仕方がない
9/28日に書いたもの
9月もあっという間に終わろうとしている。最近の大学教員の9月はとくに忙しい。学会シーズンでいくつも出たい学会があるのだが、日程が重なるなどして思いは叶わない。大会参加費もバカにならないという気持ちも沸々顔を出したこともあって、今年の9月は日本神経心理学会だけ参加した。日程が重なって1日しか出られない心理学会は不参加とした。海外へ出かけて出席できないということは過去にもあったが、自主的な不参加は記憶にない。面倒くさいという気持ちに、「一日だけで大会参加費を払うのはもったいないなどの気持ち(参加費は自分の懐から出さなくてもよいのに)」、「翌日からの週末に予定が入っており身体もしんどい」から、で合理化してしまった。加齢のなせる仕業なのだ、「仕方がない」という自覚もある。
神経心理学会は役員会に出ねばならないこと、今年で任期が切れ定年となって役職から解放されると暑い宇都宮にでかけた(規定では名誉会員にしてくれそうなので次回から参加費を払う必要がなくなるはずであったが、残念ながらもう1年役員を続けるはめになった)。
一緒に夕ご飯を食べる知人の姿もなかったので、「宇都宮餃子」なるものを2個所で食べた(それぞれ味はかなり違ったが、生まれて初めて食べた餃子が珉珉の餃子なので、それほど美味とも思わなかった。味覚とは初期体験に規定される性質のものなのだろう)。
大会では2名の特別講演を聞くことができた(知人がいると飯の時間が長くなり、途中となることが少なくないが今回はそういうことはなかったのだ)。岩田誠元理事長の「音楽と脳-音楽って何」の話と酒井邦嘉東大教授の「脳から見る言語の本質」の話で、さすがに手慣れたもので上手な出来映えであった。頭のよい人の講演は構成がよいことと、プレゼンテーションが上手なことが特徴である。場数を踏めば上達するのかも知れないが、二人とも聴衆をエンタテインさせようとする気持ちが伝わるものであった。僕も授業ではネタを仕込んで笑わせようと試みてはいるが、とても敵わないと自覚したことであった。
岩田さんは神経内科医であるが、現在楽器のプロ演奏家として演奏旅行のようなこともやっているということであった。芸術に造詣が深く「絵と脳」や「音楽と脳」などの著書もある人である。以前に、昭和14、5年の戦時中の頃の写真で幼児の岩田さんが蝶ネクタイ姿でバイオリンを弾いている写真を見せてもらったことがある。東京の真ん中でも当時そういう生活をしている家庭もあったのだなあと感心したことがある(東京は空襲で焼け野原ばかりではないことを知った)。習い事などする仲間は皆無で、鼻水を垂らしながら里山を駆け巡ったり、稲刈りを終わった田んぼで潜り込んで積み藁の山を壊して叱られていた自分の幼児期とはずいぶん違うと思ったりしたものである。
先週は小豆島の中学校に実習校挨拶に台風接近の中をでかけた。朝6時前の新幹線に乗って高松港を経ての日帰りである(台風の接近があったので、滞在時間40分ほどで帰路についた)。土庄港と高松港との間の連絡船中、「私は何をしているのだろう。これが自分のしたいことなのか」などと、自問する気持ちを抑えきれなかったのだが、岩田さんのようには行かないのは能力の違いだ「仕方がない」。
4時半頃には自宅に戻れたので、久しぶりに家庭菜園の土を耕して冬野菜を植栽すべく買い置きの腐葉土を鋤きこんだことであった。「他人が皆、我より偉く見ゆる日は、花を買い来て...」の啄木の短歌のようには落ち込んではいませんけど。
「仕方がない」という言葉には諦念(あきらめ)ばかりではなく、気持ちを切り替えて「次行こう!」という気持を生む語感を少なくとも僕は持つので、嫌な言葉ではない。このような語感が独りよがりでもないことを過日NHKでみた番組で、戦時中の米国日本人の強制収容所での生活と、そのことへの米国議会での謝罪を引き出した日系上院議員のエピソードから知ることが出来た。
TVでは放射能汚染に係わる食品の基準値を厳しくせよなどのさまざまなニュースが流される。「仕方がない」という気持ちになれない人々なのだろう。人間は何時か病気になり、必ず死ぬことを知らぬ気の振る舞いのように思える。
9月もあっという間に終わろうとしている。最近の大学教員の9月はとくに忙しい。学会シーズンでいくつも出たい学会があるのだが、日程が重なるなどして思いは叶わない。大会参加費もバカにならないという気持ちも沸々顔を出したこともあって、今年の9月は日本神経心理学会だけ参加した。日程が重なって1日しか出られない心理学会は不参加とした。海外へ出かけて出席できないということは過去にもあったが、自主的な不参加は記憶にない。面倒くさいという気持ちに、「一日だけで大会参加費を払うのはもったいないなどの気持ち(参加費は自分の懐から出さなくてもよいのに)」、「翌日からの週末に予定が入っており身体もしんどい」から、で合理化してしまった。加齢のなせる仕業なのだ、「仕方がない」という自覚もある。
神経心理学会は役員会に出ねばならないこと、今年で任期が切れ定年となって役職から解放されると暑い宇都宮にでかけた(規定では名誉会員にしてくれそうなので次回から参加費を払う必要がなくなるはずであったが、残念ながらもう1年役員を続けるはめになった)。
一緒に夕ご飯を食べる知人の姿もなかったので、「宇都宮餃子」なるものを2個所で食べた(それぞれ味はかなり違ったが、生まれて初めて食べた餃子が珉珉の餃子なので、それほど美味とも思わなかった。味覚とは初期体験に規定される性質のものなのだろう)。
大会では2名の特別講演を聞くことができた(知人がいると飯の時間が長くなり、途中となることが少なくないが今回はそういうことはなかったのだ)。岩田誠元理事長の「音楽と脳-音楽って何」の話と酒井邦嘉東大教授の「脳から見る言語の本質」の話で、さすがに手慣れたもので上手な出来映えであった。頭のよい人の講演は構成がよいことと、プレゼンテーションが上手なことが特徴である。場数を踏めば上達するのかも知れないが、二人とも聴衆をエンタテインさせようとする気持ちが伝わるものであった。僕も授業ではネタを仕込んで笑わせようと試みてはいるが、とても敵わないと自覚したことであった。
岩田さんは神経内科医であるが、現在楽器のプロ演奏家として演奏旅行のようなこともやっているということであった。芸術に造詣が深く「絵と脳」や「音楽と脳」などの著書もある人である。以前に、昭和14、5年の戦時中の頃の写真で幼児の岩田さんが蝶ネクタイ姿でバイオリンを弾いている写真を見せてもらったことがある。東京の真ん中でも当時そういう生活をしている家庭もあったのだなあと感心したことがある(東京は空襲で焼け野原ばかりではないことを知った)。習い事などする仲間は皆無で、鼻水を垂らしながら里山を駆け巡ったり、稲刈りを終わった田んぼで潜り込んで積み藁の山を壊して叱られていた自分の幼児期とはずいぶん違うと思ったりしたものである。
先週は小豆島の中学校に実習校挨拶に台風接近の中をでかけた。朝6時前の新幹線に乗って高松港を経ての日帰りである(台風の接近があったので、滞在時間40分ほどで帰路についた)。土庄港と高松港との間の連絡船中、「私は何をしているのだろう。これが自分のしたいことなのか」などと、自問する気持ちを抑えきれなかったのだが、岩田さんのようには行かないのは能力の違いだ「仕方がない」。
4時半頃には自宅に戻れたので、久しぶりに家庭菜園の土を耕して冬野菜を植栽すべく買い置きの腐葉土を鋤きこんだことであった。「他人が皆、我より偉く見ゆる日は、花を買い来て...」の啄木の短歌のようには落ち込んではいませんけど。
「仕方がない」という言葉には諦念(あきらめ)ばかりではなく、気持ちを切り替えて「次行こう!」という気持を生む語感を少なくとも僕は持つので、嫌な言葉ではない。このような語感が独りよがりでもないことを過日NHKでみた番組で、戦時中の米国日本人の強制収容所での生活と、そのことへの米国議会での謝罪を引き出した日系上院議員のエピソードから知ることが出来た。
TVでは放射能汚染に係わる食品の基準値を厳しくせよなどのさまざまなニュースが流される。「仕方がない」という気持ちになれない人々なのだろう。人間は何時か病気になり、必ず死ぬことを知らぬ気の振る舞いのように思える。
今年の夏は特別?
