はったブログ -18ページ目

オスロの学会でFDを考えた

 オスロで開かれた国際神経心理学会夏季大会に参加したことは既に書いたが、そこでいくつか考えさせられることがあったのを未だ書いていない。つぎつぎと毎日の仕事が待ち状態にあると、その時点で思いついたことを記さないうちに失念してしまうものである。帰国後2週間経っても失われていないことなので、思いの強さが深かったということでもある。それは、学会参加者の減少とFD(Faculty Development)活動の在り方についてである。
 ここ数年、上記の学会への参加者が、とりわけ若年者の参加が少なくなっている。10年ほど前はスーツケースに入れるのも憚れるほどの電話帳級の分厚い抄録集がずいぶんと薄くなっているので、単なる印象だけではない。学会は4日間の構成は変わっていないが、個別発表は少なくなり、シンポジウムや教育講演などで日程を埋めている印象が強い。冬季大会は北米であるが、そこでの発表は急増し、20倍ほどもある選考に通るのが難しくなっていることを両方の学会に出ている人から聞いているので、要するに研究者が多い北米の若い研究者に国外での発表が自由にできる資金的余裕が無くなっているのが主な理由であろう(これは憶測であるけれども)。あるいは、研究の現場での勤務条件がきつくなり、時間的に海外、それも渡航に時間が掛かる地域での大会への参加が困難になっているのだろう。日本の若手の研究者(たとえばCOEなどの研究員)でも自分の発表の時間の直前に大会に来て、終わればすぐに帰国せねばならないという勤務条件を耳にする。厳格に海外学会参加へのコンプライアンスを云々するためである。
 自分の研究成果を発表するだけで、すぐに帰国せよというようなことでは国際学会に参加する意味は半分にも満たない。国外の学会に出ることの意味は、自分の発表を広く知らしめることだけでなく、関連分野でどのような研究が行われているのか、自分の研究はどの辺りに地位を占めるのか、今後の展望は如何かなどの情報を得るためにあるはずである。若い研究者を指導するリーダー役は、発表するだけでなく国際的な研究ネットワークを作るべしと、時間と金銭を準備してあげねば本来の役割を果たせていないと自覚せねばならない(そんなことは承知だが、容易にできない状況にあることを知らないわけではないが、そのような管理体制を改善する気概を持たねばだめでしょうと、気楽な立場になっているので放言しておく)。
 若い研究者と一緒であったので僕も加齢研究のシンポジウムなどに参加した(けっして物見遊山だけに行っているのではない)。世界的に名を知られた縦断的加齢研究や大規模加齢研究を紹介されると、その規模や活動の幅広さに感嘆するしかなくなる。
 我々は北海道での加齢研究を包括的体制で実施しており、国内では一歩抜け出ていることを自認しているが、国際レベルのものと比べると見劣りすることを認めざるを得なくなる。たとえば、加齢に伴う高次脳機能の検討研究計画では、欧米のものは人種、社会階層、病歴、知能レベルなど、日本での研究にはパラメータとして組み込め難いものが入っている。医療が自由診療の国では、パーキンソン病だがL-Dopa治療を受けない群と治療を受けた群などの構成が研究計画には組み込んである。このような研究計画は日本では不可能で、パーキンソン病と診断して治療しなかった医者は日本では罰せられることであろう。
 加齢研究に人種や経済状態などを組み込む包括的な理論背景を紹介されたりすると、その視野の幅広さに脱帽と感じてしまう。すき間を如何に狙って研究を進めるか、すき間はありそうだなどの思いを強く抱くこととなった。
 このようなことをつらつら考えると、私はまさにFD活動をしていることに気づく。私は大学教員としての資質が少し向上したと自覚できる。自分の研究のレベル、将来の方向性の確認などに得るところがあったからである。
 FD活動は研究者であり教育者である大学教員の資質の向上が本来の目的で、アメリカで生まれたものである。
 日本の大学にFD導入させたときに、高等教育専門家が、話し方、板書の上手さ、資料の準備などから構成される授業評価などのHow toものの項目がFDの主要事項であるかのようにミスリーディングした罪は大きい。高等教育専門家は元来のFDとは何かを知らずにいたのか、知ってはいるけれども予算を伴うことに言及せずに行政側と癒着することを望んだに違いない、と糾弾したくなってしまう。なぜ、①国際学会に教員を出さねばならない、②国際学会に参加させてついでに1週間ほど時間を与え、自らの研究者や教育者としての立ち位置を確認させるべきである、などの項目を入れなかったのか。
 ムンク美術館で「くそ-!」と「叫び」の絵を前に声を挙げたいような気分になるなど、オスロの学会ではいろいろなことを考えたのであります。美術館で教養を豊かにさせることも大学教員の資質の向上に資するとことは言うまでもありません。
 我が大学でも若い人にFDの一貫として学会発表を奨励せなばならないと考えたのであります。

