連休の間に思うことなど | はったブログ

連休の間に思うことなど

 連休の前日に郷里の自治体で講演をした。中学生と老年者が対象で、焦点が絞り難いものであった。雑駁な話になってしまったのだが、中学生には先生や親への評価は簡単ではないので、ともかく持続して物事を進めるのがお薦めであることを自分の経験を交えて語った。
 ある時点で行う評価は物事が複眼的に見られる年齢になると変わってくるということが言いたかったのである。自分の経験の例としてあげたのは大学時代のH先生のことである。僕は先生の実験動物であるネコの世話をしていた(自分用にはネズミの世話に明け暮れた)。ネコを可愛がって育てるというのではなく、海馬に電極を埋められる運命にある大勢のネコの世話である。毎日というわけではなかったのかも知れないが、古米を電気釜で炊いて市場で購入した魚のアラや缶詰と混ぜて与えるのである。当時はネコ用の固形飼料はなかった。近くの市場の魚屋では僕はアラしか買えない苦学生(もう死語である)と間違われていたふしがある。
 H先生は、僕が大学院生の時期に2度に渡って少なくとも2年間はアメリカに出張されて留守であった。留学が眩しい時期であったのだが、H先生は自慢めいた話は学生相手でもされなかった。今日のように電子メールでの遠隔指導などは叶わない時代であり、僕は自分で工夫して研究するしか仕方がなかく、恨めしい気持に襲われたことがないわけではなかった(自分のやりたい研究をすることができたという側面もあるのだが)。
 帰国された時には、当時羨望の対象であったパーカーの万年筆でも貰えるのではないかと,密かに期待していたがそれはなかった。そのときには論文の別冊を大量に貰っただけであった。正直なところ、「ケチだなあ」と思った。今にして思えば、3人の男の子がいる家族がアメリカ西海岸で暮らすに十分な賃金をアメリカの大学側から貰っていたはずはない。日本円が安かったのだから、学生にまで高価な土産など準備できるはずはないのだが、そういう知識はなかったので先生にはnegativeな評価をしていたのである。
 H先生が僕のことを気にかけていなかったわけではないことは、大阪教育大学の公募に通り、博士課程2年目で就職が決まったときに初めて知ることができた。決まったことを連絡すると、近所の寿司屋「入船」でにぎり寿司をご馳走になった(カウンターで寿司を食べた始めての経験であったように思う)。君の就職を都立神経研の頼んでいたところだとやや気まずそうに言われたのを覚えている。

 連休の初日には、大阪教育大学の同僚の叙勲を祝う会があった。近年叙勲の年齢が上がり,80歳での叙勲であり、足を悪くされている先生は気の毒にも東京での認証式には参加できなかったということであった。
 その帰りに、先輩や旧同僚などと長い時間に渡って昔話をした。そのときに、僕の採用人事の内幕を聞いた。学閥のきつかった時代にその狭間を縫うような採用であったことは知っていたが。唯一の業績であった英文論文が決め手であったということであった。修論をまとめたものだったが、アメリカ心理学会誌に掲載されたものである。その頃、アメリカ心理学会誌のどれかに論文を掲載された日本人は極めて少なかったので、それが決め手になったということであった。誰も内容など分かりはしなかったということである。臨床心理学の助手の採用であったのだから、ネズミの脳の記憶がどうこうという話は関係がなかったはずであるのに採用された。英文論文のせいと運とが良かったのである。
 思えば,この論文は僕が書いた拙い英語をH先生が手直しして、それをアメリカの友人に送って下さったものである。送り返されて来た論文の考察の一部には自分でも良くわからない箇所が書き足されていた記憶がある。何のことはない、思い返せばH先生とアメリカの先生の合作のようなものであったのだが、物事を知らない僕は連名にすることも知らずに単著の論文にした。その後、H先生がこのことやアメリカに送ったことに何も恩着せがましいことは言われなかった。その後、学会であっても「どうですか?」程度の質問を淡々とされるだけであった。少し猫背で布の袋を提げ,タバコを吹かしておられた姿が印象に残っている。定年後すぐに肺ガンで亡くなられた。
 先生から貰った論文の別冊や未掲載の論文原稿は、R. Sperryらの離断脳に関するもので、僕は後年このテーマで30年間研究を進めることができた。日本で最も早い時期にラテラリティの研究に接することができたのはH先生のお陰であり、欲しかった万年筆よりも何倍も価値のある土産であったことを理解するのには、ずいぶんな年月が必要であったということになる。
 というわけで、中学生には分からなかったかも知れないが、なかなか教師の教育活動を評価するのは難しいということである。読者諸姉は、昔の先生に想いを馳せて評価を再度試みられては如何であろうか。回想法は認知リハビリテーションにも有効ということでもあります。
 そうそう、講演の老年聴衆者には自慢話を若者にすることを勧めた。ただし,相手に同じ話かと嫌がられないように、自慢できることを生み出し続ける必要があることを付け加えて。
 このブログは月に一度のペースで書くことにしている。書くことが脳機能の老化に良いことは日頃から言っている。したがって、ペースを守って書くことが私の老化対策であり、実は自慢のネタ作りなのでもあります。