南澪会の打ち上げ会(11/14)
ナンレイカイと読む。レイは澪つくしのことで旧大阪商科大学の校章にもある水の都大阪のシンボルなのである。大正時代にルーツがある男声合唱団のOBが会員で、そこが運営している南澪会合唱団の演奏会があった。僕は練習に出られる日常ではないので幽霊会員(会費を払っているのでサポーターかも)である。これでも現役時代はバリトンとセカンドテナーのパートのメンバーで、結構熱心に活動していたのである。
昨夜は勤務大学で卒業生の集いが4時近くまであったので、打ち上げ会だけに参加した。ステージには立たないが打ち上げ会だけ参加というメンバーと連絡していたので同類も要るわけである。自分がステージに立たないのでメールで送信される練習案内もいい加減に見ていたのだが、今回はOB合唱団設立70周年記念(現在の勤務校が2012年70周年と横断幕を建物に張っているがそれよりも前からの歴史がある戦前からのものであることを知った)ということで、東京南澪会と大阪南澪会の合同ステージであったらしい。打ち上げには100人強が来ていた。ステージはたいした熱気であったとは、紅一点の専属の元アナウンサー司会者の女性の言である。
80歳代の参加者も居られたが面識はないので当然先輩と後輩前後7年ほどの参加者と言葉を交わすことになる。高度成長の恩恵をいっぱい受けた人と、その崩壊の後始末の余波を被った人とから成る世代である。もう名刺を持ち歩く人は少なくなり合唱を楽しんでいる人が大半である。昭和45年頃までの大学生はまだ、いわゆる旧制の大学の雰囲気を味わうことが出来た世代で、エリートという自負心を持って人生の大半を過ごせた幸せな部類であろう。かく言う自分もその末端に位置する世代かも知れない。
会場は移動する隙間もなかなか探せないという状態ではあったが、卒業以来の先輩や後輩と言葉を交わしあうことができた。日頃若い学生ばかりと過ごしているので帰って新鮮もあり、気分は高揚する。自分からは全く誰かが同定できない人が「はった君!」と手を差し伸べることが多かったのは、自分の容姿が学生時代と大きく変わらないことか、僕の記憶力が低下しているかのどちらかであるが、前者とする方が悩まなくてよい。元気な人だけが来られるということでもあるが、誰一人お腹のでている人は居なかった。腹筋を使うことや発声器官の機能維持には望ましいことは言うまでもないが、同学年の指揮者からは、腹をなでられ「練習に来いよと」しつこく誘われるものの当面は無理である。まだ、当分行けそうな勤務状態ではないが、腹の出具合を指摘されると気持ちが揺らがないでもない。
打ち上げ会は時間の半分以上が歴代の指揮者による愛唱歌の合唱の連続である。歌っているか会話をしているかのどちらかで、飲み食いしている暇はない。次々と全員が歌う訳だが、演奏会に向けて練習して来た連中のようには声は出ないし、歌詞は時々おぼろげである(時期によって違うパートを歌っていたためでもあるのですが)。もう一度正確に歌えるようになりたいと思ったのであろうか、帰りの電車や車の中では知らず知らずのうちに記憶から歌詞を検索しようとする自分があった。
打ち上げ会だけの参加であったが45年前の昔にしばし戻り、前頭葉・辺縁系機能を活動させることができたことになる。このようなエピソード記憶を有しているのは幸せなことであるとも実感した。
午後の学科の集いでもピザやケーキ、サンドイッチなどは出たのだが、170名を越す若い女性の旺盛な食への活動に圧倒されてあまり食べられず、打ち上げ会でもほとんど食べられずじまいであった。帰ってからお茶漬けを所望せざるを得ず、嫌がられたことでありました。
昨夜は勤務大学で卒業生の集いが4時近くまであったので、打ち上げ会だけに参加した。ステージには立たないが打ち上げ会だけ参加というメンバーと連絡していたので同類も要るわけである。自分がステージに立たないのでメールで送信される練習案内もいい加減に見ていたのだが、今回はOB合唱団設立70周年記念(現在の勤務校が2012年70周年と横断幕を建物に張っているがそれよりも前からの歴史がある戦前からのものであることを知った)ということで、東京南澪会と大阪南澪会の合同ステージであったらしい。打ち上げには100人強が来ていた。ステージはたいした熱気であったとは、紅一点の専属の元アナウンサー司会者の女性の言である。
80歳代の参加者も居られたが面識はないので当然先輩と後輩前後7年ほどの参加者と言葉を交わすことになる。高度成長の恩恵をいっぱい受けた人と、その崩壊の後始末の余波を被った人とから成る世代である。もう名刺を持ち歩く人は少なくなり合唱を楽しんでいる人が大半である。昭和45年頃までの大学生はまだ、いわゆる旧制の大学の雰囲気を味わうことが出来た世代で、エリートという自負心を持って人生の大半を過ごせた幸せな部類であろう。かく言う自分もその末端に位置する世代かも知れない。
会場は移動する隙間もなかなか探せないという状態ではあったが、卒業以来の先輩や後輩と言葉を交わしあうことができた。日頃若い学生ばかりと過ごしているので帰って新鮮もあり、気分は高揚する。自分からは全く誰かが同定できない人が「はった君!」と手を差し伸べることが多かったのは、自分の容姿が学生時代と大きく変わらないことか、僕の記憶力が低下しているかのどちらかであるが、前者とする方が悩まなくてよい。元気な人だけが来られるということでもあるが、誰一人お腹のでている人は居なかった。腹筋を使うことや発声器官の機能維持には望ましいことは言うまでもないが、同学年の指揮者からは、腹をなでられ「練習に来いよと」しつこく誘われるものの当面は無理である。まだ、当分行けそうな勤務状態ではないが、腹の出具合を指摘されると気持ちが揺らがないでもない。
打ち上げ会は時間の半分以上が歴代の指揮者による愛唱歌の合唱の連続である。歌っているか会話をしているかのどちらかで、飲み食いしている暇はない。次々と全員が歌う訳だが、演奏会に向けて練習して来た連中のようには声は出ないし、歌詞は時々おぼろげである(時期によって違うパートを歌っていたためでもあるのですが)。もう一度正確に歌えるようになりたいと思ったのであろうか、帰りの電車や車の中では知らず知らずのうちに記憶から歌詞を検索しようとする自分があった。
打ち上げ会だけの参加であったが45年前の昔にしばし戻り、前頭葉・辺縁系機能を活動させることができたことになる。このようなエピソード記憶を有しているのは幸せなことであるとも実感した。
午後の学科の集いでもピザやケーキ、サンドイッチなどは出たのだが、170名を越す若い女性の旺盛な食への活動に圧倒されてあまり食べられず、打ち上げ会でもほとんど食べられずじまいであった。帰ってからお茶漬けを所望せざるを得ず、嫌がられたことでありました。
習慣を作らねば
相変わらずの忙しい日々を過ごしているせいで、今月分のコラムが書けていなかった。忙しかったけれど、今月の初めころには、締め切りまでにこなせるのだろうかと案じていたいくつかの事柄を何とかやり終えることができた(エライ!)。たとえば、科学研究費補助金の申請、学術振興会の審査コメントの提出、幹事が回ってきていた新年会の段取り、翻訳をしないかという出版社との対応など、大学の日常生活のdutyに加えての事柄であったので、生活リズム(朝早めに起きて作業する)を昔風に戻すことで対応できた。仕事の要領が分かってきて作業効率が良くなっているのか、あるいはいい加減になっているのか定かではないが、最終的には、予想よりも早いスピードでこなすことが出来た。もっとも、いつまでこんな風にせねばならないのかいつ辞めればよいのかを探らねばと思いつつであるが。申請書でも審査コメントでも練習をしてきた過去経験があるので早くできたのだろうと、習慣の大切さを確認したことである。