オスロにて

国際神経心理学会(INS)の夏季大会に出席のためにオスロに来ている。3年前には同じ学会がヘルシンキであった。冬季大会が北米で行われるので夏季大会は参加者には嬉しいことに、去年はオークランド、その前がクラコフ、その前がヘルシンキという具合にあちこちで行われる。北海道八雲町で縦断的研究は貴重な資料が多いためか、発表が採択される。そのために忙しくても発表に来なければ、科研の申請書での要件を満たせなくなるので、仕事が忙しくても万難を排しても参加せざるを得ない、仕方がない。ということなのである。怪しいものだという声が聞こえそうだが、嘘ではない。冬季大会の方が発表多く学術的な水準も高いが、あいにく試験のシーズンで夏しか機会がない。
 大学での仕事は大変忙しいので、この学会に出るための一週間ほどの時間を、霧の中の灯台のように新学期を過ごして来たというのが心境で、メンタルを健常に保つための自我防衛機制ということで周囲の、遊びに行くのではないのかと訝しがる眼を見ないようにしての出張というわけである。
 ヘルシンキで乗り継いでオスロ空港着。ネット情報では中央駅まで空港から電車で一直線のはずが工事中ということで、途中まで、電車。その後代行バスに乗り換えてホテルにたどり着いたのは日本時間の朝の4時であった。6時に自宅に呼んだタクシーから計算すると22時間を要したことになる。あまり多くない量の機内食、ヘルシンキ空港での1パイントのマーフイ―(フィンランド人のおじさんと会話ではノルウェーはヘルシンキよりも物価が高いぞと警告された)、着いてから前日到着の北里大の先生らと合流し、ギネス1パイントだけの食事でやや空腹気味であったが、へろへろで就寝となった。飛び込んだパブは食べもの一切なしのところであったが、ギネスは800円ほどで日本と変わらず安心した。
 大会第一日目に会場のホテルに行く途中は道路工事が至る所で行われているし、あちこちでビルの建築も行われて、景気が良いのかもしれないとも思ったが、よく考えると今しか工事をする季節がないのかもしれないと推理した。ノルウェーだけが欧州で経済が良いとも聞かないからである。聞けば、中央駅を起点としてオスロ市内の電車は全部止まっているという。集中的に工事をしていて、郊外に出るにはいったんバスで市外に出て、そこから電車に乗るということになっている状態が7月2週目まで続くという。日本では考えにくいことだが、大阪府の人口にも満たない国なのでクレマーの人数も少なくて済むのかもしれない。
 学会上への途中の公園などには休日でも休み時間でもないのに、芝生やベンチでのんびりしている人を多く見かける。夏の太陽を今浴びておかねばだめなのだろう。今工事をしておかねばだめなのと同じ発想かもしれない。昨夜は9時半ごろにホテルに戻ったが道路工事はたけなわという感じであった。こういう風に一時期にぎゅっと仕事を詰め込む、そして長く休むというライフスタイル、ずっと雪の季節で夏はギュッと短いという季節変動は寿命には良い作用をするのか、あとでネットで調べねばと思ったりしたことである。
 今、もう夜の9時だが、日本での4時くらいの明るさである。朝は4時前に目が覚めたがもう、日本の夏の明るい朝であった。太陽の位置でおよその時刻を推量することはこの国では難しい。この国の人は日内の時間変動を何を基準に推量するのだろうと、今朝の散歩の際に岸壁でつりをしている人に聞こうかと思ったが、15人ほどいるうちの14人が中東系の人で英語は通じない気がしたのでやめた。外国人の疑問などどうでもよいはずと思いとどまったのであった。彼らは30センチ弱のサバをけっこう釣り上げていた。そういえば、春に学科の旅行で小浜に行ったときに名物の「へしこ」のサバはノルウェー産ということであった。みやげにサバの缶詰という訳にもいかないしなどと、久しぶりにたわいもないことを思案するなどして、前頭葉を休ませずに活性させているのであります。