8月に普段にはない集まりが2回あった。今年の8月は特別なのである。
一つは大学時代のグリークラブの同期と1年先輩らメンバーの集まり、もう一つは35年ほど前にアルバイトをしていた神経科のスタッフとの集まりである。共通項は、それぞれの集まりに東日本大震災の被災者(重篤な被害ではないので、まだ避難所にいる人たちと同じ語彙で括ってよいのかは心配だが)が含まれていることである。
グリークラブの同期や年齢が近いメンバーの集まりはたびたびこれまでにもあり、会社務めが一段落した年齢の頃にはグループ旅行などもしているが、今回は違ったメンバーとなった。名取市に住んでいる1年先輩がいるのだが、あの津波の映像を眼にしたグリーメンは、一様に彼は死んだのではないかと考えたのである(集まりでは異口同音にそう言っていた)。ところが、無事であること、高台の住まいであったために被害も少なかったことが判明すると、急に集まろうという連絡が来たのである。この種の集まりが苦手という先輩も卒業以来始めて顔を出した。集まりでは地震の話は少なめで、むしろ昔の信州での合宿や演奏旅行の話で盛り上がった。皆無事で良かったなどという外言化はされなかったが皆そう思っていたはずである。エピソード記憶を共有できる仲間が元気でいることは嬉しいことである。
もう一つの集まりは78歳を先頭に元看護師や事務の女性4名での集まりであった。わざわざ仙台の大学にいる友人が、以前から何度か呼びかけを受けても(関西に講義に来ている時期に)参加しなかった人で、今回は自分から呼びかけて来たということであった(冷たい人だねえとの声も以前にはあったのだが)。彼は、住宅自体に被害はなかったが、ガソリンを入れるのに早朝4時過ぎから並んで、380数番目に20リットルを入れることが出来たなどを話すのであった。人が群れ集まるのを好まない友人であったはずなのに、変わったなと思ったことであった。
今回の大惨事は、特別なストレスであり、人を変えたのである。自分の生死に関わる事柄を実体験すると人は変わり、昔あったはずの絆を確かめる習性があるのだろう。
今回の大惨事のために両親を失った子どもの映像を見ることが何度かあったが、強く感じたことは、子どもの顔ではない、大人の顔をしているという思いであった。この思いは、NHKのBSテレビで長時間放映していた66年前の戦争関連の番組での孤児の画像でも強く感じた。今の子どもとははっきり違う大人の表情なのである。
強烈なストレスがあると、子どもも大人も人間はしっかりする、真検に生きようと考える、そのことが子どもの顔を大人の顔に変えてしまうのだと、単純に思い浮かんだだけの自分の仮説に頷いていた。
最近臨床心理学で取り上げられ始めたリジリエンスなる概念はまさにこのことに係わる話題なのだろう。メンタルに脆弱な学生が多くなっていることを見聞きすると彼らには強烈なストレスが必要なのではないかと、危険な仮説も浮かび上がる。
とにかく、「失うことは、辛いがそれは何かを獲得させてくれる」のである。また逆に、「何かを獲得したと有頂天になっていると、何かを失っていく」ということのなのではないだろうか。
自らを振り返らねばと、この特別な夏に感じている私なのであります。
一つは大学時代のグリークラブの同期と1年先輩らメンバーの集まり、もう一つは35年ほど前にアルバイトをしていた神経科のスタッフとの集まりである。共通項は、それぞれの集まりに東日本大震災の被災者(重篤な被害ではないので、まだ避難所にいる人たちと同じ語彙で括ってよいのかは心配だが)が含まれていることである。
グリークラブの同期や年齢が近いメンバーの集まりはたびたびこれまでにもあり、会社務めが一段落した年齢の頃にはグループ旅行などもしているが、今回は違ったメンバーとなった。名取市に住んでいる1年先輩がいるのだが、あの津波の映像を眼にしたグリーメンは、一様に彼は死んだのではないかと考えたのである(集まりでは異口同音にそう言っていた)。ところが、無事であること、高台の住まいであったために被害も少なかったことが判明すると、急に集まろうという連絡が来たのである。この種の集まりが苦手という先輩も卒業以来始めて顔を出した。集まりでは地震の話は少なめで、むしろ昔の信州での合宿や演奏旅行の話で盛り上がった。皆無事で良かったなどという外言化はされなかったが皆そう思っていたはずである。エピソード記憶を共有できる仲間が元気でいることは嬉しいことである。
もう一つの集まりは78歳を先頭に元看護師や事務の女性4名での集まりであった。わざわざ仙台の大学にいる友人が、以前から何度か呼びかけを受けても(関西に講義に来ている時期に)参加しなかった人で、今回は自分から呼びかけて来たということであった(冷たい人だねえとの声も以前にはあったのだが)。彼は、住宅自体に被害はなかったが、ガソリンを入れるのに早朝4時過ぎから並んで、380数番目に20リットルを入れることが出来たなどを話すのであった。人が群れ集まるのを好まない友人であったはずなのに、変わったなと思ったことであった。
今回の大惨事は、特別なストレスであり、人を変えたのである。自分の生死に関わる事柄を実体験すると人は変わり、昔あったはずの絆を確かめる習性があるのだろう。
今回の大惨事のために両親を失った子どもの映像を見ることが何度かあったが、強く感じたことは、子どもの顔ではない、大人の顔をしているという思いであった。この思いは、NHKのBSテレビで長時間放映していた66年前の戦争関連の番組での孤児の画像でも強く感じた。今の子どもとははっきり違う大人の表情なのである。
強烈なストレスがあると、子どもも大人も人間はしっかりする、真検に生きようと考える、そのことが子どもの顔を大人の顔に変えてしまうのだと、単純に思い浮かんだだけの自分の仮説に頷いていた。
最近臨床心理学で取り上げられ始めたリジリエンスなる概念はまさにこのことに係わる話題なのだろう。メンタルに脆弱な学生が多くなっていることを見聞きすると彼らには強烈なストレスが必要なのではないかと、危険な仮説も浮かび上がる。
とにかく、「失うことは、辛いがそれは何かを獲得させてくれる」のである。また逆に、「何かを獲得したと有頂天になっていると、何かを失っていく」ということのなのではないだろうか。
自らを振り返らねばと、この特別な夏に感じている私なのであります。
オークランドのレストランから家族観を考えた
あっという間に7月も終わろうとしている。7月初旬に8日間ほど国際神経心理学会でオークランドを訪れたせいか余計に短く感じてしまう。冬の国に行ったので寒かったのは当たり前であるが、町には中国人や韓国人が以前に来たときよりも増加し、日本人の数が少なくなっている印象を強く持った。どうも日本人は元気がないように海外に行ってみても伺える。
一緒に行った若い人たちと韓国焼き肉を食べたり中華料理を食べたりしたが、家族というか親戚一統を集めての食事会のような光景に遭遇し、家族意識の弱まっている日本との対比を強く感じたことであった。
儒教に関する入門書のようなものを読んで、家族意識について腑に落ちることがあったので、受け売りであるが紹介しよう。
まず、なぜ中国や韓国の人が強固な家族連帯意識を持つかである。優生学的理由から生じたのであろうが同性不婚の原則が日本にはないものとしてある。結婚しても姓が変わることはない、この何千年もの間に維持される原則は当然のことながら、一族意識や同郷意識を維持させる。
おそらく、中央アジアやインド・中東・ヨーロッパに比べて南アジアの各段に豊かな土地や雨量は農耕を育て、農耕は人出を要するために労働力としての家族メンバーの確保が重要であったのだろう。農耕に適さない土地では狩猟に重点が置かれる。獲物が限られるために、一定の年齢に達した子どもは他の土地に放逐し、そこで生きることを求める必要があるのであろう。家族メンバーの確保は不要であり、不利なことであったと推論でき、独特の家族観が生まれることになったと考えられる。
農耕は自然や気候の左右されることが大きいために、個人では何ともしようがない。太陽や樹木、滝、川、などなどをあがめる多神教を生み、最高神がいろいろな形でこの世に現れる(本地垂迹)過程が生じることも理解できる。神と人間を橋渡しする儒者(シャーマン)が生まれたのであろう。家族メンバーの確保には、シャーマニズム→祖霊信仰(招魂儀礼)→祖先崇拝(倫理)が大切で、招魂再生の儀式の誕生→祖先を祭祀にする→孝(招魂儀礼、父母への敬愛、子孫を生む)家族倫理の形成が必然となったものと考えられる。
この招魂の考え方は、儒教における死生感すなわち、「この世は楽しいところであり長く生きたい、死後も何とかして、肉体はダメでも精神(魂)この世に戻りたい」とする思想が基本にある。中央アジアやインド・中東・ヨーロッパのような農耕に適さない土地での、「この世に煩悩を持っていきることは苦痛であるので輪廻転生のサイクルから逃れ解脱したい」とする仏教や「この世の労働は苦痛であり神の国に逃れたい」とするキリスト教やイスラム教徒は異なる思想が基本にある。
生きていることは喜びである(快楽礼讃)に対して、生きていることは苦痛であるとする違いである。
家族を確保するには祖先をまつり続けることが何より大切で、そのためには子孫を絶やしてはならないとする儒教の考え方が生まれたことが了解できる。日本に儒教が入って、儒教から道教を経て朱子学として変遷したものが我が国の封建制度として定着したように思えるが、中国や韓国の歴史から考えるとごく短い時間でしかない。昨今の我が国の(自分を含めて)の家族観を振り返ってみると、戦後の米国の価値観の導入で一気に弱体する程度のものでしかなかったと言えよう。
