ポーランドでの学会:アチャー体験
昨年ヘルシンキであった国際神経心理学会(INS)夏季大会が今年はポーランドのクラクフで開催された。その一週間遅れで開催されるメルボルンでの国際応用心理学会にも行くつもりでエントリーしてあったが、昨今の大学の状況から判断して、出張しても影響の少ない時期のポーランドにした。13~4年前にワルシャワとポズナンには行ったことがある。クラコフは、ポーランドの京都と称される綺麗な町と聞いていたが、その折に行っていないのと、今年で終わる科研費の研究に直接関連するのでINSを選択した。
何時ものことだが、海外に行くと「しまった」、「アチャー」という類いのエピソードが生まれる。そのうち忘れてしまうので記しておいて、自分が身動きできなくなった頃に読み返そうという意図である。だが、きっとその意図も忘れるようになるのだろう。マーフィーの法則というやつで、「患者の訴えを十分に聞けるようになる頃には医者は耳が遠くなってしまっている」、「上手に講義できるようになったら教授は定年で退職する」、「ボケたら遠慮せずに言ってくれと言っていたのがボケて理解できない」という類いかも知れないけど。
クラコフにはポズナン→ワルシャワ経由で、国内線で入った。電車だと7時間かかるが飛行機の乗り継ぎだと4時間ほどである。
ポズナンには2泊して別の用事(研究にも関係があるのです。念のため)を済ましての到着であった。前日に到着している共同研究者とは前日パソコンメールで連絡をしてあり「迎えに行きますから」ということであった。そのときは携帯電話が繋がることも確認した。
クラコフ空港に到着したが、彼の姿がない。携帯電話を何度もかけるが、繋がらない。新しい機種の電話でも繋がらない。仕方がないのでタクシーでホテルに到着するが、彼はいない。チェックインしてロビーでどうしたものかと、とりあえず携帯電話をかけると、今度は繋がり、彼はクラコフ駅にて我々を待っているのが判明。ホテルに戻ってくるよう頼んでロビーでビール(ホテルのロビーでも200円ほどで500cc、水より安い?水はあまり冷やさないのでビールとなる)を飲んで待つ。10分ほどと言う話であったのに30分近くもかかってやっと合流できた。この地域では携帯が繋がったり、繋がらなかったりするものであることが確認できた。彼の言うには、電車でワルシャワから来ると思っていたらしい。
お互いに確認しないことが原因の「しまった」第1弾であった。
翌日は彼のポスター発表なので一緒に会場に行く。大学の中にある新しい会議場ですばらしい構造物であるが、昨年の学会に比べて参加者は少ない印象であった。それでも、4組ほどの日本人の発表があり、顔なじみなので話をしていたところ、「先生、新しい大学でもがんばってますね、オーラルですね」という。そのときはメルボルンの学会での口頭発表のことだと思ったので、いや忙しいから参加できないのだ、ということで次の日本人の発表者のところに行くと、また同じように「先生すごいねえ」と言う。何を言っているのかと聞くと、プログラムを取り出し、「明後日の8時半からですねえ」と言う。このとき始めて、自分の発表はポスターではなく、口頭発表であることを知った。「アチャー」である。大学の新しいA3サイズが印刷できるカラーコピー機を探し求めてやっと作って大切に持参したポスターは、要らなかったのである。久しぶりに「エー!!」どうしようとしばらく放心常態となった。
日本人の発表者と話をしなければ3日目の朝にポスターを貼りに来ていたに違いない。口頭発表セッションに穴を開けるような迷惑をかけずに済んだ、「助かった!」という思いと、「自分は運が良い」ということを確認した。
幸いパソコンは持参しているし、ポスターを作った痕跡があるので、5-6枚スライドを追加すれば済むわいと気楽に考えることにした。思い返せば1978年6月にマルセーユ大学を家族を連れて見学に出かけたとき、早朝の迎えの先生が車の中で、「スライド使いますか?」みたいなことを訊ねられて、始めて自分が講演するのだということを知った。大学に到着すると聴衆が100名ほど待機していた。あのときの驚きに比べれば軽いもんだと考えるようにした。あのときでも黒板を使って100分ほどしゃべったのだから、12分位は何とかなるはずと思い悩むことは止めにした(取り消しがあり、本番では20分の発表となった)。
自分の研究内容の説明だし、それなりの場数も踏んで来たので、発表は特に問題なく終わった。2つの質問があったが、特段困ることはなかった。
これが確認しないことと思い込みによる2つ目の「アチャー」体験である。その他にも細かい「アチャー」はいくつもあったが。無事7/6に帰国した。
