、フィンランドでは自動車が意地悪されていることは知らなかった。
物価は22%の消費税が付くので、相対的に日本と同じくらいかやや物価は高い印象が残った。トナカイの肉は美味ではあったがこれはたまらないという類の食物には出会わなかった。20数年前に来たときからは街の印象は大いに変わっており、昔の面影はあまり感じられなかったのはこの国が大いに発展したことの証左なのだろうと思う。だが、簡潔で整理整頓された印象が強いフィンランドにずっと住んでいたいという気持は生じなかった。
45年以上も大阪に生きて来た者としては、国分の駅前の提灯長屋で、月末の北海道での検診準備の打ち上げと称してほろほろ酔っていると、やはりフィンランドの整然とした住居や徹底したエコ生活は馴染みいなあと、ほざきたくなるのである。
石畳(でこぼこが多い石畳なので、見た目はよいが足に負担がかかりすぎる)を歩き疲れての筋肉痛が未だに完全に回復しないためかも知れないが、やはり大阪はよいなあ、河内の下町は嬉しいなあと思うのであります。
月末の北海道八雲町の方がフィンランドより絶対に住みよいはずである。イカめし、トウモロコシ、ツブ貝のカレー、スイカ、メロン、塩辛で食うジャガイたち、待ってろよ~!というところであります。休み前で気分も高揚気味かナ?
不可解 3題
たいていの「良くわからんなあ」という事柄は,出現しても次々と忘れ去ってしまうものなのに、ときに頭から離れないものがある。くり返して何度も遭遇するので長期記憶化するのだろう。現在のところ、以下の3つの不可解事がワタシの頭の中を渦巻いております。
①「何時まで啼くのか、ウグイスよ」
梅が咲き初める頃に、ウグイスは山から下りて啼き始める。僕の散歩コースでも春の初めに山から降りたてのウグイスが啼き始めるのに遭遇する。へたくそな鳴き方が少しずつ上手くなり、一月ほどで山に戻って行くのが例年の有り様である。今年も梅の花が咲き始める頃に、ウグイスのへたくそな鳴き声を耳にした。3月の終わり頃であったかと思う。
その頃、国分駅から大学までの道を歩いていた時に、道端の家の庭先に植えられている背丈ほどの小さな梅の木に遊ぶ4羽のウグイスに遭遇した。梅の花がほぼ満開の頃であった。写真に撮ろうと携帯電話を探したが,あいにく家に忘れていて写すことは叶わなかった。数日間はもう一度ウグイスに出会わないかと携帯電話を取り出してその梅の木を眺めつつ通るのだが,2度と見ることはなかった。4羽も同時に「梅にウグイス」という光景など信じられないかも知れないが(花札の知識が無いと何の事か分からないでしょうけど)、しっかり意識があって歩いていたのは確かであります。
今日はもう7月11日なのに、朝の散歩コースでのウグイスは今でも啼いているのである。家の近くの薮の中と墓地公園の坂道の途中にいる2羽のウグイスは、もう下手ではないけど今朝も啼いていた。ウグイスは里に降りて来て配偶者を見つけて山に戻るということなので、昨今の人間社会と同じように結婚活動が上手くいかないウグイスが増えているということなのだろうか。不可解である。
②「バスを待つ学生」
週に一日は名古屋の私学に非常勤で出講している。大阪からの交通費がでるため、名大の人たちとの研究の打ち合わせに都合が良い。だから辞めないでいる。地下鉄の駅から大学までは市営バスに15分ほど乗らねばならない。この大学は女子が多いためか、バス待ちの長い行列では毎週不可解な経験をする。バスに乗り込んで行く学生は,座れそうにないと思われる辺りで行列の途中からバスに乗り込むのを止めてしまうのだ。立ってでもかまわないという客は、並んでいる学生の脇を通ってバスに乗り込む(僕はこっち)。つまり、2列に並ぶ暗黙の了解があるようなのだ。次のバスを待つまでベンチに座れるわけではないので、結局は行列で立つか、バスの中で立つかの違いでしかない。若い女学生の考えることは不可解である。言うまでもなく、立っているバス内の僕に座席を代わりましょうという学生には遭わない。
③「どうしたズッキーニ」
昨年失敗したズッキーニ栽培が今年は順調と喜んでいたのだが、一株が2本、別の株が3本まで収穫させてくれた後が上手くいかない。事の起こりは一つの鉢を2階ベランダから下の菜園の近くに移動したことからである。3センチ大に育っていたNo.6と7が急に萎れて腐ってしまったのだ。これはイカンと2階のベランダに戻したが、しばらくは元気がなくなってしまった。ベランダに残していた株に付いていたNo.8も、何故か4センチ大のところで枯れてしまった。
何人かに聞いても捗々しい答えは返ってこない。風通し、暑すぎ,水が多すぎ、などの仮説はことごとく当てはまらないのだ。もう、これで終わりなのだろうと思っていたら、3日ほど前から2株ともに活気を取り戻して来た。No.9,10、No.11,12の2本ずつがそれぞれの株で順調に育っている。10センチを超えつつあり,収穫は間違いなさそうで,やれやれ、といったところなのだ。途中での立ち枯れは何なのだ。どうしたのだ?ズッキーニと言いたい。育て主を翻弄する不可解な作物ではある。
①「何時まで啼くのか、ウグイスよ」
梅が咲き初める頃に、ウグイスは山から下りて啼き始める。僕の散歩コースでも春の初めに山から降りたてのウグイスが啼き始めるのに遭遇する。へたくそな鳴き方が少しずつ上手くなり、一月ほどで山に戻って行くのが例年の有り様である。今年も梅の花が咲き始める頃に、ウグイスのへたくそな鳴き声を耳にした。3月の終わり頃であったかと思う。