併せて、思うのは指導学生の学習習慣能力の低下である。苦悩しているのは大学でのdutyである16名の卒論指導である。テーマを決めて関連文献を探し、読んでまとめ(レジュメ)を作成する過程が、こなせない。まとめが書けない。文献を探すやり方は何度説明してもしないわからない(ゼミ室ではインターネット接続がないので、具体的操作レベルの指導はできないのも原因かもしれない)。データベースという単語を何度説明したことか、検索の方法を何度説明したか、来年は数えてみようかと思うくらいである。とにもかくにも一編の論文を読めば、検索のキーワードへのあたりがつくのだが、最後まで読むことができないようである。だから、まとめが作れない。論文を探せと言っても、ページ数が多いものは避けようと短い学会発表の抄録を読もうとする。査読論文とはどういうものかを何度説明せねばならないかも数えておかねばなるまい。昨年の経験から4月段階から卒論テーマを検討させ7月の採用試験までに決定として計画書を提出させたのだが、10月が終わる段階では、結局昨年と進み方は差がない。
なるべく楽をしようとし、ゼミがあるにもかかわらず、バイトを入れてしまった、ひどい場合は海外旅行に行っていたなどという。時に叱り呆れ、なだめながらであるが、考えられない、信じられない、と嘆いても(実際外言化しても)、学生達には自分がまずい状態にあることの認識にはつながらないようである。恐るべき楽観さ、自己能力の評価というしかないことが常態化している。もちろん、全員がそうというわけではない。中には順当に作業が進む学生がいるが、過半数には達しない。
プランを自分で作成し、それを実行していくという、ときどき派遣される研修で何度も耳にするPDCAサイクルを回してなどという習慣(仕事を進める学習過程の習慣)は少なくとも僕のゼミの大半の学生にはない。
何が原因なのだろうか?これは、受験勉強をさせない中学、高校に原因の多くがあるのかもしれないと思う(これは、実は実習校をめぐった時の校長先生の見解でもある)。ゼミの学生のほとんどが、大学に入るまですべて推薦入学で済ましてきている。思いもよらないことで驚いてしまった。受験勉強をしなくても、学校にまじめに通っていれば、推薦入学が可能なのだそうである。超有名校は別にして、生徒数の激減している今日、私学も多くの公立校も生徒数を確保するために、学力試験で選抜(競争)されなくて関門をクリアできるのである。
受験勉強はPDCAを自分なり進める経験を生むのだが、そのような過去経験がないと獲得されない能力のはずで、僕のゼミの学生にはないのだろう。
4年生になると社会に出る際には必ず採用試験があるが、学生はその準備の仕方が分からないという。何をしたらよいのかを聞きに来た学生も何人かいた(この子たちは自覚があるので、前途はなんとか開けそうであるが)。
呆れて放置することも職業柄出来ないので、何とか大学入学時から改めて毎日コツコツ学習する習慣を付けるように対策を思案中である。僕が担当している教育開発支援センターの仕事としての試作プロジェクトが12月から稼働し始める。上手くいかないかもしれないので、ここでの紹介は先延ばしにしたい。上手くいけばビジネスにつながる可能性が大きいが、自分で会社をつくろうなどとは思っていない。
かく左様に、日々を過ごしているわけですが、原稿を書く習慣を身につけて(剥がしがたくて難儀している?)いるので、今月もペースを破らずにコラムが書けたわけです(誰も褒めてはくれませんが)。
併せて、思うのは指導学生の学習習慣能力の低下である。苦悩しているのは大学でのdutyである16名の卒論指導である。テーマを決めて関連文献を探し、読んでまとめ(レジュメ)を作成する過程が、こなせない。まとめが書けない。文献を探すやり方は何度説明してもしないわからない(ゼミ室ではインターネット接続がないので、具体的操作レベルの指導はできないのも原因かもしれない)。データベースという単語を何度説明したことか、検索の方法を何度説明したか、来年は数えてみようかと思うくらいである。とにもかくにも一編の論文を読めば、検索のキーワードへのあたりがつくのだが、最後まで読むことができないようである。だから、まとめが作れない。論文を探せと言っても、ページ数が多いものは避けようと短い学会発表の抄録を読もうとする。査読論文とはどういうものかを何度説明せねばならないかも数えておかねばなるまい。昨年の経験から4月段階から卒論テーマを検討させ7月の採用試験までに決定として計画書を提出させたのだが、10月が終わる段階では、結局昨年と進み方は差がない。
なるべく楽をしようとし、ゼミがあるにもかかわらず、バイトを入れてしまった、ひどい場合は海外旅行に行っていたなどという。時に叱り呆れ、なだめながらであるが、考えられない、信じられない、と嘆いても(実際外言化しても)、学生達には自分がまずい状態にあることの認識にはつながらないようである。恐るべき楽観さ、自己能力の評価というしかないことが常態化している。もちろん、全員がそうというわけではない。中には順当に作業が進む学生がいるが、過半数には達しない。
プランを自分で作成し、それを実行していくという、ときどき派遣される研修で何度も耳にするPDCAサイクルを回してなどという習慣(仕事を進める学習過程の習慣)は少なくとも僕のゼミの大半の学生にはない。
何が原因なのだろうか?これは、受験勉強をさせない中学、高校に原因の多くがあるのかもしれないと思う(これは、実は実習校をめぐった時の校長先生の見解でもある)。ゼミの学生のほとんどが、大学に入るまですべて推薦入学で済ましてきている。思いもよらないことで驚いてしまった。受験勉強をしなくても、学校にまじめに通っていれば、推薦入学が可能なのだそうである。超有名校は別にして、生徒数の激減している今日、私学も多くの公立校も生徒数を確保するために、学力試験で選抜(競争)されなくて関門をクリアできるのである。
受験勉強はPDCAを自分なり進める経験を生むのだが、そのような過去経験がないと獲得されない能力のはずで、僕のゼミの学生にはないのだろう。
4年生になると社会に出る際には必ず採用試験があるが、学生はその準備の仕方が分からないという。何をしたらよいのかを聞きに来た学生も何人かいた(この子たちは自覚があるので、前途はなんとか開けそうであるが)。
呆れて放置することも職業柄出来ないので、何とか大学入学時から改めて毎日コツコツ学習する習慣を付けるように対策を思案中である。僕が担当している教育開発支援センターの仕事としての試作プロジェクトが12月から稼働し始める。上手くいかないかもしれないので、ここでの紹介は先延ばしにしたい。上手くいけばビジネスにつながる可能性が大きいが、自分で会社をつくろうなどとは思っていない。
かく左様に、日々を過ごしているわけですが、原稿を書く習慣を身につけて(剥がしがたくて難儀している?)いるので、今月もペースを破らずにコラムが書けたわけです(誰も褒めてはくれませんが)。
何か変だな(9/10/10)
相変わらず忙しい。過去4週間ほどの間に北海道に2回出張した。学会に2つ出て、さらに集中講義を3日間済ませ、授業はないがいくつもの大学での会議に出てという日常である。今日予定されている学会の座長も取り消してもらって大学での行事への参加という有様で、書きかけの論文を完成するなどという余裕はない。
さて、「何か変だな」と思うことが時々ある。だが、歳のせいか何日も引きずることは少なくなっている。集中講義先で先輩にいっぱいご馳走になった折りも、お互い年をとったせいか抑制が効きづらくなり、「会議では言わなくても良いことまで言ってしまう」、「大事と思うこともまあどうでもいいかと先伸ばしにしてしまう」とお互いの言質を「同感、同感」と慰めあっていた。
そう言えば、この大学に居られた発達心理学の碩学であった岡本夏木先生は「子どもを育てることの意味は、“まあ、こんなものか”、“思うようにはいかん”ことを親が悟れることである」と言っておられたのを憶い出す。我々2人とも子持ちで、発達課題はこなしており、悟っている身である。
「何か変だな」が1週間経っても沸々と思い返されるのは先週の土曜日に東京のラジオ出演にまつわることである。大学宛に何度か電話があったという趣旨のメモがあり、再度かかって来た電話での依頼に、指定された日時は出張中ということでいったん断った。次の週にもまた連絡があり、6時40分からの早朝生番組に電話で7分間出た。番組作りも大変なのだろうと同情した。話題は相変わらずきき手の矯正の話であった。以前に神戸のラジオでも似たようなことがあったが、ぶっつけ本番であったのに対して、前日に台本が送られて来ての放送であった。大阪のTV番組にも何度か出たがたいていはきちんと台詞が書いてあるようなものではなかった。「ここで先生がしゃべる」という類いの荒っぽいものであったが、東京の民放TVもNHKの番組もきちんと台詞が入った台本が準備される。気質の違いということかも知れない。