それでも儒教的な考え方は現存しており、現在の日本で臓器移植が進まないことや血統の重視による他民族の養子の受け入れ方に欧米と大きく異なる理由と考えられる。
このような話を、担当している家族関係論で補講の時間に紹介する予定であったが、エキストラの授業時間や試験に関わりのないことには関心のない学生は2名しか参加せず、気勢をそがれた私は別な話で春学期を終えることになりました。
ニュージーランドでの食事風景から思いついて勉強した儒教と家族観の理解は自分の肥やしにはなったので、了とすることにしましょう。加地信行という高野山大・名大・阪大にいた先生が儒教に詳しいので、何を書いているのか分からないという人は加地さんの著書を購入して下さい。
明日はもう八月です。
一緒に行った若い人たちと韓国焼き肉を食べたり中華料理を食べたりしたが、家族というか親戚一統を集めての食事会のような光景に遭遇し、家族意識の弱まっている日本との対比を強く感じたことであった。
儒教に関する入門書のようなものを読んで、家族意識について腑に落ちることがあったので、受け売りであるが紹介しよう。
まず、なぜ中国や韓国の人が強固な家族連帯意識を持つかである。優生学的理由から生じたのであろうが同性不婚の原則が日本にはないものとしてある。結婚しても姓が変わることはない、この何千年もの間に維持される原則は当然のことながら、一族意識や同郷意識を維持させる。
おそらく、中央アジアやインド・中東・ヨーロッパに比べて南アジアの各段に豊かな土地や雨量は農耕を育て、農耕は人出を要するために労働力としての家族メンバーの確保が重要であったのだろう。農耕に適さない土地では狩猟に重点が置かれる。獲物が限られるために、一定の年齢に達した子どもは他の土地に放逐し、そこで生きることを求める必要があるのであろう。家族メンバーの確保は不要であり、不利なことであったと推論でき、独特の家族観が生まれることになったと考えられる。
農耕は自然や気候の左右されることが大きいために、個人では何ともしようがない。太陽や樹木、滝、川、などなどをあがめる多神教を生み、最高神がいろいろな形でこの世に現れる(本地垂迹)過程が生じることも理解できる。神と人間を橋渡しする儒者(シャーマン)が生まれたのであろう。家族メンバーの確保には、シャーマニズム→祖霊信仰(招魂儀礼)→祖先崇拝(倫理)が大切で、招魂再生の儀式の誕生→祖先を祭祀にする→孝(招魂儀礼、父母への敬愛、子孫を生む)家族倫理の形成が必然となったものと考えられる。
この招魂の考え方は、儒教における死生感すなわち、「この世は楽しいところであり長く生きたい、死後も何とかして、肉体はダメでも精神(魂)この世に戻りたい」とする思想が基本にある。中央アジアやインド・中東・ヨーロッパのような農耕に適さない土地での、「この世に煩悩を持っていきることは苦痛であるので輪廻転生のサイクルから逃れ解脱したい」とする仏教や「この世の労働は苦痛であり神の国に逃れたい」とするキリスト教やイスラム教徒は異なる思想が基本にある。
生きていることは喜びである(快楽礼讃)に対して、生きていることは苦痛であるとする違いである。
家族を確保するには祖先をまつり続けることが何より大切で、そのためには子孫を絶やしてはならないとする儒教の考え方が生まれたことが了解できる。日本に儒教が入って、儒教から道教を経て朱子学として変遷したものが我が国の封建制度として定着したように思えるが、中国や韓国の歴史から考えるとごく短い時間でしかない。昨今の我が国の(自分を含めて)の家族観を振り返ってみると、戦後の米国の価値観の導入で一気に弱体する程度のものでしかなかったと言えよう。
それでも儒教的な考え方は現存しており、現在の日本で臓器移植が進まないことや血統の重視による他民族の養子の受け入れ方に欧米と大きく異なる理由と考えられる。
このような話を、担当している家族関係論で補講の時間に紹介する予定であったが、エキストラの授業時間や試験に関わりのないことには関心のない学生は2名しか参加せず、気勢をそがれた私は別な話で春学期を終えることになりました。
ニュージーランドでの食事風景から思いついて勉強した儒教と家族観の理解は自分の肥やしにはなったので、了とすることにしましょう。加地信行という高野山大・名大・阪大にいた先生が儒教に詳しいので、何を書いているのか分からないという人は加地さんの著書を購入して下さい。
明日はもう八月です。
語彙は何処?
前期の授業で家族関係論という科目を担当している。以前からあった授業を引き継いだものである。Doll Location Testという人間関係構造認知を可能にする検査器具を開発しているので(シンボル配置技法の理論と実際、ナカニシヤ刊)臨床心理学は専門でもある。したがって、当然家族関係論は担当できるはずという学部長の判断を了として引き受けたものである。授業の準備をしていくとこの科目は社会学が基底にあることが推察できる。そこで、大学には臨床心理学科も別にあることだから家族関係認知のことは隠しておこうという気持ちも働き、自分で基本となる事項を調べつつ授業準備をしてきた。2回目の就職ともなれば、以前と同じように最も得意な専門分野の講義で済むというわけには行かないのが常である。
「家族とは何か」という定義にもとづいて、「生殖」「福祉養育」「団欒」などの基本機能を調べていくと、講義のために準備していく内容は次々と膨らんで、とても15回では足りなくなってしまう。存外楽しいものである。4年生向けの授業で社会福祉学科の学生しか取りにくい時間帯にあり、他学科学生を相手の授業で双方向の議論もできて面白いものである。
ただ、双方向と言っても近年盛んに持ち上げられるZaidel教授の講義のようにはいかない。学生への問いかけの答えは、ワンフレーズの逆の質問であったり、単なるその場での情緒的感想であったりで、論理性を欠くことは言うまでもない。また、家族とは何かなどと掘り下げて考えることがないので戸惑うのか、なかなか議論らしいものには至らない。そもそも学生は中等・高等教育でそのような訓練を受けていないのだから、一概に責めるわけにもいかないが、決定的に語彙が不足していることに気づく。学生が言うことを何かの単語で言い直すと、「そうそう、それです」という具合である。何もこれは社会福祉学科の学生に限ったことではない。先日は「先生、エントリーシートに、資質について書けってあるけど、資質って何?」と自分のゼミの学生に真顔で聞かれてしまったりする。
語彙は他人の文章を読むことでしか増えないと考えられる。日常生活での会話で用いられる語彙は、辞書の中では極めて少数である。少なくても用が足りるので日常会話からは語彙が増えることはほとんどない(表情などのノンバーバルな手がかりで、コミュニケーションの成否が分かるためであろう)。したがって、小学校で英会話の授業などをしている余裕はないはずであるが、話がそれるので止めておこう。
ただ、語彙があっても議論はできないはずで、論理的な思考や組み立てを考え出す力が必要である。こんな主張はすでに高等教育改革では盛んに議論し尽くされたところであるが、日々新たに実感することである。
先日BSニュースでフランスの大学入学資格試験(バカロレア)の哲学の問題紹介をしていた。理系の学生への問題は「テクノロジーとアートとの関係について述べよ」という類の問題だと言うことであった。こういう哲学的な問題を日常的に考える習慣があり、それを大学生の必須の素養と考え、文章化できることを入学要件に求める文化には衝撃を受けた(英国の友人は国際バカロレアの委員長をしていたので、彼を改めて見直した)。日本の大学卒では、エリート校卒で少々学力はあるといっても,このような文化背景で長い期間訓練を受けた連中と議論や交渉をすることは容易ではないはず。ハンディが大きすぎという感じである。
話を家族関係論の授業に戻すと、「団欒」機能を扱う時間であったので、昭和30年代の家族団欒があった時代背景を紹介しつつ、「豊かさとは何か?」「物質を得ることで失うものは何か?」「程よい豊かさと、程よい貧しさを追求するには今後何をすべきか?」を考えさせようとパワーポイントを30枚ほど作り、授業案を作って臨んだ。
授業計画は計画通りいかないものだが、見事に失敗した。
「団欒」が読めない。「卓袱台」、「集団就職」、「3種の神器」などなどいちいち説明がないと進めない。自分が子供時代に経験した「陽のある時間内の労働」、「家族そろっての夕食」、「農作業の区切りでの春祭り、秋祭り」、「地域での共同作業(道普請、川掃除…)」、「親戚・地域住民が集まっての宴会(車座、手拍子のある炭坑節、ソーラン節などの唱和)」などの説明に忙しく,時間切れとなってしまった。まさに共通の語彙がないとコミュニケーションは難しいことを再確認した。
そう言うわけで、興が乗れば祖母が大好きだった春日八郎の「別れの一本杉:遠い遠い、思い出しても遠い空。必ず東京へ着いたなら、便りおくれと言った娘。リンゴのような赤いほっぺのヨ-村はずれ」でも歌って見せようか、という授業計画は、不発に終わったのでありました。
如何に学生の語彙を獲得させ、論理的に表現できるようにするか?
