帰阪パーティ | はったブログ

帰阪パーティ

 先月末に帰阪パーティを開催してもらった。私が大阪に戻ったことを祝っての旧大阪教育大学卒業生が中心のパーティである。近々に建て替えが計画されている四つ橋の厚生年金会館ホール内のレストランで行われた。土曜日の昼頃に玄関先で案内札に「帰阪」の文字を見つけたときには、なぜか嬉しい気持ちになったものである。14年間も名古屋大学に勤務したので、名古屋に帰属感があるのは言うまでもないが、大阪へのそれの方が強い気がしないでもない。暮らした時間の長さもあるが若い日のエピソード記憶が豊富なためであろう。この会合は僕のかつての指導学生達が僕へのFestschriftである、「Contemporary Issues of Brain, Communication, and Education in Psychology,ISBN978-4-946428-38-8, Union Press」の発刊出版記念パーティでもあった(お金に余裕のある人は購入してあげて下さい)。Festschriftを辞書で探すと原語はドイツ語で記念出版本のことであり、a book honoring a respected academic and presented during his or her lifetimeとある。また、A Festschrift contains original contributions by the honored academic's close colleagues, often including his or her former doctoral students. It is typically published on the occasion of the honoree's retirement, sixtieth or sixty-fifth birthday, or other notable career anniversaryとあるので、本の内容はともあれ条件は満たしている。
 還暦のときに出来上がるはずのものであったのが遅くなったというわけである。この種の出版計画は2~3年の遅延が一般的なようで、以前に著名な先生の還暦記念出版の内輪話にも執筆者間でのやっかいな過程を耳にしているので、計画を聞いた時には止めたほうが良いと言った。出版社にも自分の論文もなかなか書けない連中なのにどだい無理な計画だと悪態をついていた。しかし、なんとか教え子達(といっても大概は大学教授や准教授なのだが)の力で出来上がったのは、それなりに彼らも育っているということなのであろう。敢えて英文誌にしたのもそれなりの矜持ということだろう。
 今度のパーティには24人が集まってくれた。最高齢は56歳だから、とにかく長い付き合いではある。幸いなことに教え子に僕よりも先にあの世へというような不心得者はいない。何よりも嬉しいことである。もっとも、彼らの昔を知る僕にとって、パーティのご馳走が食べきれないという様子から、彼らが確実に高齢化していることは疑いようがない。
 振り返れば、教え子の人たちにはこれまでにも何度もお祝いをしてもらった。35歳頃に学位を取得したといってお祝い会をしてもらったが、そのとき頂いた記念品の柱時計はまだ我が家で現役である。学位を取る者が稀であった時代の出来事で、いまでは想像がつきにくいことである。名古屋大学に移籍するときにも最終講義をさせてもらいパーティもしてもらったし、還暦のときにも名大の同僚や卒業生が祝ってくれた。昨年の3月には、一年早い退職であり本当は最終講義やパーティはしなくても良いのに計画してもらった、それに加えて今回の出版とパーティなのであり、本当に有り難いことであると思っている。
 今回のパーティでは、高齢者は自慢をすることが前頭葉機能の低下を鈍化するので、これからも自慢しながら生きるつもりであることを宣言しておいた。認知症になった僕から自慢話を聞かされ続けるのは辛いというコメントもあったが、辛いのは認知症の八田をみることよりも、自慢話を聞かされることの方らしい(認知症患者に自慢話が出来るのかは談話分析をする価値のあるテーマである)。
 最近あちこちで高齢者に自慢すべし、と言っている。自慢するには、音声言語を話す、古い記憶を検索する、ストーリーを構築するなど前頭葉の機能の関与なくしては成り立たない。つまり、コミュニケーションを続けることは前頭葉の機能維持に重要なのである。もちろん、同じ話を聞かせると相手は嫌がるから、つぎつぎと自慢のネタを生み出すことが大切である。自慢ネタが増えない場合は違う相手を探すという手もあることも付け加えている。若い人相手には、少々五月蠅くても年寄りの自慢話を聞くのは、年寄りが呆けて世話をさせられる期間の短縮につながるので、辛抱せよとも言っている。

 パーティでは大阪教育大の頃の記憶をたくさん検索し、言語化することができたので、僕の前頭葉の機能は少なからず若返ったはずである。
先日査読した介護負担研究の論文に、「寂しい人は早く死ぬ」という一節があった。僕は早く死なないですむのかもしれない、と思えたことであります。