語彙は何処?
前期の授業で家族関係論という科目を担当している。以前からあった授業を引き継いだものである。Doll Location Testという人間関係構造認知を可能にする検査器具を開発しているので(シンボル配置技法の理論と実際、ナカニシヤ刊)臨床心理学は専門でもある。したがって、当然家族関係論は担当できるはずという学部長の判断を了として引き受けたものである。授業の準備をしていくとこの科目は社会学が基底にあることが推察できる。そこで、大学には臨床心理学科も別にあることだから家族関係認知のことは隠しておこうという気持ちも働き、自分で基本となる事項を調べつつ授業準備をしてきた。2回目の就職ともなれば、以前と同じように最も得意な専門分野の講義で済むというわけには行かないのが常である。
「家族とは何か」という定義にもとづいて、「生殖」「福祉養育」「団欒」などの基本機能を調べていくと、講義のために準備していく内容は次々と膨らんで、とても15回では足りなくなってしまう。存外楽しいものである。4年生向けの授業で社会福祉学科の学生しか取りにくい時間帯にあり、他学科学生を相手の授業で双方向の議論もできて面白いものである。
ただ、双方向と言っても近年盛んに持ち上げられるZaidel教授の講義のようにはいかない。学生への問いかけの答えは、ワンフレーズの逆の質問であったり、単なるその場での情緒的感想であったりで、論理性を欠くことは言うまでもない。また、家族とは何かなどと掘り下げて考えることがないので戸惑うのか、なかなか議論らしいものには至らない。そもそも学生は中等・高等教育でそのような訓練を受けていないのだから、一概に責めるわけにもいかないが、決定的に語彙が不足していることに気づく。学生が言うことを何かの単語で言い直すと、「そうそう、それです」という具合である。何もこれは社会福祉学科の学生に限ったことではない。先日は「先生、エントリーシートに、資質について書けってあるけど、資質って何?」と自分のゼミの学生に真顔で聞かれてしまったりする。
語彙は他人の文章を読むことでしか増えないと考えられる。日常生活での会話で用いられる語彙は、辞書の中では極めて少数である。少なくても用が足りるので日常会話からは語彙が増えることはほとんどない(表情などのノンバーバルな手がかりで、コミュニケーションの成否が分かるためであろう)。したがって、小学校で英会話の授業などをしている余裕はないはずであるが、話がそれるので止めておこう。
ただ、語彙があっても議論はできないはずで、論理的な思考や組み立てを考え出す力が必要である。こんな主張はすでに高等教育改革では盛んに議論し尽くされたところであるが、日々新たに実感することである。
先日BSニュースでフランスの大学入学資格試験(バカロレア)の哲学の問題紹介をしていた。理系の学生への問題は「テクノロジーとアートとの関係について述べよ」という類の問題だと言うことであった。こういう哲学的な問題を日常的に考える習慣があり、それを大学生の必須の素養と考え、文章化できることを入学要件に求める文化には衝撃を受けた(英国の友人は国際バカロレアの委員長をしていたので、彼を改めて見直した)。日本の大学卒では、エリート校卒で少々学力はあるといっても,このような文化背景で長い期間訓練を受けた連中と議論や交渉をすることは容易ではないはず。ハンディが大きすぎという感じである。
話を家族関係論の授業に戻すと、「団欒」機能を扱う時間であったので、昭和30年代の家族団欒があった時代背景を紹介しつつ、「豊かさとは何か?」「物質を得ることで失うものは何か?」「程よい豊かさと、程よい貧しさを追求するには今後何をすべきか?」を考えさせようとパワーポイントを30枚ほど作り、授業案を作って臨んだ。
授業計画は計画通りいかないものだが、見事に失敗した。
「団欒」が読めない。「卓袱台」、「集団就職」、「3種の神器」などなどいちいち説明がないと進めない。自分が子供時代に経験した「陽のある時間内の労働」、「家族そろっての夕食」、「農作業の区切りでの春祭り、秋祭り」、「地域での共同作業(道普請、川掃除…)」、「親戚・地域住民が集まっての宴会(車座、手拍子のある炭坑節、ソーラン節などの唱和)」などの説明に忙しく,時間切れとなってしまった。まさに共通の語彙がないとコミュニケーションは難しいことを再確認した。
そう言うわけで、興が乗れば祖母が大好きだった春日八郎の「別れの一本杉:遠い遠い、思い出しても遠い空。必ず東京へ着いたなら、便りおくれと言った娘。リンゴのような赤いほっぺのヨ-村はずれ」でも歌って見せようか、という授業計画は、不発に終わったのでありました。
如何に学生の語彙を獲得させ、論理的に表現できるようにするか?
課題は難しいが重要であり,頭の痛いことであります。
「家族とは何か」という定義にもとづいて、「生殖」「福祉養育」「団欒」などの基本機能を調べていくと、講義のために準備していく内容は次々と膨らんで、とても15回では足りなくなってしまう。存外楽しいものである。4年生向けの授業で社会福祉学科の学生しか取りにくい時間帯にあり、他学科学生を相手の授業で双方向の議論もできて面白いものである。
ただ、双方向と言っても近年盛んに持ち上げられるZaidel教授の講義のようにはいかない。学生への問いかけの答えは、ワンフレーズの逆の質問であったり、単なるその場での情緒的感想であったりで、論理性を欠くことは言うまでもない。また、家族とは何かなどと掘り下げて考えることがないので戸惑うのか、なかなか議論らしいものには至らない。そもそも学生は中等・高等教育でそのような訓練を受けていないのだから、一概に責めるわけにもいかないが、決定的に語彙が不足していることに気づく。学生が言うことを何かの単語で言い直すと、「そうそう、それです」という具合である。何もこれは社会福祉学科の学生に限ったことではない。先日は「先生、エントリーシートに、資質について書けってあるけど、資質って何?」と自分のゼミの学生に真顔で聞かれてしまったりする。
語彙は他人の文章を読むことでしか増えないと考えられる。日常生活での会話で用いられる語彙は、辞書の中では極めて少数である。少なくても用が足りるので日常会話からは語彙が増えることはほとんどない(表情などのノンバーバルな手がかりで、コミュニケーションの成否が分かるためであろう)。したがって、小学校で英会話の授業などをしている余裕はないはずであるが、話がそれるので止めておこう。
ただ、語彙があっても議論はできないはずで、論理的な思考や組み立てを考え出す力が必要である。こんな主張はすでに高等教育改革では盛んに議論し尽くされたところであるが、日々新たに実感することである。
先日BSニュースでフランスの大学入学資格試験(バカロレア)の哲学の問題紹介をしていた。理系の学生への問題は「テクノロジーとアートとの関係について述べよ」という類の問題だと言うことであった。こういう哲学的な問題を日常的に考える習慣があり、それを大学生の必須の素養と考え、文章化できることを入学要件に求める文化には衝撃を受けた(英国の友人は国際バカロレアの委員長をしていたので、彼を改めて見直した)。日本の大学卒では、エリート校卒で少々学力はあるといっても,このような文化背景で長い期間訓練を受けた連中と議論や交渉をすることは容易ではないはず。ハンディが大きすぎという感じである。
話を家族関係論の授業に戻すと、「団欒」機能を扱う時間であったので、昭和30年代の家族団欒があった時代背景を紹介しつつ、「豊かさとは何か?」「物質を得ることで失うものは何か?」「程よい豊かさと、程よい貧しさを追求するには今後何をすべきか?」を考えさせようとパワーポイントを30枚ほど作り、授業案を作って臨んだ。
授業計画は計画通りいかないものだが、見事に失敗した。
「団欒」が読めない。「卓袱台」、「集団就職」、「3種の神器」などなどいちいち説明がないと進めない。自分が子供時代に経験した「陽のある時間内の労働」、「家族そろっての夕食」、「農作業の区切りでの春祭り、秋祭り」、「地域での共同作業(道普請、川掃除…)」、「親戚・地域住民が集まっての宴会(車座、手拍子のある炭坑節、ソーラン節などの唱和)」などの説明に忙しく,時間切れとなってしまった。まさに共通の語彙がないとコミュニケーションは難しいことを再確認した。
そう言うわけで、興が乗れば祖母が大好きだった春日八郎の「別れの一本杉:遠い遠い、思い出しても遠い空。必ず東京へ着いたなら、便りおくれと言った娘。リンゴのような赤いほっぺのヨ-村はずれ」でも歌って見せようか、という授業計画は、不発に終わったのでありました。
如何に学生の語彙を獲得させ、論理的に表現できるようにするか?