課題は難しいが重要であり,頭の痛いことであります。
「家族とは何か」という定義にもとづいて、「生殖」「福祉養育」「団欒」などの基本機能を調べていくと、講義のために準備していく内容は次々と膨らんで、とても15回では足りなくなってしまう。存外楽しいものである。4年生向けの授業で社会福祉学科の学生しか取りにくい時間帯にあり、他学科学生を相手の授業で双方向の議論もできて面白いものである。
ただ、双方向と言っても近年盛んに持ち上げられるZaidel教授の講義のようにはいかない。学生への問いかけの答えは、ワンフレーズの逆の質問であったり、単なるその場での情緒的感想であったりで、論理性を欠くことは言うまでもない。また、家族とは何かなどと掘り下げて考えることがないので戸惑うのか、なかなか議論らしいものには至らない。そもそも学生は中等・高等教育でそのような訓練を受けていないのだから、一概に責めるわけにもいかないが、決定的に語彙が不足していることに気づく。学生が言うことを何かの単語で言い直すと、「そうそう、それです」という具合である。何もこれは社会福祉学科の学生に限ったことではない。先日は「先生、エントリーシートに、資質について書けってあるけど、資質って何?」と自分のゼミの学生に真顔で聞かれてしまったりする。
語彙は他人の文章を読むことでしか増えないと考えられる。日常生活での会話で用いられる語彙は、辞書の中では極めて少数である。少なくても用が足りるので日常会話からは語彙が増えることはほとんどない(表情などのノンバーバルな手がかりで、コミュニケーションの成否が分かるためであろう)。したがって、小学校で英会話の授業などをしている余裕はないはずであるが、話がそれるので止めておこう。
ただ、語彙があっても議論はできないはずで、論理的な思考や組み立てを考え出す力が必要である。こんな主張はすでに高等教育改革では盛んに議論し尽くされたところであるが、日々新たに実感することである。
先日BSニュースでフランスの大学入学資格試験(バカロレア)の哲学の問題紹介をしていた。理系の学生への問題は「テクノロジーとアートとの関係について述べよ」という類の問題だと言うことであった。こういう哲学的な問題を日常的に考える習慣があり、それを大学生の必須の素養と考え、文章化できることを入学要件に求める文化には衝撃を受けた(英国の友人は国際バカロレアの委員長をしていたので、彼を改めて見直した)。日本の大学卒では、エリート校卒で少々学力はあるといっても,このような文化背景で長い期間訓練を受けた連中と議論や交渉をすることは容易ではないはず。ハンディが大きすぎという感じである。
話を家族関係論の授業に戻すと、「団欒」機能を扱う時間であったので、昭和30年代の家族団欒があった時代背景を紹介しつつ、「豊かさとは何か?」「物質を得ることで失うものは何か?」「程よい豊かさと、程よい貧しさを追求するには今後何をすべきか?」を考えさせようとパワーポイントを30枚ほど作り、授業案を作って臨んだ。
授業計画は計画通りいかないものだが、見事に失敗した。
「団欒」が読めない。「卓袱台」、「集団就職」、「3種の神器」などなどいちいち説明がないと進めない。自分が子供時代に経験した「陽のある時間内の労働」、「家族そろっての夕食」、「農作業の区切りでの春祭り、秋祭り」、「地域での共同作業(道普請、川掃除…)」、「親戚・地域住民が集まっての宴会(車座、手拍子のある炭坑節、ソーラン節などの唱和)」などの説明に忙しく,時間切れとなってしまった。まさに共通の語彙がないとコミュニケーションは難しいことを再確認した。
そう言うわけで、興が乗れば祖母が大好きだった春日八郎の「別れの一本杉:遠い遠い、思い出しても遠い空。必ず東京へ着いたなら、便りおくれと言った娘。リンゴのような赤いほっぺのヨ-村はずれ」でも歌って見せようか、という授業計画は、不発に終わったのでありました。
如何に学生の語彙を獲得させ、論理的に表現できるようにするか?
課題は難しいが重要であり,頭の痛いことであります。
春野菜始末記
しばらく家庭菜園(大げさ?)のことを記載していないので、気が多い人間である私の性格を知る人にはもう辞めていることだろうと思っている向きがあるといけないので、野菜作りしつこく継続中のメッセージを書いておきます。面倒くさいと思うこともあるのは事実なのですが、以外と根気もあるのです。
先週、大いに期待したスナップエンドウの蔓をため息混じりにたぐり,石灰を撒いて土地を消毒中です。大いに期待したというのは、はじめて植えること、とにかく豆類は失敗がないという声を何人からも聞いたのです。2回に分けて7本の苗を購入しました。2月頃には背丈ほどに順調に生育が進み、きっと一度に沢山収穫できるので誰にあげるかを順番まで頭に置いていたのですが、2度ほど2センチほどの積雪に見舞われ、おそらくその影響でしょう,次第に4本が元気を無くし、遭えなく枯れてしまいました。
朝の散歩で見かける観察学習先の畑のエンドウに当時は特別雪囲いもしていなかったので少しくらいの寒さには耐えるのだろうと油断したのが間違いでした。僕のエンドウは少し早くから植えていたので、育ちすぎ,雪に弱かったのが失敗の原因かも知れません(若い頃に順調な人間はトラブルに弱いものです)。辛うじて残った2本からお茶碗3杯分くらいの収穫はありましたが,惨敗というところが正しい評価でしょう。最後に蔓を引き抜くとその2本の根元も貧相で,豆類は簡単というのは嘘かも知れません。スナップエンドウより2週間ほど後に植えた空豆は,以外と順調な方ですが、未だ収穫は天ぷらの具にするからとせっつかれた4さやほどちぎっただけです。もう少し太らすつもりでいますが、虫に食われるのが先ではないかと言う者もいるので毎日のように収穫時期をチェックしています(事実。ナメクジの子どもを発見し,2晩ほどは夜、懐中電灯の明かり下で1センチにも満たないナメクジを1ダースほど退治しました)。
空豆など簡単!という人が多いのですが、10日ほど前には突然柔らかい葉先の方にアブラムシらしきものを発見し3度ほど消毒をして何とか生育を保障しています。以外と手がかかるので、豆は簡単と言ったのは誰だと言いたくなります。
空豆はそれほど好きな食べ物ではなかったので,栽培はしてこなかったのです。子どもの頃のおやつに炒った空豆を沢山食べて育ったので食傷気味なのかも知れません。子どもの歯にも硬いし甘みもそれほどない、噛むことで唾液を分泌させて空腹を誤魔化すのが重要だったのでしょう。ともかく、子どもの頃に乾燥していない空豆など食べた記憶がないのですが、数年前に祇園の或る店(友人が連れて行ってくれたので常連ではありません)で、鞘ごと生の空豆を炭火で焼いたものを食してから美味いと思うようになりました。蒸し焼き状態になったものを取り出し、岩塩を振りかけフウフウ言ってビール共に流し込むとけっこう美味いのです。そのときの空豆サイズまでは何としても大きくしたいと育つのを見守っているところです。
春野菜としてニンジンとラディッシュ、ミニ赤カブも植えましたが,60点というところです。ニンジンは間引いてその若葉を2-3度かき揚げの具にしました。これは香りも強く葉も柔く好評でしたが、本来のニンジンである根の部分は人差し指大の太さまでが関の山でした。土も購入し、新しい床で頻回に有機肥料を足したのですが、スーパーで売っているニンジンとは品種が違うとしか思えない状態でした。ラディッシュ、ミニ赤カブは予想通りの出来でしたけど。
夏野菜として、キュウリ、トマト、シシトウ、オクラ、ゴーヤを今日までに植えてあります。やっぱりトマトが一番栽培しやすいと3種類の苗6本が成育中です。買ってきて植えた翌日に茎が一本折れていたので、何かが当たり折れたのだと考えていたら、翌日隣のオクラの茎が折れており、夜盗虫であることを直観しました。その夜見張る中に現れた3センチほどの虫を逮捕しました。もっといるに違いないとは思うのですが、その後被害はありません(野菜作りは夜の作業も欠かせません)。折られてしまったトマトの苗は450円もするサントリー農園?の新品種なので,悔しくて念のためと土に埋めておいたら、再生して10センチほどに育っています。同期の苗の半分の大きさにも足りませんが、東北もがんばっているから挫けるなと、毎朝声かけをしているところです。
斯く左様に,野菜作りは持続していますが、悲喜こもごもと言うより野菜や気候に弄ばれているというところです。自然には逆らえないなあと、地震以降日本人の根本にある心性を強化させられる野菜作りであります。
今朝の観察でもまだ空豆の大きさが僕の規準に満たないので、まだ焼きたてをフウフウとは行きません。もっとも、それまでビールを絶って待つというわけにはいきません。
先週、大いに期待したスナップエンドウの蔓をため息混じりにたぐり,石灰を撒いて土地を消毒中です。大いに期待したというのは、はじめて植えること、とにかく豆類は失敗がないという声を何人からも聞いたのです。2回に分けて7本の苗を購入しました。2月頃には背丈ほどに順調に生育が進み、きっと一度に沢山収穫できるので誰にあげるかを順番まで頭に置いていたのですが、2度ほど2センチほどの積雪に見舞われ、おそらくその影響でしょう,次第に4本が元気を無くし、遭えなく枯れてしまいました。
朝の散歩で見かける観察学習先の畑のエンドウに当時は特別雪囲いもしていなかったので少しくらいの寒さには耐えるのだろうと油断したのが間違いでした。僕のエンドウは少し早くから植えていたので、育ちすぎ,雪に弱かったのが失敗の原因かも知れません(若い頃に順調な人間はトラブルに弱いものです)。辛うじて残った2本からお茶碗3杯分くらいの収穫はありましたが,惨敗というところが正しい評価でしょう。最後に蔓を引き抜くとその2本の根元も貧相で,豆類は簡単というのは嘘かも知れません。スナップエンドウより2週間ほど後に植えた空豆は,以外と順調な方ですが、未だ収穫は天ぷらの具にするからとせっつかれた4さやほどちぎっただけです。もう少し太らすつもりでいますが、虫に食われるのが先ではないかと言う者もいるので毎日のように収穫時期をチェックしています(事実。ナメクジの子どもを発見し,2晩ほどは夜、懐中電灯の明かり下で1センチにも満たないナメクジを1ダースほど退治しました)。