「何か変だな」というのは、インターネットできき手を検索→八田という図式が多すぎるのではないかと思えることである。類似の番組に近年何度出たことか、というのはあながち大袈裟でもない気がしている。きき手の本(左対右 きき手大研究、化学同人)が出版され書評などがいくつか掲載されたために(その割にはこの本の売れ行きが爆発的とは行かない)、左きき、きき手のkeywordインターネット検索では僕の名前が出る。同じような質問に対して同一人の意見ばかりが流布されることになる。違う考え方の人がいるかも知れないのにと思うことがある。情報操作とまでは大袈裟なことは言わないが、似たことは起きているはずである。インターネットのせいで安易な人探しが行なわれている思いが強い。最近のTV番組は同じような顔ぶればかりが出るのでうんざりしてしまうのは僕だけではなかろう。番組制作者はインターネットに依存しすぎている、と言っておこう(まあいいか、こんなものかという悟りを制作者が持っているのかも知れない)。
今朝の散歩でも「何か変だな」と思った。というのは散歩道沿いの田んぼに突然案山子が出現していたことである。案山子など最近目にすることはなくなっていたのに、どうしたのであろうか。それも畦の両端に3体ずつ並んでいるだけで、僕はちょっと驚いたけれども、雀を驚かすことに効果的な配置でもなく、別段オドロオドロしい姿をしている訳でもない。第一、まだ稲は十分に出穂しておらず、いかにも場違いという感じであった。田んぼの持ち主は何を考えたのだろう、早めに案山子を準備しておかないと忘れてしまうから、ということなのかも知れない。そうだとしたら,きっと持ち主は僕と似た年齢に違いない。
今朝の散歩は暑い日が続く9月に入って始めて、汗をかかないものであった。着実に秋は来ているということだろう。
さて、「何か変だな」と思うことが時々ある。だが、歳のせいか何日も引きずることは少なくなっている。集中講義先で先輩にいっぱいご馳走になった折りも、お互い年をとったせいか抑制が効きづらくなり、「会議では言わなくても良いことまで言ってしまう」、「大事と思うこともまあどうでもいいかと先伸ばしにしてしまう」とお互いの言質を「同感、同感」と慰めあっていた。
そう言えば、この大学に居られた発達心理学の碩学であった岡本夏木先生は「子どもを育てることの意味は、“まあ、こんなものか”、“思うようにはいかん”ことを親が悟れることである」と言っておられたのを憶い出す。我々2人とも子持ちで、発達課題はこなしており、悟っている身である。
「何か変だな」が1週間経っても沸々と思い返されるのは先週の土曜日に東京のラジオ出演にまつわることである。大学宛に何度か電話があったという趣旨のメモがあり、再度かかって来た電話での依頼に、指定された日時は出張中ということでいったん断った。次の週にもまた連絡があり、6時40分からの早朝生番組に電話で7分間出た。番組作りも大変なのだろうと同情した。話題は相変わらずきき手の矯正の話であった。以前に神戸のラジオでも似たようなことがあったが、ぶっつけ本番であったのに対して、前日に台本が送られて来ての放送であった。大阪のTV番組にも何度か出たがたいていはきちんと台詞が書いてあるようなものではなかった。「ここで先生がしゃべる」という類いの荒っぽいものであったが、東京の民放TVもNHKの番組もきちんと台詞が入った台本が準備される。気質の違いということかも知れない。
「何か変だな」というのは、インターネットできき手を検索→八田という図式が多すぎるのではないかと思えることである。類似の番組に近年何度出たことか、というのはあながち大袈裟でもない気がしている。きき手の本(左対右 きき手大研究、化学同人)が出版され書評などがいくつか掲載されたために(その割にはこの本の売れ行きが爆発的とは行かない)、左きき、きき手のkeywordインターネット検索では僕の名前が出る。同じような質問に対して同一人の意見ばかりが流布されることになる。違う考え方の人がいるかも知れないのにと思うことがある。情報操作とまでは大袈裟なことは言わないが、似たことは起きているはずである。インターネットのせいで安易な人探しが行なわれている思いが強い。最近のTV番組は同じような顔ぶればかりが出るのでうんざりしてしまうのは僕だけではなかろう。番組制作者はインターネットに依存しすぎている、と言っておこう(まあいいか、こんなものかという悟りを制作者が持っているのかも知れない)。
今朝の散歩でも「何か変だな」と思った。というのは散歩道沿いの田んぼに突然案山子が出現していたことである。案山子など最近目にすることはなくなっていたのに、どうしたのであろうか。それも畦の両端に3体ずつ並んでいるだけで、僕はちょっと驚いたけれども、雀を驚かすことに効果的な配置でもなく、別段オドロオドロしい姿をしている訳でもない。第一、まだ稲は十分に出穂しておらず、いかにも場違いという感じであった。田んぼの持ち主は何を考えたのだろう、早めに案山子を準備しておかないと忘れてしまうから、ということなのかも知れない。そうだとしたら,きっと持ち主は僕と似た年齢に違いない。
今朝の散歩は暑い日が続く9月に入って始めて、汗をかかないものであった。着実に秋は来ているということだろう。
今年の夏休み
大学が決めた今年の夏休みは8月13日から19日までの7日間であった。どこにも出かけることのなかった一週間の夏休みであった。もっとも、14日はオープンキャンパス、15日は郷里への日帰り墓参り、18日は年金手続きで吹田の年金事務所へと出かけたので、まるまる時間が自由であったというわけではない。5日間が自由な休みということになるはずであったが、ボランティアや病院の検診に行く家内の運転手もしていたので、自分だけの時間というものはそれほどなかった。
16日から19日までの間で、泊まりがけで涼しいところに出かけても良いと考え、ネットで比叡山頂とか近場の温泉宿などを検索してみたが,思わしい物件は検索できず、今年の夏休みは自宅でと決め込まざるを得なかった。先月のポーランド旅行の後遺症で、1泊2食付き3~4万、それも一人当たりと値段が呈示されると、高い!と根が貧乏性なものだから怖じ気付いてしまったことである。
かくして、僕は低迷する日本経済に貢献することなく、自宅で論文作成と家庭菜園とTVで5日間のほとんどの時間を過ごすという、近年では珍しい過ごし方をした。論文作成はデータの処理が一通り済んでいて、書かねば書かねばと常日頃気になっていたものに着手することが出来た。ただし、1編の外国誌の修正依頼は終えて送信でき完了したが、それ以外のものはいずれも中途半端なままである。一つの論文を書き始めると、途中で肩・腕や手首などが痛くなり中断せねばならなくなる、書き進めて行くと統計分析を加えなければならないことに気づく、参考文献の検索が必要となること、などで中断してしまうためである。
参考文献の検索は名誉教授の唯一の特権で名古屋大学の図書館を外部からネットを介して自由に使え、検索自体は不可能ではないのだが、勉強部屋のPCはインターネットとつながっておらず(つながっているのもあるが、画面が小さい),下の部屋のPCを使いに行くのが面倒なだけである。しかし、この面倒さをもろともせずに乗り越えられないのは、加齢の影響であろう。
別の論文を書く資料もあるので、最初に着手した論文は別に機会にと放り出し,2つ目の論文に着手するのであった。それもまた、中途で進める訳に行かないことが生じて,また別のものに着手と、都合で3編の論文を書き始めて、すべてが中断状態で夏休みは終わるということとなった。手作業でχ2分析を30個ほど行なうこともしたが、途中で計算ミスや数字の入れ違いなどが見つかるので、昔のようには手際よく進まないのも、いらだちを募らせ、執筆中断の原因となった。そもそも自宅にある家庭用電卓では平方根を計算することが出来ない。エクセルで計算するやり方を探して、一通りはやったが計算結果に自信はない。
