情けないって?
4月も終わりに近づきブログを書かなければという強迫観念に駆られている。しばらく自分の生活行動にまつわる愚痴のようなことばかり書いてきた気がするので、四季、自然の美しさなどを書きたいと思いつつも材料に見あたらない。
今朝は5時前に起き出したので、久しぶりにゆっくりした気持ちで散歩が可能となった。門を開けるとウグイスの鳴き声がしたり、もう消滅したかと案じていたレンゲ草のピンクの花が、高速道路用に買い取られて区切られて放置された田んぼの部分に結構な量咲いているのを見つけたりした。やはり余裕を持って周囲を見渡さねばイカンのだと再確認したことである。道端の畑には昨日辺りの仕事であろう、トマトやキュウリが植わっており、僕も早くせねばと気が焦る。こんな内容を書きついでいきたいが、昨日の新聞を読み返して気に入らない記事が心に残り、それを書かねば余裕を持つなどとは叶わないので、話をそちらに移すことにする。
「記者有論」と題するコラムが掲載されていた。書いているのは社会部の記者である。タイトルは「大学教育の質-外圧を受ける前に自ら動け」という1000字ほどの記事である。とうとう、大学はこんなことまで言われるようになったのか。情けない、という書き出しで、中教審が今夏に答申として出す予定と聞いている「学習時間の増加・確保をして学習の質を上げよう。すべての大学に学生に学習時間の把握を調査する」に関わって、「まるで義務教育だ、情けない」という。「2人に1人が大学に入る時代なのに授業が学生本意に変わっていないのはないか、しっかりしろ」という論調である。
しっかりしろと言いたいのは僕の方で、「こんないい加減な記事を書くな,しっかりしろ」である。
この種の話でいつも気になるのは、大学とはどのような大学を指すのかを明らかにしないことである。今では500を超える大学がある中でどのレベルの大学を言うのか、どのレベルの大学生を指して学習時間が足りないというのか明確でない。したがって、意味のない漠とした内容となる。記者が想定している大学と読者の想定する大学が一致しなければコミュニケーションは成立しない(認知スキーマの不一致、想定類似性から生じるミスコミュニケーションの典型である)。大学人に反省という気持ちを起こさせることにはつながらない。社会部の素人が何を言っていると無視されるのがオチであろう。ただ、こういう記事を鵜呑みにする人たちが、大学にのみ責任を押しつけ、このような教育状況を招いたことに自らも責任が及ぶことを気づかないままになることを恐れる。
記事には、大学には大学自治の原則がある、補助金の額を減額される意向などの言及があるが、これらはもっぱら国立大学法人や古い大規模大学にあてはまるだけである。おそらく300大学ほどの小規模大学では、自治などもとよりないし補助金の額など経営者が気にするほどの額ではない。記者が指摘するような学習時間少ない学生がいるのは弱小大学である。偏差値が70近辺の学生から構成される基幹大学と40前後の学生も混じる弱小大学を一括りにするのは乱暴すぎるというものである。そんな低い偏差値の大学など不要というのであれば、その原因である大学設置基準の大綱化こそ問題にすべきであろう。
基幹大学の学生の学習時間は決して少なくない。とくに医系・理系の学生や院生の学習時間は気の毒なほど長いという実態を記者は知らないようである(おそらく文系の学部を出て記者になり、自分が想定する、自分が学んだ頃の大学とのギャップに愕然として、この記事を書くに及んだのだろう)。
決して高い偏差値の大学とは言い難い大学では、嘆かわしいほど基礎学力の学生がいて、学習習慣がない学生が過半数を占めることは事実で、記者がまるで義務教育だという指摘が当てはまる大学も少なくない。入学時の調査でも自宅での予復習の習慣があるというのはわずかな割合でしかない。しかし、学習習慣は義務教育で修得すべきもので、義務教育に携わる者、そして高校教育がその責めを追われてしかるべきであろう。
入学時に学習習慣がない18歳の人間に大学でそれを身に付けさせよ、授業のやり方で何とかせよというのは、過酷すぎる要求であることは発達心理学を学ばずとも分かるはずである。
別な要因も指摘しておかねばなるまい。大学生の余暇時間の過ごし方である。学生は学習をしない時間に遊び呆けているわけではない。義務教育がしっかり身についていない学生達の大半はアルバイトに忙しいのである。全部とは言わないが授業料を補填しているのである。学生の偏差値を横軸に、保護者の収入を縦軸に取れば、綺麗な1次関数直線となるはずである。
現在の日本の大学では、授業料を心配しないで学業に専念できる生活環境は整備されていない。給付型の奨学金を準備してそれでも学習時間が少なすぎると歎くのなら了解できるのだが、消費税の増加案がままならないようでは、言い出せる話ではない。記者はこのような実態を念頭には置いていないように思える。
税金がかからず簡単にできる話は、大学センター入試を止めて、高校卒資格試験に変えることである。そうすれば相応の学力やその修得の基礎となった学習習慣は構築されることにつながり、大学での教育は進捗すると考えるからである。
もう疲れたので、この辺りで終わることにするが、要は500を超えるまでになっている大学の学生(同一年齢群の半数以上の数)を一括りにした記事は、その母集団の学力及び知能分散が大きすぎ、対象とされる大学が不明確で得るところがないということである。
物事を改善する提言には、焦点を絞りそして広い視野で捉えるようにせねばと言うことであります。
今朝は5時前に起き出したので、久しぶりにゆっくりした気持ちで散歩が可能となった。門を開けるとウグイスの鳴き声がしたり、もう消滅したかと案じていたレンゲ草のピンクの花が、高速道路用に買い取られて区切られて放置された田んぼの部分に結構な量咲いているのを見つけたりした。やはり余裕を持って周囲を見渡さねばイカンのだと再確認したことである。道端の畑には昨日辺りの仕事であろう、トマトやキュウリが植わっており、僕も早くせねばと気が焦る。こんな内容を書きついでいきたいが、昨日の新聞を読み返して気に入らない記事が心に残り、それを書かねば余裕を持つなどとは叶わないので、話をそちらに移すことにする。
「記者有論」と題するコラムが掲載されていた。書いているのは社会部の記者である。タイトルは「大学教育の質-外圧を受ける前に自ら動け」という1000字ほどの記事である。とうとう、大学はこんなことまで言われるようになったのか。情けない、という書き出しで、中教審が今夏に答申として出す予定と聞いている「学習時間の増加・確保をして学習の質を上げよう。すべての大学に学生に学習時間の把握を調査する」に関わって、「まるで義務教育だ、情けない」という。「2人に1人が大学に入る時代なのに授業が学生本意に変わっていないのはないか、しっかりしろ」という論調である。
しっかりしろと言いたいのは僕の方で、「こんないい加減な記事を書くな,しっかりしろ」である。
この種の話でいつも気になるのは、大学とはどのような大学を指すのかを明らかにしないことである。今では500を超える大学がある中でどのレベルの大学を言うのか、どのレベルの大学生を指して学習時間が足りないというのか明確でない。したがって、意味のない漠とした内容となる。記者が想定している大学と読者の想定する大学が一致しなければコミュニケーションは成立しない(認知スキーマの不一致、想定類似性から生じるミスコミュニケーションの典型である)。大学人に反省という気持ちを起こさせることにはつながらない。社会部の素人が何を言っていると無視されるのがオチであろう。ただ、こういう記事を鵜呑みにする人たちが、大学にのみ責任を押しつけ、このような教育状況を招いたことに自らも責任が及ぶことを気づかないままになることを恐れる。
記事には、大学には大学自治の原則がある、補助金の額を減額される意向などの言及があるが、これらはもっぱら国立大学法人や古い大規模大学にあてはまるだけである。おそらく300大学ほどの小規模大学では、自治などもとよりないし補助金の額など経営者が気にするほどの額ではない。記者が指摘するような学習時間少ない学生がいるのは弱小大学である。偏差値が70近辺の学生から構成される基幹大学と40前後の学生も混じる弱小大学を一括りにするのは乱暴すぎるというものである。そんな低い偏差値の大学など不要というのであれば、その原因である大学設置基準の大綱化こそ問題にすべきであろう。
基幹大学の学生の学習時間は決して少なくない。とくに医系・理系の学生や院生の学習時間は気の毒なほど長いという実態を記者は知らないようである(おそらく文系の学部を出て記者になり、自分が想定する、自分が学んだ頃の大学とのギャップに愕然として、この記事を書くに及んだのだろう)。
決して高い偏差値の大学とは言い難い大学では、嘆かわしいほど基礎学力の学生がいて、学習習慣がない学生が過半数を占めることは事実で、記者がまるで義務教育だという指摘が当てはまる大学も少なくない。入学時の調査でも自宅での予復習の習慣があるというのはわずかな割合でしかない。しかし、学習習慣は義務教育で修得すべきもので、義務教育に携わる者、そして高校教育がその責めを追われてしかるべきであろう。
入学時に学習習慣がない18歳の人間に大学でそれを身に付けさせよ、授業のやり方で何とかせよというのは、過酷すぎる要求であることは発達心理学を学ばずとも分かるはずである。
別な要因も指摘しておかねばなるまい。大学生の余暇時間の過ごし方である。学生は学習をしない時間に遊び呆けているわけではない。義務教育がしっかり身についていない学生達の大半はアルバイトに忙しいのである。全部とは言わないが授業料を補填しているのである。学生の偏差値を横軸に、保護者の収入を縦軸に取れば、綺麗な1次関数直線となるはずである。