課題は難しいが重要であり,頭の痛いことであります。
春野菜始末記
しばらく家庭菜園(大げさ?)のことを記載していないので、気が多い人間である私の性格を知る人にはもう辞めていることだろうと思っている向きがあるといけないので、野菜作りしつこく継続中のメッセージを書いておきます。面倒くさいと思うこともあるのは事実なのですが、以外と根気もあるのです。
先週、大いに期待したスナップエンドウの蔓をため息混じりにたぐり,石灰を撒いて土地を消毒中です。大いに期待したというのは、はじめて植えること、とにかく豆類は失敗がないという声を何人からも聞いたのです。2回に分けて7本の苗を購入しました。2月頃には背丈ほどに順調に生育が進み、きっと一度に沢山収穫できるので誰にあげるかを順番まで頭に置いていたのですが、2度ほど2センチほどの積雪に見舞われ、おそらくその影響でしょう,次第に4本が元気を無くし、遭えなく枯れてしまいました。
朝の散歩で見かける観察学習先の畑のエンドウに当時は特別雪囲いもしていなかったので少しくらいの寒さには耐えるのだろうと油断したのが間違いでした。僕のエンドウは少し早くから植えていたので、育ちすぎ,雪に弱かったのが失敗の原因かも知れません(若い頃に順調な人間はトラブルに弱いものです)。辛うじて残った2本からお茶碗3杯分くらいの収穫はありましたが,惨敗というところが正しい評価でしょう。最後に蔓を引き抜くとその2本の根元も貧相で,豆類は簡単というのは嘘かも知れません。スナップエンドウより2週間ほど後に植えた空豆は,以外と順調な方ですが、未だ収穫は天ぷらの具にするからとせっつかれた4さやほどちぎっただけです。もう少し太らすつもりでいますが、虫に食われるのが先ではないかと言う者もいるので毎日のように収穫時期をチェックしています(事実。ナメクジの子どもを発見し,2晩ほどは夜、懐中電灯の明かり下で1センチにも満たないナメクジを1ダースほど退治しました)。
空豆など簡単!という人が多いのですが、10日ほど前には突然柔らかい葉先の方にアブラムシらしきものを発見し3度ほど消毒をして何とか生育を保障しています。以外と手がかかるので、豆は簡単と言ったのは誰だと言いたくなります。
空豆はそれほど好きな食べ物ではなかったので,栽培はしてこなかったのです。子どもの頃のおやつに炒った空豆を沢山食べて育ったので食傷気味なのかも知れません。子どもの歯にも硬いし甘みもそれほどない、噛むことで唾液を分泌させて空腹を誤魔化すのが重要だったのでしょう。ともかく、子どもの頃に乾燥していない空豆など食べた記憶がないのですが、数年前に祇園の或る店(友人が連れて行ってくれたので常連ではありません)で、鞘ごと生の空豆を炭火で焼いたものを食してから美味いと思うようになりました。蒸し焼き状態になったものを取り出し、岩塩を振りかけフウフウ言ってビール共に流し込むとけっこう美味いのです。そのときの空豆サイズまでは何としても大きくしたいと育つのを見守っているところです。
春野菜としてニンジンとラディッシュ、ミニ赤カブも植えましたが,60点というところです。ニンジンは間引いてその若葉を2-3度かき揚げの具にしました。これは香りも強く葉も柔く好評でしたが、本来のニンジンである根の部分は人差し指大の太さまでが関の山でした。土も購入し、新しい床で頻回に有機肥料を足したのですが、スーパーで売っているニンジンとは品種が違うとしか思えない状態でした。ラディッシュ、ミニ赤カブは予想通りの出来でしたけど。
夏野菜として、キュウリ、トマト、シシトウ、オクラ、ゴーヤを今日までに植えてあります。やっぱりトマトが一番栽培しやすいと3種類の苗6本が成育中です。買ってきて植えた翌日に茎が一本折れていたので、何かが当たり折れたのだと考えていたら、翌日隣のオクラの茎が折れており、夜盗虫であることを直観しました。その夜見張る中に現れた3センチほどの虫を逮捕しました。もっといるに違いないとは思うのですが、その後被害はありません(野菜作りは夜の作業も欠かせません)。折られてしまったトマトの苗は450円もするサントリー農園?の新品種なので,悔しくて念のためと土に埋めておいたら、再生して10センチほどに育っています。同期の苗の半分の大きさにも足りませんが、東北もがんばっているから挫けるなと、毎朝声かけをしているところです。
斯く左様に,野菜作りは持続していますが、悲喜こもごもと言うより野菜や気候に弄ばれているというところです。自然には逆らえないなあと、地震以降日本人の根本にある心性を強化させられる野菜作りであります。
今朝の観察でもまだ空豆の大きさが僕の規準に満たないので、まだ焼きたてをフウフウとは行きません。もっとも、それまでビールを絶って待つというわけにはいきません。
先週、大いに期待したスナップエンドウの蔓をため息混じりにたぐり,石灰を撒いて土地を消毒中です。大いに期待したというのは、はじめて植えること、とにかく豆類は失敗がないという声を何人からも聞いたのです。2回に分けて7本の苗を購入しました。2月頃には背丈ほどに順調に生育が進み、きっと一度に沢山収穫できるので誰にあげるかを順番まで頭に置いていたのですが、2度ほど2センチほどの積雪に見舞われ、おそらくその影響でしょう,次第に4本が元気を無くし、遭えなく枯れてしまいました。
朝の散歩で見かける観察学習先の畑のエンドウに当時は特別雪囲いもしていなかったので少しくらいの寒さには耐えるのだろうと油断したのが間違いでした。僕のエンドウは少し早くから植えていたので、育ちすぎ,雪に弱かったのが失敗の原因かも知れません(若い頃に順調な人間はトラブルに弱いものです)。辛うじて残った2本からお茶碗3杯分くらいの収穫はありましたが,惨敗というところが正しい評価でしょう。最後に蔓を引き抜くとその2本の根元も貧相で,豆類は簡単というのは嘘かも知れません。スナップエンドウより2週間ほど後に植えた空豆は,以外と順調な方ですが、未だ収穫は天ぷらの具にするからとせっつかれた4さやほどちぎっただけです。もう少し太らすつもりでいますが、虫に食われるのが先ではないかと言う者もいるので毎日のように収穫時期をチェックしています(事実。ナメクジの子どもを発見し,2晩ほどは夜、懐中電灯の明かり下で1センチにも満たないナメクジを1ダースほど退治しました)。
空豆など簡単!という人が多いのですが、10日ほど前には突然柔らかい葉先の方にアブラムシらしきものを発見し3度ほど消毒をして何とか生育を保障しています。以外と手がかかるので、豆は簡単と言ったのは誰だと言いたくなります。
空豆はそれほど好きな食べ物ではなかったので,栽培はしてこなかったのです。子どもの頃のおやつに炒った空豆を沢山食べて育ったので食傷気味なのかも知れません。子どもの歯にも硬いし甘みもそれほどない、噛むことで唾液を分泌させて空腹を誤魔化すのが重要だったのでしょう。ともかく、子どもの頃に乾燥していない空豆など食べた記憶がないのですが、数年前に祇園の或る店(友人が連れて行ってくれたので常連ではありません)で、鞘ごと生の空豆を炭火で焼いたものを食してから美味いと思うようになりました。蒸し焼き状態になったものを取り出し、岩塩を振りかけフウフウ言ってビール共に流し込むとけっこう美味いのです。そのときの空豆サイズまでは何としても大きくしたいと育つのを見守っているところです。
春野菜としてニンジンとラディッシュ、ミニ赤カブも植えましたが,60点というところです。ニンジンは間引いてその若葉を2-3度かき揚げの具にしました。これは香りも強く葉も柔く好評でしたが、本来のニンジンである根の部分は人差し指大の太さまでが関の山でした。土も購入し、新しい床で頻回に有機肥料を足したのですが、スーパーで売っているニンジンとは品種が違うとしか思えない状態でした。ラディッシュ、ミニ赤カブは予想通りの出来でしたけど。
夏野菜として、キュウリ、トマト、シシトウ、オクラ、ゴーヤを今日までに植えてあります。やっぱりトマトが一番栽培しやすいと3種類の苗6本が成育中です。買ってきて植えた翌日に茎が一本折れていたので、何かが当たり折れたのだと考えていたら、翌日隣のオクラの茎が折れており、夜盗虫であることを直観しました。その夜見張る中に現れた3センチほどの虫を逮捕しました。もっといるに違いないとは思うのですが、その後被害はありません(野菜作りは夜の作業も欠かせません)。折られてしまったトマトの苗は450円もするサントリー農園?の新品種なので,悔しくて念のためと土に埋めておいたら、再生して10センチほどに育っています。同期の苗の半分の大きさにも足りませんが、東北もがんばっているから挫けるなと、毎朝声かけをしているところです。
斯く左様に,野菜作りは持続していますが、悲喜こもごもと言うより野菜や気候に弄ばれているというところです。自然には逆らえないなあと、地震以降日本人の根本にある心性を強化させられる野菜作りであります。
今朝の観察でもまだ空豆の大きさが僕の規準に満たないので、まだ焼きたてをフウフウとは行きません。もっとも、それまでビールを絶って待つというわけにはいきません。
春だけど
入学式前後の慌ただしい学校行事が一段落した。3月末から4月はじめにかけてのオリエンテーションでは3回ばかり全ての新入生を相手に話す機会があった。冒頭で震災のことを取り上げ、メディアの画像から「恐ろしい、怖い,ひどい,悲惨」などの感情の知覚だけなら犬、ネコ、ネズミでもできる。脳が進化した君達は,その背景にある,影響を受けて人生設計の変更を余儀なくされた一人一人をイメージできるはずであり、せねばならない。その人達に恥じないように真摯に学生生活を送るべし、と訓示した。学生らは神妙に聞き入っていたので、最近の若者も棄てたものでもないと感じたことであった(人間はすぐ忘れるので、11日が来るたびに想い起こすべし,仏教では月命日というとも付言したが希望的観測なのかも知れない)。