その頃、国分駅から大学までの道を歩いていた時に、道端の家の庭先に植えられている背丈ほどの小さな梅の木に遊ぶ4羽のウグイスに遭遇した。梅の花がほぼ満開の頃であった。写真に撮ろうと携帯電話を探したが,あいにく家に忘れていて写すことは叶わなかった。数日間はもう一度ウグイスに出会わないかと携帯電話を取り出してその梅の木を眺めつつ通るのだが,2度と見ることはなかった。4羽も同時に「梅にウグイス」という光景など信じられないかも知れないが(花札の知識が無いと何の事か分からないでしょうけど)、しっかり意識があって歩いていたのは確かであります。
今日はもう7月11日なのに、朝の散歩コースでのウグイスは今でも啼いているのである。家の近くの薮の中と墓地公園の坂道の途中にいる2羽のウグイスは、もう下手ではないけど今朝も啼いていた。ウグイスは里に降りて来て配偶者を見つけて山に戻るということなので、昨今の人間社会と同じように結婚活動が上手くいかないウグイスが増えているということなのだろうか。不可解である。
②「バスを待つ学生」
週に一日は名古屋の私学に非常勤で出講している。大阪からの交通費がでるため、名大の人たちとの研究の打ち合わせに都合が良い。だから辞めないでいる。地下鉄の駅から大学までは市営バスに15分ほど乗らねばならない。この大学は女子が多いためか、バス待ちの長い行列では毎週不可解な経験をする。バスに乗り込んで行く学生は,座れそうにないと思われる辺りで行列の途中からバスに乗り込むのを止めてしまうのだ。立ってでもかまわないという客は、並んでいる学生の脇を通ってバスに乗り込む(僕はこっち)。つまり、2列に並ぶ暗黙の了解があるようなのだ。次のバスを待つまでベンチに座れるわけではないので、結局は行列で立つか、バスの中で立つかの違いでしかない。若い女学生の考えることは不可解である。言うまでもなく、立っているバス内の僕に座席を代わりましょうという学生には遭わない。
③「どうしたズッキーニ」
昨年失敗したズッキーニ栽培が今年は順調と喜んでいたのだが、一株が2本、別の株が3本まで収穫させてくれた後が上手くいかない。事の起こりは一つの鉢を2階ベランダから下の菜園の近くに移動したことからである。3センチ大に育っていたNo.6と7が急に萎れて腐ってしまったのだ。これはイカンと2階のベランダに戻したが、しばらくは元気がなくなってしまった。ベランダに残していた株に付いていたNo.8も、何故か4センチ大のところで枯れてしまった。
何人かに聞いても捗々しい答えは返ってこない。風通し、暑すぎ,水が多すぎ、などの仮説はことごとく当てはまらないのだ。もう、これで終わりなのだろうと思っていたら、3日ほど前から2株ともに活気を取り戻して来た。No.9,10、No.11,12の2本ずつがそれぞれの株で順調に育っている。10センチを超えつつあり,収穫は間違いなさそうで,やれやれ、といったところなのだ。途中での立ち枯れは何なのだ。どうしたのだ?ズッキーニと言いたい。育て主を翻弄する不可解な作物ではある。
リベンジ
ときどき、このブログの読者に出会うことがある。先日も今年の野菜はどうですかという質問を受けた。何か発信しておかねばなるまいと気になっている。そこでの今年の菜園情報です。
リベンジと言うほど大層なことではないが、昨年から始めた家庭菜園での野菜作りは、今年は昨年と違って上手くいってるもんネ、という自慢話である(今しがたまで、椎名誠の本を読んでた影響の文体かな)。
昨年はレタス、ブロコリー、チシャ、ダイコン、ナス、キュウリ、トマト、ゴーヤなど様々な野菜に挑戦したが(たいていは2-3本の苗のことでありますけどネ)、正直なところ他人に誇れるのはゴーヤとミニトマトぐらいで、他の収穫は散々であった。友人師匠からもらったズッキーニもチシャも上手く育たなかった。ビギナーズラックはトマト、ゴーヤの収穫であったが、これは誰でも成功すると言われる野菜なので、今ひとつ他人からスゴいと褒められることがない。
昨年夏は、ゴーヤが取れすぎたので、各種のチャンプルー料理(鶴橋風:キムチ、トーフ、卵とゴーヤ;沖縄風:スパムとゴーヤ,和風:豚肉、卵とゴーヤ)の開発には寄与したが、8月末には食べ飽きてしまい、ゴーヤを細切りにして陰干しして煮物に使う,サラダに加えて生で食べるなど,将来の食糧難時代を想定しての工夫もした。自分で育てた野菜は捨てるべきでないという倫理観からの七転八倒風のアガキであったのだ。ゴーヤをどのように食すべきかを悩む日々であった(大袈裟ですがネ)。今年は苗の数を3本から2本に減らしたので、昨年の悩みは減少するはずと考えていたのだが、去年の蔓たぐりの際に落ちた種からのゴーヤが2本実生で育って来たので、それらが順調に生育すると昨年度以上のアガキ生活が待ち受けていることになる。友人師匠は、「実生の方が、その土地の細菌や昆虫被害から生き延びたものなので優秀な苗である」と言う説を昼飯時に披露するのだ(木嶋利男氏の伝承農法の著書に依拠しているので耳を傾けないわけにもいかない)。その検証もせねばならないので,ゴーヤをどう食するかの悩みは、今夏はますます深まりそうである。ちなみに今年のゴーヤは5本も成育中である。
リベンジの話であった。ダイコンと小松菜、ホウレンソウ、ズッキー二は昨年の敗北から一挙に立ち上がり,かなりの収穫を既に得ている。昨年のダイコン(人参も)は、葉っぱの時期に青虫と毎朝格闘したにもかかわらず、小指大の貧相なものしか収穫できなかった(間引きのときに少しは葉を食べたが)。
