親不孝
この週末は久しぶりに予定がなく自由な時間が取れた。週末に出かけた文科省での折衝も,前回とは打って変わって大した文句もいわれず、土日での作業を覚悟していたのに拍子抜けということであった。もちろん、気分が悪いはずはない。金曜日には科研費申請の結果が届いており、今年は大学の採択数が倍増したらしく、申請書の書き方の講習会に講師に駆り出された者としては嬉しいことであった。講習会に参加された先生達に科研費を申請しましょうなどと言った手前、自分も出さないと後ろ指さされそうな気がしたので,自分は未だ継続中の別部門での科研費があるのだが、同時に申請できる「萌芽」部門に申請しておいた。これも採択されたとのことで面目が立った。
かくて、機嫌良く休日を過ごしていると、天気が良いことと相まって、浮かれた気分となり、普段とは異なる方面へと散歩の軌跡は進むこととなる。あちこちに桜が満開で、桜花爛漫というのは実に気持がよい。
人工的に植えた並木にはソメイヨシノが多いが、山裾や山肌にその存在を訴えるように、1本きりに咲く山桜の方が僕は好きである。山桜は花びらの量がソメイヨシノとは比べるとかなり少なく、概観からは花びらが3割、若葉が7割ぐらいのものが多い。ソメイヨシノは花びらの量が多いのでピンク一色となるが、山桜の場合には、色合いが複雑である。薄紅色の花びらと黄緑色の若葉と、その若葉を包むパーシモンレッド(柿色)の花軸(?)から構成されるのが良いのである。「鼻より、歯が先」と出っ歯のことを山桜と隠語で言うように、山桜は花と葉が同時に見られるのである。
散歩道の神社にはソメイヨシノの並木に混じってモミジの若葉が芽を吹いていた。モミジの若葉もよく見ると葉先は柿色の縁取りがあり、若葉が伸びる軸には柿色の鞘が付いている。つまり、モミジも黄緑だけでなく若葉の縁取りや軸の鞘の紅い色が加わって、2色から構成されているのだ。もちろん若葉はその成長に併せて緑色の濃さを増すので単純な2色ではない。
モミジの若葉に紅い色が加わっていることや新芽が紅い鞘で包まれて育つことを今日の散歩で始めて知った。
そう言えば自宅の庭にもモミジがあるはずなので気づかずにいたのかと、帰って調べるべしと思ったのだが、モミジの木は見つからなかった。家内にモミジがあったのではないかと確認すると、かつては庭にあったが庭を改装したときに、日当たりの良い場所でなかったこともありあまり育たなかったので処分したとのことであった。父親が届けてくれたものであったことも家内から指摘され思い出す始末であった。
散歩から帰る道中にある寺院の立て札に、「咲く花を愛でて喜ぶのではなく、それを育てている土に思いを馳せろ」という主旨の歌が書いてあった。どういう仕組みでこの歌に注意が向かったのかは分からないが、誠にそのとおりで、親不孝なことでありますと言うしかない。浮かれていた気分もやや沈みがちということとなりました。反省。
かくて、機嫌良く休日を過ごしていると、天気が良いことと相まって、浮かれた気分となり、普段とは異なる方面へと散歩の軌跡は進むこととなる。あちこちに桜が満開で、桜花爛漫というのは実に気持がよい。
人工的に植えた並木にはソメイヨシノが多いが、山裾や山肌にその存在を訴えるように、1本きりに咲く山桜の方が僕は好きである。山桜は花びらの量がソメイヨシノとは比べるとかなり少なく、概観からは花びらが3割、若葉が7割ぐらいのものが多い。ソメイヨシノは花びらの量が多いのでピンク一色となるが、山桜の場合には、色合いが複雑である。薄紅色の花びらと黄緑色の若葉と、その若葉を包むパーシモンレッド(柿色)の花軸(?)から構成されるのが良いのである。「鼻より、歯が先」と出っ歯のことを山桜と隠語で言うように、山桜は花と葉が同時に見られるのである。
散歩道の神社にはソメイヨシノの並木に混じってモミジの若葉が芽を吹いていた。モミジの若葉もよく見ると葉先は柿色の縁取りがあり、若葉が伸びる軸には柿色の鞘が付いている。つまり、モミジも黄緑だけでなく若葉の縁取りや軸の鞘の紅い色が加わって、2色から構成されているのだ。もちろん若葉はその成長に併せて緑色の濃さを増すので単純な2色ではない。
モミジの若葉に紅い色が加わっていることや新芽が紅い鞘で包まれて育つことを今日の散歩で始めて知った。
そう言えば自宅の庭にもモミジがあるはずなので気づかずにいたのかと、帰って調べるべしと思ったのだが、モミジの木は見つからなかった。家内にモミジがあったのではないかと確認すると、かつては庭にあったが庭を改装したときに、日当たりの良い場所でなかったこともありあまり育たなかったので処分したとのことであった。父親が届けてくれたものであったことも家内から指摘され思い出す始末であった。
散歩から帰る道中にある寺院の立て札に、「咲く花を愛でて喜ぶのではなく、それを育てている土に思いを馳せろ」という主旨の歌が書いてあった。どういう仕組みでこの歌に注意が向かったのかは分からないが、誠にそのとおりで、親不孝なことでありますと言うしかない。浮かれていた気分もやや沈みがちということとなりました。反省。