4月はじめには科研費採択の知らせが予想以上に速く届き、気分の良い新学期のスタートとなった。10年来続いている北海道での中高年者の高次脳機能の縦断的検討が、更に5年継続が可能となった。嬉しいことで、八雲研究に参加できたことだけでも名古屋大学に移籍して良かったと,過去を肯定できるのは幸せである。研究チームの諸氏や八雲町の皆さんに感謝、感謝である。
気分の良い週末はちょうどサクラが見頃であり、散歩道を延長して桜の名所となっている市営墓地公園まで足を伸ばそうかと思ったが、そんな時間的余裕はないという内からの声(こういう風にして挑戦することをしなくなるのが老人なのだゾ、という声もあったのだけど)に賛同して、いつもの距離で止めることとなった。しかし、山裾から見る山桜は桜木を人工的に沢山植えて名所にしている大量の桜よりも風情があるように感じる。
山肌のそこかしこに散在する山桜は、竹林の浅黄色というのだろうか淡い緑や杉の濃緑色、広葉樹の新芽の薄い紅色などをそれぞれ背景にして見事に存在を示す。人工的に植えた桜が縦よりも横へと枝の広がりを見せるのにたいして散在する山桜は横よりも縦に伸びているようで,一様に背が高く、存在を訴えているようで微笑ましい。
散歩から戻ると相変わらずの原発事故のニュースである。それにしても地震の被害、福島原発の事故のニュースは痛ましい。暗澹たる気分に引き戻される。電力会社や行政サイドの対応をひどい言葉で訴える最近のマスコミの質の悪さには閉口してしまう。「最悪のことを想定しているのか、その具体的なものは何か」と記者会見で食い下がるレポーターには、「核爆発で確率的にはゼロでないに決まっているけど,それを言わせて何になる」と突っ込んでしまいたくなる。「今まで,原子力発電の安全性への疑問など報道したのかい?」というようなやり取りをしても埒があかない。大学受験のとき、当時のテレビドラマに触発されて新聞記者になろうかと早稲田大学を滑り止めに受験したが,マスコミに進まなくて良かったと(すべり止めは不合格であったにもかかわらず)思うことであった。
話は,飛躍するが(これも高齢者の特徴です)、大災害の時には社会は公共組織がきちんとあり、それがリードして迅速に動けるかが重要であることが今回の事態からも分かる。そのためには、何でも民営化すればよいというわけにはいかない(以前に蝉のようにミンミンいっていた連中はどうしたのだろう)。すべてが正しい、上手くいくというようなことはないのであり、表には裏があり,裏には表がある、それらが散髪屋の看板のようにぐるぐる繰り返すということであろう。
そうだとすると、今朝の散歩時には幸せな気分を味わえたのだが、そのうち悲惨なことが現れるということかも知れない。それも受け入れよう、その次もあるはずだから。
4月はじめには科研費採択の知らせが予想以上に速く届き、気分の良い新学期のスタートとなった。10年来続いている北海道での中高年者の高次脳機能の縦断的検討が、更に5年継続が可能となった。嬉しいことで、八雲研究に参加できたことだけでも名古屋大学に移籍して良かったと,過去を肯定できるのは幸せである。研究チームの諸氏や八雲町の皆さんに感謝、感謝である。
気分の良い週末はちょうどサクラが見頃であり、散歩道を延長して桜の名所となっている市営墓地公園まで足を伸ばそうかと思ったが、そんな時間的余裕はないという内からの声(こういう風にして挑戦することをしなくなるのが老人なのだゾ、という声もあったのだけど)に賛同して、いつもの距離で止めることとなった。しかし、山裾から見る山桜は桜木を人工的に沢山植えて名所にしている大量の桜よりも風情があるように感じる。
山肌のそこかしこに散在する山桜は、竹林の浅黄色というのだろうか淡い緑や杉の濃緑色、広葉樹の新芽の薄い紅色などをそれぞれ背景にして見事に存在を示す。人工的に植えた桜が縦よりも横へと枝の広がりを見せるのにたいして散在する山桜は横よりも縦に伸びているようで,一様に背が高く、存在を訴えているようで微笑ましい。
散歩から戻ると相変わらずの原発事故のニュースである。それにしても地震の被害、福島原発の事故のニュースは痛ましい。暗澹たる気分に引き戻される。電力会社や行政サイドの対応をひどい言葉で訴える最近のマスコミの質の悪さには閉口してしまう。「最悪のことを想定しているのか、その具体的なものは何か」と記者会見で食い下がるレポーターには、「核爆発で確率的にはゼロでないに決まっているけど,それを言わせて何になる」と突っ込んでしまいたくなる。「今まで,原子力発電の安全性への疑問など報道したのかい?」というようなやり取りをしても埒があかない。大学受験のとき、当時のテレビドラマに触発されて新聞記者になろうかと早稲田大学を滑り止めに受験したが,マスコミに進まなくて良かったと(すべり止めは不合格であったにもかかわらず)思うことであった。
話は,飛躍するが(これも高齢者の特徴です)、大災害の時には社会は公共組織がきちんとあり、それがリードして迅速に動けるかが重要であることが今回の事態からも分かる。そのためには、何でも民営化すればよいというわけにはいかない(以前に蝉のようにミンミンいっていた連中はどうしたのだろう)。すべてが正しい、上手くいくというようなことはないのであり、表には裏があり,裏には表がある、それらが散髪屋の看板のようにぐるぐる繰り返すということであろう。
そうだとすると、今朝の散歩時には幸せな気分を味わえたのだが、そのうち悲惨なことが現れるということかも知れない。それも受け入れよう、その次もあるはずだから。
IR研修会
まず、読者に今度の東北関東大震災で被災された方が居られれば、心からお見舞い申し上げます。必ず復旧し復興するので気持ちを強く持ちましょう。私に関しては東北大の友人も山形の病院で働く次男も、福島県立医大に出張していた長男の嫁も、その両親も無事でしたので私事で恐縮ですが念のため報告しておきます。当日長崎にいた私は地震を2時間後に知らされましたが、同時に次男や嫁からのメールが入っていたので心配する時間は短くすみました。翌日の帰路は電車が止まったままであり、変更を余儀なくされました(東北の地震は日本中で影響があったのです)。
TVでの原発事故報道では放射能汚染の程度を様々な異なる単位規準で報告するので何が何か分からないと感じています。先日、高等教育関係の研修会に出て、教育問題で数値の欺瞞を強く感じていたところなので、その話を書きます。地震関係のことはまだ書けません。
研修会で感じたのは、特定の高等教育研究者が文科省の高等教育政策に強く入り込んでいる姿です。①大学生の特性の大規模調査が報告されました。国公立大学2校と私学2校の共同研究の成果発表という案配でしたが、合計では3,000人規模の学生調査は実にずさんでした。回答率が大学により異なり8%台から26%台のものでした。この程度の回答率の調査結果から何かものを言うようなことは、心理科学ではあり得ません.教育学では平気なのかと思いました(研修会をぶち壊す様なことはしない年代になっていますので黙って聞いていましたが、その会場で出会った心理学出身の若手も同意見をこぼしていました)。②大学に課せられた課題をアメリカの高等教育研究関係者を呼んで講演させての研修会でしたが、これも大学の成り立ちや社会での役割についての共通性や異質性の議論なしに進めるので、この種の議論から得るものは少なく、我が国の高等教育研究者のレベルを疑うことにしなければと,感じたところです。
日本の大学では入学時に学生の学力を調べて受け入れ、卒業を自明の要件とした高等教育であるのに対して、入学時の選抜にはたいして厳格さを持たさずに,卒業時に学力をチェックするアメリカやOECD諸国とは異なることが考慮されていません(高等教育研究者は当然知っているはずですが,都合が悪いのでしょう)。③この研修はIR(institutional research)という大学経営についての課題が主題であり、シラバス/FD/認証評価などの欧米の高等教育の要素をつまみ出して押しつけ、ユニバーサル化(大学進学率が5割を超える)し経営に四苦八苦の弱小私学をまるでいたぶるように文部科学省を焚き付ける高等教育学研究者が、新しく取り上げつつある要素の勉強会でした。教学サイド(教授陣)と経営サイド(大学事務局)とが異種の2極を成し、そのバランスを効率的にするためにIRはあるので、そのような異種の2極が在るような大学は日本には皆無に近いと言って良いと思われます。国立大学の経営サイドは教学陣からの選挙で、経営など学んできていないし、たいていの弱小私学は経営サイドが教学の上位に在り、対等ではありません(私の大学でも理事長と学長は同一人です)などと考え出すと、そもそもの大学の成立の歴史的経緯とその文化を考慮しない我が国の高等教育研究者は、何を考えているのか!と大きな声になってしまう。
今回は少し言葉が過ぎた嫌いがありますが、それは丸1日掛けての研修からは、自分の大学のことは流行の高等教育研究者の言いなりにならずに独自の道を切り開かねばダメだなあ、と感じて、その容易でない課題の困難さ、不安、それでも挑戦せねばという、鬱積するマグマの成せるわざということにして気を悪くされた方にはご容赦していただきたい。