「未練」

 「未練」という単語が突然浮かび上がってきたのは、研究室の引っ越しをしていて、段ボール箱を整理中のことである。「未練」なんていう語はすっかり死語になってしまったようで、昨今耳にすることも目にすることもない。「未練なのね、だから言ったじゃないの…」という松山恵子の甲高い歌声が記憶から連想されるのだから、すっかり自分の語彙体系は時代遅れになっていることが自覚できる。
 学生たちは付き合っている彼氏と別れても、「未練」という感情は浮かび上がらないかのようで、次の彼氏へと気軽に移って行くように見える。
 さて、段ボールを整理中に生じた「未練」は文献カードに対してである。文献カードという単語ももはや死語かも判らないが、段ボール箱一杯に「外国文献社」の文献カードが見つかったのである。まだ持っていることも忘れていた。A4サイズの半分大の、やや厚手のカードで、4つの辺すべてに2行穴が開けてある。穴の内側にはアルファベット、著者名、論文題名、雑誌名、発行年度などの基本情報に加えて分野が分類できるようなが印刷された部分と、自由記載のための経線部分から構成されている。たしか5,000枚単位で購入していたことを覚えている。
 このカードの存在を教えてもらったのは生澤雅夫先生で、当時の院生は全員このカードで整理するようになった。自分が読んだ論文の要点をカードにメモして生理しておくこと、それにはこのカードが一番良いと断定的であった。生澤先生は大変几帳面な方で、手帳にも几帳面に記入され、パイロットであったと思うがノック式の万年筆(いちいちキャップをねじって外さなくても書ける)を自慢げに盛んにメモをされるのであった。手帳を出して、「いついつの発言とは違いますね」というような調子でやられるので煙たいときもないわけではなかった。先生はこのカードの利点はホールソートができることであると、鉄の細い棒で数十枚のカードからソートをするやり方をデモンストレーションされた。今でいうエクセルでの並び替えの物理的手法である。カードの4辺の穴にはさみで切り込みを入れておくと、ソートの際に関連カードが抜け落ちるという原始的な分類技術からできていた。
  かくして私たちの間に「外国文献社」の文献カード利用が広まった。僕もその虜となり、その後に職を得た大学でも着任する後輩たちに薦めたことを覚えている。これに似た「丸善カード」、「紀伊国屋カード」と売り出されたときも「外国文献社」のカードがよいと断言し、「ハマっていた」のである。そういう理由で院生の頃から始めた文献カード記入は、若い人がファイルメーカーというコンピュータソフトで整理した方が便利ですと教えられるまで名大に移ってもしばらく続いた。
 論文を読んで、その要点をまとめること、そこから気づいた実験のアイディアなどをメモしてきたのである。数えてはいないが「外国文献社」がなくなると聞いて慌てて追加購入した記憶があるのでかなりの数の記入カードが残っているはずである。
 何度か研究室を移転する際に荷物を整理する機会はあるのにカードが入った段ボールを捨てられなかった。今回の引っ越しでも廃棄しなかったのである。自分が購読していた外国雑誌の大半は今回廃棄することができたのに、何故か、捨てられないのだ。
 何故なのだろうと考えてみると浮かび上がる語彙は「未練」なのである。「未練」は懐かしさという感情も付随させている。毎日のように何編かの論文を読むのを日課とし、今日は5編読んだなど、自分の英文を読める速さが向上することも自覚できるので、真剣に勉強していたこと若い日が確認できる懐かしい手がかりなのであろう。高齢者は基本的に若い頃を肯定的に懐古できる特性を持つが、持てない高齢者もいないわけではない。文献カードを持ち続けるのは、自分はこれくらい論文を読み込んできたなどと自慢できる学生はもう手元にはいないのだから、肯定的に自分の過去を振り返れなくなる将来への防衛規制なのかもしれない。
 もう一度読み返すことも、電子化しても使用する機会もないことは理性的には了解でき、「未練たらしい」、「どうせいつかは捨てるのに」、「棺桶に入れて焼いてもらうつもりかね」などと内なる声も聞こえないわけではないが、残しておく選択をしている自分が居るのである。
 最近は電子化した論文を読むようになった。文献検索は巨大資本が独占的に提供するデータベースで簡単にできる。それも高度に悉皆的な文献検索が可能である。名大の図書館を学外から利用できる恩恵に要しているので、研究を続ける上でそれほど支障はない。
 しかし、自分で雑誌から複写したり、送付を請求して送られてきた紙ベースの文献を読み、手書きのメモを残したりしていた頃の方が内容への理解が深く、研究のアイディアが浮かび易く記憶にも強く残るような気がしている。
「なーに、年をとって理解力も記憶力も低下しただけですよ」というコメントも聞こえそうですけどネ。
 かくして研究室に山積みとなっていた段ボールは廃棄分を除いて何とか新しい部屋に収納できたのでありました。おそらく、最後の研究室移転であります。

情けないって?