昨年の菜ものはすべて、ナメクジ野郎の餌食となってしまった。ナメクジは夜の9時頃から次々と土中から這い出して来るのだから,早く寝る僕としては戦うすべがなかったのだ。ビールを皿に入れておけばそこに飛び込んで死ぬからと言う友人師匠のアドバイスで恵比寿ビールを3缶ほどナメクジ野郎におごってあげたが、無駄であった。相手は多数なのである。波状攻撃の前になす術もなく敗退した。そこで,春先に土のレベルでナメクジ対策をした。それに大量の腐葉土をぶち込んだのだ。
お陰で、2年越しの念願であった辛い大根おろし用のダイコンを先週末に20本ほど収穫できた。小さめの牛乳瓶サイズではあるが誠に美味である。おろしそばにして初物を食した時には、その辛さと嬉しさで文字通り涙したことであった。ズッキーニはすでに4本目を収穫している。スーパーで売っているサイズと遜色がない。昨年のズッキーニは葉っぱだけはでかい顔をして広がるのだが、2センチほどでショボンタ状態になり実が全て落ちてしまうのであった。
何が昨年度と違うのだろうか比較検討しているところである。リベンジをもたらした原因を解明しておかねば、将来の食糧難に対処不能となるかも知れんからネ。
おそらくは土の栄養価であろう。丁寧に土を改良しないと、たとえ高価な苗でも育たない(豊かな基盤がないとものは育たない?何かしら教訓的だ)。収穫が始まったキュウリをもぎながら来年はもっと栄養価のよいようにしてやるから,今年はこれで我慢しろよとつぶやくのであります。
野菜は少しいじめ状態にして環境を厳しくした方が良いものができると言う説を素人昼飯メンバーは言うが,この検証は先の話である。ともかく収穫できるかが第一段階で、うまい野菜にするかは次の課題である(奥が深いのだ,野菜作りも)
今年は小松菜とホウレンソウを同時期に育てたが、小松菜への虫の攻撃は圧倒的であった。ある時期から一気に虫の攻撃にやられたのが小松菜であった。売り物の小松菜にするにはかなりの農薬が不可欠であると思われるので、購入時には注意せねばと学んだところである。
というような具合で、今年も野菜つくりを楽しんでおりまする。4,5日前に撒いた、芽キャベツ、二十日ダイコン、モロヘイヤが順調に芽を出し今朝もヨシヨシと、ほくそ笑んでいるのであります。
リベンジと言うほど大層なことではないが、昨年から始めた家庭菜園での野菜作りは、今年は昨年と違って上手くいってるもんネ、という自慢話である(今しがたまで、椎名誠の本を読んでた影響の文体かな)。
昨年はレタス、ブロコリー、チシャ、ダイコン、ナス、キュウリ、トマト、ゴーヤなど様々な野菜に挑戦したが(たいていは2-3本の苗のことでありますけどネ)、正直なところ他人に誇れるのはゴーヤとミニトマトぐらいで、他の収穫は散々であった。友人師匠からもらったズッキーニもチシャも上手く育たなかった。ビギナーズラックはトマト、ゴーヤの収穫であったが、これは誰でも成功すると言われる野菜なので、今ひとつ他人からスゴいと褒められることがない。
昨年夏は、ゴーヤが取れすぎたので、各種のチャンプルー料理(鶴橋風:キムチ、トーフ、卵とゴーヤ;沖縄風:スパムとゴーヤ,和風:豚肉、卵とゴーヤ)の開発には寄与したが、8月末には食べ飽きてしまい、ゴーヤを細切りにして陰干しして煮物に使う,サラダに加えて生で食べるなど,将来の食糧難時代を想定しての工夫もした。自分で育てた野菜は捨てるべきでないという倫理観からの七転八倒風のアガキであったのだ。ゴーヤをどのように食すべきかを悩む日々であった(大袈裟ですがネ)。今年は苗の数を3本から2本に減らしたので、昨年の悩みは減少するはずと考えていたのだが、去年の蔓たぐりの際に落ちた種からのゴーヤが2本実生で育って来たので、それらが順調に生育すると昨年度以上のアガキ生活が待ち受けていることになる。友人師匠は、「実生の方が、その土地の細菌や昆虫被害から生き延びたものなので優秀な苗である」と言う説を昼飯時に披露するのだ(木嶋利男氏の伝承農法の著書に依拠しているので耳を傾けないわけにもいかない)。その検証もせねばならないので,ゴーヤをどう食するかの悩みは、今夏はますます深まりそうである。ちなみに今年のゴーヤは5本も成育中である。
リベンジの話であった。ダイコンと小松菜、ホウレンソウ、ズッキー二は昨年の敗北から一挙に立ち上がり,かなりの収穫を既に得ている。昨年のダイコン(人参も)は、葉っぱの時期に青虫と毎朝格闘したにもかかわらず、小指大の貧相なものしか収穫できなかった(間引きのときに少しは葉を食べたが)。
昨年の菜ものはすべて、ナメクジ野郎の餌食となってしまった。ナメクジは夜の9時頃から次々と土中から這い出して来るのだから,早く寝る僕としては戦うすべがなかったのだ。ビールを皿に入れておけばそこに飛び込んで死ぬからと言う友人師匠のアドバイスで恵比寿ビールを3缶ほどナメクジ野郎におごってあげたが、無駄であった。相手は多数なのである。波状攻撃の前になす術もなく敗退した。そこで,春先に土のレベルでナメクジ対策をした。それに大量の腐葉土をぶち込んだのだ。
お陰で、2年越しの念願であった辛い大根おろし用のダイコンを先週末に20本ほど収穫できた。小さめの牛乳瓶サイズではあるが誠に美味である。おろしそばにして初物を食した時には、その辛さと嬉しさで文字通り涙したことであった。ズッキーニはすでに4本目を収穫している。スーパーで売っているサイズと遜色がない。昨年のズッキーニは葉っぱだけはでかい顔をして広がるのだが、2センチほどでショボンタ状態になり実が全て落ちてしまうのであった。
何が昨年度と違うのだろうか比較検討しているところである。リベンジをもたらした原因を解明しておかねば、将来の食糧難に対処不能となるかも知れんからネ。