卒業式の当日抜け出して次男の結婚式のために沖縄に出かけていました。親の役割を終えたという安堵感と旅行の先での非日常的行動が原因の疲労感がありますが、気持ちを切り替え、今日から始まるオリエンテーションから新年度へ頭を切り換えねばなりません。今日は郵便局に行かねばならない用事があるので、遅ればせながら、東北関東大震災への義援金を振り込まねば。
TVでの原発事故報道では放射能汚染の程度を様々な異なる単位規準で報告するので何が何か分からないと感じています。先日、高等教育関係の研修会に出て、教育問題で数値の欺瞞を強く感じていたところなので、その話を書きます。地震関係のことはまだ書けません。
研修会で感じたのは、特定の高等教育研究者が文科省の高等教育政策に強く入り込んでいる姿です。①大学生の特性の大規模調査が報告されました。国公立大学2校と私学2校の共同研究の成果発表という案配でしたが、合計では3,000人規模の学生調査は実にずさんでした。回答率が大学により異なり8%台から26%台のものでした。この程度の回答率の調査結果から何かものを言うようなことは、心理科学ではあり得ません.教育学では平気なのかと思いました(研修会をぶち壊す様なことはしない年代になっていますので黙って聞いていましたが、その会場で出会った心理学出身の若手も同意見をこぼしていました)。②大学に課せられた課題をアメリカの高等教育研究関係者を呼んで講演させての研修会でしたが、これも大学の成り立ちや社会での役割についての共通性や異質性の議論なしに進めるので、この種の議論から得るものは少なく、我が国の高等教育研究者のレベルを疑うことにしなければと,感じたところです。
日本の大学では入学時に学生の学力を調べて受け入れ、卒業を自明の要件とした高等教育であるのに対して、入学時の選抜にはたいして厳格さを持たさずに,卒業時に学力をチェックするアメリカやOECD諸国とは異なることが考慮されていません(高等教育研究者は当然知っているはずですが,都合が悪いのでしょう)。③この研修はIR(institutional research)という大学経営についての課題が主題であり、シラバス/FD/認証評価などの欧米の高等教育の要素をつまみ出して押しつけ、ユニバーサル化(大学進学率が5割を超える)し経営に四苦八苦の弱小私学をまるでいたぶるように文部科学省を焚き付ける高等教育学研究者が、新しく取り上げつつある要素の勉強会でした。教学サイド(教授陣)と経営サイド(大学事務局)とが異種の2極を成し、そのバランスを効率的にするためにIRはあるので、そのような異種の2極が在るような大学は日本には皆無に近いと言って良いと思われます。国立大学の経営サイドは教学陣からの選挙で、経営など学んできていないし、たいていの弱小私学は経営サイドが教学の上位に在り、対等ではありません(私の大学でも理事長と学長は同一人です)などと考え出すと、そもそもの大学の成立の歴史的経緯とその文化を考慮しない我が国の高等教育研究者は、何を考えているのか!と大きな声になってしまう。
今回は少し言葉が過ぎた嫌いがありますが、それは丸1日掛けての研修からは、自分の大学のことは流行の高等教育研究者の言いなりにならずに独自の道を切り開かねばダメだなあ、と感じて、その容易でない課題の困難さ、不安、それでも挑戦せねばという、鬱積するマグマの成せるわざということにして気を悪くされた方にはご容赦していただきたい。
卒業式の当日抜け出して次男の結婚式のために沖縄に出かけていました。親の役割を終えたという安堵感と旅行の先での非日常的行動が原因の疲労感がありますが、気持ちを切り替え、今日から始まるオリエンテーションから新年度へ頭を切り換えねばなりません。今日は郵便局に行かねばならない用事があるので、遅ればせながら、東北関東大震災への義援金を振り込まねば。
泳ぎながら考えること
2月に入ってここ3週間ほどは、日曜日に特別な仕事が入っていないこともあり水泳の時間を確保できている。僕の通うプールは8時前(もちろん朝の)に到着しても、すでに帰途につく人に遭遇する。確かめてはいないが7時過ぎから開いているようである。そのために早朝は高齢者が多い。とくに僕の出かける8時過ぎでは30人ほどのいつも見かける常連の9割以上は、僕よりも高齢に見える(高齢者の認知バイアスかも知れないけど)。したがって、水中歩行をする人が大半なので泳ぐためのレーンは3つほどが、がらがら状態である。僕にとってはマイペースで泳げるので誠に都合がよい。この傾向はかつては正午過ぎに出かけていた頃よりも顕著で、数年前から8時過ぎに行くように変更した。自宅から車で5分ほどあれば行けるので20往復泳ぐことを規準としているので、帰宅するまでに1時間ですむ。これほど長く水泳を続けても腰痛や肩痛は僕の持病である。ときにひどい状態となるのだが、泳いでいないとどうなるかと思うと止められない(現在も腰の状態は良くない)。
最後の仕上げには5往復水中歩行を老人達に混じってすることにしている(自分は彼らよりも少なくとも10歳は若いと思われるので、僕も老人ではあるが、格が違う人たちである)。群れをなして喋りながら水中歩行する老人(正しくは老婆)らを追い抜くことができないので、ゆっくり歩く後を付いて歩くことになる。したがって何が話題かはよく分かる(耳が遠くなるっているためか声が大きい)。今朝の僕が付いていった群(彼女らは3-4人が群をなして歩行する)の話題は、夏みかんの話で、食べ方の紹介(カルピスに漬けるなど)と皮むき器のことであった。皮むき器は全員が不評であった。あんなもの買たらいかんわ、が結論であったしかし、全員が共通に話題にできると言うことは全員が購入しているのだが。彼女らは賢明にも手で剥くのが一番といっていた。
誠に左様で、便利さや快適さを追求するということで提供される道具で長い目で見て役に立たないものは少なくない。
次の話題は新聞に出ていた胃ろうのことであった。口から食べ難くなった病人の胃に栄養物を注入するものだが、父も亡くなる少し前から胃ろうの手術をしたことを思い出した。実施するか否かの相談をされて、同意してしまったことが、果たして良かったのか、口から食べさせる手間を省く便利さを選択したのかも知れないとも考えてしまう。
帰宅後見ていたTVにはニンテンドーの3Dゲーム発売に並ぶ長い列が映し出されていた。人間の視覚機能への長期的な仕様による影響は大丈夫なのかと他人事ながら心配になる。電車の中での暇つぶしにゲーム機にかじりついている人たちを眺めていると、老眼になる前に何か視覚障害が生じるかも知れないのにと思ってしまう。電車の中では新聞か文庫本を読むものだという年齢層に特殊化した価値観で、判断していることをどこかで自覚しながらの心配である。
さて、話は戻るがもう20年以上もやっている水泳でいつも感じていることがある。泳ぐと決めた距離の4割程度を消化のあたりが一番辛い、(今日は体調が悪そうだ、夕べ飲んだからあまり泳ぐと身体に悪いかも、などの悪魔の声が聞こえる距離なのだ)。止めようかと思う距離である。半分を超すとずいぶん楽になり8割くらいの距離では終末努力で泳ぐことがしんどいとは思わなくなる。人生もそうかも知れないので、若い人はしんどくても続けるのが大切、と言いたくなる。何でも教訓めいたことにしたくなるのは明確な加齢効果であります。2月ももう終わりであります。
最後の仕上げには5往復水中歩行を老人達に混じってすることにしている(自分は彼らよりも少なくとも10歳は若いと思われるので、僕も老人ではあるが、格が違う人たちである)。群れをなして喋りながら水中歩行する老人(正しくは老婆)らを追い抜くことができないので、ゆっくり歩く後を付いて歩くことになる。したがって何が話題かはよく分かる(耳が遠くなるっているためか声が大きい)。今朝の僕が付いていった群(彼女らは3-4人が群をなして歩行する)の話題は、夏みかんの話で、食べ方の紹介(カルピスに漬けるなど)と皮むき器のことであった。皮むき器は全員が不評であった。あんなもの買たらいかんわ、が結論であったしかし、全員が共通に話題にできると言うことは全員が購入しているのだが。彼女らは賢明にも手で剥くのが一番といっていた。
誠に左様で、便利さや快適さを追求するということで提供される道具で長い目で見て役に立たないものは少なくない。
次の話題は新聞に出ていた胃ろうのことであった。口から食べ難くなった病人の胃に栄養物を注入するものだが、父も亡くなる少し前から胃ろうの手術をしたことを思い出した。実施するか否かの相談をされて、同意してしまったことが、果たして良かったのか、口から食べさせる手間を省く便利さを選択したのかも知れないとも考えてしまう。
帰宅後見ていたTVにはニンテンドーの3Dゲーム発売に並ぶ長い列が映し出されていた。人間の視覚機能への長期的な仕様による影響は大丈夫なのかと他人事ながら心配になる。電車の中での暇つぶしにゲーム機にかじりついている人たちを眺めていると、老眼になる前に何か視覚障害が生じるかも知れないのにと思ってしまう。電車の中では新聞か文庫本を読むものだという年齢層に特殊化した価値観で、判断していることをどこかで自覚しながらの心配である。
さて、話は戻るがもう20年以上もやっている水泳でいつも感じていることがある。泳ぐと決めた距離の4割程度を消化のあたりが一番辛い、(今日は体調が悪そうだ、夕べ飲んだからあまり泳ぐと身体に悪いかも、などの悪魔の声が聞こえる距離なのだ)。止めようかと思う距離である。半分を超すとずいぶん楽になり8割くらいの距離では終末努力で泳ぐことがしんどいとは思わなくなる。人生もそうかも知れないので、若い人はしんどくても続けるのが大切、と言いたくなる。何でも教訓めいたことにしたくなるのは明確な加齢効果であります。2月ももう終わりであります。