 4月も終わりに近づきブログを書かなければという強迫観念に駆られている。しばらく自分の生活行動にまつわる愚痴のようなことばかり書いてきた気がするので、四季、自然の美しさなどを書きたいと思いつつも材料に見あたらない。
 今朝は5時前に起き出したので、久しぶりにゆっくりした気持ちで散歩が可能となった。門を開けるとウグイスの鳴き声がしたり、もう消滅したかと案じていたレンゲ草のピンクの花が、高速道路用に買い取られて区切られて放置された田んぼの部分に結構な量咲いているのを見つけたりした。やはり余裕を持って周囲を見渡さねばイカンのだと再確認したことである。道端の畑には昨日辺りの仕事であろう、トマトやキュウリが植わっており、僕も早くせねばと気が焦る。こんな内容を書きついでいきたいが、昨日の新聞を読み返して気に入らない記事が心に残り、それを書かねば余裕を持つなどとは叶わないので、話をそちらに移すことにする。
 「記者有論」と題するコラムが掲載されていた。書いているのは社会部の記者である。タイトルは「大学教育の質-外圧を受ける前に自ら動け」という1000字ほどの記事である。とうとう、大学はこんなことまで言われるようになったのか。情けない、という書き出しで、中教審が今夏に答申として出す予定と聞いている「学習時間の増加・確保をして学習の質を上げよう。すべての大学に学生に学習時間の把握を調査する」に関わって、「まるで義務教育だ、情けない」という。「2人に1人が大学に入る時代なのに授業が学生本意に変わっていないのはないか、しっかりしろ」という論調である。
 しっかりしろと言いたいのは僕の方で、「こんないい加減な記事を書くな,しっかりしろ」である。
 この種の話でいつも気になるのは、大学とはどのような大学を指すのかを明らかにしないことである。今では500を超える大学がある中でどのレベルの大学を言うのか、どのレベルの大学生を指して学習時間が足りないというのか明確でない。したがって、意味のない漠とした内容となる。記者が想定している大学と読者の想定する大学が一致しなければコミュニケーションは成立しない(認知スキーマの不一致、想定類似性から生じるミスコミュニケーションの典型である)。大学人に反省という気持ちを起こさせることにはつながらない。社会部の素人が何を言っていると無視されるのがオチであろう。ただ、こういう記事を鵜呑みにする人たちが、大学にのみ責任を押しつけ、このような教育状況を招いたことに自らも責任が及ぶことを気づかないままになることを恐れる。
 記事には、大学には大学自治の原則がある、補助金の額を減額される意向などの言及があるが、これらはもっぱら国立大学法人や古い大規模大学にあてはまるだけである。おそらく300大学ほどの小規模大学では、自治などもとよりないし補助金の額など経営者が気にするほどの額ではない。記者が指摘するような学習時間少ない学生がいるのは弱小大学である。偏差値が70近辺の学生から構成される基幹大学と40前後の学生も混じる弱小大学を一括りにするのは乱暴すぎるというものである。そんな低い偏差値の大学など不要というのであれば、その原因である大学設置基準の大綱化こそ問題にすべきであろう。
 基幹大学の学生の学習時間は決して少なくない。とくに医系・理系の学生や院生の学習時間は気の毒なほど長いという実態を記者は知らないようである(おそらく文系の学部を出て記者になり、自分が想定する、自分が学んだ頃の大学とのギャップに愕然として、この記事を書くに及んだのだろう)。
 決して高い偏差値の大学とは言い難い大学では、嘆かわしいほど基礎学力の学生がいて、学習習慣がない学生が過半数を占めることは事実で、記者がまるで義務教育だという指摘が当てはまる大学も少なくない。入学時の調査でも自宅での予復習の習慣があるというのはわずかな割合でしかない。しかし、学習習慣は義務教育で修得すべきもので、義務教育に携わる者、そして高校教育がその責めを追われてしかるべきであろう。
 入学時に学習習慣がない18歳の人間に大学でそれを身に付けさせよ、授業のやり方で何とかせよというのは、過酷すぎる要求であることは発達心理学を学ばずとも分かるはずである。
 別な要因も指摘しておかねばなるまい。大学生の余暇時間の過ごし方である。学生は学習をしない時間に遊び呆けているわけではない。義務教育がしっかり身についていない学生達の大半はアルバイトに忙しいのである。全部とは言わないが授業料を補填しているのである。学生の偏差値を横軸に、保護者の収入を縦軸に取れば、綺麗な1次関数直線となるはずである。
 現在の日本の大学では、授業料を心配しないで学業に専念できる生活環境は整備されていない。給付型の奨学金を準備してそれでも学習時間が少なすぎると歎くのなら了解できるのだが、消費税の増加案がままならないようでは、言い出せる話ではない。記者はこのような実態を念頭には置いていないように思える。
 税金がかからず簡単にできる話は、大学センター入試を止めて、高校卒資格試験に変えることである。そうすれば相応の学力やその修得の基礎となった学習習慣は構築されることにつながり、大学での教育は進捗すると考えるからである。
 もう疲れたので、この辺りで終わることにするが、要は500を超えるまでになっている大学の学生(同一年齢群の半数以上の数)を一括りにした記事は、その母集団の学力及び知能分散が大きすぎ、対象とされる大学が不明確で得るところがないということである。
 物事を改善する提言には、焦点を絞りそして広い視野で捉えるようにせねばと言うことであります。

今年の年度末

 毎年、年度末になるとどこかへ旅行に出かけていたのだが、この春は出かけずじまいで押し迫ってしまった。昨年は沖縄と石垣島に次男の結婚式を機会に出かけた。あれからあっという間の一年である。今年の3月は気温が低めで出かけようとする気持ちにもならなかったことや家内が言い出さなかったため、春を愛でるなどというような優雅な気持ちにはなかった。3月中にと頼まれていた遠方での講演も都合で延期となったようで、出かけたのは研修や会議で東京へと出張することが多かったので、敢えて出かけたいとする気持ちにさせなかったのかも知れない。しなければならない仕事(ここでの仕事とは論文や本の原稿を書いたり、溜まるばかりの雑誌論文に目を通したりすること)が気持ちに余裕を与えてくれないこともある。
 気温が低い日が多く、したがって座位が長くなる時間の過ごし方は、腰痛を招く。院生の頃からの付き合いの腰痛である。水泳をしたり、ウォ-キングをしたりと自分なりの調整をしているが、朝早い出張や、雨天などで自己流の調整法が中断しがちなのもよくないはずである。今はかなりましであるが臀部の筋肉、太ももの筋肉、ふくらはぎの筋肉がつぎつぎと固まり、立ち上がれない(立ってしまうと痛くないのだが)が、数日続くのである。ストレッチやカイロを貼るなどの対症療法で何とか誤魔化して今日に至っている。25日の日曜日に朝泳いでその足で大学での新任研修にというスケジュールで動いたせいで、やや状態は良いのであろう。
 このようにしてだんだんと外に出かける意欲を失い加齢現象が加速するのかも知れない。このように何かを使用とする気持ちが高齢期の認知機能と関連が深いという論文をほぼ仕上げたところである(こういう気持ちに[imitative]という表現を使うのがよいと英国の心理学者とマカオの大学にいる心理言語学者の協議から教わったところである。まことにインターネットはこういうときに役に立つ)。
 しかし、少し調子がよくなった頃に決まって新幹線での日帰り出張が入る。出張先での4-5時間に新幹線での時間を加算すると10時間あまり座位となるのだから、完治するはずがない。暖かくなる日を待つしかない状態である。
 23日には卒業式があり座位にも耐えたが、ゼミ生がマッサージ座布団を寄贈してくれた。肩こりの素振りを見ていたのかも知れない。他の同僚は斯様な恩恵に預かることはないらしく、パーティ会場でうらやましがられ嬉しさが増したことである。ゼミ生11名全員の就職が決まったという連絡もあり安堵した。学科のパーティ会場では、このような背景もあり興奮したので「Wherever you may go, Whatever you may do, for a thousand years, my heart belong to you!」と、酒のせいで声が出ない状態で歌ってしまった。この歌は卒業式の数日前の学科の研修旅行先で酔っていたときに冊子に載せる卒業生への言葉をと求められて思わず書いてしまったものである。後で「コンバット」というTVドラマの主題歌であることを思い出した。アメリカ軍が欧州戦線で戦っている設定での白黒のドラマであったと思う。若い頃はメロディの記憶力がよかったのかも知れない。
 思い起こせばこの3月で僕は教師生活40周年となった。27歳で職を得ている。あの頃はこれで一生安泰と自他ともに考えていた。数日前に短期大学に講師の職を紹介した先生が3年期限だが2年で辞めることにしたと挨拶に来られた。老舗の大学を乗っ取ったといろいろと噂のある大学経営者のところである。教員への締め付けが厳しくなり何人がもとの数かは知らないが2名を残して学長を先頭にこの年度末で辞職するということであった。一方的な話なのではあるが、さもありそうなことで、「研修日はなし」、「8時間半で出勤5時まで」、「土曜日も半日出勤」等々高校の教員と同じ条件を受け入れるかを迫られたと言う。大学の教員は労働者でもあるという認識があれば、不当労働行為であると対処することもできたはずであるし、高校の教員と大学教員の違いを論駁できなければならない。あるいは大学設置審査会に申し出て身分の確認などもできるはずである(ただし、大学の教員らしい実績がないと藪へびとなってしまうけれども)。
 今のところ現在の職場ではそのような切迫した状況はないが、気を引き締めて着実にこれからの大学のあり方や学生の指導を考えねばならないと改めて考えた次第である。
 23歳から企業に勤務した大学時代の友人らは37年の勤務でほとんどの者が職を退いているのに、40年も現役でいられたのは有り難いことである。もっとも、友人らが好景気で高給を食んでいた頃こちらは安い給料であったので、もうしばらく給料をどこかから獲得しないとトントンではないかも知れないが、若い人と毎日接していられた分で差額はチャラだと言う声も聞かないわけではない。有り難いことである。
 4月から研究室を変わることになり、明日を目処に整理中である。腰痛の方が完治するのは今しばらく時間が必要であろう。

