入試 | はったブログ

入試

 今日(1/23)も入試のために早起きである。早起きというのは適切ではなく、出勤するのが通常よりも早いと言う方が正しい。先週末のセンター入試では7時半に大学に到着を2日続けて行なった。今週末は自分の大学の何回目かも覚えられない入試である。肉体的疲労はぎりぎりのところまで来ている。
 この時期になると、センター入試では鬱々とした不満感情がひとりでに毎年わき上がる。おそらく会場となっている大学で長時間監督をさせられる人たちには共通のものがあると勝手に思っている。30年ほど前まで各大学に任されていた入試では難問奇問が多くて、それが社会問題までなって来たことを理由に始まった共通1次試験がセンター入試に代わり今日にいたっているのだが、その使命は終わったと言ってよかろう。
 全国で公平さを担保するという理由から寸刻違わない形式で試験が行なわれるのは、どう考えても非常識である。非常識とは心理学的にはエラーが出るのが人間なので非常識なのである。やり方にミス(5分早く始めてしまったなど)を、マスコミが報道するものだから実施する側のプレッシャーは並大抵のものではない。実施本部にはマスコミが何かミスはなかったかを期待でもするかのように何度も聞いてくる。そのために、監督中に居眠りしたなどと報道されてしまう。教員が試験監督で職員は裏方に回されるのもはじめの頃の国家公務員的発想の産物であろう。だいたい様々な分野の学者や研究者に専門外のことをマニュアアルどおりに間違わずにやれというのが、心理学的には間違っている(と安全心理学の研究者なら言うはずで、僕の個人的経験からもこの先生は向いてないなあ、と感じることは多かった)。彼らに本務である研究に当たらせる方が確実にコストパフォーマンスは高いことは言うまでもない。監督者に当たった教員なら誰でも、この時間を研究に配分したら実験が進む、論文が書けるのにと思う(他の暇な時間でやっているのかい?という外野の声も聞こえそうではあるけど)。
 独立法人化された入試センターは60点当たりを最瀕値とし正規分布する試験問題としては質の良い問題を作れる法人になったのだから、プールされた問題群から必要な大学が必要な科目の問題を購入させ、各大学が独自でそれを使った入試をすれば良いのだ。そうすれば、各大学が好きな時間帯に入試が可能である。
 センター入試利用の大学が増えたなどの新聞情報を流して一法人の太鼓持ちをするのを目にするのも不快である。全科目受験する者は以前よりも激減しているはずで、1~2科目だけ受験者を含めるという数字の使い方をしていることにマスコミは気づくべきである。マスコミはセンター入試の翌日に全科目の問題と答案を細かい文字で何頁にも渡って掲載する。予備校や大学の広告が取れるというので止められないのだろうが、何頁も渡ってこのようなものを掲載する価値がどこにあると言うのか(文字が小さ過ぎて読めずに腹が立つという因子の寄与は少ない)。もっと他にすることがあるだろう!と毎年突っ込みを入れている。学力偏差値の両極端にある大学ではセンター入試の成績の実質的な利用はわずかなのだから、一法人がやる事業に別の法人の職員を使われるのは拒めば良いのにと思うことしきりである。ネクタイ着用のことなどと、監督者の服装の指示までさせるというのはセンター入試の法人の傲慢さというしかない。
 いったん構成された組織は自己組織の強化に向かい、始まった事業は肥大化する(私大もしかり)、という法則は入試センターも例外ではないということで、事業仕分けの対象にならないものかと密かに思うのだが、知人も勤務しているので声高には言い難い。
 疲労が蓄積してくると、このように不満は醸成され拡大して行くのである。今週2回も飲み会をやってしまったこともあるので、入試だけがその原因でもないことのだが、センター入試のやり方は再考すべきであることは主張しておきたい。