お別れ会に出て思うこと
一月も残すところ、3日となってしまった。いつも忙しいとは思っているが、大学人にとって一月はとりわけ忙しい。センター入試、自分の大学の入試、後期終了に伴う自分の講義の試験、卒論審査等々息つく暇もないという様相である。これらの内のいくつかは土日に予定されるので、多忙感は際だっている。予定表では土日で何も記載がないのは1日だけである。
今月は2件のお別れ会に出た。正月のブログとしては縁起が悪いというなかれ、書きたいことを書きたいときに書くのが僕の流儀ですから。もっとも、近年は強迫的になっていることで、やや負担を自覚してはいますけれど。
一つは、年末に交通事故で急逝された法人の元会長で、医療系グループの創設メンバーの一人の大規模なお別れ会であった。忘年会の帰りのタクシーが事故を起こして、その巻き添えになられたということであった。正月や次年度の予定が突然に絶たれるという形での死に方で、不運としかいいようがない。もう一件はかつて勤務していた大学の先輩のものである。両者共に80歳を超されての死であるとはいうもののまだ若いという気がしないでもない。そろそろ自分にも順番が来るのではないかという思いが浮かんだりしている。
先輩の方は、3年ほど前に受賞記念の会で出会ったときにかなり弱られているという印象を持ったことを記憶している。いわば老衰と言えそうな死に方である。学会に行く支度を急がせて「学会費が払えない」などと、家族を困らせたということであった。戦後すぐの時期に学生時代を送り、昭和30年代から大学人であった人の経済状態が偲ばれる内容であった。過日集中講義先で聞いた話では、院生のときは自分で生計が立てられたのに、国立大学に助手で採用されてしばらくは親から仕送りをしてもらわねばならなかったということであった。5歳上の先輩から聞いたものである。給料が安いと何十年も愚痴ってきたが、自分が教員になってからは親の仕送りが要るほどの低賃金ではなかったことは有り難いことで、やや反省!というところである。
先輩は仕事半ばで突然に命を絶たれたというわけではない。加齢に伴う自然な衰弱による死で、娘さんの世話になっての終末である。見方によっては幸せな死に方かもしれない。
自分で選択できる余地はないのだけれども、自分はどういう死の迎え方をするのだろうかなどの想いが、2人のお別れ会に出てから浮かんだり消えたりしている(忙しすぎて、ついに鬱症状がでたのか?という心配はいりません。早朝に原稿を書き、大学で毎日のように複数の会議に出てという日々を愚痴りながらも過ごしていますから)。
そんなときに、2005年の11月のブログに登場させている元同僚の奥さんから著書が送られてきた。彼はガンが見つかりで、数ヶ月の後に亡くなった法哲学者であった人である。裁判所の所長という超多忙な奥さんが彼の途絶したままの著作を出版に漕ぎつけられたものである(売れると嬉しいので、関心と余裕のある人は購入して下さい(「義務の体系のもとでの私法の一般理論の誕生」昭和堂です)。僕も読んでみようと思っているが、なかなか難しい。欧州での法体系が義務から権利へと変換する過程や日本の明治の法体系が作られる基本理念の解明ということが、彼がやって来た仕事(この本が3部作の最終版)のようである。この遺稿は、本書の結論の章が5行書かれたところ(181頁)で終わっている。まさに仕事の完成を目前にしての死であったことが分かり、改めて彼の無念さに思いを馳せると泣きそうになってしまう。
今月に遭遇した3人の死に方を考察すると、それぞれに一長一短があり、こうありたいと強く思うものはない。周りに迷惑をかけず、自分ももう十分というような死に方が望ましいとは思うが、何度も考えるように、自分で決められることではない。更に思索を深めねばならないのであろうが、今月は3件の原稿依頼があった。いずれも些少だが原稿料が見込める物である。研究者と見なされて原稿依頼をもらえる間は、大学での日常の仕事に加えて対応するという生活をせねばならず、深く考え込む暇がない。当面、それで良いのだ!と天才バカボンのパパ風に自分を納得させている。
今月は2件のお別れ会に出た。正月のブログとしては縁起が悪いというなかれ、書きたいことを書きたいときに書くのが僕の流儀ですから。もっとも、近年は強迫的になっていることで、やや負担を自覚してはいますけれど。
一つは、年末に交通事故で急逝された法人の元会長で、医療系グループの創設メンバーの一人の大規模なお別れ会であった。忘年会の帰りのタクシーが事故を起こして、その巻き添えになられたということであった。正月や次年度の予定が突然に絶たれるという形での死に方で、不運としかいいようがない。もう一件はかつて勤務していた大学の先輩のものである。両者共に80歳を超されての死であるとはいうもののまだ若いという気がしないでもない。そろそろ自分にも順番が来るのではないかという思いが浮かんだりしている。
先輩の方は、3年ほど前に受賞記念の会で出会ったときにかなり弱られているという印象を持ったことを記憶している。いわば老衰と言えそうな死に方である。学会に行く支度を急がせて「学会費が払えない」などと、家族を困らせたということであった。戦後すぐの時期に学生時代を送り、昭和30年代から大学人であった人の経済状態が偲ばれる内容であった。過日集中講義先で聞いた話では、院生のときは自分で生計が立てられたのに、国立大学に助手で採用されてしばらくは親から仕送りをしてもらわねばならなかったということであった。5歳上の先輩から聞いたものである。給料が安いと何十年も愚痴ってきたが、自分が教員になってからは親の仕送りが要るほどの低賃金ではなかったことは有り難いことで、やや反省!というところである。
先輩は仕事半ばで突然に命を絶たれたというわけではない。加齢に伴う自然な衰弱による死で、娘さんの世話になっての終末である。見方によっては幸せな死に方かもしれない。
自分で選択できる余地はないのだけれども、自分はどういう死の迎え方をするのだろうかなどの想いが、2人のお別れ会に出てから浮かんだり消えたりしている(忙しすぎて、ついに鬱症状がでたのか?という心配はいりません。早朝に原稿を書き、大学で毎日のように複数の会議に出てという日々を愚痴りながらも過ごしていますから)。
そんなときに、2005年の11月のブログに登場させている元同僚の奥さんから著書が送られてきた。彼はガンが見つかりで、数ヶ月の後に亡くなった法哲学者であった人である。裁判所の所長という超多忙な奥さんが彼の途絶したままの著作を出版に漕ぎつけられたものである(売れると嬉しいので、関心と余裕のある人は購入して下さい(「義務の体系のもとでの私法の一般理論の誕生」昭和堂です)。僕も読んでみようと思っているが、なかなか難しい。欧州での法体系が義務から権利へと変換する過程や日本の明治の法体系が作られる基本理念の解明ということが、彼がやって来た仕事(この本が3部作の最終版)のようである。この遺稿は、本書の結論の章が5行書かれたところ(181頁)で終わっている。まさに仕事の完成を目前にしての死であったことが分かり、改めて彼の無念さに思いを馳せると泣きそうになってしまう。
今月に遭遇した3人の死に方を考察すると、それぞれに一長一短があり、こうありたいと強く思うものはない。周りに迷惑をかけず、自分ももう十分というような死に方が望ましいとは思うが、何度も考えるように、自分で決められることではない。更に思索を深めねばならないのであろうが、今月は3件の原稿依頼があった。いずれも些少だが原稿料が見込める物である。研究者と見なされて原稿依頼をもらえる間は、大学での日常の仕事に加えて対応するという生活をせねばならず、深く考え込む暇がない。当面、それで良いのだ!と天才バカボンのパパ風に自分を納得させている。
大学の教員とは(12/24)
先週の土曜日に、来年度入学予定の高校生を相手に短い講演をした。入学前の高校生を相手に大学に入るまでの準備教育ということである。もちろん、このような企画は昔にはなかった。する必要がなかったわけで、大学に入学してくる若者は自分の力で新しい環境へ自力で取り組める能力があったのだが、最近はないことの反映である。これだけ情報がどこからでも探せる時代であり、高校生でも盛んに情報検索をしているのだから、そんなものは不要という指摘も可能であるが、「学生を選抜して入れてやる」時代から「学生に選択して頂いて、入学して頂く」時代になったのだから、このような企画をせねばならないのです。もちろん、学生を選抜して入学させる大学では、必要のない企画であることは自明であります。
入学前の準備教育の真の目的は、半年も前に大学入学が決まってしまい、遊びほうけてしまっては困るので何とかせねば、とか入学前に新しい環境に馴染ませて(友人もできそうな気にさせて)、大学に入学しようとしている高校生の心変わりを防ぎたいなどの受け入れ側の思惑もある。
先日の朝日新聞の社説に「新設大学では無責任に社会人になれそうにもない若者を卒業させて社会に放出している」という類の記事があった。無責任にという言葉には、現在の大学の実態、そしてこのような結果をもたらしてしまった文教政策の進め方にメディアは責任が皆無であるかのようで、記者の表現には呆れた。だが、世間では大学が最終的な責任を取れということのようである。私の勤める大学でも何か取り組まないとすまないというのが現状で、入学前教育をしなければならないのである。