「であったりします?」

 先週の金曜日は10時からの僕が主催する小規模な委員会に出て、そのあと昼飯も食べずに新大阪にある研修会場に移動して、教員評価の研修を受けた。著名なコンサルタント企業(N総研)による講演というのでどんな具合かと、乞われるままに出かけてみた。
 著名なN総研の4-50歳ぐらいの中堅どころと思しき講師であったが、ひどいものであった。コンサルタント企業が教育産業に何とか金儲けの糸口を見つけたいという背景だけは理解できたというのが率直な感想である。内容は一般企業での社員評価のノウハウを大学や高校の教師を相手にもできるかも知れないという程度の中身、といったら気の毒かも知れないが、無料で参加できるわけではないので酷評するのは許されよう。自腹なら,金返せ!と言いたいレベルである、と言ったらいい過ぎかも知れないけど。
 中身に自信がないのか、講師の話すスピードが速いこと、パワーポイントの文字数が多く,文字が極端に小さすぎて読めない、資料に配付されているA4 に2枚分のスライドが入る大きさでも,僕の老眼鏡では読めない(帰宅してネットで買った1.6倍の拡大鏡めがねが必要な文字のポイントである。聴衆に理解して欲しいという意図はなく、資料の意味を成さないものであると言いたくなった)など、ゼミでの発表なら駄目出しをしてやり直させるところである。
 一番気になったのは講師の「~であったりします」の繰り返しと言う話し方である。「あったりするのなら、なかったりするのか?どっちやねん!」と突っ込みたくなる話し方である。断定的にものを言わないのは近頃の学生の流行言葉かと思っていたが、コンサルタント会社の中年の男が頻発するのには驚いた(以前に大学が呼んで少人数で行った研修会でのM総研の講師には文句は言ったが,今回は言わなかった)。要するに人前で話すような日本語として、きちんと話せていない。
 更に言うと、頻繁に自分で「はい」と言ってから次に話を繋いでいくやり方も気になった。「誰に返事してるの?」「接続詞を知らないのかい?」と言いたくなる話し方であった。
 ついでに記載しておくと、近頃はあちこちで「有り難うございます」、「ご苦労様です」が頻繁に使われる。頻繁すぎると老人は思うのであります。「はい」、「了承しました」、「分かりました」、「そのように致します」と言うべきところが、すべて「有り難うございます」なのである。文脈に応じて適切な返事をすべきで、どこかのコンサルタントの研修で教えられているのかも知れないと推察はするが、少なくとも僕には気持ちの良いものではない。
 「ご苦労様です」もやたら耳にする。本来は年長者や目上の者が部下などをねぎらうときの表現が「ご苦労であった」なのだから、敬語としても可笑しいはずである。
 学生らの「先生どうしたん?」「疲れてんのん?」という類のため口の方がまだしも心地よく感じてしまう。
 しかし、この学生らが社会に出て「~であったりします」、「ご苦労様」族にさせないための方策を何かを考えねばならないなあと思い、その容易ならざるプロセスを思うと暗澹となるのでありました。
 教員評価の研修を受けて勉強になったというよりも「重たい気持ちになったりした」のでした。

