この夏の学習 | はったブログ

この夏の学習

 9年目になった北海道での住民検診から昨夜遅く帰宅。大学にでるつもりであったが休息を取る一日となった。歳のせいか、仕事がきつかったせいか、はたまた歳のことを考えずに飲み食いしていたためであろう、身体が疲れている感覚がある。
 今年の住民検診に心理班は昨年同様9名のメンバーで参加し、約430人分の高次脳機能に関する実験データを収集できた。耳鼻科班や泌尿器科班は今年から人数を増やして来た。耳鼻科班での匂いの検査と泌尿器科班の尿漏れ検査と我々の高次脳機能検査班とのデータの突き合わせが楽しみである。匂いと排尿コントロール中枢は脳進化では古いので、皮質下—小脳—前頭葉のネットワークの仕組みと加齢現象になんか面白い発見があるかもしれない。楽しみである。もっとも、これまでに蓄積したたくさんの高次脳機能データの解析が当面の課題ではあるけれども。

 身体を休めつつ、家庭菜園(もどきという方が正確だが)の整理を行った。「つるたぐり」と田舎では呼んでいた作業である。キュウリ、トマト、ナス、ズッキーニなどを引き抜く、店じまいの作業である。まだいくつか青いままの実がついているトマトを引き抜くのは、何か惜しくて忍びないものがあるが、そこは思い切りが大事と住民検診で職員から教えられた。

 今年の夏の初めての家庭菜園経営(大げさだけど)から学んだことは多いので、メモをしておこう。
① 野菜は何でも植えれば育つというものではない。ズッキーニは大きく育ったが実を付けることはなかった。雌花は2センチほどでしぼんでしまうのだ。トマトと苦瓜は大量に収穫できたが、ナスの生育とキュウリも今ひとつであった。八雲町の職員の話では、「土が悪い、会わないんだ!」ということであった。何事にも相性というものがあるということを学んだのである。
② 農薬を使わない野菜作りは大変な仕事である。チンゲンサイ、レタス、ダイコン、オオバ、とたくさんの種類を植えたがほとんど収穫できなかった。青虫とナメクジに食べられてしまったためである。手での虫取りやビールを使ってナメクジ退治などを試みたが、敵わなかったとうことである。自然の生物は力強いということである。学んだのは、何事にも育てるには根気と世話がいるということである。
③ 青虫取りは蝶や蛾になるので退治するのはかわいそうな気もしたが、収穫のためには不可欠なのである。菜園の上を飛び交う蝶は、見ていて気持が和むものだが、他方でまずいことをもたらす。かわいい蝶も殺さないと葉ものは育たない。殺してしまうと蝶の舞う姿は味わえない。何事にもプラスの側面とマイナスの側面を内包するということを学んだのである。
④ 葉ものはほとんど失敗したのだが、あれほど大量に発生したナメクジも30度以上の気温が続く頃になるとどこかに行ってしまったかのようである。ナメクジの躍動はおそらく土中の温度の高さと関係があるのであろう。植える時期を工夫すればよいのかもしれない。何事にものが育つためには適した時期があり、それを熟知しておかないと上手くは育たないということを学んだのである。
⑤ トマトやキュウリは収穫しはじめの頃は大変美味であったが、終わり近くなると色合いの割に甘さが足りないとか,硬いという具合に、野菜には食べ頃があることを知った。何事にも旬というものがあるということを学んだわけで、自分も旬を過ぎたはずで、硬直した処遇を他人にもたらしているのかもしれない。

 とまれ、家庭菜園第1年目の夏はいろいろと学ぶことが多かった。
 おそらく、つぎ込んだ苗の代金、肥料、機具、使った時間などの合計はそれらの野菜を購入した場合の数倍の金額となったであろう。短絡的なコスト・パーフォーマンスという観点では完全にマイナスである。
 しかし、毎朝・毎夕水をやり、肥料を足し、青虫を探すなどの世話をして、野菜が育ち行く姿に一喜一憂し,わずかでも収穫でき始めた頃の喜びを加算すると最終的なコスト・パーフォーマンスは大幅な黒字と断言できる。そして、いろいろと普遍して学ぶことが多い。何事も短期的な計算で測ってはいけないというのも学習したことである。

 北海道八雲町では移住者に無料で240坪の農地を提供するキャンペーンを行っている。もう少し野菜作りに上達しないと、仮に移住しても難儀するといけない、などと思っている次第。
 もっとも、八雲町の職員は「畑仕事はできなくても,世話焼きな年寄りがたくさん待ち構えているから心配ない。すぐに移住しても大丈夫」と言ってくれてはいましたが。