かくして、夏休み遊び回らず論文作成に専念するという13日に立てた狙いは完遂されずに、途中まで書いた論文3編に終わった。根気がなくなっていることが中途半端の原因であることは自分でも了解している。これも加齢のせいだろう。
家庭菜園もやりたいことはいくつもあったのだが、今年の熱さは尋常ではなく、途中で終わることとなった。それでも、食べきれないほど収穫となったキュウリの蔓をたぐり、石灰を撒くところまではできた。もっとも、キュウリの蔓を手ばさみで細かく裁断してごみに出しやすくする作業の結果は、夜中の右腕痛、手のこわばりをもたらすこととなった(夜中に目が覚め、その理由を推論し、これも年のせいだと了解するのであった)。手ばさみでの片手の作業は、日頃使わない手指の筋肉に思いの外負担を掛けることを知った。
翌日は塀の傍に植えただけなのに健気に次々と実を付け始めたゴーヤの根下を花壇らしくしようと煉瓦を積む作業をした(買ってきた15個の煉瓦では足りずに2個は別のもので補完したが、こういう時の計画性も加齢の性が乏しくなったようである)。5時頃からの作業でも折からの猛暑のせいで汗びっしょりの作業となった。もちろん翌日はTVの前で、筋肉痛の腕にタイガーバウムを塗り込みながら高校野球を観戦するしか仕方がなかった。
21日は人間ドックに行く予定になっており、汗びっしょり→シャワー→ビール+ジントニック、という工程は控えめにせねばならなかった夏休みである。
何と言うことはない、老性を自覚することの多い休みであった。だが、何も特別なことが起きない日々を送れたというのも悪いことではないのだと独りごちている。書きかけ始めた論文が何時になったら完成するのか分からないが、することがあるという先月から高齢者となった者として、喜ぶべきことで幸福なことであります。はい。
16日から19日までの間で、泊まりがけで涼しいところに出かけても良いと考え、ネットで比叡山頂とか近場の温泉宿などを検索してみたが,思わしい物件は検索できず、今年の夏休みは自宅でと決め込まざるを得なかった。先月のポーランド旅行の後遺症で、1泊2食付き3~4万、それも一人当たりと値段が呈示されると、高い!と根が貧乏性なものだから怖じ気付いてしまったことである。
かくして、僕は低迷する日本経済に貢献することなく、自宅で論文作成と家庭菜園とTVで5日間のほとんどの時間を過ごすという、近年では珍しい過ごし方をした。論文作成はデータの処理が一通り済んでいて、書かねば書かねばと常日頃気になっていたものに着手することが出来た。ただし、1編の外国誌の修正依頼は終えて送信でき完了したが、それ以外のものはいずれも中途半端なままである。一つの論文を書き始めると、途中で肩・腕や手首などが痛くなり中断せねばならなくなる、書き進めて行くと統計分析を加えなければならないことに気づく、参考文献の検索が必要となること、などで中断してしまうためである。
参考文献の検索は名誉教授の唯一の特権で名古屋大学の図書館を外部からネットを介して自由に使え、検索自体は不可能ではないのだが、勉強部屋のPCはインターネットとつながっておらず(つながっているのもあるが、画面が小さい),下の部屋のPCを使いに行くのが面倒なだけである。しかし、この面倒さをもろともせずに乗り越えられないのは、加齢の影響であろう。
別の論文を書く資料もあるので、最初に着手した論文は別に機会にと放り出し,2つ目の論文に着手するのであった。それもまた、中途で進める訳に行かないことが生じて,また別のものに着手と、都合で3編の論文を書き始めて、すべてが中断状態で夏休みは終わるということとなった。手作業でχ2分析を30個ほど行なうこともしたが、途中で計算ミスや数字の入れ違いなどが見つかるので、昔のようには手際よく進まないのも、いらだちを募らせ、執筆中断の原因となった。そもそも自宅にある家庭用電卓では平方根を計算することが出来ない。エクセルで計算するやり方を探して、一通りはやったが計算結果に自信はない。
かくして、夏休み遊び回らず論文作成に専念するという13日に立てた狙いは完遂されずに、途中まで書いた論文3編に終わった。根気がなくなっていることが中途半端の原因であることは自分でも了解している。これも加齢のせいだろう。
家庭菜園もやりたいことはいくつもあったのだが、今年の熱さは尋常ではなく、途中で終わることとなった。それでも、食べきれないほど収穫となったキュウリの蔓をたぐり、石灰を撒くところまではできた。もっとも、キュウリの蔓を手ばさみで細かく裁断してごみに出しやすくする作業の結果は、夜中の右腕痛、手のこわばりをもたらすこととなった(夜中に目が覚め、その理由を推論し、これも年のせいだと了解するのであった)。手ばさみでの片手の作業は、日頃使わない手指の筋肉に思いの外負担を掛けることを知った。
翌日は塀の傍に植えただけなのに健気に次々と実を付け始めたゴーヤの根下を花壇らしくしようと煉瓦を積む作業をした(買ってきた15個の煉瓦では足りずに2個は別のもので補完したが、こういう時の計画性も加齢の性が乏しくなったようである)。5時頃からの作業でも折からの猛暑のせいで汗びっしょりの作業となった。もちろん翌日はTVの前で、筋肉痛の腕にタイガーバウムを塗り込みながら高校野球を観戦するしか仕方がなかった。
21日は人間ドックに行く予定になっており、汗びっしょり→シャワー→ビール+ジントニック、という工程は控えめにせねばならなかった夏休みである。
何と言うことはない、老性を自覚することの多い休みであった。だが、何も特別なことが起きない日々を送れたというのも悪いことではないのだと独りごちている。書きかけ始めた論文が何時になったら完成するのか分からないが、することがあるという先月から高齢者となった者として、喜ぶべきことで幸福なことであります。はい。
ポーランドにて考えた
前の記事にも書いたが2度目のポーランド訪問であった。10日間の滞在中、毎日が快晴で(ときに日向では汗ばむような)あった。空気が乾いていたので気分の良い気候の下での滞在となった。とくに今回は知人に会えたこともあり幸福感に満ちた大げさに言えば至福の時間を過ごせた。インターネットでときにチェックする日本の天気は雨ばかりの様子で、得をした気分でありました。育てている野菜の水やりの心配も不要で気楽に過ごすことが出来た。
毎年のように海外には出ているが、その度にさまざまな思いをする。今回もいくつもあり、個々の事項は既に忘却されつつあるが、今でも印象深いのは、「私たちはこれで良かったのだろうか、何か間違ってしまったのではあるまいか」という思いに何度も駆られたことである。
10数年前のワルシャワやポズナンを観ていることと、現在のワルシャワやポズナンの人々の暮らしの様相が20年ほど前の日本と類似しているためなのかも知れない。この思いは夕方にワルシャワについて、知人が依頼してくれた日本語の話せる大使館職員が世話をしてくれたこと以来ずっと付いて回った思いである。
ワルシャワ空港に迎えを手配したと言うメールをもらっていた。迎えてくれたのはその職員と家族で、25歳と23歳と言う兄妹も一緒であった。この一家はポーランドを離れる最後の日の午後にも市内を案内してくれた。午後といっても10時近くまで明るいので、長い時間になる。知り合いでもなかった友人の知り合いを家族で世話をしてくれたことになる。Hospitalityとは本来このようなものなのだろう。思い返せば、30年ほど前には日本に来る外国人研究者がいると同僚というだけで観光案内に付き合ったものである。今では、私を含めてもうしない、なあと感じたことであった。
ポズナンでも知人の家族はもちろん、姉家族も近郊の名所を案内するのに付き合ってくれた。したがって、2台の車でのツアーであった。現在の日本では、嫁さんの昔の指導教授が来るからといって会社を休んで言葉も分からないのに付き合う旦那さんもいないだろう。姉さんは麻酔医でそのパートナーは開業している神経心理学者だが、われわれに同行してくれた。日曜ということもあったのかも知れないが、来客は家族で歓待するという、人情の熱さというか気持の優しさを感じた。このような気持を30年前にはわれわれも持っていたような気がする。
