習慣を作らねば | はったブログ

習慣を作らねば

 相変わらずの忙しい日々を過ごしているせいで、今月分のコラムが書けていなかった。忙しかったけれど、今月の初めころには、締め切りまでにこなせるのだろうかと案じていたいくつかの事柄を何とかやり終えることができた(エライ!)。たとえば、科学研究費補助金の申請、学術振興会の審査コメントの提出、幹事が回ってきていた新年会の段取り、翻訳をしないかという出版社との対応など、大学の日常生活のdutyに加えての事柄であったので、生活リズム(朝早めに起きて作業する)を昔風に戻すことで対応できた。仕事の要領が分かってきて作業効率が良くなっているのか、あるいはいい加減になっているのか定かではないが、最終的には、予想よりも早いスピードでこなすことが出来た。もっとも、いつまでこんな風にせねばならないのかいつ辞めればよいのかを探らねばと思いつつであるが。申請書でも審査コメントでも練習をしてきた過去経験があるので早くできたのだろうと、習慣の大切さを確認したことである。
 併せて、思うのは指導学生の学習習慣能力の低下である。苦悩しているのは大学でのdutyである16名の卒論指導である。テーマを決めて関連文献を探し、読んでまとめ(レジュメ)を作成する過程が、こなせない。まとめが書けない。文献を探すやり方は何度説明してもしないわからない(ゼミ室ではインターネット接続がないので、具体的操作レベルの指導はできないのも原因かもしれない)。データベースという単語を何度説明したことか、検索の方法を何度説明したか、来年は数えてみようかと思うくらいである。とにもかくにも一編の論文を読めば、検索のキーワードへのあたりがつくのだが、最後まで読むことができないようである。だから、まとめが作れない。論文を探せと言っても、ページ数が多いものは避けようと短い学会発表の抄録を読もうとする。査読論文とはどういうものかを何度説明せねばならないかも数えておかねばなるまい。昨年の経験から4月段階から卒論テーマを検討させ7月の採用試験までに決定として計画書を提出させたのだが、10月が終わる段階では、結局昨年と進み方は差がない。
なるべく楽をしようとし、ゼミがあるにもかかわらず、バイトを入れてしまった、ひどい場合は海外旅行に行っていたなどという。時に叱り呆れ、なだめながらであるが、考えられない、信じられない、と嘆いても(実際外言化しても)、学生達には自分がまずい状態にあることの認識にはつながらないようである。恐るべき楽観さ、自己能力の評価というしかないことが常態化している。もちろん、全員がそうというわけではない。中には順当に作業が進む学生がいるが、過半数には達しない。
 プランを自分で作成し、それを実行していくという、ときどき派遣される研修で何度も耳にするPDCAサイクルを回してなどという習慣(仕事を進める学習過程の習慣)は少なくとも僕のゼミの大半の学生にはない。
何が原因なのだろうか?これは、受験勉強をさせない中学、高校に原因の多くがあるのかもしれないと思う(これは、実は実習校をめぐった時の校長先生の見解でもある)。ゼミの学生のほとんどが、大学に入るまですべて推薦入学で済ましてきている。思いもよらないことで驚いてしまった。受験勉強をしなくても、学校にまじめに通っていれば、推薦入学が可能なのだそうである。超有名校は別にして、生徒数の激減している今日、私学も多くの公立校も生徒数を確保するために、学力試験で選抜(競争)されなくて関門をクリアできるのである。
 受験勉強はPDCAを自分なり進める経験を生むのだが、そのような過去経験がないと獲得されない能力のはずで、僕のゼミの学生にはないのだろう。
 4年生になると社会に出る際には必ず採用試験があるが、学生はその準備の仕方が分からないという。何をしたらよいのかを聞きに来た学生も何人かいた(この子たちは自覚があるので、前途はなんとか開けそうであるが)。
 呆れて放置することも職業柄出来ないので、何とか大学入学時から改めて毎日コツコツ学習する習慣を付けるように対策を思案中である。僕が担当している教育開発支援センターの仕事としての試作プロジェクトが12月から稼働し始める。上手くいかないかもしれないので、ここでの紹介は先延ばしにしたい。上手くいけばビジネスにつながる可能性が大きいが、自分で会社をつくろうなどとは思っていない。

 かく左様に、日々を過ごしているわけですが、原稿を書く習慣を身につけて(剥がしがたくて難儀している?)いるので、今月もペースを破らずにコラムが書けたわけです(誰も褒めてはくれませんが)。