何か変だな(9/10/10)
相変わらず忙しい。過去4週間ほどの間に北海道に2回出張した。学会に2つ出て、さらに集中講義を3日間済ませ、授業はないがいくつもの大学での会議に出てという日常である。今日予定されている学会の座長も取り消してもらって大学での行事への参加という有様で、書きかけの論文を完成するなどという余裕はない。
さて、「何か変だな」と思うことが時々ある。だが、歳のせいか何日も引きずることは少なくなっている。集中講義先で先輩にいっぱいご馳走になった折りも、お互い年をとったせいか抑制が効きづらくなり、「会議では言わなくても良いことまで言ってしまう」、「大事と思うこともまあどうでもいいかと先伸ばしにしてしまう」とお互いの言質を「同感、同感」と慰めあっていた。
そう言えば、この大学に居られた発達心理学の碩学であった岡本夏木先生は「子どもを育てることの意味は、“まあ、こんなものか”、“思うようにはいかん”ことを親が悟れることである」と言っておられたのを憶い出す。我々2人とも子持ちで、発達課題はこなしており、悟っている身である。
「何か変だな」が1週間経っても沸々と思い返されるのは先週の土曜日に東京のラジオ出演にまつわることである。大学宛に何度か電話があったという趣旨のメモがあり、再度かかって来た電話での依頼に、指定された日時は出張中ということでいったん断った。次の週にもまた連絡があり、6時40分からの早朝生番組に電話で7分間出た。番組作りも大変なのだろうと同情した。話題は相変わらずきき手の矯正の話であった。以前に神戸のラジオでも似たようなことがあったが、ぶっつけ本番であったのに対して、前日に台本が送られて来ての放送であった。大阪のTV番組にも何度か出たがたいていはきちんと台詞が書いてあるようなものではなかった。「ここで先生がしゃべる」という類いの荒っぽいものであったが、東京の民放TVもNHKの番組もきちんと台詞が入った台本が準備される。気質の違いということかも知れない。
「何か変だな」というのは、インターネットできき手を検索→八田という図式が多すぎるのではないかと思えることである。類似の番組に近年何度出たことか、というのはあながち大袈裟でもない気がしている。きき手の本(左対右 きき手大研究、化学同人)が出版され書評などがいくつか掲載されたために(その割にはこの本の売れ行きが爆発的とは行かない)、左きき、きき手のkeywordインターネット検索では僕の名前が出る。同じような質問に対して同一人の意見ばかりが流布されることになる。違う考え方の人がいるかも知れないのにと思うことがある。情報操作とまでは大袈裟なことは言わないが、似たことは起きているはずである。インターネットのせいで安易な人探しが行なわれている思いが強い。最近のTV番組は同じような顔ぶればかりが出るのでうんざりしてしまうのは僕だけではなかろう。番組制作者はインターネットに依存しすぎている、と言っておこう(まあいいか、こんなものかという悟りを制作者が持っているのかも知れない)。
今朝の散歩でも「何か変だな」と思った。というのは散歩道沿いの田んぼに突然案山子が出現していたことである。案山子など最近目にすることはなくなっていたのに、どうしたのであろうか。それも畦の両端に3体ずつ並んでいるだけで、僕はちょっと驚いたけれども、雀を驚かすことに効果的な配置でもなく、別段オドロオドロしい姿をしている訳でもない。第一、まだ稲は十分に出穂しておらず、いかにも場違いという感じであった。田んぼの持ち主は何を考えたのだろう、早めに案山子を準備しておかないと忘れてしまうから、ということなのかも知れない。そうだとしたら,きっと持ち主は僕と似た年齢に違いない。
今朝の散歩は暑い日が続く9月に入って始めて、汗をかかないものであった。着実に秋は来ているということだろう。
さて、「何か変だな」と思うことが時々ある。だが、歳のせいか何日も引きずることは少なくなっている。集中講義先で先輩にいっぱいご馳走になった折りも、お互い年をとったせいか抑制が効きづらくなり、「会議では言わなくても良いことまで言ってしまう」、「大事と思うこともまあどうでもいいかと先伸ばしにしてしまう」とお互いの言質を「同感、同感」と慰めあっていた。
そう言えば、この大学に居られた発達心理学の碩学であった岡本夏木先生は「子どもを育てることの意味は、“まあ、こんなものか”、“思うようにはいかん”ことを親が悟れることである」と言っておられたのを憶い出す。我々2人とも子持ちで、発達課題はこなしており、悟っている身である。
「何か変だな」が1週間経っても沸々と思い返されるのは先週の土曜日に東京のラジオ出演にまつわることである。大学宛に何度か電話があったという趣旨のメモがあり、再度かかって来た電話での依頼に、指定された日時は出張中ということでいったん断った。次の週にもまた連絡があり、6時40分からの早朝生番組に電話で7分間出た。番組作りも大変なのだろうと同情した。話題は相変わらずきき手の矯正の話であった。以前に神戸のラジオでも似たようなことがあったが、ぶっつけ本番であったのに対して、前日に台本が送られて来ての放送であった。大阪のTV番組にも何度か出たがたいていはきちんと台詞が書いてあるようなものではなかった。「ここで先生がしゃべる」という類いの荒っぽいものであったが、東京の民放TVもNHKの番組もきちんと台詞が入った台本が準備される。気質の違いということかも知れない。
「何か変だな」というのは、インターネットできき手を検索→八田という図式が多すぎるのではないかと思えることである。類似の番組に近年何度出たことか、というのはあながち大袈裟でもない気がしている。きき手の本(左対右 きき手大研究、化学同人)が出版され書評などがいくつか掲載されたために(その割にはこの本の売れ行きが爆発的とは行かない)、左きき、きき手のkeywordインターネット検索では僕の名前が出る。同じような質問に対して同一人の意見ばかりが流布されることになる。違う考え方の人がいるかも知れないのにと思うことがある。情報操作とまでは大袈裟なことは言わないが、似たことは起きているはずである。インターネットのせいで安易な人探しが行なわれている思いが強い。最近のTV番組は同じような顔ぶればかりが出るのでうんざりしてしまうのは僕だけではなかろう。番組制作者はインターネットに依存しすぎている、と言っておこう(まあいいか、こんなものかという悟りを制作者が持っているのかも知れない)。
今朝の散歩でも「何か変だな」と思った。というのは散歩道沿いの田んぼに突然案山子が出現していたことである。案山子など最近目にすることはなくなっていたのに、どうしたのであろうか。それも畦の両端に3体ずつ並んでいるだけで、僕はちょっと驚いたけれども、雀を驚かすことに効果的な配置でもなく、別段オドロオドロしい姿をしている訳でもない。第一、まだ稲は十分に出穂しておらず、いかにも場違いという感じであった。田んぼの持ち主は何を考えたのだろう、早めに案山子を準備しておかないと忘れてしまうから、ということなのかも知れない。そうだとしたら,きっと持ち主は僕と似た年齢に違いない。
今朝の散歩は暑い日が続く9月に入って始めて、汗をかかないものであった。着実に秋は来ているということだろう。