今年の年度末
毎年、年度末になるとどこかへ旅行に出かけていたのだが、この春は出かけずじまいで押し迫ってしまった。昨年は沖縄と石垣島に次男の結婚式を機会に出かけた。あれからあっという間の一年である。今年の3月は気温が低めで出かけようとする気持ちにもならなかったことや家内が言い出さなかったため、春を愛でるなどというような優雅な気持ちにはなかった。3月中にと頼まれていた遠方での講演も都合で延期となったようで、出かけたのは研修や会議で東京へと出張することが多かったので、敢えて出かけたいとする気持ちにさせなかったのかも知れない。しなければならない仕事(ここでの仕事とは論文や本の原稿を書いたり、溜まるばかりの雑誌論文に目を通したりすること)が気持ちに余裕を与えてくれないこともある。
気温が低い日が多く、したがって座位が長くなる時間の過ごし方は、腰痛を招く。院生の頃からの付き合いの腰痛である。水泳をしたり、ウォ-キングをしたりと自分なりの調整をしているが、朝早い出張や、雨天などで自己流の調整法が中断しがちなのもよくないはずである。今はかなりましであるが臀部の筋肉、太ももの筋肉、ふくらはぎの筋肉がつぎつぎと固まり、立ち上がれない(立ってしまうと痛くないのだが)が、数日続くのである。ストレッチやカイロを貼るなどの対症療法で何とか誤魔化して今日に至っている。25日の日曜日に朝泳いでその足で大学での新任研修にというスケジュールで動いたせいで、やや状態は良いのであろう。
このようにしてだんだんと外に出かける意欲を失い加齢現象が加速するのかも知れない。このように何かを使用とする気持ちが高齢期の認知機能と関連が深いという論文をほぼ仕上げたところである(こういう気持ちに[imitative]という表現を使うのがよいと英国の心理学者とマカオの大学にいる心理言語学者の協議から教わったところである。まことにインターネットはこういうときに役に立つ)。
しかし、少し調子がよくなった頃に決まって新幹線での日帰り出張が入る。出張先での4-5時間に新幹線での時間を加算すると10時間あまり座位となるのだから、完治するはずがない。暖かくなる日を待つしかない状態である。
23日には卒業式があり座位にも耐えたが、ゼミ生がマッサージ座布団を寄贈してくれた。肩こりの素振りを見ていたのかも知れない。他の同僚は斯様な恩恵に預かることはないらしく、パーティ会場でうらやましがられ嬉しさが増したことである。ゼミ生11名全員の就職が決まったという連絡もあり安堵した。学科のパーティ会場では、このような背景もあり興奮したので「Wherever you may go, Whatever you may do, for a thousand years, my heart belong to you!」と、酒のせいで声が出ない状態で歌ってしまった。この歌は卒業式の数日前の学科の研修旅行先で酔っていたときに冊子に載せる卒業生への言葉をと求められて思わず書いてしまったものである。後で「コンバット」というTVドラマの主題歌であることを思い出した。アメリカ軍が欧州戦線で戦っている設定での白黒のドラマであったと思う。若い頃はメロディの記憶力がよかったのかも知れない。
思い起こせばこの3月で僕は教師生活40周年となった。27歳で職を得ている。あの頃はこれで一生安泰と自他ともに考えていた。数日前に短期大学に講師の職を紹介した先生が3年期限だが2年で辞めることにしたと挨拶に来られた。老舗の大学を乗っ取ったといろいろと噂のある大学経営者のところである。教員への締め付けが厳しくなり何人がもとの数かは知らないが2名を残して学長を先頭にこの年度末で辞職するということであった。一方的な話なのではあるが、さもありそうなことで、「研修日はなし」、「8時間半で出勤5時まで」、「土曜日も半日出勤」等々高校の教員と同じ条件を受け入れるかを迫られたと言う。大学の教員は労働者でもあるという認識があれば、不当労働行為であると対処することもできたはずであるし、高校の教員と大学教員の違いを論駁できなければならない。あるいは大学設置審査会に申し出て身分の確認などもできるはずである(ただし、大学の教員らしい実績がないと藪へびとなってしまうけれども)。
今のところ現在の職場ではそのような切迫した状況はないが、気を引き締めて着実にこれからの大学のあり方や学生の指導を考えねばならないと改めて考えた次第である。