現在の日本の大学では、授業料を心配しないで学業に専念できる生活環境は整備されていない。給付型の奨学金を準備してそれでも学習時間が少なすぎると歎くのなら了解できるのだが、消費税の増加案がままならないようでは、言い出せる話ではない。記者はこのような実態を念頭には置いていないように思える。
税金がかからず簡単にできる話は、大学センター入試を止めて、高校卒資格試験に変えることである。そうすれば相応の学力やその修得の基礎となった学習習慣は構築されることにつながり、大学での教育は進捗すると考えるからである。
もう疲れたので、この辺りで終わることにするが、要は500を超えるまでになっている大学の学生(同一年齢群の半数以上の数)を一括りにした記事は、その母集団の学力及び知能分散が大きすぎ、対象とされる大学が不明確で得るところがないということである。
物事を改善する提言には、焦点を絞りそして広い視野で捉えるようにせねばと言うことであります。
今年の年度末
毎年、年度末になるとどこかへ旅行に出かけていたのだが、この春は出かけずじまいで押し迫ってしまった。昨年は沖縄と石垣島に次男の結婚式を機会に出かけた。あれからあっという間の一年である。今年の3月は気温が低めで出かけようとする気持ちにもならなかったことや家内が言い出さなかったため、春を愛でるなどというような優雅な気持ちにはなかった。3月中にと頼まれていた遠方での講演も都合で延期となったようで、出かけたのは研修や会議で東京へと出張することが多かったので、敢えて出かけたいとする気持ちにさせなかったのかも知れない。しなければならない仕事(ここでの仕事とは論文や本の原稿を書いたり、溜まるばかりの雑誌論文に目を通したりすること)が気持ちに余裕を与えてくれないこともある。
気温が低い日が多く、したがって座位が長くなる時間の過ごし方は、腰痛を招く。院生の頃からの付き合いの腰痛である。水泳をしたり、ウォ-キングをしたりと自分なりの調整をしているが、朝早い出張や、雨天などで自己流の調整法が中断しがちなのもよくないはずである。今はかなりましであるが臀部の筋肉、太ももの筋肉、ふくらはぎの筋肉がつぎつぎと固まり、立ち上がれない(立ってしまうと痛くないのだが)が、数日続くのである。ストレッチやカイロを貼るなどの対症療法で何とか誤魔化して今日に至っている。25日の日曜日に朝泳いでその足で大学での新任研修にというスケジュールで動いたせいで、やや状態は良いのであろう。
このようにしてだんだんと外に出かける意欲を失い加齢現象が加速するのかも知れない。このように何かを使用とする気持ちが高齢期の認知機能と関連が深いという論文をほぼ仕上げたところである(こういう気持ちに[imitative]という表現を使うのがよいと英国の心理学者とマカオの大学にいる心理言語学者の協議から教わったところである。まことにインターネットはこういうときに役に立つ)。
しかし、少し調子がよくなった頃に決まって新幹線での日帰り出張が入る。出張先での4-5時間に新幹線での時間を加算すると10時間あまり座位となるのだから、完治するはずがない。暖かくなる日を待つしかない状態である。
23日には卒業式があり座位にも耐えたが、ゼミ生がマッサージ座布団を寄贈してくれた。肩こりの素振りを見ていたのかも知れない。他の同僚は斯様な恩恵に預かることはないらしく、パーティ会場でうらやましがられ嬉しさが増したことである。ゼミ生11名全員の就職が決まったという連絡もあり安堵した。学科のパーティ会場では、このような背景もあり興奮したので「Wherever you may go, Whatever you may do, for a thousand years, my heart belong to you!」と、酒のせいで声が出ない状態で歌ってしまった。この歌は卒業式の数日前の学科の研修旅行先で酔っていたときに冊子に載せる卒業生への言葉をと求められて思わず書いてしまったものである。後で「コンバット」というTVドラマの主題歌であることを思い出した。アメリカ軍が欧州戦線で戦っている設定での白黒のドラマであったと思う。若い頃はメロディの記憶力がよかったのかも知れない。
思い起こせばこの3月で僕は教師生活40周年となった。27歳で職を得ている。あの頃はこれで一生安泰と自他ともに考えていた。数日前に短期大学に講師の職を紹介した先生が3年期限だが2年で辞めることにしたと挨拶に来られた。老舗の大学を乗っ取ったといろいろと噂のある大学経営者のところである。教員への締め付けが厳しくなり何人がもとの数かは知らないが2名を残して学長を先頭にこの年度末で辞職するということであった。一方的な話なのではあるが、さもありそうなことで、「研修日はなし」、「8時間半で出勤5時まで」、「土曜日も半日出勤」等々高校の教員と同じ条件を受け入れるかを迫られたと言う。大学の教員は労働者でもあるという認識があれば、不当労働行為であると対処することもできたはずであるし、高校の教員と大学教員の違いを論駁できなければならない。あるいは大学設置審査会に申し出て身分の確認などもできるはずである(ただし、大学の教員らしい実績がないと藪へびとなってしまうけれども)。
今のところ現在の職場ではそのような切迫した状況はないが、気を引き締めて着実にこれからの大学のあり方や学生の指導を考えねばならないと改めて考えた次第である。
23歳から企業に勤務した大学時代の友人らは37年の勤務でほとんどの者が職を退いているのに、40年も現役でいられたのは有り難いことである。もっとも、友人らが好景気で高給を食んでいた頃こちらは安い給料であったので、もうしばらく給料をどこかから獲得しないとトントンではないかも知れないが、若い人と毎日接していられた分で差額はチャラだと言う声も聞かないわけではない。有り難いことである。
4月から研究室を変わることになり、明日を目処に整理中である。腰痛の方が完治するのは今しばらく時間が必要であろう。
気温が低い日が多く、したがって座位が長くなる時間の過ごし方は、腰痛を招く。院生の頃からの付き合いの腰痛である。水泳をしたり、ウォ-キングをしたりと自分なりの調整をしているが、朝早い出張や、雨天などで自己流の調整法が中断しがちなのもよくないはずである。今はかなりましであるが臀部の筋肉、太ももの筋肉、ふくらはぎの筋肉がつぎつぎと固まり、立ち上がれない(立ってしまうと痛くないのだが)が、数日続くのである。ストレッチやカイロを貼るなどの対症療法で何とか誤魔化して今日に至っている。25日の日曜日に朝泳いでその足で大学での新任研修にというスケジュールで動いたせいで、やや状態は良いのであろう。
このようにしてだんだんと外に出かける意欲を失い加齢現象が加速するのかも知れない。このように何かを使用とする気持ちが高齢期の認知機能と関連が深いという論文をほぼ仕上げたところである(こういう気持ちに[imitative]という表現を使うのがよいと英国の心理学者とマカオの大学にいる心理言語学者の協議から教わったところである。まことにインターネットはこういうときに役に立つ)。
しかし、少し調子がよくなった頃に決まって新幹線での日帰り出張が入る。出張先での4-5時間に新幹線での時間を加算すると10時間あまり座位となるのだから、完治するはずがない。暖かくなる日を待つしかない状態である。
23日には卒業式があり座位にも耐えたが、ゼミ生がマッサージ座布団を寄贈してくれた。肩こりの素振りを見ていたのかも知れない。他の同僚は斯様な恩恵に預かることはないらしく、パーティ会場でうらやましがられ嬉しさが増したことである。ゼミ生11名全員の就職が決まったという連絡もあり安堵した。学科のパーティ会場では、このような背景もあり興奮したので「Wherever you may go, Whatever you may do, for a thousand years, my heart belong to you!」と、酒のせいで声が出ない状態で歌ってしまった。この歌は卒業式の数日前の学科の研修旅行先で酔っていたときに冊子に載せる卒業生への言葉をと求められて思わず書いてしまったものである。後で「コンバット」というTVドラマの主題歌であることを思い出した。アメリカ軍が欧州戦線で戦っている設定での白黒のドラマであったと思う。若い頃はメロディの記憶力がよかったのかも知れない。
思い起こせばこの3月で僕は教師生活40周年となった。27歳で職を得ている。あの頃はこれで一生安泰と自他ともに考えていた。数日前に短期大学に講師の職を紹介した先生が3年期限だが2年で辞めることにしたと挨拶に来られた。老舗の大学を乗っ取ったといろいろと噂のある大学経営者のところである。教員への締め付けが厳しくなり何人がもとの数かは知らないが2名を残して学長を先頭にこの年度末で辞職するということであった。一方的な話なのではあるが、さもありそうなことで、「研修日はなし」、「8時間半で出勤5時まで」、「土曜日も半日出勤」等々高校の教員と同じ条件を受け入れるかを迫られたと言う。大学の教員は労働者でもあるという認識があれば、不当労働行為であると対処することもできたはずであるし、高校の教員と大学教員の違いを論駁できなければならない。あるいは大学設置審査会に申し出て身分の確認などもできるはずである(ただし、大学の教員らしい実績がないと藪へびとなってしまうけれども)。
今のところ現在の職場ではそのような切迫した状況はないが、気を引き締めて着実にこれからの大学のあり方や学生の指導を考えねばならないと改めて考えた次第である。
23歳から企業に勤務した大学時代の友人らは37年の勤務でほとんどの者が職を退いているのに、40年も現役でいられたのは有り難いことである。もっとも、友人らが好景気で高給を食んでいた頃こちらは安い給料であったので、もうしばらく給料をどこかから獲得しないとトントンではないかも知れないが、若い人と毎日接していられた分で差額はチャラだと言う声も聞かないわけではない。有り難いことである。