年の初めに

 今年の正月は信州で過ごした。良い天気に恵まれ、温泉に入ったりソリ遊びや蕎麦打ちを体験したりするなど、楽しい時間を過ごせた。ただ、この休みの間で気に掛かっていたのが1月6-8日の3日間の九大での集中講義であった。多忙なので土日を入れてならと無理を言っての日程である。夏よりも冬の方がおいしいものがあるという気持ちもあっての日程調整である。
 集中講義で15コマ分の講義内容を準備するのは、昔よりも大変である。パワーポイントを使用すると、以前よりも情報を多く準備せねばならない。黒板に図や表を書いて時間を稼ぐなどのテクニックが使えないからである。僕が大学生のころは口実筆記(先生が準備したノートを読み上げるのを、学生が自分のノートに書く)という授業形態もあった(あまり評判は良くなかったが)。今から思えば、何年か使い回して、内容を修正してそのノートを著書に仕上げるというやり方が、分野にもよるが大学教員の研究法の定番であったのであろう。昔の先生は良かったなあ、といつものように愚痴がでることであった。それと体力が持つのか気がかりでもあった。
 5日の午後に自宅を出る直前までに、なんとかパソコンやUSBの確認などを終えることができたのだが、新幹線の中で指定してあるテキストを(それもいろいろと書き込みがしてある)忘れたことに気づいてしまった。パワーポイントの準備に過度に注意が配分されたことで生じるミスである。注意配分が不良となるのは加齢効果であることを講義でも披露したのは言うまでもない。テキストは使用しないように急遽計画を変更したが、何とかなった。
 用意してもらったホテルから徒歩で15分ほどの箱崎キャンパスに通い、8時40分から18時10分までの15コマを何とかこなすことができた。本当はもう1日分(5コマ)あるとよかったという悔いが残る授業計画となってしまった(反省!)。
 箱田教授をはじめとする心理学講座のメンバーや世話係の院生さんには大変良くして頂いた。送迎を始め丁重な接待を受けたわけで、古い大学でのしきたりはきちんと受け継がれていくものだと感心したことであった。ただ、10数年前に集中講義に呼んでもらったときと建物は変わっておらず、名古屋大学に比べると移転改築が遅れていることは歴然としていた。地震関係で予算配分が東海地区に傾斜したのであろうが、それにしても文教関連予算の総枠が少なくなければ可能なはずである。もっとも、僕は名古屋大学から移るときには古い建物のままで、新築の校舎は未経験である。大阪教育大学から名古屋大学に移るときも同じ事情であり、巡り合わせが悪く、この種のツキはない。
 受講生の希望を聴いて、集中講義は試験で締めくくることにした。学生は休日を返上しての受講であったので、答案用紙に授業から学んだことは何か記載させる問題を加えた。不可が出ないように配慮をしたつもりである(その必要はなかったのだが)。そこには具体的な知識が増えるのは当然なので、メタ的な記載が欲しいと考えていた。学生はそれに答えることを記載していた。下記のような記載があった。
・脳科学があれば心理学は不要で,将来性はないと思っていたが,心理学という学問を学んでいくことに信頼性とモティベーションを持った。
・脳画像研究法に過度に依存するのではなく、古典的な行動学的な研究法の効用も見直したい。
・勉強意欲をそそられた。研究には忍耐がいることを学び,卒論への動機づけが高まった。
・既存の概念に囚われないことや先行研究を読むことが新しい発見を生むことが分かった。
・性の認知機能差を自分で調べたくなった。
・分子生物学や生化学も学んでみなければと考えた。
 これらは、神経心理学を学ぶことで、中枢神経系の知識や脳損傷がもたらす行動障害の仕組みの理解などを得てもらいたいことの他に期待する僕からの遺言的メッセージであり、彼等との間のコミュニケーションは良好であったことの証左である。教師冥利に尽きるうれしい反応である。
 コミュニケーションは発信者と受信者の双方の認知スキーマに大きな乖離がないことが条件である。疲労感もなく、長時間の講義が行えたのはその為ではないかと回顧している。楽しい時間を過ごせる機会を与えていただいたいことに感謝したい。
 今後、もう集中講義に呼ばれたり、呼ばれても出かけたりすることはないだろうと考えているので、最後の集中講義を年頭に気持ち良く終えられたことで、今年もがんばれそうな気持ちになっている。有り難いことであります。今年はセンター試験関連での出勤が不要であったので早々と1月のブログが書けた。有り難いことであります。