知人が案内してくれた場所は以前に案内してくれたお城や大聖堂などであったが、以前とほとんど変わることはなかった(このことは知人も覚えており、奥さん向けということであった)。ただ、昼を食べたレストランも夜のレストランも前と同じで、僕が食べたものも覚えているのに知人は驚いていた。人間の選択行動様式はあまり変わらないもののようである。
私だけのことかも知れないが、面倒くささを言い訳にして客を歓待すること習慣をなくしてしまったのではないか、ということである。私だけなら老化のせいかも知れないが。
ワルシャワとポズナンの公園を訪れた。日曜であったせいかも知れないが、大勢の人々が森の緑の中を悠々と散策している、子どもを緑の中で遊ばせている姿ばかりが眼に付いた。朝の公園にも行ったが、気ぜわしく早歩きをしてトレーニングしている人は稀で、5時前から明るい公園の小道をゆっくりと散策している姿が圧倒的に多かった。私には朝や休みの時間を「楽しんで過ごしている」ように思えた。
翻って考えてみると私たちの周りに何時間も散策できる森のように樹木の豊かな公園などない。のんびりと乳母車を押す若い母親の姿などついぞ見かけない。若い母親らを眺めていると、直接の関わりもないのに三好達治の「あわれ、花びらながれ、おみなごしめやかに語らい歩み…」の詩が脳裏に蘇るのであった。
自分を含めて私たちは「休む時間をゆっくりと、楽しんで取る」ことも最近ではなくなって久しい。
ポーランドで見る車はほとんどが古い型番のマニュアル車である、道路事情もまだまだ未整備であるが、「楽しく生活を送っている」という点ではわれわれは遥かに及ばないなあ、という思いに何度も遭遇した。知人は私たちの世話をした翌日から2週間家族で海に行ったとのことである。週末は13-14Kmの位置にある夏の家にて過ごすという。「子どもが喜ぶからね」ということである。知人の生活レベルがポーランドで平均とは思わないが、私ごときには出来ることではない。私には「楽しく生活を送っている」と断言できる日はもう来ないのではないか,という思いにかられる。
新しい車、高価ブランドの鞄、上等の服飾、贅沢な食を勝ち取ったわれわれは、それと引き換えに「楽しく生活する」、「人との交わりを大切にする」ことを失ったのではないかという思いが何度も頭をよぎるのであった。
ポーランドはEUに加盟した(通貨の統合は未だ)。このことで、資本主義のもつ暴虐さが「楽しく生活する」ことを10年後には壊してしまうのではないか、など、いろいろなことを思ったことでありました。
昨日から梅雨明けとか。伸び放題の菜園の草引きと芝刈りをしたせいか、何となく腰の重い朝である。今日は日曜だがオープンキャンパスに行かねばならない。これが現実であります。
毎年のように海外には出ているが、その度にさまざまな思いをする。今回もいくつもあり、個々の事項は既に忘却されつつあるが、今でも印象深いのは、「私たちはこれで良かったのだろうか、何か間違ってしまったのではあるまいか」という思いに何度も駆られたことである。
10数年前のワルシャワやポズナンを観ていることと、現在のワルシャワやポズナンの人々の暮らしの様相が20年ほど前の日本と類似しているためなのかも知れない。この思いは夕方にワルシャワについて、知人が依頼してくれた日本語の話せる大使館職員が世話をしてくれたこと以来ずっと付いて回った思いである。
ワルシャワ空港に迎えを手配したと言うメールをもらっていた。迎えてくれたのはその職員と家族で、25歳と23歳と言う兄妹も一緒であった。この一家はポーランドを離れる最後の日の午後にも市内を案内してくれた。午後といっても10時近くまで明るいので、長い時間になる。知り合いでもなかった友人の知り合いを家族で世話をしてくれたことになる。Hospitalityとは本来このようなものなのだろう。思い返せば、30年ほど前には日本に来る外国人研究者がいると同僚というだけで観光案内に付き合ったものである。今では、私を含めてもうしない、なあと感じたことであった。
ポズナンでも知人の家族はもちろん、姉家族も近郊の名所を案内するのに付き合ってくれた。したがって、2台の車でのツアーであった。現在の日本では、嫁さんの昔の指導教授が来るからといって会社を休んで言葉も分からないのに付き合う旦那さんもいないだろう。姉さんは麻酔医でそのパートナーは開業している神経心理学者だが、われわれに同行してくれた。日曜ということもあったのかも知れないが、来客は家族で歓待するという、人情の熱さというか気持の優しさを感じた。このような気持を30年前にはわれわれも持っていたような気がする。
知人が案内してくれた場所は以前に案内してくれたお城や大聖堂などであったが、以前とほとんど変わることはなかった(このことは知人も覚えており、奥さん向けということであった)。ただ、昼を食べたレストランも夜のレストランも前と同じで、僕が食べたものも覚えているのに知人は驚いていた。人間の選択行動様式はあまり変わらないもののようである。
私だけのことかも知れないが、面倒くささを言い訳にして客を歓待すること習慣をなくしてしまったのではないか、ということである。私だけなら老化のせいかも知れないが。
ワルシャワとポズナンの公園を訪れた。日曜であったせいかも知れないが、大勢の人々が森の緑の中を悠々と散策している、子どもを緑の中で遊ばせている姿ばかりが眼に付いた。朝の公園にも行ったが、気ぜわしく早歩きをしてトレーニングしている人は稀で、5時前から明るい公園の小道をゆっくりと散策している姿が圧倒的に多かった。私には朝や休みの時間を「楽しんで過ごしている」ように思えた。
翻って考えてみると私たちの周りに何時間も散策できる森のように樹木の豊かな公園などない。のんびりと乳母車を押す若い母親の姿などついぞ見かけない。若い母親らを眺めていると、直接の関わりもないのに三好達治の「あわれ、花びらながれ、おみなごしめやかに語らい歩み…」の詩が脳裏に蘇るのであった。
自分を含めて私たちは「休む時間をゆっくりと、楽しんで取る」ことも最近ではなくなって久しい。
ポーランドで見る車はほとんどが古い型番のマニュアル車である、道路事情もまだまだ未整備であるが、「楽しく生活を送っている」という点ではわれわれは遥かに及ばないなあ、という思いに何度も遭遇した。知人は私たちの世話をした翌日から2週間家族で海に行ったとのことである。週末は13-14Kmの位置にある夏の家にて過ごすという。「子どもが喜ぶからね」ということである。知人の生活レベルがポーランドで平均とは思わないが、私ごときには出来ることではない。私には「楽しく生活を送っている」と断言できる日はもう来ないのではないか,という思いにかられる。
新しい車、高価ブランドの鞄、上等の服飾、贅沢な食を勝ち取ったわれわれは、それと引き換えに「楽しく生活する」、「人との交わりを大切にする」ことを失ったのではないかという思いが何度も頭をよぎるのであった。
ポーランドはEUに加盟した(通貨の統合は未だ)。このことで、資本主義のもつ暴虐さが「楽しく生活する」ことを10年後には壊してしまうのではないか、など、いろいろなことを思ったことでありました。
昨日から梅雨明けとか。伸び放題の菜園の草引きと芝刈りをしたせいか、何となく腰の重い朝である。今日は日曜だがオープンキャンパスに行かねばならない。これが現実であります。
ポーランドでの学会:アチャー体験
昨年ヘルシンキであった国際神経心理学会(INS)夏季大会が今年はポーランドのクラクフで開催された。その一週間遅れで開催されるメルボルンでの国際応用心理学会にも行くつもりでエントリーしてあったが、昨今の大学の状況から判断して、出張しても影響の少ない時期のポーランドにした。13~4年前にワルシャワとポズナンには行ったことがある。クラコフは、ポーランドの京都と称される綺麗な町と聞いていたが、その折に行っていないのと、今年で終わる科研費の研究に直接関連するのでINSを選択した。
何時ものことだが、海外に行くと「しまった」、「アチャー」という類いのエピソードが生まれる。そのうち忘れてしまうので記しておいて、自分が身動きできなくなった頃に読み返そうという意図である。だが、きっとその意図も忘れるようになるのだろう。マーフィーの法則というやつで、「患者の訴えを十分に聞けるようになる頃には医者は耳が遠くなってしまっている」、「上手に講義できるようになったら教授は定年で退職する」、「ボケたら遠慮せずに言ってくれと言っていたのがボケて理解できない」という類いかも知れないけど。