4月から研究室を変わることになり、明日を目処に整理中である。腰痛の方が完治するのは今しばらく時間が必要であろう。
「であったりします?」
先週の金曜日は10時からの僕が主催する小規模な委員会に出て、そのあと昼飯も食べずに新大阪にある研修会場に移動して、教員評価の研修を受けた。著名なコンサルタント企業(N総研)による講演というのでどんな具合かと、乞われるままに出かけてみた。
著名なN総研の4-50歳ぐらいの中堅どころと思しき講師であったが、ひどいものであった。コンサルタント企業が教育産業に何とか金儲けの糸口を見つけたいという背景だけは理解できたというのが率直な感想である。内容は一般企業での社員評価のノウハウを大学や高校の教師を相手にもできるかも知れないという程度の中身、といったら気の毒かも知れないが、無料で参加できるわけではないので酷評するのは許されよう。自腹なら,金返せ!と言いたいレベルである、と言ったらいい過ぎかも知れないけど。
中身に自信がないのか、講師の話すスピードが速いこと、パワーポイントの文字数が多く,文字が極端に小さすぎて読めない、資料に配付されているA4 に2枚分のスライドが入る大きさでも,僕の老眼鏡では読めない(帰宅してネットで買った1.6倍の拡大鏡めがねが必要な文字のポイントである。聴衆に理解して欲しいという意図はなく、資料の意味を成さないものであると言いたくなった)など、ゼミでの発表なら駄目出しをしてやり直させるところである。
一番気になったのは講師の「~であったりします」の繰り返しと言う話し方である。「あったりするのなら、なかったりするのか?どっちやねん!」と突っ込みたくなる話し方である。断定的にものを言わないのは近頃の学生の流行言葉かと思っていたが、コンサルタント会社の中年の男が頻発するのには驚いた(以前に大学が呼んで少人数で行った研修会でのM総研の講師には文句は言ったが,今回は言わなかった)。要するに人前で話すような日本語として、きちんと話せていない。
更に言うと、頻繁に自分で「はい」と言ってから次に話を繋いでいくやり方も気になった。「誰に返事してるの?」「接続詞を知らないのかい?」と言いたくなる話し方であった。
ついでに記載しておくと、近頃はあちこちで「有り難うございます」、「ご苦労様です」が頻繁に使われる。頻繁すぎると老人は思うのであります。「はい」、「了承しました」、「分かりました」、「そのように致します」と言うべきところが、すべて「有り難うございます」なのである。文脈に応じて適切な返事をすべきで、どこかのコンサルタントの研修で教えられているのかも知れないと推察はするが、少なくとも僕には気持ちの良いものではない。
「ご苦労様です」もやたら耳にする。本来は年長者や目上の者が部下などをねぎらうときの表現が「ご苦労であった」なのだから、敬語としても可笑しいはずである。
学生らの「先生どうしたん?」「疲れてんのん?」という類のため口の方がまだしも心地よく感じてしまう。
しかし、この学生らが社会に出て「~であったりします」、「ご苦労様」族にさせないための方策を何かを考えねばならないなあと思い、その容易ならざるプロセスを思うと暗澹となるのでありました。
教員評価の研修を受けて勉強になったというよりも「重たい気持ちになったりした」のでした。
著名なN総研の4-50歳ぐらいの中堅どころと思しき講師であったが、ひどいものであった。コンサルタント企業が教育産業に何とか金儲けの糸口を見つけたいという背景だけは理解できたというのが率直な感想である。内容は一般企業での社員評価のノウハウを大学や高校の教師を相手にもできるかも知れないという程度の中身、といったら気の毒かも知れないが、無料で参加できるわけではないので酷評するのは許されよう。自腹なら,金返せ!と言いたいレベルである、と言ったらいい過ぎかも知れないけど。
中身に自信がないのか、講師の話すスピードが速いこと、パワーポイントの文字数が多く,文字が極端に小さすぎて読めない、資料に配付されているA4 に2枚分のスライドが入る大きさでも,僕の老眼鏡では読めない(帰宅してネットで買った1.6倍の拡大鏡めがねが必要な文字のポイントである。聴衆に理解して欲しいという意図はなく、資料の意味を成さないものであると言いたくなった)など、ゼミでの発表なら駄目出しをしてやり直させるところである。
一番気になったのは講師の「~であったりします」の繰り返しと言う話し方である。「あったりするのなら、なかったりするのか?どっちやねん!」と突っ込みたくなる話し方である。断定的にものを言わないのは近頃の学生の流行言葉かと思っていたが、コンサルタント会社の中年の男が頻発するのには驚いた(以前に大学が呼んで少人数で行った研修会でのM総研の講師には文句は言ったが,今回は言わなかった)。要するに人前で話すような日本語として、きちんと話せていない。
更に言うと、頻繁に自分で「はい」と言ってから次に話を繋いでいくやり方も気になった。「誰に返事してるの?」「接続詞を知らないのかい?」と言いたくなる話し方であった。
ついでに記載しておくと、近頃はあちこちで「有り難うございます」、「ご苦労様です」が頻繁に使われる。頻繁すぎると老人は思うのであります。「はい」、「了承しました」、「分かりました」、「そのように致します」と言うべきところが、すべて「有り難うございます」なのである。文脈に応じて適切な返事をすべきで、どこかのコンサルタントの研修で教えられているのかも知れないと推察はするが、少なくとも僕には気持ちの良いものではない。
「ご苦労様です」もやたら耳にする。本来は年長者や目上の者が部下などをねぎらうときの表現が「ご苦労であった」なのだから、敬語としても可笑しいはずである。
学生らの「先生どうしたん?」「疲れてんのん?」という類のため口の方がまだしも心地よく感じてしまう。
しかし、この学生らが社会に出て「~であったりします」、「ご苦労様」族にさせないための方策を何かを考えねばならないなあと思い、その容易ならざるプロセスを思うと暗澹となるのでありました。
教員評価の研修を受けて勉強になったというよりも「重たい気持ちになったりした」のでした。
年の初めに
今年の正月は信州で過ごした。良い天気に恵まれ、温泉に入ったりソリ遊びや蕎麦打ちを体験したりするなど、楽しい時間を過ごせた。ただ、この休みの間で気に掛かっていたのが1月6-8日の3日間の九大での集中講義であった。多忙なので土日を入れてならと無理を言っての日程である。夏よりも冬の方がおいしいものがあるという気持ちもあっての日程調整である。
集中講義で15コマ分の講義内容を準備するのは、昔よりも大変である。パワーポイントを使用すると、以前よりも情報を多く準備せねばならない。黒板に図や表を書いて時間を稼ぐなどのテクニックが使えないからである。僕が大学生のころは口実筆記(先生が準備したノートを読み上げるのを、学生が自分のノートに書く)という授業形態もあった(あまり評判は良くなかったが)。今から思えば、何年か使い回して、内容を修正してそのノートを著書に仕上げるというやり方が、分野にもよるが大学教員の研究法の定番であったのであろう。昔の先生は良かったなあ、といつものように愚痴がでることであった。それと体力が持つのか気がかりでもあった。
5日の午後に自宅を出る直前までに、なんとかパソコンやUSBの確認などを終えることができたのだが、新幹線の中で指定してあるテキストを(それもいろいろと書き込みがしてある)忘れたことに気づいてしまった。パワーポイントの準備に過度に注意が配分されたことで生じるミスである。注意配分が不良となるのは加齢効果であることを講義でも披露したのは言うまでもない。テキストは使用しないように急遽計画を変更したが、何とかなった。
用意してもらったホテルから徒歩で15分ほどの箱崎キャンパスに通い、8時40分から18時10分までの15コマを何とかこなすことができた。本当はもう1日分(5コマ)あるとよかったという悔いが残る授業計画となってしまった(反省!)。
箱田教授をはじめとする心理学講座のメンバーや世話係の院生さんには大変良くして頂いた。送迎を始め丁重な接待を受けたわけで、古い大学でのしきたりはきちんと受け継がれていくものだと感心したことであった。ただ、10数年前に集中講義に呼んでもらったときと建物は変わっておらず、名古屋大学に比べると移転改築が遅れていることは歴然としていた。地震関係で予算配分が東海地区に傾斜したのであろうが、それにしても文教関連予算の総枠が少なくなければ可能なはずである。もっとも、僕は名古屋大学から移るときには古い建物のままで、新築の校舎は未経験である。大阪教育大学から名古屋大学に移るときも同じ事情であり、巡り合わせが悪く、この種のツキはない。
受講生の希望を聴いて、集中講義は試験で締めくくることにした。学生は休日を返上しての受講であったので、答案用紙に授業から学んだことは何か記載させる問題を加えた。不可が出ないように配慮をしたつもりである(その必要はなかったのだが)。そこには具体的な知識が増えるのは当然なので、メタ的な記載が欲しいと考えていた。学生はそれに答えることを記載していた。下記のような記載があった。
・脳科学があれば心理学は不要で,将来性はないと思っていたが,心理学という学問を学んでいくことに信頼性とモティベーションを持った。
・脳画像研究法に過度に依存するのではなく、古典的な行動学的な研究法の効用も見直したい。
・勉強意欲をそそられた。研究には忍耐がいることを学び,卒論への動機づけが高まった。
・既存の概念に囚われないことや先行研究を読むことが新しい発見を生むことが分かった。
・性の認知機能差を自分で調べたくなった。
・分子生物学や生化学も学んでみなければと考えた。