23歳から企業に勤務した大学時代の友人らは37年の勤務でほとんどの者が職を退いているのに、40年も現役でいられたのは有り難いことである。もっとも、友人らが好景気で高給を食んでいた頃こちらは安い給料であったので、もうしばらく給料をどこかから獲得しないとトントンではないかも知れないが、若い人と毎日接していられた分で差額はチャラだと言う声も聞かないわけではない。有り難いことである。
4月から研究室を変わることになり、明日を目処に整理中である。腰痛の方が完治するのは今しばらく時間が必要であろう。
気温が低い日が多く、したがって座位が長くなる時間の過ごし方は、腰痛を招く。院生の頃からの付き合いの腰痛である。水泳をしたり、ウォ-キングをしたりと自分なりの調整をしているが、朝早い出張や、雨天などで自己流の調整法が中断しがちなのもよくないはずである。今はかなりましであるが臀部の筋肉、太ももの筋肉、ふくらはぎの筋肉がつぎつぎと固まり、立ち上がれない(立ってしまうと痛くないのだが)が、数日続くのである。ストレッチやカイロを貼るなどの対症療法で何とか誤魔化して今日に至っている。25日の日曜日に朝泳いでその足で大学での新任研修にというスケジュールで動いたせいで、やや状態は良いのであろう。
このようにしてだんだんと外に出かける意欲を失い加齢現象が加速するのかも知れない。このように何かを使用とする気持ちが高齢期の認知機能と関連が深いという論文をほぼ仕上げたところである(こういう気持ちに[imitative]という表現を使うのがよいと英国の心理学者とマカオの大学にいる心理言語学者の協議から教わったところである。まことにインターネットはこういうときに役に立つ)。
しかし、少し調子がよくなった頃に決まって新幹線での日帰り出張が入る。出張先での4-5時間に新幹線での時間を加算すると10時間あまり座位となるのだから、完治するはずがない。暖かくなる日を待つしかない状態である。
23日には卒業式があり座位にも耐えたが、ゼミ生がマッサージ座布団を寄贈してくれた。肩こりの素振りを見ていたのかも知れない。他の同僚は斯様な恩恵に預かることはないらしく、パーティ会場でうらやましがられ嬉しさが増したことである。ゼミ生11名全員の就職が決まったという連絡もあり安堵した。学科のパーティ会場では、このような背景もあり興奮したので「Wherever you may go, Whatever you may do, for a thousand years, my heart belong to you!」と、酒のせいで声が出ない状態で歌ってしまった。この歌は卒業式の数日前の学科の研修旅行先で酔っていたときに冊子に載せる卒業生への言葉をと求められて思わず書いてしまったものである。後で「コンバット」というTVドラマの主題歌であることを思い出した。アメリカ軍が欧州戦線で戦っている設定での白黒のドラマであったと思う。若い頃はメロディの記憶力がよかったのかも知れない。
思い起こせばこの3月で僕は教師生活40周年となった。27歳で職を得ている。あの頃はこれで一生安泰と自他ともに考えていた。数日前に短期大学に講師の職を紹介した先生が3年期限だが2年で辞めることにしたと挨拶に来られた。老舗の大学を乗っ取ったといろいろと噂のある大学経営者のところである。教員への締め付けが厳しくなり何人がもとの数かは知らないが2名を残して学長を先頭にこの年度末で辞職するということであった。一方的な話なのではあるが、さもありそうなことで、「研修日はなし」、「8時間半で出勤5時まで」、「土曜日も半日出勤」等々高校の教員と同じ条件を受け入れるかを迫られたと言う。大学の教員は労働者でもあるという認識があれば、不当労働行為であると対処することもできたはずであるし、高校の教員と大学教員の違いを論駁できなければならない。あるいは大学設置審査会に申し出て身分の確認などもできるはずである(ただし、大学の教員らしい実績がないと藪へびとなってしまうけれども)。
今のところ現在の職場ではそのような切迫した状況はないが、気を引き締めて着実にこれからの大学のあり方や学生の指導を考えねばならないと改めて考えた次第である。
23歳から企業に勤務した大学時代の友人らは37年の勤務でほとんどの者が職を退いているのに、40年も現役でいられたのは有り難いことである。もっとも、友人らが好景気で高給を食んでいた頃こちらは安い給料であったので、もうしばらく給料をどこかから獲得しないとトントンではないかも知れないが、若い人と毎日接していられた分で差額はチャラだと言う声も聞かないわけではない。有り難いことである。
4月から研究室を変わることになり、明日を目処に整理中である。腰痛の方が完治するのは今しばらく時間が必要であろう。