思えば、これまでにも何度も大きな「アチャー」というような、とんでもない思い違いや失敗をしでかして来たが、何とかなったように思う。その為に困っている人も大勢いますよという声が聞こえてくる気はしますけど。
それにつけても自分は運が良い、有り難いことであります。
何時ものことだが、海外に行くと「しまった」、「アチャー」という類いのエピソードが生まれる。そのうち忘れてしまうので記しておいて、自分が身動きできなくなった頃に読み返そうという意図である。だが、きっとその意図も忘れるようになるのだろう。マーフィーの法則というやつで、「患者の訴えを十分に聞けるようになる頃には医者は耳が遠くなってしまっている」、「上手に講義できるようになったら教授は定年で退職する」、「ボケたら遠慮せずに言ってくれと言っていたのがボケて理解できない」という類いかも知れないけど。
クラコフにはポズナン→ワルシャワ経由で、国内線で入った。電車だと7時間かかるが飛行機の乗り継ぎだと4時間ほどである。
ポズナンには2泊して別の用事(研究にも関係があるのです。念のため)を済ましての到着であった。前日に到着している共同研究者とは前日パソコンメールで連絡をしてあり「迎えに行きますから」ということであった。そのときは携帯電話が繋がることも確認した。
クラコフ空港に到着したが、彼の姿がない。携帯電話を何度もかけるが、繋がらない。新しい機種の電話でも繋がらない。仕方がないのでタクシーでホテルに到着するが、彼はいない。チェックインしてロビーでどうしたものかと、とりあえず携帯電話をかけると、今度は繋がり、彼はクラコフ駅にて我々を待っているのが判明。ホテルに戻ってくるよう頼んでロビーでビール(ホテルのロビーでも200円ほどで500cc、水より安い?水はあまり冷やさないのでビールとなる)を飲んで待つ。10分ほどと言う話であったのに30分近くもかかってやっと合流できた。この地域では携帯が繋がったり、繋がらなかったりするものであることが確認できた。彼の言うには、電車でワルシャワから来ると思っていたらしい。
お互いに確認しないことが原因の「しまった」第1弾であった。
翌日は彼のポスター発表なので一緒に会場に行く。大学の中にある新しい会議場ですばらしい構造物であるが、昨年の学会に比べて参加者は少ない印象であった。それでも、4組ほどの日本人の発表があり、顔なじみなので話をしていたところ、「先生、新しい大学でもがんばってますね、オーラルですね」という。そのときはメルボルンの学会での口頭発表のことだと思ったので、いや忙しいから参加できないのだ、ということで次の日本人の発表者のところに行くと、また同じように「先生すごいねえ」と言う。何を言っているのかと聞くと、プログラムを取り出し、「明後日の8時半からですねえ」と言う。このとき始めて、自分の発表はポスターではなく、口頭発表であることを知った。「アチャー」である。大学の新しいA3サイズが印刷できるカラーコピー機を探し求めてやっと作って大切に持参したポスターは、要らなかったのである。久しぶりに「エー!!」どうしようとしばらく放心常態となった。
日本人の発表者と話をしなければ3日目の朝にポスターを貼りに来ていたに違いない。口頭発表セッションに穴を開けるような迷惑をかけずに済んだ、「助かった!」という思いと、「自分は運が良い」ということを確認した。
幸いパソコンは持参しているし、ポスターを作った痕跡があるので、5-6枚スライドを追加すれば済むわいと気楽に考えることにした。思い返せば1978年6月にマルセーユ大学を家族を連れて見学に出かけたとき、早朝の迎えの先生が車の中で、「スライド使いますか?」みたいなことを訊ねられて、始めて自分が講演するのだということを知った。大学に到着すると聴衆が100名ほど待機していた。あのときの驚きに比べれば軽いもんだと考えるようにした。あのときでも黒板を使って100分ほどしゃべったのだから、12分位は何とかなるはずと思い悩むことは止めにした(取り消しがあり、本番では20分の発表となった)。
自分の研究内容の説明だし、それなりの場数も踏んで来たので、発表は特に問題なく終わった。2つの質問があったが、特段困ることはなかった。
これが確認しないことと思い込みによる2つ目の「アチャー」体験である。その他にも細かい「アチャー」はいくつもあったが。無事7/6に帰国した。
思えば、これまでにも何度も大きな「アチャー」というような、とんでもない思い違いや失敗をしでかして来たが、何とかなったように思う。その為に困っている人も大勢いますよという声が聞こえてくる気はしますけど。
それにつけても自分は運が良い、有り難いことであります。