これらは、神経心理学を学ぶことで、中枢神経系の知識や脳損傷がもたらす行動障害の仕組みの理解などを得てもらいたいことの他に期待する僕からの遺言的メッセージであり、彼等との間のコミュニケーションは良好であったことの証左である。教師冥利に尽きるうれしい反応である。
コミュニケーションは発信者と受信者の双方の認知スキーマに大きな乖離がないことが条件である。疲労感もなく、長時間の講義が行えたのはその為ではないかと回顧している。楽しい時間を過ごせる機会を与えていただいたいことに感謝したい。
今後、もう集中講義に呼ばれたり、呼ばれても出かけたりすることはないだろうと考えているので、最後の集中講義を年頭に気持ち良く終えられたことで、今年もがんばれそうな気持ちになっている。有り難いことであります。今年はセンター試験関連での出勤が不要であったので早々と1月のブログが書けた。有り難いことであります。
集中講義で15コマ分の講義内容を準備するのは、昔よりも大変である。パワーポイントを使用すると、以前よりも情報を多く準備せねばならない。黒板に図や表を書いて時間を稼ぐなどのテクニックが使えないからである。僕が大学生のころは口実筆記(先生が準備したノートを読み上げるのを、学生が自分のノートに書く)という授業形態もあった(あまり評判は良くなかったが)。今から思えば、何年か使い回して、内容を修正してそのノートを著書に仕上げるというやり方が、分野にもよるが大学教員の研究法の定番であったのであろう。昔の先生は良かったなあ、といつものように愚痴がでることであった。それと体力が持つのか気がかりでもあった。
5日の午後に自宅を出る直前までに、なんとかパソコンやUSBの確認などを終えることができたのだが、新幹線の中で指定してあるテキストを(それもいろいろと書き込みがしてある)忘れたことに気づいてしまった。パワーポイントの準備に過度に注意が配分されたことで生じるミスである。注意配分が不良となるのは加齢効果であることを講義でも披露したのは言うまでもない。テキストは使用しないように急遽計画を変更したが、何とかなった。
用意してもらったホテルから徒歩で15分ほどの箱崎キャンパスに通い、8時40分から18時10分までの15コマを何とかこなすことができた。本当はもう1日分(5コマ)あるとよかったという悔いが残る授業計画となってしまった(反省!)。
箱田教授をはじめとする心理学講座のメンバーや世話係の院生さんには大変良くして頂いた。送迎を始め丁重な接待を受けたわけで、古い大学でのしきたりはきちんと受け継がれていくものだと感心したことであった。ただ、10数年前に集中講義に呼んでもらったときと建物は変わっておらず、名古屋大学に比べると移転改築が遅れていることは歴然としていた。地震関係で予算配分が東海地区に傾斜したのであろうが、それにしても文教関連予算の総枠が少なくなければ可能なはずである。もっとも、僕は名古屋大学から移るときには古い建物のままで、新築の校舎は未経験である。大阪教育大学から名古屋大学に移るときも同じ事情であり、巡り合わせが悪く、この種のツキはない。
受講生の希望を聴いて、集中講義は試験で締めくくることにした。学生は休日を返上しての受講であったので、答案用紙に授業から学んだことは何か記載させる問題を加えた。不可が出ないように配慮をしたつもりである(その必要はなかったのだが)。そこには具体的な知識が増えるのは当然なので、メタ的な記載が欲しいと考えていた。学生はそれに答えることを記載していた。下記のような記載があった。
・脳科学があれば心理学は不要で,将来性はないと思っていたが,心理学という学問を学んでいくことに信頼性とモティベーションを持った。
・脳画像研究法に過度に依存するのではなく、古典的な行動学的な研究法の効用も見直したい。
・勉強意欲をそそられた。研究には忍耐がいることを学び,卒論への動機づけが高まった。
・既存の概念に囚われないことや先行研究を読むことが新しい発見を生むことが分かった。
・性の認知機能差を自分で調べたくなった。
・分子生物学や生化学も学んでみなければと考えた。
これらは、神経心理学を学ぶことで、中枢神経系の知識や脳損傷がもたらす行動障害の仕組みの理解などを得てもらいたいことの他に期待する僕からの遺言的メッセージであり、彼等との間のコミュニケーションは良好であったことの証左である。教師冥利に尽きるうれしい反応である。
コミュニケーションは発信者と受信者の双方の認知スキーマに大きな乖離がないことが条件である。疲労感もなく、長時間の講義が行えたのはその為ではないかと回顧している。楽しい時間を過ごせる機会を与えていただいたいことに感謝したい。
今後、もう集中講義に呼ばれたり、呼ばれても出かけたりすることはないだろうと考えているので、最後の集中講義を年頭に気持ち良く終えられたことで、今年もがんばれそうな気持ちになっている。有り難いことであります。今年はセンター試験関連での出勤が不要であったので早々と1月のブログが書けた。有り難いことであります。
身体がついてこない
年末が近づいて久しぶりに体調を壊し、現在に至っている。まず、右目にものもらいができた。その2日後、午後から急な腹痛が襲ってきた。熱や頭痛など風邪のような症状もなく,身体がだるいこともお腹以外に痛むこともないものであった。今では過去形になりつつあるが、今週末に北海道に検診の手伝いに行くので、自分を鼓舞している。
以前には毎年のように腹痛と激しい下痢に襲われトイレから出られない状態が2~3日ほど続くことが、外国からの帰った後などに出現するのが常であった。しかし、ここ5年ほどは現れなかった。12月には東京日帰りを2回と,山形1泊2日、それに名古屋大1回と,ルーチン以外に出かけるのが多すぎた報いであろうと反省中である。自己認知(cognition)に身体(physical)がついて来なくなっている。
先月から気になっているので、数にまつわる気になることを取り上げようと思う。年末なのでボーナスの数字が増加したとか宝くじ2億円が当たったとかいうような景気の良い数の話題があるとよいのだが、そういうものの持ち合わせはない。
先月末辺りから4~5度テレビ局と称して下請けの制作会社からの電話が大学の代表電話から転送されて来た。いずれもクイズ番組の問題の確認をして欲しいというもので、以前なら訪問して来るものを電話で済まそうという魂胆である。無料で専門的知識の供与はしないことを基本に、たいていは邪険に参考本を紹介したりすることで対応した。それでも「ご指摘の本を読みました。そこで、以下の質問は○ですか×ですか」と食い下がる局もある(その要約は思わず不可のレポート成績、と返信してしまったほどひどい)。
電話での質問には「左ききは言語脳が右ききと逆である。○か×か」という初歩的なレベルから、「左ききの割合の多い方からランキングしたいが、この国名の順でよいか」というレベルまで様々である。電話の声が気に入る(若い女性で物言いがよい)と「研究が同じ人で同じ尺度でない限り比較しても意味がない」、「14.8%と13.5%でのデータから,簡単に前者が多いとは言わない。有意差検定というモノがあってね」と、講義さながらの対応をしてしまうことになる。大学を出ているに違いないのに,大小の比較における数字というものの危険性に気がついていないことを確認させられる。
数の大小比較では今年の卒論で面白いことを調べてもらった。情動の強さを評定する認知課題に慣性的な筋運動が影響するという、社会心理学での有名な実験の追試を学生にしてもらった。同じ文脈での最近の研究結果に違和感が払拭できないからである。そのアメリカ心理学会誌に掲載された研究では5実験とも見事に仮説を支持するものである。ただ、運動動作と同時に実施させる認知評価は17件尺度という実験心理学では見たこともない測定をしている。たとえば、楽しいという情動価をプラス8点までマイナス8点までと、どちらでのない、の合計17件尺度となるのである。情動評定について、一般的な社会心理学での評定はせいぜい7件尺度なのになぜ、17件なのか僕には了解できない。G.A.Millerの「不思議な数“7”,プラス・マイナス2-人間の情報処理容量のある種の限界」を1970年代に学んだ者にとって、感性の評価はせいぜい7段階までであると信じてきたからである。
卒論では7件尺度での評価と17件尺度の評価を同一人に同刺激に対して行うようにした。もちろん順序の効果などの統制はしてある。結果は7件尺度の結果では交互作用がでないのが、17件法での結果では有意差が認められた。細かい尺度の方が、感度が良いというようなことなのだろうか、あるいはそもそも感情価などを7以上で分類できないので、人間の認知機能が感性評価での尺度構成についてこられないために生じるアーティファクトなのだろうか。基本的に1つの心理尺度の評価はせいぜい5件法で可能であり、それ以上の尺度は、何を測ったのというのだろうか。
物理的な数の概念と心理的な数についての乖離は研究の対象として面白い。論旨が乱れてきましたが、強引に締めくくると、物理的な概念(physical)と心理的 (cognition)なものとの乖離が拡大するのを、physicalにもmentalにも実感している年の瀬であります
以前には毎年のように腹痛と激しい下痢に襲われトイレから出られない状態が2~3日ほど続くことが、外国からの帰った後などに出現するのが常であった。しかし、ここ5年ほどは現れなかった。12月には東京日帰りを2回と,山形1泊2日、それに名古屋大1回と,ルーチン以外に出かけるのが多すぎた報いであろうと反省中である。自己認知(cognition)に身体(physical)がついて来なくなっている。
先月から気になっているので、数にまつわる気になることを取り上げようと思う。年末なのでボーナスの数字が増加したとか宝くじ2億円が当たったとかいうような景気の良い数の話題があるとよいのだが、そういうものの持ち合わせはない。