空豆など簡単!という人が多いのですが、10日ほど前には突然柔らかい葉先の方にアブラムシらしきものを発見し3度ほど消毒をして何とか生育を保障しています。以外と手がかかるので、豆は簡単と言ったのは誰だと言いたくなります。
空豆はそれほど好きな食べ物ではなかったので,栽培はしてこなかったのです。子どもの頃のおやつに炒った空豆を沢山食べて育ったので食傷気味なのかも知れません。子どもの歯にも硬いし甘みもそれほどない、噛むことで唾液を分泌させて空腹を誤魔化すのが重要だったのでしょう。ともかく、子どもの頃に乾燥していない空豆など食べた記憶がないのですが、数年前に祇園の或る店(友人が連れて行ってくれたので常連ではありません)で、鞘ごと生の空豆を炭火で焼いたものを食してから美味いと思うようになりました。蒸し焼き状態になったものを取り出し、岩塩を振りかけフウフウ言ってビール共に流し込むとけっこう美味いのです。そのときの空豆サイズまでは何としても大きくしたいと育つのを見守っているところです。
春野菜としてニンジンとラディッシュ、ミニ赤カブも植えましたが,60点というところです。ニンジンは間引いてその若葉を2-3度かき揚げの具にしました。これは香りも強く葉も柔く好評でしたが、本来のニンジンである根の部分は人差し指大の太さまでが関の山でした。土も購入し、新しい床で頻回に有機肥料を足したのですが、スーパーで売っているニンジンとは品種が違うとしか思えない状態でした。ラディッシュ、ミニ赤カブは予想通りの出来でしたけど。
夏野菜として、キュウリ、トマト、シシトウ、オクラ、ゴーヤを今日までに植えてあります。やっぱりトマトが一番栽培しやすいと3種類の苗6本が成育中です。買ってきて植えた翌日に茎が一本折れていたので、何かが当たり折れたのだと考えていたら、翌日隣のオクラの茎が折れており、夜盗虫であることを直観しました。その夜見張る中に現れた3センチほどの虫を逮捕しました。もっといるに違いないとは思うのですが、その後被害はありません(野菜作りは夜の作業も欠かせません)。折られてしまったトマトの苗は450円もするサントリー農園?の新品種なので,悔しくて念のためと土に埋めておいたら、再生して10センチほどに育っています。同期の苗の半分の大きさにも足りませんが、東北もがんばっているから挫けるなと、毎朝声かけをしているところです。
斯く左様に,野菜作りは持続していますが、悲喜こもごもと言うより野菜や気候に弄ばれているというところです。自然には逆らえないなあと、地震以降日本人の根本にある心性を強化させられる野菜作りであります。
今朝の観察でもまだ空豆の大きさが僕の規準に満たないので、まだ焼きたてをフウフウとは行きません。もっとも、それまでビールを絶って待つというわけにはいきません。
春だけど
入学式前後の慌ただしい学校行事が一段落した。3月末から4月はじめにかけてのオリエンテーションでは3回ばかり全ての新入生を相手に話す機会があった。冒頭で震災のことを取り上げ、メディアの画像から「恐ろしい、怖い,ひどい,悲惨」などの感情の知覚だけなら犬、ネコ、ネズミでもできる。脳が進化した君達は,その背景にある,影響を受けて人生設計の変更を余儀なくされた一人一人をイメージできるはずであり、せねばならない。その人達に恥じないように真摯に学生生活を送るべし、と訓示した。学生らは神妙に聞き入っていたので、最近の若者も棄てたものでもないと感じたことであった(人間はすぐ忘れるので、11日が来るたびに想い起こすべし,仏教では月命日というとも付言したが希望的観測なのかも知れない)。
4月はじめには科研費採択の知らせが予想以上に速く届き、気分の良い新学期のスタートとなった。10年来続いている北海道での中高年者の高次脳機能の縦断的検討が、更に5年継続が可能となった。嬉しいことで、八雲研究に参加できたことだけでも名古屋大学に移籍して良かったと,過去を肯定できるのは幸せである。研究チームの諸氏や八雲町の皆さんに感謝、感謝である。
気分の良い週末はちょうどサクラが見頃であり、散歩道を延長して桜の名所となっている市営墓地公園まで足を伸ばそうかと思ったが、そんな時間的余裕はないという内からの声(こういう風にして挑戦することをしなくなるのが老人なのだゾ、という声もあったのだけど)に賛同して、いつもの距離で止めることとなった。しかし、山裾から見る山桜は桜木を人工的に沢山植えて名所にしている大量の桜よりも風情があるように感じる。
山肌のそこかしこに散在する山桜は、竹林の浅黄色というのだろうか淡い緑や杉の濃緑色、広葉樹の新芽の薄い紅色などをそれぞれ背景にして見事に存在を示す。人工的に植えた桜が縦よりも横へと枝の広がりを見せるのにたいして散在する山桜は横よりも縦に伸びているようで,一様に背が高く、存在を訴えているようで微笑ましい。
散歩から戻ると相変わらずの原発事故のニュースである。それにしても地震の被害、福島原発の事故のニュースは痛ましい。暗澹たる気分に引き戻される。電力会社や行政サイドの対応をひどい言葉で訴える最近のマスコミの質の悪さには閉口してしまう。「最悪のことを想定しているのか、その具体的なものは何か」と記者会見で食い下がるレポーターには、「核爆発で確率的にはゼロでないに決まっているけど,それを言わせて何になる」と突っ込んでしまいたくなる。「今まで,原子力発電の安全性への疑問など報道したのかい?」というようなやり取りをしても埒があかない。大学受験のとき、当時のテレビドラマに触発されて新聞記者になろうかと早稲田大学を滑り止めに受験したが,マスコミに進まなくて良かったと(すべり止めは不合格であったにもかかわらず)思うことであった。
話は,飛躍するが(これも高齢者の特徴です)、大災害の時には社会は公共組織がきちんとあり、それがリードして迅速に動けるかが重要であることが今回の事態からも分かる。そのためには、何でも民営化すればよいというわけにはいかない(以前に蝉のようにミンミンいっていた連中はどうしたのだろう)。すべてが正しい、上手くいくというようなことはないのであり、表には裏があり,裏には表がある、それらが散髪屋の看板のようにぐるぐる繰り返すということであろう。
そうだとすると、今朝の散歩時には幸せな気分を味わえたのだが、そのうち悲惨なことが現れるということかも知れない。それも受け入れよう、その次もあるはずだから。
4月はじめには科研費採択の知らせが予想以上に速く届き、気分の良い新学期のスタートとなった。10年来続いている北海道での中高年者の高次脳機能の縦断的検討が、更に5年継続が可能となった。嬉しいことで、八雲研究に参加できたことだけでも名古屋大学に移籍して良かったと,過去を肯定できるのは幸せである。研究チームの諸氏や八雲町の皆さんに感謝、感謝である。
気分の良い週末はちょうどサクラが見頃であり、散歩道を延長して桜の名所となっている市営墓地公園まで足を伸ばそうかと思ったが、そんな時間的余裕はないという内からの声(こういう風にして挑戦することをしなくなるのが老人なのだゾ、という声もあったのだけど)に賛同して、いつもの距離で止めることとなった。しかし、山裾から見る山桜は桜木を人工的に沢山植えて名所にしている大量の桜よりも風情があるように感じる。
山肌のそこかしこに散在する山桜は、竹林の浅黄色というのだろうか淡い緑や杉の濃緑色、広葉樹の新芽の薄い紅色などをそれぞれ背景にして見事に存在を示す。人工的に植えた桜が縦よりも横へと枝の広がりを見せるのにたいして散在する山桜は横よりも縦に伸びているようで,一様に背が高く、存在を訴えているようで微笑ましい。
散歩から戻ると相変わらずの原発事故のニュースである。それにしても地震の被害、福島原発の事故のニュースは痛ましい。暗澹たる気分に引き戻される。電力会社や行政サイドの対応をひどい言葉で訴える最近のマスコミの質の悪さには閉口してしまう。「最悪のことを想定しているのか、その具体的なものは何か」と記者会見で食い下がるレポーターには、「核爆発で確率的にはゼロでないに決まっているけど,それを言わせて何になる」と突っ込んでしまいたくなる。「今まで,原子力発電の安全性への疑問など報道したのかい?」というようなやり取りをしても埒があかない。大学受験のとき、当時のテレビドラマに触発されて新聞記者になろうかと早稲田大学を滑り止めに受験したが,マスコミに進まなくて良かったと(すべり止めは不合格であったにもかかわらず)思うことであった。
話は,飛躍するが(これも高齢者の特徴です)、大災害の時には社会は公共組織がきちんとあり、それがリードして迅速に動けるかが重要であることが今回の事態からも分かる。そのためには、何でも民営化すればよいというわけにはいかない(以前に蝉のようにミンミンいっていた連中はどうしたのだろう)。すべてが正しい、上手くいくというようなことはないのであり、表には裏があり,裏には表がある、それらが散髪屋の看板のようにぐるぐる繰り返すということであろう。
そうだとすると、今朝の散歩時には幸せな気分を味わえたのだが、そのうち悲惨なことが現れるということかも知れない。それも受け入れよう、その次もあるはずだから。
IR研修会