ともかく、僕は教育開発支援センター長ということになっているので、我が部署が企画し、実施したのである。2回大学に来てもらう計画の第1日目が先週の土曜日であった。企画の詳細は企業秘密の部分もあるので(よその大学には取られたくない、特注の企画がある、知りたい人は、誰か知り合いを入学させて下さい)触れないことにする。僕はそこでの短い講演のために、「大学とは何か」、「大学の教員とは何か」などなど少し勉強した。せっかくなので、「大学の教員とは何か」の部分だけ紹介しようというのがこのコラムの目的である。どうも最近は前置きが長い(教師と老人と坊さんが話の長いベストスリーということだから当然だけどネ)。
ドイツをはじめとするヨーロッパの大学を除いて、大学教員には具体的な資格規定がないことが多い。我が国でも高校までは教員資格の規定があり検定があるが、大学ではない。そのような場合に大学の教員はどのような仕組みで選ばれるのかの問題である。一応、大学でも、教授は学位があるか一定の研究業績があり教育歴が××年、云々のおぼろげなものがそれぞれの大学内規にあるが、客観的基準ではないので、規制緩和の時代風潮から企業人や官僚などが大学教員になっている(教育はともかく、研究指導は無理な人が多いと聞く)。
大学は教育と研究をすることが目的で、研究という部分だけがそれ以下の学校にはない。以下と書いたがどの国の高等教育システムでも大学が頂点になっている。そこで、研究ができる人を判断する目安は何かが重要になる。
研究とは、「未知のことを探ることをする行為である」。「存在しないものを作り出す行為を指すものと定義できる」と講演では話した。しかし、その行為は興味関心が一致する仲間内で了解される手続きを踏んでいることが求められる、とも話した。仲間内とは学会と考えるのが至当であり、自分の行った研究が学会誌に掲載されることで仲間内からその研究は妥当であると承認されるのである。したがって、学会誌に論文が掲載されることが研究している人、できる人の通行証なのである。(我が大学ではみんな大丈夫だと、よく知らないままに言ってしまったので、間違っていたら入学後に謝るしかない)。
読者に若い研究者が多いと想定して書くのだけれども、世間が大学は無責任に一人前でない若者を社会に放出している、などの指摘がそのうち蔓延し始める可能性が高い。そんなところに税金を配分するなと言い出す頃には、大学は大学の教員足るべき人で成り立っているか、カリキュラムは大学教育たり得ているか、という点に矛先が向けられる可能性がある。大学教員とは何かを規定されるときには教育に熱心です、だけではなく研究できていますが問われることだろう。一日二日で学会誌論文は創れない。準備に怠りなくということである。
もう師走も残すところを10日ほどになりました。月一回のペースでコラムを書くこととしばらく大学教員でありたいので、研究をしているか、の評価規準では今年は合格!ということにして(自分の力だけでないことは了解していますヨ)、新年を迎えたいと思います。読者の皆さんも来年がよい年でありますように。
入学前の準備教育の真の目的は、半年も前に大学入学が決まってしまい、遊びほうけてしまっては困るので何とかせねば、とか入学前に新しい環境に馴染ませて(友人もできそうな気にさせて)、大学に入学しようとしている高校生の心変わりを防ぎたいなどの受け入れ側の思惑もある。
先日の朝日新聞の社説に「新設大学では無責任に社会人になれそうにもない若者を卒業させて社会に放出している」という類の記事があった。無責任にという言葉には、現在の大学の実態、そしてこのような結果をもたらしてしまった文教政策の進め方にメディアは責任が皆無であるかのようで、記者の表現には呆れた。だが、世間では大学が最終的な責任を取れということのようである。私の勤める大学でも何か取り組まないとすまないというのが現状で、入学前教育をしなければならないのである。
ともかく、僕は教育開発支援センター長ということになっているので、我が部署が企画し、実施したのである。2回大学に来てもらう計画の第1日目が先週の土曜日であった。企画の詳細は企業秘密の部分もあるので(よその大学には取られたくない、特注の企画がある、知りたい人は、誰か知り合いを入学させて下さい)触れないことにする。僕はそこでの短い講演のために、「大学とは何か」、「大学の教員とは何か」などなど少し勉強した。せっかくなので、「大学の教員とは何か」の部分だけ紹介しようというのがこのコラムの目的である。どうも最近は前置きが長い(教師と老人と坊さんが話の長いベストスリーということだから当然だけどネ)。
ドイツをはじめとするヨーロッパの大学を除いて、大学教員には具体的な資格規定がないことが多い。我が国でも高校までは教員資格の規定があり検定があるが、大学ではない。そのような場合に大学の教員はどのような仕組みで選ばれるのかの問題である。一応、大学でも、教授は学位があるか一定の研究業績があり教育歴が××年、云々のおぼろげなものがそれぞれの大学内規にあるが、客観的基準ではないので、規制緩和の時代風潮から企業人や官僚などが大学教員になっている(教育はともかく、研究指導は無理な人が多いと聞く)。
大学は教育と研究をすることが目的で、研究という部分だけがそれ以下の学校にはない。以下と書いたがどの国の高等教育システムでも大学が頂点になっている。そこで、研究ができる人を判断する目安は何かが重要になる。
研究とは、「未知のことを探ることをする行為である」。「存在しないものを作り出す行為を指すものと定義できる」と講演では話した。しかし、その行為は興味関心が一致する仲間内で了解される手続きを踏んでいることが求められる、とも話した。仲間内とは学会と考えるのが至当であり、自分の行った研究が学会誌に掲載されることで仲間内からその研究は妥当であると承認されるのである。したがって、学会誌に論文が掲載されることが研究している人、できる人の通行証なのである。(我が大学ではみんな大丈夫だと、よく知らないままに言ってしまったので、間違っていたら入学後に謝るしかない)。
読者に若い研究者が多いと想定して書くのだけれども、世間が大学は無責任に一人前でない若者を社会に放出している、などの指摘がそのうち蔓延し始める可能性が高い。そんなところに税金を配分するなと言い出す頃には、大学は大学の教員足るべき人で成り立っているか、カリキュラムは大学教育たり得ているか、という点に矛先が向けられる可能性がある。大学教員とは何かを規定されるときには教育に熱心です、だけではなく研究できていますが問われることだろう。一日二日で学会誌論文は創れない。準備に怠りなくということである。
もう師走も残すところを10日ほどになりました。月一回のペースでコラムを書くこととしばらく大学教員でありたいので、研究をしているか、の評価規準では今年は合格!ということにして(自分の力だけでないことは了解していますヨ)、新年を迎えたいと思います。読者の皆さんも来年がよい年でありますように。
南澪会の打ち上げ会(11/14)
ナンレイカイと読む。レイは澪つくしのことで旧大阪商科大学の校章にもある水の都大阪のシンボルなのである。大正時代にルーツがある男声合唱団のOBが会員で、そこが運営している南澪会合唱団の演奏会があった。僕は練習に出られる日常ではないので幽霊会員(会費を払っているのでサポーターかも)である。これでも現役時代はバリトンとセカンドテナーのパートのメンバーで、結構熱心に活動していたのである。
昨夜は勤務大学で卒業生の集いが4時近くまであったので、打ち上げ会だけに参加した。ステージには立たないが打ち上げ会だけ参加というメンバーと連絡していたので同類も要るわけである。自分がステージに立たないのでメールで送信される練習案内もいい加減に見ていたのだが、今回はOB合唱団設立70周年記念(現在の勤務校が2012年70周年と横断幕を建物に張っているがそれよりも前からの歴史がある戦前からのものであることを知った)ということで、東京南澪会と大阪南澪会の合同ステージであったらしい。打ち上げには100人強が来ていた。ステージはたいした熱気であったとは、紅一点の専属の元アナウンサー司会者の女性の言である。
80歳代の参加者も居られたが面識はないので当然先輩と後輩前後7年ほどの参加者と言葉を交わすことになる。高度成長の恩恵をいっぱい受けた人と、その崩壊の後始末の余波を被った人とから成る世代である。もう名刺を持ち歩く人は少なくなり合唱を楽しんでいる人が大半である。昭和45年頃までの大学生はまだ、いわゆる旧制の大学の雰囲気を味わうことが出来た世代で、エリートという自負心を持って人生の大半を過ごせた幸せな部類であろう。かく言う自分もその末端に位置する世代かも知れない。
会場は移動する隙間もなかなか探せないという状態ではあったが、卒業以来の先輩や後輩と言葉を交わしあうことができた。日頃若い学生ばかりと過ごしているので帰って新鮮もあり、気分は高揚する。自分からは全く誰かが同定できない人が「はった君!」と手を差し伸べることが多かったのは、自分の容姿が学生時代と大きく変わらないことか、僕の記憶力が低下しているかのどちらかであるが、前者とする方が悩まなくてよい。元気な人だけが来られるということでもあるが、誰一人お腹のでている人は居なかった。腹筋を使うことや発声器官の機能維持には望ましいことは言うまでもないが、同学年の指揮者からは、腹をなでられ「練習に来いよと」しつこく誘われるものの当面は無理である。まだ、当分行けそうな勤務状態ではないが、腹の出具合を指摘されると気持ちが揺らがないでもない。