おそらくは土の栄養価であろう。丁寧に土を改良しないと、たとえ高価な苗でも育たない(豊かな基盤がないとものは育たない?何かしら教訓的だ)。収穫が始まったキュウリをもぎながら来年はもっと栄養価のよいようにしてやるから,今年はこれで我慢しろよとつぶやくのであります。
野菜は少しいじめ状態にして環境を厳しくした方が良いものができると言う説を素人昼飯メンバーは言うが,この検証は先の話である。ともかく収穫できるかが第一段階で、うまい野菜にするかは次の課題である(奥が深いのだ,野菜作りも)
今年は小松菜とホウレンソウを同時期に育てたが、小松菜への虫の攻撃は圧倒的であった。ある時期から一気に虫の攻撃にやられたのが小松菜であった。売り物の小松菜にするにはかなりの農薬が不可欠であると思われるので、購入時には注意せねばと学んだところである。
というような具合で、今年も野菜つくりを楽しんでおりまする。4,5日前に撒いた、芽キャベツ、二十日ダイコン、モロヘイヤが順調に芽を出し今朝もヨシヨシと、ほくそ笑んでいるのであります。
失敗のとらえ方
このブログは月に1回の更新を基本としている。5月は前半のんびりしていたのに後半になって急に忙しさが増して、こんなものを書いている暇はないと思いつつも、別に基本にこだわる必要はないのに月末が近づいてまだ更新していないことが頭から離れない。一種の強迫神経症状態にあるので、その呪縛から逃れるために書いている。
たまたま今朝はスイミングスクールが休館日であり、予定が狂ったこともある。もっとも休館日であったことは実際に出かけて行って玄関のポスターで確認したことであるので,情けないと言うしかないのだが。
急に忙しさが増したのは、もちろん4月から管理職にされてしまい出席を要請される会議の数が急増したこと,授業の数も倍増したこと(他人に大きな声で言える数ではない。1コマが2コマになっても、8コマが16コマになっても倍増というのである)。これらに加えて書かねばならない原稿(学会抄録や雑文原稿)が溜って来たことにも多忙感は起因している。ここ数日は生活時間の配分に気持の余裕がない状態で、毎朝5時すぎから仕事をする体制になっている(高血圧者には望ましいことではないことは自覚済みである)。
実は、数日前までそれほど気持に余裕がなかったわけではなかったのだが、先週はじめに若い同僚から,「もう原稿を出されましたか」と質問されたのである。何のことかと聞き返すと,この同僚も執筆者になっている本の原稿の執筆案内に僕の名前を見たような気がするから、という。慌てて持参してくれた書類を確認すると、確かに執筆案内に僕の名前があった。締め切りは5月29日なので、あと数日しかないのである。大慌てで出版社に確認の電話をし、執筆要項が届いていないと言うと,担当者は「去年の9月に僕からの執筆OKのメールが来ています」という。メールを確認すると確かに僕は返事を出していて、執筆依頼と要項はそのメールに添付されていたのを見落としたのである。名大時代に比べるとインターネット・セキュリティのせいもあり,受信メールはかなり減っているのに、じっくりとメールを点検することを怠ったために生じたミスである。これは,注意配分についてのミスなので、確実に老化と関係している。
久しぶりに本当に焦ってしまい、おわびと本当の締め切りを確認したことであった。
実は,この事件の数日前に名古屋の非常勤先でコーヒーを飲みながら雑談していた折りに,何故かこの本の出版計画の話をしていたのである。昨年の8月頃に編者から依頼がきてOKと了解して連絡したが、その後執筆要項も送られて来ていないので,あの話はポシャッたに違いない、などと罰当たりにもほざいていたのである。その3日後の失敗発覚であり、不思議な気がする。実際に3年ほど前に某編者に原稿を送った神経心理学関連の本の原稿があり、その後何の音沙汰もないことがあるのだ。だから、昨今,出版社も大変なようだとか、せっかく書いたのでどこかに乗せたいものだなどという文脈で話題にしたのであった。
出版社の編集者との電話で7月末まで締め切りを延ばしてもらったので,現在はそれを書いている。ブログを書いている暇などないというのはそのことなのである。
僕は,これまでに締め切りを違えることは皆無に近いことを自慢して来た。表立った締め切りには若干の余裕があることを知らないわけではないので、今回はこれを活用することになる。こういう執筆者は編集者には困った人になるのを僕自身も本を編集した際には何度か経験しているので「ごめんなさい」と言うしかない。僕の号巻の編集は九大の先生である,借りができてしまった。ちなみに、僕の執筆する原稿は、北大路書房から認知心理学会編で講座シリーズとして7巻が同時に出版される計画の一部なのである(案内を見たら購入して下さいよ!)。
出版社の編集担当者の了解だけであるが、昨年の8月にこの話を引き受けた際にプロットをメモしてあったので、すぐに執筆に入れる資料は準備できている(一部の資料は,何故それをメモしたのか分からないものは当然あるが)。7月半ば迄に書き終えるつもりである。何とか滑り込みセーフという未来展望を抱いている。
それにしても若い同僚が知らせてくれなければ、7月頃に催促の連絡がきて「何のことですか?」では済まなかったと思うと,ぞっとする。九大の先生にも認知心理学会のメンバー面々にも合わす顔がない事態を招来するかも知れなかった。
まさに危機一髪であったのだが、「僕はついているなあー」と出版社への電話の後で直後に思ったことであった。同僚は偶然確認してくれたのだが、こういうのをツキがあると言うのだろう。感謝、感謝である。
