呆れてしまうなあ | はったブログ

呆れてしまうなあ

 先週は浜松での私立大学協会主催の研修会に出た。日本には既に500校を超える大学が存在しているが、400校近くが参加しているのが私立大学協会で60校あまりは私立大学連盟に属している。後者は戦前に大学であったところが構成しているギルドであり、新参者は入れてくれなかったので新しい組織を作ったのであろう。もう一つ小さい組織があるが、志が違うのかは知らない。つまり私立大学協会は新設大学が集まって協議会を作り、横並びの存在として情報収集と圧力団体となることが目的の組織と考えて良い。経理部門や教学部門など仕事の専門別に研修会が行われるのに部課長が集まれというわけで、大学からは教務部長の僕の他に3人が参加した。他大学ではほとんどは若い教務係の職員が参加しており僕が出なくても良かったのではとも考えたが、ともかく400名以上の2泊3日もある大研修会であった。
 今回は「高等教育政策のパラダイムシフトを目指して」という副題の研修であったが、要は私立大学への政府予算を増やすべき、税制改正をなどという話が基本である。今回はとくに東日本大震災で数十億の損害を被った私学への配慮をすべきことが基調講演で述べられたので、「まあ大変だ・可哀想だ」とは感じたが、「そもそも国立大学系の学生には250-260万/一人の税金が投与されるが私学は15-16万に過ぎない。これは国立大学系に揃えるべきである」という主張がパラダイムシフトらしいのには呆れた(私学で生活の糧を得ている身では不遜かも知れないけど)。
 明治後期に志を持って開設された私立大学(近年、その志は見えなくなってしまいサーヴィス産業化しているが)はともかくも、大学設置の大綱化以降につぎつぎと創設され(現在も続いている)る私学を国民は作って下さいとお願いしたことはない。勝手に「やりたいので、財産の寄付行為をしてまで作ります」で創ったはずである(その目的は資産の継続的継承が目的というと言い過ぎか)。人材を作っている公的機関があり、僕等も手弁当で参加します人作りを手伝いますと言っておいて、途中で「ところで頑張って人作りしているので、お金を下さい」と前言を翻すようなものである。「誰かが既設大学のすき間を狙うような大学を開学してって言ったの?」と口を挟みたくなったが,未だ前頭葉機能が壊れていないらしく内言にとどめることが出来た。
 研修は広い会場での講演を聴くことと班別に分かれての議論から構成されている。長時間人間工学的に上等でない椅子に座ってすっかり腰が痛くなってしまったことと、類似の性質の大学が班を構成して自身の大学のknow howを情報交換するのは、競争相手に手をさしのべるようなものなので(と言うことにして),中座したことであった。過当競争の大学間で横並びに進もうなどという感覚は呆れるなあ、と根性の悪い僕は考えたことである。
 翌日は4年生のゼミであった。昨年度の反省から年度初めに計画を立てさせたのだが、進捗状況は不変である。未だほとんど計画も決まっていない学生なのに欠席する学生、今日中に作業をせよと言うと「家の用事で帰らねば」という学生、明日持参せよというと「ボランティアで来られません」という学生、「卒論とボランティアとどっちが大切か、今どういう時期か分からないのか」と呆れるほどの楽観主義、自己効力感である。そんな調子で今までは何とかやってこられたのかも知れないが、「卒業研究不可」というようにそうは行かないことを思い知らしめる教育も大事だと,伝家の宝刀を抜きたくなる衝動に駆られるのであります。
 神経心理学的には物事の優先順位が分からなくなるのは遂行機能に問題があると考えるのだがこれを改善することは、容易ではないことを再確認しています。
 このように呆れ、そして嘆かわしいなと思いつつ、12月16日に提出せねばならない卒業研究を11人もの学生に指導せねばならないのであります。「誰か代わって下さい」と桂三枝ならいうはず。