先月末辺りから4~5度テレビ局と称して下請けの制作会社からの電話が大学の代表電話から転送されて来た。いずれもクイズ番組の問題の確認をして欲しいというもので、以前なら訪問して来るものを電話で済まそうという魂胆である。無料で専門的知識の供与はしないことを基本に、たいていは邪険に参考本を紹介したりすることで対応した。それでも「ご指摘の本を読みました。そこで、以下の質問は○ですか×ですか」と食い下がる局もある(その要約は思わず不可のレポート成績、と返信してしまったほどひどい)。
電話での質問には「左ききは言語脳が右ききと逆である。○か×か」という初歩的なレベルから、「左ききの割合の多い方からランキングしたいが、この国名の順でよいか」というレベルまで様々である。電話の声が気に入る(若い女性で物言いがよい)と「研究が同じ人で同じ尺度でない限り比較しても意味がない」、「14.8%と13.5%でのデータから,簡単に前者が多いとは言わない。有意差検定というモノがあってね」と、講義さながらの対応をしてしまうことになる。大学を出ているに違いないのに,大小の比較における数字というものの危険性に気がついていないことを確認させられる。
数の大小比較では今年の卒論で面白いことを調べてもらった。情動の強さを評定する認知課題に慣性的な筋運動が影響するという、社会心理学での有名な実験の追試を学生にしてもらった。同じ文脈での最近の研究結果に違和感が払拭できないからである。そのアメリカ心理学会誌に掲載された研究では5実験とも見事に仮説を支持するものである。ただ、運動動作と同時に実施させる認知評価は17件尺度という実験心理学では見たこともない測定をしている。たとえば、楽しいという情動価をプラス8点までマイナス8点までと、どちらでのない、の合計17件尺度となるのである。情動評定について、一般的な社会心理学での評定はせいぜい7件尺度なのになぜ、17件なのか僕には了解できない。G.A.Millerの「不思議な数“7”,プラス・マイナス2-人間の情報処理容量のある種の限界」を1970年代に学んだ者にとって、感性の評価はせいぜい7段階までであると信じてきたからである。
卒論では7件尺度での評価と17件尺度の評価を同一人に同刺激に対して行うようにした。もちろん順序の効果などの統制はしてある。結果は7件尺度の結果では交互作用がでないのが、17件法での結果では有意差が認められた。細かい尺度の方が、感度が良いというようなことなのだろうか、あるいはそもそも感情価などを7以上で分類できないので、人間の認知機能が感性評価での尺度構成についてこられないために生じるアーティファクトなのだろうか。基本的に1つの心理尺度の評価はせいぜい5件法で可能であり、それ以上の尺度は、何を測ったのというのだろうか。
物理的な数の概念と心理的な数についての乖離は研究の対象として面白い。論旨が乱れてきましたが、強引に締めくくると、物理的な概念(physical)と心理的 (cognition)なものとの乖離が拡大するのを、physicalにもmentalにも実感している年の瀬であります
何があったのだ
昨夜は大学の附置研究所が主催するシンポジウムにシンポジストとして呼ばれた。その後の懇親会は早々に切り上げた(家内に頼まれた掃除機のゴミ袋のスペアを買わねばならなかったのである。量販店でないと昨今は手に入らないらしい。アルコールが入った身では細かい数字がやたら多く並んだリスト(おそらくは200以上の品番)から該当するものを探すのは至難の業であった。何という不便さか、次々を新しい製品を買えということなのだろう。
その帰路の快速電車は運良く座れた。読みかけの本を取り出すのもおっくうなので乗客を観察(強い意志はなく)していると、目の前に立つ大柄の黒いリクルートスーツで白いブラウス姿の女性がもぞもぞしているの目に入った。年の頃は大学生の就職探しにしてはやや老けているなどと,前頭葉を活動させるべく推論していると、彼女は手に提げている複数の白いポリ袋から5センチ大の鶏の唐揚げらしきものが3個刺さっている串を取り出し食べ始めたのであった。新快速電車ではないのでぎゅうぎゅう詰めというわけではないが相応に込んでいる電車の中で妙齢の女性が「唐揚げを食うのか!」とびっくりしてしまった。彼女は恐るべき勢いで3つの固まりを次々口でくわえ、引き抜きながらあっという間に食べてしまったのだ。「行儀の悪い」という気持ちも浮かんでは来たが「さぞ空腹であったのか,気の毒に」いう気持ちの方が勝る僕なのであった。しかしその憐憫の情は瞬く間に消え去ることとなった。彼女はその後、次々と新しい串を取り出すと、岸辺駅辺りまでに次々と4本の串をたいらげていくのであった(約10分間か)。いくら大柄の女性とは言え12個も唐揚げを一気食いするとは,何があったのか?過食症の女性かもなどと想像を逞しくしたが,服装もまあまあで化粧もしており、それほど病的にも思えない(昔に神経科で対応した拒食症の女性の様相とは全く異なる)。
茨木で彼女は向かいの席に座ることが出来たのだが、ポリ袋からはまだ唐揚げを取り出すのを止めようとはしなかった。視線を外していた時期もあり見逃しがあるかも知れないが、高槻駅で僕は彼女を見送るまでには少なくとも6本の串、18個の唐揚げを黙々と食べ続けたのであった。一度別の袋に入っている1リットルのお茶をストローで一口飲んだのは確認したが、まさに息をもつかさぬ勢いで唐揚げを平らげたのであった。「何があったのだ?」「その店舗名の印刷されていないポリ袋の唐揚げはそんなにうまいの?」と聞きたい衝動に駆られたことであった。
それにしても唐揚げの匂いは車内に充満するわけで、まさに傍若無人とはこのことである。他人が存在しない,見えない、関係ないという光景は,今や車内での化粧行為だけに留まらない様になってきたのかも知れない。こんな若者(と呼んで良いかは,電車を降り際にじっくり顔を見たとき30代の前半ではない!と最初の年齢推論を訂正したのですが)を誰が育てたのか、と思ったことであります。
シンポジウムでは最近の若年労働者(35歳頃までを言うらしい)のメンタルの弱さや不適応が議論され,生き甲斐を持って働く方略が紹介されたりした。
僕は大学だけに何とかしろと言うだけでなく、企業も責任の一端を担うべしなどと主張した。なぜなら、このような若年の社会性が育つ幼児期-児童期に,安い労働力として消費すべく母親や祖父母を家庭から剥離させて(したがって子どもから家庭教育の機会を奪い)、金儲けを優先させて来たので、敢えて言えば責任のなにがしかは企業側にもあるはずだからである。また、労働は基本的に楽しい,生き生きと労働せねばならないというのは幻想で、労働は苦役であるという認識が基本ではないか(だから貴族はあるいはローマ市民は、奴隷にそれらを押しつけてきたのではないか)などとやり場のない思いを「そうは言ってもなあ」と自問しつつ発言したことでありました。
それにしても電車の彼女には何があったのか?最近若い女性にも関心がなくなってきているのに、記憶に残る女性が現れたのでありました。
その帰路の快速電車は運良く座れた。読みかけの本を取り出すのもおっくうなので乗客を観察(強い意志はなく)していると、目の前に立つ大柄の黒いリクルートスーツで白いブラウス姿の女性がもぞもぞしているの目に入った。年の頃は大学生の就職探しにしてはやや老けているなどと,前頭葉を活動させるべく推論していると、彼女は手に提げている複数の白いポリ袋から5センチ大の鶏の唐揚げらしきものが3個刺さっている串を取り出し食べ始めたのであった。新快速電車ではないのでぎゅうぎゅう詰めというわけではないが相応に込んでいる電車の中で妙齢の女性が「唐揚げを食うのか!」とびっくりしてしまった。彼女は恐るべき勢いで3つの固まりを次々口でくわえ、引き抜きながらあっという間に食べてしまったのだ。「行儀の悪い」という気持ちも浮かんでは来たが「さぞ空腹であったのか,気の毒に」いう気持ちの方が勝る僕なのであった。しかしその憐憫の情は瞬く間に消え去ることとなった。彼女はその後、次々と新しい串を取り出すと、岸辺駅辺りまでに次々と4本の串をたいらげていくのであった(約10分間か)。いくら大柄の女性とは言え12個も唐揚げを一気食いするとは,何があったのか?過食症の女性かもなどと想像を逞しくしたが,服装もまあまあで化粧もしており、それほど病的にも思えない(昔に神経科で対応した拒食症の女性の様相とは全く異なる)。
茨木で彼女は向かいの席に座ることが出来たのだが、ポリ袋からはまだ唐揚げを取り出すのを止めようとはしなかった。視線を外していた時期もあり見逃しがあるかも知れないが、高槻駅で僕は彼女を見送るまでには少なくとも6本の串、18個の唐揚げを黙々と食べ続けたのであった。一度別の袋に入っている1リットルのお茶をストローで一口飲んだのは確認したが、まさに息をもつかさぬ勢いで唐揚げを平らげたのであった。「何があったのだ?」「その店舗名の印刷されていないポリ袋の唐揚げはそんなにうまいの?」と聞きたい衝動に駆られたことであった。
それにしても唐揚げの匂いは車内に充満するわけで、まさに傍若無人とはこのことである。他人が存在しない,見えない、関係ないという光景は,今や車内での化粧行為だけに留まらない様になってきたのかも知れない。こんな若者(と呼んで良いかは,電車を降り際にじっくり顔を見たとき30代の前半ではない!と最初の年齢推論を訂正したのですが)を誰が育てたのか、と思ったことであります。
シンポジウムでは最近の若年労働者(35歳頃までを言うらしい)のメンタルの弱さや不適応が議論され,生き甲斐を持って働く方略が紹介されたりした。