身体がついてこない

 年末が近づいて久しぶりに体調を壊し、現在に至っている。まず、右目にものもらいができた。その2日後、午後から急な腹痛が襲ってきた。熱や頭痛など風邪のような症状もなく,身体がだるいこともお腹以外に痛むこともないものであった。今では過去形になりつつあるが、今週末に北海道に検診の手伝いに行くので、自分を鼓舞している。
 以前には毎年のように腹痛と激しい下痢に襲われトイレから出られない状態が2~3日ほど続くことが、外国からの帰った後などに出現するのが常であった。しかし、ここ5年ほどは現れなかった。12月には東京日帰りを2回と,山形1泊2日、それに名古屋大1回と,ルーチン以外に出かけるのが多すぎた報いであろうと反省中である。自己認知(cognition)に身体(physical)がついて来なくなっている。
 先月から気になっているので、数にまつわる気になることを取り上げようと思う。年末なのでボーナスの数字が増加したとか宝くじ2億円が当たったとかいうような景気の良い数の話題があるとよいのだが、そういうものの持ち合わせはない。
 先月末辺りから4~5度テレビ局と称して下請けの制作会社からの電話が大学の代表電話から転送されて来た。いずれもクイズ番組の問題の確認をして欲しいというもので、以前なら訪問して来るものを電話で済まそうという魂胆である。無料で専門的知識の供与はしないことを基本に、たいていは邪険に参考本を紹介したりすることで対応した。それでも「ご指摘の本を読みました。そこで、以下の質問は○ですか×ですか」と食い下がる局もある(その要約は思わず不可のレポート成績、と返信してしまったほどひどい)。
 電話での質問には「左ききは言語脳が右ききと逆である。○か×か」という初歩的なレベルから、「左ききの割合の多い方からランキングしたいが、この国名の順でよいか」というレベルまで様々である。電話の声が気に入る(若い女性で物言いがよい)と「研究が同じ人で同じ尺度でない限り比較しても意味がない」、「14.8%と13.5%でのデータから,簡単に前者が多いとは言わない。有意差検定というモノがあってね」と、講義さながらの対応をしてしまうことになる。大学を出ているに違いないのに,大小の比較における数字というものの危険性に気がついていないことを確認させられる。
 数の大小比較では今年の卒論で面白いことを調べてもらった。情動の強さを評定する認知課題に慣性的な筋運動が影響するという、社会心理学での有名な実験の追試を学生にしてもらった。同じ文脈での最近の研究結果に違和感が払拭できないからである。そのアメリカ心理学会誌に掲載された研究では5実験とも見事に仮説を支持するものである。ただ、運動動作と同時に実施させる認知評価は17件尺度という実験心理学では見たこともない測定をしている。たとえば、楽しいという情動価をプラス8点までマイナス8点までと、どちらでのない、の合計17件尺度となるのである。情動評定について、一般的な社会心理学での評定はせいぜい7件尺度なのになぜ、17件なのか僕には了解できない。G.A.Millerの「不思議な数“7”,プラス・マイナス2-人間の情報処理容量のある種の限界」を1970年代に学んだ者にとって、感性の評価はせいぜい7段階までであると信じてきたからである。
 卒論では7件尺度での評価と17件尺度の評価を同一人に同刺激に対して行うようにした。もちろん順序の効果などの統制はしてある。結果は7件尺度の結果では交互作用がでないのが、17件法での結果では有意差が認められた。細かい尺度の方が、感度が良いというようなことなのだろうか、あるいはそもそも感情価などを7以上で分類できないので、人間の認知機能が感性評価での尺度構成についてこられないために生じるアーティファクトなのだろうか。基本的に1つの心理尺度の評価はせいぜい5件法で可能であり、それ以上の尺度は、何を測ったのというのだろうか。
 物理的な数の概念と心理的な数についての乖離は研究の対象として面白い。論旨が乱れてきましたが、強引に締めくくると、物理的な概念(physical)と心理的 (cognition)なものとの乖離が拡大するのを、physicalにもmentalにも実感している年の瀬であります

何があったのだ

 昨夜は大学の附置研究所が主催するシンポジウムにシンポジストとして呼ばれた。その後の懇親会は早々に切り上げた(家内に頼まれた掃除機のゴミ袋のスペアを買わねばならなかったのである。量販店でないと昨今は手に入らないらしい。アルコールが入った身では細かい数字がやたら多く並んだリスト(おそらくは200以上の品番)から該当するものを探すのは至難の業であった。何という不便さか、次々を新しい製品を買えということなのだろう。
 その帰路の快速電車は運良く座れた。読みかけの本を取り出すのもおっくうなので乗客を観察(強い意志はなく)していると、目の前に立つ大柄の黒いリクルートスーツで白いブラウス姿の女性がもぞもぞしているの目に入った。年の頃は大学生の就職探しにしてはやや老けているなどと,前頭葉を活動させるべく推論していると、彼女は手に提げている複数の白いポリ袋から5センチ大の鶏の唐揚げらしきものが3個刺さっている串を取り出し食べ始めたのであった。新快速電車ではないのでぎゅうぎゅう詰めというわけではないが相応に込んでいる電車の中で妙齢の女性が「唐揚げを食うのか!」とびっくりしてしまった。彼女は恐るべき勢いで3つの固まりを次々口でくわえ、引き抜きながらあっという間に食べてしまったのだ。「行儀の悪い」という気持ちも浮かんでは来たが「さぞ空腹であったのか,気の毒に」いう気持ちの方が勝る僕なのであった。しかしその憐憫の情は瞬く間に消え去ることとなった。彼女はその後、次々と新しい串を取り出すと、岸辺駅辺りまでに次々と4本の串をたいらげていくのであった(約10分間か)。いくら大柄の女性とは言え12個も唐揚げを一気食いするとは,何があったのか?過食症の女性かもなどと想像を逞しくしたが,服装もまあまあで化粧もしており、それほど病的にも思えない(昔に神経科で対応した拒食症の女性の様相とは全く異なる)。
 茨木で彼女は向かいの席に座ることが出来たのだが、ポリ袋からはまだ唐揚げを取り出すのを止めようとはしなかった。視線を外していた時期もあり見逃しがあるかも知れないが、高槻駅で僕は彼女を見送るまでには少なくとも6本の串、18個の唐揚げを黙々と食べ続けたのであった。一度別の袋に入っている1リットルのお茶をストローで一口飲んだのは確認したが、まさに息をもつかさぬ勢いで唐揚げを平らげたのであった。「何があったのだ?」「その店舗名の印刷されていないポリ袋の唐揚げはそんなにうまいの?」と聞きたい衝動に駆られたことであった。
 それにしても唐揚げの匂いは車内に充満するわけで、まさに傍若無人とはこのことである。他人が存在しない,見えない、関係ないという光景は,今や車内での化粧行為だけに留まらない様になってきたのかも知れない。こんな若者(と呼んで良いかは,電車を降り際にじっくり顔を見たとき30代の前半ではない!と最初の年齢推論を訂正したのですが)を誰が育てたのか、と思ったことであります。
 シンポジウムでは最近の若年労働者(35歳頃までを言うらしい)のメンタルの弱さや不適応が議論され,生き甲斐を持って働く方略が紹介されたりした。
 僕は大学だけに何とかしろと言うだけでなく、企業も責任の一端を担うべしなどと主張した。なぜなら、このような若年の社会性が育つ幼児期-児童期に,安い労働力として消費すべく母親や祖父母を家庭から剥離させて(したがって子どもから家庭教育の機会を奪い)、金儲けを優先させて来たので、敢えて言えば責任のなにがしかは企業側にもあるはずだからである。また、労働は基本的に楽しい,生き生きと労働せねばならないというのは幻想で、労働は苦役であるという認識が基本ではないか(だから貴族はあるいはローマ市民は、奴隷にそれらを押しつけてきたのではないか)などとやり場のない思いを「そうは言ってもなあ」と自問しつつ発言したことでありました。
 それにしても電車の彼女には何があったのか?最近若い女性にも関心がなくなってきているのに、記憶に残る女性が現れたのでありました。