まず、読者に今度の東北関東大震災で被災された方が居られれば、心からお見舞い申し上げます。必ず復旧し復興するので気持ちを強く持ちましょう。私に関しては東北大の友人も山形の病院で働く次男も、福島県立医大に出張していた長男の嫁も、その両親も無事でしたので私事で恐縮ですが念のため報告しておきます。当日長崎にいた私は地震を2時間後に知らされましたが、同時に次男や嫁からのメールが入っていたので心配する時間は短くすみました。翌日の帰路は電車が止まったままであり、変更を余儀なくされました(東北の地震は日本中で影響があったのです)。
TVでの原発事故報道では放射能汚染の程度を様々な異なる単位規準で報告するので何が何か分からないと感じています。先日、高等教育関係の研修会に出て、教育問題で数値の欺瞞を強く感じていたところなので、その話を書きます。地震関係のことはまだ書けません。
研修会で感じたのは、特定の高等教育研究者が文科省の高等教育政策に強く入り込んでいる姿です。①大学生の特性の大規模調査が報告されました。国公立大学2校と私学2校の共同研究の成果発表という案配でしたが、合計では3,000人規模の学生調査は実にずさんでした。回答率が大学により異なり8%台から26%台のものでした。この程度の回答率の調査結果から何かものを言うようなことは、心理科学ではあり得ません.教育学では平気なのかと思いました(研修会をぶち壊す様なことはしない年代になっていますので黙って聞いていましたが、その会場で出会った心理学出身の若手も同意見をこぼしていました)。②大学に課せられた課題をアメリカの高等教育研究関係者を呼んで講演させての研修会でしたが、これも大学の成り立ちや社会での役割についての共通性や異質性の議論なしに進めるので、この種の議論から得るものは少なく、我が国の高等教育研究者のレベルを疑うことにしなければと,感じたところです。
日本の大学では入学時に学生の学力を調べて受け入れ、卒業を自明の要件とした高等教育であるのに対して、入学時の選抜にはたいして厳格さを持たさずに,卒業時に学力をチェックするアメリカやOECD諸国とは異なることが考慮されていません(高等教育研究者は当然知っているはずですが,都合が悪いのでしょう)。③この研修はIR(institutional research)という大学経営についての課題が主題であり、シラバス/FD/認証評価などの欧米の高等教育の要素をつまみ出して押しつけ、ユニバーサル化(大学進学率が5割を超える)し経営に四苦八苦の弱小私学をまるでいたぶるように文部科学省を焚き付ける高等教育学研究者が、新しく取り上げつつある要素の勉強会でした。教学サイド(教授陣)と経営サイド(大学事務局)とが異種の2極を成し、そのバランスを効率的にするためにIRはあるので、そのような異種の2極が在るような大学は日本には皆無に近いと言って良いと思われます。国立大学の経営サイドは教学陣からの選挙で、経営など学んできていないし、たいていの弱小私学は経営サイドが教学の上位に在り、対等ではありません(私の大学でも理事長と学長は同一人です)などと考え出すと、そもそもの大学の成立の歴史的経緯とその文化を考慮しない我が国の高等教育研究者は、何を考えているのか!と大きな声になってしまう。
今回は少し言葉が過ぎた嫌いがありますが、それは丸1日掛けての研修からは、自分の大学のことは流行の高等教育研究者の言いなりにならずに独自の道を切り開かねばダメだなあ、と感じて、その容易でない課題の困難さ、不安、それでも挑戦せねばという、鬱積するマグマの成せるわざということにして気を悪くされた方にはご容赦していただきたい。
卒業式の当日抜け出して次男の結婚式のために沖縄に出かけていました。親の役割を終えたという安堵感と旅行の先での非日常的行動が原因の疲労感がありますが、気持ちを切り替え、今日から始まるオリエンテーションから新年度へ頭を切り換えねばなりません。今日は郵便局に行かねばならない用事があるので、遅ればせながら、東北関東大震災への義援金を振り込まねば。
TVでの原発事故報道では放射能汚染の程度を様々な異なる単位規準で報告するので何が何か分からないと感じています。先日、高等教育関係の研修会に出て、教育問題で数値の欺瞞を強く感じていたところなので、その話を書きます。地震関係のことはまだ書けません。
研修会で感じたのは、特定の高等教育研究者が文科省の高等教育政策に強く入り込んでいる姿です。①大学生の特性の大規模調査が報告されました。国公立大学2校と私学2校の共同研究の成果発表という案配でしたが、合計では3,000人規模の学生調査は実にずさんでした。回答率が大学により異なり8%台から26%台のものでした。この程度の回答率の調査結果から何かものを言うようなことは、心理科学ではあり得ません.教育学では平気なのかと思いました(研修会をぶち壊す様なことはしない年代になっていますので黙って聞いていましたが、その会場で出会った心理学出身の若手も同意見をこぼしていました)。②大学に課せられた課題をアメリカの高等教育研究関係者を呼んで講演させての研修会でしたが、これも大学の成り立ちや社会での役割についての共通性や異質性の議論なしに進めるので、この種の議論から得るものは少なく、我が国の高等教育研究者のレベルを疑うことにしなければと,感じたところです。
日本の大学では入学時に学生の学力を調べて受け入れ、卒業を自明の要件とした高等教育であるのに対して、入学時の選抜にはたいして厳格さを持たさずに,卒業時に学力をチェックするアメリカやOECD諸国とは異なることが考慮されていません(高等教育研究者は当然知っているはずですが,都合が悪いのでしょう)。③この研修はIR(institutional research)という大学経営についての課題が主題であり、シラバス/FD/認証評価などの欧米の高等教育の要素をつまみ出して押しつけ、ユニバーサル化(大学進学率が5割を超える)し経営に四苦八苦の弱小私学をまるでいたぶるように文部科学省を焚き付ける高等教育学研究者が、新しく取り上げつつある要素の勉強会でした。教学サイド(教授陣)と経営サイド(大学事務局)とが異種の2極を成し、そのバランスを効率的にするためにIRはあるので、そのような異種の2極が在るような大学は日本には皆無に近いと言って良いと思われます。国立大学の経営サイドは教学陣からの選挙で、経営など学んできていないし、たいていの弱小私学は経営サイドが教学の上位に在り、対等ではありません(私の大学でも理事長と学長は同一人です)などと考え出すと、そもそもの大学の成立の歴史的経緯とその文化を考慮しない我が国の高等教育研究者は、何を考えているのか!と大きな声になってしまう。
今回は少し言葉が過ぎた嫌いがありますが、それは丸1日掛けての研修からは、自分の大学のことは流行の高等教育研究者の言いなりにならずに独自の道を切り開かねばダメだなあ、と感じて、その容易でない課題の困難さ、不安、それでも挑戦せねばという、鬱積するマグマの成せるわざということにして気を悪くされた方にはご容赦していただきたい。
卒業式の当日抜け出して次男の結婚式のために沖縄に出かけていました。親の役割を終えたという安堵感と旅行の先での非日常的行動が原因の疲労感がありますが、気持ちを切り替え、今日から始まるオリエンテーションから新年度へ頭を切り換えねばなりません。今日は郵便局に行かねばならない用事があるので、遅ればせながら、東北関東大震災への義援金を振り込まねば。
泳ぎながら考えること
2月に入ってここ3週間ほどは、日曜日に特別な仕事が入っていないこともあり水泳の時間を確保できている。僕の通うプールは8時前(もちろん朝の)に到着しても、すでに帰途につく人に遭遇する。確かめてはいないが7時過ぎから開いているようである。そのために早朝は高齢者が多い。とくに僕の出かける8時過ぎでは30人ほどのいつも見かける常連の9割以上は、僕よりも高齢に見える(高齢者の認知バイアスかも知れないけど)。したがって、水中歩行をする人が大半なので泳ぐためのレーンは3つほどが、がらがら状態である。僕にとってはマイペースで泳げるので誠に都合がよい。この傾向はかつては正午過ぎに出かけていた頃よりも顕著で、数年前から8時過ぎに行くように変更した。自宅から車で5分ほどあれば行けるので20往復泳ぐことを規準としているので、帰宅するまでに1時間ですむ。これほど長く水泳を続けても腰痛や肩痛は僕の持病である。ときにひどい状態となるのだが、泳いでいないとどうなるかと思うと止められない(現在も腰の状態は良くない)。
最後の仕上げには5往復水中歩行を老人達に混じってすることにしている(自分は彼らよりも少なくとも10歳は若いと思われるので、僕も老人ではあるが、格が違う人たちである)。群れをなして喋りながら水中歩行する老人(正しくは老婆)らを追い抜くことができないので、ゆっくり歩く後を付いて歩くことになる。したがって何が話題かはよく分かる(耳が遠くなるっているためか声が大きい)。今朝の僕が付いていった群(彼女らは3-4人が群をなして歩行する)の話題は、夏みかんの話で、食べ方の紹介(カルピスに漬けるなど)と皮むき器のことであった。皮むき器は全員が不評であった。あんなもの買たらいかんわ、が結論であったしかし、全員が共通に話題にできると言うことは全員が購入しているのだが。彼女らは賢明にも手で剥くのが一番といっていた。
誠に左様で、便利さや快適さを追求するということで提供される道具で長い目で見て役に立たないものは少なくない。
次の話題は新聞に出ていた胃ろうのことであった。口から食べ難くなった病人の胃に栄養物を注入するものだが、父も亡くなる少し前から胃ろうの手術をしたことを思い出した。実施するか否かの相談をされて、同意してしまったことが、果たして良かったのか、口から食べさせる手間を省く便利さを選択したのかも知れないとも考えてしまう。
帰宅後見ていたTVにはニンテンドーの3Dゲーム発売に並ぶ長い列が映し出されていた。人間の視覚機能への長期的な仕様による影響は大丈夫なのかと他人事ながら心配になる。電車の中での暇つぶしにゲーム機にかじりついている人たちを眺めていると、老眼になる前に何か視覚障害が生じるかも知れないのにと思ってしまう。電車の中では新聞か文庫本を読むものだという年齢層に特殊化した価値観で、判断していることをどこかで自覚しながらの心配である。