僕は大学だけに何とかしろと言うだけでなく、企業も責任の一端を担うべしなどと主張した。なぜなら、このような若年の社会性が育つ幼児期-児童期に,安い労働力として消費すべく母親や祖父母を家庭から剥離させて(したがって子どもから家庭教育の機会を奪い)、金儲けを優先させて来たので、敢えて言えば責任のなにがしかは企業側にもあるはずだからである。また、労働は基本的に楽しい,生き生きと労働せねばならないというのは幻想で、労働は苦役であるという認識が基本ではないか(だから貴族はあるいはローマ市民は、奴隷にそれらを押しつけてきたのではないか)などとやり場のない思いを「そうは言ってもなあ」と自問しつつ発言したことでありました。
それにしても電車の彼女には何があったのか?最近若い女性にも関心がなくなってきているのに、記憶に残る女性が現れたのでありました。
呆れてしまうなあ
先週は浜松での私立大学協会主催の研修会に出た。日本には既に500校を超える大学が存在しているが、400校近くが参加しているのが私立大学協会で60校あまりは私立大学連盟に属している。後者は戦前に大学であったところが構成しているギルドであり、新参者は入れてくれなかったので新しい組織を作ったのであろう。もう一つ小さい組織があるが、志が違うのかは知らない。つまり私立大学協会は新設大学が集まって協議会を作り、横並びの存在として情報収集と圧力団体となることが目的の組織と考えて良い。経理部門や教学部門など仕事の専門別に研修会が行われるのに部課長が集まれというわけで、大学からは教務部長の僕の他に3人が参加した。他大学ではほとんどは若い教務係の職員が参加しており僕が出なくても良かったのではとも考えたが、ともかく400名以上の2泊3日もある大研修会であった。
今回は「高等教育政策のパラダイムシフトを目指して」という副題の研修であったが、要は私立大学への政府予算を増やすべき、税制改正をなどという話が基本である。今回はとくに東日本大震災で数十億の損害を被った私学への配慮をすべきことが基調講演で述べられたので、「まあ大変だ・可哀想だ」とは感じたが、「そもそも国立大学系の学生には250-260万/一人の税金が投与されるが私学は15-16万に過ぎない。これは国立大学系に揃えるべきである」という主張がパラダイムシフトらしいのには呆れた(私学で生活の糧を得ている身では不遜かも知れないけど)。
明治後期に志を持って開設された私立大学(近年、その志は見えなくなってしまいサーヴィス産業化しているが)はともかくも、大学設置の大綱化以降につぎつぎと創設され(現在も続いている)る私学を国民は作って下さいとお願いしたことはない。勝手に「やりたいので、財産の寄付行為をしてまで作ります」で創ったはずである(その目的は資産の継続的継承が目的というと言い過ぎか)。人材を作っている公的機関があり、僕等も手弁当で参加します人作りを手伝いますと言っておいて、途中で「ところで頑張って人作りしているので、お金を下さい」と前言を翻すようなものである。「誰かが既設大学のすき間を狙うような大学を開学してって言ったの?」と口を挟みたくなったが,未だ前頭葉機能が壊れていないらしく内言にとどめることが出来た。
研修は広い会場での講演を聴くことと班別に分かれての議論から構成されている。長時間人間工学的に上等でない椅子に座ってすっかり腰が痛くなってしまったことと、類似の性質の大学が班を構成して自身の大学のknow howを情報交換するのは、競争相手に手をさしのべるようなものなので(と言うことにして),中座したことであった。過当競争の大学間で横並びに進もうなどという感覚は呆れるなあ、と根性の悪い僕は考えたことである。
翌日は4年生のゼミであった。昨年度の反省から年度初めに計画を立てさせたのだが、進捗状況は不変である。未だほとんど計画も決まっていない学生なのに欠席する学生、今日中に作業をせよと言うと「家の用事で帰らねば」という学生、明日持参せよというと「ボランティアで来られません」という学生、「卒論とボランティアとどっちが大切か、今どういう時期か分からないのか」と呆れるほどの楽観主義、自己効力感である。そんな調子で今までは何とかやってこられたのかも知れないが、「卒業研究不可」というようにそうは行かないことを思い知らしめる教育も大事だと,伝家の宝刀を抜きたくなる衝動に駆られるのであります。
神経心理学的には物事の優先順位が分からなくなるのは遂行機能に問題があると考えるのだがこれを改善することは、容易ではないことを再確認しています。
このように呆れ、そして嘆かわしいなと思いつつ、12月16日に提出せねばならない卒業研究を11人もの学生に指導せねばならないのであります。「誰か代わって下さい」と桂三枝ならいうはず。
今回は「高等教育政策のパラダイムシフトを目指して」という副題の研修であったが、要は私立大学への政府予算を増やすべき、税制改正をなどという話が基本である。今回はとくに東日本大震災で数十億の損害を被った私学への配慮をすべきことが基調講演で述べられたので、「まあ大変だ・可哀想だ」とは感じたが、「そもそも国立大学系の学生には250-260万/一人の税金が投与されるが私学は15-16万に過ぎない。これは国立大学系に揃えるべきである」という主張がパラダイムシフトらしいのには呆れた(私学で生活の糧を得ている身では不遜かも知れないけど)。
明治後期に志を持って開設された私立大学(近年、その志は見えなくなってしまいサーヴィス産業化しているが)はともかくも、大学設置の大綱化以降につぎつぎと創設され(現在も続いている)る私学を国民は作って下さいとお願いしたことはない。勝手に「やりたいので、財産の寄付行為をしてまで作ります」で創ったはずである(その目的は資産の継続的継承が目的というと言い過ぎか)。人材を作っている公的機関があり、僕等も手弁当で参加します人作りを手伝いますと言っておいて、途中で「ところで頑張って人作りしているので、お金を下さい」と前言を翻すようなものである。「誰かが既設大学のすき間を狙うような大学を開学してって言ったの?」と口を挟みたくなったが,未だ前頭葉機能が壊れていないらしく内言にとどめることが出来た。
研修は広い会場での講演を聴くことと班別に分かれての議論から構成されている。長時間人間工学的に上等でない椅子に座ってすっかり腰が痛くなってしまったことと、類似の性質の大学が班を構成して自身の大学のknow howを情報交換するのは、競争相手に手をさしのべるようなものなので(と言うことにして),中座したことであった。過当競争の大学間で横並びに進もうなどという感覚は呆れるなあ、と根性の悪い僕は考えたことである。
翌日は4年生のゼミであった。昨年度の反省から年度初めに計画を立てさせたのだが、進捗状況は不変である。未だほとんど計画も決まっていない学生なのに欠席する学生、今日中に作業をせよと言うと「家の用事で帰らねば」という学生、明日持参せよというと「ボランティアで来られません」という学生、「卒論とボランティアとどっちが大切か、今どういう時期か分からないのか」と呆れるほどの楽観主義、自己効力感である。そんな調子で今までは何とかやってこられたのかも知れないが、「卒業研究不可」というようにそうは行かないことを思い知らしめる教育も大事だと,伝家の宝刀を抜きたくなる衝動に駆られるのであります。
神経心理学的には物事の優先順位が分からなくなるのは遂行機能に問題があると考えるのだがこれを改善することは、容易ではないことを再確認しています。
このように呆れ、そして嘆かわしいなと思いつつ、12月16日に提出せねばならない卒業研究を11人もの学生に指導せねばならないのであります。「誰か代わって下さい」と桂三枝ならいうはず。
仕方がない
9/28日に書いたもの
9月もあっという間に終わろうとしている。最近の大学教員の9月はとくに忙しい。学会シーズンでいくつも出たい学会があるのだが、日程が重なるなどして思いは叶わない。大会参加費もバカにならないという気持ちも沸々顔を出したこともあって、今年の9月は日本神経心理学会だけ参加した。日程が重なって1日しか出られない心理学会は不参加とした。海外へ出かけて出席できないということは過去にもあったが、自主的な不参加は記憶にない。面倒くさいという気持ちに、「一日だけで大会参加費を払うのはもったいないなどの気持ち(参加費は自分の懐から出さなくてもよいのに)」、「翌日からの週末に予定が入っており身体もしんどい」から、で合理化してしまった。加齢のなせる仕業なのだ、「仕方がない」という自覚もある。
神経心理学会は役員会に出ねばならないこと、今年で任期が切れ定年となって役職から解放されると暑い宇都宮にでかけた(規定では名誉会員にしてくれそうなので次回から参加費を払う必要がなくなるはずであったが、残念ながらもう1年役員を続けるはめになった)。
一緒に夕ご飯を食べる知人の姿もなかったので、「宇都宮餃子」なるものを2個所で食べた(それぞれ味はかなり違ったが、生まれて初めて食べた餃子が珉珉の餃子なので、それほど美味とも思わなかった。味覚とは初期体験に規定される性質のものなのだろう)。
大会では2名の特別講演を聞くことができた(知人がいると飯の時間が長くなり、途中となることが少なくないが今回はそういうことはなかったのだ)。岩田誠元理事長の「音楽と脳-音楽って何」の話と酒井邦嘉東大教授の「脳から見る言語の本質」の話で、さすがに手慣れたもので上手な出来映えであった。頭のよい人の講演は構成がよいことと、プレゼンテーションが上手なことが特徴である。場数を踏めば上達するのかも知れないが、二人とも聴衆をエンタテインさせようとする気持ちが伝わるものであった。僕も授業ではネタを仕込んで笑わせようと試みてはいるが、とても敵わないと自覚したことであった。
岩田さんは神経内科医であるが、現在楽器のプロ演奏家として演奏旅行のようなこともやっているということであった。芸術に造詣が深く「絵と脳」や「音楽と脳」などの著書もある人である。以前に、昭和14、5年の戦時中の頃の写真で幼児の岩田さんが蝶ネクタイ姿でバイオリンを弾いている写真を見せてもらったことがある。東京の真ん中でも当時そういう生活をしている家庭もあったのだなあと感心したことがある(東京は空襲で焼け野原ばかりではないことを知った)。習い事などする仲間は皆無で、鼻水を垂らしながら里山を駆け巡ったり、稲刈りを終わった田んぼで潜り込んで積み藁の山を壊して叱られていた自分の幼児期とはずいぶん違うと思ったりしたものである。