呆れてしまうなあ

 先週は浜松での私立大学協会主催の研修会に出た。日本には既に500校を超える大学が存在しているが、400校近くが参加しているのが私立大学協会で60校あまりは私立大学連盟に属している。後者は戦前に大学であったところが構成しているギルドであり、新参者は入れてくれなかったので新しい組織を作ったのであろう。もう一つ小さい組織があるが、志が違うのかは知らない。つまり私立大学協会は新設大学が集まって協議会を作り、横並びの存在として情報収集と圧力団体となることが目的の組織と考えて良い。経理部門や教学部門など仕事の専門別に研修会が行われるのに部課長が集まれというわけで、大学からは教務部長の僕の他に3人が参加した。他大学ではほとんどは若い教務係の職員が参加しており僕が出なくても良かったのではとも考えたが、ともかく400名以上の2泊3日もある大研修会であった。
 今回は「高等教育政策のパラダイムシフトを目指して」という副題の研修であったが、要は私立大学への政府予算を増やすべき、税制改正をなどという話が基本である。今回はとくに東日本大震災で数十億の損害を被った私学への配慮をすべきことが基調講演で述べられたので、「まあ大変だ・可哀想だ」とは感じたが、「そもそも国立大学系の学生には250-260万/一人の税金が投与されるが私学は15-16万に過ぎない。これは国立大学系に揃えるべきである」という主張がパラダイムシフトらしいのには呆れた(私学で生活の糧を得ている身では不遜かも知れないけど)。
 明治後期に志を持って開設された私立大学(近年、その志は見えなくなってしまいサーヴィス産業化しているが)はともかくも、大学設置の大綱化以降につぎつぎと創設され(現在も続いている)る私学を国民は作って下さいとお願いしたことはない。勝手に「やりたいので、財産の寄付行為をしてまで作ります」で創ったはずである(その目的は資産の継続的継承が目的というと言い過ぎか)。人材を作っている公的機関があり、僕等も手弁当で参加します人作りを手伝いますと言っておいて、途中で「ところで頑張って人作りしているので、お金を下さい」と前言を翻すようなものである。「誰かが既設大学のすき間を狙うような大学を開学してって言ったの?」と口を挟みたくなったが,未だ前頭葉機能が壊れていないらしく内言にとどめることが出来た。
 研修は広い会場での講演を聴くことと班別に分かれての議論から構成されている。長時間人間工学的に上等でない椅子に座ってすっかり腰が痛くなってしまったことと、類似の性質の大学が班を構成して自身の大学のknow howを情報交換するのは、競争相手に手をさしのべるようなものなので(と言うことにして),中座したことであった。過当競争の大学間で横並びに進もうなどという感覚は呆れるなあ、と根性の悪い僕は考えたことである。
 翌日は4年生のゼミであった。昨年度の反省から年度初めに計画を立てさせたのだが、進捗状況は不変である。未だほとんど計画も決まっていない学生なのに欠席する学生、今日中に作業をせよと言うと「家の用事で帰らねば」という学生、明日持参せよというと「ボランティアで来られません」という学生、「卒論とボランティアとどっちが大切か、今どういう時期か分からないのか」と呆れるほどの楽観主義、自己効力感である。そんな調子で今までは何とかやってこられたのかも知れないが、「卒業研究不可」というようにそうは行かないことを思い知らしめる教育も大事だと,伝家の宝刀を抜きたくなる衝動に駆られるのであります。
 神経心理学的には物事の優先順位が分からなくなるのは遂行機能に問題があると考えるのだがこれを改善することは、容易ではないことを再確認しています。
 このように呆れ、そして嘆かわしいなと思いつつ、12月16日に提出せねばならない卒業研究を11人もの学生に指導せねばならないのであります。「誰か代わって下さい」と桂三枝ならいうはず。