このように、失敗をしても、ツキがあると思えるうちはまだ老化の程度も閾値に届いていないということかな?とそう考えることにしたという話です。それにしても失敗発覚数日前に話題に上がる(意識に上った)ことがあったのは不思議な気持がする。物事はポジティブに捉えなければ行けないのです。とくに高齢者はネ。
泳ぎに行けないと肩こりがひどくなる心配を抱えつつ,脅迫神経症的なブロガーは、まだ現役のつもりで生きているのです。
たまたま今朝はスイミングスクールが休館日であり、予定が狂ったこともある。もっとも休館日であったことは実際に出かけて行って玄関のポスターで確認したことであるので,情けないと言うしかないのだが。
急に忙しさが増したのは、もちろん4月から管理職にされてしまい出席を要請される会議の数が急増したこと,授業の数も倍増したこと(他人に大きな声で言える数ではない。1コマが2コマになっても、8コマが16コマになっても倍増というのである)。これらに加えて書かねばならない原稿(学会抄録や雑文原稿)が溜って来たことにも多忙感は起因している。ここ数日は生活時間の配分に気持の余裕がない状態で、毎朝5時すぎから仕事をする体制になっている(高血圧者には望ましいことではないことは自覚済みである)。
実は、数日前までそれほど気持に余裕がなかったわけではなかったのだが、先週はじめに若い同僚から,「もう原稿を出されましたか」と質問されたのである。何のことかと聞き返すと,この同僚も執筆者になっている本の原稿の執筆案内に僕の名前を見たような気がするから、という。慌てて持参してくれた書類を確認すると、確かに執筆案内に僕の名前があった。締め切りは5月29日なので、あと数日しかないのである。大慌てで出版社に確認の電話をし、執筆要項が届いていないと言うと,担当者は「去年の9月に僕からの執筆OKのメールが来ています」という。メールを確認すると確かに僕は返事を出していて、執筆依頼と要項はそのメールに添付されていたのを見落としたのである。名大時代に比べるとインターネット・セキュリティのせいもあり,受信メールはかなり減っているのに、じっくりとメールを点検することを怠ったために生じたミスである。これは,注意配分についてのミスなので、確実に老化と関係している。
久しぶりに本当に焦ってしまい、おわびと本当の締め切りを確認したことであった。
実は,この事件の数日前に名古屋の非常勤先でコーヒーを飲みながら雑談していた折りに,何故かこの本の出版計画の話をしていたのである。昨年の8月頃に編者から依頼がきてOKと了解して連絡したが、その後執筆要項も送られて来ていないので,あの話はポシャッたに違いない、などと罰当たりにもほざいていたのである。その3日後の失敗発覚であり、不思議な気がする。実際に3年ほど前に某編者に原稿を送った神経心理学関連の本の原稿があり、その後何の音沙汰もないことがあるのだ。だから、昨今,出版社も大変なようだとか、せっかく書いたのでどこかに乗せたいものだなどという文脈で話題にしたのであった。
出版社の編集者との電話で7月末まで締め切りを延ばしてもらったので,現在はそれを書いている。ブログを書いている暇などないというのはそのことなのである。
僕は,これまでに締め切りを違えることは皆無に近いことを自慢して来た。表立った締め切りには若干の余裕があることを知らないわけではないので、今回はこれを活用することになる。こういう執筆者は編集者には困った人になるのを僕自身も本を編集した際には何度か経験しているので「ごめんなさい」と言うしかない。僕の号巻の編集は九大の先生である,借りができてしまった。ちなみに、僕の執筆する原稿は、北大路書房から認知心理学会編で講座シリーズとして7巻が同時に出版される計画の一部なのである(案内を見たら購入して下さいよ!)。
出版社の編集担当者の了解だけであるが、昨年の8月にこの話を引き受けた際にプロットをメモしてあったので、すぐに執筆に入れる資料は準備できている(一部の資料は,何故それをメモしたのか分からないものは当然あるが)。7月半ば迄に書き終えるつもりである。何とか滑り込みセーフという未来展望を抱いている。
それにしても若い同僚が知らせてくれなければ、7月頃に催促の連絡がきて「何のことですか?」では済まなかったと思うと,ぞっとする。九大の先生にも認知心理学会のメンバー面々にも合わす顔がない事態を招来するかも知れなかった。
まさに危機一髪であったのだが、「僕はついているなあー」と出版社への電話の後で直後に思ったことであった。同僚は偶然確認してくれたのだが、こういうのをツキがあると言うのだろう。感謝、感謝である。
このように、失敗をしても、ツキがあると思えるうちはまだ老化の程度も閾値に届いていないということかな?とそう考えることにしたという話です。それにしても失敗発覚数日前に話題に上がる(意識に上った)ことがあったのは不思議な気持がする。物事はポジティブに捉えなければ行けないのです。とくに高齢者はネ。
泳ぎに行けないと肩こりがひどくなる心配を抱えつつ,脅迫神経症的なブロガーは、まだ現役のつもりで生きているのです。
NHK
新学期になって講義が始まると、講師としての自分の自己紹介をする。自己紹介は自己開示の王道だから、適切に行うと学生との親密度が増すはずで、親密度が増している講師への講義聴講への動機付けが高まるという仮説で行っている。ゼミなどの小人数では丁寧に行なうようにしているが、大規模の講義では自己紹介は、昨年開設したHPでのURLを紹介し,それを見て下さいということにしている(http://hatta-takeshi.com)。翌週に「HPを見た人?」と訊ねると皆無に近いので,年寄りの講義担当者への関心度はその程度のようであるらしい。教育というのは相手に合わせての情報提供だから、そういう学生たちであることを理解して仕事をせねばならないことになる。