先週は小豆島の中学校に実習校挨拶に台風接近の中をでかけた。朝6時前の新幹線に乗って高松港を経ての日帰りである(台風の接近があったので、滞在時間40分ほどで帰路についた)。土庄港と高松港との間の連絡船中、「私は何をしているのだろう。これが自分のしたいことなのか」などと、自問する気持ちを抑えきれなかったのだが、岩田さんのようには行かないのは能力の違いだ「仕方がない」。
4時半頃には自宅に戻れたので、久しぶりに家庭菜園の土を耕して冬野菜を植栽すべく買い置きの腐葉土を鋤きこんだことであった。「他人が皆、我より偉く見ゆる日は、花を買い来て...」の啄木の短歌のようには落ち込んではいませんけど。
「仕方がない」という言葉には諦念(あきらめ)ばかりではなく、気持ちを切り替えて「次行こう!」という気持を生む語感を少なくとも僕は持つので、嫌な言葉ではない。このような語感が独りよがりでもないことを過日NHKでみた番組で、戦時中の米国日本人の強制収容所での生活と、そのことへの米国議会での謝罪を引き出した日系上院議員のエピソードから知ることが出来た。
TVでは放射能汚染に係わる食品の基準値を厳しくせよなどのさまざまなニュースが流される。「仕方がない」という気持ちになれない人々なのだろう。人間は何時か病気になり、必ず死ぬことを知らぬ気の振る舞いのように思える。
9月もあっという間に終わろうとしている。最近の大学教員の9月はとくに忙しい。学会シーズンでいくつも出たい学会があるのだが、日程が重なるなどして思いは叶わない。大会参加費もバカにならないという気持ちも沸々顔を出したこともあって、今年の9月は日本神経心理学会だけ参加した。日程が重なって1日しか出られない心理学会は不参加とした。海外へ出かけて出席できないということは過去にもあったが、自主的な不参加は記憶にない。面倒くさいという気持ちに、「一日だけで大会参加費を払うのはもったいないなどの気持ち(参加費は自分の懐から出さなくてもよいのに)」、「翌日からの週末に予定が入っており身体もしんどい」から、で合理化してしまった。加齢のなせる仕業なのだ、「仕方がない」という自覚もある。
神経心理学会は役員会に出ねばならないこと、今年で任期が切れ定年となって役職から解放されると暑い宇都宮にでかけた(規定では名誉会員にしてくれそうなので次回から参加費を払う必要がなくなるはずであったが、残念ながらもう1年役員を続けるはめになった)。
一緒に夕ご飯を食べる知人の姿もなかったので、「宇都宮餃子」なるものを2個所で食べた(それぞれ味はかなり違ったが、生まれて初めて食べた餃子が珉珉の餃子なので、それほど美味とも思わなかった。味覚とは初期体験に規定される性質のものなのだろう)。
大会では2名の特別講演を聞くことができた(知人がいると飯の時間が長くなり、途中となることが少なくないが今回はそういうことはなかったのだ)。岩田誠元理事長の「音楽と脳-音楽って何」の話と酒井邦嘉東大教授の「脳から見る言語の本質」の話で、さすがに手慣れたもので上手な出来映えであった。頭のよい人の講演は構成がよいことと、プレゼンテーションが上手なことが特徴である。場数を踏めば上達するのかも知れないが、二人とも聴衆をエンタテインさせようとする気持ちが伝わるものであった。僕も授業ではネタを仕込んで笑わせようと試みてはいるが、とても敵わないと自覚したことであった。
岩田さんは神経内科医であるが、現在楽器のプロ演奏家として演奏旅行のようなこともやっているということであった。芸術に造詣が深く「絵と脳」や「音楽と脳」などの著書もある人である。以前に、昭和14、5年の戦時中の頃の写真で幼児の岩田さんが蝶ネクタイ姿でバイオリンを弾いている写真を見せてもらったことがある。東京の真ん中でも当時そういう生活をしている家庭もあったのだなあと感心したことがある(東京は空襲で焼け野原ばかりではないことを知った)。習い事などする仲間は皆無で、鼻水を垂らしながら里山を駆け巡ったり、稲刈りを終わった田んぼで潜り込んで積み藁の山を壊して叱られていた自分の幼児期とはずいぶん違うと思ったりしたものである。
先週は小豆島の中学校に実習校挨拶に台風接近の中をでかけた。朝6時前の新幹線に乗って高松港を経ての日帰りである(台風の接近があったので、滞在時間40分ほどで帰路についた)。土庄港と高松港との間の連絡船中、「私は何をしているのだろう。これが自分のしたいことなのか」などと、自問する気持ちを抑えきれなかったのだが、岩田さんのようには行かないのは能力の違いだ「仕方がない」。
4時半頃には自宅に戻れたので、久しぶりに家庭菜園の土を耕して冬野菜を植栽すべく買い置きの腐葉土を鋤きこんだことであった。「他人が皆、我より偉く見ゆる日は、花を買い来て...」の啄木の短歌のようには落ち込んではいませんけど。
「仕方がない」という言葉には諦念(あきらめ)ばかりではなく、気持ちを切り替えて「次行こう!」という気持を生む語感を少なくとも僕は持つので、嫌な言葉ではない。このような語感が独りよがりでもないことを過日NHKでみた番組で、戦時中の米国日本人の強制収容所での生活と、そのことへの米国議会での謝罪を引き出した日系上院議員のエピソードから知ることが出来た。
TVでは放射能汚染に係わる食品の基準値を厳しくせよなどのさまざまなニュースが流される。「仕方がない」という気持ちになれない人々なのだろう。人間は何時か病気になり、必ず死ぬことを知らぬ気の振る舞いのように思える。
今年の夏は特別?
8月に普段にはない集まりが2回あった。今年の8月は特別なのである。
一つは大学時代のグリークラブの同期と1年先輩らメンバーの集まり、もう一つは35年ほど前にアルバイトをしていた神経科のスタッフとの集まりである。共通項は、それぞれの集まりに東日本大震災の被災者(重篤な被害ではないので、まだ避難所にいる人たちと同じ語彙で括ってよいのかは心配だが)が含まれていることである。
グリークラブの同期や年齢が近いメンバーの集まりはたびたびこれまでにもあり、会社務めが一段落した年齢の頃にはグループ旅行などもしているが、今回は違ったメンバーとなった。名取市に住んでいる1年先輩がいるのだが、あの津波の映像を眼にしたグリーメンは、一様に彼は死んだのではないかと考えたのである(集まりでは異口同音にそう言っていた)。ところが、無事であること、高台の住まいであったために被害も少なかったことが判明すると、急に集まろうという連絡が来たのである。この種の集まりが苦手という先輩も卒業以来始めて顔を出した。集まりでは地震の話は少なめで、むしろ昔の信州での合宿や演奏旅行の話で盛り上がった。皆無事で良かったなどという外言化はされなかったが皆そう思っていたはずである。エピソード記憶を共有できる仲間が元気でいることは嬉しいことである。
もう一つの集まりは78歳を先頭に元看護師や事務の女性4名での集まりであった。わざわざ仙台の大学にいる友人が、以前から何度か呼びかけを受けても(関西に講義に来ている時期に)参加しなかった人で、今回は自分から呼びかけて来たということであった(冷たい人だねえとの声も以前にはあったのだが)。彼は、住宅自体に被害はなかったが、ガソリンを入れるのに早朝4時過ぎから並んで、380数番目に20リットルを入れることが出来たなどを話すのであった。人が群れ集まるのを好まない友人であったはずなのに、変わったなと思ったことであった。
今回の大惨事は、特別なストレスであり、人を変えたのである。自分の生死に関わる事柄を実体験すると人は変わり、昔あったはずの絆を確かめる習性があるのだろう。
今回の大惨事のために両親を失った子どもの映像を見ることが何度かあったが、強く感じたことは、子どもの顔ではない、大人の顔をしているという思いであった。この思いは、NHKのBSテレビで長時間放映していた66年前の戦争関連の番組での孤児の画像でも強く感じた。今の子どもとははっきり違う大人の表情なのである。
強烈なストレスがあると、子どもも大人も人間はしっかりする、真検に生きようと考える、そのことが子どもの顔を大人の顔に変えてしまうのだと、単純に思い浮かんだだけの自分の仮説に頷いていた。
最近臨床心理学で取り上げられ始めたリジリエンスなる概念はまさにこのことに係わる話題なのだろう。メンタルに脆弱な学生が多くなっていることを見聞きすると彼らには強烈なストレスが必要なのではないかと、危険な仮説も浮かび上がる。
とにかく、「失うことは、辛いがそれは何かを獲得させてくれる」のである。また逆に、「何かを獲得したと有頂天になっていると、何かを失っていく」ということのなのではないだろうか。
自らを振り返らねばと、この特別な夏に感じている私なのであります。
一つは大学時代のグリークラブの同期と1年先輩らメンバーの集まり、もう一つは35年ほど前にアルバイトをしていた神経科のスタッフとの集まりである。共通項は、それぞれの集まりに東日本大震災の被災者(重篤な被害ではないので、まだ避難所にいる人たちと同じ語彙で括ってよいのかは心配だが)が含まれていることである。
グリークラブの同期や年齢が近いメンバーの集まりはたびたびこれまでにもあり、会社務めが一段落した年齢の頃にはグループ旅行などもしているが、今回は違ったメンバーとなった。名取市に住んでいる1年先輩がいるのだが、あの津波の映像を眼にしたグリーメンは、一様に彼は死んだのではないかと考えたのである(集まりでは異口同音にそう言っていた)。ところが、無事であること、高台の住まいであったために被害も少なかったことが判明すると、急に集まろうという連絡が来たのである。この種の集まりが苦手という先輩も卒業以来始めて顔を出した。集まりでは地震の話は少なめで、むしろ昔の信州での合宿や演奏旅行の話で盛り上がった。皆無事で良かったなどという外言化はされなかったが皆そう思っていたはずである。エピソード記憶を共有できる仲間が元気でいることは嬉しいことである。
