泳ぎながら考えること
2月に入ってここ3週間ほどは、日曜日に特別な仕事が入っていないこともあり水泳の時間を確保できている。僕の通うプールは8時前(もちろん朝の)に到着しても、すでに帰途につく人に遭遇する。確かめてはいないが7時過ぎから開いているようである。そのために早朝は高齢者が多い。とくに僕の出かける8時過ぎでは30人ほどのいつも見かける常連の9割以上は、僕よりも高齢に見える(高齢者の認知バイアスかも知れないけど)。したがって、水中歩行をする人が大半なので泳ぐためのレーンは3つほどが、がらがら状態である。僕にとってはマイペースで泳げるので誠に都合がよい。この傾向はかつては正午過ぎに出かけていた頃よりも顕著で、数年前から8時過ぎに行くように変更した。自宅から車で5分ほどあれば行けるので20往復泳ぐことを規準としているので、帰宅するまでに1時間ですむ。これほど長く水泳を続けても腰痛や肩痛は僕の持病である。ときにひどい状態となるのだが、泳いでいないとどうなるかと思うと止められない(現在も腰の状態は良くない)。
最後の仕上げには5往復水中歩行を老人達に混じってすることにしている(自分は彼らよりも少なくとも10歳は若いと思われるので、僕も老人ではあるが、格が違う人たちである)。群れをなして喋りながら水中歩行する老人(正しくは老婆)らを追い抜くことができないので、ゆっくり歩く後を付いて歩くことになる。したがって何が話題かはよく分かる(耳が遠くなるっているためか声が大きい)。今朝の僕が付いていった群(彼女らは3-4人が群をなして歩行する)の話題は、夏みかんの話で、食べ方の紹介(カルピスに漬けるなど)と皮むき器のことであった。皮むき器は全員が不評であった。あんなもの買たらいかんわ、が結論であったしかし、全員が共通に話題にできると言うことは全員が購入しているのだが。彼女らは賢明にも手で剥くのが一番といっていた。
誠に左様で、便利さや快適さを追求するということで提供される道具で長い目で見て役に立たないものは少なくない。
次の話題は新聞に出ていた胃ろうのことであった。口から食べ難くなった病人の胃に栄養物を注入するものだが、父も亡くなる少し前から胃ろうの手術をしたことを思い出した。実施するか否かの相談をされて、同意してしまったことが、果たして良かったのか、口から食べさせる手間を省く便利さを選択したのかも知れないとも考えてしまう。
帰宅後見ていたTVにはニンテンドーの3Dゲーム発売に並ぶ長い列が映し出されていた。人間の視覚機能への長期的な仕様による影響は大丈夫なのかと他人事ながら心配になる。電車の中での暇つぶしにゲーム機にかじりついている人たちを眺めていると、老眼になる前に何か視覚障害が生じるかも知れないのにと思ってしまう。電車の中では新聞か文庫本を読むものだという年齢層に特殊化した価値観で、判断していることをどこかで自覚しながらの心配である。
さて、話は戻るがもう20年以上もやっている水泳でいつも感じていることがある。泳ぐと決めた距離の4割程度を消化のあたりが一番辛い、(今日は体調が悪そうだ、夕べ飲んだからあまり泳ぐと身体に悪いかも、などの悪魔の声が聞こえる距離なのだ)。止めようかと思う距離である。半分を超すとずいぶん楽になり8割くらいの距離では終末努力で泳ぐことがしんどいとは思わなくなる。人生もそうかも知れないので、若い人はしんどくても続けるのが大切、と言いたくなる。何でも教訓めいたことにしたくなるのは明確な加齢効果であります。2月ももう終わりであります。
最後の仕上げには5往復水中歩行を老人達に混じってすることにしている(自分は彼らよりも少なくとも10歳は若いと思われるので、僕も老人ではあるが、格が違う人たちである)。群れをなして喋りながら水中歩行する老人(正しくは老婆)らを追い抜くことができないので、ゆっくり歩く後を付いて歩くことになる。したがって何が話題かはよく分かる(耳が遠くなるっているためか声が大きい)。今朝の僕が付いていった群(彼女らは3-4人が群をなして歩行する)の話題は、夏みかんの話で、食べ方の紹介(カルピスに漬けるなど)と皮むき器のことであった。皮むき器は全員が不評であった。あんなもの買たらいかんわ、が結論であったしかし、全員が共通に話題にできると言うことは全員が購入しているのだが。彼女らは賢明にも手で剥くのが一番といっていた。
誠に左様で、便利さや快適さを追求するということで提供される道具で長い目で見て役に立たないものは少なくない。
次の話題は新聞に出ていた胃ろうのことであった。口から食べ難くなった病人の胃に栄養物を注入するものだが、父も亡くなる少し前から胃ろうの手術をしたことを思い出した。実施するか否かの相談をされて、同意してしまったことが、果たして良かったのか、口から食べさせる手間を省く便利さを選択したのかも知れないとも考えてしまう。
帰宅後見ていたTVにはニンテンドーの3Dゲーム発売に並ぶ長い列が映し出されていた。人間の視覚機能への長期的な仕様による影響は大丈夫なのかと他人事ながら心配になる。電車の中での暇つぶしにゲーム機にかじりついている人たちを眺めていると、老眼になる前に何か視覚障害が生じるかも知れないのにと思ってしまう。電車の中では新聞か文庫本を読むものだという年齢層に特殊化した価値観で、判断していることをどこかで自覚しながらの心配である。
さて、話は戻るがもう20年以上もやっている水泳でいつも感じていることがある。泳ぐと決めた距離の4割程度を消化のあたりが一番辛い、(今日は体調が悪そうだ、夕べ飲んだからあまり泳ぐと身体に悪いかも、などの悪魔の声が聞こえる距離なのだ)。止めようかと思う距離である。半分を超すとずいぶん楽になり8割くらいの距離では終末努力で泳ぐことがしんどいとは思わなくなる。人生もそうかも知れないので、若い人はしんどくても続けるのが大切、と言いたくなる。何でも教訓めいたことにしたくなるのは明確な加齢効果であります。2月ももう終わりであります。