しかし、ざわついている講義の始めに「実は先週TVの収録があってね」などというと学生の集中度は一気に増加する。マスメディアに露出することは学生との親密度を高める効果が大きいようである。マスメディアに登場している人物への親密度が異常に高いのは、品の良くない、ガキのような府知事に注意を向ける人が多い例だけでなく、昨年大学で行なわれた「××まわり先生」への講演に会場一杯に学生が集まり,サイン入りの本を奪い合うように購入していたという身近な現象からも明らかである(朝の散歩の道すがら何度も目にする自民党の選挙向けポスターに、小選挙区の出馬予定者とこの先生の大きい画像を見る度に,選挙向けに講演会が利用されたのではないかという疑念が彷彿として不愉快さがつのる)。
「学生との親密度を高める効果があるのなら」というわけで、マスメディアへの対応はできるだけ好意的と心がけている。別に親密度を増さなければ困るわけでもないが、嫌がられるよりはストレスは低くて済むというものである。また、勤務校の宣伝にも役立つかも知れないという気持もある(別に頼まれているわけではない,頼まれれば別の反応をするに違いないけどネ)。
先週たまたま話が来たので、NHK教育TVの収録に東京まで出かけた。昨今民放TVでは経費節減が急務ということで、3月ほど前の××TVの場合には、電話で大方の取材をして、顔だけ撮影にディレクターが一人でカメラを担いで来た。もちろん東京から日帰りで,新大阪で拾ったタクシーを待たせたままという慌ただしいものであった。疲れているディレクターは新幹線で寝てしまって新大阪でおりるべきところを岡山まで行ってしまったと約束の時間を大幅に超過して飛び込んで来た。帰路、新大阪までタクシーに同乗させてもらった車中で経費削減・労働実態を聞き、死なないように忠告したことであった、
予算の削減がないのかNHKではまずディレクターが来学し、話をしてそれを下に台本を書いて、出演者を東京に呼んで撮影という行程を辿った。もっとも台本は上京する3日前にメールで届き、スタジオでは第3稿に変わっているという慌ただしさであった。ただ、民放と違ってNHKの場合には前もっての調べが良くできていると言ってよい。
3年ほど前にNHKラジオにでたときにも感じたことであるが、放送作家はよく勉強しているのだ。本だけでなく、関連論文にも当たっている。講義ノートになりそうなレベルの台本であったという記憶がある(何事にも経費を惜しんではダメであるという教訓である。勤務校への皮肉を言っているわけはない)。
正確に覚えていないが、これまでにも何度かTVの取材を受けたが、今回は初体験の要素が多かったのでブログに取り上げようとしているのだ。従前では、質問への回答を僕が話すのを1台のカメラで撮影し、構成するというものであった。質問はたいていの場合はディレクターがして、それに回答するところを撮影する形式である。今回は、異なっていた。まず、僕のカラオケを収録した。共演するタレント達の歌のCDを聞いて、まず無伴奏で歌い、続いてカラオケバージョンを3回ほど録音した(ディレクターが歌い方の指示を変えるのであった)。シンコペーシヨンが入るポップス調であり、演歌が身に付いた世代では容易ではなかったが、この課題はクリアした。読者はすごいと感心すべきである。
その後は台本通りに撮影が行われた。カメラは3台ほどあったように思う。AKB48というグループのタレントさん達と絡む台詞がけっこうな数あり、スタジオ到着時に新しくなった台本を見た僕としては、覚えられないのは当然と開き直って、ディレクターの指示通り適当に演じることとした。まるでタレントのような仕事内容で3時間ほどを要した。最初からのディレクターとのやり取りや彼の対応が良かったので、好奇心に身を任せたという案配である。これがおそらく10~15分程度に構成されるのであろう。
どういう番組なんだ、と言う声が聞こえて来そうだが、中高生向けの科学番組(科学番組への誘い)で、きき手・きき耳・きき眼に関係する話題である。放映は6月中旬らしいが、タレントではないので是非見て下さいなどと具体的な日時は宣伝しない。冥土の土産に新しい経験をさせてもらい好奇心を満たしたということである。
しかし、ざわついている講義の始めに「実は先週TVの収録があってね」などというと学生の集中度は一気に増加する。マスメディアに露出することは学生との親密度を高める効果が大きいようである。マスメディアに登場している人物への親密度が異常に高いのは、品の良くない、ガキのような府知事に注意を向ける人が多い例だけでなく、昨年大学で行なわれた「××まわり先生」への講演に会場一杯に学生が集まり,サイン入りの本を奪い合うように購入していたという身近な現象からも明らかである(朝の散歩の道すがら何度も目にする自民党の選挙向けポスターに、小選挙区の出馬予定者とこの先生の大きい画像を見る度に,選挙向けに講演会が利用されたのではないかという疑念が彷彿として不愉快さがつのる)。
「学生との親密度を高める効果があるのなら」というわけで、マスメディアへの対応はできるだけ好意的と心がけている。別に親密度を増さなければ困るわけでもないが、嫌がられるよりはストレスは低くて済むというものである。また、勤務校の宣伝にも役立つかも知れないという気持もある(別に頼まれているわけではない,頼まれれば別の反応をするに違いないけどネ)。