クラコフにはポズナン→ワルシャワ経由で、国内線で入った。電車だと7時間かかるが飛行機の乗り継ぎだと4時間ほどである。
ポズナンには2泊して別の用事(研究にも関係があるのです。念のため)を済ましての到着であった。前日に到着している共同研究者とは前日パソコンメールで連絡をしてあり「迎えに行きますから」ということであった。そのときは携帯電話が繋がることも確認した。
クラコフ空港に到着したが、彼の姿がない。携帯電話を何度もかけるが、繋がらない。新しい機種の電話でも繋がらない。仕方がないのでタクシーでホテルに到着するが、彼はいない。チェックインしてロビーでどうしたものかと、とりあえず携帯電話をかけると、今度は繋がり、彼はクラコフ駅にて我々を待っているのが判明。ホテルに戻ってくるよう頼んでロビーでビール(ホテルのロビーでも200円ほどで500cc、水より安い?水はあまり冷やさないのでビールとなる)を飲んで待つ。10分ほどと言う話であったのに30分近くもかかってやっと合流できた。この地域では携帯が繋がったり、繋がらなかったりするものであることが確認できた。彼の言うには、電車でワルシャワから来ると思っていたらしい。
お互いに確認しないことが原因の「しまった」第1弾であった。
翌日は彼のポスター発表なので一緒に会場に行く。大学の中にある新しい会議場ですばらしい構造物であるが、昨年の学会に比べて参加者は少ない印象であった。それでも、4組ほどの日本人の発表があり、顔なじみなので話をしていたところ、「先生、新しい大学でもがんばってますね、オーラルですね」という。そのときはメルボルンの学会での口頭発表のことだと思ったので、いや忙しいから参加できないのだ、ということで次の日本人の発表者のところに行くと、また同じように「先生すごいねえ」と言う。何を言っているのかと聞くと、プログラムを取り出し、「明後日の8時半からですねえ」と言う。このとき始めて、自分の発表はポスターではなく、口頭発表であることを知った。「アチャー」である。大学の新しいA3サイズが印刷できるカラーコピー機を探し求めてやっと作って大切に持参したポスターは、要らなかったのである。久しぶりに「エー!!」どうしようとしばらく放心常態となった。
日本人の発表者と話をしなければ3日目の朝にポスターを貼りに来ていたに違いない。口頭発表セッションに穴を開けるような迷惑をかけずに済んだ、「助かった!」という思いと、「自分は運が良い」ということを確認した。
幸いパソコンは持参しているし、ポスターを作った痕跡があるので、5-6枚スライドを追加すれば済むわいと気楽に考えることにした。思い返せば1978年6月にマルセーユ大学を家族を連れて見学に出かけたとき、早朝の迎えの先生が車の中で、「スライド使いますか?」みたいなことを訊ねられて、始めて自分が講演するのだということを知った。大学に到着すると聴衆が100名ほど待機していた。あのときの驚きに比べれば軽いもんだと考えるようにした。あのときでも黒板を使って100分ほどしゃべったのだから、12分位は何とかなるはずと思い悩むことは止めにした(取り消しがあり、本番では20分の発表となった)。
自分の研究内容の説明だし、それなりの場数も踏んで来たので、発表は特に問題なく終わった。2つの質問があったが、特段困ることはなかった。
これが確認しないことと思い込みによる2つ目の「アチャー」体験である。その他にも細かい「アチャー」はいくつもあったが。無事7/6に帰国した。
思えば、これまでにも何度も大きな「アチャー」というような、とんでもない思い違いや失敗をしでかして来たが、何とかなったように思う。その為に困っている人も大勢いますよという声が聞こえてくる気はしますけど。
それにつけても自分は運が良い、有り難いことであります。
何時ものことだが、海外に行くと「しまった」、「アチャー」という類いのエピソードが生まれる。そのうち忘れてしまうので記しておいて、自分が身動きできなくなった頃に読み返そうという意図である。だが、きっとその意図も忘れるようになるのだろう。マーフィーの法則というやつで、「患者の訴えを十分に聞けるようになる頃には医者は耳が遠くなってしまっている」、「上手に講義できるようになったら教授は定年で退職する」、「ボケたら遠慮せずに言ってくれと言っていたのがボケて理解できない」という類いかも知れないけど。
クラコフにはポズナン→ワルシャワ経由で、国内線で入った。電車だと7時間かかるが飛行機の乗り継ぎだと4時間ほどである。
ポズナンには2泊して別の用事(研究にも関係があるのです。念のため)を済ましての到着であった。前日に到着している共同研究者とは前日パソコンメールで連絡をしてあり「迎えに行きますから」ということであった。そのときは携帯電話が繋がることも確認した。
クラコフ空港に到着したが、彼の姿がない。携帯電話を何度もかけるが、繋がらない。新しい機種の電話でも繋がらない。仕方がないのでタクシーでホテルに到着するが、彼はいない。チェックインしてロビーでどうしたものかと、とりあえず携帯電話をかけると、今度は繋がり、彼はクラコフ駅にて我々を待っているのが判明。ホテルに戻ってくるよう頼んでロビーでビール(ホテルのロビーでも200円ほどで500cc、水より安い?水はあまり冷やさないのでビールとなる)を飲んで待つ。10分ほどと言う話であったのに30分近くもかかってやっと合流できた。この地域では携帯が繋がったり、繋がらなかったりするものであることが確認できた。彼の言うには、電車でワルシャワから来ると思っていたらしい。
お互いに確認しないことが原因の「しまった」第1弾であった。
翌日は彼のポスター発表なので一緒に会場に行く。大学の中にある新しい会議場ですばらしい構造物であるが、昨年の学会に比べて参加者は少ない印象であった。それでも、4組ほどの日本人の発表があり、顔なじみなので話をしていたところ、「先生、新しい大学でもがんばってますね、オーラルですね」という。そのときはメルボルンの学会での口頭発表のことだと思ったので、いや忙しいから参加できないのだ、ということで次の日本人の発表者のところに行くと、また同じように「先生すごいねえ」と言う。何を言っているのかと聞くと、プログラムを取り出し、「明後日の8時半からですねえ」と言う。このとき始めて、自分の発表はポスターではなく、口頭発表であることを知った。「アチャー」である。大学の新しいA3サイズが印刷できるカラーコピー機を探し求めてやっと作って大切に持参したポスターは、要らなかったのである。久しぶりに「エー!!」どうしようとしばらく放心常態となった。
日本人の発表者と話をしなければ3日目の朝にポスターを貼りに来ていたに違いない。口頭発表セッションに穴を開けるような迷惑をかけずに済んだ、「助かった!」という思いと、「自分は運が良い」ということを確認した。
幸いパソコンは持参しているし、ポスターを作った痕跡があるので、5-6枚スライドを追加すれば済むわいと気楽に考えることにした。思い返せば1978年6月にマルセーユ大学を家族を連れて見学に出かけたとき、早朝の迎えの先生が車の中で、「スライド使いますか?」みたいなことを訊ねられて、始めて自分が講演するのだということを知った。大学に到着すると聴衆が100名ほど待機していた。あのときの驚きに比べれば軽いもんだと考えるようにした。あのときでも黒板を使って100分ほどしゃべったのだから、12分位は何とかなるはずと思い悩むことは止めにした(取り消しがあり、本番では20分の発表となった)。
自分の研究内容の説明だし、それなりの場数も踏んで来たので、発表は特に問題なく終わった。2つの質問があったが、特段困ることはなかった。
これが確認しないことと思い込みによる2つ目の「アチャー」体験である。その他にも細かい「アチャー」はいくつもあったが。無事7/6に帰国した。
思えば、これまでにも何度も大きな「アチャー」というような、とんでもない思い違いや失敗をしでかして来たが、何とかなったように思う。その為に困っている人も大勢いますよという声が聞こえてくる気はしますけど。
それにつけても自分は運が良い、有り難いことであります。
限界かな?