もう一つの集まりは78歳を先頭に元看護師や事務の女性4名での集まりであった。わざわざ仙台の大学にいる友人が、以前から何度か呼びかけを受けても(関西に講義に来ている時期に)参加しなかった人で、今回は自分から呼びかけて来たということであった(冷たい人だねえとの声も以前にはあったのだが)。彼は、住宅自体に被害はなかったが、ガソリンを入れるのに早朝4時過ぎから並んで、380数番目に20リットルを入れることが出来たなどを話すのであった。人が群れ集まるのを好まない友人であったはずなのに、変わったなと思ったことであった。
今回の大惨事は、特別なストレスであり、人を変えたのである。自分の生死に関わる事柄を実体験すると人は変わり、昔あったはずの絆を確かめる習性があるのだろう。
今回の大惨事のために両親を失った子どもの映像を見ることが何度かあったが、強く感じたことは、子どもの顔ではない、大人の顔をしているという思いであった。この思いは、NHKのBSテレビで長時間放映していた66年前の戦争関連の番組での孤児の画像でも強く感じた。今の子どもとははっきり違う大人の表情なのである。
強烈なストレスがあると、子どもも大人も人間はしっかりする、真検に生きようと考える、そのことが子どもの顔を大人の顔に変えてしまうのだと、単純に思い浮かんだだけの自分の仮説に頷いていた。
最近臨床心理学で取り上げられ始めたリジリエンスなる概念はまさにこのことに係わる話題なのだろう。メンタルに脆弱な学生が多くなっていることを見聞きすると彼らには強烈なストレスが必要なのではないかと、危険な仮説も浮かび上がる。
とにかく、「失うことは、辛いがそれは何かを獲得させてくれる」のである。また逆に、「何かを獲得したと有頂天になっていると、何かを失っていく」ということのなのではないだろうか。
自らを振り返らねばと、この特別な夏に感じている私なのであります。
オークランドのレストランから家族観を考えた
あっという間に7月も終わろうとしている。7月初旬に8日間ほど国際神経心理学会でオークランドを訪れたせいか余計に短く感じてしまう。冬の国に行ったので寒かったのは当たり前であるが、町には中国人や韓国人が以前に来たときよりも増加し、日本人の数が少なくなっている印象を強く持った。どうも日本人は元気がないように海外に行ってみても伺える。
一緒に行った若い人たちと韓国焼き肉を食べたり中華料理を食べたりしたが、家族というか親戚一統を集めての食事会のような光景に遭遇し、家族意識の弱まっている日本との対比を強く感じたことであった。
儒教に関する入門書のようなものを読んで、家族意識について腑に落ちることがあったので、受け売りであるが紹介しよう。
まず、なぜ中国や韓国の人が強固な家族連帯意識を持つかである。優生学的理由から生じたのであろうが同性不婚の原則が日本にはないものとしてある。結婚しても姓が変わることはない、この何千年もの間に維持される原則は当然のことながら、一族意識や同郷意識を維持させる。
おそらく、中央アジアやインド・中東・ヨーロッパに比べて南アジアの各段に豊かな土地や雨量は農耕を育て、農耕は人出を要するために労働力としての家族メンバーの確保が重要であったのだろう。農耕に適さない土地では狩猟に重点が置かれる。獲物が限られるために、一定の年齢に達した子どもは他の土地に放逐し、そこで生きることを求める必要があるのであろう。家族メンバーの確保は不要であり、不利なことであったと推論でき、独特の家族観が生まれることになったと考えられる。
農耕は自然や気候の左右されることが大きいために、個人では何ともしようがない。太陽や樹木、滝、川、などなどをあがめる多神教を生み、最高神がいろいろな形でこの世に現れる(本地垂迹)過程が生じることも理解できる。神と人間を橋渡しする儒者(シャーマン)が生まれたのであろう。家族メンバーの確保には、シャーマニズム→祖霊信仰(招魂儀礼)→祖先崇拝(倫理)が大切で、招魂再生の儀式の誕生→祖先を祭祀にする→孝(招魂儀礼、父母への敬愛、子孫を生む)家族倫理の形成が必然となったものと考えられる。
この招魂の考え方は、儒教における死生感すなわち、「この世は楽しいところであり長く生きたい、死後も何とかして、肉体はダメでも精神(魂)この世に戻りたい」とする思想が基本にある。中央アジアやインド・中東・ヨーロッパのような農耕に適さない土地での、「この世に煩悩を持っていきることは苦痛であるので輪廻転生のサイクルから逃れ解脱したい」とする仏教や「この世の労働は苦痛であり神の国に逃れたい」とするキリスト教やイスラム教徒は異なる思想が基本にある。
生きていることは喜びである(快楽礼讃)に対して、生きていることは苦痛であるとする違いである。
家族を確保するには祖先をまつり続けることが何より大切で、そのためには子孫を絶やしてはならないとする儒教の考え方が生まれたことが了解できる。日本に儒教が入って、儒教から道教を経て朱子学として変遷したものが我が国の封建制度として定着したように思えるが、中国や韓国の歴史から考えるとごく短い時間でしかない。昨今の我が国の(自分を含めて)の家族観を振り返ってみると、戦後の米国の価値観の導入で一気に弱体する程度のものでしかなかったと言えよう。
それでも儒教的な考え方は現存しており、現在の日本で臓器移植が進まないことや血統の重視による他民族の養子の受け入れ方に欧米と大きく異なる理由と考えられる。
このような話を、担当している家族関係論で補講の時間に紹介する予定であったが、エキストラの授業時間や試験に関わりのないことには関心のない学生は2名しか参加せず、気勢をそがれた私は別な話で春学期を終えることになりました。
ニュージーランドでの食事風景から思いついて勉強した儒教と家族観の理解は自分の肥やしにはなったので、了とすることにしましょう。加地信行という高野山大・名大・阪大にいた先生が儒教に詳しいので、何を書いているのか分からないという人は加地さんの著書を購入して下さい。
明日はもう八月です。
一緒に行った若い人たちと韓国焼き肉を食べたり中華料理を食べたりしたが、家族というか親戚一統を集めての食事会のような光景に遭遇し、家族意識の弱まっている日本との対比を強く感じたことであった。
儒教に関する入門書のようなものを読んで、家族意識について腑に落ちることがあったので、受け売りであるが紹介しよう。
まず、なぜ中国や韓国の人が強固な家族連帯意識を持つかである。優生学的理由から生じたのであろうが同性不婚の原則が日本にはないものとしてある。結婚しても姓が変わることはない、この何千年もの間に維持される原則は当然のことながら、一族意識や同郷意識を維持させる。
おそらく、中央アジアやインド・中東・ヨーロッパに比べて南アジアの各段に豊かな土地や雨量は農耕を育て、農耕は人出を要するために労働力としての家族メンバーの確保が重要であったのだろう。農耕に適さない土地では狩猟に重点が置かれる。獲物が限られるために、一定の年齢に達した子どもは他の土地に放逐し、そこで生きることを求める必要があるのであろう。家族メンバーの確保は不要であり、不利なことであったと推論でき、独特の家族観が生まれることになったと考えられる。
農耕は自然や気候の左右されることが大きいために、個人では何ともしようがない。太陽や樹木、滝、川、などなどをあがめる多神教を生み、最高神がいろいろな形でこの世に現れる(本地垂迹)過程が生じることも理解できる。神と人間を橋渡しする儒者(シャーマン)が生まれたのであろう。家族メンバーの確保には、シャーマニズム→祖霊信仰(招魂儀礼)→祖先崇拝(倫理)が大切で、招魂再生の儀式の誕生→祖先を祭祀にする→孝(招魂儀礼、父母への敬愛、子孫を生む)家族倫理の形成が必然となったものと考えられる。
この招魂の考え方は、儒教における死生感すなわち、「この世は楽しいところであり長く生きたい、死後も何とかして、肉体はダメでも精神(魂)この世に戻りたい」とする思想が基本にある。中央アジアやインド・中東・ヨーロッパのような農耕に適さない土地での、「この世に煩悩を持っていきることは苦痛であるので輪廻転生のサイクルから逃れ解脱したい」とする仏教や「この世の労働は苦痛であり神の国に逃れたい」とするキリスト教やイスラム教徒は異なる思想が基本にある。
生きていることは喜びである(快楽礼讃)に対して、生きていることは苦痛であるとする違いである。
家族を確保するには祖先をまつり続けることが何より大切で、そのためには子孫を絶やしてはならないとする儒教の考え方が生まれたことが了解できる。日本に儒教が入って、儒教から道教を経て朱子学として変遷したものが我が国の封建制度として定着したように思えるが、中国や韓国の歴史から考えるとごく短い時間でしかない。昨今の我が国の(自分を含めて)の家族観を振り返ってみると、戦後の米国の価値観の導入で一気に弱体する程度のものでしかなかったと言えよう。
それでも儒教的な考え方は現存しており、現在の日本で臓器移植が進まないことや血統の重視による他民族の養子の受け入れ方に欧米と大きく異なる理由と考えられる。
このような話を、担当している家族関係論で補講の時間に紹介する予定であったが、エキストラの授業時間や試験に関わりのないことには関心のない学生は2名しか参加せず、気勢をそがれた私は別な話で春学期を終えることになりました。
ニュージーランドでの食事風景から思いついて勉強した儒教と家族観の理解は自分の肥やしにはなったので、了とすることにしましょう。加地信行という高野山大・名大・阪大にいた先生が儒教に詳しいので、何を書いているのか分からないという人は加地さんの著書を購入して下さい。
明日はもう八月です。