打ち上げ会は時間の半分以上が歴代の指揮者による愛唱歌の合唱の連続である。歌っているか会話をしているかのどちらかで、飲み食いしている暇はない。次々と全員が歌う訳だが、演奏会に向けて練習して来た連中のようには声は出ないし、歌詞は時々おぼろげである(時期によって違うパートを歌っていたためでもあるのですが)。もう一度正確に歌えるようになりたいと思ったのであろうか、帰りの電車や車の中では知らず知らずのうちに記憶から歌詞を検索しようとする自分があった。
打ち上げ会だけの参加であったが45年前の昔にしばし戻り、前頭葉・辺縁系機能を活動させることができたことになる。このようなエピソード記憶を有しているのは幸せなことであるとも実感した。
午後の学科の集いでもピザやケーキ、サンドイッチなどは出たのだが、170名を越す若い女性の旺盛な食への活動に圧倒されてあまり食べられず、打ち上げ会でもほとんど食べられずじまいであった。帰ってからお茶漬けを所望せざるを得ず、嫌がられたことでありました。
昨夜は勤務大学で卒業生の集いが4時近くまであったので、打ち上げ会だけに参加した。ステージには立たないが打ち上げ会だけ参加というメンバーと連絡していたので同類も要るわけである。自分がステージに立たないのでメールで送信される練習案内もいい加減に見ていたのだが、今回はOB合唱団設立70周年記念(現在の勤務校が2012年70周年と横断幕を建物に張っているがそれよりも前からの歴史がある戦前からのものであることを知った)ということで、東京南澪会と大阪南澪会の合同ステージであったらしい。打ち上げには100人強が来ていた。ステージはたいした熱気であったとは、紅一点の専属の元アナウンサー司会者の女性の言である。
80歳代の参加者も居られたが面識はないので当然先輩と後輩前後7年ほどの参加者と言葉を交わすことになる。高度成長の恩恵をいっぱい受けた人と、その崩壊の後始末の余波を被った人とから成る世代である。もう名刺を持ち歩く人は少なくなり合唱を楽しんでいる人が大半である。昭和45年頃までの大学生はまだ、いわゆる旧制の大学の雰囲気を味わうことが出来た世代で、エリートという自負心を持って人生の大半を過ごせた幸せな部類であろう。かく言う自分もその末端に位置する世代かも知れない。
会場は移動する隙間もなかなか探せないという状態ではあったが、卒業以来の先輩や後輩と言葉を交わしあうことができた。日頃若い学生ばかりと過ごしているので帰って新鮮もあり、気分は高揚する。自分からは全く誰かが同定できない人が「はった君!」と手を差し伸べることが多かったのは、自分の容姿が学生時代と大きく変わらないことか、僕の記憶力が低下しているかのどちらかであるが、前者とする方が悩まなくてよい。元気な人だけが来られるということでもあるが、誰一人お腹のでている人は居なかった。腹筋を使うことや発声器官の機能維持には望ましいことは言うまでもないが、同学年の指揮者からは、腹をなでられ「練習に来いよと」しつこく誘われるものの当面は無理である。まだ、当分行けそうな勤務状態ではないが、腹の出具合を指摘されると気持ちが揺らがないでもない。
打ち上げ会は時間の半分以上が歴代の指揮者による愛唱歌の合唱の連続である。歌っているか会話をしているかのどちらかで、飲み食いしている暇はない。次々と全員が歌う訳だが、演奏会に向けて練習して来た連中のようには声は出ないし、歌詞は時々おぼろげである(時期によって違うパートを歌っていたためでもあるのですが)。もう一度正確に歌えるようになりたいと思ったのであろうか、帰りの電車や車の中では知らず知らずのうちに記憶から歌詞を検索しようとする自分があった。
打ち上げ会だけの参加であったが45年前の昔にしばし戻り、前頭葉・辺縁系機能を活動させることができたことになる。このようなエピソード記憶を有しているのは幸せなことであるとも実感した。
午後の学科の集いでもピザやケーキ、サンドイッチなどは出たのだが、170名を越す若い女性の旺盛な食への活動に圧倒されてあまり食べられず、打ち上げ会でもほとんど食べられずじまいであった。帰ってからお茶漬けを所望せざるを得ず、嫌がられたことでありました。
習慣を作らねば
相変わらずの忙しい日々を過ごしているせいで、今月分のコラムが書けていなかった。忙しかったけれど、今月の初めころには、締め切りまでにこなせるのだろうかと案じていたいくつかの事柄を何とかやり終えることができた(エライ!)。たとえば、科学研究費補助金の申請、学術振興会の審査コメントの提出、幹事が回ってきていた新年会の段取り、翻訳をしないかという出版社との対応など、大学の日常生活のdutyに加えての事柄であったので、生活リズム(朝早めに起きて作業する)を昔風に戻すことで対応できた。仕事の要領が分かってきて作業効率が良くなっているのか、あるいはいい加減になっているのか定かではないが、最終的には、予想よりも早いスピードでこなすことが出来た。もっとも、いつまでこんな風にせねばならないのかいつ辞めればよいのかを探らねばと思いつつであるが。申請書でも審査コメントでも練習をしてきた過去経験があるので早くできたのだろうと、習慣の大切さを確認したことである。
併せて、思うのは指導学生の学習習慣能力の低下である。苦悩しているのは大学でのdutyである16名の卒論指導である。テーマを決めて関連文献を探し、読んでまとめ(レジュメ)を作成する過程が、こなせない。まとめが書けない。文献を探すやり方は何度説明してもしないわからない(ゼミ室ではインターネット接続がないので、具体的操作レベルの指導はできないのも原因かもしれない)。データベースという単語を何度説明したことか、検索の方法を何度説明したか、来年は数えてみようかと思うくらいである。とにもかくにも一編の論文を読めば、検索のキーワードへのあたりがつくのだが、最後まで読むことができないようである。だから、まとめが作れない。論文を探せと言っても、ページ数が多いものは避けようと短い学会発表の抄録を読もうとする。査読論文とはどういうものかを何度説明せねばならないかも数えておかねばなるまい。昨年の経験から4月段階から卒論テーマを検討させ7月の採用試験までに決定として計画書を提出させたのだが、10月が終わる段階では、結局昨年と進み方は差がない。
なるべく楽をしようとし、ゼミがあるにもかかわらず、バイトを入れてしまった、ひどい場合は海外旅行に行っていたなどという。時に叱り呆れ、なだめながらであるが、考えられない、信じられない、と嘆いても(実際外言化しても)、学生達には自分がまずい状態にあることの認識にはつながらないようである。恐るべき楽観さ、自己能力の評価というしかないことが常態化している。もちろん、全員がそうというわけではない。中には順当に作業が進む学生がいるが、過半数には達しない。
プランを自分で作成し、それを実行していくという、ときどき派遣される研修で何度も耳にするPDCAサイクルを回してなどという習慣(仕事を進める学習過程の習慣)は少なくとも僕のゼミの大半の学生にはない。
何が原因なのだろうか?これは、受験勉強をさせない中学、高校に原因の多くがあるのかもしれないと思う(これは、実は実習校をめぐった時の校長先生の見解でもある)。ゼミの学生のほとんどが、大学に入るまですべて推薦入学で済ましてきている。思いもよらないことで驚いてしまった。受験勉強をしなくても、学校にまじめに通っていれば、推薦入学が可能なのだそうである。超有名校は別にして、生徒数の激減している今日、私学も多くの公立校も生徒数を確保するために、学力試験で選抜(競争)されなくて関門をクリアできるのである。
受験勉強はPDCAを自分なり進める経験を生むのだが、そのような過去経験がないと獲得されない能力のはずで、僕のゼミの学生にはないのだろう。
4年生になると社会に出る際には必ず採用試験があるが、学生はその準備の仕方が分からないという。何をしたらよいのかを聞きに来た学生も何人かいた(この子たちは自覚があるので、前途はなんとか開けそうであるが)。
呆れて放置することも職業柄出来ないので、何とか大学入学時から改めて毎日コツコツ学習する習慣を付けるように対策を思案中である。僕が担当している教育開発支援センターの仕事としての試作プロジェクトが12月から稼働し始める。上手くいかないかもしれないので、ここでの紹介は先延ばしにしたい。上手くいけばビジネスにつながる可能性が大きいが、自分で会社をつくろうなどとは思っていない。
かく左様に、日々を過ごしているわけですが、原稿を書く習慣を身につけて(剥がしがたくて難儀している?)いるので、今月もペースを破らずにコラムが書けたわけです(誰も褒めてはくれませんが)。
併せて、思うのは指導学生の学習習慣能力の低下である。苦悩しているのは大学でのdutyである16名の卒論指導である。テーマを決めて関連文献を探し、読んでまとめ(レジュメ)を作成する過程が、こなせない。まとめが書けない。文献を探すやり方は何度説明してもしないわからない(ゼミ室ではインターネット接続がないので、具体的操作レベルの指導はできないのも原因かもしれない)。データベースという単語を何度説明したことか、検索の方法を何度説明したか、来年は数えてみようかと思うくらいである。とにもかくにも一編の論文を読めば、検索のキーワードへのあたりがつくのだが、最後まで読むことができないようである。だから、まとめが作れない。論文を探せと言っても、ページ数が多いものは避けようと短い学会発表の抄録を読もうとする。査読論文とはどういうものかを何度説明せねばならないかも数えておかねばなるまい。昨年の経験から4月段階から卒論テーマを検討させ7月の採用試験までに決定として計画書を提出させたのだが、10月が終わる段階では、結局昨年と進み方は差がない。