忙しさが尋常レベルではなかった5月が終わり、6月に入って少し気分的には楽になったはずなのに、次々と「もう、限界かも」と感じることが出現している。明日からポーランドで行なわれる国際学会に出かけるので、帰国後は気分の転換が可能となっているかも知れないが、昨今の悩みをぶちまけておこう。書くことはストレスコーピングの一形態だから。
悩みに共通する単語は「言っていることを相手が理解しない(出来ない)」である。
大学では教務部長と教育開発支援センター長を併任している。現在の勤務先では各種の役職(委員会を含めて)は選挙で選ばれるのではなく、指名制度なので、かつてのように、いくつも委員会は大変だろうから投票は遠慮しようなどの配慮が機能することはない。役職の多い人とない人の格差が大きいし、それに対する対価も乏しい(と思う)。詳細に書くわけにはいかないので省くけれども、たとえば教務委員会(僕は委員長)での検討を委員にお願いしても、回答は遅く、的外れということが起きる。各委員が所属集団から選出されていないので、自分の判断は所属集団のものとする自信がない。そこで、所属集団に持ち帰って云々ということになる。問題への対応が数ヶ月遅れで(忘れた頃に)進むことになる。まとめ役のイライラはつのる。
私学なのでその組織がトップダウンであることに異議を挟んでいるわけではないが、小さい組織から中規模になると、組織運営に参加している気がしない→帰属意識が育たない、という構成員も見受けられることになる。
具体的なことは昼飯会のメンバーで愚痴を言いあってそこそこ発散しているつもりであるが、2年目に入るとストレスの蓄積も閾値近くになるということである。
学生指導でも溜まってくるものが増え、限界に近くなっているのを意識する。以前にも書いたような気がするが、集団を対象に指示をしても自分が該当者という認識に欠けるものが多いようである。16名もの卒論指導生を抱えているので、年度始め(厳密には3月)から、関心のあるテーマを探す→学術論文を探して読む→計画を相談せよ、と指示をしてあるが、現時点でも相変わらずで、卒論はどうなっているのかと問うと、「先生、何しよう?」レベルのものが半分以上いる。
言葉をきつくして指示したら「図書館で論文のコピーを頼んで来た」というので、利き目があったわいと思って具体的に聞くと、商業雑誌(それもヌード写真も掲載されていそうな)名を答える始末である。学術論文の定義を半年前から何度言ったのか分からないが、理解していない。当該の学生相手個人対象ではなかったのだろうと、頭を抱えるしかない。
現在は教員採用試験の準備に頭がいっぱいなのだろうと慮るしかないのだが、毎日、時間を決めて受験勉強をしなさいと指示したことも、了解して実行しているかは怪しい。大半の学生は子どもが減ったせいで、受験勉強などした経験がないことを、過日訪問した実習校の校長先生から聞いた。推薦で、高校に、大学にと進学できるので、受験勉強などしないのです、ということである。そもそも受験勉強のやり方(問題集をコツコツとやる)など学んで来ていないのだ。
7月には試験がある。昨年は僕のゼミ生は8人ほど受験して半分が1次、2名が最終的に合格したが、昨年ほど受験勉強をしている気配がないので大丈夫かなと心配である。
昨日の朝にゼミ生個別にメールを発信して、卒論の計画書を出すように指示したら、珍しくほぼ全員が集まって来た。どうやら、全員に一斉に指示しても、我がこととは受け取れないが、個人的に情報を発信し、それを受け取らせると指示は伝わるようである。
何か新しいタイプのように思える。だが、社会に出れば、たいていのことは一斉に情宣・連絡され、それで終わりのことが多い。後は個人の責任とされるのだが、個人向けの情報しか受け取れないようでは社会に出て大丈夫かと老婆(爺)心はつのる。
もう、限界かな?と思いつつもスーツケースを引っ張り出さねばならない、時間となった出発前の梅雨の日であります。
悩みに共通する単語は「言っていることを相手が理解しない(出来ない)」である。
大学では教務部長と教育開発支援センター長を併任している。現在の勤務先では各種の役職(委員会を含めて)は選挙で選ばれるのではなく、指名制度なので、かつてのように、いくつも委員会は大変だろうから投票は遠慮しようなどの配慮が機能することはない。役職の多い人とない人の格差が大きいし、それに対する対価も乏しい(と思う)。詳細に書くわけにはいかないので省くけれども、たとえば教務委員会(僕は委員長)での検討を委員にお願いしても、回答は遅く、的外れということが起きる。各委員が所属集団から選出されていないので、自分の判断は所属集団のものとする自信がない。そこで、所属集団に持ち帰って云々ということになる。問題への対応が数ヶ月遅れで(忘れた頃に)進むことになる。まとめ役のイライラはつのる。
私学なのでその組織がトップダウンであることに異議を挟んでいるわけではないが、小さい組織から中規模になると、組織運営に参加している気がしない→帰属意識が育たない、という構成員も見受けられることになる。
具体的なことは昼飯会のメンバーで愚痴を言いあってそこそこ発散しているつもりであるが、2年目に入るとストレスの蓄積も閾値近くになるということである。
学生指導でも溜まってくるものが増え、限界に近くなっているのを意識する。以前にも書いたような気がするが、集団を対象に指示をしても自分が該当者という認識に欠けるものが多いようである。16名もの卒論指導生を抱えているので、年度始め(厳密には3月)から、関心のあるテーマを探す→学術論文を探して読む→計画を相談せよ、と指示をしてあるが、現時点でも相変わらずで、卒論はどうなっているのかと問うと、「先生、何しよう?」レベルのものが半分以上いる。
言葉をきつくして指示したら「図書館で論文のコピーを頼んで来た」というので、利き目があったわいと思って具体的に聞くと、商業雑誌(それもヌード写真も掲載されていそうな)名を答える始末である。学術論文の定義を半年前から何度言ったのか分からないが、理解していない。当該の学生相手個人対象ではなかったのだろうと、頭を抱えるしかない。
現在は教員採用試験の準備に頭がいっぱいなのだろうと慮るしかないのだが、毎日、時間を決めて受験勉強をしなさいと指示したことも、了解して実行しているかは怪しい。大半の学生は子どもが減ったせいで、受験勉強などした経験がないことを、過日訪問した実習校の校長先生から聞いた。推薦で、高校に、大学にと進学できるので、受験勉強などしないのです、ということである。そもそも受験勉強のやり方(問題集をコツコツとやる)など学んで来ていないのだ。
7月には試験がある。昨年は僕のゼミ生は8人ほど受験して半分が1次、2名が最終的に合格したが、昨年ほど受験勉強をしている気配がないので大丈夫かなと心配である。
昨日の朝にゼミ生個別にメールを発信して、卒論の計画書を出すように指示したら、珍しくほぼ全員が集まって来た。どうやら、全員に一斉に指示しても、我がこととは受け取れないが、個人的に情報を発信し、それを受け取らせると指示は伝わるようである。
何か新しいタイプのように思える。だが、社会に出れば、たいていのことは一斉に情宣・連絡され、それで終わりのことが多い。後は個人の責任とされるのだが、個人向けの情報しか受け取れないようでは社会に出て大丈夫かと老婆(爺)心はつのる。
もう、限界かな?と思いつつもスーツケースを引っ張り出さねばならない、時間となった出発前の梅雨の日であります。
久しぶりの落語
久しぶりに落語を生で聞く機会があった。最近は忙しいですか?と聞かれると「まあまあ」などとは答えないようにしている。教務関係に次々生じる難題、教育開発支援センターでの入学前教育やFDの関連問題、さらに大学院開設の準備が重なっている。新たにIR(Institutional Research)などという、高等教育の専門家と少子化に伴う経営難に怯える大学をターゲットにして稼ごうとする教育産業共同体が火をつけようとしている課題の検討を命ぜられ、四苦八苦している。併せて6月に発刊予定の人間環境学研究(第8巻1号)の査読などもあり、忙しさは中途半端ではない。自分の書きかけの論文など一向に進捗しない。人間環境学研究も昨年からデータベースJ-Stageに採択されるようになったせいか、投稿が倍増している。嬉しいことなのだが、大変さは増している(何時も自慢げに忙しさを訴えるようで恐縮です)。
落語を生で聴いたのは、友人の出版記念パーティの前に行なわれた、大学の公開講座の講演会に出たからである。過日たまたま見た、英語落語を米国で半年間やっていた落語家のドキュメンタリーTV番組の本人が出演したのを聴いたのである。無料だったことが作用したのかどうかは知らないが、会場をほぼ埋め尽くす観客数で、盛況であった。
なんと言ってもプロは上手なもので、久しぶりに大笑いをさせられた。忙しい時間に追いまくられて生活に余裕がない昨今にもかかわらず、涙が出て困るほど笑った。TV番組を自宅で寝そべって観ていたときには、「名前は聴いたことがあるが、興行会社が半年も営業させずに米国に派遣させているのだから,それほどの落語家ではないのだろう」などと、不遜にも思ったことが申し訳ないほどの熱演であり、プロの噺家は声の張り、テンポ、間の取り方など流石と感服した。
落語家はいくつもの外国での英語での落語出演の経験から、文化差に付いても興味深い見識を示していた。公開講座の後のパーティで本人から案内をもらったので、時間が取れたら独演会に行ってみようと言う気になっている。
彼の説では、米国人は笑うことを他人より先にした方が賢い人間とされるので、ジョークへの反応が日本人よりは良いそうな。この話は自分の授業で披露すべし、と決めている。授業で笑いを取るつもりのところで,滑る率は減るはずである。
パーティの時の挨拶でも触れたが,学部の学生の頃に時々角座に出かけたものである。歌舞伎などに女学生を誘うことは金額的に無理であったが、落語、漫才をなんばの角座では比較的安く鑑賞できたのである。誘った女の子にはにわか仕込みの落語の知識を披露するなどの見栄を張ったものである。
そう言えば、昭和40年頃の大学生は知的虚栄心とでも言うべきものを持っていた。「エッセン」、「メッチェン」「ドッペる」などのドイツ語の単語を日常で使ったり、「世界」、「展望、「現代の眼」などの総合評論雑誌を常時携帯したものである。「実存主義って何?」などと同級生の女の子に聞かれると大慌てで調べたものである。
最近の大学生は「あるがまま」が良いとか、「自分はそれなりに優れている」などと思い込んでいるようで、知的虚栄心を持つなどとはほど遠いように思える。知的虚栄心は自分の知的レベルを向上させる原動力という働きがあるはずなのに,「見栄を張らずにこれで良い」と考えているらしい。若者にあるまじき心根と嘆いておこう。
久しぶりに笑うきっかけをくれた友人には感謝である。埋もれていた学生時代の角座でのエピソード記憶が想起されたので,前頭葉も少しは活性したはずである。
ちなみに友人が出版したのは「高座心理学:あいり出版、ISBN978-4-901903-32-5である。是非購入を!
