南澪会の打ち上げ会(11/14)
ナンレイカイと読む。レイは澪つくしのことで旧大阪商科大学の校章にもある水の都大阪のシンボルなのである。大正時代にルーツがある男声合唱団のOBが会員で、そこが運営している南澪会合唱団の演奏会があった。僕は練習に出られる日常ではないので幽霊会員(会費を払っているのでサポーターかも)である。これでも現役時代はバリトンとセカンドテナーのパートのメンバーで、結構熱心に活動していたのである。
昨夜は勤務大学で卒業生の集いが4時近くまであったので、打ち上げ会だけに参加した。ステージには立たないが打ち上げ会だけ参加というメンバーと連絡していたので同類も要るわけである。自分がステージに立たないのでメールで送信される練習案内もいい加減に見ていたのだが、今回はOB合唱団設立70周年記念(現在の勤務校が2012年70周年と横断幕を建物に張っているがそれよりも前からの歴史がある戦前からのものであることを知った)ということで、東京南澪会と大阪南澪会の合同ステージであったらしい。打ち上げには100人強が来ていた。ステージはたいした熱気であったとは、紅一点の専属の元アナウンサー司会者の女性の言である。
80歳代の参加者も居られたが面識はないので当然先輩と後輩前後7年ほどの参加者と言葉を交わすことになる。高度成長の恩恵をいっぱい受けた人と、その崩壊の後始末の余波を被った人とから成る世代である。もう名刺を持ち歩く人は少なくなり合唱を楽しんでいる人が大半である。昭和45年頃までの大学生はまだ、いわゆる旧制の大学の雰囲気を味わうことが出来た世代で、エリートという自負心を持って人生の大半を過ごせた幸せな部類であろう。かく言う自分もその末端に位置する世代かも知れない。
会場は移動する隙間もなかなか探せないという状態ではあったが、卒業以来の先輩や後輩と言葉を交わしあうことができた。日頃若い学生ばかりと過ごしているので帰って新鮮もあり、気分は高揚する。自分からは全く誰かが同定できない人が「はった君!」と手を差し伸べることが多かったのは、自分の容姿が学生時代と大きく変わらないことか、僕の記憶力が低下しているかのどちらかであるが、前者とする方が悩まなくてよい。元気な人だけが来られるということでもあるが、誰一人お腹のでている人は居なかった。腹筋を使うことや発声器官の機能維持には望ましいことは言うまでもないが、同学年の指揮者からは、腹をなでられ「練習に来いよと」しつこく誘われるものの当面は無理である。まだ、当分行けそうな勤務状態ではないが、腹の出具合を指摘されると気持ちが揺らがないでもない。
打ち上げ会は時間の半分以上が歴代の指揮者による愛唱歌の合唱の連続である。歌っているか会話をしているかのどちらかで、飲み食いしている暇はない。次々と全員が歌う訳だが、演奏会に向けて練習して来た連中のようには声は出ないし、歌詞は時々おぼろげである(時期によって違うパートを歌っていたためでもあるのですが)。もう一度正確に歌えるようになりたいと思ったのであろうか、帰りの電車や車の中では知らず知らずのうちに記憶から歌詞を検索しようとする自分があった。
打ち上げ会だけの参加であったが45年前の昔にしばし戻り、前頭葉・辺縁系機能を活動させることができたことになる。このようなエピソード記憶を有しているのは幸せなことであるとも実感した。
午後の学科の集いでもピザやケーキ、サンドイッチなどは出たのだが、170名を越す若い女性の旺盛な食への活動に圧倒されてあまり食べられず、打ち上げ会でもほとんど食べられずじまいであった。帰ってからお茶漬けを所望せざるを得ず、嫌がられたことでありました。
昨夜は勤務大学で卒業生の集いが4時近くまであったので、打ち上げ会だけに参加した。ステージには立たないが打ち上げ会だけ参加というメンバーと連絡していたので同類も要るわけである。自分がステージに立たないのでメールで送信される練習案内もいい加減に見ていたのだが、今回はOB合唱団設立70周年記念(現在の勤務校が2012年70周年と横断幕を建物に張っているがそれよりも前からの歴史がある戦前からのものであることを知った)ということで、東京南澪会と大阪南澪会の合同ステージであったらしい。打ち上げには100人強が来ていた。ステージはたいした熱気であったとは、紅一点の専属の元アナウンサー司会者の女性の言である。
80歳代の参加者も居られたが面識はないので当然先輩と後輩前後7年ほどの参加者と言葉を交わすことになる。高度成長の恩恵をいっぱい受けた人と、その崩壊の後始末の余波を被った人とから成る世代である。もう名刺を持ち歩く人は少なくなり合唱を楽しんでいる人が大半である。昭和45年頃までの大学生はまだ、いわゆる旧制の大学の雰囲気を味わうことが出来た世代で、エリートという自負心を持って人生の大半を過ごせた幸せな部類であろう。かく言う自分もその末端に位置する世代かも知れない。
会場は移動する隙間もなかなか探せないという状態ではあったが、卒業以来の先輩や後輩と言葉を交わしあうことができた。日頃若い学生ばかりと過ごしているので帰って新鮮もあり、気分は高揚する。自分からは全く誰かが同定できない人が「はった君!」と手を差し伸べることが多かったのは、自分の容姿が学生時代と大きく変わらないことか、僕の記憶力が低下しているかのどちらかであるが、前者とする方が悩まなくてよい。元気な人だけが来られるということでもあるが、誰一人お腹のでている人は居なかった。腹筋を使うことや発声器官の機能維持には望ましいことは言うまでもないが、同学年の指揮者からは、腹をなでられ「練習に来いよと」しつこく誘われるものの当面は無理である。まだ、当分行けそうな勤務状態ではないが、腹の出具合を指摘されると気持ちが揺らがないでもない。
打ち上げ会は時間の半分以上が歴代の指揮者による愛唱歌の合唱の連続である。歌っているか会話をしているかのどちらかで、飲み食いしている暇はない。次々と全員が歌う訳だが、演奏会に向けて練習して来た連中のようには声は出ないし、歌詞は時々おぼろげである(時期によって違うパートを歌っていたためでもあるのですが)。もう一度正確に歌えるようになりたいと思ったのであろうか、帰りの電車や車の中では知らず知らずのうちに記憶から歌詞を検索しようとする自分があった。
打ち上げ会だけの参加であったが45年前の昔にしばし戻り、前頭葉・辺縁系機能を活動させることができたことになる。このようなエピソード記憶を有しているのは幸せなことであるとも実感した。
午後の学科の集いでもピザやケーキ、サンドイッチなどは出たのだが、170名を越す若い女性の旺盛な食への活動に圧倒されてあまり食べられず、打ち上げ会でもほとんど食べられずじまいであった。帰ってからお茶漬けを所望せざるを得ず、嫌がられたことでありました。