なるべく楽をしようとし、ゼミがあるにもかかわらず、バイトを入れてしまった、ひどい場合は海外旅行に行っていたなどという。時に叱り呆れ、なだめながらであるが、考えられない、信じられない、と嘆いても(実際外言化しても)、学生達には自分がまずい状態にあることの認識にはつながらないようである。恐るべき楽観さ、自己能力の評価というしかないことが常態化している。もちろん、全員がそうというわけではない。中には順当に作業が進む学生がいるが、過半数には達しない。
プランを自分で作成し、それを実行していくという、ときどき派遣される研修で何度も耳にするPDCAサイクルを回してなどという習慣(仕事を進める学習過程の習慣)は少なくとも僕のゼミの大半の学生にはない。
何が原因なのだろうか?これは、受験勉強をさせない中学、高校に原因の多くがあるのかもしれないと思う(これは、実は実習校をめぐった時の校長先生の見解でもある)。ゼミの学生のほとんどが、大学に入るまですべて推薦入学で済ましてきている。思いもよらないことで驚いてしまった。受験勉強をしなくても、学校にまじめに通っていれば、推薦入学が可能なのだそうである。超有名校は別にして、生徒数の激減している今日、私学も多くの公立校も生徒数を確保するために、学力試験で選抜(競争)されなくて関門をクリアできるのである。
受験勉強はPDCAを自分なり進める経験を生むのだが、そのような過去経験がないと獲得されない能力のはずで、僕のゼミの学生にはないのだろう。
4年生になると社会に出る際には必ず採用試験があるが、学生はその準備の仕方が分からないという。何をしたらよいのかを聞きに来た学生も何人かいた(この子たちは自覚があるので、前途はなんとか開けそうであるが)。
呆れて放置することも職業柄出来ないので、何とか大学入学時から改めて毎日コツコツ学習する習慣を付けるように対策を思案中である。僕が担当している教育開発支援センターの仕事としての試作プロジェクトが12月から稼働し始める。上手くいかないかもしれないので、ここでの紹介は先延ばしにしたい。上手くいけばビジネスにつながる可能性が大きいが、自分で会社をつくろうなどとは思っていない。
かく左様に、日々を過ごしているわけですが、原稿を書く習慣を身につけて(剥がしがたくて難儀している?)いるので、今月もペースを破らずにコラムが書けたわけです(誰も褒めてはくれませんが)。
何か変だな(9/10/10)
相変わらず忙しい。過去4週間ほどの間に北海道に2回出張した。学会に2つ出て、さらに集中講義を3日間済ませ、授業はないがいくつもの大学での会議に出てという日常である。今日予定されている学会の座長も取り消してもらって大学での行事への参加という有様で、書きかけの論文を完成するなどという余裕はない。
さて、「何か変だな」と思うことが時々ある。だが、歳のせいか何日も引きずることは少なくなっている。集中講義先で先輩にいっぱいご馳走になった折りも、お互い年をとったせいか抑制が効きづらくなり、「会議では言わなくても良いことまで言ってしまう」、「大事と思うこともまあどうでもいいかと先伸ばしにしてしまう」とお互いの言質を「同感、同感」と慰めあっていた。
そう言えば、この大学に居られた発達心理学の碩学であった岡本夏木先生は「子どもを育てることの意味は、“まあ、こんなものか”、“思うようにはいかん”ことを親が悟れることである」と言っておられたのを憶い出す。我々2人とも子持ちで、発達課題はこなしており、悟っている身である。
「何か変だな」が1週間経っても沸々と思い返されるのは先週の土曜日に東京のラジオ出演にまつわることである。大学宛に何度か電話があったという趣旨のメモがあり、再度かかって来た電話での依頼に、指定された日時は出張中ということでいったん断った。次の週にもまた連絡があり、6時40分からの早朝生番組に電話で7分間出た。番組作りも大変なのだろうと同情した。話題は相変わらずきき手の矯正の話であった。以前に神戸のラジオでも似たようなことがあったが、ぶっつけ本番であったのに対して、前日に台本が送られて来ての放送であった。大阪のTV番組にも何度か出たがたいていはきちんと台詞が書いてあるようなものではなかった。「ここで先生がしゃべる」という類いの荒っぽいものであったが、東京の民放TVもNHKの番組もきちんと台詞が入った台本が準備される。気質の違いということかも知れない。
「何か変だな」というのは、インターネットできき手を検索→八田という図式が多すぎるのではないかと思えることである。類似の番組に近年何度出たことか、というのはあながち大袈裟でもない気がしている。きき手の本(左対右 きき手大研究、化学同人)が出版され書評などがいくつか掲載されたために(その割にはこの本の売れ行きが爆発的とは行かない)、左きき、きき手のkeywordインターネット検索では僕の名前が出る。同じような質問に対して同一人の意見ばかりが流布されることになる。違う考え方の人がいるかも知れないのにと思うことがある。情報操作とまでは大袈裟なことは言わないが、似たことは起きているはずである。インターネットのせいで安易な人探しが行なわれている思いが強い。最近のTV番組は同じような顔ぶればかりが出るのでうんざりしてしまうのは僕だけではなかろう。番組制作者はインターネットに依存しすぎている、と言っておこう(まあいいか、こんなものかという悟りを制作者が持っているのかも知れない)。
今朝の散歩でも「何か変だな」と思った。というのは散歩道沿いの田んぼに突然案山子が出現していたことである。案山子など最近目にすることはなくなっていたのに、どうしたのであろうか。それも畦の両端に3体ずつ並んでいるだけで、僕はちょっと驚いたけれども、雀を驚かすことに効果的な配置でもなく、別段オドロオドロしい姿をしている訳でもない。第一、まだ稲は十分に出穂しておらず、いかにも場違いという感じであった。田んぼの持ち主は何を考えたのだろう、早めに案山子を準備しておかないと忘れてしまうから、ということなのかも知れない。そうだとしたら,きっと持ち主は僕と似た年齢に違いない。
今朝の散歩は暑い日が続く9月に入って始めて、汗をかかないものであった。着実に秋は来ているということだろう。
さて、「何か変だな」と思うことが時々ある。だが、歳のせいか何日も引きずることは少なくなっている。集中講義先で先輩にいっぱいご馳走になった折りも、お互い年をとったせいか抑制が効きづらくなり、「会議では言わなくても良いことまで言ってしまう」、「大事と思うこともまあどうでもいいかと先伸ばしにしてしまう」とお互いの言質を「同感、同感」と慰めあっていた。
そう言えば、この大学に居られた発達心理学の碩学であった岡本夏木先生は「子どもを育てることの意味は、“まあ、こんなものか”、“思うようにはいかん”ことを親が悟れることである」と言っておられたのを憶い出す。我々2人とも子持ちで、発達課題はこなしており、悟っている身である。
「何か変だな」が1週間経っても沸々と思い返されるのは先週の土曜日に東京のラジオ出演にまつわることである。大学宛に何度か電話があったという趣旨のメモがあり、再度かかって来た電話での依頼に、指定された日時は出張中ということでいったん断った。次の週にもまた連絡があり、6時40分からの早朝生番組に電話で7分間出た。番組作りも大変なのだろうと同情した。話題は相変わらずきき手の矯正の話であった。以前に神戸のラジオでも似たようなことがあったが、ぶっつけ本番であったのに対して、前日に台本が送られて来ての放送であった。大阪のTV番組にも何度か出たがたいていはきちんと台詞が書いてあるようなものではなかった。「ここで先生がしゃべる」という類いの荒っぽいものであったが、東京の民放TVもNHKの番組もきちんと台詞が入った台本が準備される。気質の違いということかも知れない。
「何か変だな」というのは、インターネットできき手を検索→八田という図式が多すぎるのではないかと思えることである。類似の番組に近年何度出たことか、というのはあながち大袈裟でもない気がしている。きき手の本(左対右 きき手大研究、化学同人)が出版され書評などがいくつか掲載されたために(その割にはこの本の売れ行きが爆発的とは行かない)、左きき、きき手のkeywordインターネット検索では僕の名前が出る。同じような質問に対して同一人の意見ばかりが流布されることになる。違う考え方の人がいるかも知れないのにと思うことがある。情報操作とまでは大袈裟なことは言わないが、似たことは起きているはずである。インターネットのせいで安易な人探しが行なわれている思いが強い。最近のTV番組は同じような顔ぶればかりが出るのでうんざりしてしまうのは僕だけではなかろう。番組制作者はインターネットに依存しすぎている、と言っておこう(まあいいか、こんなものかという悟りを制作者が持っているのかも知れない)。
今朝の散歩でも「何か変だな」と思った。というのは散歩道沿いの田んぼに突然案山子が出現していたことである。案山子など最近目にすることはなくなっていたのに、どうしたのであろうか。それも畦の両端に3体ずつ並んでいるだけで、僕はちょっと驚いたけれども、雀を驚かすことに効果的な配置でもなく、別段オドロオドロしい姿をしている訳でもない。第一、まだ稲は十分に出穂しておらず、いかにも場違いという感じであった。田んぼの持ち主は何を考えたのだろう、早めに案山子を準備しておかないと忘れてしまうから、ということなのかも知れない。そうだとしたら,きっと持ち主は僕と似た年齢に違いない。
今朝の散歩は暑い日が続く9月に入って始めて、汗をかかないものであった。着実に秋は来ているということだろう。