落語を生で聴いたのは、友人の出版記念パーティの前に行なわれた、大学の公開講座の講演会に出たからである。過日たまたま見た、英語落語を米国で半年間やっていた落語家のドキュメンタリーTV番組の本人が出演したのを聴いたのである。無料だったことが作用したのかどうかは知らないが、会場をほぼ埋め尽くす観客数で、盛況であった。
なんと言ってもプロは上手なもので、久しぶりに大笑いをさせられた。忙しい時間に追いまくられて生活に余裕がない昨今にもかかわらず、涙が出て困るほど笑った。TV番組を自宅で寝そべって観ていたときには、「名前は聴いたことがあるが、興行会社が半年も営業させずに米国に派遣させているのだから,それほどの落語家ではないのだろう」などと、不遜にも思ったことが申し訳ないほどの熱演であり、プロの噺家は声の張り、テンポ、間の取り方など流石と感服した。
落語家はいくつもの外国での英語での落語出演の経験から、文化差に付いても興味深い見識を示していた。公開講座の後のパーティで本人から案内をもらったので、時間が取れたら独演会に行ってみようと言う気になっている。
彼の説では、米国人は笑うことを他人より先にした方が賢い人間とされるので、ジョークへの反応が日本人よりは良いそうな。この話は自分の授業で披露すべし、と決めている。授業で笑いを取るつもりのところで,滑る率は減るはずである。
パーティの時の挨拶でも触れたが,学部の学生の頃に時々角座に出かけたものである。歌舞伎などに女学生を誘うことは金額的に無理であったが、落語、漫才をなんばの角座では比較的安く鑑賞できたのである。誘った女の子にはにわか仕込みの落語の知識を披露するなどの見栄を張ったものである。
そう言えば、昭和40年頃の大学生は知的虚栄心とでも言うべきものを持っていた。「エッセン」、「メッチェン」「ドッペる」などのドイツ語の単語を日常で使ったり、「世界」、「展望、「現代の眼」などの総合評論雑誌を常時携帯したものである。「実存主義って何?」などと同級生の女の子に聞かれると大慌てで調べたものである。
最近の大学生は「あるがまま」が良いとか、「自分はそれなりに優れている」などと思い込んでいるようで、知的虚栄心を持つなどとはほど遠いように思える。知的虚栄心は自分の知的レベルを向上させる原動力という働きがあるはずなのに,「見栄を張らずにこれで良い」と考えているらしい。若者にあるまじき心根と嘆いておこう。
久しぶりに笑うきっかけをくれた友人には感謝である。埋もれていた学生時代の角座でのエピソード記憶が想起されたので,前頭葉も少しは活性したはずである。
ちなみに友人が出版したのは「高座心理学:あいり出版、ISBN978-4-901903-32-5である。是非購入を!
親不孝
この週末は久しぶりに予定がなく自由な時間が取れた。週末に出かけた文科省での折衝も,前回とは打って変わって大した文句もいわれず、土日での作業を覚悟していたのに拍子抜けということであった。もちろん、気分が悪いはずはない。金曜日には科研費申請の結果が届いており、今年は大学の採択数が倍増したらしく、申請書の書き方の講習会に講師に駆り出された者としては嬉しいことであった。講習会に参加された先生達に科研費を申請しましょうなどと言った手前、自分も出さないと後ろ指さされそうな気がしたので,自分は未だ継続中の別部門での科研費があるのだが、同時に申請できる「萌芽」部門に申請しておいた。これも採択されたとのことで面目が立った。
かくて、機嫌良く休日を過ごしていると、天気が良いことと相まって、浮かれた気分となり、普段とは異なる方面へと散歩の軌跡は進むこととなる。あちこちに桜が満開で、桜花爛漫というのは実に気持がよい。
人工的に植えた並木にはソメイヨシノが多いが、山裾や山肌にその存在を訴えるように、1本きりに咲く山桜の方が僕は好きである。山桜は花びらの量がソメイヨシノとは比べるとかなり少なく、概観からは花びらが3割、若葉が7割ぐらいのものが多い。ソメイヨシノは花びらの量が多いのでピンク一色となるが、山桜の場合には、色合いが複雑である。薄紅色の花びらと黄緑色の若葉と、その若葉を包むパーシモンレッド(柿色)の花軸(?)から構成されるのが良いのである。「鼻より、歯が先」と出っ歯のことを山桜と隠語で言うように、山桜は花と葉が同時に見られるのである。
散歩道の神社にはソメイヨシノの並木に混じってモミジの若葉が芽を吹いていた。モミジの若葉もよく見ると葉先は柿色の縁取りがあり、若葉が伸びる軸には柿色の鞘が付いている。つまり、モミジも黄緑だけでなく若葉の縁取りや軸の鞘の紅い色が加わって、2色から構成されているのだ。もちろん若葉はその成長に併せて緑色の濃さを増すので単純な2色ではない。
モミジの若葉に紅い色が加わっていることや新芽が紅い鞘で包まれて育つことを今日の散歩で始めて知った。
そう言えば自宅の庭にもモミジがあるはずなので気づかずにいたのかと、帰って調べるべしと思ったのだが、モミジの木は見つからなかった。家内にモミジがあったのではないかと確認すると、かつては庭にあったが庭を改装したときに、日当たりの良い場所でなかったこともありあまり育たなかったので処分したとのことであった。父親が届けてくれたものであったことも家内から指摘され思い出す始末であった。
散歩から帰る道中にある寺院の立て札に、「咲く花を愛でて喜ぶのではなく、それを育てている土に思いを馳せろ」という主旨の歌が書いてあった。どういう仕組みでこの歌に注意が向かったのかは分からないが、誠にそのとおりで、親不孝なことでありますと言うしかない。浮かれていた気分もやや沈みがちということとなりました。反省。
かくて、機嫌良く休日を過ごしていると、天気が良いことと相まって、浮かれた気分となり、普段とは異なる方面へと散歩の軌跡は進むこととなる。あちこちに桜が満開で、桜花爛漫というのは実に気持がよい。
人工的に植えた並木にはソメイヨシノが多いが、山裾や山肌にその存在を訴えるように、1本きりに咲く山桜の方が僕は好きである。山桜は花びらの量がソメイヨシノとは比べるとかなり少なく、概観からは花びらが3割、若葉が7割ぐらいのものが多い。ソメイヨシノは花びらの量が多いのでピンク一色となるが、山桜の場合には、色合いが複雑である。薄紅色の花びらと黄緑色の若葉と、その若葉を包むパーシモンレッド(柿色)の花軸(?)から構成されるのが良いのである。「鼻より、歯が先」と出っ歯のことを山桜と隠語で言うように、山桜は花と葉が同時に見られるのである。
散歩道の神社にはソメイヨシノの並木に混じってモミジの若葉が芽を吹いていた。モミジの若葉もよく見ると葉先は柿色の縁取りがあり、若葉が伸びる軸には柿色の鞘が付いている。つまり、モミジも黄緑だけでなく若葉の縁取りや軸の鞘の紅い色が加わって、2色から構成されているのだ。もちろん若葉はその成長に併せて緑色の濃さを増すので単純な2色ではない。
モミジの若葉に紅い色が加わっていることや新芽が紅い鞘で包まれて育つことを今日の散歩で始めて知った。
そう言えば自宅の庭にもモミジがあるはずなので気づかずにいたのかと、帰って調べるべしと思ったのだが、モミジの木は見つからなかった。家内にモミジがあったのではないかと確認すると、かつては庭にあったが庭を改装したときに、日当たりの良い場所でなかったこともありあまり育たなかったので処分したとのことであった。父親が届けてくれたものであったことも家内から指摘され思い出す始末であった。
散歩から帰る道中にある寺院の立て札に、「咲く花を愛でて喜ぶのではなく、それを育てている土に思いを馳せろ」という主旨の歌が書いてあった。どういう仕組みでこの歌に注意が向かったのかは分からないが、誠にそのとおりで、親不孝なことでありますと言うしかない。浮かれていた気分もやや沈みがちということとなりました。反省。