さて、話は戻るがもう20年以上もやっている水泳でいつも感じていることがある。泳ぐと決めた距離の4割程度を消化のあたりが一番辛い、(今日は体調が悪そうだ、夕べ飲んだからあまり泳ぐと身体に悪いかも、などの悪魔の声が聞こえる距離なのだ)。止めようかと思う距離である。半分を超すとずいぶん楽になり8割くらいの距離では終末努力で泳ぐことがしんどいとは思わなくなる。人生もそうかも知れないので、若い人はしんどくても続けるのが大切、と言いたくなる。何でも教訓めいたことにしたくなるのは明確な加齢効果であります。2月ももう終わりであります。
最後の仕上げには5往復水中歩行を老人達に混じってすることにしている(自分は彼らよりも少なくとも10歳は若いと思われるので、僕も老人ではあるが、格が違う人たちである)。群れをなして喋りながら水中歩行する老人(正しくは老婆)らを追い抜くことができないので、ゆっくり歩く後を付いて歩くことになる。したがって何が話題かはよく分かる(耳が遠くなるっているためか声が大きい)。今朝の僕が付いていった群(彼女らは3-4人が群をなして歩行する)の話題は、夏みかんの話で、食べ方の紹介(カルピスに漬けるなど)と皮むき器のことであった。皮むき器は全員が不評であった。あんなもの買たらいかんわ、が結論であったしかし、全員が共通に話題にできると言うことは全員が購入しているのだが。彼女らは賢明にも手で剥くのが一番といっていた。
誠に左様で、便利さや快適さを追求するということで提供される道具で長い目で見て役に立たないものは少なくない。
次の話題は新聞に出ていた胃ろうのことであった。口から食べ難くなった病人の胃に栄養物を注入するものだが、父も亡くなる少し前から胃ろうの手術をしたことを思い出した。実施するか否かの相談をされて、同意してしまったことが、果たして良かったのか、口から食べさせる手間を省く便利さを選択したのかも知れないとも考えてしまう。
帰宅後見ていたTVにはニンテンドーの3Dゲーム発売に並ぶ長い列が映し出されていた。人間の視覚機能への長期的な仕様による影響は大丈夫なのかと他人事ながら心配になる。電車の中での暇つぶしにゲーム機にかじりついている人たちを眺めていると、老眼になる前に何か視覚障害が生じるかも知れないのにと思ってしまう。電車の中では新聞か文庫本を読むものだという年齢層に特殊化した価値観で、判断していることをどこかで自覚しながらの心配である。
さて、話は戻るがもう20年以上もやっている水泳でいつも感じていることがある。泳ぐと決めた距離の4割程度を消化のあたりが一番辛い、(今日は体調が悪そうだ、夕べ飲んだからあまり泳ぐと身体に悪いかも、などの悪魔の声が聞こえる距離なのだ)。止めようかと思う距離である。半分を超すとずいぶん楽になり8割くらいの距離では終末努力で泳ぐことがしんどいとは思わなくなる。人生もそうかも知れないので、若い人はしんどくても続けるのが大切、と言いたくなる。何でも教訓めいたことにしたくなるのは明確な加齢効果であります。2月ももう終わりであります。
お別れ会に出て思うこと
一月も残すところ、3日となってしまった。いつも忙しいとは思っているが、大学人にとって一月はとりわけ忙しい。センター入試、自分の大学の入試、後期終了に伴う自分の講義の試験、卒論審査等々息つく暇もないという様相である。これらの内のいくつかは土日に予定されるので、多忙感は際だっている。予定表では土日で何も記載がないのは1日だけである。
今月は2件のお別れ会に出た。正月のブログとしては縁起が悪いというなかれ、書きたいことを書きたいときに書くのが僕の流儀ですから。もっとも、近年は強迫的になっていることで、やや負担を自覚してはいますけれど。
一つは、年末に交通事故で急逝された法人の元会長で、医療系グループの創設メンバーの一人の大規模なお別れ会であった。忘年会の帰りのタクシーが事故を起こして、その巻き添えになられたということであった。正月や次年度の予定が突然に絶たれるという形での死に方で、不運としかいいようがない。もう一件はかつて勤務していた大学の先輩のものである。両者共に80歳を超されての死であるとはいうもののまだ若いという気がしないでもない。そろそろ自分にも順番が来るのではないかという思いが浮かんだりしている。
先輩の方は、3年ほど前に受賞記念の会で出会ったときにかなり弱られているという印象を持ったことを記憶している。いわば老衰と言えそうな死に方である。学会に行く支度を急がせて「学会費が払えない」などと、家族を困らせたということであった。戦後すぐの時期に学生時代を送り、昭和30年代から大学人であった人の経済状態が偲ばれる内容であった。過日集中講義先で聞いた話では、院生のときは自分で生計が立てられたのに、国立大学に助手で採用されてしばらくは親から仕送りをしてもらわねばならなかったということであった。5歳上の先輩から聞いたものである。給料が安いと何十年も愚痴ってきたが、自分が教員になってからは親の仕送りが要るほどの低賃金ではなかったことは有り難いことで、やや反省!というところである。
先輩は仕事半ばで突然に命を絶たれたというわけではない。加齢に伴う自然な衰弱による死で、娘さんの世話になっての終末である。見方によっては幸せな死に方かもしれない。
自分で選択できる余地はないのだけれども、自分はどういう死の迎え方をするのだろうかなどの想いが、2人のお別れ会に出てから浮かんだり消えたりしている(忙しすぎて、ついに鬱症状がでたのか?という心配はいりません。早朝に原稿を書き、大学で毎日のように複数の会議に出てという日々を愚痴りながらも過ごしていますから)。
そんなときに、2005年の11月のブログに登場させている元同僚の奥さんから著書が送られてきた。彼はガンが見つかりで、数ヶ月の後に亡くなった法哲学者であった人である。裁判所の所長という超多忙な奥さんが彼の途絶したままの著作を出版に漕ぎつけられたものである(売れると嬉しいので、関心と余裕のある人は購入して下さい(「義務の体系のもとでの私法の一般理論の誕生」昭和堂です)。僕も読んでみようと思っているが、なかなか難しい。欧州での法体系が義務から権利へと変換する過程や日本の明治の法体系が作られる基本理念の解明ということが、彼がやって来た仕事(この本が3部作の最終版)のようである。この遺稿は、本書の結論の章が5行書かれたところ(181頁)で終わっている。まさに仕事の完成を目前にしての死であったことが分かり、改めて彼の無念さに思いを馳せると泣きそうになってしまう。
今月に遭遇した3人の死に方を考察すると、それぞれに一長一短があり、こうありたいと強く思うものはない。周りに迷惑をかけず、自分ももう十分というような死に方が望ましいとは思うが、何度も考えるように、自分で決められることではない。更に思索を深めねばならないのであろうが、今月は3件の原稿依頼があった。いずれも些少だが原稿料が見込める物である。研究者と見なされて原稿依頼をもらえる間は、大学での日常の仕事に加えて対応するという生活をせねばならず、深く考え込む暇がない。当面、それで良いのだ!と天才バカボンのパパ風に自分を納得させている。
今月は2件のお別れ会に出た。正月のブログとしては縁起が悪いというなかれ、書きたいことを書きたいときに書くのが僕の流儀ですから。もっとも、近年は強迫的になっていることで、やや負担を自覚してはいますけれど。
一つは、年末に交通事故で急逝された法人の元会長で、医療系グループの創設メンバーの一人の大規模なお別れ会であった。忘年会の帰りのタクシーが事故を起こして、その巻き添えになられたということであった。正月や次年度の予定が突然に絶たれるという形での死に方で、不運としかいいようがない。もう一件はかつて勤務していた大学の先輩のものである。両者共に80歳を超されての死であるとはいうもののまだ若いという気がしないでもない。そろそろ自分にも順番が来るのではないかという思いが浮かんだりしている。
先輩の方は、3年ほど前に受賞記念の会で出会ったときにかなり弱られているという印象を持ったことを記憶している。いわば老衰と言えそうな死に方である。学会に行く支度を急がせて「学会費が払えない」などと、家族を困らせたということであった。戦後すぐの時期に学生時代を送り、昭和30年代から大学人であった人の経済状態が偲ばれる内容であった。過日集中講義先で聞いた話では、院生のときは自分で生計が立てられたのに、国立大学に助手で採用されてしばらくは親から仕送りをしてもらわねばならなかったということであった。5歳上の先輩から聞いたものである。給料が安いと何十年も愚痴ってきたが、自分が教員になってからは親の仕送りが要るほどの低賃金ではなかったことは有り難いことで、やや反省!というところである。
先輩は仕事半ばで突然に命を絶たれたというわけではない。加齢に伴う自然な衰弱による死で、娘さんの世話になっての終末である。見方によっては幸せな死に方かもしれない。
自分で選択できる余地はないのだけれども、自分はどういう死の迎え方をするのだろうかなどの想いが、2人のお別れ会に出てから浮かんだり消えたりしている(忙しすぎて、ついに鬱症状がでたのか?という心配はいりません。早朝に原稿を書き、大学で毎日のように複数の会議に出てという日々を愚痴りながらも過ごしていますから)。