先週たまたま話が来たので、NHK教育TVの収録に東京まで出かけた。昨今民放TVでは経費節減が急務ということで、3月ほど前の××TVの場合には、電話で大方の取材をして、顔だけ撮影にディレクターが一人でカメラを担いで来た。もちろん東京から日帰りで,新大阪で拾ったタクシーを待たせたままという慌ただしいものであった。疲れているディレクターは新幹線で寝てしまって新大阪でおりるべきところを岡山まで行ってしまったと約束の時間を大幅に超過して飛び込んで来た。帰路、新大阪までタクシーに同乗させてもらった車中で経費削減・労働実態を聞き、死なないように忠告したことであった、
予算の削減がないのかNHKではまずディレクターが来学し、話をしてそれを下に台本を書いて、出演者を東京に呼んで撮影という行程を辿った。もっとも台本は上京する3日前にメールで届き、スタジオでは第3稿に変わっているという慌ただしさであった。ただ、民放と違ってNHKの場合には前もっての調べが良くできていると言ってよい。
3年ほど前にNHKラジオにでたときにも感じたことであるが、放送作家はよく勉強しているのだ。本だけでなく、関連論文にも当たっている。講義ノートになりそうなレベルの台本であったという記憶がある(何事にも経費を惜しんではダメであるという教訓である。勤務校への皮肉を言っているわけはない)。
正確に覚えていないが、これまでにも何度かTVの取材を受けたが、今回は初体験の要素が多かったのでブログに取り上げようとしているのだ。従前では、質問への回答を僕が話すのを1台のカメラで撮影し、構成するというものであった。質問はたいていの場合はディレクターがして、それに回答するところを撮影する形式である。今回は、異なっていた。まず、僕のカラオケを収録した。共演するタレント達の歌のCDを聞いて、まず無伴奏で歌い、続いてカラオケバージョンを3回ほど録音した(ディレクターが歌い方の指示を変えるのであった)。シンコペーシヨンが入るポップス調であり、演歌が身に付いた世代では容易ではなかったが、この課題はクリアした。読者はすごいと感心すべきである。
その後は台本通りに撮影が行われた。カメラは3台ほどあったように思う。AKB48というグループのタレントさん達と絡む台詞がけっこうな数あり、スタジオ到着時に新しくなった台本を見た僕としては、覚えられないのは当然と開き直って、ディレクターの指示通り適当に演じることとした。まるでタレントのような仕事内容で3時間ほどを要した。最初からのディレクターとのやり取りや彼の対応が良かったので、好奇心に身を任せたという案配である。これがおそらく10~15分程度に構成されるのであろう。
どういう番組なんだ、と言う声が聞こえて来そうだが、中高生向けの科学番組(科学番組への誘い)で、きき手・きき耳・きき眼に関係する話題である。放映は6月中旬らしいが、タレントではないので是非見て下さいなどと具体的な日時は宣伝しない。冥土の土産に新しい経験をさせてもらい好奇心を満たしたということである。
帰阪パーティ
先月末に帰阪パーティを開催してもらった。私が大阪に戻ったことを祝っての旧大阪教育大学卒業生が中心のパーティである。近々に建て替えが計画されている四つ橋の厚生年金会館ホール内のレストランで行われた。土曜日の昼頃に玄関先で案内札に「帰阪」の文字を見つけたときには、なぜか嬉しい気持ちになったものである。14年間も名古屋大学に勤務したので、名古屋に帰属感があるのは言うまでもないが、大阪へのそれの方が強い気がしないでもない。暮らした時間の長さもあるが若い日のエピソード記憶が豊富なためであろう。この会合は僕のかつての指導学生達が僕へのFestschriftである、「Contemporary Issues of Brain, Communication, and Education in Psychology,ISBN978-4-946428-38-8, Union Press」の発刊出版記念パーティでもあった(お金に余裕のある人は購入してあげて下さい)。Festschriftを辞書で探すと原語はドイツ語で記念出版本のことであり、a book honoring a respected academic and presented during his or her lifetimeとある。また、A Festschrift contains original contributions by the honored academic's close colleagues, often including his or her former doctoral students. It is typically published on the occasion of the honoree's retirement, sixtieth or sixty-fifth birthday, or other notable career anniversaryとあるので、本の内容はともあれ条件は満たしている。
還暦のときに出来上がるはずのものであったのが遅くなったというわけである。この種の出版計画は2~3年の遅延が一般的なようで、以前に著名な先生の還暦記念出版の内輪話にも執筆者間でのやっかいな過程を耳にしているので、計画を聞いた時には止めたほうが良いと言った。出版社にも自分の論文もなかなか書けない連中なのにどだい無理な計画だと悪態をついていた。しかし、なんとか教え子達(といっても大概は大学教授や准教授なのだが)の力で出来上がったのは、それなりに彼らも育っているということなのであろう。敢えて英文誌にしたのもそれなりの矜持ということだろう。