そんなときに、2005年の11月のブログに登場させている元同僚の奥さんから著書が送られてきた。彼はガンが見つかりで、数ヶ月の後に亡くなった法哲学者であった人である。裁判所の所長という超多忙な奥さんが彼の途絶したままの著作を出版に漕ぎつけられたものである(売れると嬉しいので、関心と余裕のある人は購入して下さい(「義務の体系のもとでの私法の一般理論の誕生」昭和堂です)。僕も読んでみようと思っているが、なかなか難しい。欧州での法体系が義務から権利へと変換する過程や日本の明治の法体系が作られる基本理念の解明ということが、彼がやって来た仕事(この本が3部作の最終版)のようである。この遺稿は、本書の結論の章が5行書かれたところ(181頁)で終わっている。まさに仕事の完成を目前にしての死であったことが分かり、改めて彼の無念さに思いを馳せると泣きそうになってしまう。
今月に遭遇した3人の死に方を考察すると、それぞれに一長一短があり、こうありたいと強く思うものはない。周りに迷惑をかけず、自分ももう十分というような死に方が望ましいとは思うが、何度も考えるように、自分で決められることではない。更に思索を深めねばならないのであろうが、今月は3件の原稿依頼があった。いずれも些少だが原稿料が見込める物である。研究者と見なされて原稿依頼をもらえる間は、大学での日常の仕事に加えて対応するという生活をせねばならず、深く考え込む暇がない。当面、それで良いのだ!と天才バカボンのパパ風に自分を納得させている。
大学の教員とは(12/24)
先週の土曜日に、来年度入学予定の高校生を相手に短い講演をした。入学前の高校生を相手に大学に入るまでの準備教育ということである。もちろん、このような企画は昔にはなかった。する必要がなかったわけで、大学に入学してくる若者は自分の力で新しい環境へ自力で取り組める能力があったのだが、最近はないことの反映である。これだけ情報がどこからでも探せる時代であり、高校生でも盛んに情報検索をしているのだから、そんなものは不要という指摘も可能であるが、「学生を選抜して入れてやる」時代から「学生に選択して頂いて、入学して頂く」時代になったのだから、このような企画をせねばならないのです。もちろん、学生を選抜して入学させる大学では、必要のない企画であることは自明であります。
入学前の準備教育の真の目的は、半年も前に大学入学が決まってしまい、遊びほうけてしまっては困るので何とかせねば、とか入学前に新しい環境に馴染ませて(友人もできそうな気にさせて)、大学に入学しようとしている高校生の心変わりを防ぎたいなどの受け入れ側の思惑もある。
先日の朝日新聞の社説に「新設大学では無責任に社会人になれそうにもない若者を卒業させて社会に放出している」という類の記事があった。無責任にという言葉には、現在の大学の実態、そしてこのような結果をもたらしてしまった文教政策の進め方にメディアは責任が皆無であるかのようで、記者の表現には呆れた。だが、世間では大学が最終的な責任を取れということのようである。私の勤める大学でも何か取り組まないとすまないというのが現状で、入学前教育をしなければならないのである。
ともかく、僕は教育開発支援センター長ということになっているので、我が部署が企画し、実施したのである。2回大学に来てもらう計画の第1日目が先週の土曜日であった。企画の詳細は企業秘密の部分もあるので(よその大学には取られたくない、特注の企画がある、知りたい人は、誰か知り合いを入学させて下さい)触れないことにする。僕はそこでの短い講演のために、「大学とは何か」、「大学の教員とは何か」などなど少し勉強した。せっかくなので、「大学の教員とは何か」の部分だけ紹介しようというのがこのコラムの目的である。どうも最近は前置きが長い(教師と老人と坊さんが話の長いベストスリーということだから当然だけどネ)。
ドイツをはじめとするヨーロッパの大学を除いて、大学教員には具体的な資格規定がないことが多い。我が国でも高校までは教員資格の規定があり検定があるが、大学ではない。そのような場合に大学の教員はどのような仕組みで選ばれるのかの問題である。一応、大学でも、教授は学位があるか一定の研究業績があり教育歴が××年、云々のおぼろげなものがそれぞれの大学内規にあるが、客観的基準ではないので、規制緩和の時代風潮から企業人や官僚などが大学教員になっている(教育はともかく、研究指導は無理な人が多いと聞く)。
大学は教育と研究をすることが目的で、研究という部分だけがそれ以下の学校にはない。以下と書いたがどの国の高等教育システムでも大学が頂点になっている。そこで、研究ができる人を判断する目安は何かが重要になる。
研究とは、「未知のことを探ることをする行為である」。「存在しないものを作り出す行為を指すものと定義できる」と講演では話した。しかし、その行為は興味関心が一致する仲間内で了解される手続きを踏んでいることが求められる、とも話した。仲間内とは学会と考えるのが至当であり、自分の行った研究が学会誌に掲載されることで仲間内からその研究は妥当であると承認されるのである。したがって、学会誌に論文が掲載されることが研究している人、できる人の通行証なのである。(我が大学ではみんな大丈夫だと、よく知らないままに言ってしまったので、間違っていたら入学後に謝るしかない)。
読者に若い研究者が多いと想定して書くのだけれども、世間が大学は無責任に一人前でない若者を社会に放出している、などの指摘がそのうち蔓延し始める可能性が高い。そんなところに税金を配分するなと言い出す頃には、大学は大学の教員足るべき人で成り立っているか、カリキュラムは大学教育たり得ているか、という点に矛先が向けられる可能性がある。大学教員とは何かを規定されるときには教育に熱心です、だけではなく研究できていますが問われることだろう。一日二日で学会誌論文は創れない。準備に怠りなくということである。
もう師走も残すところを10日ほどになりました。月一回のペースでコラムを書くこととしばらく大学教員でありたいので、研究をしているか、の評価規準では今年は合格!ということにして(自分の力だけでないことは了解していますヨ)、新年を迎えたいと思います。読者の皆さんも来年がよい年でありますように。
入学前の準備教育の真の目的は、半年も前に大学入学が決まってしまい、遊びほうけてしまっては困るので何とかせねば、とか入学前に新しい環境に馴染ませて(友人もできそうな気にさせて)、大学に入学しようとしている高校生の心変わりを防ぎたいなどの受け入れ側の思惑もある。
先日の朝日新聞の社説に「新設大学では無責任に社会人になれそうにもない若者を卒業させて社会に放出している」という類の記事があった。無責任にという言葉には、現在の大学の実態、そしてこのような結果をもたらしてしまった文教政策の進め方にメディアは責任が皆無であるかのようで、記者の表現には呆れた。だが、世間では大学が最終的な責任を取れということのようである。私の勤める大学でも何か取り組まないとすまないというのが現状で、入学前教育をしなければならないのである。
ともかく、僕は教育開発支援センター長ということになっているので、我が部署が企画し、実施したのである。2回大学に来てもらう計画の第1日目が先週の土曜日であった。企画の詳細は企業秘密の部分もあるので(よその大学には取られたくない、特注の企画がある、知りたい人は、誰か知り合いを入学させて下さい)触れないことにする。僕はそこでの短い講演のために、「大学とは何か」、「大学の教員とは何か」などなど少し勉強した。せっかくなので、「大学の教員とは何か」の部分だけ紹介しようというのがこのコラムの目的である。どうも最近は前置きが長い(教師と老人と坊さんが話の長いベストスリーということだから当然だけどネ)。
ドイツをはじめとするヨーロッパの大学を除いて、大学教員には具体的な資格規定がないことが多い。我が国でも高校までは教員資格の規定があり検定があるが、大学ではない。そのような場合に大学の教員はどのような仕組みで選ばれるのかの問題である。一応、大学でも、教授は学位があるか一定の研究業績があり教育歴が××年、云々のおぼろげなものがそれぞれの大学内規にあるが、客観的基準ではないので、規制緩和の時代風潮から企業人や官僚などが大学教員になっている(教育はともかく、研究指導は無理な人が多いと聞く)。
大学は教育と研究をすることが目的で、研究という部分だけがそれ以下の学校にはない。以下と書いたがどの国の高等教育システムでも大学が頂点になっている。そこで、研究ができる人を判断する目安は何かが重要になる。
研究とは、「未知のことを探ることをする行為である」。「存在しないものを作り出す行為を指すものと定義できる」と講演では話した。しかし、その行為は興味関心が一致する仲間内で了解される手続きを踏んでいることが求められる、とも話した。仲間内とは学会と考えるのが至当であり、自分の行った研究が学会誌に掲載されることで仲間内からその研究は妥当であると承認されるのである。したがって、学会誌に論文が掲載されることが研究している人、できる人の通行証なのである。(我が大学ではみんな大丈夫だと、よく知らないままに言ってしまったので、間違っていたら入学後に謝るしかない)。
読者に若い研究者が多いと想定して書くのだけれども、世間が大学は無責任に一人前でない若者を社会に放出している、などの指摘がそのうち蔓延し始める可能性が高い。そんなところに税金を配分するなと言い出す頃には、大学は大学の教員足るべき人で成り立っているか、カリキュラムは大学教育たり得ているか、という点に矛先が向けられる可能性がある。大学教員とは何かを規定されるときには教育に熱心です、だけではなく研究できていますが問われることだろう。一日二日で学会誌論文は創れない。準備に怠りなくということである。
もう師走も残すところを10日ほどになりました。月一回のペースでコラムを書くこととしばらく大学教員でありたいので、研究をしているか、の評価規準では今年は合格!ということにして(自分の力だけでないことは了解していますヨ)、新年を迎えたいと思います。読者の皆さんも来年がよい年でありますように。