今度のパーティには24人が集まってくれた。最高齢は56歳だから、とにかく長い付き合いではある。幸いなことに教え子に僕よりも先にあの世へというような不心得者はいない。何よりも嬉しいことである。もっとも、彼らの昔を知る僕にとって、パーティのご馳走が食べきれないという様子から、彼らが確実に高齢化していることは疑いようがない。
振り返れば、教え子の人たちにはこれまでにも何度もお祝いをしてもらった。35歳頃に学位を取得したといってお祝い会をしてもらったが、そのとき頂いた記念品の柱時計はまだ我が家で現役である。学位を取る者が稀であった時代の出来事で、いまでは想像がつきにくいことである。名古屋大学に移籍するときにも最終講義をさせてもらいパーティもしてもらったし、還暦のときにも名大の同僚や卒業生が祝ってくれた。昨年の3月には、一年早い退職であり本当は最終講義やパーティはしなくても良いのに計画してもらった、それに加えて今回の出版とパーティなのであり、本当に有り難いことであると思っている。
今回のパーティでは、高齢者は自慢をすることが前頭葉機能の低下を鈍化するので、これからも自慢しながら生きるつもりであることを宣言しておいた。認知症になった僕から自慢話を聞かされ続けるのは辛いというコメントもあったが、辛いのは認知症の八田をみることよりも、自慢話を聞かされることの方らしい(認知症患者に自慢話が出来るのかは談話分析をする価値のあるテーマである)。
最近あちこちで高齢者に自慢すべし、と言っている。自慢するには、音声言語を話す、古い記憶を検索する、ストーリーを構築するなど前頭葉の機能の関与なくしては成り立たない。つまり、コミュニケーションを続けることは前頭葉の機能維持に重要なのである。もちろん、同じ話を聞かせると相手は嫌がるから、つぎつぎと自慢のネタを生み出すことが大切である。自慢ネタが増えない場合は違う相手を探すという手もあることも付け加えている。若い人相手には、少々五月蠅くても年寄りの自慢話を聞くのは、年寄りが呆けて世話をさせられる期間の短縮につながるので、辛抱せよとも言っている。
パーティでは大阪教育大の頃の記憶をたくさん検索し、言語化することができたので、僕の前頭葉の機能は少なからず若返ったはずである。
先日査読した介護負担研究の論文に、「寂しい人は早く死ぬ」という一節があった。僕は早く死なないですむのかもしれない、と思えたことであります。
還暦のときに出来上がるはずのものであったのが遅くなったというわけである。この種の出版計画は2~3年の遅延が一般的なようで、以前に著名な先生の還暦記念出版の内輪話にも執筆者間でのやっかいな過程を耳にしているので、計画を聞いた時には止めたほうが良いと言った。出版社にも自分の論文もなかなか書けない連中なのにどだい無理な計画だと悪態をついていた。しかし、なんとか教え子達(といっても大概は大学教授や准教授なのだが)の力で出来上がったのは、それなりに彼らも育っているということなのであろう。敢えて英文誌にしたのもそれなりの矜持ということだろう。
今度のパーティには24人が集まってくれた。最高齢は56歳だから、とにかく長い付き合いではある。幸いなことに教え子に僕よりも先にあの世へというような不心得者はいない。何よりも嬉しいことである。もっとも、彼らの昔を知る僕にとって、パーティのご馳走が食べきれないという様子から、彼らが確実に高齢化していることは疑いようがない。
振り返れば、教え子の人たちにはこれまでにも何度もお祝いをしてもらった。35歳頃に学位を取得したといってお祝い会をしてもらったが、そのとき頂いた記念品の柱時計はまだ我が家で現役である。学位を取る者が稀であった時代の出来事で、いまでは想像がつきにくいことである。名古屋大学に移籍するときにも最終講義をさせてもらいパーティもしてもらったし、還暦のときにも名大の同僚や卒業生が祝ってくれた。昨年の3月には、一年早い退職であり本当は最終講義やパーティはしなくても良いのに計画してもらった、それに加えて今回の出版とパーティなのであり、本当に有り難いことであると思っている。
今回のパーティでは、高齢者は自慢をすることが前頭葉機能の低下を鈍化するので、これからも自慢しながら生きるつもりであることを宣言しておいた。認知症になった僕から自慢話を聞かされ続けるのは辛いというコメントもあったが、辛いのは認知症の八田をみることよりも、自慢話を聞かされることの方らしい(認知症患者に自慢話が出来るのかは談話分析をする価値のあるテーマである)。
最近あちこちで高齢者に自慢すべし、と言っている。自慢するには、音声言語を話す、古い記憶を検索する、ストーリーを構築するなど前頭葉の機能の関与なくしては成り立たない。つまり、コミュニケーションを続けることは前頭葉の機能維持に重要なのである。もちろん、同じ話を聞かせると相手は嫌がるから、つぎつぎと自慢のネタを生み出すことが大切である。自慢ネタが増えない場合は違う相手を探すという手もあることも付け加えている。若い人相手には、少々五月蠅くても年寄りの自慢話を聞くのは、年寄りが呆けて世話をさせられる期間の短縮につながるので、辛抱せよとも言っている。
パーティでは大阪教育大の頃の記憶をたくさん検索し、言語化することができたので、僕の前頭葉の機能は少なからず若返ったはずである。
先日査読した介護負担研究の論文に、「寂しい人は早く死ぬ」という一節があった。僕は早く死なないですむのかもしれない、と思えたことであります。